第27話 鬼の宴

 宴の用意が済むと、倖は広間へと通された。鯛や伊勢海老といった豪華な正月料理が目の前に広がっている。


「仏門なので、普段は質素なのですが、正月だけは豪華な食事をしようと、煉と凜が腕によりをかけて作ったものです。どうぞ貴方も召し上がりなさい」

「は、はあ……」


 言われるまま、目の前の黒豆を一口食べた。


「う、うまい……」

「よかったー! 倖チャンがおれの作った黒豆食って、うまいって言ってくれたぞーい!」

「おい煉! 食事の席だぞ、もう少し声を抑えろ」

「良いではないですか、凜。正月くらい、飲んで歌って騒いで……鬼の宴とは、本来そういうものですよ」

「戒兄様は煉に甘すぎます」

「おや? 十分、貴方も甘やかしてきたつもりですが?」

「ううっ……! 戒兄様は誰にでもお優しいから困りますっ……」


 傍目から見て美しい兄弟愛に、ふと倖は兄達のことを思い返した。マフィア組織を一人でぶっ潰したという、「血まみれ雅樂」。クールでカッコよかった姿は遠い日の面影、「変態ロリコンシェフ」。誰よりも傍にいて、誰よりも気持ちを分かってくれるが、金のことには滅法厳しい、「守銭奴オーナー兼経理」。


「はああああ」

 深い溜息が漏れた。

「どうしました? ああ、帰りたくなくなったのであれば、ずっと桐生の家の子として伊木いき村で暮らしても構わないのですよ? 倖」

「あ、いや、そういうんじゃなくてっ……」

「うふふ。本当に可愛らしですね、末っ子は」


 女のように笑う戒に、思わず倖は見惚れそうになった。いやいや、と邪念を振り払う。


「そろそろメインディッシュの時間ですね。凜、こちらへ運んできなさい」

「はい」

 そう言って立ち上がった凜が、隣の部屋の襖を開けた。そこには、檻に入れられた一人の若い女性がいた。

「え……」


 目を見開いて、倖は足首を鎖で唾がれた娘を凝視した。項垂れるその姿に、思考が止まる。


「どうしました、倖。ああ、もしかして、人間を喰らうのは初めてですか?」

 戒の問い掛けに、倖は息が詰まり、目を伏せた。

「何を狼狽えているのです? 赤鬼とて、人を喰らうでしょう? 貴方も、人間を喰らいたいという衝動を抑えられずに、この地へと辿り着いた。そうでしょう、倖」

「お、おれ、は……」


 震える拳に、「ふう」と戒が吐息を漏らす。そのまま檻の前へと進み、項垂れる娘の顎を持ち上げた。生気を失った黒い瞳が、焦点を合わせずに戒を見上げる。


「可哀想に。鬼に魅了され、生気を吸われ、成りの果てが鬼に喰われる運命なのですから。ほら、倖。千年振りに邂逅した記念です。貴方がこの娘を喰らいなさい」


 檻の扉を開け、鎖を外された娘が、フラフラと倖の下へと進んできた。息を止める倖の前で娘が気を失い、倒れ込んだ。その首筋が、みのりのそれと重なる。ぐっと倖は目を反らした。


「おや? どうしました? 好きに喰らっても良いのですよ?」


 ぐっと握り締めた拳が鬼のものへと変貌した。鋭い爪が伸び、自身が鬼の姿である感覚に苦しめられる。


「何を遠慮することがあります。貴方は鬼で、鬼は人を喰らう者。人喰いこそ、我らが鬼の本分ではないですか。我が青鬼は、何千年にも渡って人間を食糧として生きてきたのですよ? それは貴方方赤鬼も、緑鬼も、黄鬼も同じこと。何も間違っていることはないのです。さあ、衝動のままにその娘を喰ろうてしまいなさい。一人喰えば、二人三人ともっと欲しがることでしょう……!」


 瞳孔が開いた戒の言葉に、倖が瞬時に娘の手首を鬼の手が掴んだ。その様子を、煉と凜は黙って見つめている。呼吸を乱しながら、倖は掴んだ娘の手首を自分の方に引いた。夢に見た、グツグツに煮える鍋が思い浮かんだ。そのピンクの肉がみのりだ。


「……みのり」


「そうです、あの姫の魂を受け継ぐ娘も、貴方が喰ろうてしまえば良い。そうしたらきっと、貴方の兄達は怒り狂うでしょうね」


 その言葉に、はっと倖は眉間を突かれた。


「怒る……? 兄貴達が……?」

「ええ、それはもう、真の鬼の形相で怒り狂うでしょう。彼らは人間を愛し、人間との営みの中で生きてきた。倖、貴方もそれは同じでしょう?」

「あ……」

「貴方も人間を愛している、そうではないのですか?」

「おれ……」


 呼吸が正常に戻り、娘を掴んでいた手が人間のそれへと戻った。


「倖、その娘を喰らいたいですか?」


 ゆっくりと首を振った。


「うふふ。どうやら人間を喰らいたいという衝動は治まったようですね」


 穏やかに笑う戒が人間の姿になった。パチンと指を鳴らした瞬間、目の前にいた娘が三毛猫となり、元いた庭へと逃げていった。


「え? どういうことっすか……?」

「君が人間を喰らいたい衝動を抑えられずにこの地へ辿り着いたことを、戒兄様はいち早く気づかれた。そこで荒療治ではあるが、君の衝動を抑える為に、急遽宴を開かれたんだ」

「戒兄チャンは人の世じゃ、名医と呼ばれるお医者サマだからな! 患者を診ただけで、そいつが何に苦しんでいるのか、いち早く分かるんだってさ! だから倖チャンが苦しんでいることもすぐに分かったんだぞい!」

「そう、だったんすか……」

「ええ。貴方の苦しみは、現代を生きる鬼にとっても深刻な病ですからね。医者として、どうにか治療して差し上げようと思ったのです。我ら青鬼は、人喰いこそ鬼の本分として生きてきました。ですがその本分は、我が桐生家にとって、悪でしかない仕来りとなって弟らに降りかかった……。しかし、その仕来りも大昔に撤廃致しました。我ら現代を生きる青鬼が、人間を喰らうことはもうありません」


 戒の言葉に、煉と凜が真っ直ぐに互いを見つめている。


「さあ、食事はまだ残っていますよ。朝から何も食べてはいないのでしょう? どんどん食べて、日頃の疲れをこの地で癒しなさい。寺の裏には温泉もありますから」


 戒の気遣いに、倖はどっぷりと甘えた。


 温泉に浸かり、日頃の疲れもすっかり取れ、四人でまったりと過ごしていたところに、バタバタと走ってくる足音が近づいてきた。勢いよく障子が開いた。


「帰ったぞーい! まいすいーとはにー!」


「キ、キジ!?」


「銅源……」


 すっと立ち上がった戒に、先程垣間見た殺気が蘇る。「あわわわ!」と狼狽える倖の心配とは裏腹に、冷静さを保つ双子。


「おっかえりなさーい! 銅源っ!」

「ええっ!?」

 ハートが飛び交う戒と銅源。雰囲気は新婚夫婦そのものだ。

「すまんかったのう、戒の字。急に撮影が入ってしもうてな。一日かかるっちゅうことだったんじゃが、どうしてもおんしらの顔が見とうなってなぁ。全力全霊でくらいあんとの要望に応えて、急ぴっちで仕事を終わらせてきたんじゃ」

「ああ銅源! 流石は私の夫ですねぇ! 急な撮影にも全力で応え、尚且つ私の下へと脇目も振らずに帰ってくるとは。その男気、いつの時代も惚れ惚れしますよ!」


 男同士で抱き合う二人に、「ええ?」と倖が困惑する。


「ホンットに仲良しじゃろい? 戒兄チャン、銅源がこの世に生まれ落ちる度に、あの手この手で生まれたばかりの銅源をウチに連れてくるんだよ」

「えっ、それって……」

 周囲の目も気にせずラブラブっぷりを見せつける戒の前では、犯罪を臭わせる漢字二文字は、どうしても言えなかった。


「それよりも銅源、急な撮影ってことは貴方、私が調合したフェロモン抑制剤を打ってはいないということですね?」


 笑顔で訊ねる戒に、「あ!」と倖が酒宴で銅源から聞いたフェロモン抑制剤の話を思い出した。注射器で謎の青い液体を注入されるという、恐ろし過ぎる話だ。


「すまんのう、戒の字! 急じゃったもんで、おんしのふぇろもん抑制剤無しに撮影してしもうたわ、ガハハハハ!」


 銅源の太陽のような笑い声に、にっこりと笑う戒。


「……笑いごとではありませんよ?」

 

 そう言って、握り締めた柄杓をまた真っ二つに折る。


「2本目ー!!」

「いや、23万1543本目だよ、倖」

「どんだけ怒らせてんだよ、オッサン!」


「まったく、人前で肌を露出する際は、必ず私のフェロモン抑制剤を打つようにと、再三に渡って忠告してきたはずですよ? ただでさえ貴方は老若男女から好かれてしまうのですから、これ以上貴方の魅力を世間に広める訳にはいかないのです。本来であれば、肉体美モデルなど、させたくはないのですからね。少しは妻の心配も汲んでくださいね、あなた」

「ああ、分かっておる。いつの時代であっても、わしはおんしだけのモンじゃ」

「銅源……!」


 再びイチャラブモードに突入した夫婦に、「俺、帰るっす」と倖が双子に告げた。


「それじゃー、おれが途中まで送ってってやるな!」

 煉と二人で、来た道を戻っていく。


「ねえ倖チャン、人の世は楽しい?」


「あー……色々ツライことも悲しいこともあったけど、今は兄貴達と仲良く店が出来てるし、それに大事な子が傍にいるから、楽しいっすね」


 自然と笑みがこぼれる。そんな倖の姿に、「そーなんだ」と煉も笑う。


「ホンット、倖チャンって末っ子って感じがして、カワイーぞい! そう言うおれらの末っ子もカワイーんだけどさ!」

「そうなんすか? 凜兄が……?」

「ああいや、凜じゃなくて、おれらには妹がいるんじゃよ」

「え? 妹? 桐生家に女なんて……」

「あー、あの頃はまだ倖チャンちっちゃかったからなー、妹の存在なんて覚えてないっかー」

「今日、寺にいたんすか?」

「いや、律は人の世にいるんじゃい。今日も正月早々仕事なんだってさ。銅源と一緒で忙しくてなかなかコッチには帰ってこれないんじゃよねー。体調崩してないといいけど……」


 煉が憂いに満ちた青瞳で冬晴れの空を見上げた。鬼と人の世の境目で煉が立ち止まった。


「それじゃーね、倖チャン! 気を付けて帰るんじゃよ?」

「あ、ハイ。いろいろとありがとうございました」


 礼を言って、倖が霧の中に足を進めていく。その背中を見送る煉が、牙を覗かせて笑った。


「……慶チャンによろしくね、倖チャン」



 家に帰り着くともう夕時で、リビングにはテレビの前で歌番組の生放送にはしゃぐ慶がいた。


「ウヒョヒョーイ! コニポン。サイッコー! るーなん、りったん、ゆっぴぃ、かなっぺ、超絶カワイーっ!」

「ちょっと慶ー、君が邪魔で、僕のみのりちゃんがテレビ観られないんだけど?」

 ソファの上でみのりに膝枕されている雅が、苛立つ声で言う。

「い、いえ。私はちゃんと観られていますので、お気になさらずに」

「ああ、みのり! コニポン。が新曲歌うぞ! 一緒に踊ろう!」

「だーめ。みのりちゃんは今、僕が独占中なの」

「ずるいぞ、兄さん! そうやって半日近くみのりに膝枕してもらっているじゃないか! 私だってみのりに膝枕してもらいたいんだぞ!」

「そんなの許すワケないでしょ? みのりちゃんは僕の恋人なんだから」

「ずるいずるいずるいっ! 膝枕くらい許してくれたって罰は当たらないだろう!」

「君はコニポン。にでも膝枕してもらう妄想でもしてれば良いでしょ? あ、お帰り、倖」

「倖くん! ごめんね、気が付かなくてっ……」

「おお倖、少しは落ち着いたか?」

「お、おお……」

 そこに眼鏡姿の溌が入ってきた。


「少しは頭が冷えたか?」

「おお。だいぶ落ち着いた」

「そっか。んじゃ、もう変な夢見ても、のりピーが喰いたいとか言い出すんじゃねーぞ。あの後のりピーが気にして、腕くらいならカジられてもイイって、本気で言い出したんだからな」

「は、はつさんっ……」


 恥ずかしがるみのりに、「わ、わるかった!」と倖が猛反省する。


「もう大丈夫だからさ! ちゃんと気持ち、落ち着かせてきたし。俺も兄貴達と同じように、人間を愛してるし……」

 桐生の寺で気付いた心情に、倖の顔が紅潮する。

「倖……」

 雅は起き上がると、みのりと向かい合った。

「そうだね、倖。僕達は鬼だけど、ちゃんと人間を愛せる心を持っている。奪うよりも、守りたい気持ちの方がずっと勝っているよ」

 そう言って、恋人に向け優しく微笑んだ。


 こたつで夕飯を囲む。食卓の中央に、豪勢なカニ鍋が陣取った。

「マジかよ、溌兄! カニなんて高級品、よく買うの許したな!」

「まあ、正月くらい、イイモン食わねーとな」

「わーい、カニ鍋だぁ!」

「私とみのりで愛情込めて作ったからな。心して食ってくれよ?」

「大きいカニさんなので、お腹いっぱい食べて下さいね!」

 そうして黙々と食べる中、思い出したように溌が訊ねた。

「そういやーゆきんこ、オメー今日一日、どこに行ってたんだよ?」

「ん? ああー……歩いてたら、いつの間にか桐生の寺の前にいて」

「はあ? じゃあオメー、伊木村に行ってたのかよ?」

「そうなんだよ。いつの間にか鬼の世にいてな……」


 チラリと慶に目を向けた。カニを食う手が止まっている。


「相変わらずお節介だなぁ、戒は。まあ、それが青鬼という種族だから仕方ないか。ところで、双子君達は元気そうだった?」

「お、おお。煉兄と凜兄も、慶兄が元気かどうか気にしてたぞ……?」


 もう一度倖が慶に目を向ける。取り皿を見つめたまま、動かない。


「双子さんなんですか?」

「そうだよ。鬼の双子は非常に珍しくてね。一心同体の教えから、二人は運命共同体とされているんだ。だから仮に一方が異端児であっても、もう一方が正常なら生かされる。あの二人も、その仕来りに従って生かされたんだ。そうだよね、慶」

 

 雅の言葉に、慶がぐっと眉間に皺を寄せた。

(性格悪いな、ミーボー。けど……)


「戒さんが、そろそろ詫びに出向いてこいって言ってたぞ、慶りん」

「戒さんが……?」

「時が空けば空くほどに、オメーらの友情が露となって消えていくとも言ってたぞ? いい加減、凜りんと和解したらどうなんだ?」

「凜はもう、私の顔など見たくないと思うが……」


 慶が俯き、目を細めた。その姿に、倖の脳裏に凜の辛辣な言葉が蘇る。それを戒は本音だと言ったが、本当にそうなのかは、さなかではない。


「俺、慶兄と凜兄の間で昔、何があったかとかよく知らねえけど、親友だったんだろ? ならちゃんと話せば分かってくれると思うけど……」

「向こうは話そうとしてくれた。けど、私がいけなかったんだ。私が、何も知らないフリをしていたから……」

「慶兄……」


 夕飯を終えた慶が、自室に飾る、高校時代の写真を手に取った。弓道のインターハイで撮った、たった一枚の写真。煉と凜に挟まれて笑う自分の姿。その端で、視線を反らす、緑瞳の男。


「全部私がいけないんだ。二人は私を赦そうとしてくれたのに、私が過去から逃げたばっかりに……。そうだよな、りょう……」























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