第12話 かぐや姫

 ――火曜日の午前九時。

 開店時間まで残り一時間。兄弟とみのりは今日もいつもと変わらず、それぞれが開店の準備に取り掛かっている。

 そんな『ほおづキッチン!』の店の前に、一台の高級車が停まった。その後部座席から降りた、一人の若い女性。大きなサングラスをかけ、ノースリーブの真っ赤なワンピースを着て、腰まで伸びるハニーブラウンの長髪。

 店構えを見上げ、小さく笑った。

「……へえ。こないなトコに作ったんか」

「はっ……!」

 その瞬間、店内にいた兄弟が、一斉に緊急事態を察知した。


「フンフーン」

 鼻歌混じりに、みのりがホールの床を箒で掃いている。そこに溌と倖が怒涛の勢いで走り込んできた。二人とも慌てに慌て、一心不乱に入り口のドアを引っ張る。只ならぬ状況に、みのりは困惑した。

「ほえ? 急にどうされたんですか? お二人とも」

「すまねーなっ、のりピー! 詳しい話は今できそーにねーんだわ!」

 ガチャガチャとドアノブが回る音がする。誰かが店内に入ろうとしていた。

「や、やべえぞ、溌兄っ! このままじゃあ、そう長くはもたねえぞ!」

「何としてでも持ち堪えろ! つーかアイツらはどうしたっ!」

「雅さんと慶さんですか?」

 みのりがキッチンを覗きに行った。神妙な面持ちの雅。

「……ごめんね、慶。僕はもう、死んだことにしてくれる?」

「逃げるな!」

 キッチンの窓から逃亡しようとした雅を、慶が引き戻す。

「やだやだやだっ! 僕にこの状況の打開策なんてないんだよ!」

「だからと言って、一人だけ逃げるなんてズルイぞ、兄さん! 私だって今すぐ逃げたいんだ!」

「じゃ、じゃあ二人で逃げようよ!」

「駄目だっ! あいつらだけで手に負える相手ではないだろう!」

「じゃあ慶が相手すれば良いじゃないっ!」

「アホかっ! 可愛い弟を犠牲にするつもりかっ! それでも長男なのかっ!」

「僕だって好きで長男に生まれてくるワケじゃないよ!」

 キッチンでも兄弟が何かに怯え、平常心を保てなくなっている。

「あ、あのう……」

 そこに、状況を掴めていないみのりが二人に声を掛けた。

「はっ! そ、そうか! みのりちゃんがいたんだった!」

「だからみのりまで被害者にするんじゃないっ!」

「大丈夫だよ! ああ見えてあの子、女の子には優しいから!」

「あの子……?」

 その時、ドアが開く音がした。先程まで騒がしかった溌と倖の声も、いつの間にか消えていた。

「まずいっ……!」

 二人同時に悪寒が走る。店内を誰かの足音が響く。それはハイヒールのコツコツ音で、キッチンにいるみのりも、何故だか緊張した。女性の鼻歌で、『ダースベイダーのテーマ』が聞こえてきた。

「フンフンフー フーフフー フーフフー フンフンフー フーフフー フーフフー」

 キッチンに鼻歌が近づいてくる。

「こわっー」

「暗黒面がっ……暗黒面がくるっ……」

 慄く雅と慶。

「フンフンフー……」

 ドアの前で、ピタリと鼻歌が止まった。みのりも固唾を飲む。バンっと勢いよくドアが開いた。

「わるいごはいねがぁぁぁ!」 

「ひゃあああ! ナマハゲええええ!?」

 キッチンに入ってきた女性の上半身には、ナマハゲの被り物がされていた。その瞬間、バタンと雅がその場に倒れた。チーンと魂が抜ける。

「雅さーん!?」

「兄さん!? くそっ、こうなったら逃げるが勝――」

「どこ行く気なん? ケイ」

 逃げようとした慶の首元に、背後から尖った赤色のネイルを突き立てるナマハゲ。

「慶さん!? いつの間に……?」

 みのりには、ナマハゲが瞬時に、慶の背後を取ったように思えた。

「あわわわわわ……!」

 慶もその場に倒れ、チーンと魂が抜ける。

「慶さんっ!?」

「……ん? アンタもしかして……」

 みのりの存在に気づき、ナマハゲが近づいてくる。みのりの肩がビクンと跳ねて、ブルブル震えながら、正体不明のナマハゲを見上げた。ギロリと鬼の目がみのりを捉える。

「ひゃあああ!?」

「ああやっぱそうや。アンタ、ウチのファンやろ?」

「ほえ……?」

 その直後、女性がナマハゲの被り物を脱ぎ捨てた。色白の肌に真っ赤なルージュ。綺麗な女性が笑って、みのりの両手を握った。その正体にみのりの思考が一瞬止まるも、すぐに目の前の女性が誰だか分かった。

「つ、つつつつ、月島かぐやさんですかっ!?」

「ほらな。その反応、ウチの大ファンやん!」

 目の前で笑う女優――月島かぐやが出演する映画やドラマを欠かすことなく見続けてきたみのりにとって、かぐやは憧れの女性だった。普段は髪で隠れているものの、その両耳には、かぐやがプロデュースした三日月型のイヤリングがはめられている。それにいち早く気づいたかぐやに、増々みのりは感動した。

「せやけど、こいつらはホンマ人を鬼みたいに……って、まあ、しゃーないわな」

「あ、あのっ! 月島さんはその、……関西弁なんですね?」

「んー? ああ、せやで。と言っても、普段テレビに出る時は、標準語やけどな」

「うわぁ! 本当に本物の月島かぐやさんなんですねぇ!」

「ププ。ホンマにホンマモンの月島かぐややで?」

 みのりの可愛らしい反応に、かぐやが上機嫌に笑った。

「あ、でも、女優の月島さんが、どうしてこのお店に……?」

「んー? ここ半年以上、ずっと映画の撮影で海外に行っとってな、その後も番宣やなんやで、今日やっと午前中だけオフ取れたんよ。せやから、久しぶりにこいつらの顔でも見に行ったろう思うてな。それやのに、こいつらときたら……」

 かぐやが溜息を吐いた。

「月島さん?」

「ああ、そない堅苦しく呼ばんでええよ。ウチのことは、かぐやでええから」

 その申し出にみのりは恐れ多いものを感じ、「いえいえいえ!」と遠慮の両手を振った。

「そーかー? ウチはアンタにそう呼んでもらいたいんやけどな?」

 そうねだるかぐやの表情にみのりは紅潮しつつも、「わ、わかりましたっ」と顔を隠して了承した。

「せや、アンタの名前、まだ聞いてへんかったなぁ」

「あっ! す、すみません! 四宮みのりと申します。ひと月前から、このお店で働かせて頂いています」

「そうなんや。ふーん、こいつらと一緒になぁー……」

 みのりの見ていないところで、かぐやの口元が緩んだ。キッチンの床で魂が抜けた雅、慶と、ホールで同じように魂が抜けた溌、倖。かぐやはこの四人をキッチンの一か所に集めると、仁王立ちで彼らの前に立った。そうして大きく息を吸い、

「起きんかい、アホ兄弟っ!」

「ふぎゃあああ!?」

 一斉に魂が戻った四人の前で、「おはようさん」と、かぐやが死神スマイルを向ける。その様子を、みのりはまるで異次元空間にいるかのように、「ほええええ?」と目を回して見ている。

「か、かぐやっ……!」

「久しぶりやなぁ、ミヤビ。元気しとったかぁ?」

 死神スマイルは続き、全てを凌駕する絶対王政の女帝。

「きょ、今日は何しに来たの……?」

「んー? 決まっとるやろ? アンタがウチらを遠ざけとるようやから、様子を見に来たったんや。なんや、アンタ、おとんとおかんに何の連絡もしとらへんようやけど、そこら辺、実際どないに思うとるん……?」

「と、とうさんとかあさんには、ちゃんとお店が軌道に乗ってから、連絡しようと思ってて……!」

「へえ。せやったらウチを遠ざける理由はなんなん? 聞くところによっちゃあ、なんやこの店、女優は来店NG出しとるみたいやけど、それはウチにこの店に来るな言うことなんか……?」

 女帝の氷点下の追及に、「い、いや、まさかっ……!」と雅が言葉を濁らせる。

「せやったら理由聞かせろや」

 ひぃぃぃ……! と四人から血の気が引いていく。普段は何かしらのフォローをする慶と溌もかぐやから視線を外し、あさっての方向を向いている。倖はというと、再び魂が抜けかけていた。

「ミーヤービー」

 雅を呼び捨てし、親しい間柄のように見えるかぐやに、みのりはふと平子と慶の会話を思い出した。

『――アンタはずぅーっと好きだったんだもんね~。兄上と恋仲だった、姫サマのコトがさ~』

「姫さま……」

 あれからずっと、雅の宝物だったお姫様が頭から離れることはなかった。今もなお、雅の中には、そのお姫様がいる。それは日頃の雅の態度から察していた。

 お姫様――ふと目の前にいるかぐやの名前に、姫を付けてみた。

「かぐや、ひめ……」

 かぐや姫――ああ、とみのりは合点がいった。雅の宝物だったお姫様が、今目の前にいるかぐやであるという思考に至った。雅と恋仲だった、かぐや。今も忘れられない存在の、かぐや。自分が憧れてきた女優に勝てるはずもなく、振り向かせたいなどと、おこがましいにも程がある。そう思うと、自然と涙が溢れてきた。それに、はっと溌が気づいた。

「お、おい、ちょっと待てオメーら!」

 その言葉に、一同が一斉にみのりに目を向けた。彼女の涙に、慌ててかぐやが駆け寄った。

「どないしたん! なんで泣いとんの!?」

「みのり! どうしたんだ!? 何があった!?」

「どっか痛いとか、ツライとか、そんなんだったら、今すぐ病院行くぞ?」

「な、なくなよっ、みのっ、みの……り」

 四人がみのりを案ずる中で、雅だけが遠くからみのりを見つめる。止めどなく溢れる涙が、かつて自分が泣かせた姫を思い起こさせた。堰を切りそうな想いを、ぐっと堪える。

「わ、たし……すみません……泣くなんて、こんなみっともない姿、皆さんに、晒してっ……」

 それでも雅を想う気持ちと、どうしようもない失恋の想いから、泣きじゃくってしまう。そこに雅が歩み寄り、みのりの頬に、躊躇いながらも触れた。

「はうっ……」

 突然のぬくもりに、増々涙が溢れてくる。当然顔など上げられず、体中の熱が頬に集中する。

「泣かないで、みのりちゃん」

「ううっ……」

「君が泣く姿を、僕はもう見たくないんだ」

 その声に、ぐっとみのりが目を瞑った。

「お願いだよ。顔を上げて?」

 みのりは瞼を開けると、躊躇いながらも顔を上げた。優しい眼差しが、みのりを捉えて離さない。そのことで更にみのりは泣いた。叶うはずもない恋で、増々相手を好きになってしまうことが恐ろしかった。

「みのり……」

 慶にもその気持ちが伝わる。

「どうして泣いてるか教えて? みのりちゃん」

「うっ……、みやびさんと、かぐやさんが……むかし、恋人同士、だったのかなって、思って……」

 みのりの言葉に、「えっ?」と最大限眉を潜める雅。

「何言っとんねん! そないなワケあらへんやろ!」

「ほえ?」

「なんやアンタ、ウチがミヤビの恋人やったって思ったんか? アホやなぁ、一体どこにそんな雰囲気があったんや? あのなぁ、ウチとこいつらは、キョーダイやで?」

「ほへ? キョーダイ?」

「せや! 癪やけど、ウチはミヤビの妹で、残りのアホ三人組のねーちゃんや!」

「いもうと? ねーちゃん……?」

「癪やけどな。月島かぐやは芸名で、本名は頬月かぐや言うねん。ワケあって、こいつらとは別々に暮らしとったんやけど、正真正銘のキョーダイやで? 癪やけどな」

「癪って姉さん! 毎度毎度、恐怖の絶対王政スタイルで来られる我々の身にもなってくれ! 今日だってナマハゲの暗黒面なんて、怖すぎるだろっ!」

「うっさいわケイ! アンタらがウチのこと恐れ過ぎとるんやろ! まったく、ウチは日本を代表する女優やで? それをまるで鬼みたいに怖がりよって! なあ、みのりぃ?」

「は、はいっ……」

(いや、モノホンの鬼だろーが!)と、溌が声に出来ずに内心でツッコむ。

「……ん? ハツ、アンタなんか言いたげやな? ウチに文句でもあるん……?」

「まさかっ……! そんなものがあるはずないではないですかっ! お姉さまっ!」

 畏まって溌が土下座した。

「せやろ? おかしいこと言うとんのはアンタのニーチャンやんなぁ……? ユキ」

「ほげっ!? ウンウンウンっ!」

 超高速で頷く倖に、「裏切者っ」と慶が声を張った。

「で? アンタはミヤビのコトが好きなんか?」

「へっ!?」

「せやから泣いてしもうたんやろ? こないな男のどこがええんや? なんに対しても無頓着やし、ズボラやし、部屋の片付け出来へんし、基本気が向いたらな性格やから、付き合おてもマンネリ化するだけやで?」

「ほえっ!? あのっ、そのっ……」

 みのりが紅潮し、熱が集中する顔を両手で隠した。

「それから見かけによらず鬼畜やしな。SかMか聞かれたら、完全にドSやで? あああと、こいつがエロゲーのキャラやったら、必ず闇落ちルートの、バッドエンドタイプやで?」

「も、もうやめてやってくれ、姉さん! これ以上貶めると、兄さんの赤い実が爆竹に変わってしまう!」

 今にも弾け飛びそうな淡い恋心。シクシクと泣く雅に、弟達は姉の恐ろしさを再確認した。それでも悪びれることなく、「全部ホンマのコトやろ?」と、かぐやが顔を顰める。

「あ、あのっ……! わたしはどんな雅さんでも、その……素敵だと思っています……」

 声が小さくなり、みのりも今すぐ弾け飛びそうだった。

「みのりちゃんっ」

 その言葉に救われる雅。ぼそっと耳元で呟かれた。

「NTR(寝取られ)厳禁やで?」

 ズーンと雅が沈む。

「せやったらミノリ、ケイのコトは、どない思うとるん?」

「へっ!? け、けいさんですか?」

「みのり……!」

 唐突過ぎる質問にみのりは困惑しつつも、「慶さんは……いつもカッコよくて、優しくて、気遣って下さるお兄ちゃんみたいな存在で……」

「こいつはちっさくて可愛ければ、ヘーキで妹にも手を出す男やで?」

「ぐはぁ!」

 雅と同じく慶が撃沈した。

「せやったらハツはどない?」

「溌さんは……」

「やめろ! オレを巻き込むなっ!」

「溌さんは誰よりもマジメで、ご兄弟のことを一番見ながら仕事をされていて。私のことも陰ながらフォローして下さる方で……」

「こいつが仕事中一番見とるんは、アンタのクビレやで?」

「へ? クビレ? 溌さんが……?」

 俄かに遠い目をする溌。否定も肯定もせずに、無表情のままトリップする。

「最後にユキ。どない思うとる?」

「お、おれまでっ……!」

「ゆ、ゆきくんはっ……、あまり目を合わせて下さらないんですが、一番私のことを見ていて下さって……。たまに見せて下さる笑った表情が、可愛らしくて……」

 ボッと倖の顔から炎が上がった。

「まあ、その気持ちは分かるわ。せやけど、ぶっきらぼうに見えて、頭ん中はアンタのエロい姿しかないんやで?」

「はあああ!? な、ななな、なに言ってんだよっ、かぐ姉! んなワケ――」

「この子で童貞捨てるんは、至難の業やで?」

 ポン、と肩に置かれた手から伸びる鉄爪が、否定を許さない。

「わわわわわ!?」

 大惨事を引き起こした、かぐや劇場。

「あ、相変わらず一撃必殺のトーク力だな、かぐやん。ピンポイントで兄弟の暗部をえぐりやがる……」

 ヒットポイントぎりぎりで、えぐられた傷を押さえる溌。

「ホント、恐ろしい子だよ、まったく」

「もう二度と立ち直れねえ……」

「デリカシーってものがないんだ、姉さんは! よくそんなんで化けの皮が剥がれずに女優が続けられるな!」

「ああっ!?」

「ひいっ……!」

 かぐやが氷点下MAX超えの死神スマイルで、兄弟を見下ろす。

「なんやアンタら、ウチとタイマン張りたいんか? せやったらかかって来いや」

「いや、誰もそんな勇気な――」

「そーそー、ウチ、アクション映画の為に、ラウェイを極めたんやった」

「ラウェイ!? あの地球上で最も危険な格闘技と名高い、あのラウェイですかっ!?」と慄く溌。

「女優だろっ!? なんでそんなモン極める必要があんだよ!?」

「そないなもん決まっとるやろ? ……シメる為や」

「し、ししし、シメる!? ナニをっ!?」と言う倖の発言に、「いやダレをだろっ!」と溌が訂正する。

「んー? ケイ」

「わわわわ、わたしっ!? 私の何が姉上の逆鱗に触れたと言うのですかーっ!」

「すべて」

「すべて!?」

「すべてなら仕方ないよ、慶。潔く犠牲になって?」

「だから簡単に弟を見捨てないでくれ、兄さんっ!」

「大丈夫だ。慶りんなら、どんな衝撃にも耐えられる!」

「さっすが次男だな! ただの変態ロリコンシェフなんかじゃねえよ!」

「お前達! 私が死んだら、この店も家も終わりだぞ!」

 この状況をポカンと見ていたみのりが、俄かに笑いだした。

「うわーん! みにょり~! 兄弟が揃って私を生贄にしようとするんだ~!」

 慶が泣きながらみのりに抱き付いた。

「ふふふ。本当に仲良しさんなんですね?」

「いや、この状況で何故そう思える……」

 何の曇りもなく笑うみのりに、溌が冷静にツッコんだ。ふと時計に目を向けた。

「つーかもう、開店十分前じゃねーか。準備もまだ終わってねーってのに。はああ……。それで? ひとしきりオレらで遊んだら、満足したか?」

「んー? まぁ、ストレス解消にはなったわ」

「毎度毎度ストレスをぶつけられたら、たまったものじゃないぞ、姉さん」

「そう言うなや。キョーダイやろ? それに、久しぶりに、かわえー子にも逢えたしな……」

 かぐやがみのりを見て、ふっと笑った。

「ほえ?」

「気ぃつけなアカンで? アンタの周りには、アンタが欲しゅうて欲しゅうて堪らん男どもが、ぎょーさんおる。自分の身ぃは自分で守らんと、後から後悔しても知らんで?」

 みのりがパチパチと瞬きをしながら、かぐやを見上げた。その瞳が、ルビー色に染まっているように見えた。

「んじゃあ、ウチはもう帰るわ。邪魔したな。また来るわ」

「また来るんだ……」

「あったり前やん? ウチは実家とアンタらの橋渡し役やからな」

 そう笑うと、かぐやは兄弟に背を向け、歩き始めた。

「迎えは来るの? かぐや」

 雅の問い掛けに、かぐやが振り返った。人差し指で赤いルージュの唇に触れると、何も言わずにその場から立ち去った。

(機嫌が良いなぁ。相変わらず彼とは、上手くいっているようだけど……)

「はあああ。ようやく嵐が去っていったぁ」

 疲れた果てた兄弟達の様子に、「ふふふ」とみのりが笑った。

「悪かったな、みのり~。アレがウチの二番目でな。とんでもない姉だろう?」

「い、いえ! ずっとファンだったかぐやさんと皆さんがご兄弟だったのは驚きましたが、仲が良さそうで、正直羨ましいです」

 みのりが微笑んだまま、顔を伏せた。

「私には皆さんのように、両親もきょうだいも、頼れる人はもういないので……。怖くても、とんでもなくても、この世界に肉親がいるだけで、きっと心強いものなんだろうなって思うんです」

「みのり……」

「さっ! 開店まで残り五分です! 今日はレディースデーですよ! きっと忙しくなりますね!」

 みのりの過去に触れる前に、その全ての悲しみを吹き飛ばすかのような明るい表情が、店の雰囲気を温かいものにしていく。それぞれの暗部を暴露された兄弟達だったが、それでも彼女が自分達を嫌うことはないのだろうと、押さえる胸に、チクリと痛みを感じた。


「――久しぶりに兄弟に逢った感想は?」

 迎えに来た車に乗って、午後からの現場へと向かうかぐやに、運転する眼鏡姿の青年が訊ねた。

「んー? まあ、相変わらず揃いも揃って、バカやったわ」

 後部座席に座るかぐやが、窓の外を見ながら言った。

「そう。僕も久しぶりに彼らに逢いたかったけど、仕事の電話が鳴り止まなくてね。そうそう、再来年の大河、主役の話が来てるんだけど、どうする?」

「どうするも何も、受けるに決まっとるやろ? その為に、アンタと二人でここまで来たんやからな」

「五年目にして、異例の主役抜擢だからね。僕も月島かぐやのマネージャーとして、鼻が高いよ。けど、今以上に忙しくなったら、なかなか彼らに会いに行けないね。せっかくこうして今代でも再会出来たのに……」

「せやな。あいつらと最後に会うたんは、終戦前やったしな。八十年やで? まあ、鬼の寿命からしたら刹那やけど、毎度毎度ウチだけ置いてかれるんは、かなわんわ……」

「かぐやちゃん……」

 バックミラー越しに見るかぐやの表情に、男がそっと目を細める。それでも黒髪サラサラヘアーの眉目秀麗な顔立ちの青年は、優しく微笑んだ。

「大丈夫だよ、かぐやちゃん。もう何回と邂逅と決別を繰り返してきたけど、一度だって彼らが君のことを忘れたことはないだろう? 千年間、君は変わらず雅くんの妹で、慶くんと溌くん、それから倖くんのお姉ちゃんだよ?」

「せやろか……」

「寂しいのかい? 今日はレディースデーだったみたいだし、本当は彼らのカフェでお茶でもしていきたかったんだろう?」

「なっ! そないなワケあらへんやろ! ウチは売れっ子女優やで? あんな女ばっかしの店でアンタとお茶しとるトコ見られたら、ネットに色々書かれてまうやろ!」

「まあ、今の時代、それも仕方ないよね」

 ぷうっと頬を染めるかぐや。赤信号になり、車が止まった。スーツ姿の青年は前を向いたまま、かぐやにそっと手を伸ばした。

「なんやの?」

「おてて繋いであげようと思って」

「いらんわっ!」

「そお? ……君が寂しい気持ちでいたのも分かるよ。やりきれない気持ちになるのもね。だけど、君には僕がいるだろう? 君が寂しくならないよう、僕は不老不死になったんだから」

 青年の言葉に反応し、かぐやが、ぐっと喉の奥を詰まらせた。

「さあ、お手をどうぞ? かぐや姫」

「うっ……うっさいわ、あほミカド……」

 そう強がるも、伸ばされた手を、ぎゅっと握る。

「あ、ごめん青になったや。離してくれる?」

「死ねっ!」

 なんやねん! とかぐやがそっぽを向き、一気に不機嫌となった。

 


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