幕間二 ああ、遙か遠くにいる君よ
第22話 ああ、遙か遠くにいる君よ
「……ううぅ……うああぁ………いっそ、いっそ殺してくれェ……」
と、呻き声を上げつつ、冬馬は不意に目を覚ました。
「……え、こ、ここは……ベッドの上? 病院か……?」
ベッドから上半身を起こし、ふらつく頭を振りながら、周囲を見渡す。
清潔な雰囲気の個室なので一瞬病院かと思ったが、どうやら違うようだ。壁にPGCのロゴが掛けてある。恐らくここはPGC神奈川支部の救護室なのだろう。
冬馬は未だはっきりしない頭に活を入れるため、両手を動かそうとし――ふと気付く。
気が抜けていたのと、薄暗くて見落としていたが、両手に温もりを感じる。よく見るとベッドの両脇には雪姫とフィオナがいた。二人とも冬馬の左右の手を握り締めたまま寝息を立てている。察するに彼女達は冬馬を心配してずっと傍にいてくれたのだろう。
「……雪姫……それに、フィオまで……」
思わず笑みがこぼれるが、少し困った。これでは動けない。
どうしたものかと冬馬が悩んでいると、
――コンコン。
不意にノック音が響いた。冬馬は首を傾げながら返答する。
「……どうぞ。多分開いてますよ」
「うむ。では失礼するよ」
そう告げて入室してきたのは重悟だった。
彼は入ってくるなり、ホッとした顔を見せ、
「……良かった。どうやら意識を取り戻したようだね」
「……はは、我ながらよく生還できたと思いますよ。……本当に……ははは……」
「まあ、その、すまなかった。アイリーンが、その、色々すまん」
気まずげにそう謝罪しながら、重悟は壁に立てかけていたパイプイスを手に取り、冬馬の正面の位置に座る。そして両手を組むと感嘆するように息を吐いた。
「しかし本当に驚いたよ。まさかアレを読破できようとは……」
「はは、もう死ぬかと思いましたよ。………マジで………」
「………………その、すまん」
「………………いえ」
しばし流れる静寂の時。そして、不意に重悟が懺悔するかのように語り始めた。
「まあ、アイリーンはね、少し引きこもりの気はあったが、笑顔のよく似合う気立てのいい美人だったんだ。私は彼女に心底惚れていたものだよ。……だがね……」
心情を悟られないようにしているのか、顔を大きな手で覆い尽くし、
「あいつは三十路を越えた私に《鬼童院コウハ》のコスプレをさせようとするんだ」
……なんて惨いことを……。
冬馬は、ただただ口を閉ざした。
「ちなみに私も《はやて》を全話観ている。五日かけてマラソンで……。ちゃんと観るようにアイリーンが、ずっと後ろで監視しているんだよ」
……どこの囚人だよそれ……。
冬馬は、悲痛な面持ちで首を左右に振った。
「ははは、しかも、あいつは美人のくせに服装には無頓着でな。あの《はやて》のエロいコスプレ姿で秋葉原に行こうとするんだぞ。……ガチで青ざめたわ……」
それは少しだけ見てみたかったかな、と思ったが、流石に口には出せない。
そこだけ重力が十倍になったような雰囲気を放つ重悟に、そんな台詞は言えない。
あまりにも痛々しいその姿に、冬馬はギュッと強く目をつぶり、何かかけるべき言葉を思案し続けるが……。
「……えっと、その、心中お察しします……」
結局それぐらいしか言えなかった。
「……まあ、それでも私に対して彼女がしでかしたことは、ある意味可愛らしいものだったのだが、今回だけは本当に参ったよ。まさか、PGCの予算を使ってあんなものを創作しているなんてな。完全に想定外だったよ……」
力ない声で独白する重悟。それに対し、冬馬は思わず呟いてしまった。
「あ、いや、多分アイリーンさんのアレは支部長の想定外をさらに超えてますよ」
一瞬の沈黙。重悟は呆然とした表情を見せ、
「……え? どういう……?」
「多分、予算は勿論、手段においても。その、彼女は本当に容赦なかったっす」
「………………マジか」
「………………マジっす」
再び訪れる静寂。そしてしばらくして、
「……くしゅん!」
冬馬の左手を掴んで眠るフィオナが可愛らしいくしゃみをした。
この世で誰よりもアイリーンに似ている少女が。
冬馬と重悟はそんな少女をしばし見つめ、
「「…………はあ」」
声を揃えて深々と嘆息するのだった。
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