枠なき心3

 耳喧しい音が乱反射するカラオケボックスの一室。それ以上に酷いクラスメイトの歌でゲラゲラ笑う。害思徒の発生に備えておく必要がなくなったことでできた余暇を利用し、塀二は友人たちと遊びに出ていた。

「あ? なんだそりゃ、どういう意味だ」

 すぐには飲み込めない話を聞かされ顔をしかめると、友人は不快そうに同じ話を繰り返した。

「鴨居と喧嘩してんのかって聞いたんだよ。だってお前、いつもこの時間約束入れてなかったろ。鴨居と晩飯食ってるからじゃなかったのか?」

「そ、そんなわけないだろ、馬鹿を言うのはよしなさい」

「事実はどうか知らんが、学校では公式にそういうことになってるんだよ」

「なんだよ公式って。当事者俺なんですけど」

 そう言いつつも今夜も一緒に食卓を囲んだ。今頃はノーニャと二人留守番をしているはずだ。

「あとお前が外人の女と一緒にいるのを見たって証言も上がってる。公園で仲良くしてたとか、仲良くするホテルで仲良くしてたとか」

「お、一部事実があるな」

 あれからマーガレットは家を出た。どこかに暮らす当てがあるとも思えないが、好きにするよう言っていただけに止めるわけにもいかなかった。

「鴨居から乗り換えんのか? おちんちんの向いている方へ走っていくのかこの鬼畜」

「お前らの中で俺はどんなキャラになってんだよ。別になんでもねえから、ほっとけ」

「それがそういうわけにもいかないんだなあこれが」

 爆音に紛れて壁の受話器が鳴り、別のクラスメイトが取って「今出ます」と答えた。

「あれ、十一時までのプランで入ってたんじゃねえの」

「うちのクラスの女子どもからお前をハブれってお達しが出ててな。孤立させることで鴨居と仲直りさせようって魂胆らしい。いけすかねえけど、協力すれば『掃除用具でチャンバラしてもいい』って交換条件付きで友好条約を締結するに至ったわけだ。ほらこれ念書」

「なんでクラス内で謀略が巡ってるんだよ。それになんだその条件、子供か」

「童心を忘れない俺たちってステキ」

「なあおい、お前らはそうやって権力に屈するのか? 真実を求め手を取り合い勇気を持って暴政に立ち向かわんとする気概はないのか? 昔のお前たちはもっと澄んだ目をしていた。眼差しの曇りを拭い去り気高いあの日の志を取り戻したいとは思わないのか?」

「何言ってんだ。ちゃんと多数決で決まったぞ。民主主義だ」

「うちのクラス女子のほうが多いからな。有志諸君、数の暴力に屈せずもう一度立ち上がろう」

「いや満場一致だったが」

「不参加裁判だ! お前らみんな敵か! 再審を要求する!」

「とにかく最近お前らの雰囲気が悪いせいでクラスの連中は気まずい思いをしてるってわけだ。だから今日はもう帰って、鴨居とメールでもしてろ」

 抗議はまるで取り合ってもらえなかった。カラオケ店の前で一人置いてきぼりにされた塀二はしばらくそのまま立ち尽くしていたが、体が冷えてきたので観念して帰ることにした。

 框と喧嘩をしているつもりはない。だが学校や人前で框と話す機会が減ったのは事実だ。一緒に住んでいると知ったことでおいそれと世間話もできなくなっている。一つ屋根の下生活しているだけにあまりにも共通の話題が多過ぎ、近過ぎるせいだ。どんなことでも話していればうっかり何かこぼれそうで、気をつけているうちに自然とそうなってしまった。学校に知られるとさすがにまずい。

 仕方なく帰り着いた玄関の前でポケットの鍵を探っていると、台所にいて気付いたのか内側から鍵が外れて戸が開いた。顔を覗かせたのはもちろん框だ。

「おかえり」

「あのな、前も言ったが不用意に開けるんじゃねえよ。何がいるかわからないんだぞ」

「結界があるから大丈夫なんでしょ?」

「そういうのが効き辛いタイプの敵もいるんだよ。あと術士とかな。まあ、室倉に弓を引くような術士が現代にいるわけないが。フフン」

「わけわかんない自慢してないでさっさと入りなさいよ、寒いんだからサ」

 居間に進むとノーニャがごろごろしていた。結界生成での痛みも癒えた今でも食っちゃ寝の自堕落な日々を送っている。相変わらずテレビの前が定位置だ。

「だらしないからちゃんと座りなさいっての。あんた、そんなにゴロゴロしてたら太るよ」

妖部ダークブラッドはカロリー消費が高いので太らないデス」

「あんた人前でそんなこと言うと蜂の巣にされるよ」

「それは凄い手品デス。スターファイヤー」

 取り留めのない会話が途切れるのを待って、塀二は咳払いをした。

「ノーニャ、お前そろそろ自分の身の振り方を考えたほうがいいぞ」

「これは異なこと! 貴方がここにいるよう言ったデス」

「ああ、結界なら問題ないみたいだからもうお前は用無しだ。協力に感謝する。それからお前にかかってる術のことだが、この町は瘴気が処理されてるから問題ねえけど、外へ出ればお前の体はまた瘴気を吸収して溜め込むようになるからな」

「オーウ……殺生な。これは詐欺デス」

「俺はお前を何もかもから救ってやるなんて言ったつもりはないぞ。でも安心しろ。意図的に手を加えられない限りまた前と同じレベルで瘴気が蓄積することはない。あれはお前の一族が歴史の中で作り出した武器だからな。いくら長生きでも一代じゃ無理だ。お前がまた同じ苦しみを味わうことはない」

 小細工で誤魔化すことはできても結局のところ宿命からは逃れられないということだろう。

「もう一度、きちんと向き合ってみたらどうだ」

「ウーム」

 ノーニャはそれきり黙って考え込み始めた。

 突き放すような物言いはしたものの塀二にノーニャを追い出すつもりはなかった。ノーニャがそう望むのなら例えどんな障害があろうと受け入れるだろう。框に反対されない限りは。

「オーケイ。私はここを卒業デス。長々とお邪魔をば致しました」

 ノーニャが真面目な顔で正座をして頭を下げるので、塀二と框も同じ礼で応えた。

「所詮私は根無し草デス。恩を着たままおさらばするのを許してやってつかーさい」

「迷惑だなんて思っちゃいない。俺も助けられてるからな。何を選ぼうがお前の人生なんだ、とやかく言わねえよ。引き止めるなんてそれこそ見当違いってもんだろ」

 塀二は納得したうえで頷いた。ノーニャのこれからを考えれば、間違いなく勇気ある決断だろう。声援で見送るべきだ。

「ではご両人、水入らずをしっぽりとお楽しみ下さいデス。しからば」

 新しい日々へ向け立ち上がったノーニャの足を引く手があった。塀二がすがり付いている。

「ちょっと待て。そんなに急ぐことないんじゃないか?」

 忘れていた。ノーニャがいなくなると再び框と二人きりになる。

 以前と同じと言えばそうには違いないが、ここ数日で色々と変化が起きている。

 框の知らない一面を見たこと、時々現れるピンク色の思念がラブホテル前で発情したマーガレットと一致したこと。そのせいで今まで通りに接することができない。クラスメイトが誤解するのも無理はないほど、塀二が一方的にギクシャクしてしまっている。

「放しておくんなさいグズ守りさん、私は行かねばならぬ、行かねばならぬ~」

「恩返しの一つもなく出て行くとはふてえ根性だ。この国には一宿一飯の恩義ってもんがあるのを知らないのか」

「しかしながらフィールドオブパワーが――」

「あれは俺がやったからできたんだろ」

「ムエタイ――オオウ、ご無体な」

「やかましい。とにかく出て行くことは許さん。わかったな!」

 あまりの剣幕に決心を挫かれたノーニャが唖然とする前で、塀二はやり遂げた達成感からぐっと拳を固めた。

(フッ、今日も室倉の知啓に狂いは無い)

 しかし框の様子を横目に盗み見て、握った拳はわなわなと震え誇った顔は崩れた。

 表面的には平然としている框からまたピンク色が立ち上っている。

「くそっ、なんだってんだそれは!」

「なに? あたしの顔に何かついてる?」

 視線は外さずに中腰でそろそろと距離を取る。框の挙動は見る間に怪しくなっていった。急須を傾け湯のみの外へ茶を注ごうとしている。幸い急須は空で中身は出てこない。それでも傾けるものだからとうとう蓋が外れて落ち茶葉がこぼれ出た。

「……鴨居お前、今何を考えてるのか、正直に話せ」

 不思議な力で闇渡に操られている。そういうことももしかするとあるのかもしれない。いつでも逃げ出せるよう、すぐに妙禁毛を抜けるよう、塀二は臨戦態勢のまま視界の中心に正体不明を見据え反応を窺う。

「あんたがその子を引き止めるのってサ……あたしがここにいる理由だからなわけだよね」

 框に親戚の相手をしてもらう。框父にはそういう風に説明してあった。ノーニャがここで暮らしている事実がなくなれば必然框がここに留まる建前も消える。

 そういえばそんな嘘もあった、と思い出しながら塀二が頷くと、框は少しずつ顔を赤くしながら腰を上げた。

「お腹空いてない? 取っといた桃缶開けようか」

「なにその優しさ。いらねえよ腹減ってねえし」

 すぐさま皿に盛られた黄桃が出てきた。たっぷり二缶分はありそうだ。

 炬燵に足を入れフォークでそれをつつきながら、向かいから框に見守られているとまるで毒見役をしているような気になってくる。ノーニャはいつの間にか居間から姿を消していた。早速二人きりで腰が落ち着かない。

 逆に考えれば、框との関係性を変化させる時が来たのかもしれない。密かにずっと、望んでいたように。

「なあ、その、あー……出かけてくる」

 しどろもどろの末、まだ心の準備が足らないらしいことがわかった。

「うん、気をつけてね」

 語尾にハートマークでもついていそうな物言いは、やはり呪いか何かのように思える。



 何かしら展開する時期に差しかかっている、そういうことだろうか。しかし展望が読めず、塀二は頭をかきむしりながら塀二はうめき声を上げた。

 不審な行動から回りにいる人々が距離を取っていく。ここは駅前広場のベンチ。塀二が一人座っていると駅ビルから閉館の案内が聞こえてきた。無情にも帰れと告げられる。

(なんだよ、わからないなら聞けばいいだろ。こんなとこで迷っててなんになるってんだ。寄り道するな、ふざけんな俺!)

 自らを奮い立たせようとしてもうまくいかない。目の前に立つ人物に気がつくのも随分時間がかかった。

「マーガレット、お前なんだそのカッコ」

 だぶだぶのズボン、白塗りの顔。まるで別人の装いだが確かにマーガレットだ。人外である以上扮装しても室倉の知覚の前にもやほどの目隠しにもならない。

「ピエロに転職したのか?」

「ストリートパフォーマーと呼んでいただきたいですね」

 陽気なポーズで唇の周りに塗られた化粧に合わせて口を広げて笑う。たった数日で夜でも実体が弱らないほどに安定していることに加え、人間らしい表情をするようになっている。目覚しい進歩だ。

「お前なりの平和の作り方を見つけたわけだ。やったじゃないか」

「自分の命についての疑いはまだ残っています。ですが、その為に立ち止まることはやめようと思います。手に入るものを求める中で探そうと決心しました」

 塀二はうんうんと頷く。マーガレットの進歩が自分のことのように嬉しかった。

「ミロードは……うまくいかないご様子で」

 マーガレットの視線は塀二が傍らに置いている肩掛けバッグへ注がれた。

 扱い易い呪具を一まとめにしてあるバッグだ。習慣で家を出る時に持ち出したが、今更使う機会があるはずもなく無意味な外出の理由付けに過ぎない。それを見抜かれた。

「ミロードのお傍役は別の方のはずですが……いいでしょう。このひと時、代役に立たせていただきます」

「なに言ってるかわかんねえ。ところでお前どこで寝泊りしてる? 俺行くとこ無いんだ」

「この盲目ぶり。室倉当主に見えないものがあるようでは私の出来も心配になってくるというのは、流石に冗談ですが」

「なんだよそれ」

 笑うマーガレットを見るのが、塀二には嬉しかった。

 意思の集合体であるマーガレットには寿命が無い。だからこの町の守護神として生き続ける。自分が死に、いなくなってからもこの町で、自分が見届けられなかったものを守ってくれる。そう思えばこそ嬉しかった。

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