嵐天の後差す陽2

「大丈夫デス。妖部ダークブラッドは丈夫が取り得なんデス」

「そんなこと言って、もしなんかあったらどうすんのサ! 塀二が起きなかったら……あいつ殺すかんね!」

「その時は及ばずながら」

「お前らなあ、聞こえる所で物騒な話するなよ。無理にしたって気分が悪い」

 耳に入るすべての音を苦々しく思いながら瞼を開く。花柄の掛け布団が体にかかっていた。甘い良い匂いがする。体のあちこちに痛みはあっても悪くない目覚めだった。

「あっ、起きた?」

 枕元にいた框に顔を覗き込まれた。潤んだ目を閉じ深呼吸を二回。いつも通りの半眼になる。

「おはよう。どこか痛い所ない?」

「あー、大丈夫だ。なんで俺居間で寝てるんだ?」

 窓から差し込む日差しは明るい。夜が明けている。しっかり寝入っていたようで現状把握までは少しかかりそうだ。

(えぇっと……滝箕祢に歯向かって、ちょっとだけ出し抜いて……)

 そこまでは憶えている。おそらく呪具の使い過ぎで精神力の限界を超え失神したのだろう。それから今の今まで眠りこけていた。そこまでは予想がついても疑問を消せない。

「なんで俺、生きてるんだ」

 そうすべき流れだったとはいえ、滝箕祢と敵対するなんてどうかしている。気を失ったのだから殺されていて当然だ。

「いやあ、大変だったぞ」

 塀二が仰天して声がした方を見ると、行護がテレビの前で横になり尻を掻いていた。

「お前がぶっ倒れてからお前の嫁泣くわ喚くわ暴れるわ――うおっ」

「嫁ではない」

 饒舌な後頭部はティッシュ箱をぶつけられて黙った。あの天狗が暴力に屈している。

 引き続き仰天しながら、塀二は投げた框に視線で説明を求める。框は眉を曲げ気軽な調子で答えた。

「別にどうもなってないっての。何かあったのはあんただけでそのまんまでしょ」

 気配を探ると闇渡も無事だった。気を失う前にいたメンバーがそのまま健在だ。ノーニャに至っては着替えまで済ませていた。しかしなぜか体操服で、ゼッケンには〝3-2 鴨井〟とある。

「ちょっと家に戻って着替え探して来たんだけど、あの子に合うサイズがあれくらいしかなかったから。あのドレスじゃくつろげないでしょ」

 つまりそれは部屋着。業を背負って戦場から逃亡した彼女が、うちの居間でくつろごうとしている。

(ああ、こいつも鴨居が日常に引っ張り込んだんだな……)

 何が起きたかはわからないが、甘過ぎるくらいに優しい決断があったことは間違いない。同じく救われた身として塀二は感謝したい気持ちになったが、この相手が素直に礼を受け入れるものか、未来は室倉の知覚でも見通せない。

「ささ、ミスター天狗。お風呂入るデス。私がお背中流すヒト。オウケイ?」

「裏切り者に背中なんか任せられるか。それより俺は糞の役にも立たないワイドショーを観るのに忙しいんだが」

「空気を読まねば馬が蹴るのが習わしデス」

 ノーニャが行護を無理矢理連れ去り居間から出て行った。框と二人残された塀二は安堵の息を吐く。わけがわからないのは変わらないがともかくこれで框と二人、表面的にはいつも通りになった。

 TVは地方ニュースに切り替わり、局地的な豪雪と謎の伝染病を取り上げた。患者たちは快方に向かっているらしい。

「よかった。なんとかなったみたいだな」

 しかし室倉家の屋根の下にはまだ平和が来ていない。

 上半身を倒して再び寝転がった塀二の傍に正座し、框は蜜柑を剥いては皿に乗せていく。塀二はそれを摘みつつ框の顔を見上げた。沈んだ表情をしているのが気にかかる。

「何か言いたいことあるなら言えよ」

「……もう目を覚まさないんじゃないかと思って心配した。ほんとに、心配した」

「まだ死なねーよ。俺はハッピーに生きるんだよ」

「あたし……何もできなかったね」

 框が悲壮な顔をしているのがおかしくなって、塀二は笑った。そんなことを後悔の材料にするなんてとんだ見当違いだ。

「お前、滝美祢相手に何かする気かよ? 恐ろしい奴だな」

 頭をかいて、左手が治療されていることに気がつく。

 中指と人差し指の間にガーゼが当てられている。広げてみると付け根に痛みがあり、水かき部分に傷があるとわかった。光烏を受け止めた時に切れていたのだろう。

「これで済んだなら出来過ぎだな」

 誇らしげにしている塀二を框が疎ましそうに見る。

「ケガさせられといてなに喜んでんのサ」

「いいんだよ。もうこういう心配もいらなくなるんだからな」

 框が疑問を感じているのはわかったが、塀二は取り合わずにただ薄く笑った。

 今日予定通りに事が進めば多くの問題が解決する。そのことが塀二の気持ちを軽くしていた。穏やかな気持ちに包まれ心が緩む。

「そういや鴨居、お前にお礼をしたいと思ったんだよ。でも何をしたらお前が喜ぶのか、全然わかんなくってさ」

 気絶する前に何か考えていた気がするが、それを忘れてしまった。

「何急に。そんなのいらないっての」

「だって実際お前には世話になってるから。今度なんか戦わせちまって、しかも助けられた」

 やっとひと段落着くのだから、そういうことをしてもいい頃合だろう。

「勝手にやってるだけっていつも言ってるでしょ。お礼なんか要らないっての。でも……もし、あんたが個人的に何かしたいって言うんなら、それは構わないけどサ」

 室倉の知覚を凝らしてみても、欲らしい意思を框に感じなかった。なにやら満足しているらしい波長を感じる。

「なんだ……本当に要らないのか」

 少し寂しい思いで塀二が納得すると、口の中に蜜柑を丸ごと詰め込まれて喉が詰まった。

 驚いて吐き出し最初に吸い込んだ空気で抗議の言葉を紡ごうとするも、今度はヘッドバットを見舞われて視界に白点が飛んだ。

「うう、殺される……。お前俺のこと心配してなかったっけか?」

 室倉の知覚は音や味に色が付いているように感じる〝共感覚〟と同じように、喜怒哀楽といったおおまかな分類でなら他人の感情を読み取る素養を持っている。塀二は鈍いほうだったが、ノーニャやペストとの連戦で今や研ぎ澄まされていた。

 その成長に無自覚ながら、塀二は普段なら正気に紛れてしまう框の思念を読み取ろうとした。

 今見えるのは炎のような怒りの赤だ。この少し前に漂っていたピンク色の空気が何事であるかを、塀二は理解できていない。室倉が相対するのは瘴気と妖魔が主であり、人の思念を読むことはあまりよしとされていないので記述が残されていなかった。なにより父が事故死した為に正当な伝承が行われないまま代替わりしたことが大きい。

(駄目だ、こいつが何考えてんのか全然わからん……)

 塀二が自分の血の力を疑っていると、唐突に床の陰から声がかかった。

『蔵守り、礼をしたいのなら余から一つ頼みたい。はよう其れをどこかへやっておくれ』

 天敵である滝箕祢はノーニャに連れ出されたままだというのに闇渡が弱気だ。影の動きも怯えているように感じられる。

 何かと思った塀二が首を巡らせると、TVの前に置かれている布包みが動いていた。引き裂けんばかりに張り詰めたかと思うとまた緩みと、伸縮運動を繰り返している。

 包みの中で光烏が自力で封印を破ろうと足掻き、刃をかちゃかちゃ鳴らしているのが塀二には見える、聞こえる。

「うわあ! あの馬鹿こんな危ねえもん放置するんじゃねえよ!」

 そう幾つもない最凶の呪具、光烏。主がいなければ猛獣はすぐに牙を剥く。封印の術式が施された鞘と刀袋がなければとっくに何もかも終わっていただろう。

 迷わず引っつかんで柄を鞘へと押し込もうとすると、水流のような抵抗が掌の中で生き物のように暴れる。光烏が、呪具が自分を認めない。そのことで落ち込む余裕すらなかった。

「離れてろ! 誰も近づくな!」

 玄関に回って庭に飛び出し、裸足で雪を踏んで蔵へと急ぐ。扉の前で光烏を上へ放り投げ手が空いた隙に素早く鍵を外すとすぐに開き、丁度落ちてきた光烏を突き飛ばすことで蔵の中へ放り込んだ。香の皿に当たらなかったことだけを確認してサッと扉を閉じる。

 室倉の知覚を通して、早速蔵の中から阿鼻叫喚が聞こえてきた。妖魔を害虫とするなら光烏は殺虫剤だ。一緒くたに保管されて嬉しいはずがない。香の効力で鞘と刀袋の封印の力が強まり、光烏が抑え込まれるにしてもだ。

「すまん! あとでちゃんと整理に来るから!」

 扉の外から手を合わせて詫び、蔵を離れた。自分の未熟を理解している塀二にとって光烏はできるなら触れたくない呪具の一つになった。


 とりあえずひと仕事終えたことにしてフウと息を吐き、見上げれば空は晴れて澄み渡っていた。この分なら昼頃には日光が残った雪を溶かしてしまうだろう。間違いなく悪夢は終わったのだという実感が湧いて清々しい気持ちになる。

(しっかし、夕べはしんどかったよなあ)

 妖部から立て続けに依霊と戦い、そしてまた妖部――それも天狗。生き延びたことだけに注目すれば奇跡的だが、実際は框に助けられ、ノーニャの手を借り、大事なところで気を失った。反省点しか思い浮かばない。

(……父さんなら、もっとうまくやれたんだろうな)

 落ち込みつつ家に戻り、開け放しの玄関をくぐると台所に立つ框とノーニャの背中が見えた。

 立ち聞きしようというつもりはなかったが、ふたりがどういう会話をするのかが気になり、框が用意しておいてくれたらしい床に置かれたタオルで足の裏を拭きながら声はかけずそっと見守ることにした。

「そんじゃあお豆腐とって」

「オウ! トーフ。これは豆デス」

「そうそう。よく知ってるね」

「ペンパルがジャパニーズ。イエー」

 昼食の支度をノーニャが手伝っているようだが、普段框ひとりのほうが手早くこなせることを塀二は知っている。どうやら好奇心に付き合ってやっていると思われた。

「ウップ、その塊の正体や如何に?」

「じゃあヒント、名前は味噌」

「知ってるデス。これは豆デス」

「そうそう」

「ミソー、トーフ、ソイソース、ナットー? この国の方は豆に呪われるデス。オウ! 混ぜるとは! 電柱でござる!」

「うるさい。こういう文化なの」

「フーム? 文化なら仕方ないデス。食べ物のバランスが乱れるせいでヘソが曲がったかと、『ローバシーン』デス」

「なに言ってんの?」

「さっき聞いてますた。出歯亀デス。グッズ守りの方とお礼要る要らないのくだり」

 塀二は裸足のまま念を入れて下がり、玄関から出て戸の影に身を潜めた。ここからは言い逃れできない完全な立ち聞きだ。

「何が言いたいのサ」

 直視して思念を読まなくとも框が苛立ち始めたのは声を聞けばわかった。外国人の気質か、ノーニャに遠慮は現れない。

「何かしてほしかったら口を使うデス。ウォントオアナッシング。求めよ更に訴えたり。そうしないとわからない。あのサー・ドンファンは」

「鈍感? そんなこと言ったらあいつ怒るよ。『俺は見抜いてナンボの室倉だー』って」

「アッオーウ、その聞き間違えはあながちデス。フーム」

 話の流れまではよくわからないが、どうやら框が要求を隠していたらしいことは掴めた。

(ならここで聞いといて叶えてやれば、あいつきっと喜ぶぞ)

 塀二は想像して一人ほくそ笑む。

 その間にも台所での会話は続いていた。

「ねえ、その『グッズ守り』ってなんなの?」

「聞き及んでおりますデス。『遥か東のグッズ守り。見えぬを見、聞けぬを聞きて数多の怪しきを操りてかたち無きを滅ぼしかたち無きを助く』。このくらい常識デース」

「わけわかんないけど、それいいね。『蔵守り』って響き好きじゃなかったんだ。なんか暗いでしょ。く~ら~も~り~って感じで」

「言い方デスがなー。しかして、アナタが本当はして欲しいお礼て何デス?」

「あ、戻んのね。話変えようと思ったのにサ」

 都合のいい展開になった。塀二は台所へ向けて体を傾ける。

「内緒にするから聞きたいデス」

「ま、あいつは蔵に行ったら当分戻らないからいいけどサ。でも別に欲しい物はないんだ」

「さすればして欲しいことなどデス」

「それならあるよ」

 物陰から真剣に澄ませた塀二の耳に、聞きたくはなかった言葉が飛び込んできた。

「長生きしてほしい」

「アーオ、それは……」

 基本的に頑健で長命が多い妖部の中にあって、室倉家は呪具を管理する都合上命を蝕まれる宿命にある。短命は避けられない。

「わかってるっての、無理だってことはサ!」

 皿の砕ける音を聞いて、塀二は顔をしかめる。

「でも仕方ないなんて納得できるもんか。なんであいつだけ苦労して、早く死ななきゃなんないのサ? あんただって――逃げ出したくせに!」

 ノーニャが自分の役割を放棄したことは短絡的に攻撃できることではない。人を狂わせるだけの悪意をその身に宿し、それでも笑っていられる彼女の強さは驚嘆に値する。だがそれを框に理解させようというのも無茶だ。

「あんた普通より長く生きられるんなら、あいつと代わってよ! お願いだから……」

「それは……無理デス。グッズ守りの眼が――」

「あんたもあいつを見殺しにするっての?」

 それ以上聞いていられなくなり、塀二は庭へ戻った。明らかに言い過ぎている框の興奮を嗜めるべきとわかってはいても、あの感情の前に出て行くことがどうしてもできなかった。目で見るより、耳で聞くより、塀二には伝わってしまう。怒りの声を上げる框を包む感情の色は赤くはなかった。

(……うまくやれないなあ)

 室倉家に当主と跡継ぎしか住まない理由は呪いだけではないことを悟った。誰かを傷つけ、術士である室倉もグラついた心では任務をこなせない。

 他は戸締りがしてあり玄関は通れないとなると家に入れなかった。縁側の踏み石の上で屈んで丸くなって、框の心境について考えた。

 何もわかってい無さそうな框がきちんと理解していることに驚きがあった。すべてわかった上で、不満を表に出さずじっと我慢していたらしい。色々と不満に思っていることは知っているつもりでも、あれほど取り乱すまでとは考えていなかった。

(やっぱり、突き放さなきゃいけなかったんだ)

 こうなったのも関係が深くなっているせいだ。常に人が死に続ける地球上で、いくら框がお人好しでも全ての命を同じ深刻さでは想わない。闇渡のことさえなければ縁を切るべきなのだろう。だが実際にそれができるだろうかと、塀二は悩んだ。

 ――寂しい――

 そんなつまらない欲望がまだあることに自己嫌悪を感じながら髪を掻き毟る。框を不幸にするか、自分が何もかも投げ出して呪具が世界の何もかもを犠牲にするのを黙って見ているか。どちらも選択できない。

「おい、お前の女がヒステリー起こしてるぞ」

 真後ろ、廊下のガラス戸を開けて行護に声をかけられた。風呂上りの湿った肌を隠す物は腰に巻かれたタオル一枚だ。敷地に塀が無く表から丸見えであったなら、見事に発達した筋肉に見惚れられるか通報されるかの二択だったろう。

「おい、無視すんなよ。てめえ昨日から調子乗ってねえか? まさか室倉が滝箕祢に勝ったと思ってるんじゃないだろうな。ええ?」

「イテテ! 無いです無いです! 『我ら室倉が忠義過日盟約のままなる也』! 伸びる伸びる背が伸びる!」

 頭を掴んで持ち上げられ、あまりの痛みに暴れながら掌を見せる。

「よし、上下関係を忘れるなよ」

 古代、国内で妖部と妖怪が二つに別れて争ったことがある。その一方の頭目であったのが滝箕祢だ。室倉家は彼らと敵対したわけではないが、軍団としてまとめ上げる際に屈服させられている。

 以来両家の力関係は当代まで変化していない。代替わりの度に滝箕祢家当主が室倉家当主を殴りに来るという迷惑な儀式まで残っている。父を失ったばかりの頃に先代滝箕祢からそれを聞かされるなり殴られた塀二も内心恨んでいた。

「上下関係って言ったって、今じゃまとめて地球守り傘下じゃないか。絶滅危惧種同士で意地張り合ってどうするってんだ」

 かつては争うほど賑わっていた妖部のほとんどが現存していない。地球守り敵対派の依霊に徹底して狙われたからだ。妖怪もほとんどが瘴気に汚染され室倉を始めとする術士に封じられるか他の妖部や依霊に消されるといった運命を辿っている。精霊に関してはもっと悪く、自然環境や意思エネルギーの質の変化によって全滅してしまった。

「何か言ったか? 焦がすぞ」

 滝箕祢一族は妖部の中でも飛び抜けた身体能力の他、雷を操る能力を持っている。呪具を操る隙さえ無く丸焦げにされることをわかっている塀二は逆らわない。

「いえ、風呂上りで天然由来の桃の香りがして気持ち悪いなって。室倉は鼻が利くんですから、勘弁してくださいよ」

「お前があんなかわいいボディソープを置いてるのが悪い。それより服を貸せ。一張羅をお前の女に洗濯された」

「どっちみち臭かったですもんね」

 蹴飛ばされて廊下を進み、納戸に移動する。途中台所の近くを通ったが、框はとりあえず落ち着いたようで静かだった。

 服を取りに入った納戸は框が自室にしているので廊下に行護を待たせ中を確認する。布団は隅できちんと畳まれていて、箪笥の表にとても見覚えのある女子用の制服がかけてあった。確かに框はここで寝起きし、登校の支度をしているようだ。

 そのことを考えるのはあとにして行護の着替えを探す。あの体格に見合う服があるはずがないので、仕方なく浴衣を選んだ。着物ならどうにかなるだろう。

「これをどうぞ。父のですけど」

「なら形見か? さすがに気が引けるな」

「この家に形見じゃないものなんて消耗品くらいですから」

 それも父親だけでは済まされない。短命だけあって短いサイクルで次々と受け継がれてきたものばかりだ。

「それもそうだな」

 戦士の家系である滝美祢家も事情は似たようなものなのでこれといった反応はなく袖を通す。限りなくギリギリのレベルでどうにかなった。褌があったのを思い出したのでそれも貸す。これでどうにか逮捕はされずに済むだろう。真冬に浴衣一枚というのは異様だが本人は平気そうだった。

「それじゃあ帰る。邪魔したな」

 宣言は唐突という訳でもなかった。滝美祢が常に戦場の最前線に身を置く家系である以上、用が済めばまた戦地に赴くだけ。

「あのふたりは……どうする気なんですか」

 框とノーニャは行護にとって排除対象のはずだった。少なくともノーニャに関しては地球守りへの報告義務がある。

 行護は半身で塀二を振り返った。波が無く思念を読めない。視線は冷たいように感じた。見下ろされているせいであれと願う。

「お前の自由にしろ、室倉。あいつら以上に危険な呪具を幾つも管理してるお前が、あいつらは管理下にあると言ったんだ。なら任せる。そういうもんだろ? 役割ってやつは。このオレと渡り合ったお前を信用する」

「は……はい!」

 返事が遅れ、その間に行護は玄関へさっさと移動していた。遅れてあとを追うと框と小声で何か話しているのを竹格子の間に見た。何を話しているかは気になるものの、框と絡むのは腰が引けた。とは言え気になるのでできるだけ自然な素振りで近付いていくと、聞こえるより先に話が済んでしまう。

「それじゃあな」

 短い言葉と一緒に、行護はまた旅立っていった。心配になるほどの薄着で浴衣にブーツという怪しい出で立ちもまるで気にならないらしい。常識外で生きているだけはある。

「あ、仕事終わったんだ。早かったね」

 框の表情が明るい。行護が喜ばせる話をしたのかもしれないが、あの戦闘馬鹿が気の利いたことを言えるとは考えられなかった。

「……なんの話をしてたんだ?」

「昨日はごめんなさいって。だから許してやった」

 言うわけがない。

 どうやら知られると都合が悪いニュースのようだ。今すぐ行護を追いかけて聞き出そうと思ったら、考えを読まれたらしく靴を履く前に肘を掴まれた。

「さ、お昼ご飯にするよ。たくさん食べそうなやつが出て行ってよかった」

 言いながら玄関の壁に逆さに立ててあった箒を片付けるところは見なかったことにした。


 居間では食事の準備ができていた。コイル式の電熱器の上で土鍋がぐらぐらと煮立っている。

「昼飯じゃなかったのか。晩ご飯だろこれ」

「うっさい。急に人数増えたんだから仕方ないでしょ。鍋は出汁さえしっかりしてればあとはいい加減でいいから楽なの。病人にも優しいし」

「俺はちょっと疲れてただけで、別に病人じゃないぞ」

「あんたじゃなくてそっち」

 框の指はノーニャを向いた。吹き上げる湯気も構わず鍋に顔を近づけてはしゃいでいるところだ。こちらもすっかり元気になっている。

「ご両人、どなたが鍋奉行で? 大岡砂漠デス」

「あれが病人に見えるか?」

「え、だって全身にこう……」

 どうやらノーニャの肌にある刺青型の文様のことを言っているらしい。やはり色々なことがわかっていない。

「お前にとっちゃ病気も呪いも同じようなもんなんだろな。まあいいさ。どうせあれは今日中に治るから。いいから食おうぜ」

 ハテナ顔の框を隣に、鍋を囲む。

 ノーニャを早く安心させる為にも今日の計画を先に話しておくつもりでいたが、どうやらその気遣いは必要なさそうだった。鍋の具を小皿に取り分けられるのを眼を輝かせて見ている。

「お前、えらく楽しそうだな」

「オフコース! これぞジャパニーズファミリースタイル、〝団欒〟デス!」

 塀二は、行護を追いかけて連れ戻しておけばよかったと後悔に捕らわれた。いささか過剰ではあっても体の大きな彼が食卓に加わっていれば、そこに別の人間を投影することもできたに違いない。



 町の商店通り。普段であれば賑わいを見せ始める昼時だが、今日に限ってはシャッターを降ろして臨時休業ばかりになっている。まだ営業できるほどには回復していないのだろう。なんにしても人目が無いことは好都合だ。

 塀二は路地裏に立ちノーニャと対峙した。

 ノーニャを取り巻いている瘴気を処理すると同時に町内に半永久的な平和を生み出す。それくらい大それたことを言ってしまいたい意気込みで、塀二はことに望んでいた。

「いいか、今からやることを簡単に説明する」

「アイアイ、なんなりと」

 季節のせいだけではない長袖とフードが不必要になる時はもうすぐだ。

「お前の瘴気を使って塚を作る。この町と龍脈を繋ぐんだ」

 龍脈とは地中を走る意思エネルギーの血管のようなものだ。意思エネルギーが循環し地球のあらゆる所を巡っている。地球意思のエネルギー源、或いは本体とも言える。

「シャーマンの言葉はムツカシイでよくわからないデス」

「お前の使い魔をバラバラに封印してパワースポットを作るんだよ」

 妖魔や妖怪の類の力の影響を結界の要として魔除けに用いる前例は多いが、塀二がしようとしていることはその発展型のような術式だ。ノーニャが持つ莫大な瘴気で龍脈とパイプを作り、周囲に生じる瘴気を吸い込んでは龍脈へと押し流す仕組みを作る。雨が地面に染み込んでいくように、放っておいても自然とそうなるシステムを強制的に高回転させる試み。要は排水をきちんと整備して、水はけをよくしようという計画だ。

 龍脈が瘴気に汚染されたせいで地球意思が沈黙したと信じている敵対派が聞けば卒倒するに違いない。しかし龍脈には自浄作用があり、瘴気がそれを上回るというような事態には今のところ到っていない。

「お前のおかげでこの町は守られる。お前の苦しみは無駄じゃなかったんだ」

 涙は見なかったことにする。自分の都合で彼女を利用する自分が、それを見て何かを思うことさえ憚られることのような気がした。

「イエス。……ありがとうございます」

 ノーニャはこの国の作法に則り深々と頭を下げた。ふたつの視線は下と横で重ならない。

「お前が一方的に感謝する道理はないよ」

「アナタは誰もしてくれなかったことをするデス。今感謝できないなら私はもう何も感謝できないデス。それに――」

「いいから、もう始めるぞ」

 それ以上聞いているのが照れくさくなり、塀二は妙禁毛を構えた。

 吐いた息が溶け、染み渡っていくように周囲へ神経を張り巡らせる。己の中で集中を一点、極限まで高める。

 この為に框は置いてきた。闇渡にとって不利な展開だからだ。町の瘴気を龍脈が処理するようになれば害思徒が生まれることはもうなくなり、自由を手に入れる機会を失うことになる。この場にいられたらどんな妨害があったかわからない。

「かなり痛いだろうけど、辛抱してくれ」

 指を組んだ祈りのポーズで静止するノーニャに向かって、筆を振り上げる。

「二枚六面八点注一! 〝かぎりかいえかたむかたむ〟」

 続けざまに四字刻む。左腕が自分の意思とは無関係に跳ね上がって驚くノーニャの表情が次に変化するのを感じ取り、塀二はつい目を逸らしかけた。身勝手だが、見ていたいとは思わない。

「いぎゃ――」

 腫瘍を無理矢理に引きちぎるようなものだから、当然気が狂うほどの激痛を伴う。


 ノーニャはよく耐えた。腕を圧搾機かシュレッダーに突っ込んだに等しい痛みに、体全体を引き絞って悲鳴を堪えている。

 分離した瘴気が地面の中に吸い込まれて封印塚として安定するまでしっかりと様子を見届けると、塀二はしゃがみ込んで息を整えているノーニャに歩み寄って話しかけた。

「よく頑張ったな」

 塀二を見上げるノーニャの顔は脂汗にまみれ、ほんの数分でやつれてしまったように見えた。それでも左腕を見て忌まわしい文様が無くなっているのを確認すると、急に元気を取り戻し飛び上がって喜び始める。

「私の腕、私の白魚デス!」

 長年自分を苦しめていたものが取り払われたのだから感激も並々ならないものがあるだろう。これで永劫救われる。そう勘違いしていそうだ。かわいそうに。

「鏡があったらかたじけない! 顔を見たいデス!」

 大はしゃぎするノーニャに、真実を告げることは心苦しかった。

「すまん。今のをあと七回やる。使い魔の数だけ繰り返す」

 味わった痛みを思い出したのか、半面に刺青を残した顔で絶望的な表情をするノーニャを見て、助けているはずがなぜか苦しめているような気分になった。間違いなくそうなのだが。

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