第26話 幻想の襲来④
そこは逆薙市第六区にあるオフィス街――。
巨竜オーロは、大きな翼を動かし、悠々と飛翔していた。
しばし風を楽しんでいたオーロだったが、ふと眼下に視線を下ろす。
そこに見えるのは、ビルに囲まれた公道を駆け抜ける双頭犬――オルトロスの群れだ。
『しかし、この短時間で一人もいなくなるとはな。害悪種め、逃げ脚だけは一流か』
忌々しげにオーロは唸る。血も流れぬ無人の野など面白みもない。
と、その時、オーロの双眸が鋭く細まる。
オルトロス隊の進行先。
そこには数十台の装甲車がバリケードのように停車していた。
その前にいるのは、剣や槍、弓や弩などで武装した、黒服の上に白灰色の鎧を着込んだ人間達だ。すなわち、PGC神奈川支部に所属する迎撃士達である。
ようやく待ち人と出会えたようだ。
『……ふむ。数は二百といったところか。――おおッ! あれは!』
不意に見つけたその姿に、オーロは歓喜で身震いした。
人間どもの群れの中にいる、槍を携えたひと際背の高い偉丈夫。
あの剛槍で同種を悉く撃ち落とした憎き男を、自分が見間違えるはずもない。
『くくく、《鬼》め! やはり現れおったか!』
今すぐあの男と雌雄を決したい衝動にかられるが、オーロはそこで気付いた。
この戦闘の目的である《銀の魔女》が、この場にはいないことに。
(ふん。まさにガランの思惑通りということか……)
オーロの脳裏に、金眼の紳士との会話が思い出される――。
「それでは《銀の魔女》抹殺計画の概要をお話します」
そう告げると、ガランはどこからともなくステッキを取り出した。
「まず、砦に籠る《魔女》を誘き出すため、キマイラ、オルトロス、トロールの三部隊で逆薙市を襲撃します」
トン、とステッキで地をつつく――と、地面から逆薙市のジオラマが浮かび上がった。
『……相も変わらず面妖な術を……』
「まあ、我が種族の嗜みですよ」
続けてガランは、ジオラマの第二区、第六区、第八区をステッキで叩く。すると今度はジオラマの公道から、キマイラ、オルトロス、トロールの人形が浮き上がった。
そこでオーロが尋ねる。
『ところで何故、三部隊をわざわざ種族ごとで分けるのだ?』
「それは人間達の心理を誘導し易くするためですよ」
『……誘導だと?』
「はい。私が見たところ、あの《魔女》はかなり非力なようでして、恐らくインターバルなしでは、長時間の戦闘が出来ないでしょう」
ガランはステッキで、トロールの人形をコツンとつついた。
「この三種族で最もインターバルが取りやすいのは、動きの遅いトロールです」
『――ふむ。要するに、他の二隊は敵戦力を分散させるための囮……。本命はトロール隊で、そこに誘き出すということか』
流石に理解がお早い、と賞賛を贈るガラン。
「さらに言えば、《魔女》にとって、トロールの巨体は格好の的でしょうからね」
『……まさに「餌」という訳か。だが、それでは逆にトロール隊が殲滅される恐れもあるだろう』
と、オーロは指摘する。いかにC級とて意志は持っている。むざむざ犠牲にする策など承服できない。そう暗に告げたら、ガランはにこやかに笑い、
「ふふ、勿論、私もトロール隊を犠牲にするつもりなどありませんよ」
そして、くるりとステッキを回し、とある大きな施設をコンと叩く。
「ここには訓練校とやらがあります。ひよこばかりですが、数は三千。相当な規模です」
『……三千か。ますますもって、トロール隊の負担が重くなるな』
「ええ。ですが、この規模の部隊があるのなら砦からの増援は最小限にするはず」
ガランはステッキでPGC神奈川支部と、訓練校との中心当たりを指した。
「私の本命はここです。ここに百五十のワーウルフ隊を配置します」
『……ほう。ということは、ワーウルフの人化能力を使うのか?』
「はい。彼らには人化してもらい、ここに潜んで頂きます」
『……なるほど。伏兵、か……』
囮により敵戦力を分散させ、さらに《魔女》が訓練校へ向かうよう誘導した上で、待ち伏せし奇襲する。それがガランの考案した作戦だった。
『トロール隊もまた囮という訳か。悪くはないが――この策、わしらはどう動く?』
乗り気になった巨竜に、金眼の紳士はふふっと笑みを浮かべ、
「では、お話しましょう。まずはオーロ殿。あなたにはオルトロス隊を率いて頂きます」
『……トロール隊でなく、か?』
「はい。この作戦は《魔女》を仕留めるまでの速さが重要になります。ですので、《魔女》を守る戦力は確実に減らしておきたいのです」
オーロが『どういう意味だ?』と鎌首を傾げる。
「……実はかの砦。どうも《魔女》だけでなく、《鬼》までいるようなんですよ」
『――ッ! なんだと! あの男がいるのか!』
オーロは牙を剥き出し、咆哮を上げた。
「ええ。だからこそ《鬼》を誘い出すため、オーロ殿に出陣して頂きたいのですよ」
と、ガランは告げる。それならば、オーロの答えは決まっていた。
『ふん! いいだろう! むしろ望むところよ!』
「ふふ、頼もしいお言葉です。ありがとうございます。オーロ殿」
シルクハットを脱ぎ、ガランは仰々しく礼をした。
やることなすこと一々大袈裟すぎる男に呆れながらも、オーロは再度問う。
『話を戻すぞ。わしの役割は理解したが、お前の方はどうするのだ?』
「私ですか? 私は《魔女》の襲撃に加わりますよ。ですが、その前に……」
ガランはニヤリと笑い、
「昔の知り合いに会っておこうと思います。いやあ、凄く楽しみですよ」
自らの喉をすりすりと触る彼は、本当に嬉しそうだった――。
(……結局、昔の知り合いとやらについては教えなかったな、あの男)
回想を終え、再びオーロは眼下を睨みつける。
どうやらオルトロス隊と人間どもの戦闘が始まったようだ。大量の矢がオルトロス隊に襲い掛かる。最前列の十数体が回避できず悲鳴を上げて倒れ込む――が、残りの者は矢を警戒しつつ、散開して走り抜けた。
そして遂に接敵する人と魔獣。
人間達は装甲車の周辺に陣取ってオルトロス隊を迎撃していた。
装甲車の上では十数人の人間が弩や投網で援護している。見れば路地裏やビルの窓からも矢が降り注いでいた。
(ふん。やはり別動隊もいたか)
オーロは皮肉気に笑う。
常に絡め手を考え正面からは戦おうとしない姑息な戦法。そんな卑劣な小細工ばかりしているから神にも見捨てられるのだ。
(……だが)
そんな中、明らかにあの男だけは違う。
小細工は不要とばかりに、オルトロス隊を次から次へと槍の一突きで仕留めている。
剛風を纏う神速の刺突。
実は本物の鬼ではないのかと疑いたくなるほどの強さだ。
(……ふん。やはりオルトロスでは荷が勝ちすぎるか……ならば!)
バサア、と大きく翼を羽ばたかせ、巨竜が怨敵に向かって飛翔する!
『――《鬼》よ! 七王の一角、幻獣王が眷属――このリンドブルムのオーロが、骨も残さず喰らってくれるわ!』
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