第7話 銃の少女④

「え、えっと、掃討完了、です」


 硝煙の匂いが漂う中、少女は鈴が鳴るような声でそう呟いた。


「《PKT》オープン、スロット①。セット《スプラッシュ》」


 そして凶悪な成果を上げた回転式機関銃を《PKT》の中にしまうと「あ、赤ちゃん」と言って、壊れた車から泣きじゃくる赤ん坊を救い出してあやし始めた。

 そこでようやく冬馬は硬直から解放される。


「ま、待った! 君! 今のは何だ! どうしてあいつらに銃器が効くんだ!」


 ガッと少女の両肩を掴み問い質すと、少女は一瞬だけ怯えるような、もしくは困惑するような表情を見せた後、瞳をぱちぱちと瞬き、


「え? 氷、ですか? 『ら』って?」


「いや、『アイスら』じゃないよ! 俺が訊きたいのは――」


 その時、冬馬は再び硬直してしまう。初めて少女の容姿を間近で見たからだ。

 眼前の少女は、想像以上に美しい容姿をしていたのである。

 透き通るような白い肌に、淡い桜色の薄い唇。

 触れれば折れてしまいそうな細い肢体。よく見ると彼女の服は胸元だけ開いていた。そこからは控えめな谷間が覗いている。


 だが、その中でも特に惹きつけられたのは、少女の瞳――。

 前髪の隙間から覗くその瞳は、まるで宝石のように輝くアイスブルーだったのだ。


(……なんて可憐なんだ。これじゃあ、まるで――)


「……妖精、か……」


「??? 要請? どこに?」


 赤ん坊をあやしながら、それでもボケる少女に、冬馬はハッと我に返る。

 いけない。完全にこの少女に見惚れてしまっていた。このままでは、さっきの柔らかな感触まで思い出してしまいそうだ。


(こ、これはまずいよな……。とにかく一度落ち着かないと……)


 ――雪姫、雪姫、雪姫。

 誰よりも大切な少女の名を三度唱えて、冬馬は心を落ちつかせる。

 そして、改めて少女を見つめ、


「あのさ。俺の問いに答えてくれるかい」


「え? お、おもちゃ、ですか?」


「……『TOY』じゃない。う~ん、どうも話がかみ合わないな」


 どうも気持ちが焦っているようだ。冬馬は一度大きく深呼吸してから、


「……えっと、お嬢さん。俺の質問に答えてくれるかな」


 と、出来るだけ優しい声でそう尋ねた。

 すると少女は少しだけ動揺した顔で、その柔らかそうな唇を開く。


「……な、なんでしょうか?」


「え、えっと、あのさ――」


 と、最も肝心な内容を訊こうとしたその時、


「フィーぼおおおおおおおおおおッ!」


 突然、謎の雄たけびが響き渡った。ギョッとして後ろに振り向く冬馬。

 視線の先には、怒涛の勢いで走ってくる赤毛の女性がいた。

 恐らくは二十代後半。ショートヘアに、黄色いカチューシャで前髪を押さえている。身長は冬馬同じぐらいで、スレンダーな体型の実に活発そうな美人である。

 彼女は赤で縁取りした黒いスーツの上に、鎧のような白灰色の防護具プロテクターを付けていた。

 PGCに所属する団員の一般的な戦闘衣だ。


(PGCの団服か……。てことはPGCの団員? けど、なんで鬼の形相……?)


「フィーぼおおおおおおおおッ! 大丈夫か!」


 駆けつけた赤毛の女性は、体当たりのような勢いで少女を抱きしめる。

 少女の抱く赤ん坊が、「おぎゃああああ」と一際大きな声で泣いた。


「サ、サチエさん、ちょっと痛い、です。それに赤ちゃんが――」


「ごめんねええ! どこぞのアホが、あんな所に駐禁しおって! あんたを一人で行かせてしまうなんて、うちの生涯最悪の失態や!」


 少女の声を一切無視して一方的にしゃべり続ける女性。

 次から次へと止まることのない女性の言葉に、少女は完全に目を回している。

 見かねた冬馬は、おずおずと声をかけた。


「あ、あの彼女混乱しているようですし、赤ん坊もいますので――」


「ん? 何やあんた? いつからいたん?」


 どうやらたった今、冬馬の存在に気付いたらしい。


「あの、サチエさん。この人、私と赤ちゃんを助けてくれたの、です」


 と、少女がフォローを入れてくれた。

 それに対し、赤毛の女性はキョトンとして、


「へ? そうなんか? そう言えば自分、PGC校の制服着とんな」


「え、あ、はい。俺――いえ、私は第三PGC訓練校2年生、八剣冬馬と言います」


「あ、ご丁寧にどうも。うちは服部サチエ。PGC神奈川支部所属の一級迎撃士や」


「えっ――い、一級ゥ!?」


 思わず冬馬は仰天した。幻想種にランクがあるように、それに対抗する迎撃士にもランクはある。全部で第一~十級までの十段階。勿論一級が一番格上になる。

 迎撃士ならば誰もが目指すランクなのだが、条件として優れた実績に加え、難関な試験まであり、現在一級取得者は全国で二十人しかいないという。

 要するに、目の前の女性――サチエは、その二十人の一人らしい。

 しかめっ面で少女と話し込んでいる姿を見ると、とてもそうは見えないのだが。


「良かったあ。じゃあ、フィー坊の子やないんやね」


「あ、当たり前、です」


 何やら、とんでもない方向で話をしていたようだ。


「あ、あの、この子のおとーさんとおかーさん、見つかりますか」


「ああ、大丈夫やろ。車のナンバーもあるし。まあ、こってりしぼってやるけどな」


 そこでサチエは冬馬の方に振り向くと、にぱっと笑い、


「それよりも自分――冬馬君やったな、フィー坊助けてくれてあんがとな」


「あ、いえ、成り行きでしたし、何より俺はPGC訓練生ですから……」


「おおっ、そっかそっか、ええ心がけや。ところで自分――」


 サチエは鋭く目を細め、


「フィー坊の、見たか?」


 底冷えするような声で訊いてくる。

 冬馬はハッとした。――そうだ、忘れていた!


「そ、そうだよ! 俺はそれを君に訊きたかったんだ!」


 と言って、少女の肩に右手を伸ばすが――。

 ぐわし、と横から伸びてきた手に止められてしまった。

 全く腕が動かせない。恐ろしいまでの握力だ。

 思わずギョッとして、横に振り向くと、


「……おい、ワレ」


 鬼子母神のような笑みを浮かべるサチエがそこにいた。

 彼女は穏やかにも思える声で言う。


「その薄汚い手で、うちの可愛いフィー坊に何をさらすつもりや……?」


 ギリギリギリッ――と、冬馬の右腕が締め付けられる。

 まるで万力のような力だ。

 不意に冬馬は幻影を見る。

 昔、修行時代に死にかけるたびに見かけた「死神」の姿だ。

 ドクロ姿のそいつはケタケタと笑って告げる。

 

 ――YO、BOY。お前、死ぬかもYO。


 冬馬は息を呑んだ。まずい! 「死神」の奴、なんか期待している! 

 そんな冬馬の焦りをよそに、サチエの独白はポツポツと続く。


「……フィー坊はな、うちの親友の大切な妹なんや。あいつがいなくなってしもうてからはずっとずっとうちが可愛がってきた……そう、うちにとってはもう妹も同然なんよ。それこそ毎晩抱いて寝たいぐらい可愛い妹なんや……」


 そしてサチエは、空いた右手で冬馬の顔面をぐわしと掴み、


「……それを……それをよくも――ッ」


 どんどん指に力が込もっていく。

 冬馬の顔が青ざめた。――浮いてる! 足が宙に浮いてる!

 必死に足をバタつかせる冬馬。しかし、サチエは一向に構わず怒号を上げる!




「このくそガキャアア! 今フィー坊に何さらそうとしおったんじゃ――ッ!」




 あまりの大音量に、冬馬は気を失いそうになった。

 と、そこでサチエはパッと手を離す。為す術なく冬馬は尻もちをついた。

 そして唖然とする冬馬に、


「……地獄、見せるで」


 サチエは、優しげな笑みを見せて宣告する。すぐにでも殺されかねない気配だ。

 冬馬は身震いする。生まれて初めて実父以外の鬼を見た――。

 サチエの怒りに比べれば、雪姫の般若顔など、まさに天使の微笑みだ。

 かつてない恐怖に涙目になる冬馬。すると、


「あ、あのサチエさん。いじめちゃダメ、です」


 赤ん坊を胸に抱く天使が、地獄の鬼を諌めてくれた。

 しばし眉をひそめる鬼――もといサチエだったが、不意に、にこりと笑みを浮かべ、


「う~ん、ほんまにフィー坊はええ子やなぁ」


 言って、くしゃくしゃと少女の頭を撫でる。どうやら冬馬は命拾いしたらしい。

 だが、安心するのはまだ早かった。

 ずるずると脱力する冬馬を、サチエはジロリと睨みつけ、


「……おい、ワレ」


 また「ワレ」が来た。声も出せず、冬馬が口をぱくぱくさせていたら、


「ええか、フィー坊に免じて今回は勘弁したるが、次はないで」


 混じりっけのない本気の最後通告――。

 小刻みに震えながら、ぶんぶん頷く冬馬の姿に、サチエは満足げに笑い、


「……それと、今日のことは誰にも言うなや。近い内に、うちの支部から多分あんたに話がいく。それまでは黙っとけや。……ええな」


 それにも頷くしかない冬馬だった。完全に心が折れてしまっている。


「うんうん。ええ子や。子供はやっぱ素直が一番やで。ほなフィー坊、帰ろか」


「あ、ちょっと待って、下さい」


 そう言うと少女は膝を曲げて、未だ尻もちをつく冬馬に視線を合わせる。


「あ、あの、助けてくれてありがとう、です」


「え? あ、ああ」


 間の抜けた返事しか出来ない冬馬に、少女は笑みを浮かべて言う。


「……守ってくれて嬉しかった、です。あ、あのまた、会えますか?」


 それは冬馬にとっても願ってもない話だった。彼の目的のためには、何としてもこの少女から、あの銃器の秘密を訊き出さなければならない。

 だからこそ、快諾の返事をしようと思ったのだが、


「フィー坊、あかん、あかんて! バイキンが移ってまうで!」


 不機嫌なサチエの声に、遮られてしまった。

 ……バイキン扱いされるほど、自分は酷いことをしたのだろうか?

 しかし、そんな不満を口に出す勇気などあるはずもなく、


「ほな、今度こそ帰るで、高崎隊長も心配してはるやろうし」


 気付けば二人は背を向けて、立ち去ろうとしているところだった。

 その後ろ姿に慌てて冬馬は立ち上がる。

 ――せめて、これだけは訊いておきたい!


「ま、待ってくれ! せめて一つだけ! 君の――君の名前を教えてくれ!」


 その必死の呼び掛けに、少女は顔だけ振り向かせると、


「――フィオ、です。フィオナ=メルザリオ、です」


 花開くような笑みと共に教えてくれた。

 その可憐さに、冬馬の頬がみるみる赤く染まっていく。

 そして、サチエと少女――フィオナの姿はどんどん遠ざかり見えなくなってしまった。


 まるで嵐にでも巻き込まれたかのような出会い。

 それが、八剣冬馬と、フィオナ=メルザリオの初めての邂逅だった。

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