闇の設定と光の八百長3

 話を終えると闇渡からは「正気か?」と神経を疑われたが、塀二は方針を曲げない。

「大引先輩を巻き込むことになるのはわかってる。でもプルートが今後も社会に解け込んでいけるかを試すにはこれ以上ない人材だと思うから、協力を頼みたい」

 彼女なら事情を説明しなくても勝手に妄想で埋め合わせてくれそう、という期待もある。

「あたしのことは遠ざけたがるくせに、どうしてこの先輩は……」

 塀二は框から溢れる瘴気から目を逸らし、改めてプルートと対面する夢玖を見守った。彼女は彼女が頭の中に思い描いていた架空のキャラクターの前にいる。

 夢玖はフリル付きセーラー服から元の制服へ着替えて、度のキツイ眼鏡の位置を何度も直しつつあんぐり口を開けプルートを凝視している。

「触れ……るんですね」

 そっと白い衣手を添え、目に涙を浮かべる。

 口調もテンションも元通りで安心した。「もうバレたから」と開き直られ闇の素顔のままでいられたら付き合いづらくて仕方がない。

「一時的に俺の能力で触れるようにしてます」

「そう、室倉クンのチカラで……」

 時折感じるムズ痒さだけは我慢するしかないようだった。

「多分時間が経てば誰でも見える・触れる状態になるはずなんで、自分ひとりで生活できるようになるまでの間、大引先輩に面倒を見てもらえたらなと。と言っても食事とかは要らないから社会常識を教えてくれたら充分なんです」

 結界の内でしか存在できないせいで町からは出られず、そして永遠に生きる存在。それはもう町の守護神に成るしかない。

 けれどもそこは使命などではなく、普通の町民と同じように町を大切に思う気持ちであってほしい。マーガレットの時には室倉家の思念が強く影響したせいで思い悩ませてしまった。

 その為に敢えて、今回は一般人に任せたい。

(大引先輩なら大丈夫。術士の素養は第一に〝純真〟であることなんだ)

 思念の強さは心の強さ。人格は放っておけば学校で孤立していたくらい攻撃性から程遠い。二面性があるのも気に入った。尋常と超常を行き来するうえでは有用になる。

(大丈夫……だよな?)

 一抹の不安を残し信頼を託された夢玖はというと、プルートの顔を撫でてボロボロ涙をこぼしていた。

「可愛い……イメージと違う……!」

 よくわからないことで嘆いて泣き崩れてしまった。

「確かに〝死神〟には程遠いですね」

 恰好はともかく、顔だけ見たら「こんなコンビニ店員がいたら通う」とクラスメイト達が言い出す空想が簡単にできるくらい愛嬌がある。死神なのに。浄気で構成されているので室倉の知覚にはやたら神々しく感じられる。死神なのに。

「これじゃあ〝闇の狩人〟を続けられないじゃないですかっ!」

 一体なにをやってたつもりだったのだろうか。学校の怪談になっていることは黙っておこうと塀二は心に決める。

「そんなこと言わないで、プルート頑張りますから! ますたぁ!」

 急にプルートが口を利いたのでギョッとした。と同時に「あちゃあ」と塀二は顔を覆う。

 すかさず、夢玖が地面を叩いた。

「声まで可愛いなんて!」

 指摘されたプルートは慌てて口を押さえた。どうやら喋れなかったわけではなく、敢えて喋らなかったようだ。こうなることがわかっていたのだろう。

「仕様にご不満のようですけど、こいつは大引先輩のイメージでできてるはずなんですよ。心のどこかで『こんな風がいい』とか思ってませんでした?」

「こんな可愛い友達欲しかった!」

「ああ、混ざっちゃったんですね。……そういうわけなんで、お願いできますか?」

 大いに落ち込んでいるところ悪いとは思いながらも塀二が話を進めると、顔を上げた夢玖にキッと睨まれる。

「そういうことなら室倉クンがこの子を匿ったほうがいいじゃないですか!」

「えーと……どういうことです?」

「同居ものですよ同居もの! 確か室倉クン、前に『家庭の事情で独り暮らし』って言ってましたよね? ひとりで暮らす男の子の所に突然やって来る闇系の女の子、っていう展開ですよ!」

 話がおかしな方になってついていけず、塀二は二の句を失う。

 その隣で框が平然と片手を上げた。

「ハイ。そういうの、もういる」

 バカやめろ、と止める暇もない。

「えぇっ? そういえばあなた同棲してるって……幼馴染設定じゃなかったので?」

「幼馴染だけど別にいいじゃん」

「そんな……でも大丈夫! そういうキャスティングは増えるものなので!」

「そういうの、もう増えてる」

「じゃあ……じゃあ私が混ざったっていいじゃないですか!」

「急に何言ってんのこの人」

 框が冷淡に見つめプルートがオロオロする前で、夢玖が頭を振りながら喚き始める。

「だって他にも登場枠はあるんですから! 私は室倉くんよりひとつだけどお姉さんだし、親戚を頼って方言を習ってもいいし、遠い昔に将来を誓い合ったことにしたっていいじゃないですか!」

「え~と……あ~?」

 どう反応していいかわからずしどろもどろになる塀二の頬を、框がつねる。

「そういうの、もう全部いるよねえ?」

「あっ……ハイ」

 いくつか知らないが年上で、方言で話し、生まれる前から子作り計画が用意された相手なら今頃留守番をしてくれている。

「なんですかそれは! 室倉クン、ふざけてます?」

「これでもかなり真剣に生きてます」

「真剣に生きてハーレムができるなら一夫一妻制なんて成り立ちませんよ! なんなんですか、じゃあもうカタコト外国人枠くらいしか――」

「いる」

「あーっ!! ちょっといい加減にしてもらえません?」

「スイマセン!」

 とうとう平手打ちを喰らいつつ、塀二は反論の言葉を飲み込んで謝った。ここで「妹枠が空いてる」というのは失言にしかならないだろうから。


「この子をそんな女の敵に好き放題させるわけにはいきません!」

 我が子を守るかのようにプルートを胸にかき抱く夢玖を疲れた眼で見つめ、塀二はそれだけ情を持ってもらえて幸いと納得することにした。長いため息は隠せない。

「その調子でそいつを育ててやってください。で、早速ですが……今から試練がやってきます」

 校門の方を向くと、そこに人影があった。校庭には相応しく、真冬には相応しくない薄い運動着には「3-2鴨居」のゼッケン。金髪をなびかせノーニャがやって来た。

「やっぱり戦闘が起きれば気付くか。シェーディンシェードで隠れてた俺に気付くくらい、勘の鋭い奴だもんな」

 影に息づく夜を往く者ナイトウォーカー。プルートの姿も間違いなく見えて、敵意を持って睨みかかって来ている。

 ただならぬ様子に夢玖が怯えるのを見て塀二が説明した。

「あいつはそのプルートの先代に思い入れが強いから、今のプルートが先代と違ってしまっていることが許せないと思います。じゃあ、戦ってください」

 あっさりとした物言いに框が激昂した。

「ちょっと、助けないの? ノーニャだって話せばわかってくれる! だってこの子をやっつけたって、マーガレットは戻って来ないんでしょ?」

 やらないなら自分が代わりに、と言わんばかりの勢いだ。

 塀二は厳しい眼差しで見返す。

「プルートを試さなくちゃならないんだ。尋常での適応は大引先輩に任せる。超常での適応を、ノーニャに確かめてもらう。最低限自分と大引先輩を守る力が無いなら、室倉が保護するしかない。お蔵入りだ」

 マーガレットには室倉の意思があり、知恵があった。だがプルートには無い。

(何が足らないかも知っておきたいからな。手助けをするのはそのあとだ)

 夜は浄気の不利に働くプルートと、結界に瘴気を差し出して衰えたノーニャ。比べれば分があるのはやはりノーニャだ。これまでに培った戦闘経験と、妖部の身体能力は軽視できない。

 地面を蹴ったノーニャが一気に間を詰める。一方プルートは反応が遅れた。

「ますたぁ、逃げて!」

 鎌で激突を受け止め校舎にぶつかる寸前で押し留めるも、わずかとはいえ未だ瘴気を帯びているノーニャはプルートにとって接触しているだけで猛毒に等しい。顔が歪んだ。

 この時、塀二は肉薄するふたりではなく夢玖を観察していた。

(さあ、どうする?)

 窮地で他者に縋るようなら超常現象の主には相応しくない。危険に曝された時こそ自力で考えて行動できる度量が必要だ。特別な力が無いのなら尚更。呪具に蝕まれ妖部としての身体能力を封じられている塀二にはそのことをよくわかっていた。

 才能は伸ばせばいい。道具は貸せばいい。しかし困難に立ち向かう時には、自らの意思と力でなければならない。

 夢玖は明らかに及び腰で、突然のことに顔が引きつって青褪めていた。

(こりゃ、ダメかな)

 だが夢玖はわななく唇を噛んで、叫んだ。プルートに向かって。

「負けないで! 絶対勝てるって、信じてるから!」

 それを聞いて塀二は唇を広げてにんまり笑った。

 浄気の存在に対し、「信じる」というのはとてもいい。それだけで充分だった。彼女は主として相応しく、そんな主の為ならばプルートは存分に戦える。

「よし。もういいぞ、ノーニャ」

 彼女にならば任せられると確信した塀二が試練の終了を告げた。

 だが、ノーニャは止まらない。プルートが横へ弾き飛ばされた。

「あれぇ? オイ! もういいって!」

 勝手にプルートの試練に付き合ってくれていると思っていたら、そんなことはなかった。追い打ちを狙ってノーニャが校庭を駆ける。

「可愛いマーガレットの次の子がこんな痛々しい妄想の化身みたいになってるなんて、許せないデス!」

「いやソレお前が言えた義理じゃなくない!?」

「冥府魔道の似姿借りてそのまま常闇へ呑まれるといいデス!」

「お前わざとやってるだろ!」

 プルートがグルンと腕を振ると宙に複数鎌が出現し、回転してノーニャを迎え撃った。しかしこれはいずれもかわされ地面を削る。滑らかに這うような移動に狙いが定まらないが、うまく接近は禁じた。

 何を思ったか、突然ノーニャが塀二たちのいる方へと向きを変えた。次々に繰り出す鎌が追ってくるので巻き添えを避けるべく塀二は反射的に指を振る。結界を張り框や夢玖を守った。

 が、ノーニャは結界を跳び避けて夢玖に組み付き、抵抗する間もなくその唇に吸い付いた。

「うわぁ、そう来たか」

 嫌な記憶を呼び起こされて塀二が顔をしかめる。

 ノーニャの本分、吸血鬼による吸精能力。マウスツーマウスで活力を奪い力を増す。その際能内分泌を操って一時的に恋愛感情を持たせる為、相手は振り解くどころか激しく抱き付くところも含めてあまり見たくない光景だった。

 自分が同じ目にあったことは憶えていないらしい框は赤らんだ顔を覆う。例によって指の間からしっかり見てはいるが。

「んー……まっ!」

 緊急時で弱っていた框の時とは違って、たっぷりと音がしそうなほど熱い接吻を済ませたノーニャはグイと夢玖を押し退けて口元を拭う。

「たらふくいただきますた」

「ガチじゃねえか。そこまでやるかよ」

 しかしこうなってくるとプルートの力の底も見てみたい気がした。主の期待に応えて見えないながらも激闘を演出しようとしていたプルートが一体どこまでやれるものか、それを知りたい。

 ノーニャが飛び出していくと、それを見送った塀二の肘を框が突ついた。

「あんたには何か考えがあるんだろうけどサ。見てて気分が良くないし、そろそろ止めないとあたし怒りたくなってくるんだけど」

 そう語る顔は既に怒っている。非常にマズイ展開だ。このままでは夕飯のおかずが少なくなりかねない。

「いやそのですね、さすがにあいつも消滅させるところまではやらないと思うから、もうちょっと……ダメ?」

「ダメ」

「……すぐに止めます」

 慌てた塀二が争いの方を向くとノーニャとプルートは校庭の中央にいた。手を出すまでもなく、丁度戦闘は停止していた。問題は、ふたりの間に夢玖がいることだった。

 精一杯に腕を広げ、プルートを庇うようにノーニャの前に立っている。

 これには塀二も驚いた。ただしその度胸に対してではない。

(おいおい……ノーニャが吸精したばっかだぞ? 吸血鬼の魅了がまだ効いてるはずなのに、精神力だけで突破したって言うのか)

 術士としてのポテンシャルはそろそろ室倉としても侮るレベルではなくなってきた。

 戸惑っていたノーニャが「どれどれ」という具合に緩い拳を振り上げて見せる。そこに攻撃意思は無いと塀二は読み取っているが、夢玖にとってはそうではない。

 そのはずが、超常の存在であるプルートを凌駕して見せた小さな強敵を前に、夢玖は引かずに涙目で主張する。

「せ……折角できた私の友達を、いじめないで!」

 框に手紙を出して誘うまでも無く、自分の妄想にずっと付き合ってくれていた存在に気付いたことで、そういう解釈に至ったらしい。

 それは塀二が「そうであってほしい」と願った通りの結果で、どうやらノーニャも満足するものだったようだ。

 ニッコリ笑って深々と頭が下がる。

「ワタシの大切な妹の後輩、大切にしてあげてほしいデス」

「えっ……? ああ、ハイ……こちらこそ?」

 礼を返す夢玖から視線を外し振り返った塀二は「な、心配なかっただろ?」と笑い、憮然とする框に睨まれた。

 こうして何もかかっていない戦いの幕は降り、その日の塀二の夕飯のおかずは少し減らされることとなった。



「留守番の借りは返してもらわんと」

 室倉家に戻り夕飯を済ませたあとで、塀二の耳に春日居から恐ろしい一言が届いた。

「……借りって言ってもなあ」

 塀二が警戒しながら框がいるキッチンの方へと目を向けると、スマホの着信音が聞こえて来た。框と連絡先を交換した夢玖がやたらとメッセージを送るからだった。

 似た境遇同士で親交を持つのは自然なことに感じられるが、内容を確認する度に框の表情が曇っていたので夢玖は闇側の人格で交友しようとしているらしい。どうせすぐに框が日常に引き込むだろうと、塀二は楽観している。

 相手をするのが面倒になったようで皿を洗い出す音が聞こえて、しばらくは居間に戻ってこないと判断した塀二は春日居へと首の向きを戻す。

「……春日居の使命のことなら応じるつもりはないぞ。大体、俺が頼んだのは家の留守番じゃなくて、ノーニャの様子見だ。元気に飛び出してたじゃねえか。契約不履行なのに報酬だけ貰おうってのか?」

 ノーニャは学校での蛮行を框にきっちり叱られ、風呂掃除を任されている。とは言ってもそのまま一番風呂に入っているから罰だったのかどうかは曖昧だ。さっきからやたらデカい鼻歌が聴こえてきて非常にうるさい。

「あらあら意地の悪いこと言わはる。妖部を引き留めるなんてこと、春日居にできっこあらしまへん。室倉はんはご存知ですやろ? それにあのあとどうなるかも見抜いてはったんでしょう? なんせ室倉、どすもんなあ」

「……もちろんだ。何もかも見抜いていたぜ」

 含みのある物言いで返され、塀二としては強がるしかなくなった。もしここで「全然わからなかった」「そのせいで大変だった」と訴えれば「室倉当代を務める資格なし」「やれ急げ跡継ぎ」と判断されてしまう。塀二にとってそれは避けたいところだ。

 春日居は視線で塀二を責めるのをやめ、湯呑みへ口をつけた。ひと口含んでゆっくりと飲み下し、息をつく。

「絶滅危惧種の自覚を持ってもらいたいとこやけど……。まあ、春日居の家業のことはしばらく忘れてもらっとってもかましまへん」

「え、そりゃどういう風の吹き回しだ?」

「女子特有の月に一度の風の吹き回しで」

 何かあったのではといぶかしむ塀二が肩透かしを食らうような内容だった。しかも思春期の少年としてはリアクションには困る。

「もの凄いデリカシーの無いことを言ってしまいそうだから、ノーコメントにしておく」

「そら賢明どすなあ。……それよりさっきの、借りの話」

 春日居の家業以外で、何かあるらしい。

「……俺に何を要求するつもりだよ。大体のことなら地球守りが叶えてくれるだろ?」

 国内の妖部が次の代を残すには春日居一族が頼りになっているので、それなりの好待遇を確約されている。出産後には余程無茶な人生設計でなければ実現してもらえるはずだ。

 それでも室倉に何かをさせたいというのなら、一番は呪具が目当てということになる。もしも本当にそうなら春日居は裏切り者だ。

 緊張しながら要求を聞くと、それはまたも肩透かしだった。


「はぁ? 本当にそれが頼み事か? あんたにどんな得があるんだ」

「見てる側の身ぃにもなってくれる? 今のまんまやったらおいしいご飯もロクに味わえやしまへん」

「嘘つけ、キレイにたいらげてたろ」

「ええから、もちろん叶えてくれますやろ?」

「よくわかんねえ奴だなあ……」

 体の調子が理由で春日居の使命を果たせないにしても、その頼み事は寄り道の域を外れている。暇潰しとしても意味があるようには思えない。

「できんのやったらええけど」

「別にぃー? できるけど?」

「ほんなら早速やってもらおうやないの」

 タイミング良く、框が急須に湯を足しに来た。向かいで春日居が「ほら」と顔で催促するのを疎まし気に見つめ返してから、塀二はこたつから足を抜いて框へ体ごと向き合う。

「えーとだな……イテテ……」

 急に体を動かしたせいで脇腹が痛んだ。臨戦している時は興奮しているからか気にならなくても、こうして油断しているとまだ支障がある。

「ちょっと大丈夫? だからベッドで寝てろってのに……。春日居さんと話があるなら用件はあたしが聞いて、危なくなさそうなやつだけ伝えに行くから」

「情報を制限する気満々の奴を伝言係にできるかよ。ああ……そうじゃなくってな」

「何よ?」

「いつもありがとうな……框」

 様子を窺いながら問いかけるように、名前を呼んだ。彼の口から聞いた、初めての響きに框が目を見張る。

 その顔があまりに険しかったので塀二は怯えた。

「違うって! こいつが悪いんです! なんかこいつが『名前で呼んであげなさい』とか言うから!」

 指差し抗議しても、春日居は湯呑みを回しまだ熱い茶を冷まして平然としている。

「だって不自然やろ? 何年も一緒に生活してる間柄で、未だに名前も呼ばへんなんて。ほとんど夫婦やのに」

「馬鹿野郎。俺たちが陰でどんだけイチャついてるかを知らないだろう」

「へえ、そうなん? ヘタレなんかと思うてたわ」

「ナメるなよ。俺はこいつにちんちんを見られたことがある――ぐへぇ」

 硬直から解けた框に突き飛ばされ、塀二が畳の上を滑る。

「イチャついてなんかちっともしてくれないじゃん! ちんちんはあんたが勝手に見せたのに! ちん――」

 自分の発言で赤面する框を見上げ、塀二は例のピンク色の思念を読み取る。

(うわぁ、また発情してるぅ……。困るぅ……)

 身近な人間の性欲という問題ほど扱いが苦しいものはない。

「ほんなら、名前で呼び返してあげんと。ねえ?」

 春日居に促され、框が塀二を見る。塀二は鼻で笑った。

「あのなあ、俺はあんたに借りがあるけど、こいつはないんだ。言うことを聞く理由なんて――」

「塀二」

「えぇぇ? なんで?」

 戸惑いながらも、塀二は自分が目の前の框と同じように顔が赤くなっていることを熱で感じた。

「なんや、初々しいこと。やっぱり予想通りヘタレやないの」

 呆れ調子の春日居がミカンの皮を剥いて口へ放りると、「次の方どうぞー」と湯上りのノーニャが居間へと戻って来た。

 世界の暗転よりもまずうちの中での変化に対応し切れていない。そう嘆く塀二だった。

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