第11話 腐女子のお嬢様
土曜日の昼下がり、ランチ客が引いた時間帯に、みのりは店の前の花壇に水やりをしていた。そこに、無理やり手を引かれてやって来る、セーラー服姿の女子高生が現れた。一人が懸命に説得しながら、もう一人は必死に抵抗している。二人の女子高生のやりとりに、「ふふふ」とみのりが笑う。店の前で、「やっぱり無理です! 帰りましょう!」と抵抗する女子高生が叫んだ。
「何を今更言ってるの! もうひと月以上経ってるんだから、そろそろハッキリしてもらわなきゃっ……!」
抵抗する女子高生を、無理やり店の中に連れ込もうとする生徒には、見覚えがあった。
「ハナちゃん?」
「え? あ、ああ! みのりさん、こんにちはー」
PON厨仲間のハナが挨拶し、「ほら、行くわよ!」と、抵抗する女子高生の手を引いていく。
「無理無理無理ですっ! 本当に無理なんですってばー!」
「ど、どうしたの? すっごく嫌がってるみたいだけど」
「関係ありません! 今から告白の返事をもらいに行くだけなのでっ!」
「え? 告白……?」
「――で、貴方が以前倖にファンレターを書いた、桃園女学院清風学舎一年A組、神宮寺百合亜さんということで、宜しいのですね?」
ストレートの黒髪で、頭に赤いリボンのカチューシャを付ける百合亜に、溌が再確認する。
「は、はい! す、すみません、急に押しかけてっ……にゃあ!」
ソファ席でハナの隣に座る百合亜が、勢い良く頭を下げて、テーブルに額を強打した。
「だ、だいじょうぶですか! 落ち着いて下さい、今紅茶をお持ちしますから!」
急いで溌がキッチンへと向かった。
「オイ、ヤベーぞ! かなりテンパってらぁ!」
溌も慌てふためいて、兄達に報告する。
「ふふ。カワイーじゃない。初々しいねえ」
「可愛らしい娘なんだろう? 良かったな、倖」
兄達の視線が、キッチンの奥で、テーブルクロスに包まる倖に向いた。ガタガタ震え、半泣き状態でみのりに説得されている。
「お、おおお、おれはぜってぇ出ねえからな! 早く帰ってもらってくれ!」
「そんなこと言わないで、倖くん。ファンレター貰って、もうひと月以上経っているんでしょ? 流石にそろそろ返事をしてあげないと可哀想だよ?」
「みのりの言う通りだ。さっさと出て、OKするなり振るなりしてこい」
「な、なななんて言えばいいか分かんねえし!」
「そんなに難しく考える必要はないよ。好みのタイプだったらYESを、そうでもなければNOを向ければ良いだけさ」
そう言って、雅がYES/NO枕を持つ。
「どうしてそんな物持っているんだ、兄さん……」
慶の呆れた視線が雅に向けられた。
「オラ! オメーも男なら潔く腹を括れ! あんな清楚な子がオメーを好きになってくれたんだぞ! さっさと出て、童貞捨ててこいっ!」
「ムリムリムリっ! ムリだっつーんだよ! じょしこーせーなんて、世の中で一番怖えー生きモンだろー!」
「オニガナニイッテンダっ」
溌がほぼ全ての言葉を歯で噛み砕きながら言った。みのりには、ゴニョゴニョとしか聞こえない。無理やりホールに引っ張り出そうとする溌と、必死に抵抗する倖。どこまでも往生際の悪い四男に、遂に三男がキレた。
ごそごそごそ、と溌が倖に耳打ちする。
「……分かった。行ってくる!」
何を伝えたのか、すっかり腹を括った別人となって、倖が立ち上がった。
「何を言ったんですか!」
傍らから見ていたみのりには、全く流れが掴めなかった。
紅茶を持ってホールへと出た倖に、百合亜が「ひゃ~」と顔を赤らめた。彼女の下に、倖がロボット歩行で進む。腹は括ったものの、いざ目の前にすると、緊張で体が硬直した。その様子を、溌とみのりの二人が、遠くから見守る。
「ど、どどどど、どうそ」
(オメーはロボットか!)と心で溌がツッコむ。
「あ、ああああ、ありがとう、ございます」
百合亜も緊張から、感情が全く込められていない。顔も無表情だ。
(オメーもかよ!)
二人が沈黙し、互いに顔を伏せた。そこに機転を利かせたハナが、百合亜に話を振った。
「ほら百合亜! 自己紹介!」
「はっ、そうでした……! あの、桃園女学院清風学舎一年の、神宮寺百合亜と申しますっ! せ、せ先月は、いきなりお手紙を、制服のポケットに忍ばせて、申し訳ございませんですっ……! にゃっ!」
再びテーブルで額を強打する。
(いや、テンパりすぎだろっ)とツッコむ溌の隣で、
(頑張って、百合亜ちゃん!)と女心全開で、みのりが百合亜を応援する。
「それで、百合亜の気持ちは、倖さんに伝わりましたか?」
「えっ! あ、ああー……」
倖の脳裏に、ファンレターの文章が蘇った。堅苦しい言葉の羅列で、笹舟という言葉しか思い出せない。
「えっとー……俺、昔笹舟浮かせて遊んでたら、死にかけたコトがアル」
(なんちゅー話してんだよ、アイツ! ソレ五百年も昔のコトだろーが!)
「え? 一体何の話ですか?」と首を傾げた百合亜に、
(オメーが愛の笹舟とか書くからだろーが!)と溌がツッコむ。
「それで倖さん、お返事をお聞かせ頂いても宜しいですか?」
「えっ?」
「ちょ、ちょっと待って下さい、ハナさん! まだ心の準備がぁ……!」
「往生際が悪いわよ! さあ倖さん、ハッキリ言ってあげて下さい!」
「えっ? あ、え、あ、え、あっ!」
(倖くん、しっかり~!)
みのりが手に汗握りながら応援する。
「お、お、おおお、おれはっ」
「――どうも~。倖のお兄ちゃんの雅でーす。三時になったので、カワイコちゃん達に、美味しいドルチェを持ってきましたー」
そこに突如雅が現れた。両手には、二人分のドルチェを盛り付けた皿が乗せられている。
(雅さん?)
(マジかよ。アイツがクビ突っ込むなんて、珍しーな?)
溌が訝しがる。
「み、雅兄ぃ~」
「ほうら、倖。これ、忘れ物だよ?」
そう言って、雅がYES/NO枕を手渡した。「ほげっ!」と倖が硬直する。
(ナニやってんだ、アイツ! なんでこの場でYES/NO枕だ!)
「それからコレも」
そう言って、笑顔でコンドームを倖に手渡す。
「ぎゃあ!」
「い、いい、いきなりはちょっと~!」
完全に行きつく先が、ラブホだと勘違いした。
「ち、ちがう! これは兄貴の私物で! 俺のじゃなくて!」
「倖さん、百合亜の体はまだ、穢れを知らない乙女なので……」
「だからそんなつもりじゃねえって!」
大パニックを起こす倖と、ゆでダコ状態の百合亜。彼らの様子に、みのりも紅潮した。隣から溌が冷静に言う。
「ああ見えて、結構肉食系だからな、ミーボー」
「ほえっ!」
ビクっとみのりの肩が飛び跳ねた。
「それじゃあ、ごゆっくりー」
その場から立ち去ろうと、雅がくるりと体を回転させた。その間、ハナと見つめ合い、互いに不敵に笑う。
「ナニしに来たんだ? アイツ……」
ニコニコ笑顔でキッチンへと戻る雅を、呆然と溌が目で追った。
「……わ、わりぃけど、お、お、おれは、今、好きなやつが、いて……」
急転を見せる倖に、見守る溌とみのりも息を呑む。
「だからその、あ、あんたとは、付き合え、ない……」
「倖くん……」
顔を真っ赤に口籠るも、しっかりと断った倖に、みのりはどこかで、ほっと安堵した。
その場で百合亜が沈痛な面持ちとなる。「……分かりました。だったら……」と悲痛の返事をした後、ばっと勢い良く顔を上げた。
「だったら、倖サマ総受けで、同人誌を作っても宜しいですかっ!」
一点の曇りもない瞳で、稀に見る生き生きとした笑顔だったと、後に溌とみのりが遠い目をして語った。
「……は? はああああ?」
「実はわたくし、趣味で同人誌を描いているのですが、漫画やアニメの二次創作に飽きてしまって、三次元のちゃんと実在する方達で、同人誌を作ろうと思い立ったのです!」
「三次元!? 実在!? 同人誌!? 思い立ったぁ!?」
ビックリマークとクエスチョンが飛びまくるホールの様子に、「ふふふ」と雅が楽しそうに笑った。
「ほらね、僕の言った通り、ただのお嬢様じゃなかったでしょ?」
「ああ。完全なる腐女子のお嬢様だったな」
「愛の茎とか露骨すぎだもん。まあ、彼女にとっては、ネコとかタチとかと同じ感覚なんだろうけど」
「やけに同人用語に詳しいな、兄さん」
「やだなぁ、どれだけの世を渡り歩いてきたと思うの? 男色もホモも、いつの時代にだっていたでしょ?」
「ま、まあな。だが、倖が総受けとは……。って、攻めは私達ってことかっ?」
「恐らく彼女の中ではね」
丸窓から覗く百合亜が、目を煌めかせて倖に語っている。
「――それで! 倖サマはお兄様方の中で、どなたが一番お好みですかっ?」
「どなたも好みじゃねえよ!」
「では一番絡みやすいすぐ上の溌さんで、3×4ですね!」
「さんかけるよん!? じゅうにっ!?」
「ああでも、クール×ぶっきらぼうで、2×4でも良いですね!」
「にかけるよん!? はちっ!?」
「待って! 長男×末弟で、1×4も捨てがたい!」
「いちかけるよん!? ごっ!?」
(4だバカっ! なんで一番簡単な1の段が出来ねーんだよ!)と溌がツッコむも、
「末弟総受け万歳! 創作意欲湧いてキター!」
「溌兄ぃー!」
百合亜の暴走に、最早手に負えない倖が、涙目で助けを求めた。
「あ、ああ。……あのお客様、店内でのR指定を臭わせる妄想は、ご遠慮下さい……」
パチパチと百合亜が溌を見上げる。
「普段はツッコミ要員で、兄弟を罵ったり、馬鹿にしたりする割に、いざとなったら優等生要素を醸し出す、3(溌)。うーん、攻め3の受け7ですね」
「はいい? 何の話ですか、一体!」
そこに、みのりのバッシングを手伝う慶が横切った。
「普段はクールで冷静なのに、コニポン。のこととなると、変態ロリコンシェフと揶揄されても、美形キャラを捨ててどこまでも突っ走る、2(慶)。うーん、攻め7の受け3ですね」
「は? 私……?」
困惑する慶に、「どうしたの?」とレジを打っていた雅が訊ねた。
「普段は温厚で優しいお兄ちゃんなのに、兄弟で一番エロ要素出してきたり、意外にも暴言・暴行率が一番高い、1(雅)。うーん、攻め9の受け1ですね」
「うわぁ! 僕にも受け要素が1あるんだぁ!」
怯まない態度は流石長男。
「そして、普段はぶっきらぼうで、人付き合いが苦手だけど、本当は誰よりも他人の心に敏感で、優しい心を持つ、4(倖)。うーん、攻め1の受け9ですね」
「イチ!? お、おれだって男だぞ! 俺にだって、もっとタチ要素あるからな!」
そう倖はツッコんで、はっと我に返った。自分が何を口走ったか、恐ろしくて訊けない。
「フフ。そういうところが、わたくしの心に愛の笹舟を浮かせたのですよ。つらい過去を乗り越えて、前を向いて歩き始めることが出来たのは、何もお兄様達の存在だけではないはずです」
そう言って、百合亜は一生懸命に働くみのりに目を向けた。
「わたくしはBL(ボーイズラブ)専門ですが、NL(ノーマルラブ)のご要望があれば、いつでも仰って下さいね。たとえ二次元の創作であろうとも、殿方のオカズにはなるはずですから」
雅を除く兄弟の肩が大きく跳ねた。
「し、しかし、やけに私達に詳しいな?」
慶の疑問に、百合亜の隣に座るハナが「ククッ」と笑った。
「ハナちゃん……?」
「さあ、仕事に戻るよ、慶」
雅が慶を連れ、キッチンへと戻っていった。
「――色々と暴走してしまい、申し訳ございませんでした」
夕暮れ時、平常心に戻った百合亜が、レジの前で倖に謝罪した。
「い、いや……俺も、アンタの気持ちに、応えてやれねえから……」
「ということはつまり、同人誌を描いても良いということですか?」
「そ、それは、俺達の目の届かないトコだったら……! って、あんまり気分のイイもんでもねえけど……」
「そ、そうですよね。すみませんでした。ご本人を前に、気持ち悪い趣味を晒してしまって……」
百合亜の傍らには、ハナが無言で立っている。百合亜が沈痛な面持ちで目を伏せた。
「もう、お店にも来ないようにしますから……」
「あ、い、いや……! 戦略会議を開いた手前、客足がこれ以上減るのは、困る、から……」
倖の声が小さくなっていく。百合亜が不安げに倖を見上げた。
「で、では、またこちらに訪れても、宜しいですか?」
「お、おれは、かまわねえけど……」
紅潮する倖の顔に、パアアアと百合亜の表情が明るくなった。
「ありがとうございます! 倖サマ!」
とびきりの笑顔に、倖はギクリとした。思いがけず、心臓が飛び跳ねてしまった。どこか初々しい二人の隣で、ハナが無表情に視線を外した。
「はい、これ。君の忘れ物だよね?」
向いた先に雅が立っていて、花柄の手帳をハナに手渡す。
「そんなに今の僕達の生活をかき乱すのが楽しいの? それとも、単にまた慶で遊びたいだけなのかな? ハナちゃん?」
「ああ、その手帳! ハナちゃんのだったんだね!」
雅の後ろから出てきたみのりが、純粋に笑った。その様子に、「……フっ」と、ハナが意を含ませるように笑った。
「……何じゃ、何度生まれ落ちようとも、腑抜けは腑抜けのままじゃのう」
顔を上げたハナの瞳が、黄色く染まっていく。
「ハナちゃん……?」
パチンとハナが指を鳴らした後、みのりと百合亜、それから店内にいる全ての客が眠りに落ちた。
「なんだ!」
「こいつぁっ……!」
慶と溌がキッチンから飛び出てきた。異様な空気の中、ただ一人起きているハナに、慶が怪訝な表情を浮かべる。
「ハナちゃん……?」
「まだ
「えっ、ま、まさか、ハナちゃんて……!」
ハナが制服姿から、露出度の高いチャイナ風ドレス姿に変貌した。顔つきも変わり、切れ長の目と妖艶な口元が華麗さを醸し出す。黒かった長髪も、杜若色のウエーブヘアーとなって、足首まで伸びた。
「ひいさまっ」
仰天の声を上げる慶に、豪勢な扇子を取り出し、ハナが口元を隠して歩み寄る。
「この姿で邂逅するのは久しいのう。相も変わらず、人間好きの酔狂者のようじゃな、
慶がゴクリと唾を飲み込んで、緊張から背筋を伸ばした。それに気づき、俄かにハナが不機嫌オーラを出す。
「君も相変わらず、蛇のようなお姫様だね、
「フン、戯けたことを申すでないわ、
そう言うと、ハナ――華姫は扇子を閉じ、それで慶の顎を持ち上げた。
「どうじゃ? 人間のハナは、今代のそなたの嗜好に沿っておったじゃろう?
妖艶な肉体を押し付けられ、慶は押し黙った。その様子に華姫の眉間が動く。壁にもたれ掛かって眠る、みのりに目を向けた。
「……いくらそなたが人の子を愛そうが、『泣いた赤鬼』の末路が不幸であると、身をもって知っておる筈じゃ。所詮、そなたは鬼。人の子とは相容れぬ存在じゃと、とうの昔に気づいておるじゃろう?」
華姫の言葉に、ぐっと反応した。慶は華姫と向き合うと、「……それでも私は、人間を愛したい」と確固たる信念の下、告げた。
「フン。何度鬼に生まれ落ちようが、酔狂者に変わりあらぬか。……まあ良い。あの姫の魂を継ぐ者が、そなたら頬月の鬼共の
「束の間の学生ライフは楽しかったかい? 華姫」
「悪くはなかったが、級友がそなたらのまぐわいを描きたいと言い出した時は、流石に肝を冷やしたぞ? ……まあ、俗世を知る良い機会にはなったがのう」
「私達の情報を彼女に流したのは、ひいさまだったのか」
「そうじゃ。じゃが、それももう終いじゃ。次にこの者らの目が覚めた暁には、ハナの記憶は誰にも残ってはおらぬでなぁ。そなたらが幾つもの時代に、生みの親から一切の記憶を消し去ったようにのう?」
「……アンタが化けてたハナに関わった奴らの記憶を、全て消したのか?」
溌が固唾を呑みながら訊ねた。
「
「アンタら黄鬼にはカンケーねーだろ? あの時、千年前の桃太郎一家襲撃時に、アンタらはただ、隠れてただけだからなぁ?」
「は、はつにぃ……!」
挑発的な溌とは異なり、沈黙していた倖は焦りを隠せない。
「良いのじゃ、
嘲笑を浮かべ、兄弟を
「……これも縁の結びつきによるものよ。そなたが二十七の年に、妾ら三人が、二千七百歳の年を迎えるのじゃからのう。此度こそ、鬼が桃太郎に勝利する時ぞ?」
雅とすれ違い様、華姫が勝気に笑った。無表情に雅は一点を見つめている。そのまま華姫が店を後にした。
ふわっとした感覚がして目が覚めると、いつの間にか眠ってしまっていたと、店内の人間達は驚いた様子で起き上がった。みのりが百合亜を笑顔で見送る。人間達は、つい先程まで店内にいた女子高生を、誰一人として覚えていない。ただ四人の鬼達だけが、花柄の手帳を持ち帰った彼女を、神妙な面持ちで振り返るだけだった。
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