闇の設定と光の八百長

 室倉家は思念を読み解く能力を持つ。危険な呪具を管理し、或いはそれを用いて瘴気を払うことを使命とした一族である。その特性故に標的にされることもあり、つい一昨日の夜も悲劇が起きた。

 その悲しみを癒す間も、不備を反省する間もなく、室倉家は新たな危機に直面していた。それがどういった類の危機であるかというと、貞操の危機である。

「で、どういうことなの?」

 炬燵を挟んだ向かいの半眼に向かって、現室倉家当主――室倉塀二は言い訳を探す。

「どういうことと聞かれても……なあ」

 年が明ければ塀二は13歳になる。そんなまだまだ子供の所へ女が〝子作り〟にやって来た。塀二にとってそれがまるっきり「寝耳に水」というわけでもないので弁解は難しい。

「せやから、そういう習わして言うてるやないの」

 困窮する塀二に代わって、横の一辺に座る着物の女が答えた。

 質の良い訪問着に薄化粧の中で目立つ赤い口紅。塀二からすればいくつも年上に見える大人の女だ。そんな相手が自分と子供を作りに来たというのだから、塀二は顔を合わせることさえできずに口出しを止められなかった。

「うちら春日居の者は室倉はんみたいな特殊な家系――妖部あやしべの血を絶やさんように次の世代を産むのがお勤めどす」

 特殊な血統を確実に後世へ残すための措置。自分の出生にも関わることなので塀二も父から聞かされていた。その時は「お嫁さんが来てくれる」くらいにしか受け止めなかったが、この期に及んでは同じ感想で安穏としていられない。

「産むって、それってつまり……」

「子作り、ですわなあ」

 着物の女――春日居はのんびりした調子で笑顔を絶やさない。目の端でそれを見るとどこか怪しかった。思念を見通す室倉の前で警戒しているのかもしれないが、複数種の笑顔で様々な感情を表す女だ。

「子作りって――こいつはまだ中学生なのに! あんたみたいな大人がそんなことしたら、犯罪でしょうが!」

 春日居を相手に怒鳴っているのは鴨居框かもいかまち。6年前の事故で妖魔〝闇渡〟に取り憑かれ、以来行き過ぎなくらい塀二の世話を焼くようになり気が付けば同居までしている。

「中学生ならもう充分。むしろ中学生やて聞いたからこそウチは慌てて――おっと。……まあホラ、別に『結婚してくれ』えて言うてるわけやないんえ? 『一発どや』って言うだけの話で、」

 思春期としては、そうした話題とどう対面していいかわからない。居心地の悪いを紛らわせようと塀二は目の前の湯飲みを手に取った。

「中学生でもいいならあたしが産む!」

 框がとんでもないことを言い出したので、塀二はぎょっとして湯呑みを元に戻した。

(こいつ、また余計に罪悪感をこじらせやがる……!)

 框が妖魔に憑かれた事故の際、塀二の父が死んだことで框は責任を感じている。「お前のせいじゃない」と塀二は何度も説明していた。にも関わらずこれだ。いくらなんでもここまでのことは今までなかったが。

「あんなあ、産むんは春日居の者やないと、子に妖部の力が宿るかわからしまへん」

「なら何人でも産めばいいでしょ」

 呆れてたしなめる春日居に対し、框はどんどんヒートアップしていった。塀二が以前に見た、例のピンク色の思念も湧き出している。

「何人でもて……」

 とうとう、春日居のほうが絶句した。

 妖部は強力であるからこそ人間社会に重大な害をもたらしかねない。そこで上部組織である地球守りから出産を管理されている関係上「増え過ぎると困る」と反論の余地があるはずだが、春日居は弱り顔を塀二へ向けた。

 産ませる気か、と尋ねられているようで塀二は恥ずかしくなって顔を伏せた。

「鴨居、そういうこと堂々と言うなよ。……お前のお父さんに殺される」

 言うと、興奮して立ち上がっていた框はハッとした顔を赤くして炬燵に戻った。「順序があるもんね」と言う呟きは独り言として聞き流される。

 春日居が呆れた風にため息をついた。

「……なん? その反応。女の子ぎょうさん連れ込んで、あんじょう楽しうやってはったんと違うん? 枕元にドリンク剤山積みとか、あんなんあったらそら誤解するわ。……あとで地球守りに教えたろて思うてたわ」

 確かに現在の室倉家は框に加え更にひとり異性の居候がいる。それにも理由はあるのだが、春日居がそんな答えを求めてはいないとわかっている塀二は軽く流して話を進めることにした。

「あのな、密告なんてしたって今の地球守りに俺たちを監督する力なんて残ってないんだ。ましてや室倉は純粋な戦闘要員とは違って特殊。処分なんかできないね」

「……地球守りに、依霊に逆らうつもりなん? 元気があってよろしおすなあ」

 ケラケラと笑われるくらい、無謀なことを言っているとはわかっている。

 依霊とは意思エネルギーが堆積した思念体のことだ。超常の力を振るい強度も腕力も人間とは比較にならない。地球守りとはそんな彼らからなる組織。内部崩壊で弱体化しているとはいえ、依霊派たった一体でも充分な脅威に他ならない。

 しかし依霊にも弱点はある。現在室倉家の蔵に保管されている災級呪具〝|光烏ひかりがらす《ひかりがらす》光烏ひかりがらす〟がそれで、あらゆるエネルギーを種類に問わず消滅させることができる。とはいえ、光烏ひかりがらすは本来の主である滝箕祢にしか従わない。そして滝箕祢は地球守りの兵。どちらかでも敵に回せば勝ち目は無い。

「室倉はんのおっしゃる通り、今の地球守りは弱っとる。でもだからこそ滝箕祢が健在なこの国に総本部を移してあるんよ。……てんご言わはったらあきまへんえ」

 やや低めに張った声で、春日居が脅しをかける。

「国内有力妖部――四妖よんよう、〝赤月八あかがつはち滝箕祢たきみね日陰菱木田ひかげひしきだ室倉むろくら〟の血筋のうち残っとるのはもうふたつっきり。だからこそ春日居はお役目に必死どす。室倉はんにはマジメに跡継ぎを考えてもらわんと」

「てめえこの野郎。序列順に名前出しやがって」

 しばらく春日居と睨み合っていると、不意に框が席を立って台所から盆を運んで来た。すぐさま料理を並べ始める。

「作っといたの忘れてた。なんか半端な時間になっちゃったけど、話は食べながらでもできるでしょ?」

 一般には明かされない社会の裏側について話していても、框は日常を手放さない。そんなところに塀二はほっとしたが、春日居は戸惑っているようだった。自分の前にも皿が並べられるのを見て切れ長の目を丸くしている。

「えぇ……? ああ、そんな、お構いなく。食事やったら外で済ませて来ますえ」

「いいから、もう用意しちゃったんだから食べて行ってよ。一応お客さんなんだし」

「お客さんて……」

 動揺する春日居が面白くて、塀二は構わずに「いただきます」と言うと春日居も遅れてそれに習った。なおも戸惑いながら汁物に口を付け、一気に顔を綻ばせる。

「わぁ! ひょっとしてウチの為に別個に薄味のんを作ってくれたん? なんや嬉しいわあ」

 言われて見れば、春日居の分は皿が小分けにされていた。汁物も色味からして違う。框は「お客さんだからね」と短く応え澄まし顔で漬物を口へ運んだ。


 それから春日居はすっかり毒気を抜かれたように食事を楽しみ、「行き届いてるわあ」「手が込んでるわあ」と框を褒めちぎった。

「ご飯どうも、おいしゅおした。手土産も持たずに押し掛けてほんにすんまへんなあ。また今度改めて寄さしてもらいます。おやかまっさん」

 とうとう、本題に戻らないまま上機嫌で帰ってしまった。門から離れて行きながらも「良い嫁やわあ」としきりに呟くのが聞こえてくる。

「変な人。跡継ぎの話とか、なんかお姑さんみたいだったね」

 一連の出来事を経てそんな感想が出て来る框がなにやら大人物であるように思えて、塀二は呆れることもできなかった。


 緊張の糸が切れると、体のあちこちが痛み出した塀二は自室でベッドに寝かせられた。なるべく動かないよう意識していたのに、それでも力んでいたらしい。

 心配そうに寄り添う框に向けて首を倒す。

「寝てれば大丈夫だから、お前も休めよ。あんなことがあってまだ一日しか経ってないんだぞ?」

「あたしはだって、ほとんどケガ無いから。それよりあんたでしょ」

「もう治ってるって」

 西洋童話の魔王――狼と言えば国内では鬼の立ち位置にいる超大物に襲撃されたのが一昨日のこと。丸一日空いただけで血みどろになった傷が癒えるはずはないが、妖部の生命力は常人と比べ極端に高い。加えて呪具の力もあった。

 室倉家管理呪具、〝血漿菌〟。傷口で爆発的に繁殖することで傷を塞ぎ治癒を早める、特殊なカビだ。目立ったケガでなくとも――例えば荒れた鼻や喉の粘膜といった意図しない範囲に対しても無差別に作用するという難点はありつつも、無害な〝平級〟と室倉家に伝わる管理台帳には記録されている使い勝手の良い呪具だ。これまでは今回ほどの大けがもなく〝カビ〟ということで框が嫌うこともあって使う機会がなかった。

 そのおかげで傷に関してはすっかり完治している。ただし骨へのダメージまではどうしようもなく、できるだけ刺激しないように留意するとどうしても普段通りには動けない。一般的な病気の一切を跳ね除ける妖部でもさすがに発熱を起こしていた。

「週末で良かった……危うく学校休むハメになるところだった」

「えぇっ? あんたまさか、明日学校行くつもりなの?」

 塀二の額に濡れた布巾を乗せながら框が視線で抗議する。塀二は平然と答えた。

「当たり前だろ。充実した青春の為には休んでられるか。大体俺が休んだら、お前も付き添って休むつもりだろうが」

 指摘すると、框は「うっ」と呻いて苦い顔をした。

「だって、看病は要るでしょ……?」

「そりゃお前がいてくれたら俺は助かるけどな」

 以前なら断固「要らん。帰れ」と突っぱねるところだが、色々とあって塀二も強く言えなくなっていた。狼を招き入れてしまったことでも責任を感じていることを察して、それを訂正しても聞き入れないこともわかっている塀二は押し黙った。

 そのうちに框のほうが口を開いた。

「丸一日寝てて、二日もお風呂入ってないから気持ち悪くない? お湯沸かしてくるから、ここで体を拭くだけでもしなさいよ」

「いや、あの、うーん……。しなさいよって言うけど、お前がやるつもりなんだろ?」

「すぐ用意するからね」

 塀二がモゴモゴしている間に框は行ってしまった。

 このままではどんどん逆らえないようになっていく予感がする。しかしそれがそれほど居心地の悪いものではないように思えて、塀二は顔を覆った。



 框が湯を沸かしている間に、塀二はそっと部屋を抜け出した。そのままじっと待っていて同級生に裸を拭かれるというイベントを回避したかったのと、眠っている間放置してしまった蔵の様子が気にしてのことだ。

 封印妖魔に対し監視の目を光らせていることを報せる日課。代を継いでから欠かさなかったことを一日空けただけで落ち着かない。

 塀二が蔵に足を踏み入れると、封印妖魔たちは皆大人しくしていた。瘴気を呼ぶ波動も凪いで静かだ。これは実力を認められたというよりも、狼との戦いを通じて「こいつは命懸けで仕掛けて来る」と見込まれたというところが大きい。

 塀二はホッとした胸の内を顔に出さないよう努めた。

 重傷で苦しんでいた間に譫言うわごとで頼んでいたらしい光烏ひかりがらすもきちんと安置されていた。なんだったら棚も少し整理されている。框がやったのだろうと見当を付けて、そして無意識の頼みごとを後悔した。

(とうとうこんな所にまで踏み込んできたか……)

 室倉家に短命を宿命づけていた呪いの煙はもう無いとはいえ、失敗だった。框に憑いている妖魔、闇渡と妙な影響を起こす危険がある。

 それはそれとして、室倉の務めを果たさなくてはならない。

「さてと、ひさしぶりなわけだが……何か話はあるか?」

 床の中央に腰を下ろし、全体を見回す。

 塀二が室倉当主としての力と覚悟を見せた以上、封印妖魔たちに与えられた選択肢はふたつ。塀二に従い許可を得て封印を緩めてもらうことで自由を得る。或いは次代の室倉が不出来であることを祈る。気位が高い妖魔たちが前者を選ぶことは難しい。たまに助言を聞かされるのも自分たちのほうが格上であることを誇示したいからこそだと塀二は理解していた。

『闇によって磨かれし、黒玉の姫に気を付けよ、蔵守り』

 早速意味ありげな言葉が頭に響いた。

 一瞬「何のことだ?」と思いはしても動揺は表に出さない。彼らが優位に立ちたいなら丁寧に説明して情報を明らかにはしないであろうことは想像がつく。

「わかった」

 なので短く答えて、塀二は腰を上げた。「わからない」とはおくびにも出さない。

 蔵を出て扉を入口に錠を架けたところで、瞼をぐっと閉じて唸った。

(あんまり考えたくないけど……それって鴨居のことだよな)

 闇に磨かれた姫。闇と言えば、框には妖魔闇渡が取り憑いている。長くその状態が続いたことで何か悪いことが起こっているのかもしれないと考えると、塀二は気が気ではなかった。

(『姫』って言うのもピッタリだもんな。あいつ美人だし。ちょっと荒っぽいけど……)

 ニヤつく塀二が玄関に向かって歩き出すと、丁度外の門が開いた。もうひとりの居候が帰って来た。

「……ハァ……オウ、お勤めでしたか! ご苦労さんデス」

 框に借りた運動着の余らせた袖を振る。深いため息を隠しても薄い虚勢がヒラヒラと揺れて見えた。

 ノーニャ・ツィーグラフダフ。元々はヨーロッパを担当していた地球守りの一員で、所属していたチームが壊滅したことで逃れてきた。塀二と同じ常人を超えた力を持つ妖部で、他者の精気を吸う特性から〝吸血鬼〟と呼ばれる。

 彼女が何を目的に出かけていて、そして落ち込んで戻って来たのかはわかっている。

「探しに行ってたのか」

「ンー……イエス」

 短く答えて寂しげに笑う。

 一昨日の襲撃で最も遺恨を残したのは彼女だ。可愛がっていた――いや、可愛がろうとしていた妹分を失った。

 ノーニャが貯め込んでいた瘴気を用いて町に施した結界から生まれ、室倉家に残された思念を多く吸収した室倉謹製思念体、マーガレット。彼女を失ったことは個人的な感情を抜きにしても痛切を極める。集まった浄気がまた同じように思念体をかたどってても、それはマーガレットとはまったくの別人となる。自分の命について悩み、そして命懸けで戦った彼女を永遠に失ってしまった。

 それをノーニャは今も捜している。見つけたところで、とは塀二も思っても口には出さない。彼女はただ諦める切欠きっかけを探しているのだろう。

(それにしても妙だな……。マーガレットの時には結界を張った当日にはもう現れたのに、今度は二日経っても音沙汰なし、なんて)

 マーガレットの後釜は既にどこかで実体化していることは間違いない。構造上結界の中でしか活動できないので町内にいるはずだ。どういう思念を集めてどこでどうしているのか。意思エネルギーの中でも好感情である浄気を基にするとはいえ、人々の生活の中ではやはり異質となる。トラブルを起こさないとは言えない。

 その辺りを考えているうちに、もうひとつ気になることが思い浮かんだ。

 さっき塀二が聞いた妖魔のアドバイスが、ノーニャも当て嵌まる。

(こいつは長年圧縮した瘴気を抱えてて、攻撃力に換わるくらい飛び済まされてた。〝姫〟って言う部分も、まあ、いいんじゃないかな。でも、だとしたら『気を付けろ』ってのは、どういうことだ?)

 闇渡という別人格を抱えている框と違い、もしノーニャに何かあるとすればそれは当人が企んでいるということになる。戦場から逃げ出した奴に今更野望があるだろうか、と塀二は疑いを決め付け切れずに訝しんだ。

 わずか数日の付き合いとはいえ苦難を共にした間柄に不審を抱きたくはない。

(いやでも用心してナンボの室倉としては……うう~ん)

 悩んで唸る塀二の眉間を、不意にノーニャが人差し指で突つく。

「そうやって考え込むほんのちょっぴり、身近な人に気を配るべきと思うデス」

 自分こそマーガレットのことで精一杯のくせに、そんなことを言ってほほ笑む。

 何について言っているのかはわかったので、こんな善良な彼女を疑った己を塀二は恥じた。もしかすると疑念を与えて仲違いされることが妖魔たちの目的だったのかもしれない。



 翌朝、運んでもらった朝食を胃に収めたあとで当然のように登校の支度をしていた塀二を框が叱り飛ばした。靴下を履こうする姿勢で痛くて固まっていた塀二を発見するなり、布団の間へ押し戻しキツイ視線で威圧する。

「あんたいい加減にしなさいよ! 気絶しないと休まないって言うなら、いっそのこと……」

 涙目で振り上げられた握り拳を見て、塀二は冷徹な裁きが下る前に降参する。

「オーケイ、わかった。落ち着いて話し合おう。俺は話せばわかる男だ」

「もう充分話したつもりなんだけどサ」

「だから昨日も言ったけど、俺が学校行かねえとお前まで休むだろ?」

 反論に框は拳を下ろして渋い顔をする。不満が聞こえるより先に言葉を続けた。

「看病が要らないわけじゃないけど、別に病気ってわけじゃないんだ。だからお前は学校に行って、授業のノートとか取って来てくれ。頼むよ」

 単に突き放すのではなく、頼みごとをされたことでやっと框は納得して渋々ながら頷いた。

「……わかった。じゃあお昼ご飯だけ用意して、飲み物とこっちに置いとくから」

「ああ、ありがとう。もしそれ以上世話を焼かれてフルーツ盛りでも出してくるならありがた過ぎて寝床から飛び出して登校するからな」

 思念を呼んだわけではなく、経験から先回りして注意しておくと、框はギクリと身を震わせてつまらなそうな顔をした。

「電話するから、スマホ枕元に置いときなさいよね?」

 しばらくして制服に着替えた框がやはり大皿に果物を乗せて持ってきたので、塀二は寝床から飛び出す決心をした。


 体の軋みをこらえどうにか着替えを済ませたあと、框の影に宿る闇渡が遠ざかっていることを確認し遅れて登校しようという段になって、ノーニャのことが気になった。

(ひと声かけておくか。出かけるようなら鍵を預けておいたほうがいいかもな)

 朝食は自室だったので今朝はまだ顔を合わせていない。室倉の知覚で気配を辿たどるとノーニャは縁側で呆けていた。季節が季節なら鳥が巣作りを始めそうなくらいあんぐり口を開けどこを見るともなく庭へ視線を投げ出している。

 薄着で寒風に身を晒す点は丈夫な妖部だからいいとして、その精神状態については不安が残る。明らかにマーガレットを失った喪失感が尾を引いている。

 このまま放っておいてもいいものだろうか。気が向けばまたマーガレットの後釜を探しに出かけるだろうが、室倉家の結界内に彼女を歓迎する意思が無ければ締め出されて戻れなくなる。ノーニャはまだ自由に出入りできるほど空間に馴染んではいない。

(悲しいのわかるけど、でも俺は学校に行きたいぞ。まいったな……)

 辛くても前向きに自分の人生と向き合わなければならないという体験は、塀二は既に乗り越えて来ている。框に教えられた。

 充実した青春の為には学校を休むわけにはいかない。万が一病弱認定されたら今後クラスメイトに構ってもらえなくなるかもしれないという恐怖心すら塀二にはあった。

 ノーニャを眺めて葛藤していると、来客を告げるブザーが聞こえた。一瞬走った警戒心がすぐに緩む。表にいるのは春日居だと、室倉の知覚が塀二に教える。

「昨日お世話になった分のお返しにまいりました」

 手土産の大きな紙袋を抱えた春日居を出迎え、塀二は「丁度良かった」と呟いた。

 裏の事情に通じている春日居なら留守番に打ってつけだ。余計な客を招き入れたり蔵に手を出すようなこともあり得ない。

 塀二が学校に行っている間ノーニャの様子を見るよう頼むと、春日居は「ガッコ、行ってはるんですか」と大層驚いた。「普通の人生も味わいたい」と説明を聞いても「青いわあ」とコロコロ笑う。

「まあ、春日居はいっときの女房みたいなもんやから、亭主の留守くらい任されてもええよ」

「あっそ。じゃあ頼むな!」

 了承の言葉は「その代わり――」と続くような気がして、塀二は素早く感謝の一礼を残して通学路へと踏み出した。

 春日居が代わりに何を要求するかはわかり切っている。今日の時間割に無い保健体育の授業を受けるつもりは塀二にはなかった。


 一歩進むほどにじんじんとした痛みは体のあちこちで増した。普段の倍以上の時間をかけて通学路を踏破した先で、二時間目の授業を受けているはずの框に校門で取っ捕まった。告げ口したらしい足元で踊る影を睨む間もなく、塀二は保健室へと担ぎ込まれる。

 怒るようなら「フルーツ盛りのせいだ」と主張するつもりでいたが、その意を削ぐほど框は激昂していた。そして、泣いている。

「あんたが自分を大切にしなきゃ、いくらあたしが『体に良いものを』って考えてご飯作っても全部ムダじゃん! あたし……馬鹿みたい」

 言葉も顔つきも怒りで染めながら、その思念には悲しみが漂う。それが塀二にはわかる。ベッドに押し付けられる肩が痛んだ。

「お前、そんなこと考えてたのか……」

 室倉家は呪具を管理するうえで強い呪いに触れる都合上短命が宿命づけられている。それは食習慣でどうにかできるほどぬるい由来のものとは違う。しかしそんな冷徹な話をする心づもりも、その必要もなかった。

「そういや言ってなかったな。俺、もう早死にじゃないんだよ」

 落ち込んでいるノーニャがいる家では明るいニュースが後回しになって、まだそのことを伝えていなかった。

 框はすぐには理解できないようで、虚を突かれた顔で眼を瞬かせるのを見ながら続ける。

「問題は蔵だったんだ。あの中には鎮めの香――ええと、『体に良くない煙』が充満してる。でもこの間使った光烏ひかりがらす――ああ、『黒い刀』を使っただろ? あれがその煙を全部消したから、俺が中に入っても寿命が縮まったりはもうしないんだ」

 蔵についてはもう何度も説明してあったが、框がどの程度理解しているかは非常に怪しいのでわかりやすいよう易しく話して聞かせた。

 それでも涙目はそのままで思念も悲哀から移らない。なので伝わらなかったのだと思ったら、そうではなかった。

「じゃあ……マーガレットのおかげ?」

 思いのほか理解が深かったことに驚きつつ、塀二は頷く。

「そういうことだ。あいつがいたから光烏ひかりがらすを使えた。あいつは命懸けで、俺を救ってくれたんだ」

 塀二をベッドに押し付けていた手を離し、框は全身から力を抜いて隣へ倒れ込んだ。近いところで向かい合う目にはまだ涙が滲んでいる。

「あんた、長生きできるの?」

「少なくとも二十歳やそこらで死ぬことはなくなった。室倉が長生きした記録は無いから、元々の寿命がどのくらいかはわからねえけど、妖部はどこも本来長寿だからな」

 封印妖魔を管理できていたのは鎮めの香あってのことなので次の代替わりは難易度が上がることになる。それを考えると今から頭が痛い。

「それじゃあんた、あたしと一緒におじいちゃんおばあちゃんになってくれる?」

 まだ何か気に入らないのか、口を尖らせての框の発現。これには塀二が顔を歪めた。

「ああ? フザけんな。お前なんかサッサと室倉の巻き添えから解放してやるからな。盛大に送別会を開いてお別れの手紙で号泣してやるからな」

 言ったあとで塀二が「あっ、これは殴られる流れだ」と察したものの、そうはならなかった。

「今は、まあいいや」

 框が安らいだ顔でほほ笑んで、塀二は悶々とする気持ちを抑え込むはめになった。これなら殴ってくれたほうが良かった。


 時間が休み時間に移ると留守にしていた養護教員が戻り、ベッドにふたりでいるところを目撃されて叱られた。框は塀二を寝かせておくよう主張しはしたがそんなところを見られたあとでは受け入れてもらえるはずがない。塀二と框は保健室を出ることになった。

「あのわからず屋! パパに苦情入れてもらおうかな」

「やめろ。事情を聞いてモンスターと化したお前のお父さんに襲われるのは俺だぞ」

「はぁ? なんでよ」

 一気に機嫌が悪くなった框に肩を借りて教室に着くと、早速框の友人である軒下猫美が近付いてきた。心配と好奇心の思念が混ざっている。

「室倉くん、どうしたの? 夫婦喧嘩にしてはやり過ぎじゃない?」

 塀二に外傷は見当たらないものの、介助されぐったりしているからには健康な状態には見えない。

 気遣われることを望まない塀二が「全然平気」と答えようとしたところ、框がぐっと腰を引き寄せたのでうめき声しか出なかった。その隙に框が返事をする。

「かなりケガもしてるし、すごく具合も悪いんだ。――というわけだから、体使う遊びにはしばらく誘わないように!」

 勝手にクラス全体の、特に男子に向かって宣言されてしまった。

 塀二が小さく首を振って訴えかけるも、他の女子一同に睨み渡された途端男子たちは「わかりました」と声を揃えた。この教室内における男女のパワーバランスを考えるとこうなるのは仕方がなかった。

 諦めきれない塀二は框に抗議する。

「お前なんでそんなこと勝手に決めるんだ? これじゃ何の為に学校来てるのかわからないじゃねえか」

「あんた何の為に学校来てんのよ? ううん、何の為だってあんた今ロクに動けないじゃないのサ。そんな体で一緒に遊んだって、かえって気を遣わせるだけだっての」

「そんな病弱っぽいこと、あんまり大きな声で言わないでくれ……」

 充実した学校生活を標榜している塀二にとってそうした配慮は痛い。しかし指摘は事実で、このクラスで女子の決定を覆すことは世界平和よりも難しい。

「……わかった。今日はテーブルゲームとか、オタク話をできる相手に遊んでもらう」

「そうしなね」

 観念して運ばれた先で机に突っ伏していると、あとをついて来た猫美が顔を覗き込んで来た。

「……顔色は前より良いね。良妻の献身のおかげかな? ――ひゃっ!」

 框が無言で猫美の尻を叩いた。非難の視線を返し、猫美は気を取り直して塀二に話しかける。

「あのさー、疲れてないなら室倉くんに相談に乗ってもらいたいことがあるんだけど」

「そりゃ元気いっぱいだからなんでも話聞くけど、女子の相談……? なんで俺?」

「それがね、学校の怪談についてなんだ」

 思わず、「はぁ?」と声が出た。

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