血の争い4

「おかえり。元に戻ったね」

 頭に被せられた移り気巾着を頭から取ると、目の前に精神世界で見たままの框の笑顔があった。とても顔を合わせていられず、塀二は顔を背ける。呪具に押し付けていた想いがそっくり戻って来ているせいで場違いに心が高揚してどうしようもない。

「元に戻ったとか、そんなことどうしてお前にわかるんだよ」

「そりゃわかるっての。何年の付き合いだと思ってんのサ」

 そう言われることが嬉しい。気持ちを顔に出さないよう努める塀二は自分から例のピンク色の思念が放たれていると察した。

(ああ……あれって、そういうことだったのか……。欲情じゃなかったんだな)

 納得してホッとする同時に現状の再確認を急ぎ周囲を見渡す。人格を改変されかけていた間も意識を失っていたわけではないものの、主体を取り戻した今となってはどこか夢現ゆめうつつの出来事であったように感じる。

 その前に起きたことも含めて、悲劇は悲劇のままだ。

「室倉くん、大丈夫なの? なんかさっき様子おかしかったけど」

「大丈夫だよ軒下。……この巾着には触らないように」

 部屋着で寒そうな框に上着を羽織らせ、移り気巾着を押し付ける。それからもうひとりを見た。

「大引先輩、プルートは明日には戻るよ。あれは大引先輩のイメージだけで縛られてるから、大引先輩の病気が治らない限りは不死身だ」

「ククッ、ならば再臨を待とう。だが我が名はカオスだ」

「っていうかプルートもいないから何もできないんだし帰ったほうがいいですよ」

 かなり顔色が悪くなっているので、二重人格じみたテンションの切り替えでもこの修羅場はそろそろ厳しいらしい。

「さて、と」

 本題へと向き直る。ずっと騒いでいたが意識的に無視していた。

「よかった、戻れたのね? さすが塀二ちゃん! 自慢の弟だわ!」

 向こう岸へ呼びかけるような大袈裟な動作で手を振る度、切り裂かれた肩口から鮮血が跳ねた。肉親で重傷者だとしてもこれからのことに手心を加えるつもりはない。

「自慢の弟? 違うね、俺があんたの弟だったことは一度もない。あんたが俺にやったことは数えるのも辛いことばかりだ。そんなあんたを家族だなんて思えるわけねえ」

「やだ、心配しないでいいのよ? これから塀二ちゃんのことはお姉ちゃんが守ってあげられるんだから」

 話がまるで通じない。真に狂人か、そうするより他なく振りをしているだけか。それを判別するだけの関心を払う気持ちさえ起こらなかった。八つ裂きにしてやりたい欲求が煮え立つばかりだ。

「塀二ちゃん。とにかくその女から離れなさい。……離れなさい!」

「無駄だよ。あんたの言葉はもう俺には響かない」

 力を込めて放たれた言葉を、塀二はさらりと受け流す。呪具の力で噤が強化されていても、古代の室倉と競り合ったことで思念の強さが増している。

「俺はあんたが迎える結末には一切関知しない。あんたをどうするかはもう、室倉の権の外の話だ」

 遠くからバイクのエンジン音と、もの凄い気配が迫って来ているのを感じた。ここが自宅で守るものさえなければ一目散に逃げ出したいところだ。

 エンジン音が途切れた瞬間には外門の扉が砕けて飛び、家の壁にぶつかる。

「うわぁ、何しやがる! あんたのことは結界で拒絶してないんだから――」

 普通に入って来てくれ、と言いそうになって思わず口を噤んだ。庭へと踏み入って来たのは滝箕祢行護で、思念の波長で怒っているとはわかっていたが実際に目にすると怯んでしまう。絶対に刺激したくない。

 前回別れた時の浴衣とほとんど変わらない上下青の薄着は入院着のように見えた。乱れた胸元に覗く胸部の他、顔面も包帯で覆われ除く片方のまなこは噤を睨んで血走っている。この憤怒はなにをしても止められない。

「……軒下と大引先輩はゆっくり下がって壁の方に。框は俺から離れるな」

 声をかけて宥めようという段階は既に過ぎている。それはそうだろう。まさしく彼は噤に殺されかけたのだと服を濡らす血の量でわかった。妖部最強のプライドが治療に専念することを許さなかったようだ。

 噤は怪訝な顔で行護を見つめ、それから嘲って喉を反らした。

「呆れた! 塀二ちゃんに会いたくなっちゃったから急いではいたけど、それでも腸を引きずり出すくらいはしておいたのに次の日にはもう歩いてるなんて、無駄に丈夫なのね」

 明らかに挑発の態度だった。これはマズい。

 バヂッ

 おはじきのような音がして、行護の周囲で閃光がまたたく。怒気を雷として発するのが滝箕祢一族――通称〝天狗〟の際たる特性に当たる。

 バリバリ空気を裂きながら放電は激しくなっていき、そのうち長く伸びるようになって塀二たちがいる方へと手を広げた。

「〝くわばらくわばら〟」

 塀二が呟くと、雷は急に逸れて地面を叩いた。古い怪談ではお決まりの言葉だが、元来は雷避けとして用られていた〝呪文〟だ。

「恐い顔したってムダなのよ! お前は私に負けたじゃない? 今度も同じよ!」

 同様に直撃を避けていた噤が見せる余裕に、塀二は哀れみさえ感じた。

「滝箕祢一族の一番エグいところはさ、人間を相手にするときが一番強いところなんだ。妖部って言ってもその点では人間側だからな。……前に戦ったときは、依霊だと思われてたんじゃないか?」

 無言を維持して行護が構えを取る。膝を緩め両腕はゆったりと後ろへ開く。依霊すら平然と下す最強妖部が、その依霊に対しては持ち出さない、一族伝統の格闘術。

「滝箕祢流――〝みのの型〟」

 前後左右どちらへ揺らいだかもわからない歩法で、行護の姿が一瞬にしてかき消えた。室倉の知覚をもってしても追いつかない。単純に物理的に置き去りにされる。

 これには噤も驚愕して、声を張り上げた。

「どこへ行った!? 止まれ! 動くな!」

 言霊がどれだけ強力でも、宛先が不明では意味がない。動揺して後ろに回られていることに気が付いていない。

 既に行護は別の構えを取っていた。足を前後に開いて腰を落とし、指を2本揃えた手を顔の前で連ねる。

「滝箕祢流――〝高鼻の型〟」

 声を聞いて噤が振り返ったところへ、眉間に踏み込んで伸ばした指先が突き刺さる。血飛沫が迸った。焦げ臭い嫌な臭いも漂う。塀二は目を見開いてそれを届けた。崩れ落ちる瞬間、額から血を流しながら自分の名を呼ぶ声もしっかりと聞いた。

「……普通に会いに来てくれたらよかったのに」

 できるわけがなかったと理解はしながらも、そう言わずにはいられない。

「さよなら、おねえちゃん」


 その後は慌ただしく、それでも淡々と物事は進んだ。地球守りから派遣されてきた一般車に積まれた死体袋は噤の分だけのひとつ。ノーニャの遺体は無い。

 春日居はなんと生きていた。妖部の生命力と、塀二が治療中の間に漏れていたらしい平級呪具〝血漿菌〟が傷を塞ぎ、途中から出血を止めていたおかげだった。

 地球守りに出資する企業と関係の深い病院へと搬送されていったが、意識は無く予断を許さない状態で回復を祈る他ない。

 春日居を乗せた救急車には行護が同乗した。裂けた腹を包帯で抑えている状態で、本当なら入院していなければならない所を最強妖部のプライドが無断外出に踏み切らせたらしかった。

 猫美と夢玖は家に帰った。特に猫美は塀二と框を心配していたが、凄惨な状況に立ち会ったことでショックは大きく、室倉家に残ることには抵抗があったようだ。

 血で汚れ荒れた居間を災級呪具〝小人の井戸〟で復旧したあと、塀二はひとり自室で照明も点けずに呆けていた。

 一日を振り返れば八百屋お七からの連戦で疲れはあっても神経が高ぶり眠れそうになく、ベッドに端に腰かけどこへともなく視線を投げ出している。1秒を惜しんで人生を充実させようとする普段の面影はどこにもなかった。

 そこへ、框がやって来た。さすがに顔つきは普段通りとはいかず暗い。

「……あのさ、なにか食べない?」

「いや、いいよ……」

 塀二としてはそのまま猫美の所で泊まらせるつもりで送り出していたというのにこうして戻って来ている。今ひとりにするのは心配だろうと、それを言えばきっと「だからこそ戻って来た」と框が答えるとわかっているか批判するつもりはなかった。

 というよりも、何もする気力が起きない。

 色々なことが一度に起きて、それが終わって、まだ心が麻痺してしまっている。悲しむことにさえ休養が必要な状態だった。

「じゃあ飲み物は欲しくない?」

 框のほうも心の傷は大きく、何かしていないと気分が落ち着かないのだろう。そうと察して塀二が頷くと、ホッとした素振りで部屋を出て行った。振り返って居間を通る時には惨状を思い出したようで、怯んでいるのを足取りに感じた。塀二は黙って顔を覆い嘆く。無事で良かった、そんな風に前向きに喜ぶことはできない。

 戻って来た框は水の入ったコップを塀二に渡し、言いづらそうに顔を伏せた。

「あのさ、今夜はその……一緒に寝たらダメ?」

 非常識な頼み事も、味わった恐怖と不安が続いている状況では断れない。塀二は答えずにベッドに横になり背を向けると、框が背中に寄り添った。

 框と同じ部屋でベッドに二人、もっと違う心境になるはずが、とてもではないが浮かれることはできなかった。

「……死んじゃったね」

 台所で隠れて泣いてきたのか、静かな掠れ声に「ああ」と返事をする。きっと本当に悲しむのはまだ先のことだ、と遠くの出来事のように考える。

「塀二は『魂なんて無い』って言ったけど、あたしは『あってほしい』って思う。だから……お墓作ろう?」

 これにも同じ答えを返した。

「むつきと、ノーニャと……お姉さんの分」

 今度は何も言えなかった。黙っていると、塀二は背後にすすり泣く声を聞いた。ひたすら「なんで」と繰り返している。

「……俺といるとまた同じ目に遭う」

 框が室倉家に関わっていたのは影に妖魔を宿していたからだ。しかしもうない。

「それでも一緒にいてくれるんだろう。前にも言ったが、いなくなられると俺は多分壊れる。だからお前に……まじないをかけることにするよ」

 体の向きを反転させると鼻先の框は戸惑いの表情を浮かべていた。「何を言ってるの?」と涙目に映る疑念に構わず、逃れ遠ざけようとする手を掴んで塀二は続けた。

「框、お前を愛している」

 目を見張り、体を一度大きく震わせて抵抗がやんだ。ぐっと抱き寄せると心臓の音が伝わってくることに安心する。

「絶対にお前を幸せにする。健やかなる時も病める時も、この言葉がお前を生涯守る。俺にとって最強の言霊だ。危機も苦難も災厄も、誰もお前を傷つけない」

 深呼吸は噛み締めるかのようだった。

「……また誰かに乗っ取られそうになってるとかじゃないよね? ……あたしも、あたしも愛してる……!」

 一層泣き始めた框の髪を撫でながら、塀二は固く心に誓った。

 事態が急転してこれからどうなるかますますわからなくない。しかし彼女を守る為ならどこへでも行って、なんでもしよう。


 翌朝、目を覚ました塀二は框の頭に下敷きになっていた腕をそっと抜いて体を起こした。框の寝顔というものを初めて見た気がする。愛しくてたまらなくなり頬を撫でようと手を伸ばし、思い留まる。折角眠っているのだから起こしたくはない。

 ゆっくりとベッドから降り、脱ぎ散らかした衣服を身に付けると枕元の段ボールから栄養ドリンクを取り出し、一息に飲み干す。以前よりも苦く感じた。

 居間へ移ると、そこには少年が待っていた。薄い金髪と柔和な笑顔。依霊、サンタクロースだ。気配を察していたので塀二に驚きはない。

「やあ、案外早く起きてきましたね。待ちますのでもうしばらくは睦まじく過ごしてもらって構いませんよ」

「生前は聖職者だったって言う割に悪趣味だな。……何の用だよ。言っとくけど俺は今機嫌が悪いぞ。おかげさまでな」

 ただでさえ寝起きで低い声音に剣呑な雰囲気が漂う。対照的にサンタクロースからは穏やかな雰囲気が抜けない。

「地球守りに不満があるでしょうから、罵られに来たんですよ。兵士として酷使され捕虜のように管理され、〝運命〟という言葉で諦めるには苛烈すぎるでしょう?」

 妖部は人類社会にとって危険という理由で地球守りに管理されている。しかし内部崩壊が起きたことでその機能は弾圧する以外にほぼ停止していると言っていい。保護になどとても手が回らないということは散々思い知った。

「室倉であるあなたにはご理解いただけると思うのですが、『守る』という立場はどうしても後手に回らざるを得ません。懸命に対処はしているのですが、いやはや、あなたのお姉さんには掻き回されました。反抗勢力のほうも今はどうなっているのか……。まさか全滅しているということはないと思いますが」

「それを確認するのも難しいくらい、地球守りだってもう自然消滅の危機だろ。そんな死に体の連中に『なんで守ってくれない?』なんて文句を言うつもりはねえよ」

 責めることさえ虚しいだけで、不満が無いわけではない塀二の視線はどうしても鋭くきつくなった。

「そんなことが用事? フザけたこと言うな。依霊様がわざわざ詫びに出向くなんてあるわけがねえんだ。なにしに来た? 早く言え」

 塀二が全力で睨むと、サンタクロースは笑顔のまま沈黙した。その長さが、真意を伝わるには充分だった。

「……フザけんな。まさかだろ」

「察する以上、『まさか』ではないでしょう。おっしゃる通り地球守りはもう持ちません。ですからもう、それしか方法がないんですよ」

 顔をしかめ奥歯を噛みながら、塀二は框のことを想った。早速誓いを試されている。

「あなたに新しい地球守りを作ってもらいます。そうしてもらわなければいけない」

 備品の管理担当に過ぎなかった塀二にとんでもない役が回ってきた。

 確かに、放っておけば現在の依霊は消滅するか瘴気に汚染され、残らず人類の敵となる。荒れた地球意思は惑星規模の天変地異を引き起こす。人類の滅亡は避けられないことを考えればここでの拒絶は心中しんじゅう宣言に等しい。

「……なんて時代に生まれちまったんだ」

 受け継いで、守って、いつか引き継ぐ。それだけでは済むはずだった。違ってしまったこの因果は誰を呪えばいいのか、わからずに塀二は項垂うなだれる。

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