横恋慕は洒落にならないマッチポンプを呼ぶ2
なんとなくそんな気がしてはいたが、住所を確認しなくても猫美の家は近くまで行けばすぐにわかった。屋内に強い瘴気を感じる。
軒下家はごく一般的な戸建てで、門構えに傷みはないもののところどころに土埃が目立っている。手入れはされていながら極端に整えられているわけではないという、なんとも「フツー」な印象の家だった。玄関脇に立てかけられたホウキも生活感があって出しっぱなしも愛嬌として受け止められる。
そんな「フツー」の家に、今は瘴気が漂っていることが切ない。
(なんとかしてやんねえとだな)
塀二がインターホンを押すと、やや間があってからドアが開いた。出迎えたのは框だ。
「この馬鹿! 離れてろっつったろ?」
彼女が何かを言う前に塀二が叱り飛ばすと、框は不服そうに眉間を狭めた。
「だって親は記念日で旅行中だから家の人誰もいないって言うし仕方ないじゃん。ひとりにしておけないでしょ?」
「『離れてろ』の意味を理解してないな? お前には闇渡が憑いてるんだから瘴気と刺激し合っておかしなことが起こってかも知れないんだぞ。ちゃんと最善を尽くせよ」
「最善を尽くしたっつーの。あんたを呼んだから、もう大丈夫」
塀二はポカンと口を開けた。そして赤面する。全幅の信頼がこそばゆくて「それは危険な考えだ」と注意できない。
「……おじゃまします」
本題を優先することでしかこの照れからは逃れられない。
框の案内で階段を登ると、すぐにそれらしい部屋の扉が見えた。可愛らしいネームプレートで「ねこみ」とある。
「うわ、いかにも『女子の部屋』って感じだな」
「なに急にソワソワしてんの」
「いや俺、実は女子の部屋とか入るの初めてで――痛い痛い」
塀二の反応が気に食わなかったようで框は塀二の頬をつねった。その理由は「こんな大変な時に」といった内容とは違う。
「あんたあたしの部屋に入ってるでしょうが!」
「フザけんな、あれはうちの納戸だ」
「あたしの家に来た時だって部屋に来たがらなかったくせに!」
「待て待て! あの時はそれどころじゃなかっただろ? あとから考えたらメチャクチャ興味あったっつーの。今度お父さんがいない時にまた誘ってください」
『目的を忘れてはおらぬか』
足元からの声を聞き、塀二はぐっと奥歯を噛んで呻く。
「……妖魔に怒られてしまった。室倉としては恥だな。蔵の連中には内緒にしてくれ」
返事は聞かずに猫美の部屋の扉を開けると、中の様子を見て顔を歪める。
ベッドで眠っている猫美を中心に渦を巻く瘴気。実体として干渉するレベルの濃度が風を起こし壁のポスターや机の本をパタパタと暴れさせている。
反射的に塀二は指を動かし〝回〟の一字を切った。途端に瘴気は散り、部屋の様子は大人しくなる。
後ろから「ほっ」とハッキリ音がするほど大きく息を吐いた框が小走りに猫美へ駆け寄り、塀二も遅れて寝顔を覗き込んだ。
「……なんで幸せそうなんだ?」
猫美は眠っているようだが、口元が明らかに笑んでいる。
「うふふ、室倉くん、室倉くん」
なにかブツブツ言っていると思って耳を近付けたことを後悔する。
「あんたが言ってたから『楽しいこと考えて』って伝えたら、ずっとこんな感じなの」
「……それはそれは、不可解な怪奇現象だな」
これを含めて全部瘴気のせい、ということにしてしまいたい。
うなされているのか浸っているのかわからなかった猫美が急に体を起こした。とろんとした目が塀二を見つける。
「わぁ、室倉くんのこと考えてたら本人が出てきた!」
妙にテンションが高い。ろれつも怪しく、これはこれで熱に浮かされているように思えた。
「なんで室倉くん? ここ私の部屋で寝てたのに。あれ、オカルトスポットは?」
何をどうしたのか真実を話すわけにもいかず、戸惑う塀二とはしゃぐ猫美の間に、框が顔を割り込ませてくる。
「行く途中であんたが具合悪くなったから戻って、あたしが塀二を呼んだの」
「私が具合悪くなって、なんで室倉くん呼ぶの?」
塀二は思わず「墓穴を掘るんじゃない」と突っ込みそうになったが、ぐっと堪えて押し黙る。その間に猫美が框を横へ押し退けた。
「また室倉くんが何かしてくれたんだ? スゴいね!」
「いや秘められた力とかあるわけないじゃないですか。大引先輩じゃあるまいし」
「でもね? 室倉くんに特別な力なんてなくても、なんにもおかしなことないんだよ」
誤魔化そうにも話が通じない。目の焦点が合わずに顔の前で手を振ってもどこか違う所を見ている。
「だって室倉くんが来てくれたんだから、私が元気になるのは当たり前なんだよ」
うっとりと表情を
「軒下ってこんな奴だったか? どうしていいかわかんないんですけど」
「そんなことあたしに聞かれたって、なんて答えればいいのサ。恋する乙女になったんなら性格くらい変わるんでしょ」
框の反応に、塀二は内心落胆した。
たまに「もしや?」と疑いたくなることがあっても、やはり框は「恋する乙女」に当て嵌らないらしい。今の猫美の状態がその正解なら自分に対する態度が随分違う。
「……それじゃ、わかることをするか」
がっくり気落ちしながらも自分が担当すべき、超常の出来事と向き合う。
とりあえず猫美に纏わりついていた瘴気は払った。しかしそれは対症療法に過ぎず、原因はハッキリしていない。
(やべえ、なんにもわかんねえ)
室倉の知覚では猫美に不審な点は見当たらない。高揚しているせいかむしろ浄気が濃いくらいだ。とはいえ結界内でなんの作用もなく瘴気が溜まるというのは不自然に過ぎる。必ず何かがあるはずだ。
(……考えようによっちゃ、これ面白いな。解き明かし甲斐がある。大引先輩の時は真実が向こうから乗り込んで来たし)
猫美の顔を掴み、動かして色んな角度から眺めてみる。
「話してたオカルトスポットには行ってないんだよな? だったら関係ないか。前に近付いた時点で影響が起きてたんなら気が付いてただろうし――イデッ!」
服を脱がそうとした時点で後ろから頭をはたかれた。もちろん框だ。
「いきなり何すんのサ! ちょっと好かれてるからって弱ってるのをいいことに!」
「えっ? ああ! ごめん! 好意心を優先して人権を無視してしまった」
塀二としては学術的探究のつもりだった。ノーニャの時には原因がハッキリしており本格的に調べる前に瘴気を抜いてしまった後悔があるので、今度はチャンスを逃すまいという気持ちが強く出てしまっている。だが相手はそんな事情と一切関りが無いクラスメイトだ。そんな言い分は通用しない。
「〝猫美〟を襲う。……起きてるけど、アハハハハ!」
当の本人は何かがツボに入ったようでゲラゲラ笑っている。突然裸にされそうになった女子中学生のリアクションではない。
「ほら見ろ重症だぞ? これは入念に調べなければな。框、お前がいると紛らわしいから出てってくれないか」
「あんた本当に助ける気あるんでしょうね」
「当たり前だろ? 単なるスケベ心ならお前の裸が見たいわ俺は。お前相手だったら理由なんていくらでも用意できるしな。猫美が育てたって言うボリュームにも実は興味津々だ。下着じゃなくて中身な、中身」
こう言えば嫌がって引き下がるだろうと思った通り、框は赤面して部屋を出て行こうとした。かと思うとすぐさま反転して戻って来る。
「待って待って、だったら余計に猫美を脱がすのはおかしいでしょ」
「スケベ心じゃないんだからどこもおかしくねえよ。……いやもう脱がさねえよ。冷静になったから」
「ならあたしのおっぱい見るのやめてくれる?」
「……すいません」
この辺りの執着を御し切れないのは術士として未熟だからであって人間性の問題ではないと、塀二は心の内で自分を慰めた。
うつ伏せに寝かせた猫美の背を丹念に撫で、状態を触診する。
「あの、先にシャワーを浴びさせてほしいんだけど――まふっ」
未だピンク色の思念を放ち続けている猫美の顔を枕に押し付け黙らせ、塀二は作業を続けた。手で撫で、耳を当てて音を聴き、寝間着越しに肌を探り瘴気の残滓を探る。
(やっぱり術式の痕跡は無し、か。……しっかしこれ結構難しいな。帰ったらノーニャで練習させてもらおうかな……おっと)
指先がブラジャーの帯へ触れて、精神が学術的探究から一瞬揺れる
(……ノーニャならこういう問題も無さそうだから、頼んでみようかな)
背中を向けさせたのは見つめ合いながら触れるのは
まずは平級呪具、
猫美の背中の上で糸に吊るして垂らしても、羽は動かなかった。
すぐに傍らのバッグへしまい、続いて金属の薄い板を取り出す。
損級呪具、
瘴気が目立って見つからないので心配は少ないながら、緊張しつつピタピタと猫美に背中に触れさせる。何も起こらない代わりに猫美が「ワヒャヒャ」と笑い出した。
「なんかくすぐったい! 冷たいし」
「いやあの、一応マジメにやってんだけど」
具体的には何をしているという説明はしていない。と、言うよりもできない。にも拘らず言われるまま従っている猫美はやはり正常な判断力からかけ離れた心境に陥っているらしかった。
一方で框も平常心を手放している。すぐ横で光らせる監視の目が刺さっているかのように痛い。
「あたしの親友に変なことしたら、いくら塀二でもタダじゃおかないかんね」
「いやお前は何をしてるか理解しといてくれよ。俺マジメにやってるって」
「ねえねえ室倉くん、おっぱい大きくするおまじないやってくれない? なんだったら揉ん――」
「それはやらなくていい」
どうにも集中する空気になれず、塀二は天井を見上げてゆっくり鼻から息を抜いた。
(何も見つからないし……予防だけしとくか)
猫美を起きさせて、バッグから取り出した数珠型のブレスレットを手渡す。
「これをずっと身に付けといてくれ。お守りだ」
室倉家が管理する呪具の中に
「プレゼント? 大切にするね!」
アクセサリーのセンスとしてはどうか、という不安があった塀二は猫美が喜ぶのを見てほっとした。力みが抜けた肩を隣の框がつつく。
「ねえ、それ大事な物なんじゃなかったの? バラしちゃったみたいだだけど」
「あん? これはお前に貸したやつとは別物だよ。よく見ろ、玉の大きさが違うだろ? これは俺の手作りだ」
「室倉くんの手作り!?」
説明を聞いて猫美は華やいだ声を上げ天井に透かして青い玉の連なりを眺めた。框が面白くなさそうに舌を打つ。
「それ、塀二が口の中でコロコロしたんだよ」
すかさず余計なことを言った。
確かに賢舌大数珠はそうした
「えっ! じゃあこれ口の中で結んで輪っかにしたの? すごーい! さすが室倉くん、器用!」
まさかの感動で輪をかけて喜ぶ猫美に見つめられ、塀二は表情を崩してニヤけた。術士にとって「器用」は言われて嬉しい褒め言葉のひとつだ。
「いやそんなことやってないけど……。まあでも? 器用さでは俺はちょっとしたもんだからな」
まんまと舞い上がる塀二。その肩を框が掴んだ。
「あたしあんたから手作りのプレゼントとか貰ったことないんだけど?」
地の底から響くような低音と共にガックンガックン揺さぶられ、塀二は困惑した。
框はずっと室倉家を公私共に支えてきながらも無私無欲な態度を崩さず、これまで一切見返りを求めなかった。だというのに一転して金品を要求してきたように聞こえたので驚きは強い。
しかしそれは塀二が待ち望んだ変化でもあった。やっと恩返しができる。
「よっしゃわかった。なんでも言え。何でも買ってやるし作ってやるぞ」
「あたしにもあんたの口から出した物をよこしなさいよ!」
「お前何言ってんの?」
誰よりも一番わかっていていい相手のはずなのに、本当に本当にわけがわからない。
それからしばらくの間瘴気を撒き散らしながら喚き散らす框を宥めていると、猫美から「痴話げんかなら余所でやってくれる?」と刺々しい声で叱られた。
「ハァ……ただでさえ振られたばっかりなのに……」
さっきまではしゃいでいたのに一転して落ち込み始める。
塀二にしてみれば「それどころではない」の一言だが、それは術士としての考えであって、だとしても浅慮に過ぎると己を恥じた。〝失恋〟は瘴気を溜める充分な原因になる。刺激しないほうがいいに決まっている。
(このあと俺が框とふたりで帰ったら更に荒れるかもな)
正常なら町の結界に分解されているはずという疑問点はあとで確認するとして、できる用心はしておきたい。
「框、今夜はここに泊まれないか? 今夜と言わずしばらく、軒下の様子を見たほうがいい」
闇渡と影響し合う心配はあるものの、とりあえずは落ち着いた今ならさほど気にはならない。それよりも状態がわからなくなるほうが不安だ。
「親の留守中に男を泊めるっていうのはさすがにどうなの?」
「いや俺じゃねーよ、お前だけ。また何かあったら連絡くれ」
様子見に関しては闇渡に任せたほうが確実なので足元の床を注視しながら言うと、応えるように影が揺らいだ。
框は納得した風に頷き、俯く猫美の頭を撫でた。
「あたしも心配だから猫美がいいならいいけど……でもうちのほうは大丈夫?」
ここで「要らないお世話だ」と突っぱねたいところではあるものの、「お前が居なけば」と弱音をこぼしてしまったことがある手前塀二は顎を引いて沈黙する。
「ごはんをインスタントで済ませるつもりなら春日居さんに頼むからね」
追撃で図星を突かれてはいよいよ言い返せない。
「一緒に住んでるコト、もう隠そうともしないんだね」
横から入った声も助け船にはならず塀二は大いに窮した。
「あのー、軒下さん? そのことなんだけどさ……」
塀二が見つめると、猫美は「いちいち確認してくれるな」と言いたげに手を振った。
「大丈夫、誰にも言わないって。中学生で同棲なんておかしいと思うけど、事情があるんでしょ? それなのに何にもわからない大人にふたりが叱られるところなんて見たくない」
「猫美……。また何かおかしなことが起こっても、あたしと塀二が何回でも助けてあげるからね」
手を取り合って互いを慈しみ合う、美しい女の友情に塀二が心を和ませていられるのは数秒の間のことだった。猫美はすぐに握る手の力と視線の圧を強めた。
「ふたりが引き裂かれるのは私が室倉くんを振り向かせた時だもんね。是非何日でも泊っていって。毎晩じっくり話し合おうね?」
不敵な笑みを浮かべる猫美に、框も握力で応じる。
「ああそう。それじゃあ泊まる準備してくるから、一旦帰るね。……塀二の家に」
塀二の眼に火花が写るのは、室倉の知覚を通したものではないような気がした。
「それじゃあ、おじゃましました!」
逃げるように言い残し外へ出たあと、塀二は一度振り返って軒下家を見た。
(原因、結局わからなかったなあ……。理由もなしにあんな不自然なこと起きるはずがないんだが)
このまま落ち着くことが猫美にとっての最良だとしても、そもそもの原因がわからなければ術士としては消化不良だ。
だが今の塀二には気にならない。なにしろ他に執着したいことがある。
「さあ、框。ええ? とうとう欲を出したな。プレゼントが欲しいと」
猫美の家を出たので堂々と塀二が蒸し返すとと、気まずげにしていた框はサッと顔を逸らし耳を押さえた。本心は隠しておきたかったのだろうが、見たものをなかったことにはできない。
「何も要らないとか言っておいて、他の奴が何か貰ってるのを見たらさすがに我慢できなくなったか? わかってる。自分の思い通りの、オーダーメイドの呪具が欲しいんだろう? 言っとくけど宝くじが百枚連番で全部当選するようなヤバい奴はダメだぞ。そういうのは扱いを間違えると効果が反転してえらい目に遭う。いつでも思い通りとはいかないけど安定する術にしときなさい」
「……あたしのお願いはあんた絶対叶えてくれないことだからサ」
「そんなことはないぞ。何でもやってやるし何度でも言うこときくぞ」
「じゃあ地球守りのこととか詳しく教えて」
「いやそれはできないだろ。常識でそのくらいわかれよ」
框を包む瘴気が増し、渋い顔で「アンタって奴はホントに」と呟いて歯ぎしりをする様子を見て塀二は怯える。
「だってそんなの無理に決まってるだろ? お前どこまで関わるつもりだよ?」
「あっそ! もっと普通の、彼女が彼氏にするようなお願いならいいわけね?」
「彼女彼氏ってところには問題があるけど、まあ、そう。普通のプレゼントだよ」
「なら……ん」
瘴気を落ち着かせ、框は手を差し出した。その手に何を渡すかを尋ねている段階で気の早い行動だが、そもそも掌が受け取るべく上を向いていない。
塀二が怪訝な顔で見返すと、框は手を揺すって早口に答えた。
「手が寒い」
塀二は怪訝に細めた目で框の顔と手を何度も見て、それから思い付いた顔で自分の手袋を外して框の手に被せた。
なんとなく、殴られる気がしていた。
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