第36話 かくして約束は交わされた⑤
――ゴウッ!
ガランの右の剛拳が空を切る。わずかにかすった冬馬の髪の毛先が弾け飛んだ。
そして、息つく間もなく今度は左ストレートが襲い来る!
冬馬は左前に大きく踏み込み、左拳を回避した。――と、同時にガランの伸びきった左腕の手首から右肩までを水平に裂くように《崩竜》の弾幕で薙ぎ払った。
蒼い血しぶきが宙に舞う――が、それはすぐに止まった。
(――血が、止まった?)
冬馬は一瞬だけ眉根を寄せた。そしてハッとする。
気付けばガランの左腕はくの字に曲がって、グググッと大きくのけ反っていた。
それを見た冬馬は、咄嗟に一か八かの賭けに出る。
身体を横に向け大きく跳躍。ガランの左腕の内側に両足をトンッと乗せる。
途端、凄まじい加速が冬馬を襲った。
少年の身体がまるでロケットのように撃ち出される。
十メートル近くも吹き飛ばされた冬馬だったが、それでもどうにか空中で体勢を立て直し、ズザザッと両足で着地した。
ふうと安堵の息をつき、そして、遠く離れたガランを睨みつけた。
――正直、今のは危なかった。
ガランはあの瞬間、傷ついた左腕でラリアットを敢行したのだ。
何とか左腕が動き出す前に足を乗せることで激突だけは回避できたが、まさか、腕力だけでここまで飛ばされるとは……。
(まさに怪物だな……。そもそもこいつは、どんだけ穴を開ければ死ぬんだよ)
全身から蒼い血を流しながらも、まるで衰える気配のない怪物――。
もしかしたら、この悪魔は不死身ではないのか、と嫌でも考えてしまう。
(弾数もあと四分の一もない……。十メートルあるこの距離も、あの怪物にとってはないに等しい……。どうする、ここままだと――)
と、思った時だった。
「冬馬ッ!」
「ッ!」
突然思考に割り込んだその声に、冬馬はギョッとした。
ガランの姿を視界の端に収めつつ、わずかに視線をずらすと、
(――ゆ、雪姫ッ!)
最も大切な少女が戦場にいた。それも冬馬から三メートルぐらいしか離れていない。位置的に見れば、冬馬よりもガランに近いぐらいだ。
(な、なんで雪姫がこんな近くにいるんだ!?)
手に《十握》を持っているということは、まさか加勢に来たのだろうか――。
思わず「下がれ!」と怒鳴りつけそうになったが、冬馬は不意に目を細める。
雪姫の淡い桜色の唇が、何かを伝えるように動き出したのだ。
冬馬は眉をひそめる。恐らくガランに悟られないための読唇術だろう。教師の前でひそひそ話を続けていたらいつしか身についた技術だ。
まさか、こんな場面で使うとは思ってもいなかったが……。
(――なんだってッ!)
冬馬は雪姫達の作戦の概要を知った。なるほど。それならば
冬馬は作戦の有用性を理解すると、すぐさま雪姫に「了解」と読唇術で返し、
「雪姫! 何をしている! 邪魔だ、離れていろ!」
と、ガランを惑わすために、表向きの怒声を上げる。
「ごめん冬馬! いま離れる!」
雪姫もまた、表向きの言葉を返して急ぎ離れていった。
冬馬はそれを見届け、不敵に笑う。
(はは、ったく、俺の姫と巫女ときたら……)
そして、ガランに二丁の銃口を向け、
「――いくぞッ! ガラン=アンドルーズ!」
《咬竜》と《崩竜》が、全力の咆哮を上げた。
(一体、どういうつもりです……? ヤツルギトウマ)
唐突な猛攻に、ガランは困惑していた。
なにせ、これまで弾数を抑えて戦っていた少年が、今は残弾を気にもせず弾幕を張っているのだ。訝しむのも当然だった。
両腕で頭部を強固に守りつつ、全身の筋肉を硬直させて弾幕に耐えるガランはひたすら考え続ける。
(……何かの策? 例えば、先程の少女と共謀して――いや、彼女との会話は「離れろ」の一点のみ。何かしらの策を伝えたとは考えづらい……)
と、そうこうしている内に、少年は少しずつ間合いを広げていた。
(……間合いを取るため? いや、たかが十数メートル程度の距離を稼いだところで意味はない。そんなこと、彼ならば当然気付くはず……)
一向に答えが出ない状況に、ガランは静かに歯を軋ませる。
が、いずれにせよ、じき弾幕は途切れるはず。
待ち望んだ時がようやく訪れるのだ。
ガランとしては、やるべきことは何も変わらない。
弾丸切れと同時に間合いを詰めて猛攻で押し潰す。ただそれだけだ。
(……ならば、今はその時を待ち、耐えましょうか)
そして、いよいよその時がやってくる。
最初に鳴き止んだのは短機関銃――《崩竜》だった。
冬馬は《崩竜》を投げ捨て、自動拳銃――《咬竜》のみで連射を続けるが……。
――カチッカチッ。
すぐに《咬竜》もすべての弾丸を吐き出した。
(勝機ッ!)
防御態勢を解いたガランは冬馬を睨みつける。
その距離は約十三メートル。自分ならば一秒とかからない距離だ。
ガランはニヤリと笑い、両足に力を込めて――。
「させません!」
その可憐とも呼べる声に背筋が凍りつく。
目を見開いて右に振り向くと、五十メートルほど離れた位置に、この戦いの本来の目的である《銀の魔女》が立っていた。
その両手には、あの忌まわしい白銀の銃が握られている。
(《魔女》か! チイィ! あの銃まだ使えたとは!)
ガランは素早く状況を分析する。
まず少年――口惜しいが、今は放置するしかない。
次に少女――真直ぐ突撃する……ダメだ。距離が遠すぎる。
(くッ、ここは回避しかない! あの少女が構える銃口の位置からすると……)
少女の銃口は少し左側に寄っていた。
恐らく右回りの掃射をするつもりなのだろう。
ならば、回避するためには同じ右回り――すなわち自分の後方へ逃げるのがベストだ。
刹那にそこまで判断したガランは、すぐさま身を翻し全力で地を蹴った。
その直後、
――ガラララララララ!
明らかに今までと違う音が轟く。
(なんだとッ!)
ガランは驚愕に息を呑んだ。
今のは銃声ではない。ただ銃身が回転しただけの音だ。
やはりあの銃はすでに壊れていたのだ。――ただのブラフか!
完全に嵌められたと悔やむガラン。
しかし、彼が本当に驚くのはここからだった。
『なッ!』
思わずガランは目を疑った。
彼の目の前――。約三十メートル先に一人の少女が待ち構えていたのだ。
しかも、その黒髪の少女が手に持つものは――。
『銃ッ! 新たな銃だと!』
黒髪の少女――雪姫が構えていたのは一丁の
(――しまった! この少女、まさか、三人目の使い手だったのか!)
このタイミングで現れる以上、そうとしか考えられない。
ガランは両足の蹄で制止をかけるが、アスファルトを削るだけですぐには止まれない。クッと舌打ちし、せめてもと頭部を両腕で守ろうとするが、それさえも間に合わず――。
「ようこそ、ガランさん」
雪姫はそう告げると、ガシャコンと弾を込め、
――ドパンッ!
ガランの眉間を狙って発砲する!
瞬間、ガランは死を覚悟したが、訪れたのは激痛ではなく――眩いほどの輝きだった。
『――ッ!? ぐわああああああッ!?』
突然の閃光に両目を灼かれたガランは、身体を大きく捩じり呻き声を上げる。
閃光弾……? いや違う。これは――自動障壁の発光か!
そこに至ってガランは悟った。
――また嵌められた。この少女は三人目などではなかったのだ!
(おのれ! 最初から私の目眩ましが目的だったのか! クウッ、まずい! このままでは――)
と、焦りを抱いたその時、
「……この銃の銘は《
最も聞きたくなかった声が、ガランの耳に届いた。
声を頼りに振り向くと、うっすらとだが、少年らしき姿が確認できた。
「ベースとなったのはM六〇機関銃。毎分五五〇発。そして、弾速は――」
そこで冬馬は、少しばつの悪そうな顔をして、
「少し山田と一緒に悪のりしすぎてさ。時速にして三三〇〇キロだ」
続けて、はあっと大きく溜息をつき、
「反動がもう笑えないレベルなんだよ。俺も武芸者の端くれとして衝撃を逃す技ぐらい持っているが、それでも止まってないとまともに撃てない。まるでじゃじゃ馬だ」
けどさ、と一言入れ、
「これは間違いなく最強の銃だ。お前との決着にこれより相応しいものはない」
そして冬馬は黒い機関銃を腰だめに構え、怨敵に銃口を向けた。
ガランはようやく回復した瞳に映ったその光景に、
(……ああ、どうやらここまでのようですね)
己が敗北を悟った。
しかし、このまま何もせず討たれるのは、ガランのプライドが許さない。
(ならば、せめて最後の悪あがきをしておきますか……オーロ殿!)
今まさに戦っているであろう同胞に念話を送る。と、
【……何の用だ、ガラン。《魔女》の始末が済んだのか?】
巨竜オーロから返事がきた。ガランは前置きなしに告げる。
【オーロ殿。この戦――我らの負けです】
【…………なに?】
【《魔女》は殺せず、ワーウルフ隊は全滅。私も――もう助かりません】
【な、なんだとッ! 待てガラン! お前が負けたというのか!】
オーロの動揺が伝わってくる。ガランは苦笑いを浮かべて、
【ええ、その通りです。正直、敵ながら見事と言わざるをえません】
【……お前を倒したのは、やはり《魔女》なのか?】
【いえ、違います。……オーロ殿、私の目を通じて《観》て下さい】
そしてガランは冬馬の姿を、その細部まで凝視する。
【……子供? この黒いコートの小僧がお前を倒したのか?】
【はい。この少年の名はヤツルギトウマ。《魔女》と同じ《銃》の使い手です】
【ッ! 《魔女》の他にもまだいたのか!】
ガランは無言で頷く。
【しかも、この少年の戦闘力は《魔女》とは比較にもならないほど強力です。ですのでオーロ殿――】
【……みなまで言うな、ガランよ。お前の最後のメッセージは確かに受け取った。この小僧は、我ら幻想種の総力を以て必ず殺そう】
【……ふふ、オーロ殿は本当に理解が早いですね】
その賛辞に対し、不機嫌そうに唸るオーロの気配が伝わってきた。
ガランはくつくつと笑いながら、
【では、オーロ殿。引き際に撤退を。私はここまでのようですから】
【ああ、分かっている。必ず撤退しよう。……さらばだ。アザゼルのガランよ】
【ええ、さらばです。リンドブルムのオーロ殿】
そして念話は途切れた。ガランは静かに冬馬を見据える。
もう心残りはない。
後は――雄々しく散るのみ!
『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――ッ!!』
咆哮を轟かせ、ガランが冬馬へと突進する。
同時に《鏖竜》が火を噴いた。轟音がビリビリと空気を震わす。
そして撃ち出された無数の弾丸は吸い込まれるようにガランの胴体に突き刺さり、鋼の肉体を容易く貫いた。
『――ゴフウッ!』
大量に吐血し、大きく動きを鈍らせるガラン。
だが、それでもなお足は止めない。
ゆっくりではあるが、一歩ずつ冬馬の元へと向かってくる。
冬馬は警戒して銃口をガランの額に向ける――が、不意に銃口を下ろした。
(……これは……)
ガランの四肢の端が徐々に白く変色していく。灰化が始まったのだ。
もはやガランに、戦う力が残っていないことは明白だった。
しかし、それでも歩みを止めないのは、恐らく戦うためではないだろう。
冬馬は静かにガランの到着を待った。
そして――。
『おやおや、わざわざ待っていてくれたのですか?』
「まあ、お前と少し話したいことがあったしな」
四肢を白く染めた瀕死のガランの問いに、冬馬がニヤリと笑って答える。
『ふふ、そうですか。奇遇ですね。実は私もそうなんですよ』
「……ふぅん。ならお前の話から先に聞こうか」
では遠慮なく、とガランは告げ、
『先程、同胞にあなたの情報を送りました』
「……へえ」
『これで、あなたは未来永劫、すべての幻想種に狙われることになりますよ』
くくくと愉快そうにガランは笑う。
要するに幻想種の賞金首にされたということだ。
本来なら青ざめて、動揺すべき状況なのだが……。
「それは願ってもないな」
冬馬は表情一つ変えずそう告げた。
『……ふむ、どうやら強がりではないようですね』
「当然だな。俺の最終目標は幻想種の殲滅だ。俺の大切な姫と巫女を傷つける可能性のある危険生物なんかを放っておけるかよ」
決意を込めてそう語る少年に、ガランは呆気にとられた表情を見せた。
『姫? 巫女? もしかして、あなたは女性のために戦っていたのですか?』
ガランの問いに、冬馬はむっと口元を結ぶ。
「そうだけど……何か悪いか。男が戦う理由にこれ以上のものはないだろ」
『まぁ確かに。しかし、ふふっ、あなたは意外と俗っぽい方だったんですねぇ』
放っておけ、と冬馬がそっぽを向く。
『ふふふ、ともあれ、私の話は終わりです。では、あなたの話を伺いましょうか』
ガランに話を振られた冬馬は、不機嫌そうに問う。
「……お前は死んだらどうなるんだよ?」
『……? それはあなたも知っているでしょう? 灰になりますよ。私達は、元々は書物の精ですから、死んだら燃え尽きて灰になるんですよ』
と、アイリーンさえ知らない事実を、ガランは告げた。
しかし、冬馬はそのことには興味を示さず、全く別の質問をする。
「……神は実在するんだろ。だったら、天国や地獄はないのか?」
その問いの意味を計りかね、ガランが首を傾げると、
「お前は悪魔なんだろ。地獄には戻らないのか?」
『それは――多くの人間を殺した私に地獄に落ちろ、という意味でしょうか?』
「ああ。勿論それもあるんだが……」
と、そこでわずかに逡巡してから、冬馬は告げる。
「これは俺の個人的な願いだ。お前が地獄に行くってんのなら、そこで待っていてくれないか」
『……待つ、とは……?』
「俺も所詮は悪鬼の血族だ。いずれは地獄へ行く。だからこそ、その場にて――」
冬馬は、左の拳をガランに向けて突き出した。
「リベンジだ! この世では守りたいものがあったから手段を選べなかったが、あの世では違うぞ。今度こそ――お前を刀で斬り伏せてやる!」
『………………………はい?』
突然とんでもないことを言い出す冬馬に、ガランは一瞬ポカンとしていたが、
『……くくっ、はははっ、くはっーはははははははははははははッ!』
と、もはや爆笑としか呼べないような大声を上げた。
パラパラと体が崩れていくが、ガランは気にもせず笑い続けた。
「……あまり馬鹿笑いしていると死期が早まるぞ」
『くくくっ、別に構いませんよ。今更ですし。それよりもリベンジでしたよね』
と言って、ガランはひびだらけの右腕をゆっくりと持ち上げる。
『ふふっ、いいですよ。悪魔らしく地獄であなたをお待ちしましょう。待ち合わせ場所は――そうですね、この国に合わせて賽の河原にでもしときますか』
「ああ、そこで待っていてくれ。必ず行くよ」
そして、怪物と少年は、三倍ほどサイズの違う互いの拳をゴツンとぶつけ合う。
途端、ガランの体が、ボロボロと崩れ始めた――。
『おっ、どうやらタイムリミットのようですね。ではさらばです。ヤツルギトウマ』
最後の最後まで怨敵は親しげに語る。
思わず冬馬は苦笑してしまった。
「まったくお前はどこまでも……。ともあれ、じゃあな。ガラン=アンドルーズ」
約束は守れよ、と念を押すことも忘れない。
ガランは最後に、にいっと歯を剥き出して笑うと、そのまま灰になって崩れていった。
その場に残されたのは冬馬一人だけ――。
怨敵の最期に、少年はただ感慨深げに空を仰ぐのだった。
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