横恋慕は洒落にならないマッチポンプを呼ぶ5

 塀二が学校を抜けてから授業がふたつ分過ぎたあとの休み時間。ずっと気を揉んでいた框が言われた通り毎回保健室で眠る猫美の様子を見ていたところ、やっと連絡が入った。

『そいつは軒下じゃない!』

 かと思えばおかしな話を聞かされ、眉を寄せつつ首を傾げる。

(猫美じゃないって……なにが?)

 怪奇現象なら塀二は専門家だ。一も二もなく指示に従う心構えは框にも一応はある。しかし現状を「親友が寝てる」としか捉えていないせいでピンと来なかった。似たような理屈でその心構えが発揮されたことはこれまでほとんどない。

『なにをしておる。蔵守りの言う通りせぬか』

 足元からの警告も、妖魔が解放されたくてウズウズしているだけのように聞こえて深刻さは伝わらない。

「むつき出してなにすんのサ。あれやるの怖いんだかんね? あんたはいっつもあたしが出しゃばりみたいに言うけど別に好きで――ああ、うるさい!」

 きちんと話し合おうにも外野がうるさいせいでとても通話していられない。

「だってこの人がしつこくついて来るので! プルートがニヒルな死神をやれないんじゃないですか! 関係者なんでしょ何とかしてもらわねば!」

「ますたぁ、その設定はやっぱり無理がありますよぅ」

「ノーノー! マーガレットの後輩たるもの、もっとレディらしくあらねば!」

 夢玖、プルート、ノーニャがそばで騒いでいる。保健室で特にすることもなく猫美の寝顔を眺めながら夕食の献立を考えていたところへ三人がなだれ込んできて以来ずっとこうだ。

 なにがどうしてこうなっているのか。ノーニャがプルートを構い、プルートが夢玖に縋っているより深いことはわからない。

 わからないなりに言わなければならないことがある。

「保健室では静かにしろっての」

 苛立って語気を強めただけで、框からは瘴気が盛んに迸る。それを見たノーニャとプルートと、単に迫力に圧された夢玖がピタリと止まった。

「大引先輩、後輩なのに偉そうに叱ってすいません」

 注意からすぐに頭を下げた框に、夢玖はワタワタと腕を振って慌てた。

「そんな謝らなくても……! つい陰キャラとしての本分を忘れた私が悪いので……。それに上下関係なんて気にしなくていいですよ。だって同じ闇の使徒同士じゃないですか」

「そういうのはちょっとよくわからないんだけど……」

 今のところ框にとって〝塀二の知人〟でしかない夢玖の対応に困っていると、廊下から声が聞こえてきた。

「あれー? 誰か来てるの?」

 留守にしていた養護教諭が戻って来た。ノーニャが見つかれば面倒なことになる。プルートも既に可視化されているので輪をかけてマズイ。

 そこですかさずプルートが壁のスイッチで天井の照明を落とし、腰巻きの布を解いて出入口を覆う形で広げた。

 平級呪具、シェイディンシェード。一見普通の布だが表からは透過して視界を塞がず、しかして裏側に位置する人物の姿を隠す効果を持つ呪具だ。強い光を当てられない限り一般人の眼からは隠れられる。

「あら? 寝てた子までいなくなってる……。教室に戻ったのかしら」

 養護教諭は出入り口から覗かせた首を傾げる。鼻の先でシェイディンシェードによって視界を覆われているが、その目には無人の保健室が映っていた。

「勝手に帰っちゃったんじゃなきゃいいけど……。心配だわ」

 パタパタと廊下を遠ざかっていく足音を聞きながら、騙してやり過ごしたた罪悪感に框は胸を痛めた。一方ノーニャは良い笑顔で親指を立てる。

「今の機転ナイス! それでこそマーガレットの後輩デス!」

「そうやって前任者のイメージを押し付けるやめてくださいよぅ! 付け回されるのも怖いから!」

 なんとなくノーニャとプルートの間で何が起きているかは把握できた。

 けれど、そんなことはどうでもいい。

「で、さっきのどういうこと?」

 スマホをもう一度耳に当て塀二の説明を聞こうとした。しかし関心はすぐに逸れる。

 さっきまでスヤスヤと眠っていた猫美が身を起こして自分を見ている。塀二が喚く声を意識が受け付けない。

「あ、起きたんだ。具合良くなった?」

 超常を纏う身でありながらそれらに鈍感である框はあっけらかんと尋ねる。

『なにをしておる! はよう呼べ! 我が名を呼べ!』

 妖魔でありながら特に嫌悪感を持たない相棒の警告よりも、友人の唇に浮かんだ笑みの不快さが、框に不審を呼び起こした。

「……誰?」

 猫美はこんな風に笑わない。

「どう考えても、アンタが邪魔なんだよねえ」

 口の端は増々吊り上がり、シーツをするりと抜けて体が持ち上がった。宙に浮いている。

「だから消すことにするよ。そうしないとあのヒトはアタイのものにならない」

 唇を指で弾いた瞬間、保健室が赤く炎で埋まった。

「アハハハ! さあ、おかしなことが起こってるよ! 早く来なよ蔵守り!」

 熱の中心で体を折って恍惚に浸って蕩ける。その表情はすぐに苦味で歪んだ。

「……ったく、しぶといねえ」

 炎が静まると、そこには人影が平然と佇んでいた。影そのままに漆黒のシルエットが腕を振ると長い衣のように靄がたなびく。途端に周囲の炎が静まった。

『やれやれ、きわで間にうたか……つくづく肝を冷やされる』

 妖魔闇渡が名と力を取り戻した姿だった。真の名を呼び、框の身に宿ることでその力は解放される。眼光には框らしからぬ険がある。

 その闇色の怪人に背中を合わせ、同じく様変わりした夢玖が腕を振って袖のレースを揺らした。いつの間にか黒のセーラー服に着替えを済ませ髪型まで変え、プルートが鎌を手に守るように寄り添っている。

「我らが闇の姉妹の絆、焼け尽くせるとは思わんことだ!」

 威勢良く吠えたその足元からはノーニャがよろけながら立ち上がった。框が取り落としたスマホを手に、声を張る。

各々おのおのがた! グズ守りさんからのオーダーを伝えるデス。『俺が着くまで時間を稼げ』――オゥケイ?」

 それを聞き、闇の姉妹は足先を揃えて並び立った。

『まずは床へ下ろしてやらねばな。不遜にも余よりも高く在るは、鳥であろうと龍であろうとこれをゆるさぬ』

「降りかかる火の粉もここまで派手なら払うだけでは済まされぬのだ!」

 前へ出ようとする夢玖を押し退け、ノーニャが宙へ浮く猫美を力強く指差した。

「敵は依霊〝八百屋お七〟! フンドシ締めて掛からねば我ら三人がかりでも危ないそうデス! 操る炎はマボロシのうちに叩かねばドえらいことになるそうデス! 現に今この学校は燃えているとか!」

 肉体の支配を闇渡に奪われていても、周囲の声は框の意識に届いている。ただし塀二からの伝聞の意味はほとんど理解していない。

 目的はただただ猫美を元に戻すこと。そのことしか考えていなかった。



 框と猫美の付き合いを遡れば框と塀二のそれよりも古く、幼児時代から始まっている。最初の結び付きは「ケンカ相手」だった。何かと突っかかる猫美に框もムキになって張り合うという形で幼い頃を過ごし、それぞれの両親が交互に謝りに通うような関係を築いた。

 小学校に上がった頃噂で聞いたお化け屋敷で肝試しをすることになった時もそう。怪談は怖いからこそ好きな猫美は二の足を踏み、框だけがそのお化け屋敷への侵入に成功した。そうして事故は起こり、塀二の父が死に闇渡が框に取り憑くことになった。

 以来猫美に構わなくなった框は自分よりも優先すべきことができたせいでその他で散漫となり、間の抜けた行動が目立つようになる。一方猫美は子供ながらにプライドを傷つけられ、そんな框のフォローをすることで劣等感を慰めていった。そうするうちにふたりは新しい距離感に愛着を育み、互いに親友と呼ぶまでに至る。


(猫美。あんたとケンカなんて、なんか懐かしいね)

 闇渡に肉体を支配された框はぼんやりとしか現実を認識できない。その中で、狭い保健室の中で、死闘が繰り広げられていた。

「そんな、依霊がこんなに強いだなんて!」

「臆するな我が魂! 隠された真の力を発揮すればこんな――ぐわっ」

「顔を出さないでください、ますたぁ!」

 衝撃を伴う熱波で壁際へ追いやられた夢玖がもがく。それを守るプルートは熱を中和するだけで精一杯で、完全に防戦に回っている。

「依霊退治は妖部ダークブラッドにお任せ――ぬぐっ」

 熱波を浴びながら強引に前へ出たノーニャは喉を掴まれ天井へ叩きつけられた。

 そこへ闇渡の叱責が飛ぶ。

「間違うでない、たわけども! 我らの務めは勝つことにあらず。蔵守りの小僧が現れるまで時を稼ぐのみと心せよ!」

 闇渡に体の自由を貸し出し框が自分の意思では動かせない視界の中心で、宙に浮く親友が炎に巻かれている。

 なんだか大変なことになっているけれど、そんな親友を闇渡が敵視していることは伝わってくることが切ない。

(……どうしてこうなってるんだっけ)

 闇渡が抱える瘴気の中で、闇の中に己が落ちとけ込んでいく感覚に晒され框の意識は薄らいでいく。もう現状の把握すら覚束ない。

「アンタらほんとにしつこいねェ!」

 偽者の姿が発する慣れ親しんだ声だけがかろうじて届いた。

「アンタらはただ死にゃいいんだよ。アタイがこの姿で独り生き残ったフリをすりゃあのヒトはアタイを慰めてくれる。その為に死んでおくれよ!」

「たわけめが! 蔵守りの小僧はもう何もかも見抜いておるわ!」

「それならそれで、あのヒトが目を離せないような厄介者になってやろうじゃないか。どっちにしたってアンタらは邪魔なのさ!」

 言い争いを聞くうちに怒りがこみ上げ、框の意識は段々とはっきりしていった。

「……あんたそんなことの為に、こんなことしてるの?」

 四肢の感覚が戻り、顔に熱を感じた。普通ならとても耐えられないような温度でも今はしっかりと目を開けていられる。

『やい小娘、この状況で何をする。はよう体を渡せ』

 聴覚よりもっと近くに響くような、闇渡の声が元のところへ戻っている。しかし無視する。頭が煮えてそれどころではない。

「あたしがどんだけあいつのこと『休ませてあげたい』と思ってるか、あんた知ってんでしょ? それでもあんたが具合悪そうにするから夜中でも呼びつけたのに。それなのに……全部演技だったわけね。……ああそう」

 怒りがたぎり框が纏う瘴気が波立つ。明らかな臨戦に闇渡が諦めの声を上げた。

『もう好きにせよ! だがここは瘴気を散らす結界内。更に敵は浄気の依霊。こちらの不利も極まるこの状況での勝利はまたたきの間にしかないと心せよ。どうせ貴様は室倉の小僧を戦わせたくないとぬかすのであろう?』

「当然」

『都合の良いことしか聞こえぬこの耳が! ええい構わぬ、余の力すべて貴様に預ける。圧倒しか許さぬぞ、かかれ小娘!』

 合図を受け、闇の怪人と同化した框が前へ出る。すかさず熱波が襲い喉が反るほど体勢を崩されたがそれでも果敢に進んだ。

「ここで友情ぶっ壊れても構わない。目を覚まさせてやる!」

 平手を振りかぶり床を蹴って宙へ飛ぶ。怯んで顔を歪めた標的の前に何かが割り込んで、急接近して来たかととっさに腕を振った。

「よっしゃ、上手くい――イッテェ!」

 突然框の目前に現れた塀二は、頬を張り飛ばされて壁に激突した。弾みで天井まで跳ね返ってから床へ落ちる。

 身を起こしながら「妖部じゃなければ死んでるぞ」と怒鳴り散らしたくもなったが、框に殴られる理由が幾つも思いつくので堪えた。突然現れたことに驚く一同の疑問だけを取り合うことにする。

「町の結界を龍脈に見立てた〝ほぼほぼ瞬間移動〟だ。本物の龍脈なら生身じゃズタズタにされるけど、この規模ならなんとかコントロールできると思ってな」

 寺から燃える学校を目撃して急がなければと焦った時、サンタクロースと話したことを思い出して賭けに出た。自分で拵えた結界で管理は掌握しているとは言っても二度は繰り返したくない。

「框、ノーニャ、プルート……それから一応大引先輩。よく持ちこたえてくれた。あとは任せてくれ」

「ご、ごめっ……塀二、あたし」

「あー、大丈夫大丈夫。妖部はとっても頑丈だから全然平気。今のお前だと妖魔に殴られたみたいなもんだけど、影卸ししろって言ったのは俺だし」

 反射的に手が出てしまったことで蒼白になっている框をなだめてから、本題へと向き合う。実は今の移動で精も根も尽きかけているとしても、弱気こそが術士の敵だ。

「恋慕と激情の具現、八百屋お七。火に縁の深いお前はいかにも蔵と相性が悪い。寺の鐘に封印されるのは似合いだ。俺が町の瘴気を一掃しちまったせいで封印が緩んで起こしちまったんだろ? 悪かったな」

 恋人に会いたい一心で何度も火の海を生んだ伝説の烈女。魂というものが存在しない以上亡霊などではなく、ここにいるのが当の本人というわけではない。依霊は思念の種類に通じる逸話を持つ人物を模すことがある。この八百屋お七がそのパターンだ。サンタクロースのように核となる人格があるわけではない分感情そのままであり、衝動的でコントロールが難しい。

「多少浄気が強い程度で一般人にしか思えなかった。化けっぷりは見事だよ。そういうのは狼が最上級だと思ってたけど、侵入ならサンタクロースが上で、偽装ならあんたが上か」

 改めて目を凝らしてもそうとはわからない。自分が良く知るクラスメイトの――普通の娘。

「まいるぜ、まったく。見抜けなかったんだから今後室倉を名乗る時には少し小声にする。でもわかっちまったんだから、もう室倉の手の内だ」

 両手を丸く握り前へ構える。すぼめた口の中で舌を動かし幾つも結界を打ち、標的の周囲を囲んだ。それでも臆す姿勢を見せないところはさすがの激情型だ。

「ナメるんじゃないよ! 当時の室倉が持て余したからアタシは特別に封じられたのさ! こんなもの――」

 挟み込んで押さえ込みにかかった四方四角の結界が残らず焼け落ちていく。塀二の結界が通用していない。八百屋お七は誇らしげに顔を逸らした。

「さあ次の手を打ちなよ。でもアタシは次の次の手をやめない。そうやってアンタは永遠にアタシを構うんだ」

「悪いけどそれはないよ。だってもう――休み時間が終わるから」

 天井のスピーカーから、耳慣れた音が鳴った。授業の始まりを告げる合図。

 途端、八百屋お七は苦しみ始めベッドの上に落ちた。

「これは……一体なにをっ!?」

「普通の学校のチャイムだよ。あんたは知らねえだろうけど、これは〝鐘の音〟だ。ただの電子音で実際に鐘を叩く音じゃないけど、みんなそう思ってることが肝心だ。数え切れないくらいの人間の思い込みはこの音に言霊としての力を与え、意思エネルギーのあんたに作用する呪文となる。長年あんたを封じた、昔は火事の時に鳴らした音としてな。――〝まく〟」

 もう一度結界の字を放ち、鎖が八百屋お七を絡め取って捕縛した。抵抗はあったが今度は炎の勢いが弱く焼かれない。

「それとあんたが特別に封じられた理由は蔵では扱いにくかったからだけじゃないと思う。俺だって水槽に入れるとか思いつくもんな。その時の室倉は多分……あんたを他の妖魔と一緒くたにするのが嫌だったんじゃないかな」

 八百屋お七が封じられていた鐘の内側に触れた時、残っていた古い思念を感じ取った。それは「好意」と呼ぶべきもの。

 鎖で繋がれた八百屋お七は猫美の姿から正体を露わにしていた。乱れた着物姿で、ほつれた髪と噛んだ唇に色気が漂う。形相は怒りと苦痛に染まっていてもそれさえなければ愛嬌豊かないわゆる「町娘」といった風体だった。

「……ごめんな、ご先祖様。気持ちはわからなくもないけど、俺はあんたほど甘くはなれない。持て余すような存在は処分するしかない」

「やめとくれ! アタイくらいの危ない奴なんて、ここにだってゾロゾロいるじゃないか。なのにどうしてアタイだけなんだい?」

 哀願を受けても塀二は平然とした態度を崩さない。

「あのなあ、室倉相手に『超常だから危ないわけじゃない』なんて説教は見当外れだぜ? 俺はあんたがここで暴れたことや、学校を燃やしかけたことを問題にしてるわけじゃないんだ」

 学校は現在も炎上して見えるが、それは塀二が既に無害化して固定しているだけなので実害はない。被害者と目撃者を出さない為に人除ひとよけを狙ってそうしたもので、念を入れて進入禁止の結界も張ってある。

「でもさ、あんたは俺のクラスメイトに手を出した。その罪だけは見過ごせない」

 框に掴居間をけしかけたことのあるノーニャがたじろぐのを思念の波長で感じたが、今は無視する。

「尋常にあだ成す超常は漏らさず粛すが室倉の務め。務めを果たさせてもらう」

 八百屋お七の顔が引きつるのを睨みながら油断せずに神経を張り詰めさせると、室倉の知覚が急速に接近してくる気配を捕らえた。既に校舎内に入り込んでいる。炎の幻覚と人除けの結界を突破してだ。

 ここ保健室は玄関に近い位置にあるので到着はすぐだった。

「室倉くん、待って! その人殺さないで!」

 火が這い回る戸を勢いよく開き、猫美が飛び込んできた。余程急いできたらしく大きく肩を上下させている。後ろの廊下には自転車が投げ出されているのが見えた。それで校舎内に飛び込んだようだ。

「待てねえよ。軒下、お前はこいつの悪影響を受けている」

 ノーニャや夢玖の自称別人格についてはともかくとして、プルートや框が変身した姿を目撃されたこの期に及んではシラを切ることもできないので誤魔化すことなく素直に返事をした。被害者と言う意味で、もう猫美は部外者とは言えない。

「お前どうして迷わずここだとわかった? 炎と人避けの結界で学校に入る気を起こさなかったはずなのに、そうならなかったのが悪影響の証明だ。お前にとってこいつはもう〝半身〟になっちまってるんだ。自分がもう中に入っているから、結界は機能しなかった。そのくらいお前はこいつに汚染されている」

 腕を振って〝まどか〟の結界を飛ばし、猫美と八百屋お七の間にある繋がりを暴き出す。続く〝かいえ〟でそれを断ち切る。

 これで二者の間のリンクは切れた。時間を置けば猫美は元に戻る。

「ああ、悪影響はもうひとつあったな。……軒下、お前が俺へ抱く気持ちはニセモノだよ。洗脳されて生まれたものなんだ」

 八百屋お七が姿を変え猫美と入れ替わったのは昨夜。しかし猫美の様子はそれ以前からおかしかった。考えるに塀二が町に結界を施したことで封印が無力化していた鐘に猫美が近付いたその時から、ずっと干渉され精神汚染を受けていた。そういうことなのだろう。

「ウソ! だって鐘の所に行く前から、室倉くんのこと好きだったもん!」

「それは……」

 反論に塀二が言葉に詰まらせると、猫美は涙ながらに続けた。

「悪影響を与えたのは私の方だよ。私の室倉くんへの気持ちがこの人を起こしちゃったの。だからこの人は私と室倉くんをくっつけようとしただけなの。……そりゃ、方法は間違ってるけど」

 妙に事情に通じていることが気になって、塀二は眉を顰める。それを察してか猫美は涙目を八百屋お七へ向けた。

「私ね、昨日から寝込んでた間もずっと意識はあったんだよ。夢だと思ったけど、きっとこの幽霊さんと同じものを見てたんだね。『室倉くんを振り向かせたい』ってことだけ考えてた。だからこの幽霊さんがしたことは、私がやらせたことなの。この人を辛いやり方で成仏させるつもりなら、私にも同じ罰を下して」

 幽霊だの成仏だのと訂正したくなる部分はあっても主張自体には筋が通っている。だがそれを認めるわけにはいかない。

 縋る視線の猫美に対し、塀二はそれを拒絶する迫力で威圧した。

「その連帯感、同一化も影響のひとつだ。尋常にるお前が、超常で起きたことに負わなくちゃいけない責任なんて無いんだよ」

 今すぐに八百屋お七を消滅させたところで、芽を残しておけばこの不自然に浄気で満ちたこの町では復活されてしまう恐れがある。断ち切ったばかりの繋がりは根本から消さなくてはならない。それには猫美の心変わりが必要だった。言霊の力で無理に頷かせるような表面的な了承ではなく、心底からの。

 強制的に八百屋お七を処分したほうが余裕は生まれるが、そんなことをすれば猫美の態度は硬化する。その前に乗り込んで来られたことはむしろ良かった。

(さて、どう説得するかだ。どうやら完全に感情移入しちまってるし……なんて言えば納得させられる? 早く解決しないと外の騒ぎが大きくなる)

 塀二は押し黙って考え込み、事態は膠着した。

 それを大人しく眺めていた框が闇の衣を脱ぎ、元の姿に戻ると頭をかいた。忌々し気な半眼を塀二に向ける。

「いいじゃん別に。猫美に預けて面倒見させれば。ここに前例がいるでしょ?」

 その投げやりな物言いに塀二は腹が立った。

「馬鹿か! プルートの場合とはワケが違う。同じ浄気でも働き方がまったく別だってわかんねえのに口を出すなよ」

プルートそっちじゃなくて、むつきあたしのほう」

 今更思い出すまでもなく、框には闇渡が取り憑いている。できれば忘れたい事故により解放された妖魔を塀二の父が框の影に封じ込めた。

「あたしが、その前例」

「……やめてくれ」

 苛立ちから怒りに移った塀二の心情に気付きながらも、框は構わず話す。

「意地悪なこと言うけどさ。……お父さんなら、どうするかなって」

 それは、塀二にとって今最も聞きたくない質問だった。

 塀二の父は現に闇渡を框に封じている。それは一個人の生涯よりも妖魔の保全を優先したと解釈できてしまいかねない。共存を望む室倉の行いとしては正道でも、框によって外の世界を教えられた塀二の良心には刺さる外道の振る舞いだ。父を否定することにも繋がって、框から「あたしのことは生贄にしたくせに」と責められているにも等しい指摘となる。

(父さん、父さんはどうして……?)

 塀二は瞼をぎゅっと閉じ、顎を上げる。

「地球守りは今、少しでも多くの戦力を必要としてるデス」

「クク、面白い。炎で照らせぬ闇もあると教えてやろう」

 夢玖の言うことはわからないとしても、いつの間にか説得の方向が逆転していると知って塀二はゆっくりと鼻から息を、肩から力みを抜いた。

 室倉の使命とは、あらゆる問題を保留にすることではないかと皮肉を思いながら。

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