闇の設定と光の八百長2

 病魔ペストと戦った大吹雪の日、学校の生徒に憑いた瘴気を払ったことで塀二は猫美から「おまじないに詳しいオカルト担当」と見なされてしまったらしい。

 頼られて無下にするのも何なので話を聞くと「夜の学校をうろつく怪人」の噂話があるそうだ。校庭にいると校舎からじっと見下ろす人影があって、無く移動するだの、それを見た者は魂を奪われる、だの。部活動の生徒を中心に何人もが遭遇して怖がっているらしい。

 それだけならありがちな噂話の範囲を出ないが、昨夜急に目撃証言が増えた、という点が塀二には気にかかった。


 給食後の昼休みになって屋上口の踊り場で塀二が横になっていると、膝を枕に貸している框が「怖いねえ」と言うのを聞いて大笑いした。

「何言ってんだ? オバケなんているわけないだろ?」

「え、だってあんたがいつも相手にしてるじゃん。こないだ学校に出た奴とか、ノーニャがペットにしてる奴とか」

 框の理解がちぐはぐで、塀二は頭を抱えたくなった。体が痛むのでできない。

害思徒ガイストも病魔ペストもノーニャの使い魔も、オバケじゃなくて瘴気だよ。室倉の知覚でも〝魂〟なんてものは見つからない。あるのは〝意思エネルギー〟、それがすべてだ。オバケなんていない」

 人間でなくとも思考すること、〝想う〟ことがエネルギーを生み出し、様々な現象を発生させる。強いて言うなら「オバケは怖い」という想いが集まれば、それっぽいものが生まれる可能性はある。

「ああ、そうなんだ。よかった」

 框はホッとした風に息を吐く。妖魔に取り憑かれているくせに怪談が怖いらしい。

「じゃあ昔苦しんで死んだ生徒とか、地縛霊なんていないんだ」

「何言ってんだ? 地縛霊はいるぞ」

 框が怒り顔で拳を振り上げるサマを見て、塀二が慌てる。

「あーっ、そうか。オバケはいないのに地縛霊はいるって、矛盾したことになるのか」

 框が何を理解していないか以上に、自分が「当たり前」と思い過ぎていることに塀二は思い当たった。

「順を追って説明しろっての! ちゃんとわからないと怖いじゃん!」

「いや、つってもお前にあんまりアレコレ教えるのはなあ……」

 下りない拳に怯えつつ、部外者である框にできるだけ新しいことを知らせない範囲で伝え方を探す。

「あー……地縛〝霊〟とは呼んだけど、やっぱりそれも意思エネルギーの仕業なんだよ。人間の想いが一定の場所で募ったら妙なことが起こるなんてよくある話だ。例えば『疑心暗鬼を生む』って言うだろ? それは本当に、生むんだよ。中身は疑いの気持ちだけじゃなくてな」

「じゃあ……やっぱりこの学校、なんかいるの?」

 恐がっている框を見て、狼の一件も『大きな動物が襲ってきた』としか理解していなさそうで不安になった。

「いいや、いないよ。……今はな」

 学校をうろつく夜の怪人。この時点で、塀二には大まかな察しがついていた。



 昼休みの終わりが近付いたことで塀二たちは踊り場から階段を降りた。

 教室へと戻るその途中、珍しい顔を見かけた塀二は声をかける。

「あれ、大引先輩。どうしたんです1年校舎に用なんて」

 挙動不審に揺れていた小柄な後ろ姿がビクッと怯える。いかにも悪事を見つかったような反応だが、彼女が常にこうであることを塀二は知っている。

「ふわっ、室倉クン? ……あのえっと、ちょっと用が……ごめんなさい!」

 卑屈な前屈みで、今にもどこかへ逃げ出しそうな引け腰。

「ちょっとあんた、この人に何やったのよ。まさかあんた……!」

 肩を借りていて近い位置にある框から睨まれ、よろめきながら弁解する。

「違う違う! こういう人なの! 普段から誰に対しても分け隔てなく、こういう人なの! 落ち着けよ、話してれば少し慣れるから」

 大引おおびき夢玖ピュア。塀二や框からすれば上級生に当たる。友人関係に乏しい彼女は休み時間もトイレ以外は自分の席から動かないが、充実した学校生活を目指す塀二はむしろそうした生徒にこそ積極的に話しかけていた。むしろそういう人のほうが自分が死んだあとも憶えていてくれるかもしれない、と期待して他学年だろうと相手が内気だろうと構わず関わっていく。

 当初の夢玖は突然現れた塀二に戸惑ったものの、鞄に付けていたアニメキャラのキーホルダーを話題に取り上げられると急に早口でたくさん喋った。塀二は誰とでも親しくする目的で実に様々な番組をチェックしているおかげで打ち解けることができ、のちに同じ趣味の友人に引き合わせるなどもした。

 しかしなにしろ他学年なのでそう顔を会わせることもなく、その間に元の態度に戻ってしまう為ほとんどの場合は見かけると上級生にあるまじき深さのお辞儀を残して去っていく――という関係に落ち着いていた。

「その節はどうもありがとうございました! お、おかげで私にもとっ友達と呼べるような人が……」

 今回も彼女は膝に顔をぶつけんばかりに頭を下げた。

 夢玖は自分の気持ちを伝えようとする気持ちが前に出過ぎた結果、挙動が大げさになってしまうところがあった。

「相変わらず体柔らかいなあ、大引先輩。その後紹介した人たちとはどう? 最近舞台系が趣味の知り合いできたから、よかったら巻き込まれて見る?」

「いえ、私はナマモノはその、二次元オンリーであるからして……」

 向き合って話しているのに、夢玖の視線が自分に向いていないことに塀二は気が付いた。かと言っていつものように目を逸らしているのとは違う。ほとんど前髪で隠れた眼でじっと、なにやら期待のこもった眼差しで隣の框を見ている。

「……なんですか?」

 低い声で威圧するように言いながら、框が塀二と腕が重なるまで近寄る。

「おい、何だよ。ちょっとやめてください。当たっています」

「ここは当てておいたほうが良いと思って」

 框が夢玖を警戒しているらしいことはわかっても、どうしてかまでが塀二にはわからなかった。この町で唯一瘴気にまみれている框の思念は余程強いものでなければ室倉の知覚でも把握し辛い。

「大引先輩、こいつは幼馴染――ってわけじゃないのかな? 六年前までお互い知らなかったし。ええと……お前、俺のなんなんだ?」

 夢玖が框を凝視する理由も、框が自分に密着する理由も、状況を飲み込めない塀二は思考をまとめられない。

 一方框は迷わず答えた。

「同棲してます」

 塀二は一瞬で我に返る。

「お前馬鹿だろう」

 中学生が一緒に住んでいるなどと聞かれていいはずがない。事実、通りすがる生徒たちはギョッとしていた。教師たちの耳に入らないことを心から願う。

 夢玖も仰天していたが、それは好意的な驚きだった。

「ほほう同居ものですな! 落ちてきた・拾ってきた、どちらですかな?」

 いきなりスイッチが入った夢玖にたじろぎつつも、これ以上余計なことを言わせまいと框の口を手で押さえ塀二が代わりに答える。平常心はまだ戻ってこない。

「ええっと、どっちかというと、憑いてるというか」

「ああ、くっ付いて離れないと! それは結構なことで! グフフ」

 どうやら漫画やアニメにあるようなやり取りのつもりで聞いているらしいとわかって反応に困っていると、都合よく昼休み終了のチャイムが鳴った。

「おっと、ではまた! 今度その辺の設定詰めさせていただきたく!」

 夢玖は慌てて一礼を残し、下駄箱の間を抜け別の校舎へと駆けて行った。誤解を解けないまま見送り、塀二は深い息を吐いてその場に崩れ落ちる。

 そこへ、框の足元から声が聞こえた。

『……妙な娘だ』

 塀二は黙って頷き、その言葉を肯定する。

 最後まで框へ視線を残していたことと、妙に強い浄気を発していたことが気になった。風貌が地味で陰気な割に実際には明るく直情型ではあったものの、あそこまで強い傾向を持つほどではなかった。町の結界のおかげで浄気が溜まりやすくなっているとはいえ、それでも他の生徒に比べて妙に濃い。加えて、彼女の名前だ。

(闇に磨かれた姫、かあ……。またわからなくなってきた)

 大引夢玖。〝玖〟という字には「黒く美しい玉」という意味がある。


 何事も無く午後の授業を終えた放課後。塀二は怪談の真相について確かめるつもりでいた。それをどう框に打ち明けたなら別行動できるかで悩む。普通に話せば絶対について来ようとするに違いなかった。

(そうなりゃまた巻き込んじまうからな……。どうしよう)

 答えが出ないまま下駄箱へたどり着き、靴を履き替える。外へ出ようとすると框が付いて来なかった。振り返ると下駄箱から離れずに手にした封筒を凝視している。

「これ……中に入ってた」

「えっ、ラブレター? へぇ、ふーん……」

 内心ヤキモキするが、口出しなんてとてもできない。

「そういうんじゃないと思うけど……」

 框の心境は見るからに恋心に触れたトキメキではなく、あからさまに不審がっている。それもそのはず、愛が綴られているにしては奇妙な封筒だった。なにしろ黒い。

「そんなもん、中の手紙を読んでみればわかるだろ。読んでみろよ」

「なに怒ってんのサ」

「怒ってねえよ。いいから、読んでみろよ」

 物に宿った思念を読めばそれがどういう意図のものであるかを知れることも忘れ、塀二は動揺を隠せずに急かす。その反応を框は満足そうに確かめ、余裕を持って封筒を開いた。中に収められた便箋もやはり黒い紙だった。

 折り畳まれていた便箋を広げ、白いインクの文面を眺めて、眉を顰める。

「……うわぁ」

「なんだよ、なにが書いてあるんだよ」

 さっと目を通したかと思うと、塀二に表の一枚を渡す。

「ちょっと見てみてよ」

「ええっ? だってそれはお前、よくない……んじゃないか?」

 他人宛てのラブレターを読むのは人の心の内を盗み見るようで、思念を読み取る塀二ですら躊躇することだった。しかし宛先は框だ。本心としては奪い取りたいほど気になって仕方がない。

「……まあ、お前を選んだ奴がどんな奴かは確認しておかないとだからな」

 きちんとした相手でなければ任せられない。そういう建前で、塀二は紙面にかぶり付いた。

『汝と等しく闇に魅入られし者』

 一文を読んで、塀二は天井を見上げ目と目の間をグッと抑えた。

「ね、イタイタしいでしょ」

 框の感想は置いておいて、また便箋に戻る。さっきの文は見間違いではなくやはりそう書いてある。しかもどうやら差出人名らしい。

『我は汝の秘密を知っている。恐れるな。我らは契約によって特殊なチカラを得た盟友である。やがて来る世界の破滅に備え、我らは結集し絆を深めねばならない』

 塀二の感想は「こういうのアニメ見たことある」だった。特殊な能力を持つ主人公に唯一気付いたクラスメイトが秘密の組織に誘う、というやつだ。よくある。

 塀二は何度も首を捻って悩んだあと、最後まで読まずに便箋を框に返した。

「この相手はやめときなさい。悪いことは言わないから。お父さんもきっと反対する」

 框は気分を害したようで口を尖らせた。

「何言ってんのサ。これラブレターじゃないでしょ? ワケわかんないこと書いてあるし。あたし秘密なんてないし」

「同居してることは秘密にしといてほしかったけどな。でもこれ、要は『お友達から始めましょう』ってことだろ? 独特の言語で語ってあるけど嘘じゃないよ。うん」

 便箋を手に取って、書かれた文面を眺め、塀二には筆者の想いがすっかり伝わっている。

「それ、相当強い気持ちで書かれてる。妄想凄いけどお前と仲良くなりたいって気持ちは本物だ。室倉一族の名に誓って間違いない」

 気色が悪いことに内容がいちいち的中している。框は確かに闇に魅入られていて、秘密があり、世界は破滅に近い。

 塀二が堂々としていることで框も気圧されたようだった。真剣な面持ちになって、数枚の便箋をめくる。

「……わかった。ならちゃんと答えなきゃだね」

「えっ」

 自分でそう仕向けておいて、塀二はまさかそうなることを考えてはいなかった。

「いやでもダメだよ? こんな変な奴、お前に相応しくないって! もっとこう、聖人君子の石油王じゃないと」

 塀二が激しく狼狽うろたえる様子を見て框は笑った。

「心配しなくてもちゃんと断るからサ」

「誰が何を心配するってんだよ。そうじゃなくて責任感とか義務感の話だよ」

 慌てて取り繕う塀二の横を、靴を履き替えた框が通り過ぎていく。

「ハイハイ。どうせ今夜も遅くまで戻らないんでしょ? 夕飯取っておくからね」

 何もかも見透かされているような気がして、塀二は赤くした顔を覆って「室倉は見抜くほうなのに」と呻いた。


 校舎から出たばかりの所で座り込み校庭の部活動を眺めながら、塀二はぼんやりと考えた。

(あいつはメチャクチャ良い奴だし、将来絶対良い女になるし、もう既に良い嫁みたいなもんだし……そのうち誰かと結ばれるんだよなあ)

 幸せな誰かを羨み憎んで歯ぎしりする。自分がその位置に当て嵌めて想像するには障害が多過ぎた。呪具も妖魔も依霊も、それこそ地球守り全体が消滅するようなことになっても室倉の役割は終わらない。

(意思エネルギーが無くなるなんてこと、ありえないもんなあ)

 地球上に思考する生命体がいる限り浄気も瘴気も存在する。そこから生まれる敵と戦う道具を保管しておくのが室倉の役割のひとつだ。一般的な人間の幸せなど望めるはずもない。

(好きな相手とくっついて、幸せに年取って、なんて無理なんだよなあ……)

 なにしろ子作りの相手さえ地球守りに決められる。その相手、春日居は今も家にいることだろう。留守を任せた借りもあって框の食事を気に入ったようなので夕飯まで居座りそうだ。

(室倉家は父子だけのはずなのに、賑やかになったもんだ)

 一番問題なのはその状況を心地良く感じていることだと、塀二は自分を戒めた。身近に誰かを関わらせれば、またマーガレットを失ったような悲しみが起こる。

 突き放さなくてはならない。

(やっぱりなあ……でもなあ……)

 塀二が考え込んでいるうちに日は暮れ切り、校庭の部活動も終わって生徒たちは帰宅していった。教師たちも含め何度か座り込んでいる塀二に声をかけたが、曖昧な返事をするばかりなので諦めて立ち去っていく。

 そんな風にじっと動かなかった塀二も、目の前に框が来たとなっては我に返って驚いた。

「お前何しに来たんだよ」

「あんたこそなんでまだここにいんのサ。ちょっと前から離れたとこから見てたけど、変な顔してたり――えっ、泣いてる?」

 指摘され始めて気付いて袖で乱暴に顔を拭う。色々と想像していたらいつの間にか涙が出てしまっていたようだ。

「いいから何しに来たのか答えろよ!」

 ごまかす為には大声を出すしかない。と苦し紛れに考える程度には動揺している。

「あたしはホラ、この手紙に呼び出されたから。『夜になったら学び舎で』って。家はなんか春日居さんがいたから」

 片手に黒い封筒を持っているのを見て、塀二は嘆息した。

 一瞬でも手紙の差出人よりも自分を気にかけてくれたという独りよがりな妄想をしたことを恥じる。

「俺は……怪談の実態調査だよ。目撃証言は夜だからな」

 自己嫌悪に苛まれた塀二が苦い顔をしていると、框はマフラーをくるりと取って塀二の首に巻き付けた。寒風に晒されているというのに頬が赤い。

「別に心配しなくても他の男の所に行ったりしないってば。あたしのこと真剣に考えてくれたんだったら、ちゃんと返事しようと思ってるだけで」

 そう言って黒い封筒をクシャクシャに丸め、塀二は真顔で答えた。

「いや別にその手紙の相手に取られるとかそういうことは全然考えてない。マジに――って痛い! すいません!」

「ちょっとは心配しろ!」

 巻きかけのマフラーで首を絞められながら、塀二は胸の内に言い訳を転がす。

(だってその手紙、多分そういうんじゃないんだよ)

 ボーっと考えている間に推測が立っていた。それについては塀二も安心できる内容なので、悲観していたのはあくまで将来のことだ。

 怒りから覚めた框が「ケガしてるのに、ゴメン」と謝りながら顔を撫でる。

(瘴気まみれなのにこれだ。これで闇渡を払ったら天使になるんじゃないか? いっそ本当に天使とか超常の何かなら、室倉の管轄内に入るんだけどなあ……)

 そうではないので、生涯の伴侶は世間一般の人間の中から見つけてもらわなければならない。

 この先框に「我こそは」という相手が現れたなら、それを祝福する覚悟が塀二にはわずかながら一応あった。もちろん面談したうえで時間をかけて思念を読み取り、地球守りの支援企業に頼んで入念な素行調査を行った結果問題がなければ、の話だ。

 もし黒い封筒の送り主がそんな逸材であったなら、塀二は早急に覚悟を固めなければならない。しかし事態は尋問も調査の手配も必要ないところにあるとわかっている。

 ただしどう伝えればいいかは難しいので框にはまだ黙っておくことにした。すべては推測が事実として目の前に現れてからだ。

「学校で待ち合わせって、どこで待ってたらいいのかな。……やっぱりあんたも一緒にいてくんない? そのほうが断りやすいし」

 なぜ自分がいると断りやすいのかという疑問は一旦放置して、塀二は框の後ろ、遠く校庭に現れた人影を見つめた。

 一度帰宅(室倉家に)した框と違い制服のままの女子生徒。見知った顔である大引夢玖だった。

 塀二がじっと見ていると夢玖は大きなスポーツバッグを抱え校庭の半分を過ぎた辺りでふたりに気が付いて足を止めた。そこに自分がいることに驚いているのだと塀二にはわかっているが、声はかけない。

 そのうちまた歩き出し会釈をして横を通り校舎へ入っていくのを見送る間、框の方も驚いていた。

「あの人……こんな時間に何しに来たんだろうね?」

 校舎は入り口に鍵がかかっていないので夜間でも廊下までは自由に出入りできる。ただし各教室に施錠されているので部屋の中には入れない。

 塀二はまだまだ沈黙を守った。

 やがて、高笑いが聞こえてきた。当然校舎の中からだ。

「ハーハッハ! 闇の同胞よ、求めに応じよくぞ来た!」

 飛び出して来たのは学校指定とは違う真っ黒なセーラー服。ところどころフワフワしたフリルで飾られている。それから手足や首に巻かれた包帯。塀二がまず思ったのは「ノーニャと被っている」だった。

「えっ、たしか……大引先輩――ですよね? 昼休みに会った」

 前髪を上げ目つきも凶悪に険しくしてとがんばって別人になりきっているのに、框は容赦がない。

 しかし当人はへこたれなかった。トイレ辺りで着替えたのだろうスカートの裾を翻し、陶酔の極みにいるようなポーズで背を反らす。

「違うな。我が名はカオス! 俗世のしがらみは捨てよ同胞! さあ、仮初かりそめの外面は捨て、共に世界の破滅の危機に挑もうではないか!」

 差し伸べられた手が自分に向かっていることに気付いているのかいないのか、框は呆気に取られる。

(なんかもう、見てるほうが恥ずかしいよな……)

 塀二は赤面を撫でて誤魔化してから立ち上がると、キャラを守る夢玖を掌で示した。

「鴨居、この人がその手紙の差出人です」

 説明された框は目を白黒させる。事態が呑み込めないらしい。

「手紙に書いてあった通り、共通点を感じたお前と仲良くしたいんだ。共通点って言うのは――」

 話の途中で気配を察知し、さすがに塀二が身構える。框の影の中から闇渡の感心して鼻を鳴らす風な声が聞こえた。

「共通点は……『取り憑かれてる者同士』ってことだな」

「そうとも! 今ここに顕現せよ、我が魂の肖像イコン! プルート!」

 呼び声に応え、夢玖の頭上に白い布の塊が浮き上がった。ぐるりと渦を巻くとその中から顔と巨大な草刈り鎌が飛び出し、いかにも〝死神〟でございといった風体のローブ姿に変わる。

「見たか! これぞ我がチカラ、我が能力」

 学校生活では隠していたチカラを解放した夢玖は増々調子をよくして高笑う。

「だが貴様はこれ・・を知っているな? これほどではないにしろ、似たチカラを持っているはずだ。恐れるな同胞、同胞ならば恐れるな」

 勿体付けた動きで手首を倒し、框に対して誘いをかける。

「オレは貴様と近しい運命を背負う者。他者と相容れぬ孤独に苦しむ過去とは決別しろ。だが傷の舐め合いをするつもりはない。運命より先に憎むべき敵がいる。そう、世界を滅ぼす我らの力で、世界を滅ぼす敵を滅ぼすのだ! その使命が鼓動するのを感じないか? さあ、オレと共に来い!」

 闇渡を抱える框を仲間に加えたい。黒い封筒の真相はそういうことらしい。

「……だ、そうだだけど、どうする?」

 緊張感なく頭をかいて反応を窺った塀二は、つい苦笑した。

「……うわぁ」

 框はドン引きしていた。

「ねえ、この人元々こういう人なの? それともなんか病気とか辛いことがあってこうなってるの?」

「あんまり本人の前でそういうこと言うなよ。病気でこうなっているんだよ」

「家の仕事とか道具の話をしてる時のあんたみたい」

「えっ、俺ってこんな? やめてくれよ。次からやりにくくなるだろ」

 ヒソヒソと話し合うふたりを、かなりな言いようをされていることは夢玖にも聞こえているが、彼女はまるで動じずに大袈裟な素振りで髪をかき上げた。

「俗世での姿は仮の姿。夜の闇こそがオレの真実。強大な力を秘めた者は爪と牙の鋭さを隠さねばならないのだ。このようなチカラ、表に出せるワケがない」

 堂々とした態度で「昼間のぼっちではなく今のコレが本当の私」と説明する。その際腕を横へやってプルートを示そうとしたが、その方向にプルートはいない。逆側にいている。気付いたプルートのほうがいそいそとそちらへ移動して合わせている。どうやら夢玖自身には見えていないらしい。

(……やっぱりなあ)

 どうやら根本的に夢玖は一般人らしい。超常の存在を従える異能者、そうではない。それらしいことこそ言っているものの、地球守りの関係者という線は考えられなかった。超常側の人間が自然に持つ凄味をまるで感じず、雰囲気としては「ガリガリのヤンキーがイキっている」に近い。

 なら彼女がプルートと呼んだ死神はなにかと言えば、マーガレットの後輩だ。町の結界により凝縮された浄気による知性体。大引夢玖の特殊能力の類ではけっしてない。

(次が現れないと思ってたら、まさか一般人に従えられてたなんてなあ……)

 怪談の噂を聞いた時、塀二はその時点で噂の真相がマーガレットの後輩であると見当を付けていた。だが真実はもうちょっとややこしかったらしい。


 大引夢玖、彼女は空想の中に住んでいる。ひとりで過ごす時間で自分で自分を追い込んだか、それとも遊びの延長で戻れないところまで来てしまったか。とにかく自分には秘められた力があると信じこうして夜の学校で衣装に着替え「真なる自分ごっこ」に興じていた。しかし今やそこに超常現象が寄り添うようになっている。

 プルートの存在が彼女をこんな風に変えてしまった、ということでもない。浄気にしろ瘴気にしろ、情念を増長することはあっても人格を歪めるような作用を持つことはありえないからだ。それでも敢えて影響があったとするなら、噂が立つほど活動が活発になった点を挙げられる。

 一連の事情を察して、塀二は感心して何度も頷いた。

(……凄いなあ)

 死神の妄想を続ける内気な女の子の所に、たまたま現れた死神型の超常現象――そんなわけはない。すべては夢玖の空想が起因となっている。

 それは特別な力でも、ましてや呪いでもない。誰でもできる空想のみを頼りに思念の塊であるプルートをイメージに沿って形作り、更には身近に縛り付けた。イメージするだけのことで意図せず超常現象を支配してしまっている。

(何千人もいる町の中で、唯一そんなことができる思念の強さなんて、もう立派な才能だろ。ちゃんとした術士の教育を受けたらかなりのレベルまでいくんじゃないか?)

 自分には特殊な力があると本当に心底思い込んでいるのか、それとも演じているのかはわからない。しかし夢玖が今の状態を楽しんでいることは伝わってくる。

「どうした? 次は汝のチカラを見せる番だ。その器のほど、試してやる」

 挑発的な表情と物言いをしながらも、喜びの思念を感じる。「もっと見てたいから放っておこう」とほっこりするほどだ。秘密を抱えたつもりで「ごっこ遊び」をしている程度のことなら特別室倉が関わるような事態ではない。

 だがそれはそれとして、ここで「試す」という物言いは良くなかった。

『無礼者が。望みとあらば、見せてくれるわ』

 闇渡のほうが乗り気になってしまった。本物の闇の怪人と未完成の依霊を引き寄せているだけの一般人が激突すれば結果は見えている。

「……今の声は?」

 突然聞こえた声に夢玖が眉をひそめた。なにかしらプルートと感応しているようだが、闇渡の存在を完璧に看破するほどではないらしい。

 夢玖が周囲を気にしている間に、框が足元に「シッ」と呼び掛けた。そうして、改めて夢玖へ相対する。

「手紙、読みました。何を言ってるのかよくわからなかったけど、強く想ってくれてるって聞いてます。でも……ゴメンナサイ」

 当初の予定を思い出したらしい。根本的なところで勘違いが続いていて、沈痛な面持ちで頭を下げている。自分に向けられた恋心を断ち切ろうという態度だ。

 意思疎通ができていないのだから、当然夢玖は納得しない。

「なぜだっ! これが運命だとわからないか? いいからすべてを曝け出せ!」

「でもあたし、女の子同士とかよくわからないし……」

 ふたりが困惑しているのを「どうしたものか」と塀二が眺めていると、唐突に夢玖に睨まれた。昼間の彼女と違い上げた前髪の下で双眸は怒りに燃えている。

「貴様か! 同胞をたぶらかしたのは貴様か!」

「え、俺……? いやそれは……まあ、外れてもいないかな」

 夢玖の要求は框が闇渡を解放し〝秘められたチカラ〟を露わにすることであって、それを塀二が邪魔しているという観点で言えば「その通り」というになる。万が一に備えて方法は教えていても、危険性が高いのでそれこそ万が一にも実行はしないよう言い含めてある。

(先輩、凄いなあ。妄想がバンバン正解をかすめてる)

 塀二が暢気に感心し続けていたところ、それが新たな勘違いを呼んだ。

「何を笑うか!」

 睨み付ける眼光に敵意が宿るのを見て、緩んでいた警戒を戻す。プルートが夢玖と感応を示しているのなら、この攻撃性にもきっと付き合う。

「先輩、落ち着いてください。今あんたはちょっと微妙な位置にいるんだから」

「さては貴様、闇の組織の者だな? いいだろう! 貴様らの野望、ここでオレとプルートが砕いてやる! やれ、我が死の天使!」

 思った通り、号令に応えて草刈り鎌を振り上げてプルートが襲いかかって来た。浮いているので足音も無く、そして速い。プルートを構成しているのは町の人間の前向きな意思エネルギーだが、だからと言って平和的・非暴力的とは限らない。

「先輩、あんたは今道を踏み外した。経緯はともかく害をすなら、室倉としては放っておけない」

 塀二が結界に扱ううえで愛用していた呪具、妙禁毛みょごんげは狼との戦いで損失している。しかし危機を乗り越えた塀二の術士としての実力は格段に跳ね上がっていた。ある程度ならば最早道具を必要としないほどに。

 指は動かさず、口の中で舌を動かすだけで眼前に結界の壁を張って攻撃を防いだ。衝突音と火花が散る。

「でもよかった。実は困ってたんですよ。俺は大引先輩に用があるけど、大引先輩は俺に用がないなら今回は蚊帳の外かもと思ってたから。……これで堂々関われる」

 弾かれた死神の鎌が角度を変え、もう一度塀二を狙う。しかしそれも同じようにして四角の壁で防いだ。

「浄気は普通夜は活性が落ちるっていうのに、完全に安定してますよね。これは大引先輩の影響かな? すごいイメージの強さだ」

「夜こそ我が領域。光の中には現れぬ真価を見るがいい!」

「ますますノーニャと被るんだよなあ」

 夢玖が指を振り回すに合わせて死神の鎌が躍る。まるでコミュニケーションが成立しているかのようだが、そんなわけはない。夢玖は目の前で起こっていることをまるで掴んでいないというのに、妄想だけに縋りついて状況を飲み込んでいる。

「本当に凄い人だ。標本にして蔵に置いておく、ってわけにはいかないのが残念です」

「貴様、今までチカラ無き者達にそんなことを……外道め!」

「人間相手にそんなことはしない。でも俺、闇の組織の一員ではあるかな」

 ハイテンションに当てられているうち、悪役を演じることに快感を覚えつつあってムズムズする。

「俗世のオレに近付いたのも闇の組織に命じられたからだろう!」

「それは誰とでも仲良くなって思い出に残りたいからでして。……あのー、もうちょっと悪者っぽく振る舞える流れに持っていってくれません?」

「学校で浮いていたのに親しくしてくれて、かなり嬉しかったというのに……このトキメキをどうしてくれる! 女の敵め!」

「あれっ、これ俺が想像してた悪者となんか違うなあ。先輩、一旦やめません?」

 不意に、おかしな展開に困惑する塀二の袖を框が掴んだ。

「ちょっとあんた、この先輩にまで変なちょっかいかけてたの? 信じらんない!」

 新たに生まれた勘違いにはもう頭を抱えるしかない。

「ば、馬鹿言うな! そんなことするわけないだろ? もし家の事情がなけりゃ俺が選ぶのはお前だっつーの。全身全霊で幸せにするわい!」

 声を荒げて答えると、もしもの話をしているのに框が顔を赤くした。塀二は怪訝な顔で言葉を止める。

(なんだこいつ……ちくしょう、可愛いな……)

 一時剣幕にされ、そのあとも見惚れたことで塀二は完全に臨戦の気構えから離れてしまった。ハッとして注意を戻した時には死神の鎌が直上へ振り上げられている。

 ところが、刃先は降りてこない。力を溜めているような様子もなく、プルートの顔を見れば「そろそろいい?」と塀二の様子を窺っていた。

 もしや、と考え指先で小さく結界を張ると、プルートは正面に持ち直した鎌の刃先をコツンとぶつけてきた。ほんのか弱い結界でも拮抗するような、極めて些細な力で。

 つまりは、そういうことらしい。

「ハッハァーッ! 果てしない恐怖に震えるがいい!」

 独自の設定に浸って勝手にひとりで気持ち良くなっている主人の為、死闘を演じて見せようとする死神。しかしその奮闘は肝心の主人に見えていない。その健気さに思い至って、塀二は泣きたい気持ちになった。



「それじゃあそろそろちゃんと話をしよう」

 どういう状態にあるか確認したくて様子を見ていたものの、もう充分そうだ。

 学校の怪談から始まって夢玖の自称別人格と遭遇し、使役されているように見えた死神プルートはどうやら自由意思で行動していたとわかった。

「まず見えないことには話にならないか。……室倉の名において、ここを異界とする」

 塀二が両手の親指人差し指で四角を作り、その穴へ息を吹き込むと辺り一帯を枠が囲んだ。見えない触れない超常なるものを、常識的なルールの中に置く。つまりプルートが見えて触れられるようになった。

 途端、框が騒ぎ出した。

「わっ、何そいつ。オバケ? 白いし浮いてる」

「お前も見えてなかったのかよ」

 框が悠長にしているのはいつものことなので気が付かなかった。

「こいつはマーガレットの後釜だよ。大引先輩の空想パワーが凄過ぎてこうなってる。見えないのは、まだマーガレットほど存在感がハッキリしていないらしい」

 夢玖のほうはポーズを決めたまま固まっていた。動揺を悟らせまいとしているようだが、この寒さの中で顔にはびっしり汗が浮かんでいる。

「フフフ、我が魂の肖像イコン……死神プルート……」

 さすがにアドリブが追い付かないらしい。その隙に、直接本人から様子を聞きたい。

「ええと、プルートって呼ばれてたか。ちょっとこっち来てくれ」

「――んなっ!?」

 塀二が自分の分身に呼びかけて、しかもそれに応じたことで夢玖は飛び上がるほど驚いた。キャラを忘れた顔で狼狽える。

「なぜ貴様がオレの魂を従える?」

「うーん……ちょっと説明めんどくさいんですけど、俺がこの町に造った結界が基礎になってるからなんで。いくら大引先輩がこいつを思念の強さで従えても権限はこっちにあるんですよ」

 どのように扱われているかを知りたくて様子見をしていただけで、やろうと思えばいつでも従わせることはできた。夢玖がいくら術士としての才能を秘めているとしても、室倉と比べれば大きく劣る。

「なあ、プルート。この人に危険なことはやらされたか? 例えば、一般人に危害を加えたり、何かを破壊したり」

 プルートがプルプルと首を振るのを見て、塀二はほっと息を吐いた。

「怪談になるくらい学校をうろつくだけの人だもんなあ……。『そこにいる』と思って引き連れたつもりで満足してたなんてそれはそれで大引先輩のほうがヤバいけど、何もしてないなら、よかった」

 世間の害になるなら散らすか封印しなければいけなかったところだったが、その必要はなさそうだ。

「それで、お前はどうしたい?」

 室倉の管理下にあるとはいえ自立した意思を持つ個人だ。そこに配慮した問い掛けにプルートは一瞬驚いた顔をして、やがて迷う素振りを見せながら夢玖を振り返った。

 塀二は納得して頷く。

「そうか。じゃああの人とも話をしないといけないな。……大引先輩! ちょっと込み入った話をしないといけないんですけど!」

 呼びかけるものの、夢玖は屈み込んで苦悩している。

「唯一の力を取り上げられてしまった以上、好きにするがいい。……クッ……」

「そういうのいいんで。話が進まないからとりあえずその服脱いでもらえません?」

「……クッ」

「いや違う違う! 元の格好に着替えてほしいって意味で! あっ、痛い!」

 たちまち怒り出した框に掴みかかられつつ、塀二はこれからのことを考えて心を落ち込ませた。

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