第19話 解き放たれし黒の門②

「ところで、冬馬君」


「サー! 何でありましょうか! サー!」


「……少し落ちつきたまえ。そうだ、深呼吸するといい」


 言われるがままに大きく深呼吸する冬馬。少しずつだが落ちついてきた。

 冬馬は、最後に一際大きく息を吐くと、


「……何で、ありましょうか、高崎支部長」


 まだ少し不自然だったが、調子を取り戻していた。重悟はうむと頷き、


「《黒庫》に向かう間に、アイリーンについて少し話しておこうかと思ってね」


「アイリーンさんについて、ですか?」


 彼らはいま地下に下りるエレベーター内にいた。

 PGC神奈川支部は地上二十階・地下五階層の建物で、《黒庫》があるのは最下層。

 エレベーターから、真直ぐ廊下を進んだ奥にあるらしい。


「ああ、知っていた方がいいだろう」


「……確かに、知っていた方がいいですね」


 冬馬があごに手を置きながら頷く。


「うむ。アイリーンはね……」


 チン、と音がしてドアが開き、重悟は歩きだした。


「抜群のプロポーションをしていたんだ」


「………………………はい?」


 冬馬は困惑した。まさか、ここで惚気話でもする気なのだろうか? 

 顔をしかめて、冬馬がそんなことを考えていると、


「まあ、暇さえあれば…………してたんだよ」


「してたって……え? ええッ!?」


 重悟の台詞から連想した内容に、冬馬の顔はカアァと赤くなった。


(な、何言ってんだこの人! ま、まさか、惚気話どころか、エロトークなのか!)


 呆れ半分、期待半分で、ドキドキしながら冬馬は尋ねてみる。


「い、一体何を、されていたんです?」


「コスプレだ」


 ……一瞬、重悟が何を言ったのか、理解できなかった。

 しばらく悩んだ後、冬馬はポンと手を打ち、


「えっと、高崎支部長は、そういったご趣味をお持ちで……?」


「断じて私の趣味ではない。……はあ、時に冬馬君。君は《けんぷー無双はやてちゃん》というアニメを知っているかね」


 完全に想定外の単語が飛び出してきた。


「え、え? え? し、知っていますが、はい?」


 もはや冬馬はパニック状態だ。しかし、それに構わず重悟は続ける。


「知っているのならいい。まあ、要するに、アイリーンは自作コスプレをするほど《はやて》が大好きだったんだ」


「………………………………………………………ほわっつ?」


「休日、彼女はよく秋葉原へ出かけていた」


「な、何のために?」


 答えはほぼ分かっていたが、冬馬は思わず訊いてしまった。


「同人誌やアニメグッズだよ。アイリーンは嬉々として、それらを買い漁っていた」


 と、そこで重悟は不意に足を止めた。


「……《黒庫》に到着したよ、冬馬君」


「えっ」


 話に気を取られすぎて、冬馬は気付いてなかったが、確かにそれは目の前にあった。

 ――黒光りする巨大な丸い扉。

 扉の中央部にはカードリーダーと、暗証番号入力用のキイもある。

 それは、まさに名前通りの黒い金庫だった。


「まるで銀行の金庫を黒塗りしたような感じですね」


「まあ、本質的には同じものだよ」


 と言って、重悟は懐からカードを取り出す。

 続けて、扉のリーダーにそのカードを通し、暗証番号を入力すると……。

 ゴゴゴゴゴゴッ――と、重い扉が開かれていく。


「さて冬馬君。入る前にいくつかアドバイスをしよう」


 重悟は冬馬を見据えて言う。


「実はね、リタイアした団員達の中には《C》と《A》の部屋だけならば突破した者もいるのだよ。しかし、どうしても《L》の部屋で挫折する。最難関は《Lの間》だ。あれだけは他とは格が違う。体力、気力がある早期の内に《Lの間》に挑むことを強く勧めるよ」


 そして、と続け、


「この《黒庫》は、内側からならば自由に出られる構造になっている。だが、一度でも出てしまうと間違いなく心が折れるぞ。団員達の中にはここに近付くだけで嘔吐する者もいるし、正直、私も二度と入りたくない。チャンスは今回一度限り。そう覚悟したまえ」


 冬馬は静かに頷く。そして《黒庫》の内部に一人で入る。と、


「……ああ、最後にもう一つ。さっきの話なのだが」


 重悟が声をかけてきた。

 冬馬が振り向くと、重悟は何故か憐れむような顔をしていて、


「もうはっきり言うが、アイリーンは重度のアニメオタクだったんだよ」 


「……えっと、それは薄々気付いていましたが、それがいま何か関係あるんですか?」


 冬馬の問いに、重悟は言葉を選びながら、


「う、む。まぁ彼女はね、これだと思い込んだら盲目的に突っ走る癖があったんだが、今回の件がまさにそれだった。……はあ、私がもっと早く気付いとけば……」


 と、そこで力なくかぶりを振り、


「ともあれ、暴走していても彼女は元来真面目な人間なんだ。従ってアレらは決して悪ふざけではない。、どこまでも本気であり――大真面目なんだ。それだけは理解して挑んでくれ」


 それが重悟の最後の忠告だった。そして、再び《黒庫》は閉ざされる。

 一人になった冬馬は、ただ首を捻った。


「結局あの人、恋人の趣味まで暴露して一体何が言いたかったんだ?」


 疑問は残るが、考えていても答えは出ない。

 なので一旦忘れて、冬馬はとりあえずこの部屋を調べることにした。

 ――そこは、随分と殺風景な部屋だった。

 全面、白い壁紙に、パイプベッドとクローゼット。それに洗面所とシャワールームらしきものがある。部屋の隅には大きな冷蔵庫と簡素なキッチンもあった。


「そっか。この部屋自体が滞在用の居住室なのか。じゃあ、奥に見えるのが……」


 冬馬は、奥にある三つの部屋に視線を向ける。

 シンプルなデザインの三つの黒い扉。

 それぞれのルームプレートには《Lの間》《Cの間》《Aの間》と刻まれていた。


「これが、三種の《原本》の部屋か……」


 否が応でも緊張感が高まる。

 数多くの者が挫折したという難解さとは一体いかなるものなのか。

 我知らず冬馬はブルブルと身震いするが……。


「ここで迷っていても仕方がない。――いくかッ!」


 言って、まずは重悟のアドバイスに従い、《Lの間》のノブを手に取って開けてみた。


「ッ! こ、これは……」


 中はそこそこ広い部屋だった。恐らく十二畳ぐらいの部屋だろう。

 部屋の中には特に何もない。

 唯一あるのは書棚。天井まで届く梯子付きの書棚が壁三面を埋め尽くしている。近寄って見ると、その書棚はスライド式で後ろにも書棚が隠れていた。

 冬馬はびっしりと本で埋め尽くされた書棚から一冊抜き出した。 


「………黒い本か」


 一冊につき、千二百ページほどのA4サイズ程度の本だ。

 その分厚さは辞書を思わせる。

 背表紙と表紙には、白い文字で『Lの①』と記載されていた。


「……これって追い番かよ。ということは、これ全部続きモンってことなのか?」


 ちらりと眼前に立ち塞がる本の砦に目をやり、冬馬は少し血の気が引いた。

 正直、ゾッとするほどの量だ。ざっと見ても数百冊は超える。

 確かに、この圧倒的な物量の前で一度でも挫折すれば二度と立ち上がれない。心が折れるのも無理もないだろう。

 だが、ここで躊躇う訳にはいかなかった。冬馬は意を決して黒い本を開く。

 真っ先に目に飛び込んだのは、《メルザリオ神話》の正式なタイトルで――。


 ……………………………………………。

 ……………………………。

 

 ――パタン。

 冬馬は本を閉じた。そして何度か目をこすってから、再度本を開く。

 そこには、先程と変わらないタイトルが記載されていた。





 ――《だんまく無双フィオナちゃん》――





 冬馬は、完全に硬直してしまった。

 ――何だろう? この既視感バリバリのタイトルは……?


「は、ははは、ぐ、偶然だよな。まさか、そんなことある訳ないか」


 恐ろしい想像をしながら、冬馬は次のページを開く。

 それは、この物語の冒頭部分だった――。




 そこは、新宿にあるビルの一角――。

 その屋上で、青年と少女が風を受けながら佇んでいた。


「後悔はないか? フィオ」


 拳銃を右手に握る青年に、声をかけられた少女は笑みを浮かべ、


「ありません。私は《りんぐ》と共に闘うことを選んだから、ここにいるんです」


「……そうか」


 愚問だったか、と青年は皮肉気に笑う。


「ライオットさんこそ良かったんですか。私の味方なんかして……」


 不安げに青年を上目遣いで見つめる少女。彼は優しく微笑み、


「……言っただろう。俺は死ぬまでお前と共にいる」


 くしゃくしゃと少女の銀色の髪を撫でる。少女の顔に笑みが浮かんだ。


「ウソじゃないですよね? ライオットさん、ずっと一緒ですよね?」


「……ああ、ウソじゃないさ」


 残された時間が少ないことを隠しつつ、青年は少女に微笑む。


「それよりも、これでいよいよ最後の戦いだ。――いくぞ! フィオ!」


「はい! ライオットさ――」





「ちくしょう! やっぱ《はやて》のパクリかッ! つうかこれラノベかよ!」


 思わず冬馬は黒い本を、床にズバーンと叩きつけた。

 そして、あまりに想定外すぎる事態に、愕然と両膝をつく。


「ウ、ソだろ……。ま、まさか、アイリーンさんは……」


 かの有名作品と酷似したタイトルに、ほとんど同じ冒頭部分。

 その上、ヒロインは実妹と同じ名前。

 もはや疑いようもない。アイリーンが行った事とはつまり――。


《はやて》をパクリ、

 実妹をヒロインに差し替えて、

 それを神話にすること。

 人気作の盗作であり――しかも、身内がヒロインの創作品。

 それを神話にする。

 未来永劫語り継がれるのが前提になっている神話に。


 …………………………………。

 マジか。


 ただただ呆然とする冬馬。――が、その時、不意に気付く。


「――ハッ! フィ、フィオ! あの子は、これに耐えたというのか……」


 あの少女は、これらすべてを読破したらしい。

 フィオナが神話化のことまで理解しているかは分からないが、たとえ知らないとしても自分を勝手にヒロインにした――実姉の黒歴史作品のすべてを読破したというのだ。


(な、なんて精神力だ……。俺ならそんなことされたら死んでしまうぞ……)


 メルザリオ姉妹のその胆力に、冬馬は心の底から驚愕した。

 だが、いつまでも動揺ばかりしていられない。


「そ、そうだ。とにかく読まないと。たとえ何であろうと、もう退けないんだ!」


 不退転の覚悟で本を拾い上げ、冬馬は先を読み始める。

 そうして――約六時間後。

 読んでいて、分かったことが三つある。


 一つ目は、アイリーンが紛れもなくであることだ。

 彼女は決して冗談などでこれを創作した訳ではない。

 重悟の言う通り、本気でこの物語を以て人類を救う気なのだ。その気迫のようなものがこの作品には宿っていた。

 ……まあ、どっぷりと彼女の趣味が入っているのも事実だろうが。


 二つ目は物語自体について。

 最初は《はやて》のただの盗作品かと思っていたのだが、実は完全なパクリは冒頭と一部の設定だけで、その他は一応オリジナルであったということ。


 そして最後の一つ。それは、アイリーンには全くと言っていいほど文才がなかったということだった。もしくは、そもそも日本語自体が不慣れなのか。

 いずれにせよ、参考までに彼女のオリジナルの文体を一部紹介すると……。



「シャアアア!?」突如不意に突然現れたそのまるで黄ばんだ山の如きバケモノは雄たけびのように咆哮を上げた。咄嗟の一瞬の刹那にフィオナの右手の回転式機関銃の砲身の銃口はまるでドラム缶のようなバケモノの胸の中心の斜め上への心臓に向いた。発砲ガガガガかわすまるで見つめ合うような睨み合う二人。あっ違う一人と一匹。あっ三人、ライオットいた。まるで大木のようなバケモノが右手のまるで剣の如きトゲっぽい角のような左手が襲うた。フィオナは駆けながら右に避けながら前に跳びながら頭を抱えながらかわすた。再度ふたたびもう一度睨み合う二人あっ三人「シャアアアア!?」まるで咆哮のような泣き言で泣くバケノモ。発砲ガガガかわすたけど当たるライオット泣くように超痛がるバケノモはまるでバッタの如き音速のような超凄い超音速で歩きつつつっ走る。発砲ガガガガバケノモはまるでウサギのような超光速で超跳んで超ジャンプする。発泡ガガガガ「な……じ……ぶシャアアア!?」発泡ガガガガ「……し……ぶシャアアア!?」発泡バッバパパパ「NA……る……BUシャアアアア!?」ゴス「フッ、なっ」ゴスゴスゴスゴスゴスゴスゴスゴスバケノモは逃げだたた。



 ……なんとコメントすればいいのだろうか。

 あえて言うのならば、この場面は結果だけは分かるのでまだマシということだろうか。

 ともあれ、彼女の文体は随時こんな感じで、全く改行もなく延々と。

 延々と延々と延々と延々と延々と、ひたすら続くのだ。

 兎にも角にも徒労感が凄まじい。五十ページも読み続ければ、目と頭がくらくらし始め、八十ページを超えた辺りからは、強烈な吐き気まで催してくる。

 頻繁に休憩を取らなければ意識が遠くなる。完全に拷問レベルの難行だった。


 それが数百冊。

 ページ数で換算すれば、軽く五十三万ページを超える。


 ここまで来ると終わりが見えない数字だ。団員達が絶望リタイアするのも当然だった。

 しかもそれだけではない。とんでもないが他にもいた。

 それは、冬馬が《Lの②》の本を、どうにか九百八十ページほど読み終えた時のこと。

 唐突に白紙のページが現れたのだ。

 訝しんだ冬馬はもう一ページめくってみる。が、また白紙。

 さらにもう一ページ開いてみたら、一文だけ走り書きの記載があった。

 不思議に思い、目を細めて読んでみると、




 ――面白くない。このノートはボツね――




 ……冬馬はその日、泣きながら寝た。

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