第三章 悪鬼の血族
第8話 悪鬼の血族①
第三PGC訓練校。それは現在、全国各地に十二校ある、迎撃士を育成する六年制学校の一つだ。第三とはつまり三番目に建設されたということである。
その構造は、四階建ての校舎が全部で三棟あり、主に1~2年生が第一棟、3~4年生が第二棟、5~6年生が第三棟を使用している。
他にもドーム型錬技場と大食堂館、さらに、女子寮、男子寮も同じ敷地内にあり、総在学生数が三千人にも及ぶ、全寮制のマンモス校であった。
そんな巨大な校内の一角。
第一棟の屋上で、雪姫は一人修練を積んでいた。
「…………」
無言のまま、抜き身の刃を上段に構える雪姫。
そして、目を細め――愛刀 《十握》を振り下ろした。
続けて右薙ぎ。さらに袈裟切りから突き、上に振り上げる逆風へと銀閃を描く。それは目で追うのがやっとの見事な速度。その一連の動きを五度繰り返した後、雪姫はふうと大きく息をつき、ゆっくりと刀を下ろした。
彼女自身の美しさも相まって、まさに見惚れるほど美しい剣舞だった。
しかし。
「……やっぱり、ダメ。まだあの時の、冬馬の剣には遠く及ばない……」
雪姫は美しい眉を哀しげに歪めていた。
彼女が知る冬馬の剣はもっと速く、もっと鮮やかだった。
雪姫は小さく溜息をつき、
「……ふゆ君の剣、か」
最近は少し恥ずかしくて、人前では使わなくなった冬馬の愛称を呟きながら、
「一体何が足りないのかな。ふゆ君はちっとも教えてくれないし」
と、思わず愚痴をこぼす。
あの少年は本当に何も教えてくれない。初めて出会った時からそうだった。
ふと思い出が脳裏をよぎり、雪姫は遠い目で蒼い空を見上げる。
――雪姫が、冬馬と出会ったのは三年前。
父に連れられて出向いた、東京難民が保護されている会館でだった。
雪姫の父、柄森徹矢は教師であり、正義感の強い彼は東京難民の話を聞き、せめて身寄りのない子供を一人でも引き取ろうと、家族を連れ会館へと向かったのである。
そして、そこで初めて八剣冬馬という少年と出会った。
――一振りの直刀を抱きしめて、部屋の片隅に座る鋭い眼光の少年に。
初めて彼を見た時、雪姫はまるで手負いの狼のようだと思った。
恐らく周りの人間もそう思ったのだろう。少年の周囲には人が誰もいなかった。
雪姫の直感が告げる。――この子は嫌だ。この子は怖い、と。
思春期の少女にとって、この獣のような少年は恐怖の対象にしかならなかった。
ましてや一緒に暮らすなど考えたくもない。
だから、父にそう告げようとしたら、
「ま、まさか、宗家の……? 八剣の……」
呆然とした父が、雪姫の知らない言葉を呟いていた。
そして父はふらふらと少年へと近付き、彼の前で片膝をついて一言二言話すと、不意に涙を流して少年を抱きしめた。
雪姫の顔が青ざめる。嫌な予感がした。
「あの子を引き取るぞ」
予感的中。それが、少年の元から戻ってきた父の第一声だった。
母は何かを察したのか、ただ黙って頷く。しかし雪姫は猛反対した。
――絶対嫌だ。怖いからやめて、と。
涙まで流して反対したが、父は頑として聞き入れてくれなかった。
こうして、少年は柄森家が引き取ることになったのである。
雪姫は怯えていた。
あの少年はいつか自分を襲うのではないかと思っていたからだ。
(はあ……。あの頃の私って、いつもスタンガンを隠し持ってたっけ)
だが――結局、それはすべて雪姫の杞憂だった。
一緒に暮らし始めて分かったこと。
それは、この少年があまりにも無知で、あまりにも無垢だったということだ。
父から聞いた話だと、彼はこれまで山奥で実父と二人きりで暮らしていたらしい。
その実父がある理由でいなくなってからは、ずっと一人で、だそうだ。
雪姫は《PKT》や《
――いや、それどころか、少年は洗濯機や扇風機にまで驚愕していた。特に一体何が琴線に触れたのか、冷蔵庫に対する彼の驚きっぷりは今でも忘れられない。
ちなみに、当時の冬馬の口癖は「凄いんだな、文明!」である。
もはや雪姫が抱いていた警戒心など、木っ端微塵に吹き飛んでしまった。
そうなってくると、雪姫は愛称で呼ぶほど冬馬の面倒をよく見るようになった。
それは親切心と、少年の驚く顔が見たいという悪戯心から。
しかし、少年と過ごす時間は、彼女にとって思いのほか心地良いものだった。
そして、いつしか彼の笑顔を見る度に、
(……ドキドキするようになってきたんだ……)
なにせ同い年ということで、学校でも家でもずっと一緒だったのだ。
そういう感情が芽生えても不思議ではない。
だが、当時の雪姫はその感情を素直に認めるのが嫌だった。冬馬の第一印象が、彼女の心の片隅に残っていたからである。
そんなもやもやとした気持ちを抱えながらも、雪姫は冬馬との日々を過ごしていった。
そして、ある日のこと。一つの事件が起きた。
それは雪姫が中学3年生の時。夕方五時頃、学校から一人帰宅中の時だった。
当時の彼女は《はやて》に影響されてPGC訓練校に進学したいと考えていた。
が、本当にそんな動機でいいのかなと悩んでいたら、つい帰宅が遅れてしまい――。
突如、幻想種に遭遇したのだ。
その数は五体。すべてゴブリンだった。
今の雪姫なら造作もない敵。当時の彼女でも全速力なら逃げきれる相手だ。
だが雪姫は何も出来なかった。
初めて見る幻想種に、完全に硬直してしまったのだ。
じりじりと近付くゴブリン達。
少女の瞳には涙が溜まり、歯はカチカチと鳴り始める。
と、その時だった。
「――下がれ! 雪姫!」
冬馬が駆けつけてくれたのだ。
後から聞いたのだが、帰宅の遅い雪姫を心配して、わざわざ迎えに来てくれたらしい。
冬馬はすぐさま《PKT》を起動させた。そして現れたのは一振りの直刀。
切っ先が折れた、とても脆そうなボロボロの刀――。
だが、それを振るう冬馬の剣技は、まさに芸術の域だった。
まるで舞うような冬馬の動きに、雪姫はただただ見惚れてしまった。
実はこの瞬間だったりする。彼女が進路を決めたのは。
柄森雪姫は《はやて》の物語に心を魅せられ、八剣冬馬の剣舞に魂を奪われたからこそ、今の道を選んだのである。
そして少女が見つめる中、次々とゴブリンは倒れていき、
『プギャアアアアアアアア――……』
遂に最後の一体を冬馬が斬り捨てる。と、同時に直刀は半ばから折れてしまった。
冬馬は一瞬、寂しそうに刀を見たが……。
そのまま《PKT》にしまい、雪姫の方へと駆け寄ってきた。
――ありがとう! ふゆ君!
そう言いたいのに、まだ体が硬直していて動けない。
雪姫がもどかしさに歯がみしていると、
「――雪姫! 良かった、本当に良かったぁ……」
冬馬にギュッと強く抱きしめられた。
少年は大粒の涙を流し、雪姫の名を連呼している。
雪姫はただ唖然とするだけだ。彼が泣くところなど、初めて見たからだ。
(……ふゆ君、……)
その時、ずっと胸につかえていた想いが、ストンと落ちるのを感じた。
燃え上がるように、心がどんどん熱くなってくる。
――ああ、そっか、この感情は……。
(すぐ怒るし、すぐふてくされる。秘密主義で、時々意地悪なこともしてくる)
――そんな人ではあるけれど。
(努力家で、子供みたいに笑う人。怖いぐらい強いけど、同じくらい優しくて)
――やっぱり私は、そんなふゆ君が大好きなんだ。
そうして、二人は抱きしめ合いながら、いつまでも泣き続けたのだった。
「……だけど私、結局告白なんて出来なかったのよね……」
はあっと深い溜息をつき、雪姫は呟く。
あの後、自分の気持ちを自覚して、何度か告白しようと試みたのだが……。
いざ本人を前にすると、何も言えなくなるのだ。
理由は分かっている。怖いからだ。
フラれるのが、怖いのだ。
多分、勝算はあると思う。少なくとも冬馬は雪姫を嫌ってなどいない。
しかし、元々冬馬は家族として柄森家に引き取られたのである。
彼が自分に向ける好意は、家族としてのものではないかと思ってしまうのだ。
「……それに、ふゆ君は大人しい子が好みだし……」
敵を知ることは兵術の基本だ。当然、冬馬の好みはリサーチ済みである。
――冬馬は、大人しくて優しい女の子が好き。
それは冬馬の悪友・山田から聞き出した情報だった。
さらに校内の大人しい系三巨頭、おどおどの大野さん、もじもじの樋口さん、はにかみの加納さんを見る冬馬の緩んだ表情から、それが事実であることは確認している。
再び雪姫は、はあっと深い溜息をついた。
どちらかというと男勝りの自分が、冬馬の好みから外れているのは自覚している。
しかし、性格というのは、中々矯正できないものだ。
「ううぅ……、やだよぉ、ふゆ君を取られるのはやだよぉ」
つい不幸な未来を想像して、ネガティブに入る雪姫。
しかし、元来彼女は前向きな少女である。しばらくすると、
「うん。悪いことばかり考えても仕方がない! とりあえずふゆ君に会いに行こう!」
告白はいずれ来る試練だが、今は少しでも冬馬と同じ時間を共有しよう。
そう思い、雪姫は《十握》を《PKT》にしまい、屋上から立ち去って行った。
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