轍の上でタップを

 狼は依霊の中でも抜きんでた、魔王と言われるだけのことはあった。攻撃がろくろく通じない。接触の度に瘴気が体内へ侵食してきて激痛を呼ぶ。

 しかし八体の獣を失くしたからには残された戦法は肉弾戦しかない。我が身可愛さで力を捨てたことをノーニャは今になって激しく後悔していた。

 失った使い魔はマーガレットが引き継いでいるものの、その性質は大きく変化している。単純なぶつかり合いでは浄気に分が悪い。もっと大きく包み込むレベルで凌駕するか、滝美祢のように殺傷特性を持つか。そうでなければこの強敵を倒すことは不可能だ。

 勝つ目の無い戦いをしていることを平静に理解しながら、乱れる息を少しでも落ち着けようと細く胸で息をする。ノーニャと同様にマーガレットもかなりのところまで消耗していた。呼吸や汗に現れなくとも姿が薄らぎ揺らめき始めている。

「姉様……」

「ノー・プロブレム」

 曲がっていた腰を伸ばし、強気に微笑を維持しながら狼を見上げる。勝算はなくともこれでいい。ここは室倉の庭。時間を稼ぎさえすれば、彼がどうにかしてくれる。

『どうも君は、手を抜いているように思える』

 狼が見抜いた通り、ノーニャは攻撃に全力を注いではいなかった。凌ぐことが目的なのでそうせざるを得ない。可能な限り戦いを引き伸ばす為に回避を優先している。

 しかし。

『退屈だな』

 邪魔っけな小虫を払うように、無造作な仕草で狼は腕を振った。ノーニャはそれを上腕と肩で受け止めてしならせた上半身で衝撃を流そうとしたが、下半身に踏ん張りを利かせる力がもう残っていなかった。

「エンプティ……デス」

 べっとりと顔を汚す泥に奪われた視界の中で必死に手を伸ばして狼の足を掴む。

 たとえ命尽きようと時間を稼がなくてはならない。妖部の責任を嫌い母国を捨てて逃げ出したノーニャにしてみれば、ここへ来てこういう気持ちになれたのは不思議なことだった。

 この家で知り合ったふたりのせいかもしれない。どれほど近しい肉親よりも、心を開いた文通相手よりも〝仲間〟という気がしていた。真っ直ぐとはとても言えない道を懸命に駆けるふたりを、愛しく想った。守りたいと。

 願わくばもう一度戻り、今感じている気持ちで故郷の景色を見てみたい。しかしそれを叶えるには、自分の力では足りない。奇跡が必要だ。

「プリー……ズ」

 とうとう意識を失ったノーニャを見下ろし、狼は高笑いをあげた。

『命乞いかい? 西方最強のヴァンパイアともあろうものが、恐怖を前に命を惜しむのか! これは愉――』

 高笑いは止まった。獣の感覚が異変を感じ取り、身を屈めて危険を察知しようとしている。その隙に飛び込んだマーガレットがノーニャを抱え屋根の上まで跳んだ。

「姉様……?」

 ノーニャは笑っていた。意識を失う直前に目的が達せられたことを知ったからだ。安らかな寝顔を疑問に思うとほぼ同時、マーガレットはすぐそばで目覚めたものの息遣いを首筋に感じて戦慄する。

 蔵の扉が開いている。戦闘状況下にあって張り詰めていた意識が鼻白んで冷めるほど、凄まじい念が中から溢れ出している。単純に瘴気と呼ぶこともできないありとあらゆるものの混沌がそこにあった。

「どうしたケダモノ。入って来ないのか」

 塀二が入口の段差を一段一段ゆっくりと降りて蔵を出てくる。声が上ずっている原因は興奮でなく重症のせいなのは震えからして明らかだ。本人は張り上げているつもりで、実際には掠れてしまい弱々しさのみが強調されている。

「ここに用があったんじゃないのかよ。うちのカワイイ妖魔共を食って、力をつけるつもりで来たんだろ」

 わずか、狼は怖気づいているようにも見えた。開放された蔵を前に動けずにいる。

 蔵はまるで一つの化け物のように、並々ならない迫力を放っていた。入口から舌を出し、片端から飲み込んでしまいそうな底の見えない恐怖感を掻き立てられる。

「ああ? うるせえよ。お前らの出番はないからすっこんでろ」

 塀二の眼が泳ぎ、誰にともつかず口を利いた。眼は虚ろで足元はおぼつかず、小箱を抱えているだけでよろよろとふらつく。

『血を失い過ぎて気が触れたか? 予想以上だったから少し驚いただけさ。そのくらいのことで調子に乗らないで欲しいね』

「ちげーよ。こいつはお前らの仲間入りはしない。……厄介過ぎるからな」

 塀二は尚も見えない何かと話しているようだった。それが急に、瞳に正気の光を戻して狼を見つめる。

「悪いがお前は封じない。強過ぎて俺の手に余る」

 小箱を地面に下ろして蓋を取る。中は半ばまで灰色の粉に満たされていた。蔵の中に絶えない火を灯す、呪具鎮めの香の粉末だ。

「恨むなら未熟な俺を恨め。その代わり室倉の全力で滅してやる。仕損じは無い」

 粉末をひとすくい、掌に乗せると脇腹の傷に塗り込む。焼けた鉄を水面に沈めたような音がして、血が泡となって弾けた。塀二は顔をしかめ、奥歯で舌を噛んで痛みに堪える。ここへ来て気を失うわけにはいかない。それこそ台無しになる。

『小賢しい道具を使うだけで己を過信しないことだ。所詮人を外れた程度の者が、獣に敵うはずがあるか! 我々は貴様のように道具も鍛錬も必要としない、生まれながらに絶対の強者! 貴様ら弱者を喰らう道理を備える捕食者なのだから!』

 狼が牙を剥き出しに踊りかかった。いよいよ、終わらせようという殺意に満ち満ちている。たとえその気がなくとも、その顎で捉えられたら塀二の命の火は消えるだろう。

「生まれながら、か」

 塀二は口を横へ裂き、狂気染みた笑みを浮かべて伸ばした右手の人差し指を香を塗り込んだ脇腹の傷口へと差し入れた。

「行こうぜ――室倉!」

 抜き出した指には塀二の血と、呪具鎮めの粉末がべっとりと絡んでいた。その指で一字を切る。

「世を区別せよ、〝おけ〟」

 現れた障壁は全てを打ち砕かんと迫った狼の爪と牙を防いで弾いた。前進を阻まれた狼はたたらを踏んで異変にうろたえる。

『馬鹿な。なぜ急に力が増す? そこにいるのはただの死に損ないだ! 違うか!』

「色々事情があってな。ケツ蹴られるからへたってられねんだ」

 妙禁毛は死者の頭髪。呪具鎮めの香は死者の骨粉。どちらも一族の、塀二の父を含めた室倉家代々の成れの果てだ。古今東西何より強く、世に害を成す化け物を封じる一念が篭っている。

「〝まく〟」

 足元から伸びた鎖が、今度はがっちりと狼に絡みついた。暴れても砕けない。術が狼の力に勝っている。とても強力だが、とても悲しい力で。

「道具を使わないのは強いからとか言ったか? ちげーよ。お前らが俺たちみたいに道具や鍛錬を必要としないのは、単にその知恵がないからだ。誰だって産まれながらに完成してるわけねえのに、お前だけ特別なわけないだろ。存在ってのは当人の思念が確立するんだよ。瘴気まみれだってバケモノになり切らない奴はいる。飢えの化身が躊躇した時点で、お前は終わってんだ。わかんねえなら、俺が終わらせてやる」

 腰に繋いでいたナイロンの糸、テグスを拳に巻きつけて勢いよく引くと蔵から何かが飛び出して狼の足元に突き立った。布袋に包まれた長物。光烏ひかりがらすだ。布袋は結び目が解け柄が露になっている。鳴動し自らを解き放とうとする柄が。

「あばよ、永別だ」

 呟き、二本あったテグスのもう一方を引いた。先に引いたのは布袋に、今引いた分は柄に結んである。

 糸に引かれてほんの少し黒い刃が顔を出すと、それだけで術の鎖も狼もずたずたに切り裂かれて吸い込まれていった。悲鳴も聞こえない一瞬だ。飢えに代表される意思で構成された狼が、こんなにも呆気なく喰われた。

「離れとけよマーガレット! 飲み込まれたら消えっちまうからな」

 注意の声を振り絞ると同時に塀二の膝は落ちた。体力の限りがもう近い。或いは生命の、かもしれない。

 妖刀の刃は既に半ばまで抜けかかり、蔵の封印へと影響を広げようとするところだ。このままでは刀に形を変え封印された妖魔が蘇る。かつて国を滅ぼしかけたと言われる最強妖魔の半身。そうなれば滝美祢どころか、今の地球守り総力でも歯が立たない。何もかもを滅ぼされる。

(成人式……は無理としても、高校入学くらいは……受験、やりたかったなあ)

 塀二は父が早逝したことにより通常よりも早く代を継いでいる。まだ体が育ち切らないうちから灰の毒に体を蝕まれた分、命の火は更に短い。事故で死んだ父よりも早く訪れるであろう終わりがまさかこれほど急にやってくるとは、自虐で笑うこともできなかった。

(でも、惜しくはないな。精一杯生きた)

 懐からずるずると衣裳を取り出す。差し込んだ手は血まみれでも、掴んだ指にすら一切染められない白装束。かみしもの上衣だ。

 塀二は元々折っていた足を正座に揃え、膝の上にそれを置いた。

「ダメぇっ!」

 急に横から大声を聞き、精神の集中を邪魔された塀二は眼を開いて声のした方へ顔を向けた。

「お願いやめて!」

 縁側から框が叫んでいる。声と同様表情も悲痛で、身を起こした勢いで庭に転げ落ちても必死に塀二へ向かって手を伸ばす。

「それだけはダメ! 絶対ダメ!」

 呪具管理台帳に目を通していた框はその装束がどういう代物であるかを知っていた。塀二が無茶をしようとしたら止める為に、危険性の高い物を選んで特に憶えていた。

 〝損級〟の管理呪具、必死装束。これを身に着けた術士は限界を遥かに超えた力を発揮できる代わりに、死ぬ。命を吸うことで初めて血に染まる忌まわしい純白だ。

「やめてお願い――お願いだから!」

 使用する以上必ず命を奪われる。カムカキタナバーラや妖精の井戸と違って知恵や工夫の入り込む余地がない。術士である室倉の人間にとって正真正銘最期の手段と言える。

 倒す為に敵よりも強力な破壊力を行使した。その代償を払わなければならない。もう、これしか、ない。

「そんな顔すんなよ、未練出ちまうだろうが」

 もっと生きたい。ごく当たり前の希望を胸の中で過去形に変え、塀二は框から光烏へ目を戻した。自分の在るべき所へ。

「父さん。守りたいもの、できたよ」

 世の為に命を捧げてきた室倉の一族はことごとく世界を愛していたのだということに今は何の疑問もない。世間と関わりを絶っていた父もまたそうだったのだろう。そう信じるからこそ塀二もまた同じことができる。

「ミロード! ここは私が」

 片袖を通すと目の前にマーガレットが飛び込んできた。

「やめろ! お前なんか近づくだけでおしまいだ。もう犠牲なしでどうにかできる事態じゃないんだから、黙って大人しく見てろ! お前にはお前の役割がある!」

 光烏に封じられた妖魔は既に具現化を始めていて、太い腕が柄を握り自らを引き抜こうとしていた。迸るエネルギーが衝撃波を起こしているせいで近づくことすらできそうもない。十歩ほど離れた塀二の体も激しく煽られている。近づけたとして思念体であるマーガレットではただ死にに行くようなものだ。

 〝固〟の一字でもって鞘と刀袋の封印術を強化し刃を再び閉じ込める。それより他に望みは無く、差し出す命が不可欠だ。必死装束で底上げしなくては実力が足りない。

「おい、わかんないのか! 俺は一つでも多く守りてえんだよ! お前も残れ!」

 押しのけて下がらせようとしたが、塀二が片手を袖に通しながら伸ばした腕はマーガレットの体をすり抜けた。既に実体を保てないほど希薄になっている。

「くぅ、情けない……」

 マーガレットは無念そうに塀二の後ろに下がった。強情を続けても無駄死にしか待っていない。室倉の意思を備えている彼女は塀二に言われるまでもなくわかっていた。

「せめて、お傍にいさせてください。頂いたこの命、貴方様に捧げる覚悟はございます」

 光烏の状態を見る限りもう問答している時間はなかった。マーガレットを巻き込まない為にも急ぐ必要がある。蔵の封印、室倉一族の遺灰にこもった思念。これらが光烏に食らわれないうちに済ませなければならない。否応無く勝負は一瞬だ。術を殺す光烏の特性は必死装束が捻じ伏せる。使える命が一つである以上チャンスは一度限り。

 一瞬が一度では言葉を交わす時間はない。吐き出す一言に万感を込めた。

「あとを頼む!」

 本当に望む相手ではないにしろ、こういう場面ですぐ近くに誰かの存在を感じられるのは悪くない気分だった。

 父も同じ気分で送り出すことができただろうか。そんな風なことを思い起こしながら、塀二は最期の、最大の力を振り絞って傷口に差し込んだ指を勢いよく引き抜いた。

 痛々しい悲鳴が聞こえないよう耳を塞いでほしいという願いは口に出さずに。


 怒涛の閃光が静まったあと、塀二が見たのは必死装束の赤色だった。うな垂れた視線はまっすぐ自分の膝の上へ落ちている。

 けっして汚れない純白は命を吸い込んで初めて赤に染まる。効力を発揮した必死装束は一時的に機能を失い、回復には数年を必要とする。それまではただの赤い布だ。

 首を起こして正面を見ると光烏がきちんと鞘に収まって落ちていた。封印は安定し正体の妖魔が暴れる様子もない。無事、やり遂げることができた。

 辺りはとても静かだ。夜はまだ続いている。意識を失っている間はごく短かったらしい。

 首を巡らせると蔵が目に入った。扉が開け放たれたままになっているのを見て役目を思い出した体が反射的に動こうとしたが、体が裂けそうに傷んで膝は曲がったまま伸びなかった。

 自らの不甲斐無さにため息をつき蔵を見ているとふと妙な感覚に捕らわれた。そこにあるべきはずのものがない。封印妖魔が放つ負の波動を感じられない。

 塀二は一瞬自分が室倉の知覚を失ったかと疑ったが、そうではなかった。蔵の中にはしっかりと気配を感じる。その彼らが一様に大人しい。

(なんだよ、これって――)

 笑いがこぼれ、塀二は静かに拳を握る。

 横手で足音が聞こえたかと思うと、框が近付いてきていた。激しい戦闘の跡に足を取られよろめきながら駆けてくる。

「あんた、大丈夫なの?」

 声をかけ無事を確かめる為の歩みが速まる途中、もつれて転びそうになった。

「無茶するな。自分の身体を労われよ」

 塀二は泣いていた。こぼれる涙を隠そうともせず、泣き笑いの表情で肩を震わせている。

「無茶してるのはあんたのほうでしょ。労らなきゃいけないのもまずあんたよ」

「労れ……か」

 拭った眼でもう一度蔵を見る。妖魔や呪具は威を沈め波動は無く、わずかな瘴気は残らず結界送りだ。樹具鎮めの香の煙と共に染み付いていた脈々の室倉の遺志も消え去っている。光烏に飲まれたのだろう。

 封印を確かなものにする香の力を抜きにして安定している。それは塀二が術士として彼らに認められたことを示していた。結界の加勢もあって反抗心を挫いている。これは塀二にとって一人前と認められた、それ以上の意味を持つことになる。

 呪具を管理する上で香が必要なければ、この先命を蝕まれることもない。長生きが、できる。呪具と共に生き呪具と共に死ぬ、代々室倉に受け継がれてきた業が軽くなった。

「これからは、そういうこともできるようになるな」

 既に染み込んだ分までは取り去ることはできない。しかし毒が強力である分、今後予定していた未来からの修正もまた大きい。妖部がそもそも持っている生命力を考えればかなりの時間が期待できるはずだ。室倉一族が長生きをした記録はないので実際どの程度になるかはわからないが、いつ尽きるかわからない寿命は塀二が渇望していた『ごく普通の人生』の要素の一つだ。成人を待たずに死ぬという確信、手近な所にあったせきは取り払われ、今は未来を未来と感じられる。

「わけわかんないこと言ってないで、すぐ手当てするからね」

 框は塀二の顔を覗き込んで意識を確かめている。しかし塀二が放心して見えるのは体調のせいではなく、框を見つめているせいだった。

 折れた腕が治るのをのんびり待つ時間があるのであれば、手に入らないと諦めていたものにも手が届くかもしれない。爪先立ちは前へ速く走る為だけでなく、上へと高く手を伸ばすこともできる。

「なあ鴨居、嬉しいニュースがあるんだが、お前も喜んでくれるか?」

「あとで聞くから、あんたどんだけ血出してるかわかってんの? 安静にしてな」

「あれだけのことから生き残ったんだぞ? 最早俺は不死身の……あれ、おい……待てよ」

 と、かなり時間をかけて、塀二は自分が生きている不自然に思い当たった。身にまとう必死装束は命を吸った証として赤に染まっている。にも関わらず塀二は生きている。

 もし光烏の威力が命を吸う呪いを阻止したのであれば、封印も成功していないはずだった。光烏は封じられ、必死装束に変色が起きているからには必ず術士の命は奪われている。

「一体どうなってんだ!」

 混乱から声は荒れた。

 自分以上に呪具について詳しい者はいない。どんな言葉で尋ねたとしてそこに誰がいたとして、正解を得られるはずもないことはわかっている。しかし、ないからこそ塀二にはわかってしまった。

 マーガレットの姿が無い。気配を感じない。

 夜だから、消耗していたから。たとえそうであっても形を失ってしまうまでに苦しめられたならそれはマーガレットという個にとっての死に等しい。それにその場合必死装束が赤く染まった理由の説明がつかない。

「あいつは、マーガレットはどうした?」

 塀二が意識を失っている間に起きたことを框は目撃していた。返事はなかったが、閉じた唇の力みを見れば、充分に察することができた。

 マーガレットは塀二の為に自ら疑っていた己の命を使った。そうとしか考えられない。塀二が挑んだように、我が身を投げ打つ室倉の気概は彼女もまた同じものを持っていた。

 どんな術を用いても失った命は返せない。

「この命、俺にどうしろって……」

 呟く迷いは震えるように消え入る。

 望んだ通り生きていけると晴れた心も足元の犠牲を知れば浮かれてはいられない。流すべき涙は自分の為に使ってしまって、もう枯れていることが申し訳なかった。

「そのまま生きて、好きに使ったらいいじゃない。あたしはそうしてる」

 同じく救われた命を生きる框がひざまずいて塀二を抱き寄せた。悔いや嘆きを身の内へ直接招き入れようとするかのように、力強く。

「二人分の命だから、もっと大事に生きなきゃいけないんだからね」

 教わった〝蔵守り〟とは外れた生を歩もうとする自分を、マーガレットや父を始めとする代々の室倉が知ればなんと言うだろうか。塀二は想像を巡らせた。きっと、祝福してくれるに違いない。

「そうさせてもらう。……すまん」

「馬鹿、何に謝ってるんだっての」

 素直に感謝を述べられるほど急に整理がつくはずもなく、塀二は望んだ温もりの中でただ黙って手を合わせた。

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