第21話 解き放たれし黒の門④

 ……さらに時は過ぎ、十一日が経った。


「ううぅ、やっとだ、やっと最後の門に、俺は辿り着いたぞおおおおおッ!」


 最後の地獄門――《Aの間》の前で、冬馬は絶叫していた。

 目の隈に加えて頬もげっそりと痩せこけていたが、少年は二本の足で立っていた。


「俺、ここを出たら、雪姫に告白――いや! プロポーズするんだ!」


 何やらテンパって目的が変わっているが、彼は元気である。

 ともあれ、流石に自分でも混乱している自覚があったのだろう。冬馬はスーハーと大きく深呼吸をして、心と息を整えていた。


「ふうぅ……、けど、これでようやく最後の部屋か……」


 鋭い眼差しで最後の扉を睨みつける。

《Lの間》はラノベの部屋だった。

《Cの間》は漫画コミックの部屋だった。

 ならば、《Aの間》とは――。


「……そんなもの一つしかないか。《はやて》の原点を鑑みれば――」


 冬馬は、最後の扉をゆっくりと開く。

 その部屋は、大きさ・構造ともに他の部屋と違いはなかった。

 しかし、その中に置かれているものだけは明らかに違う。

 まず書棚がない。

 代わりにあるのは大型液晶TVと、ブルーレイ・プレーヤーだ。

 そして――二百枚近い、黒いパッケージのブルーレイディスクの山である。


「やっぱり最後の関門は――アニメかよ」


 冬馬の最後の試練がいま始まる。




「……しかし、パッケージを黒くする必要があったのか?」


 黒いディスクを手に取り、冬馬は首を捻るが、考えても仕方がない。


(これも追い番で観るしかないのか…………ん?)


 一つ気になるディスクを見つけ、手に取ってみる。

 そこには一言、こう記載されていた。

 ――劇場版――


「……劇場でやってないのに、なんで劇場版があるんだ……?」


 至極真っ当なツッコミを入れる冬馬。しかし気にはなる。どうせなので冬馬はこれから先に見ることにした。慣れた手つきでTVとプレーヤーを起動させ、ディスクをセットすると、冬馬は胡坐をかいて観賞モードに移行した。

 ――そして一時間半が経過して。


「おお、おおおおおおッ、すっげええええええェェ!」


 冬馬は純粋に感動していた。

 このアニメ、先のラノベや漫画とはまるでレベルが違っていたのだ。

 滑らかに動くキャラクター達。息を呑む大迫力の戦闘シーン。

 正直、ストーリー自体は矛盾点が多すぎて、どうかと思っていたが、それを補って余るほどのクオリティの高さである。冬馬はまさに絶賛した。


「すっげえよ! なんだよアイリーンさん、アニメ製作は得意だったのか!」


 きっとCG技術とかをフル活用したんだな、と冬馬は呟く。

 同時にホッと胸を撫で下ろした。このレベルなら枚数が多くても観るのはそれほど苦痛でもない。どうやら最後の最後で楽が出来そうである。

 持ち前のお気楽さを取り戻して、冬馬はそう考えていた。


 ――そう。彼は知らなかったのだ。

 ラノベや漫画はともかく、この規模のアニメが一人で製作できる訳がないことを。


 そのことに気付いたのは、エンドロールの時だった。


「へ? な、何だ? 俺でも知ってるような、この有名な声優達は……」


 食い入るように、冬馬はモニターを凝視した。

 画面上に次々と流れる、どこかで聞いたことのある大御所声優達の名前。

 さらに言えば、冬馬は気付かなかったが、人気の高い若手声優の名も連ねられていた。


「??? こんな豪華声優陣を雇ったってことなのか? 合成音とかじゃなくて?」


 と、困惑している内にも、エンドロールはスタッフ陣の欄に差しかかり、


「いやいや。そもそもなんでスタッフ陣がいるんだ? 個人製作じゃないのかこれ?」


 冬馬は首を傾げて考えた。これは――アニメ製作に関しては『協力者』がいたということなのだろうか。しかし、そんな話は重悟からは聞いていない。

 この製作をPGCの予算で賄っているとしたら、重悟がこのことを知らないとは思えない。となると、恐らくアイリーンのポケットマネーで個人的に雇ったのだろう。

 彼女は《PKT》の特許により、億万長者になったと聞く。


「だとしても一体何人雇ったんだ? 全然エンドロールが終わらないんだが……」


 目の前のモニターに流れるエンドロールは、未だ終わる気配がない。

 先の声優陣も含めれば、すでに百人を超す。

 アイリーンは一体どこからこれだけの人材をかき集めたのだろうか。

 これでは、まるで一つの会社のよう……で……。


「――――――――え」


 その瞬間、冬馬の目は点に変わった。

 ようやく終わったエンドロール。その最後に信じがたい文章が出てきたからだ。

 それを見た途端、脳裏に最も親しい少女とのやり取りが鮮明に蘇る。


〝なあ、GJスタジオ社って何だ?〟

〝アニメやゲームの製作会社のこと。《はやて》を製作したのもそこなの〟


 冬馬はもう一度、じっくりとモニターを見てみる。

 出来れば見間違いだといいなぁ、と真摯に思いながら確認してみる。

 ――だが、そんな願いも虚しく、そこには確かにこう記されていた。


 ――アニメーション製作。GJスタジオ株式会社――


 …………………………何でやねん。




「アホかああああああああああああ―――――ッ!!」


 冬馬は力の限り絶叫した。


「ほ、本家の会社ァ!? アイリーンッ、あんた本家の会社にパチモン作らせたんか!? なんてことすんだ――――ハッ!」


 そこであることに気付き、冬馬は驚愕の眼差しでディスクの山を凝視した。


「ま、まさか、これ全部が……?」


 がくがくがく、と冬馬は両膝をついた。

 そして、そのまま倒れ込むように尻もちをつく。

 気力が根こそぎ奪われたような気分だった。

 改めて冬馬は思い知る。彼女がであることを。

 それこそ人類救済のためならば、手段など省みないほどに。

 ……しかし、幾らなんでもこれはないだろう。

 本家の会社に自分の考えたパチモン作品を創らせるなど、一体どんな交渉を――いや、そもそも、どんなメンタルの強さがあれば依頼できるのだろうか。

 はっきり言って、依頼しようと思いついただけでも凄まじい。


 常人の発想じゃない。

 精神強度がダイヤモンド級だ。省みないにもほどがある。


 冬馬はもう一度残りのディスクに目をやった。

 アイリーンは、どうやって彼らにこんなものを創らせたのだろうか。

 そして、彼らはどんな想いでこれらを創ったのだろうか……。

 それを思うと、気力どころか、生命力がごっそり抜け落ちていくような気がした。


「はは、はははは、ははははははは……はは……は……は……」


 虚ろな瞳で、もう笑うしかない冬馬であった。




 そうして――……最後の五日間が流れて。




 それは、とても長く辛い闘いだった。

 幾度もアイリーンに呪詛を吐き、重悟には「嫁の教育しろよ!」と八つ当たりもした。

 毎日のように嘔吐を繰り返し、凄まじい精神的疲労でロクに眠ることも出来なかった。

 たまに眠れても見るのは悪夢ばかりだ。


 延々と延々と延々と延々と延々と。


 どれだけ読んでも、どれだけ観ても終わりがこない……。

 あまりの辛さに、泣きながら出口にすがりついたのも一度や二度ではなかった。

 だが、そんな折れそうな心を、少年は愛する少女の名を呼ぶことで奮い立たせたのだ。


 まさに心と魂を蝕む、恐るべき闘い――。

 それは、例えるなら果てなき闇への旅路。しかし、それでも少年は歩み続けた。

 そして今、彼は遂に――……。



       ◆



 PGC神奈川支部・地下五階にある《黒庫》の門前。

 そこには今、二人の少女――柄森雪姫と、フィオナ=メルザリオが佇んでいた。


「……今日でもう五十九日目か。冬馬大丈夫かなぁ……」


 雪姫は不安そうに眉根を寄せている。


「大丈夫、です。雪ちゃん。クロさんはきっと元気に出てきます」


 対照的にフィオナは、にこにこと笑っていた。


「……フィオちゃん」


 フィオナの笑顔につられて雪姫も笑みをこぼす。

 この二ヶ月の間、雪姫は放課後になると毎日神奈川支部に通っていた。肝心の冬馬に会うことは出来なかったが、その代わりフィオナとは急速に仲良くなり、今ではお互いを愛称で呼ぶようになったのである。


「ねえ、フィオちゃん。あなたもこの部屋に入ったんでしょう?」


「はい。一年ぐらい前に入りました」


「……どんな部屋だったの?」


 訊いてもいいことなのかな、と少し悩んだが、雪姫は尋ねてみた。

 すると、フィオナは輝くような笑顔で、


「とても楽しい部屋、でした」


 冬馬が聞けば、血を吐きそうな台詞を言う。


「え? 楽しいの? でも、何人もの人がリタイアしたんでしょう?」


 雪姫のそんな疑問に、フィオナは不思議そうに小首を傾げた。


「私にも分からないの、です。あんなに楽しいのにどうしてみんな嫌がるの、ですか?」


「???」


 雪姫は首を捻った。一体どういうことなのだろう?


(人によって印象が変わるのかしら? じゃあ冬馬はよい印象だったってこと?)


 冬馬が上げた絶叫の数を知る由もない雪姫が、呑気にそう考えていたら、

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――


「ッ! 扉が開いた!」


 二人の少女の前でゆっくり扉は開き、最後にガゴンと音を立てて動きを止めた。

 少女達は息を呑み、部屋の奥を静かに凝視する。と、


「冬馬!」「クロさん!」


 部屋の奥から一人の少年が、ふらふらと出てくる。

 思わず少女達は駆け寄ろうとするが、不意に足を止めてしまった。

 少年の表情を見てしまったからだ。


 少年は、笑っていた。

 まるで子供達を守るため、自ら死の灰を浴びた聖者のような面持ちで。


「と、冬馬……? だ、大丈夫?」


 恐る恐る雪姫が、冬馬に声をかける。

 すると、少年は――。


「ヘイキ、ヘイキヘイキヘイキ、ヘヘヘイイイイキキキキキ――」


「全然平気じゃない!?」


 雪姫は冬馬の肩を掴んで揺さぶった。


「し、しっかりして冬馬! まずは自分の名前を言ってみて!」


「ナ、ナマエ? オレ、ライオット」


「誰よそれ!?」


 これはヤバい。重症だ――。

 意味不明な冬馬の言葉に、雪姫は青ざめた。

 動揺のあまり、さらに冬馬の肩を揺さぶろうとしたが、


「ゆ、雪ちゃん、ダメ、です! クロさんが死んじゃいます!」


 同じく真っ青な顔のフィオナが、雪姫の右手を両手で掴んで止めに入った。

 雪姫は泣き出しそうな顔でフィオナを見つめ、


「だ、だけど、冬馬が……。どうしよう、どうしよう、フィオちゃん」


「きゅ、救護室の人を呼ぶの、です。それから、とにかく安静にさせて……」


「そ、そうだね、じゃあ、すぐ救護室の人を――」


「フィ、フィオ……?」


「! と、冬馬! 意識が戻った――」


「フィオ、フィオ? フィフィオ、フィフィフィフィオオオオオオオオオオ」


「ダメだ! 悪化してる!」


 雪姫とフィオナの顔色が、ますます蒼白になる。

 すると、そんな少女達の前で少年は天を仰ぎ、


「ふぃぎゃあああああ!!」


 突然絶叫を上げた後、バタンッと倒れてしまった……。

 仰向けに横たわる少年は、まるで死体のようにピクリとも動かない。


「と、冬馬……? ふ、ふゆ君! ふゆ君ッ! いやああああああァ――ッ!」


 泣きながら倒れた冬馬の体を、ゆさゆさと揺らす雪姫。

 一方、フィオナは血の気を失った顔で《SPC》を取り出し、


「サ、サチエさん、すぐ来て、です! クロさんが、クロさんが――」


 完全にパニックを起こす雪姫とフィオナ。

 その場には少女達の悲鳴だけが響き続けるのであった。

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