横恋慕は洒落にならないマッチポンプを呼ぶ7

「うわぁ、綺麗だなあ……。すげえ、なんてキメ細かさなんだ」

 塀二が思う存分撫で回していると、猫美がモジモジする。もちろん触っているのは猫美の肌などではなく、八百屋お七が封印されていた鐘に施された結界の痕跡だ。

「封印の発動はもちろん、エネルギー源の瘴気が枯れた場合でもおかしな暴発をしないようにもの凄く丁寧に術式が編まれてる。強引なところがひとつもない」

 鐘の内側をペタペタと撫でながらウットリと表情を蕩けさせる。

 寺へ移動する道すがら地球守りや室倉家について説明し、到着してからはすっかり目的を忘れて鐘に夢中になっていた。

 一通り堪能して満足したところで、鐘の外から懐中電灯で塀二の手元を照らしていた猫美に複雑な顔で見つめられていたことに気が付く。

「なんか室倉くんって変態っぽい。普段框とどんな変態プレイしてるの?」

「いやいや! 変態じゃないプレイもしてねえからな? っていうか、アレコレ事情聞いたあとで最初に言うことがそれかよ」

 さすがあの框の親友だ、と納得できる。

「そりゃまあ、室倉くんが他の男子と『なんか違うな』っていうのはわかってたから」

 だから好きになったんだし、という小声は聞き流した。

「でも室倉くんが辛い目に遭って、今も大変な境遇にいることを『かわいそう』って同情して泣くのは違う。私はそんなことがしたいんじゃない。私はそんな安い涙を室倉くんとの繋がりにしたくない」

 つくづく、框の親友だけはあった。

 自分のせいで父親を失って嘆き苦しむ幼い塀二に「そんな生き方は間違っている」と厳しく立ち上がらせたのが框だ。優しさだけで甘やかしてきたわけではなかった。

「ならお前はどうしたいんだ? 依霊を任せる以上、聞いておきたい」

「室倉くんと同じ立場にいたい。框にこれ以上負けてられないから」

 どう考えても一般人を巻き込むのは間違いっている。だがこの期に及んでは問答は無用だ。父親と同じ道を選ぶことに迷いはもう無い。

「わかった。それじゃあ――軒下猫美!」

「は、ハイ!」

 ピンと背筋を伸ばすのを見て笑いを噛み殺し、儀式に必要な説明を始める。

「室倉の名において、お前の体を媒体に依霊八百屋お七を封じる。それでお前は框と同じ境界線上の存在になる。本当にそれでいいんだな?」

 まず猫美が頷くのを確認してから、少し見上げた。そこに八百屋お七が浮いている。不満げな顔つきに苦笑しつつ話しかけた。

「今は『殺されるよりはマシ』くらいの認識で構わない。でもいつかは本当の共存を望むようになってくれたらいいと思っている。その道を、こいつから学んでくれ」

 それが嫌ならこの場で滅する、と視線で脅しをかけると、意思エネルギーらしく敏感に思念を察したようで身を震わせ不承不承頭を下げた。

『世話になるのが室倉なら、まだ納得できるよ。でもまだ諦めちゃいないからね。アタイが出て来られたのはこの子の想いがあったからなんだ。なんとしても縁を取り持たなきゃ、女が廃るってもんだよ』

「室倉に精神汚染は効かねえ。無駄だ、無駄」

『そういうこと言い出すあたりアンタにもかなりの難がありそうなんだけどねえ』

「あ? 俺の術士としての腕に不安ありか? 見てろよ、バッチリ安全快適にお前を封じてやるからな」

 双方の了解を得られたので塀二は猫美に手招きして鐘の内へと招き入れた。

「え、いきなり暗がりに連れ込むの?」

『早速願いが叶っちまうねえ』

「ちょっとシャワー浴びて来るとかダメ?」

 動揺して自分の身体を抱き締める猫美の上で八百屋お七がはしゃぐ。同じ勘違いをする当たり、余程相性が良いようだ。

「何言ってんだ馬鹿共。この鐘の術式を軒下の体に転写して八百屋お七を封じるんだよ。居場所を縛りたいだけだから瘴気も必要ないんでその辺は手を加える」

 現状は安定しているようでも、やはりそのままというわけにはいかない。逆に考えればその程度で見過ごせるほど安定している、とも言える。

「父さんは框の影に闇渡を封じた。でも生憎俺はそこまでできないから、体に結界の印が出来ることになる。軒下、そこも含めて承知できないならこの件は無しにしよう」

「よくわかんないけど、それって、タトゥーみたいな感じになるってこと?」

「そういうことだ。場所は自由に選んでいい」

 これで「やっぱりやめる」となっても仕方ない。責めるべきは猫美の覚悟ではなく自分の力量不足だ。

 塀二がじっと返事を待っていると、しばらく思案顔をしていた猫美はとんでもないことを言い出した。

「じゃあ、おっぱい」

「……はぁ?」

 思わず聞き返したものの、妖部であり夜目が利く塀二の目は猫美の頬に朱が差していることを見通している。聞き違いではないらしい。

「だって事情を知らない人からはタトゥーだと思われちゃうんでしょ? だったら見えるとこにはできないじゃん。だから、おっぱい」

「いやそれでも腹とか背中とか、他にもあるだろ」

「水着でビキニ選べなくなるの困る。あと病院とか」

「ならこの先一生スク水で……医者はもう諦めないか?」

「室倉くんがスク水を好きでお医者さんになってくれるならお腹でいいけど」

「サラッと高度で複雑な要求をするのやめろ!」

 塀二がこれほど動揺するには理由があった。

「あのなあ、術式には写し取るには俺が触ってなきゃいけないんだぞ? つまり、お前が選んだ場所を、俺が触るんだ。それを考えて選んでくれ」

 この手でおっぱいに触れと言うのか。そう抗議するつもりで説明すると、猫美は驚いて丸くした目を細め、にんまりと笑った。

「やっぱりおっぱい」

 明らかに企んでいる顔だ。八百屋お七を預かる、それ以外のことを考えている。

「やだー、暗がりに連れ込んでおっぱい揉まれるなんて、お七さん、これ框になんて報告しよー? 既成事実、わぁーい」

『これは儀式なんだから気にする必要なんてないのさ、ありのまま伝えてやりゃいい』

 踊るようにくねくねと身をよじりながら八百屋お七と手を叩き合わせてはしゃいでいる。早速仲良くやれているようでなによりだ、とは喜べない塀二は混乱していく。

「そこが一番隠しやすいっていう理屈はわかった。でもなんとか他の所にできないか? 尻なら……いやあんまり変わらないか。足の裏だと裸足で座れなくなるな。ああっ、頭皮さえ使えたらなあ」

 女の毛髪には魔力が宿ると言われるそのイメージが実際に意思エネルギーとして働き事実にしている。一度猫美をスキンヘッドにでもしない限り頭皮に術式は施せない。

「おっぱいの谷間にタトゥーとかエロくない? あっ、私に谷間は無かったわ」

『それより一歩先んじることが重要さ。ついでに他の部分も触らせときゃいい』

 きゃいきゃいと騒ぐ女ふたりを前に塀二は首を反らして嘆いた。

「……框には秘密にしてください」


 結局のところ、塀二は猫美が望むままに従うことになった。

「ごめんね? でもホントに誰かに見られるような所じゃ困るの。だってタトゥー入れたなんて思われても言い訳できないわけでしょ? そういうこと話したことも無いからその辺厳しいのかどうかもわからないけど、親を怒らせるのも泣かせるのも嫌だよ私」

 真剣な調子でそう諭されては私心で反論はできない。

「……わかった。始めよう」

 瞼を閉じるとシャツの裾から手を入れ、外気に冷まされぬうちに肌に触れる。あらゆる感想を意識から追い出し、今が正念場と鋭敏に冴えわたる触覚をただただ呪う。

「望みの場所を指示してくれ。その通りに手を動かす」

「ほほう、それはこういうことですか。私のおっぱいは『そこだ』と言われなくちゃ見つけられないと?」

「そんなこと言ってるんじゃないだろ? 俺が自分の意思でまさぐらなくても済むように提案してるんだ」

「ああ、そっか。ごめんね。ちょっとこの問題にはナーバスになるから。それにしてもこの状況でも理性が働くなんて室倉くんって本当に特別なんだね」

 感心した風に鼻を鳴らしたあとで「私に魅力が無いってことか?」と独り言を言い始めたのでぐっと薄い腹を押して手順の進行を催促する。

「もっと上。どっちかな、左にしようかな。……んっ、そこ……」

 背けた顔まで吐息が届く気がしてなんともいたたまれなかった。もう何もかも投げ出して奇声を上げここから飛び出してしまいたい。

「下から支えるみたいに……そう。そこならブラジャーで隠れるはずだから」

 これが室倉の役割なのだと心の内で自分を説き伏せ、同時にクラスメイトの乳を触るのが役割なら室倉とは一体なんなのかと疑問に押し潰されそうになる。

 転写する位置が決まって、空いていた反対の手を鐘の結界へと伸ばす。

「じゃあさっき教えた文言を繰り返せ。一字一句を正しく言うより、心境のほうが大切だ。術としての体裁は俺が整えるから気楽にやっていい」

 この期に及んでは愉快そうに眺めていた八百屋お七も表情を引き締めた変わった。

 猫美が頷く気配のあとで、緊張した声が鐘の内で反響する。

「室倉の名を借りて、汝を従え我に迎える。我の血と肉の他に汝の依るものなく、故に我が意志と声に応えよ。汝は依霊八百屋お七――よろしくっ」

 教わったことを律儀に守ろうとして慣れない言葉に耐えかねたか、最後には砕けた調子になった。パッと手を挙げ宙にいる八百屋お七とハイタッチを交わす。

 先に塀二が言った通り宣誓の文句に正解は無く、この場合はいっそ「仲良くしよう」という想いさえ在ればよかった。呪文はその心持ちへ至るよう言葉を並べるだけのことだ。猫美と八百屋お七は既に充分同調しているので失敗する要素は無かった。

『恋慕と激情の権化、八百屋お七。アンタの命に従うよ。でもグズグズするようならまたアンタの姿を借りるからね』

 ニッコリと笑って、その姿が煙のように消えた。塀二の掌にも手応えが残る。

「……結界の転写に成功した。封印は閉じ込めておく目的の物じゃないからくれぐれも――ってオイ!」

 手を離した塀二が諸注意について述べようとしたところ、猫美は話も聞かずにぺろんとシャツをめくった。当然肌が露わになる。

「なにこれ!? ちょっと室倉くん、私のおっぱいが光ってるんだけど!」

 どうなったのか確認しようとしたのだろうが、想像と大きく違っていたようだ。それは塀二も同じことだった。

「ああ、そういや浄気だもんな。ノーニャと同じ風にはならないか」

 鐘の内を照らすほど明るく光ってはいるものの室倉の知覚は眩んで視界が潰れるということはないので塀二は顔を逸らした。そこへ避難が飛ぶ。

「これタトゥーとかそういう問題じゃないじゃん! 話が違う! これじゃ生活に困るじゃない! 責任取ってよ色々と!」

「あーあー、心配するなって。お前の内にいるのは意思を持つ依霊なんだ。あるじに不都合がないよう調整してくれるさ。なあ?」

 話している間に段々と光が弱まって落ち着いていく。併せて猫美の動転も治まった。

「……よかったぁ。ちょっとテカテカしてるけど、このくらいなら普通にタトゥーかな。……これなんて書いてあるの? 〝火〟? そのまんまだね」

「そのまんまだけど、見ようによっては〝水〟にも見えるように書いておいた。なにせ伝説の放火魔を縛る封印だからな」

「ああ、斜めに見たらそんな感じだね」

「初めは閉じ込められてストレスだろうから、たまに出してやってくれ。っていうか早く乳をしまえ」

 浄気の依霊ならば存在するだけで悪影響ということにはならない。ただし猫美が意図すれば話は別だ。そこを信用できないならそもそも任せなかった。

「貸した呪具も使って、良い関係を気付いてくれ。くれぐれも呑まれるなよ」

 用件は済んだとばかりに外へ出た塀二を、服を整えた猫美が追って捕まえる。

「ちょっと待ってよ! 室倉くん大事なことなかったことにしようとしてない? 私のことはともかく、框の気持ちにはちゃんと向き合ってあげてよ」

 塀二は静かに息を吐き、視線を遠くへ投げたまま答える。

「自分を選ばないなら框を選べって、俺に二択を強制するわけだな」

 掴まれた腕を振り払ってもよかったが、そうはしなかった。

「お前は八百屋お七を取り込んで框と同じ立場に立ったのかもしれない。でも俺とは同じじゃない。俺から見たら依霊その他がバケモノであるように、お前らから見た俺ら妖部も充分バケモノなんだよ。それでもそういう話をするのか?」

「そんなこと関係ない。私は気持ちの話をしてるの」

「確かに、妖部も心は人間だ。……わかった。こういう流れになるんじゃないかと思って、準備・・はしてきたからな。でも俺の決断を伝える前に、軒下の気持ちを改めて聞いておきたい」

 塀二が振り返ると、猫美のほうが慌て始めた。

「ちょっと待って。私の方は心の準備まだかも。さすがに自分が選ばれるなんて思ってないけど、だからこそ覚悟が必要というか」

「ああ、待つよ。なんだったらリハーサルをすりゃいい。俺には聞こえないように――これの中に思いの丈をぶちまけろ」

 そう言って、塀二は上着から巾着袋を取り出し手渡した。

「コレの中に、告白するの?」

 猫美は不思議そうにしながらも、巾着袋に口を合わせる。

「……ごめんな」

 病級呪具、移り気巾着。内部へ発した感情を吸い取る効果を持つ。

 強く同調している猫美が何かのきっかけで八百屋お七を暴走させてしまう可能性はゼロではない。八百屋お七から猫美へではなく、猫美から八百屋お七への悪影響だ。そこでその同調そのものをある程度抑えておく必要があった。その為には猫美の感情そのものをどうにかしなくてはならない。

 血や肉ではなく心を重視するのなら、それをいいように操作する自分は彼女にとってやはりバケモノなのだという確信が塀二の胸に深く刺さった。

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