横恋慕は洒落にならないマッチポンプを呼ぶ4

「ちゃんと朝ご飯温めて食べてよね。あ、お風呂のお湯はそのままでいいから」

 框の自室と化した納戸で軒下家へ泊まる準備を進める様子を見守りながら、塀二はうんざりした気持ちでボヤく。

「なんでお前は俺の家で他所の家に行く支度をしてるんだろうな」

「それって……出て行ってほしくないってこと?」

「そういうことじゃねえよ」

 期待のこもった眼差しを打ち切ると框は意味ありげに笑ってバッグに荷物を積める作業に戻った。

「ま、心はここに置いていくからサ」

「確かに思念は足跡みたいに残るし室倉なら読み取れるけどな」

「そういうことじゃなくってね」

 着替えと制服と、その他塀二にはよくわからない身の回り品をまとめた框は玄関へ移った。靴を履いたところで、その場で足踏みをしてじれったそうにする。

「なんか……あんたを置いていくの心配だな」

「俺は猫の子じゃないんだが」

「あんたに『いかないでほしい』って思ってほしいって言ってるだけ」

「うん? そりゃ行かないで済むならそのほうがいいに決まってるだろ」

 猫美の状態に不安があってその監督の為に出かけるのだから、心配しないで済むならそれに越したことはない。

 それを意図して答えた塀二に、框は満足そうに頷いた。

「なら安心して出かけられる」

「お前は本当にわけがわからない奴だな」

 それじゃあ、と言って出かける框を見送ったあと、塀二は足早に自室に入った。

(あいつ最近増々可愛いよな……。いないうちに発散しとかないと)

 ベッドのマットレス下から潰れた小袋を取り出し、大きく息を吸い込むなり巾着に顔を突っ込んだ。そして、叫ぶ。

「――――!」

 思いの丈をすっかり吐き出して、スッキリした顔を袋から抜き出す。胸を締め付けていた想いがすっと軽くなった。

 損級呪具、移り気巾着きんちゃく。内部に向かって言葉を発すると、その時の感情を奪い取るという効果を持つ呪具だ。框と過ごすうちに想いが膨らむことに困った塀二はこれを毎晩常用している。

 この日課が無ければ何かしらよこしまで不埒な振る舞いをしても、框は罪の意識で受け入れてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなくてはいけないことだった。

「室倉はん、食事の支度ができましたえ」

「おう、今行く」

 外から声を掛けられて小袋をとっさに手近にあった上着のポケットへ突っ込み、居間へと戻る。留守にすることを申し訳ないと思っているのか、框が用意した夕食は短い時間に拵えたながらいつもより豪勢だった。



 翌朝、教室の入口で待っていた框と顔を合わせると妙な感覚がした。なにしろずっと一緒に登校して来ていたので、一日の始まりを別々に過ごしたことが無性に落ち着かない。

「おはよう、塀二」

「……おう」

 照れくささから逃げる為にも、他に気にしなくてはいけないことに注意を向ける。

(軒下は……大丈夫そうだな)

 教室の中を覗けば猫美は席に着いていて、目が合うと軽く手を振られた。手首の数珠が揺れる。瘴気の気配は無く、むしろ昨日に増して浄気が濃い。

 無事を確認して安心する間もなく框に袖を引かれた。

「ちゃんと朝ごはん食べた? 春日居さんやってくれた?」

 案の定な過保護ぶりに呆れて笑う。ホッとする訪印としてはこれ以上ない「いつも通り」だった。

「そのくらいちゃんと自分でやれるって」

「ならいいけど。ところで昨日夜遅くなってから〝肝試し〟ってことで猫美と例のオカルトスポットに行ってみたんだけどさ」

「ああ、なんにもなかったんだろ?」

 猫美から視線を外し首の向きを変えた途端、ゾクリと肌が粟立った。

 突如として発生した瘴気に教室が支配される。それ自体はわからないクラスメイト達も目まいや寒気で不調を感じているようだ。何も気付いていないのは普段から瘴気に包まれている框だけだった。

(なんだこれ……どういうことだ?)

 発生源は猫美。ぐったりと机に伏せ、手首に巻いたブレスレットは千切れ、数珠の玉が床に散らばっていた。塀二が施した術は消し飛んで痕跡すらない。

「……なんだこれ、ヤバいぞ!」

 瘴気が拡大していく。町の結界が四散させるよりも速い。塀二は素早く框の手を引き廊下へと移し、それから教室内に結界を張った。

 瘴気についてはそれでなんとかなったようで、クラスメイト達は「今なんか一瞬暗くなった」「停電?」と口々に話し、すぐに雰囲気は元に戻る。

 しかし猫美だけは机の上で動かなかった。

「……軒下を保健室に連れて行く。先生に言っといてくれ」

「さっきまで元気だったのに……。わかった」

「それから闇渡、充分周囲に警戒してくれ。攻撃されているかもしれない」

『言われずともやっておるわ。しかしこれは明らかに、室倉の領分だのう』

「……わかってる」

 曖昧模糊あいまいもこを見通すのが室倉だ。超常にしても怪奇に過ぎるこの現象の理屈を早急に解明しなくてはならない。

 猫美を背負い、心配そうにする框の視線を振り切って保健室へと向かった。始業前の騒がしい廊下で生徒たちから集中する無遠慮な関心は無視して、塀二は片手を空けスマホを操作して電話をかけた。

『もしもし、春日居――ああいえ、室倉どす』

 自然と電話に出てくれた居候に今は感謝する。

「ノーニャに代わってくれ。町の偵察を頼みたい」

『あの子やったら出かけてはりますよ? 妹の後輩の面倒を見るやら言うて』

「あいつ、まだプルートに絡んでるのか……。でも丁度いい」

 プルートは日中、大引先輩が学校の間は町中をウロウロしているらしい。そろそろ一般の眼にも姿が見えるようになっているだろうから、その為に姿を不可視化する呪具、シェーディンシェードを貸し与えてある。どこかで異常を見つければ発見してくれることだろう。

 挨拶もなしに通話を切って、保健室へたどり着くとベッドに猫美を寝かせた。次いで駆け寄って来た養護教諭に早口で説明する。

「1年5組軒下猫美。なんか急に具合悪くなったらしくて、休ませてください」

「あら大変! 親御さんに連絡しないと」

「親は旅行中とかで――っておいおい、慌ただしい人だな……」

 養護教諭が出て行き静かになった保健室でベッドの横へ丸椅子を運び、猫美の顔を覗き込む。

 意識は虚ろながらあるようだ。力なくゆっくりと微笑んだ。このまま気を失いそうなほど弱々しい。

「また室倉くんが、なんとかしてくれたんだね?」

「……なんともできてねえよ」

 己の不甲斐なさに唇を噛む塀二を見て、猫美は嬉しげに笑みを強めた。

「室倉くんが心配してくれて、幸せだよ。ねえ、このまま一緒にいてくれる?」

 膝に置いた手に手を重ねられ、塀二はそれを振り払うことも握り返すこともせずにベッドへ乗り出し猫美の耳元に口を寄せた。

「眠れ」

 言葉は意思を伝え、そこには意思エネルギーが宿る。一般にも〝言霊〟と呼ばれるものだが、塀二のような術士が意図して行えばそれは呪的な強制力を持つ。

 猫美はすぐに瞼を閉じ、寝息を立て始めた。

(こうなったら四の五の言っていられねえな。手を付けられる所から確かめる)

 始業のチャイムが聞こえる中、保健室を出て教室ではなく昇降口の方へ足を向けた。歩きながらスマホを取り出し框にメッセージを送る。

『オカルトスポットに行ってくる』

 すべての答えがそこにあると今は祈り、そして備えるしかない。


 町の結界が問題なく動作していることを確認してから、改めて問題の寺を目指す。住所は框からメッセージで届いていたが、教えられなくともたどり着く自信が塀二にはあった。

 室倉の知覚はそこかしこに残留する人の意識を感じ取ることができる。そこにいた者が考えたこと、強く抱いている想い。猫美の家から猫美のものを選んで進めば目的地に到着することは難しくない。

 だがそれは塀二にとって辛いものとなった。

 猫美は自分への想いを断ち切る為に寺へ向かったと聞いていて、事実その通りとわかったからだ。進むごとに感情が伝わって来て、ひとり赤面してしまう。

(なんだこれ照れるな……。あいつこんな乙女チックなこと考えてんのか)

 その想いを受け入れることができないということもあって余計居たたまれない。寿命が延びて室倉の宿命以外のことを考えられるようになった余裕は框の為に尽くすべきだ。これ以上は抱えられない。

(どうしたもんか……。なんか『モテて困っちゃう』みたいな状況で我ながらムカつくな。そんな良いもんじゃねえけど)

 漏らした苦笑が通行人に不審視され、口元を押さえながらひとり歩く。

 進むうち段々と道が傾斜にかかり登り坂となった。寺ならある程度自然に囲まれているはずという先入観通り、軒を連ねる家々の先の頂上に林が見えた。そこが目的地らしい。

 見たところはごく普通の寺だ。本殿を前に首を傾げてしまうほど普通。何かあるなら行けばわかると思っていたが、当てが外れた。敷地に足を踏み入れる前に一体を結界で覆う処置まで挟んだというのに、とんだ空振りだった。

 これからどうしていいか困った塀二は辺りを見回し、庭に鐘楼を見つけた。屋根の下に鐘が吊り下がっているはずだが、その鐘がどういうわけか石畳に下ろしてある。

「……うん? なんだあれ」

 思わず口をついて出た。

 超常の異常が見つからなくとも、尋常の奇妙はやはり気になる。なにより猫美の思念の名残りはそこへと続いていた。

 足早に近付いてみると屋根の裏には鐘を下げる金具自体が見当たらなかった。となると事故で落ちてきたわけではなく、初めからこういう物ということになる。

 短い階段を踏み越え鐘に手を触れる。よく手入れされているようで埃はなかった。壊れて放置されているわけでもない。

 ぐるりと周囲を回って、鐘にしてはおかしな部分を発見した。扉の中ほどに一か所、扉が憑いている。開けば潜り込むこともできそうな大きさの小窓だ。それを見つけた途端に急に鐘は不気味なものに感じられた。

 扉には錠が架けられている。解錠は鍵式ではない四桁のダイヤルロック式で、自転車の車輪に巻くようなチャチな物とは違って大きく古めかしい。番号の表記がアラビア数字でなく漢字な辺りにも時代を感じる。

(……うちの蔵の鍵と型が似てるな)

 少し迷ってから、鐘の内部が気になった塀二は周りに誰もいないことを確認してから錠のダイヤルに指をかけた。物に宿る思念を読み取る室倉にかかれば暗証番号ロックなどは障害にならない。

 回転するダイヤルに刻まれた文字は零から九と十・百・千を合わせた十三種。塀二はその組み合わせから苦も無く正解を並べる。

 八百八七。

 錠は長く動かされなかったようで固く、抜けた棒の隙間から錆が落ちた。

(さあ、御開帳だ)

 俄かに高揚しながら錠を通していた摘まみを掴んで開こうとしたその段階で、戦慄した。近付いてくる足音が聞こえる。それが何者か、思念の気配で塀二にはわかる。特に見知った人間ならば。

「室倉くん、ここで何してるの?」

 猫美だった。砂利を踏み鳴らし歩いてくる。驚きで何も言えない塀二に対して陽気に話しかけてきた。

「でも丁度良かった! 室倉くんに見てほしかったオカルトスポットってコレなんだよね。〝下ろし鐘〟って呼ばれてて、中から若い娘のすすり泣く声が聞こえる――とかいう噂があったらしいんだけど、それが何日か前からハッキリ聞こえるようになったんだって。どう? なんかありそう?」

 手を打ち鳴らしてはしゃいだ声で語る猫美を前に、塀二はまだ硬直が解けない。

「あ、もしかしてもうお払いしちゃった? ちぇーっ、見たかったのになあ」

 学校で寝込んでいるはずの猫美が快活な様子なことも妙なら、私服でいることも不自然だった。

 術士は動揺してはいけない。

 父の声を聞いたような気がして、塀二はハッと我に返った。急き気味に質問を口にする。

「軒下、お前なんでここにいるんだ」

「なんでって……。ココに泊まってたんだよ。言わなかったっけ? お寺だけど親戚のおうちなの」

 それはおかしい。框が軒下家で一晩一緒に過ごしたはずだ。そして今朝一緒に登校したのを塀二も確認している。

「昨日の夜、框と一緒にコレを見に来たんだよね。『夜のほうが何か起こりそう』って思って。でも何にも起きなかったんだ」

 そこまでは框からも聞かされた話だ。固唾を呑んで続きに耳を傾ける。

「私悔しくってさ。せっかく来たんだから叔父さんに怪談を話してもらおうと思って、框はここで待たせて家の方に寄ったの。あ、ここお寺と住むとこが別になってるのね。……そしたら私急に具合が悪くなっちゃったみたいでさ、気を失ったみたいなの。そのまま泊めてもらって、気が付いたのがさっき」

 もう何もかもがおかしい。

 塀二は悔しさで歯を食いしばって鐘を睨み、鐘の小窓を開くなり首と手を差し込んで中を探った。

 鐘の中はまったくのすっからかん。しかし塀二の手は鐘の内側に触れ、そこに超常を見つけ出した。室倉の結界だ。ノーニャの肌を覆っていたものと同じように、気が遠くなるほど精緻せいち静謐せいひつな結界が編まれている。内側にあるものを鎮め閉じ込める為、外側の瘴気を養分にして機能するよう仕組まれていた。

(……そういうことかよクソッたれ!)

 すべてのことが塀二の頭の中で繋がる。愕然とする横で、猫美は微妙な顔をする。

「框は帰っちゃったみたいだけど、スマホ持って出なかったからまだ連絡できてないんだ。室倉くん、ごめんけど伝えてくれない? 帰ってよかったんだけど、オカルトスポットに私を置いて行くなんてちょっと薄情だよね?」

 言われた通りに、塀二はスマホで框の通話番号を呼び出した。もちろん目的は違う。

『塀二? 今ちょっと大変なんだけど。猫美のこと見てたらノーニャと大引先輩が来て――』

 通話するなり弱った声を聞かされたが、とても構ってはいられない。本当に直面している事態以上に火急の要件などない。

「框、すぐに闇渡を出せ! 影卸しをして備えろ!」

『はぁ? 急に何? だってあんたいっつも使うなって言うのに』

「いいからすぐにだ! そいつは――軒下じゃない!」

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