化けの皮ゆらゆら2
塀二が奮闘する
「辛抱デス! 行っても助からない!」
腰にすがりつくノーニャは体格で框に劣るが妖部の腕力がある。振りほどかれはしない。
「離して、あいつが死んじゃう! あいつは昔から死にたがってたんだから、こんな目に遭えばきっと――」
ノーニャが框をぐいと引き戻し、頬を平手で叩いた。眼差しの真剣さは怒りに似る。
「アナタはあの方と長く一緒にいたならば、なぜそんな風に言うのデス? ワタシには一生懸命生きようとしているようにしか見えないデス」
何度も地面を転がされながらも、塀二は諦めずに妙禁毛を振るい続けている。雄たけびを上げ、地面と腿を叩いて何度も何度も。
「それに今あの方が諦めたらこの町が――アナタが危なくなります。あの方がそんなことするわけないデス。ネバー!」
放心していた框は我に返り、今度は自らの手で頬を張った。涙に濡れた瞳に気合が灯る。
「わかった。でも見てるだけは嫌だ、できることない? あるなら教えて、むつき!」
『蔵守りの仕損じを引き継ぐがいい。詰めの甘さでしくじりしも、企みとしては良策じゃ』
塀二の失敗と言えばついさっきのメールだ。カビの生えたジョーク。何を意図したものだったのか、框は考えを巡らせた。
「人を喜ばせれば、プラスの意思エネルギーが出るとかそういう話? それじゃあこんなの駄目に決まってる!」
框は携帯電話を操作し、Eメールの宛先欄にアドレス帳から手当たり次第メールアドレスを詰め込んだ。宛先の入力領域として割り当てられたデータ量が埋まるまでに約二十人、設定する事ができた。
時間を惜しみ本文は「知り合いに回して」の一文だけで済ませ、あとは目一杯画像を添付する。
「送信――で、次は何をしたらいいの?」
『手など無いわ。余は最早戦えぬ』
「役立たず!」
『どうとでもぬかせ』
「あの、イクスキュー……ひっ」
焦り苛立つ框はノーニャに目をやった。おずおずと気弱に挙げられた手が眼光に震える。
「なに、あんたなにかできるならすぐやって!」
「あるにはあるデス。バット、貴方にもちょいとリスクが――」
「なんでもやる。任せて!」
言葉を遮って肩を掴み間近に見つめる。鼻先でギュッと結んだ框の口元にじっくり魅入り、
「そりでは……ちょいと吸わせてくだしーまし」
とうとう這い回ることさえ難しくなって、塀二は大の字に倒れ込んだ。薄曇りの夜空は
(ここを守り切れなきゃ、どこにいたって同じだな)
自分の命、蔵、大事な誰か。それ以上に多く重大なものを背負って戦っている。
もう呼吸を浅く抑えていられなくなり肺が欲しがるままにしてやると、伸縮で背中が弾むほど暴れ出した。胴回りの深い傷が出血を増す。
手は出し尽くし策も講じ果てた。妙禁毛は砕かれ、呪具入れのバッグも肩掛けのベルトが切れてどこかへやってしまっている。
足りない。どうシミュレーションしても狼を駆逐するには届かない。
(せめて一分、大人しくさせられたら)
油断なくいついかなる時も充分に備えておくこと。父が言っていたことが今更身に染みる。備えがなければ室倉は悲しいほど無力だ。
(俺はあの時からなんにも変わらない、不出来な息子のまんまなのかよ)
あの日、「どうして自分が」という不満を育て楽へ逃げた。
(普通に生きたいって望みも諦めきれてなかったんだ)
思えば責任を放棄したノーニャを責めず庇ったのは優しさからきたものではなかったのかもしれない。
(んなこたどうでもいい、今はこいつをなんとかするんだ。でなきゃ六年前の繰り返し、またあいつを守れないだろうが!)
頭から弱気と諦めを追い出して歯を食いしばる。
と、耳元で電子音がした。眼をやると携帯電話が転がっていた。いつの間にか落としていたことにも今になって気付く。
割れた画面に新着メッセージの表示を見つけてメールを開くと、框からだった。内容は仔猫の画像がずらずらと並んでいる。
なんのつもりか測りかね首を巡らせて框を探す。そうして、とんでもない光景が塀二の目に飛び込んできた。
「ギョワアー! なにすんのこの馬鹿!」
「ちょっとだけデス。ねっ? ねっ? 痛くしない痛くしないヨー」
「そういう問題か! ヒー、やめてー!」
框とノーニャは互いの顎を掴み、框は遠ざけ、ノーニャは近づけようとしている。一見キスを迫られているように見える。そのままに見える。
ノーニャが何をしようとしているのか、妖部について知識がある塀二には伝わった。狼と戦う力を得る為に框の精気を吸うつもりだ。わかるからこそ焦る。
「おい! よせ!」
結果的に守られるのであれば時として犠牲を生む冷酷な選択もやむを得ない。そういう覚悟は塀二にもある。しかし今回の
「へい――」
口を塞がれて悲鳴は途切れ、塀二へ向かって真横に伸びていた腕はだらりと下がる。框とノーニャの唇が重なった。ノーニャが貪るように舌を求めているのが塀二の位置からはっきりと見える。失われた。
「てめえ!」
すっくと立ち上がった塀二は二人に向かって突進した。体当たりで引き剥がす予定が、あっさり押し返されて転倒する。
「ドンヲーリー、お構いなく」
「構うわ馬鹿ったれ! そいつを離せよすぐ離せ!」
頭を押さえつける腕を跳ね除け立ち上がろうともがいていると、ノーニャの力が増していくことに気がついた。妖部の、吸血鬼の力だ。
ノーニャの一族は口から、特に舌から他者の精気を摂取する。それこそが吸血鬼と呼ばれる
「モーアモーア」
框は要求に応え、恐怖で青白んでいた顔を朱に染め腕を回してノーニャにしがみついた。受け入れている。
〝吸血〟という行為を容易にする都合上、接触対象は脳神経に分泌物が巡り恍惚的興奮状態が引き起こされる。簡潔に言えば吸血鬼に対し恋愛感情を抱く。ノーニャの先祖が瘴気を取り込む術をその身に施したのは、他者に害を働く己の身を嫌い別の武器を欲したからかもしれない。
そういう理屈は理解している。依存性はないのですぐに元に戻ることも知っている。しかし塀二はただ単純に、見たくなかった。させたくなかった。
「チクショウ! もう死ぬと思ってたのにそれ以上とかなんて酷い人生だ!」
『なるほど、まだ出し物が残っているようだね。この期に及んで勿体つけるところが不満ではあるけれど』
「うるせえ毛むくじゃら! 今取り込んでんだよ!」
後ろからかかった狼の声に塀二は振り向きもせず怒声を返す。そもそも狼が来なければ、過ぎるほどに強力な敵でなければ、こうはならずに済んだ。棚に上げた自己嫌悪が煮えくり返るほど腹立たしい。
「大体次の出し物ならとっくに登場してんだ。目、離すなよ」
背中越し、狼の邪気を挟んで浄気の存在を感じる。
「遅くなりました、ミロード」
夜更けに瘴気を前にしても安定する濃度。町のそこかしこで突如発生した浄気が
「町の連中もやっと俺のジョークを理解できたらしいな。頼んだぞ、そいつをちょっとの間引き付けといてくれ」
「承知! 室倉の名を借りて、必ずや賊めを
「ハァイ、私も手伝うデス」
框から顔を離したノーニャが振り返る。充実した、自信に溢れる満足げな顔を殴りつけたい衝動を塀二は堪えた。
それよりもと、尚もノーニャを求めようとする痛ましい姿の框を捕まえた。吹き上がるピンクの思念を見るのが切ない。
襟首を引っ張り無理やり縁側まで連れて移動し、外れかかった戸を押しのけて寝かせると框はようやく陶酔から正気を取り戻した。半眼をしばたかせ、辺りを見回す。
「あれ、あたし……どうしてたっけ」
「何もなかった。全力で忘れろ。絶対に思い出すな」
「ねえ、今あんたと……あれ?」
熱で浮かされているかのように話す顎の動きが鈍り、瞼が更に閉じていく。戦闘の緊張と闇渡の行使、それに精気を吸われたことでかなりの疲労があるはずだ。
「気にせず休んでろ。もうお前の出番はないから」
背後ではまた新たな戦闘が始まる。
「やるデス。マーガレット、フォローミー?」
「承ります、姉様」
『興味深いね。さっきとは別人のようだ。ふふ、やはり妖部は面白い』
一直線に肉迫したノーニャの無造作な殴打を受け狼の表情が一変する。悦びに眼が輝く。
『ハハッ! いいぞ! 驚かせてくれる!』
体に瘴気を溜め込むことではなく、他人の精気を取り込み力にするのが本来の能力であるからには、これが本来のノーニャの実力と言える。怪力、瞬足。これこそが真の
「かかれ!〝
マーガレットもまた使い魔たちを操り巧みに狼の動きを封じ込めた。見た目通り双子の経験と信頼を感じられるほど、見事な連携が機能している。
「あたしも手伝わないと」
起き上がろうとする框の肩を抑えて強引に寝かせた。抗いとはとても言えない弱々しい手応えが胸に苦しい。一番に守りたいはずが、一番に負担をかけてしまった。
「お前はいいから、ここは任せろ」
「だってあの子たち、勝てるの?」
振り返り戦っている二人を一瞥する。
ただ見るだけなら圧倒しているように窺えた。しかしそれは狼が積極的に手を出していないからに過ぎない。地上で構える弓を見下ろす爆撃機の如く、絶対的な余裕が思念に読み取れる。
(無理だな)
状況に不利な材料が多過ぎる。ノーニャが精気を吸い取った框が既に消耗していたこと、マーガレットに力を与える浄気が夜間の為活性を下げていること。
二人とも燃料タンクはすぐに枯れる。破壊衝動を力とする敵に戦意でもって挑むのは得策でないことも大きい。
(……無理だけど)
塀二はふたりの果敢な戦いぶりを見ながら、ひとつ冷徹な判断を下した。
(一分、充分だ)
パズルのピースは揃った。今ならば届く。
「気にしないで寝てろ。大体お前頑張り過ぎなんだよ。ゆっくり休め」
「あんたこそ一度くらいゆっくり……」
話す途中で框は寝入ってしまった。気を失ったといったほうが近いものの呼吸は穏やかだ。
『腹を決めたか、蔵守り』
歩き出そうとした塀二に闇渡が話しかけた。珍しいことだが、塀二は驚かなかった。
「ああ。決めちまった。気が向いたらそいつのこと守ってやってくれ。……頼むな」
『ふん。言われずともとうにやっておる』
「そうだな」
少し笑って、塀二は歩き出した。
封印され蔵の中で長い長い時間を過ごす内に攻撃的な本能を失う妖魔がいる。闇渡もその例であることを本当はわかっていた。
六年前蔵の結界が破れた時、闇渡は他の多くの妖魔たち同胞とは違う感情を抱いた。ようやく封印から逃れられる歓喜や復讐を望む怨念で渦まく蔵の中、ほんの微かに嘆いた。
連綿と続いた室倉の歴史がここで閉じる。人で例えるなら床へ落ちようとする壷に手が伸びた程度の、些細で自然なほんの気まぐれ。
闇渡は他の妖魔を出し抜いて素早く框に取り憑いて実体を得ることで力を獲得し、塀二の父と結託して蔵の妖魔たちを鎮圧、それから引き続き框の影に封印されることを承諾した。框の心身に負担をかけないよう名と力を奪われ、じっとしているだけなら蔵よりも居心地の悪い人の影の中に甘んじることも受け入れて。
塀二の父はその後数日でこの世を去り、多く語る時間を持たなかったので塀二はそのことについて詳しくを知らない。しかし闇渡の気性に触れる中で感じることもあった。それが塀二の、妖魔を全て〝悪しき者〟と断じない思想の根幹にもなっている。
「うまいことフォローしといてくれよ。あいつは幸せだったとか、テキトーに嘘もついていいから。頼んだ」
蔵へ向かい歩きながら、塀二はまた笑った。父とは違う生き方を選んで走ってきたつもりが、最期に父と同じゴールへ落ちようとする自分を嘲って。
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