第23話 覚悟


 十二月となり、オーナー兼経理の溌は、二月から始まる確定申告の準備に追われていた。マイナスと宣言していた利益もそこそこ上昇し始め、どうにか儲けが見えてきた。そこで取るべき個人事業主の対策。


「――節税対策?」


 以前、戦略会議を開いた時と同じく、休憩室のテーブルをロの字に並べ、ホワイトボードの前に眼鏡姿の溌が立つ。仕事を終えた兄弟と一緒に、みのりも溌の真正面に座った。その頬が赤く染まっている。


倖:「でも節税対策って、具体的にはどういうことをするんだ?」


溌:「一般的にはこの時期に経費を増やすことで、節税対策をする事業主が多いんだ。経

費が増えれば、納税額が減るからな。だが闇雲に買い物してもいいっつうワケでも

ねーからな。効果的に経費を増やす為にも、継続的に使用する消耗品なんかを大量

に買うってのが王道だろう」


慶:「消耗品か……ウチは飲食店だからな。おしぼりやティッシュの消費が激しいから、

そういったものを大量に買えば良いんだな?」


溌:「ああ。どうせ定期的に購入するからな。そういったモンをこの機に大量購入してい

れば、来年の経費も効果的に使えるしな」


倖:「そういうコトか。なあ溌兄、その経費って、俺らの為には使えねえの?」


溌:「店に関わるコトだったら構わねーが、なんだオメー、経費で欲しいモンでもあんの

か?」


倖:「あーうん。……車とか欲しいなぁって」


溌:「車だとっ! ふざけんなっ! そこまで使える程の経費はねーよ!」


雅:「いいねー、車! ベンツとか買っちゃってー?」


慶:「兄さんは免許持ってないだろう……」


溌:「第一、カフェで車なんて使わねーだろ! 職種を考えろ!」


雅:「それじゃー、これからデリバリーサービスもすれば、車も必要になるよ?」


溌:「ウチのコンセプトじゃねーんだよ。客は店の雰囲気も味わいに来てんだぞ?」


雅:「えー? 良いと思うんだけどなー? デリバリーカフェ。『美味しいコーヒーと一

緒に僕もどうですか?』ってどう!」


溌:「どうって、もうエロい発想にしかならねーわ」


慶:「今より儲かりそうではあるがな」


溌:「それはもう風俗であって、カフェじゃねーだろ。はあああ。バカ過ぎて疲れる。お

いオメーら、ここにはのりピーがいることも忘れんなよ。悪ぃーな、のりピー。オ

メーも欲しいモンがあれば……って、のりピー?」


 向けられた視線の先に、頬を赤く染め、俯くみのりがいる。隣に座る慶が「どうした?」とその肩を擦った。涙目で息を乱すみのりに、慌てて溌が額に手をやった。


「熱があるじゃねーか! まさか今日一日、ずっと我慢してたのか?」

「い、いえ……。仕事が終わるちょっと前くらいから、こんな感じで……。すみま、せん、寝れば治ると、思うので……」

 無理に笑うみのりに、「バカ言うな! 今から病院行くぞ!」と溌が手を引く。

「それじゃあ私が――」

「僕が抱っこするよ。倖、タクシー呼んで」

「お、おお!」

 雅にお姫様抱っこされ、「ほえ……?」と熱に魘されるみのりが雅を見上げた。

「大丈夫だよ、みのりちゃん。すぐに病院に連れて行ってあげるからね。行こう、溌」

「ああ!」

「みやびさん……」

 ぎゅっとみのりが雅の服を掴んだ。慌ただしく出て行く雅と溌に、一人残された慶がぐっと目を伏せた。


 夜間病院で診察した結果、風邪の症状と診断された。高熱だった為、解熱作用のある点滴の処置を施され、一時間程みのりは処置室で眠っている。その間、二人は病院のソファーに座り、みのりを待っていた。

「もっと早くに気づいてやれれば良かったんだが……くそっ、ツライ思いさせちまった……」

「うん。僕も気づいてあげられなかった。僕が一番、彼女を気にかけてあげなきゃいけないのに……」

 項垂れる雅に、溌の視線が向けられた。

「……何だかんだ言って、やっぱりのりピーのコトが好きなんじゃねーかよ。オメーらの間に何があったか知らねーが、オメーが姫サマを簡単に手放せねーコトくらい、みんな知ってんだぞ。〝キモチ〟を奪ったって、のりピーは最初からオメーしか見てねーんだから、いつかまた絶対にオメーのコトを好きになる。愛なんて簡単に言うつもりはねーけど、のりピーは姫サマ以上にオメーを愛する為に生まれてきたんじゃねーかって、そう思うんだ」

「そうなのかな? 本当にそう思う? はちゅううう」

 むぎゅっと抱き付く雅を、「だああもう! くっつくな!」と溌が突き放す。

「オメーな! そうやって寂しい時にオレに抱き付くクセやめろっ! のりピーが来てから落ち着いたと思ってたのに、〝キモチ〟奪った途端にまたくっ付きやがって! 全部オメーが悪いんだからな! 寂しいなら、好きな女にでもくっ付いてろ!」

「溌……。そっか、君はもう寂しくないんだね」

「はあ? なんでオレが寂しくなるんだよ?」

「うーそ。寂しくなかったはずがないよ。だって記憶を奪ってからも、ずっとココちゃんのことが好きだったんでしょ?」

「なっ……!」

「お兄ちゃん、知ってるんだよ~? 君が最近近所のお花屋さんに通ってるの。そこにいるんでしょ? 記憶がなくたって、君達はまた付き合う運命なんだろうね。だからもう、寂しくないよね、溌」

 兄の言葉に、溌は思わず胸が詰まった。ぐっと顔を反らし、「しらねーよ」と精一杯強がった。


 点滴を終えたみのりに、若い男の医師が微笑んだ。

「熱も大分下がったようですね。血液検査でも何も異常は見られなかったので、もうお帰り頂いても大丈夫ですよ。ああしかし、まだ無理はされないように。二、三日は安静に過ごされた方が宜しいでしょう」

「あ……はい。分かりました」

 まだ少し頭の中がボーっとするが、大分体も楽になり、微笑みも浮かべられた。点滴の針を抜く医師以外に、処置室には誰もいない。

「お連れの方々はロビーで待たれていますよ。お二人とも、貴方のご兄弟ですか?」

「いえ、兄弟ではありませんが、家族、みたいに優しく接して下さる方達です」

 その言葉に医師がピクリと反応した。そっと微笑みを浮かべる。

「そうですか、それは良かったですね。いえ、私にも血の繋がりはないのですが、家族同然の者がおりましてね、貴方を大事に思う彼らの〝キモチ〟は良く分かりますから」

「ほえ?」 

 向けられた男の笑みに、少しだけ首を傾げる。

「うふふ。今を幸せに生きて下さいね」

 そう言って、医師は空になった点滴を持って処置室から出て行った。不思議な感覚に襲われるも、みのりはロビーで待つ雅と溌の下に向かった。

「のりピー! 熱は下がったか? もう体はキツくないか?」

「はい! 点滴ですっかり良くなりました!」

 空元気を見せるみのりに、「心配だから帰りも僕が抱っこしてあげるね」と雅が笑う。

「ほえっ? も、もう大丈夫ですよ、雅さんっ……」

 顔を真っ赤にして首を振るみのりに、ようやく雅は胸を撫で下ろした。


「――溌佑はつゆう?」

 突然背後から声を掛けられ、溌が振り返った。そこには白衣姿で実習生の腕章を付ける、紫紺色の髪の男が立っている。男が溌の下に駆け寄り、みのりの目に刈上げた男の後頭部が見えた。

「溌佑、そなた斯様な場所で何をしておるのじゃ! もしや医学の道を復活させるつもりかえ!」

「……うるせーな。家族が熱出したから病院に来ただけだろーが。それ以外にこんなトコに来る意味ねーだろ?」

 邪見にあしらう溌に、「溌さん?」とみのりが首を傾げた。そんなみのりに男が目を向けた。

「そなたか。ひい様が仰っていた姫の魂を継ぐ者というのは」

「えっ? 私が姫の魂を継ぐ者……?」

「おいおおとりっ!」

「行こうか、みのりちゃん。外でタクシー待たせてるから」

 雅に手を引かれ、みのりは無理やりその場から引き離された。二人の姿がなくなり、ようやく溌が実習生の男――鳳と向き合った。


「オメーな、余計なコト言ってんじゃねーよ!」

「何を申しておる! わしがどれ程そなたのことを案じておったか知らぬであろうが、溌佑!」

「だからいみなで呼ぶんじゃねーよ! なんで黄鬼の連中は他族の鬼を諱で呼ぶんだよ! 不愉快極まりねーわ!」

「ならばそなたもわしを鳳凰と呼べば良かろう! ほれ、呼んでみるが良い!」

「呼ばねーわ! ……はあ。あのなぁ、鳳。大学辞める時にも言ったが、オレはもう医学の道に進むつもりはねーんだよ。二足の草鞋を履いて今代の『宝物』を守れる程、アイツらとの戦いは生易しいモンじゃねーからな」

 吐き捨てるように言って、溌は兄達の下へと向かう。その後ろ姿が、戦時中に向けられた教師時代の溌と重なった。


「……数多の生徒らが爆撃で亡うなった過去は、そなたにとって如何でも良いのかえ?」


 その言葉に、溌の脳裏で先代の世の記憶が蘇った。立ち止まった溌が、真紅に燃える瞳で振り返った。

「こそこそ隠れて生きながらえてきたようなオメーら黄鬼には、本当の地獄絵図がどんなモンか分からねーだろーな」

「相も変わらず過去を蒸し返されるのを厭うか。されど、平安の世において次兄をそなた自らが手に掛けた過去は消えぬぞ。何より、千年に及ぶこの因縁の始まりが、そなたと冥府の王との間で交わされた密約の下に遡る過去は、誰の手によっても消せぬものよ」

 見下ろす鳳の瞳が黄色に染まる。じっと見つめていた溌が、吐息を漏らし、そっぽを向いた。

「別にどの過去も消すつもりはねーよ。全部禊ぐつもりで今を生きてるしな。……オレには今代でやるべきコトがあんだよ。全部終わったその時には、自分のやりてーように生きるから、それまでは今まで通り陰から見守っててくれよ。なあ、鳳」

「立腹したかと思えば縋る。真、勝手じゃのう、赤鬼は。昔からそうじゃ。そなたらは彼奴らとの戦を因縁と呼ぶが、残される者らの気持ちは如何でも良いのかえ? そなたら頬月の鬼共を含め、我ら四鬼一族が、今猶闇の眷属としてこの世に生きておる。人間との営みに肩入れするのは良いが、ちぃとは他族の者らの気持ちも汲め。少なくともわしは、平成の世にそなたと再会出来たことを嬉しく思うておる。それは我が主、巻廼条家のひい様や、桐生、志規しきとて同じぞ。皆、そなたら兄弟が生きる世が長ければと、そう願うておるのじゃ」

 諭すように鳳が言った。その気持ちが痛い程伝わる。くるりと背を向けた溌が、無言で歩き始めた。

「……溌佑」


 タクシー乗り場まで足早に向かったみのりは、先程の男に言われた言葉が頭から離れなかった。

「良かった。タクシーいるね。あれに乗ろうか、みのりちゃん」

 そう言って先を行く雅の背中を見て、みのりは立ち止まった。

「みのりちゃん?」

「雅さん……。さっき、あの人が言ってたことって、どういうことですか?」

「みのりちゃん……。気にしなくて良いよ。彼は何か勘違いして――」

「じゃあどうして新羅さん達は私のことを姫って呼ぶんですか? ……最初はそれがあの人達のお店に沿った呼び方だって思ってたんですが、最近はそうじゃないような気がして……」

 俯くみのりに、雅が目を細めた。

「雅さんが大事にされていた恋人もお姫様で……私、そう呼ばれる度に、自分が雅さんの恋人だったんじゃないかって、勝手に思うようになって……」

 涙が溢れ、こぼれ落ちていく。

「でも、こんな風に思う気持ちがよく分からないんです。運動会の借り物競争で、雅さんは『PON厨』の私を連れて行かれました。でも本当は違ったんじゃないですか? 本当のお題は『アモーレ!』だったんじゃ――」

 フラっと意識を失ったみのりが、雅の胸に倒れ込んだ。その体を抱き締め、「そうだよ……」と雅が呟く。


「まったく、無理はしないようにと忠告して差し上げたのに……」

 

 病棟から現れた医師の男が、気を失ったみのりの下に近づいた。手首の脈を計り、「心配ないでしょう」と診断する。

「君もこの病院にいたんだ?」

「ええ。人の世で暮らすのも、我ら鬼にとっては重要なことでしょう?」

 白衣姿の医師が穏やかに笑った。その瞳が俄かに青く染まる。

「久し振りですね、雅。風の噂で聞きましたが、今代ではパティシエをされているそうですね?」

「風の噂って、華から聞いたんじゃないの?」

「ええ、まあ。華姫は相変わらず慶にご執心のようですからね。守役である鳳がハラハラしながら毎回送り出しているそうですが、彼女も大分鬼族の姫の重責に耐え兼ねているようですよ? そろそろ本気で婿を見つけねば、永遠に神々の『傀儡』としての定めを強いられるでしょうね」

「正直、鬼の世については興味がないんだよね。四鬼の務めも、跡目の役割も、僕にとってはどうでも良いんだけど」

「それを言い出すと、もう一人の彼が立腹するでしょうね。我ら四人が四鬼の跡目であることは、既に族長らによって決められていることですから。貴方もいつまでも桃太郎一家との因縁に翻弄されていないで、さっさとケリを付けたらどうです?」

「その桃太郎一家のキジ君と夫婦同然のくせに、よくそんなセリフが吐けるね、戒」

 医師は下していた群青色の前髪をかき上げると、「うふふ」と色気を含んで笑った。

「銅源とは彼が桃太郎一家のキジになる前からの付き合いですから、こればかりは仕方がありませんね。彼は元は残虐非道の盗賊。そのような男が私のような冷酷非道の青鬼と夫婦になるのは、因果応報としか言えませんから」

「はっきりそう言い切るところが君らしいよね。男同士でそうなるなんて、僕には全く理解出来ないけど」

「理解されようなどとは最初から思っておりませんよ。幸せの形に他者の意見など求めてはおりませんので」

 そこに鳳と別れた溌がやってきた。

「おや、溌。貴方とも久し振りですね」

「戒さん……この時代でも医者をやってたんだな」

「ええ。相変わらず鬼の世では修験僧ですがね。医学と仏の道、その両者を極めてこそ我が桐生僧の誉れ。銅源も、肉体美モデルと仏の道、貴方が言う二足の草鞋とやらで生きていますから」

「聞いてたのかよ……」

「当然ですよ。貴方も鳳も、私にとっては弟同然ですから。何かあれば実の兄ではなく、義理の兄に頼りなさい。烏帽子兄として力になって差し上げますから」

 にっこりと笑う戒が、腹の底で何を考えているのか分からない。溌は気を失ったみのりに目を向けると、そっと目を細めた。

「おや? 医学の道を頓挫させたことを、悔いているのですか?」

「いや、夢を捨てた代償は覚悟の上だ。その上で守るべきモンを守れねーのは、オレの道理に反してるってだけのコトだ」

「おやおや。相変わらず貴方は気持ちの良い性格をしていますね。その真っ直ぐな志を、少しは貴方の兄らにも見習って頂きたいものですねえ? ……特に次兄は、我が弟らから大分恨みを買っているようですから。時が空けば空く程に、彼らの友情も露と消えてなくなってしまうでしょう。いい加減、『泣いた赤鬼』に詫びに出向くよう貴方から進言して差し上げなさいな」

「ああ、分かったよ」

 溌は吐息を漏らすと、「帰ろうぜ、ミーボー」とタクシーに乗った。みのりを後部座席に座らせた雅に、戒が言う。

「……弟が覚悟という言葉を使ったのです。いい加減貴方も腹を括ったら如何です? あの姫の魂を継ぐ彼女に、全てを話す覚悟を決める時ですよ、雅」

 その言葉を背中で聞いた雅が、何も言わずにタクシーに乗った。そのまま進み始めたタクシーを目で追いながら、「強情ですねぇ……」と戒が薄っすらと笑った。


 目が覚めたみのりが、蛍光灯に照らされる机を見た。そこに自分を模った人形がある。それを手に取り、ベッドで向き合った。

「……胸がもどかしくて、破裂しちゃいそうなの。こんな風に誰かを想う気持ちなんて知らなかったのに、私ね、どんどん雅さんのことが気になって……。これが好きっていう気持ちなのかな……?」

 そこにドアをノックする音が聞こえた。「はい」と返事して、ゆっくりと上体を起こした。

「大丈夫か、みのり。もう熱は下がったと聞いたから、おかゆを持ってきたんだ」

「慶さん……。ありがとうございます。ご心配をおかけしてすみませんでした」

 出来る限りの笑顔で礼を言った。少しだけ慶の瞳が潤んだ気がした。それでも笑って慶が湯気が立つおかゆを冷ます。

「私が食わせてやるからな。ほら、アーンしてくれ、みのり」

 スプーンに盛られたおかゆに、みのりは目を伏せた。

「……あの慶さん、私……」

「分かっている。みのりは兄さんが好きなんだろう?」

「あ……」

「途中まではイケる気がしたんだがなぁ、やはり兄さんには勝てなかったか。……仕方がない。フラれるのは格好悪いからな、私から身を引こう。だがこのアーンは受けてくれ。私の愛がたっぷり詰まっているからな」

「慶さん……」

 パクリとみのりがおかゆを食べた。

「すっごく美味しいです、慶さん!」

「ああ、良かった」

 慶は立ち上がると、腰に手を当てた。

「自ら申告せねばならんだろうな……」

「ほえ?」

「ん? いや、兄弟で決めた約束があるんだ。しかし給料の三分の二か。クリスマスもあるから苦しいんだがな……」

「慶さん?」

 首を傾げるみのりに、慶が優しく笑う。

「何があっても、私達兄弟はみのりの味方だ。私達が何者であっても、みのりを守りたい気持ちに嘘はない。それだけは信じてくれ」

 湯気が立つおかゆを残し、慶が部屋を後にした。階段を上がってきた倖がすれ違いざま、「俺は諦めねえぞ」と呟いた。

「兄さんにとっては、お前が一番脅威だろうな」

 ふっと笑って、慶が階段を下りていった。その後ろ姿に、倖は兄の哀愁を感じ取った。


 リビングのソファに座る雅が瞼を閉じた。酒宴の日の新羅と春姫の言葉が蘇る。

『――てめえが守り切れなかったせいで姫は殺された。そう思ってるてめえには、アイツの生まれ変わりと向き合う覚悟も勇気もねえワケだしな』

『どうして私を……春を置いていなくなってしまわれたのですか? 雅様……』

 千年前の記憶が遡り、桃太郎に敗れた光景に、ぐっと拳を固めた。戒の言葉が蘇った。

『――あの姫の魂を継ぐ彼女に、全てを話す覚悟を決める時ですよ、雅』

 ゆっくりと瞼を開けた。瞳が真紅色に染まっている感覚がある。


「……おかゆ、全部食べたかな?」


「美味いと言ってくれたから、食える分だけ食ってくれると思うぞ」

 

 テーブルに座る慶が瞼を開けた。赤い瞳が、兄に向く。


「……明日には、治るかな?」


「薬を飲んで安静にしてれば、長引くコトはねーだろーよ」

 

 パソコンの前に座る溌が、眼鏡の奥で瞳を赤くさせている。


「……元気になったら、全部話しても良いかな?」


「俺はもう、誰の記憶も消したくねえ。アイツなら全部受け入れてくれるって、信じてる」

 

 雅の前に立つ倖が、しっかりと自分の意見を言った。その瞳は、髪の毛と同じ純血の赤。


「決断してくれ、兄さん。私達は兄さんが決めたことなら、それに従う覚悟でいる」


「慶、溌、倖……こんなダメなお兄ちゃんでごめんね。本当は誰よりも鬼でいないといけないのに、やっぱり一度腑抜けになってしまうと元の極悪非道な鬼には戻れないみたいだ。僕はね、みのりちゃんが大好きだよ。彼女が僕に愛を教えてくれた春の生まれ変わりなら、春にしてあげられなかったことを、たくさんしてあげたいんだ。……こんな人間みたいなお兄ちゃんでごめんね。君達は僕よりもずっと強くて勇敢だ。僕は一度、彼女から逃げてしまった。だからどうか弱虫の僕に勇気をちょうだい。彼女に僕達の正体を明かす勇気を……!」

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