第10話 夢

 

 目の前に、胸を剣で突き刺され、血に塗れた若い男が息絶えた様子で項垂れている。呆然と立ち尽くす、私。おずおずとその男に手を伸ばすも、誰かに腕を掴まれ、無理やり体を引っ張られた。見上げると、そこには、金瞳の男が狂気の口元で嘲笑を浮かべていた――。

「ひゃあ……!」

 みのりが悲鳴と共に起き上がった。

「夢……?」

 息を整えながら、徐々に周囲の状況に、現実が見えてきた。そこは自分の家ではなく、見覚えのあるリビングで、庭から鶏の鳴き声が聞こえてきた。

「うそ……私、どうして……?」

 昨夜の記憶が、途切れ途切れに蘇ってくる。最後に残る記憶は、キッチンで雅を見上げている場面だ。ばっと顔に触れた。高鳴る鼓動が煩いくらいに、耳元で弾んでいる。

「おー、起きたかのりピー。よく眠れたか?」

 リビングに入ってきた溌に、「は、はいっ!」と、みのりの肩が飛び跳ねた。

「すまねーな。ホントは家まで送ってやれば良かったんだが、一人暮らしの家に勝手に入るのもどーかと思ってな。昨日はここで寝てもらったんだ。ソファとはいえ、さすがに寝にくかったろ? 酔ってたみたいだし、体もツラくねーか?」

「いえ。朝までぐっすりでした。変な夢は見たんですけど……」

「変な夢? どんな夢だったんだ?」

「えっと……確か、男の人が血だらけになっていて、胸には大きな剣が刺さっていました。私は呆然と立ち尽くしていたんですが、そこに別の男の人が現れて、私を無理やりどこかに連れて行こうとしたんです……。そう言えば、『PEACHMEN』の社長さんと、同じ色の瞳だったような……」

 そこまで聞いた溌が、「そうか……」と呟いて、みのりに背中を向けた。テレビの電源を点け、「おもしれーニュースでもやってねーかなー?」と急に話題を変えた。

「溌さん?」

 どことなく様子がおかしい溌に、みのりは首を傾げるも、突然誰かに後ろから抱き付かれ、「ひゃあ!」と振り返った。

「おはよう、みのり」

「慶さん!」

「昨夜はゆっくり眠れたか?」

「は、はい~」

 ピッタリと慶にくっつかれ、みのりが紅潮する。ドキドキと心臓が脈打った。

「オイ、慶りん。朝っぱらからくっつくなよなー? デカい図体で暑苦しいんだよ」

「何を言う? 私だぞ? ミントよりも爽やかなハグが暑苦しい訳がない! そうだろう? みのり」

「えっと……そう、ですね?」

 どこか否定的な返事に、ガーンと慶は落ち込んだ。

「け、けいさん!」

「放っとけ。生ごみとして出すから。しっかし、朝からつまんねーニュースばっかだな。もっと景気のイイ話はねーのか?」

 悪態を吐きながら、溌が朝のワイドショー番組を変えていく。とある番組で、溌の指が止まった。

『――今回の映画での、月島さんの注目ポイントはどちらでしょうか?』

『そうですね、今回初めてアクションにも挑戦して、約半年の撮影期間中は、ずっと筋トレや組手の練習をやっていました。格闘シーンも実際自分で演じているので、そういう所に注目してご覧頂ければ幸いですね』

 テレビに映る、ロングのハニーブラウンの女優。色白で、穏やかな微笑みを浮かべている。

「うわぁ!  私、この女優さん大好きで、この人が出る映画やドラマは全部観てるんです!  すっごく綺麗で優しそうな人ですよね~。いいなぁ、私もこういう人になれたら、きっと毎日が楽しいでしょうね~」

 みのりの憧憬に、さっと溌がテレビを消した。

「あっ……!」

「ま、人は見かけじゃねーと思うぞ?」

「ほえ? 溌さん……?」

「そうだな。女優なんて、テレビで見せている顔と、本来の顔は、全くの別物だからな。そこに憧れて、実物を知ったら、きっとガッカリするんじゃないか?」

 急に二人の態度が冷めたものに変わり、みのりは困惑した。

「ふわぁ……って! なんでオマエがウチにいるんだ!」

 ドアを開けた倖が、一気に警戒した。

「何を言っているんだ、倖。昨夜の出来事を、もう忘れたのか?」

「あ、そ、そういえば、そんなことになってたな。すまねー」

「いえ! 私が勝手に寝ちゃっただけですし! ……って、あれ? 私、いつの間に着替えて……?」

 その時初めて、みのりは自分がドレス姿ではないことに気が付いた。スウェットのズボンに、黒色のTシャツ。そこにはパンクファッションのパンダの絵柄と、銀色で大きく、BMTの文字が横切っている。

「BMT?」

「ああそれ、俺のBメタのTシャツだ。あ、安心してくれ。観賞用に買ったやつで、未使用だから……」

「観賞用? そんなに大事なものをお借りして良かったんですか?」

「あ、ああ……」

「構うこたぁねーよ、のりピー。コイツはおんなじモン、腐る程持ってんだよ、バカだから」

「バカだとっ! ふざけんな! 既に一枚犠牲になってんだぞ!」

 雅によって、上下左右に伸ばされた無残なTシャツが蘇る。

「あ、あの! ありがとう、ございました」

 動揺が残るも、みのりは礼を言った。

「でも、私どうやって、ドレスを脱いだんでしょう?」

 ビクン! と三人の肩が跳ねた。

「あ、ああー……みのりが自分で脱いで、自分で着替えたんだ」

「ほえ? でもあのドレス、背中のホックが、自分では外せないようになっていて……」

「ゲッ! ……ああ、そう、……そうです。オレらで着替えさせました」

「へええっ!」

「お、おおお、おれは見てねえぞ! 女の下着姿なんて、直視できねえし!」

「に、にいさんが着替えさせたんだ!」

「雅さんが?」

「だが安心してくれ! 兄さんが変な気を起こさないよう、私が傍でしっかりと見張っていたからな!」

「へ? 慶さんが?」

 泣き出しそうなみのりに、「安心してくれ。そんな慶りんが暴走しないよう、オレもしっかり見張ってたからよ」

「溌さんが? 良かったぁ」

 ほっと安堵するみのりに、「何故溌なら安心するんだ!」と慶がツッコんだ。

「おはよー」

 そこに、大きな欠伸をしながら入ってきた雅に、みのりは一気に緊張した。昨夜のキッチンでのやりとりを思い出そうとしても、一体何を話していたのか思い出せない。それどころか、着替えまでさせてしまったことに、まともに雅と目を合わすことすら出来ない。

「ああ、みのりちゃん。昨日は酔ってたみたいだけど、体は大丈夫? 二日酔いにはなっていないかい?」

「だ、だだ、だいじょうぶです!」

「そう、良かったね」

「あ、あのっ……! 昨日は本当にすみませんでした! 酔っ払ってしまった挙句、お家にも泊めて頂いて……! 着替えも、ありがとうございました」

「んー? 気にしないで。変なことは何もしてないから。それよりも、なんかお腹空いちゃったなぁ。慶、朝ごはんまだー?」

 みのりの慌てぶりにも気を留めることなく、雅は席に着いた。

「ああ、今から用意するから待っててくれ」

 台所へと向かう慶の後を、「私もお手伝いします!」とみのりが追った。

「そうか。なら、倖と一緒に、卵を採ってきてくれないか?」

「卵、ですか?」

「ああ。庭で鶏を飼っていて、カフェのメニューにも、ウチの鶏の卵を使っているんだよ。毎朝産みたての卵を使っているから、新鮮で美味いんだ」

「そうなんですね! 分かりました。倖さんと一緒に採ってきます!」

 そう言って、みのりは庭へと向かった。

「――倖くん!」

「おわっ! ど、どうしたんだよ? 何か用か?」

 庭に姿を現したみのりに、卵を採っていた倖が慌てた。

「えっと、慶さんに倖くんと一緒に卵を採ってきてって言われて。私も一緒に、鶏さんの卵を採っても、いい……ですか?」

「べ、べつにかまわねえけどっ……! け、けいご、使わなくてもいいって、言っただろ……」

 倖が顔を真っ赤にして、目を反らした。その様子に、みのりも照れる。

「う、うん。じゃあ、一緒に採ろう?」

「お、おお」

 みのりは、柵で囲った鶏小屋の中に入った。倖の後ろに続き、十数羽いる鶏の卵を採っていく。

「すごいね、倖くん! 産みたての卵って、こんなに温かいんだね!」

 ほんわかとしたみのりの笑顔に、思わず倖は見惚れた。

「お、おおお!」と返答し、みのりから火照った顔を隠す。

「ねえねえ倖くん、この鶏さん達って、普通の鶏さんじゃないよね?」

「あ、ああ。一応、烏骨鶏、だけど……」

「烏骨鶏なんだ! そっか。だから濃厚で味わい深い料理になるんだね」

 カゴに卵を入れていくみのりの心が弾んだ。ついでに会話も弾めばと、緊張した様子の倖に、三人の兄の話題を振った。

「皆さん、すごい人ばかりだよね。雅さんも慶さんも溌さんも、自分の仕事に対して熱心だし、好きなことを仕事に出来て、幸せそう」

 心からそう信じるみのりの言葉に、倖は面喰った。俯き、目の前で産み落とされた卵を見つめる。

「……雅兄と慶兄はそうでも、溌兄だけは、そうじゃねえんだ」

「ほえ? 倖くん……?」

 振り返ったみのりの目に、心苦しそうに俯く倖の姿が映った。

「溌兄は、自分の夢を捨ててまで、店の経理としての道を選んだんだ。本当にやりてえことは、経理なんかじゃねえだろうに……」

 倖は産みたての卵を手に取ると、それを軽く握り締めた。

 

 朝食が出来上がり、皆でテーブルを囲む。産みたて新鮮なスクランブルエッグに、焼きたてのパンとソーセージ。ジャガイモとアサリのポタージュも付いて、豪華な朝食だった。

「うわぁ! やっぱりプロが作る朝食は違いますね!」

「いや、みのりが手伝ってくれたからな。少しばかり張り切ってしまった。いつもはもっと地味な朝食だぞ?」

 慶の笑顔に、「いただきます」と、みのりは弾んだ声で言った。兄弟達も同じように言って、みのりのいる食卓に、淡い気持ちを募らせていく。

 食後、食器を洗っていたみのりに、再び慶が後ろから抱き付いた。

「ひゃっ……! 慶さん?」

「ありがとな、みのり。色々手伝ってくれて」

「い、いえ! 泊めて頂いた上に、豪華な朝食まで頂いてしまって! 他に何か出来ることがあったら、仰って下さい!」

 みのりが緊張しながら食器を洗う。その柔らかい体を後ろから抱き締めて、慶は綺麗な首筋に唇を落とした。

「ひゃあ!」

 皿が滑り落ち、慌てて振り返った。

「な、なにするんですかぁ?」

「んー? 私の仕事を手伝ってくれた礼に、な」

「ですから! お礼をするのは、私の方なんですってば!」

「ハハ。それは悪かった。ではもう一つ、私の仕事を手伝ってはくれないか?」

「ほえ……?」 

 心臓が激しく脈打つ中、みのりは首を傾げた。

 

 近所のスーパーに、食卓一週間分の食材を買いに来た、みのり。カゴを二つ乗せた台車を押す慶の隣から、彼が指示する食材を手に取っていく。

「――うわぁ! 一週間分ともなると、こんな量になるんですね」

「ああ。いつもカゴ二つが山盛りになるからな。ウチは男所帯だし、ああ見えて兄さんは、大食らいだしな」

「ほえ? 雅さんが?」

「意外だろう? イタリアにいる頃なんか、毎日のようにピザを作らされたし、パスタだって山盛りにしなければ、不機嫌になるくらいだったしな」

「ほえ~意外ですね。でもイタリアって、本格的な修行の場ですもんね。たまに雅さんが話す言葉って、イタリア語ですよね?」

「ああ。だが、あの顔からは想像もつかないような言葉が飛び出ているぞ。まあ、私と溌以外には、伝わらないだろうがな」

「溌さん?」

 再び三男の名前が出てきて、みのりは立ち止まった。

「どうした?」

 台車を押す慶が振り返る。

「あの……溌さんは、経理の仕事がお嫌いなんでしょうか?」

「経理? 急にどうしたんだ? 溌が何か言ったのか?」

「いえ! ……ただ、倖さんが、溌さんは夢を捨ててまで、お店の経理になったと仰っていたので。溌さんの夢って、何だったんだろうって……」

 みのりの言葉に意表を突かれるも、慶は頬をかいて、視線を反らした。

「あいつはな、兄弟の中では一番優秀で、聡明な弟だったんだ。……昔、目の前で多くの人間が死んでしまってな。その時に何も出来なかった自分を悔やんで、今代……いや、まあ、小さい頃から医学の道を志していたんだ」

「医学……」

「ああ。大学もストレートで医学部に入学出来たんだがな、店を始めるにあたって、あいつはすっぱりと大学を辞めたんだ。別に夢を諦める必要などないのに、あいつは律儀に『宝物』を守る道を選んだ」

 慶の遺恨を思わせる説明に、みのりは心が沈むような感覚がした。

「今言ったことは、溌には内緒な。あいつ、過去を蒸し返されることを、一番嫌う奴なんだ」

「……はい」

 そう口から出たみのりの目が伏せられた。

 

 買い物から帰ったみのりは、スーパーで買った服を着て帰り支度を済ませると、リビングで経理業務にあたる溌に、帰る旨を伝えた。

「おー。もう少しゆっくりしてってもいーんだが、ま、ここにいちゃあ、逆にゆっくりも出来ねーよな」

 眼鏡姿で溌が笑う。傍らにはUSBが置いてあって、そこにみのりから貰った、キリっとした表情の溌人形が付けられていた。みのりは昨夜着たドレスとTシャツ、スウェットを持って、頭を下げた。

「あの、お借りした服は、ドレスと一緒にクリーニングに出してからお返ししますので、倖さんにもそうお伝え下さい」

「別にそんなことまでしなくていーぞ。ある意味、実用用に移行するだけだからな」

「へ? 実用用?」

「いや、男の話。しっかし、のりピーが帰るっつーのに、他の奴らはどうしたんだ?」

「皆さん、日頃の疲れが出ているようで。お部屋で休まれています」

「ったく、オレがこうして、休みの日まで経理業務やってるっつーのに。あの煩悩まみれのクソ兄弟どもはっ……」

 溌が疲労の吐息を漏らした。

「あ、あの、溌さん! よろしければ私にも、経理のお手伝いをさせて下さい!」

「いーよ。のりピーも疲れてるだろ? 明日からまた週末デーで忙しくなるし、早く帰ってオメーも休め」

 再びパソコンに顔を向けた溌の横顔が、店を第一に思う心情を表している。みのりは胸を押さえた。不思議と、倖と慶が溌に抱く感情が溢れ出してくる。その様子に気づき、溌が振り返った。

「のりピー?」

「……わ、たし、溌さんが一番ご兄弟の中で、お店を大事にされていると思うんです。いつもいつも溌さんが、ご兄弟の先頭に立ってお店を守っているって、知っているんです……」

「のりピー……」

 俯いて口を噤むみのりに、溌がボソリと呟いた。

「……家まで送ってくよ、のりピー」


 秋雨前線の影響からか、正午前にも関わらず、涼しい風が吹く。その中を、溌が隣町に住むみのりをアパートまで送る。二人で路地を歩きながら、新しく始める料理教室について話した。そうこうしている内に、みのりのアパートが見えてきた。木造二階建てのボロアパート。錆びた手すりと玄関の外に置かれた洗濯機が、昭和の雰囲気を醸し出している。

「へえ、こんなトコに住んでんのか、のりピー」

「はい。短大も奨学金で行って、余裕もあまりなかったので。少しでもお家賃の安い所を選んだんです……」

 恥ずかしそうに俯くみのりに、「そっか……」と、溌はその現状を理解した。

「……オレも、大学は奨学金で行ったんだ」

「へっ?」

 溌自ら過去を蒸し返そうとする発言に、みのりは慌てた。

「なーにアタフタしてんだよ。オレはただ、オレの過去を、オメーにも知ってて欲しいだけだ」

 そう言って、溌は鱗雲が広がる秋空を見上げた。

「……ウチはかなり特殊な家でな。ま、なんて言えばいーのか、本当の生みの親と、代理で産んだ……育ててくれた親が違うんだ。代理の母親とは、高校時代に倖のことで衝突しちまってな、ミーボーと慶りんのイタリア修行の用立てもあったから、オレはオレでやりたいことの為に、苦労も厭わない覚悟で大学に進んだ。オレな、こんなんだけど、医者になろうと思ってたんだ。目の前で人間が死んでいくサマは、人間同士の戦争でも、無力な自分に腹が立ったから……。けど、ホントはもっと昔、ミーボーがあの男にっ……」

 背中で語る溌の拳が、小刻みに震えている。

「溌さん?」

 みのりの声に、握り締める拳から力が抜けていった。

「今朝見た夢はきっと、姫サマにとっても、忘れられねー光景なんだろーな」

「ほえ?」

「けど、オレらで守るから。もう二度と、ミーボーの『宝物』を奪わせやしねーから」

 そう決意を込めた溌がみのりに振り返った。困惑するみのりの表情に、溌が優しく微笑んだ。

「兄弟がいて、のりピーがいるあの店が、オレにとっての『宝物』なんだ。それを守る為ならば、オレは何でもする。経理だって、オレにとっては天職だと思ってるよ」

 そう言い切った溌に、みのりは胸を押さえ、頷いた。今朝見た夢の光景が蘇る。何かが這うような感覚に、言い知れぬ不安が過った。

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