血の争い3

 自宅の庭で伏せていたはずが突然まったく別の場所に放り出され、塀二は顔をしかめて辺りを見回す。

「……なんだここは」

 ただただ白い空間。果てがあるのか、天と地の区別も付けられない。実は目の前に壁があったとしても納得するほどの情報量の無さだった。どちらかへ走って行けば脱出口にたどり着けるとは思えない。

「……精神汚染ってこういう感じなのかな。こんなとこ、1時間もいれば普通なら気が狂う」

 幸いと言うべきか、床の感覚はあったのでその場に座り込んだ。

 そうして目の前で同じように胡坐をかいている人物を正面に見据えた。悪趣味なことに自分と同じ姿であることにはうんざりするが、脱出方法がわからないなら無視もできない。

「で、お前は何代前の室倉なんだ? ご先祖様」

 どう考えてもそれしかない。塀二の結論に、屈み写しのように向かい合っていたもうひとりが大きく口を開いて笑った。

「察しが良いな。現代の室倉にいささか失望していたところなので安心した。話も進み易そうで助かる」

 自分の笑顔を見るというのは、なんとも変な気分だった。普段こんな厭らしい顔をしているのだろうかと不安にもなる。

「室倉に並の術は通用しない。でも相手も室倉なら話は別だって、体験したばっかりなもんでね」

 この現象は明らかに術による攻撃を受けている。最初は噤かと思ったが、それにしては様子が妙だ。

「ご先祖様が干渉してくる理由は心当たりがある。この間、遺灰を体の中にねじ込んだからな。それがきっかけになったのかもしれないし、もっと他の仕掛けがあったのかもしれない。それに『そういうことできないかな?』って俺も考えてたんだ」

 室倉の思念のみを固定して自律させることができれば、一族は役割から解放される。それに最も近かったのがマーガレットだ。

「同じことを考えた先祖がいたっておかしくない。いや、いるべきなんだ。なぜって備えてナンボの室倉だから」

 いかにもその通り、という風に頷くのを見て塀二はほっと息を吐く。

「とりあえず、異母兄弟がゾロゾロ出て来るようなことじゃなくてよかったよ。これ以上家庭の事情が複雑になるのは勘弁してほしい」

 できれば父が死んだ時に出てきてほしかった。しかしそうでなかったから、今更こうして現れた理由についてはどうしても嫌な予感が働く。

「悪いけどこっちは何の用事だろうとそれどころじゃねえくらい切羽詰まってるしはらわた煮えくり返ってるんだ。ここを出たら『なんだ全然時間経ってなかった』って類の術じゃなけりゃ墓を荒らしてやるからな。室倉に墓は無えけど」

 話しながらも術を仕掛けていく。床へ指を突いて細かく動かし、小さな四角を繋ぎ合わせて領域を支配・拡大することで目の前の古代室倉へ空間の浸食を広げていく。ここは敵の陣の中だ。まずはそれを塗り替えなくてはならない。

 その作業の途中ではたと気が付いた。

 なにやら結界が普段よりうまく早く描けている。だがその割に敵の陣地を征服している手応えが無い。何かがおかしいのに、何も違和感が無い。無さ過ぎる。

「……そうか、ここは精神世界とかそういうやつか。思うままのことができてるんだな? 残念ながら俺はこんなに優秀な術士じゃない」

 苦々しい思いで呟くと、目の前で自分の顔がニヤつく。

「お姫様から厳しく稽古を付けられたのに、成果なしか」

 過去、父親からの伝授が不完全だった塀二は地球守りから術の指導を受けたことがある。その時に関わったひとりが「エンドウ豆の上に寝たお姫様」の逸話を基本とした依霊で、攻撃も援護も〝完璧〟かつ〝超極上〟でなければ一切受け付けないという敵でも味方でも非常に厄介な性質を持っていた。

 その過去をまるで見てきたかのように語る。それで答えが分かった。

「ここは俺の頭の中か……。思念を読んだだけにしては細か過ぎる。思い出したくもない辛い日々まで持ち出しやがって」

「ああ、だからこうして姿を借り、言葉もお前の記憶の中から貰っている。だからある程度確かな術士でなければ困るんだ。自分と共鳴する子孫が弱かったら、なんだか気恥ずかしいしな」

「……共鳴?」

 嫌な予感が増していく。

「無力感だよ、当代の室倉。弱さを認め力を欲する者の心には入り込みやすい。相当くじけていなければ、室倉の血にはちょっかいをかけられないからな」

「それだとまるで俺が一族で一番弱かったみたいじゃねえか。反論できねえけど」

「いやいや、そうは言わない。頭を依霊に押さえ付けられて、無力を感じないものなどいないさ。さっきお前も言った通り、鎮めの香――遺灰を取り込んだことで結びつきが強くなったおかげで今回初めてうまくいったのだと思う」

 それならば、狼の時には反応を起こさなかったわけだと、塀二は無言で納得する。それまでには悶えるほど己の未熟を呪っても、鎮めの香を持ち出した時点で勝利を確信していた。自分の命を投げ出すつもりで、だが。

「実は蔵には地下がある。代々の室倉に存在は知られなかったと思ったが、おそらく何かしら手を加えられたのだろうな。まさか子孫に封印されるとは予想しなかった。お前の父が蔵の整理をしたのもその為だったのかもしれない」

 自分の顔が父親のことを平然と口にすることに苛々してしまう。暇ではないので早く本題に入ってもらいたい。

「さっきから聞いてりゃまるで〝乗っ取り〟が目的みたいだな。でも俺の知る限り、そんなことはできねえ」

 塀二の疑問に、古代室倉は同じ顔を頷かせる。

「その通り。生き物に魂などは無く、自己を確立するものは脳の記憶――経験だ。術によって思念を固定することはできても人格の保存などできるわけがない。俺の本体は間違いなく死んでいる。〝復活〟だの肉体を移し替えての〝現世転生〟だの、世迷言をのたまうものか。ここ・・にあるのは遥か昔に死んだ室倉の執念だけだとも」

 ならば今ここで相手にしているのは自律した思考ではなく、ひとつの目的に対して働くプログラムということになる。他者の人格に乗っ取られるようなことはやはり起こり得ない。

 しかし、どうしても嫌な予感が消えなかった。

「……ここが俺の頭の中ならどうしてこんなに、何も無いんだ」

 古代室倉は沈黙する。瞼と唇を薄く開いて固めたまま疑問に答えない。そうしている間にも自分の頭の中身は一方的に覗かれているのだという危機感が、塀二にひとつの答えを見つけさせた。

「あんた……俺の頭の中を書き換えるつもりだな?」

 意識の中の世界だというのに冷や汗が垂れた。古代室倉は表情を固めたまま笑う。

「人格を丸ごと移す必要は無い。当代の室倉、お前には或る目的を達成する為だけの人形になってもらう。クリーンインストールと言った方が伝わるのか?」

 古代の室倉が蘇るわけではなく、その思想の一部を塀二の脳へと差し木する。その度合いがどうであれ、別人に変わる時点で〝心〟としての現在の塀二は死を迎えると言っていい。

「憶えたての言葉を使うんじゃねえよ、おじいちゃん。電車の座席じゃないんだから『ハイどうぞ』なんて譲れないね」

 数秒睨み合ったのち、正座に足を直し膝を開いて両腕を上げ、手首を前へ倒す。室倉一族の戦闘態勢。構えたのはふたり同時だった。

「ここが俺の意識の世界なら断然俺が有利だ。てめえには何ひとつ渡さねえ!」

 パン、と竹が弾けるような音がして両者の間に地割れが起こる。古代室倉はそれを見下ろし鼻で笑った。

「だが既に術中だ。記憶は着実に掌握しつつあり、肉体も既に意のままにある」

 断絶した床にすぐさま木組みの橋がかかった。拒絶と侵略、ふたつの意思のせめぎ合いが精神世界にそのまま反映されている。

「今現在優勢だからってなんだってんだ。別の思念を流し込んだからって記憶はそう簡単には消せない。蓋をして刺激しないようそっとしておく期間が必要だ。それを邪魔してここを制すれば体は戻ってくるさ」

 唐突に地面から生えた石垣が塀二を高く押し上げていく。その周囲にほりもできたが、これも急に出現した鎧武者が乗り越え石垣に取り付き登り始める。

「取り戻してどうする? お前の姉は不出来だが、お前はそれにさえ敵わなかった。奴が呪具で意思の力を高めていたことには気付いていたか? 室倉の気配に誤魔化されたお前がかんざしだと思っていたあれは谺蕾鍼からいばり、思念を増幅する効果を持つ呪具だ。本来は地面や対象に突き刺して使う物を、自分の頭に刺して脳を貫通させていた。あれほど気の狂った女にどうやって勝つつもりだ?」

 石垣の上を城郭で覆い、覗き口から身を乗り出した弓兵が直下の鎧武者へ射かける。現実ではあり得ない速さと数で文字通り雨のよう矢を降らせているものの、一方の鎧武者たちも常軌を逸していた。撃たれ落ちた骸が濠を埋め尽くし山となっても攻勢が衰えない。じりじりと追い詰められつつある。

「……ここでお前の知識を吸収すれば打開策が見つかるさ」

「ははあ、他人頼りか。素晴らしい術士の精神だ」

「皮肉はやめろ! 口八丁が術士らしさだとしてもだ」

 城郭の頂上から遥か下に古代室倉を見下ろしているのに、手を伸ばされたら届きそうな気がしてしまう。

「ならば直裁にいこう。たかだか数年先に生まれた姉にも勝てないお前が、千年の厚みに挑むとは冗談か? 今のお前でなければいけない理由は? お前の姉はもう俺が屈服した。わざわざ弱くなる意味を言ってみろ」

「それは――!」

 言い淀む塀二を見上げ、古代室倉は止まらない。

「お前の眼は罪悪感で曇っている。自己嫌悪で耳を塞いでいる。己を許さぬものが他者を支配できるわけがあるか」

 言葉がいちいち突き刺さって塀二の心を波立たせた。とても平静ではいられない。

「室倉の理念は調和だ! 支配じゃない」

戯言ざれごとほざけ。敢えてその論調で騙るのならば室倉が求めるのは『己を優位に立てたうえでの調和』に過ぎない。蔵に押し込めた数々の封印妖魔どもを、真に対等だと思ったことが一度でもあるか?」

「そうあるべきだと信じている」

欺瞞ぎまんだな。お前の弱さは尋常と超常のどちらにも居場所を作ろうとしている部分にある。異質なふたつを無理に繋げれば綻びもするさ。妖部として生きる覚悟の無い者が吐く言葉に力は宿らない」

 その一言で塀二の中で何かが切れた。室倉家の宿命から一歩踏み出させてくれた框の優しさを否定されることだけは、許したくなかった。

「うるせえ! 術士の勝負なんてもんは理屈や正義の審査じゃない、自らの願望を押し通す意志の強さによってのみ決着する競争だ! だから俺はお前に勝つんだよ!」

「正しさは不要か。なんだ、素晴らしい傲慢さじゃないか」

「黙れ! これは室倉当代と――」

「――古代の?」

「意地の張り合いなんだよ!」

「……話にならんな」

 城郭から更に塔を伸ばして上へ逃れた塀二に翼竜が襲いかかった。喉元を握られ抵抗を封じられる。

「あとは任せて、お前は大人しく塗り潰されていろ」



 現実では、噤が庭を転げ回っていた。結界で対抗し押し合いに負けては吹き飛ばされている。四代室倉によって人格を侵食され豹変した塀二には容赦がない。

「この野郎……塀二ちゃんを返せ!」

 口先の威勢は相変わらずでも、とうとう遂に力尽きた。最早顔を上げることさえできていない。しかしそれを前に、塀二は手を下さずにいた。

「なんのつもりだ」

 塀二と噤の間に框が立ちはだかる。身を挺して、というほどには覚悟が固まっていないと態度に出ている。それでも、戸惑いながら塀二に訴えかけた。

「この人はむつきとノーニャと春日居さんを殺した。それは絶対に許せないことだけど……でも仕返しなんてあんたにさせたくない。だって、姉弟きょうだいなんでしょ?」

 この状況でも框の倫理観は尋常から動かなかった。熟考する間に噤がいいように弄ばれているのを見て、気が付けばつい出てきてしまった。

 呆れた声を出したのは夢玖だった。

「フッ、なんという甘さだ。だがその甘さ、嫌いではないな!」

 勿体を付けた足取りで框の隣に並び立つ。猫美もそれに続いたが、むしろふたりをそこから遠ざけようと引っ張った。

「あんたら何言ってんの? ここは室倉くんに任せようよ! もうこんなの普通じゃないって! だっておかしいじゃんこんなの」

 猫美は必死だが、框は反論する。

「普通じゃないからこの人を守らなきゃいけないんでしょうが! だって塀二がおかしくなってるの、なんとかできるの多分この人だけなんだから」

「その人も明らかに変じゃん!」

 ふたりが揉めている間に攻撃する隙はいくらでもあった。しかし塀二は動かなかった。記憶を取り込んだせいでふたりへの情が邪魔をして呆然としている。それが失われるまでは手を出せない。

「猫美、聞いて。あたしは塀二を助けたいだけなの」

「こんなんで落ち着いてられない! みんな血まみれで、さっき人が死――死んだじゃない!」

「あたしだって平気なわけじゃないっての。でもしっかりしなきゃいけないの。第一あんたは塀二に見込まれたんでしょ」

 框がこの場の混乱をまとめて背負っているかのようにひとりパニックを起こす猫美をなだめていると、攻撃は背中側から、噤から放たれた。夢玖も巻き込み三人諸共に結界に打たれ悲鳴を上げる。

「ふざけるんじゃないわよ! お前たちに庇われるくらいなら死んだほうがマシ!」

「ふざけてるのはそっちでしょうが……!」

 気を失い覆い被さっていた夢玖を押し退け、框は噤を睨む。

「今は塀二を助けることだけ考えて協力しなさいよ! あんたがむつきを殺さなきゃ方法聞けたんだから、その責任から逃げるなんて、赦さない」

 憎くて憎くて仕方がない気持ちはある。今すぐ飛びついて引っぱたいてやりたい。しかしその相手は何か不調を起こしているらしい塀二を助けられる唯一の人物でもあるから歯痒くて仕方がない。

「手伝ったからって赦すなんてこと絶対にない。でもお願い、助けてよ!」

 複雑な感情でグチャグチャになっている框が叫んでも、噤は忌々しげに目を逸らした。それを見て更に怒りが湧く。

 しかし自分の感情に固執するより、他の方法を探したい。

「猫美、あんたに憑いてる人に頼めないの?」

 言われた猫美を介するまでもなく、宙に浮いている八百屋お七は無念そうに首を振った。

『できないね。手立てを知っていればとっくにやっているさ。……覚悟をしておくんだよ。この時が過ぎればアンタらの愛しい人は別人になっちまう。別の思念が混じっていくのを感じるよ』

 今塀二の身に何が起きているのか、その片鱗を聞かされて框は愕然とした。〝混ざる〟という危うさは体験しているのでこればかりは理解できる。

 一方猫美は普段の框以上に事情を把握できていない。目玉をグルグル動かしてからふと思いついた顔でポケットから柄付きの呼び鈴を取り出した。

「困ったらコレを鳴らせって、室倉くんに言われてたんだった!」

 病級呪具、ブルイングベル。鳴らせば思い浮かべた相手に自分の位置を直感的に報せ、呼び出しに応じるまで延々ベルの音を聴かせ続けるという効果を持つ呪具だ。

「言われた通り室倉くんのことを考えながら――それっ!」

 チリン、と品のある清潔な音を響かせ銀の鐘が揺れる。血の匂いに呑まれた猫美が錯乱したかのように振り続けるので続けて何度も何度も。

 塀二はそれを「自分を呼ぶように」という意図で貸し出したということを猫美は動転して失念している。すぐそばに塀二がいる以上、正常なら鳴らしたところで意味がない。だが現在、塀二の状態は正常とは言い難かった。

「おまっ……! なんてことするんだ!」

 呪具は塀二の肉体へと作用し、意識に鈴の音を聞かせている。塀二の思念が猫美が知るものとは波長が違ってしまっているからだった。これほどにいても呼び出しに応じたことになっていない。

 四代室倉が手を引いて元に戻さない限り、ブルイングベルの効果は終わらない。そしてこれは悪用されると迷惑になるので塀二も教えなかったことだが、ブルイングベルは繰り返し鳴らすほど効果を増す。

「やめろ! それをもう鳴らすな!」

「ひっ、近寄って来ないで!」

 様子がおかしい塀二に詰め寄られ、猫美は威嚇するようにプルイングベルを尚更振り回した。

 框は頭を抱えその場にうずくまる塀二を見下ろし、春日居の教えを思い出す。

「弱味を見つけたら徹底的に付け入る――塀二ごめん、猫美はそれずっと続けて!」

「なんか知んないけど、わかった! でも大丈夫? 私カラオケでひとりだけテンションおかしい人みたいになってない?」

「早くやれ!」

 暴れ始めた塀二に抱き付いて取り押さえると、ゾッとするほど凄まじい敵意の視線を感じた。発信源は勿論、噤だ。

 どれほど憎悪を向けられようと退いてはいけないと心を奮い立たせ、腕の中の塀二をよりきつく抱き留める。

(今の状況が気に入らないなら、あんたがなんとかしてみせなさいよ!)

 その想いを読み取ったのか、噤は唇を噛み口惜しそうに呟いた。

「……塀二ちゃんの上着」

「はぁ? なに、ちゃんと教えて!」

「塀二ちゃんの上着! ポケットに巾着があるから、それを裏返して使えばいい!」

 それ以上を丁寧に教えてくれる親切心は期待できないと踏んで、框はすかさず塀二の上着にポケットへ手を突っ込んだ。

 出てきたのは確かに巾着だった。学校に持ち込む体操服入れほどの大きさで、こんな状況でもつい「洗濯しなくちゃ」と感想が出るほど薄汚れている。これがこの状況を解決する不思議なアイテムらしい。

 一体どう使えばいいか、推理している余裕は無い。なぜだか塀二が一層激しく抵抗し始めたからだ。

「おい待て! ちょっとそれはよくない。やめろって!」

 捕まえる為に塀二の背中へ腕を回しているので手元は見えない。しかしいつも塀二が脱ぎ散らかした洗濯物を処理してきた框にとって布を裏返すのは慣れた作業だった。噤の指示に沿い巾着の口を握ってクルクルと剥くようにして内側を露出させていく。

「離せガキがぁっ!!」

 強く突き飛ばされ、框が塀二から離れる。目の前に現れた顔は完全に知っているものとは違って見えた。

「この――バカ! 早く元に戻れ!」

 上へ跳ね上げられていた両腕を振り下ろし、巾着を塀二の頭に被せる。押されて腹が立っての衝動的な行動だったが、これが正しかった。

 病級呪具、移り気巾着。内部へ声に出した感情を奪い、その対象となる人物が内部へ触れればそのまま伝える。裏返して使用すれば思念は放った元の主へと還る。

 そして移り気巾着にはこれまで塀二がコツコツと蓄えた想いが詰まっていた。



 断崖を作り、濠と石垣で守り、塔で逃れ、それでもドラゴンに捕まった。精神世界で古代室倉に追い詰められた塀二は、それでもなお笑う。急に大切なことを思い出した。そのせいだ。

「頭の中の世界なんだから、喉塞がれたって関係ないよなあ」

 ドラゴンの爪で喉を潰されながら平然と話すのを、古代室倉もまた余裕をもってドラゴンの背から見下ろした。

「喋れたからなんだというのだ。お前の負けだ。諦めて混ざれ」

 ひとつの脳で処理能力を奪い合う思念のぶつかり合いが決着する。形勢が逆転する形で。

「……戦力を考えれば譲ったほうがいいかな、っていう気持ちもあったけどやっぱり無理だな。俺がやりたいことを、あんたはやらないだろうから」

 塀二が立てた指をすっと下ろすと、突然にドラゴンが墜落した。石垣の急斜面を滑り、濠を埋めていた骸の山を砕いて転がった。

「馬鹿な! どうして急に?」

 下敷きになった古代室倉がもがく。その目の前へ、ゆっくりとした落下速度で塀二が降り立った。

「お前には絶対消されない想いが俺にはあるからだ。罪悪感で曇ってる俺の目にもハッキリ映るものがある。これだけは誰にも消せない。例え室倉でもだ」

 そう言って続いて降りて来たもうひとりへと、恭しく手を差し伸べる。框だった。穏やかに笑っている。

「……やっぱり現実とはだいぶ違うな。これが俺がイメージするあいつか。それとも理想か? 本人には知られないようにしないと」

 ほほ笑む不自然な框は塀二の傍を離れて、消えた城と塔の代わりに現れた室倉家へと入っていった。きっとそこに再現されているであろう、会いたくてたまらない姿を見るのは辛くて塀二は振り返ろうとはしない。

 ドラゴンを消し、古代室倉は項垂れる。

「……〝愛〟か」

「馬鹿、恥ずかしいこと言うな」

 腕組みでそっぽを向く塀二だったが、「降参」という風に手を挙げすぐに頷いた。

「……うん、そうだな。愛だよ。俺は框が愛しくてたまらない。それだけでなんでもできる気がする」

 現実では様々な障害があるとしても、ここは自分の脳内だ。大昔のとある術士の残りカスなど軽く吹き飛ばせる。もっとも、意識の世界だからこそ顔が赤らむことだけはどうにも抑えられなかった。

「そんなもので……。悲願を邪魔されてたまるものか!」

 決着したかと思いきや、古代室倉は震える声で毒づいた。

 地面が揺れ、蔵が出現する。それもふたりを囲むように複数。塀二が用意したものではない。

「へえ、頭の中にまで呪具を持ち込めるのか。凄いなー、ご先祖様」

 扉が弾け飛び中から一斉に妖魔が襲いかかってくるのを見ても塀二に動揺はなかった。暗黒の塊となって迫る瘴気を前に、鼻から息を抜く。

「狼は倒したよ」

 その一言で、前髪に触れようとした獰猛な爪や牙が瞬時に停止する。足元で古代室倉が間の抜けた顔をしているのを見下ろし、塀二は優越感を隠しつつ繰り返した。

「狼は俺が倒した。捕獲はできなかったからスッキリさっぱり消滅だ」

 先日の戦いを思い出すと、精神世界は強敵の姿をすぐそばに再現する。途端に古代室倉が一瞬怯え、それから憎しみと敵意を発した。思った通りだった。

「こいつが『室倉を嬲ったことがある』みたいなこと言ってたのが気になってさ、ちょっと早起きして資料を当たってみたんだよ。そしたら狼の記述だけ、まあ妙に詳細に書いてあるんだもんな。怨念を感じる執着だったよ。……あんたなんだろ? 四代目――室倉升吉しょうきち

 その資料に記録者として載っていた名前を言うと同時、飛び出して固まっていた妖魔が根元まで遡って蔵事消滅した。おかげでポカンとした顔が良く見える。

「お前が……こいつを倒した?」

 攻撃性が究めて高く魔王とまで呼ばれた依霊を相手にそう言っているのだから、信じられないのも無理はない。

「記憶を完全に奪われたらどっちみちわかってたことだろうけど、できれば言いたくなかった。だってあんたはこいつに復讐する為に思念を残したんだろ? その目的の為だけに今ここにいるあんたは、存在意義を失えば消滅する。見過ごせないさ、守ってナンボの室倉としては」

 千年前の先祖の思念。発見場所が自分の頭の中でさえなければ、是非とも蔵に保管しておきたい希少品だ。

 気が抜けたのか、古代室倉――升吉は肩を落として項垂うなだれた。そっくり姿を借りられているのに小さく見える。

「……残した狼対策は役に立ったか?」

「馬鹿野郎。あんなゴージャスな下準備、とてもじゃねえけど実現できねえよ。『龍脈をぶつけて擦り下ろす』ってなんだ? んなもん地球意思以外の依霊全部倒せるわい」

「ではどうやった?」

光烏ひかりがらすを使った」

「余程酷い無茶をする」

「うるせえ。それなりにキツい犠牲も払ったんだ」

「消耗するとは痛いところだな、室倉としては」

「口の減らねえご先祖様だ」

 呆れて笑った塀二は、ここへ来て初めて穏やかな表情を見た。

 緩んだ頬が朧に揺らいで透けかかっていた。役目を失った術式が崩れ、固められた思念が消え去ろうとしている。

「……仇は取った。でも『心置きなく退場してくれ』なんて言わねえよ。――〝おけ〟」

 升吉の周囲を何重もの四角で囲む。

「室倉に精神支配を仕掛けてくるくらい活きの良い術士ならアドバイザーには最適だ。自分の脳内に封印なんて当然初めてだけど……やってみよう」

 なぜならば自分は室倉だから。それ以外の理由は必要ない。

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