第28話 酔狂者の赤鬼

 2月14日はバレンタイン・デー。ちょうど日曜日に当たるその日は、『ほおづキッチン!』の開店一周年記念の日でもある。大々的にマスコミにも取り上げられ、開店を迎えた『ほおづキッチン!』には、朝から長蛇の列が並んだ。というのも、ネットやテレビで当日、彼らがバレンタイン・デーにちなんで、来店客全員に一周年記念のチョコレートをプレゼントするという、逆チョコイベントを行うと告知したからだ。その為、チョコレートが欲しい客と、彼らにチョコレートを渡したいという客で、店内は女性客でごった返している。その中には、みのりからチョコレートを貰いたい男性客の姿もあった。


「Buon《ボーノ》 anniversario《アニバサリオ》!」

「いや兄さん、自分達で一周年おめでとうと言うのは違くないか?」

「何言ってるのさ、慶! この店の誕生日なんだよ? 僕達がおめでとうって言ってあげないでどうするの! さあ君も! Buon anniversario!」

「分かった分かった。Buon anniversario! ……何だかイタリア時代を思い出すな」

 

 慶がピザのトッピングをしながら、そっと吐息を漏らした。


「おいオメーら! 客がオメーらからチョコを貰いたいんだと。ミーボーは4番テーブル、慶りんは1番のソファ席に行って、コレ渡して来い」

 忙しくキッチンに入ってきた溌が、バレンタイン用の(みんなで手作りした)チョコレートを二人に渡す。


「アイアイオーナー」

「またか。仕事にならんな……」

 上機嫌でプレゼントを渡しに行く雅とは対照的に、慶の言葉に影が差す。

「しゃーねーだろ? こういうイベントをしねーと、まあた利益度外視のDQNデーをバカ長男がゲリラ告知しかねねーからな。単価を下げられるより、ばら撒きの方がまだマシなんだよ」

「ああ。店の為だと分かってはいるんだが……」

「どうした? 疲れてんのか?」

「いや、そういうのではないんだが……。1番ソファだったな、行ってくる」

 どこかいつもと様子がおかしい慶に、溌は眉を潜めた。


「――ハーイ、どうぞカワイコちゃん達! 僕からの逆チョコだよ。愛情たーっぷり込めて作ったからねー!」


 にっこりと笑って、女性ファン達からの要望に応える雅とは対照的に、


「一周年記念にご来店下さり、有難うございます。これからも『ほおづキッチン!』を宜しくお願いします」と、苦しそうに笑う慶。


「どうしちゃったんでしょう、慶さん。朝からずっとあんな感じで……」

 傍目から見ていたみのりが、心配そうに溌に言った。

「ああ。やっぱり変だよな。年末年始がクソ忙しかったから、その反動が今になって来たのか、それとも別の何かがあるのか……」

「別の何か?」


「溌兄ぃ~」

 そこにげんなりとする倖が現れた。

「オメーなぁ、もう一年だぞ? そろそろ女にも慣れろよな。そんなんじゃいつま経っても童貞のまんまだぞ?」

「そんなコト言ったって怖えーモンは怖えーんだよ! なのに向こうはどんどん迫ってくるし、知らねー用語使って平気で下ネタ言ってくるし、あんなのもうセクハラだろ。なんで俺がこんな目に……」


 そこに、ようやく店内に入って来られた百合亜が倖の姿を見つけるや否や、「倖サマー! 五月に初の『頬月兄弟オンリーイベント』の開催が決定しましたわー!」

「アイツのせいだー!」

 絶叫後、しくしく泣く倖。そんな倖を慰める、みのり。

「アイツが俺らの同人誌をネットで拡散したせいだ……」

「泣くな、弟。肖像権を使わす代わりに、いくらかウチに……」

「え?」

「ああいや、なんでもねーよ」

「え? 溌兄……?」

 兄への猜疑心が生まれた瞬間だった。


 眼鏡をかけた溌が、一人で来ていた女性客の席へと向かう。

「美味しかったですか?」

「はい! 今日もとーっても美味しかったです!」

 そう満面の笑みでココが溌を見上げた。

「それは良かったです。あ、そうだ。ボクからココさんにプレゼントがあって、今日は開店一周年とバレンタイン・デーなので……」

 そう言って、溌が小さな紙袋をココに手渡した。その中に入っていた小箱を取り、ココがピンク色のリボンを解いていく。

「うわぁ、キレイなお花のブローチ。このお花ってルピナスですか?」

「はい。流石はお花屋さんですね」

「嬉しいです。これをつけてお仕事頑張りますね。ありがとうございます、溌くん!」

「いえ、ココさんにはいつも店に飾るお花を選んで頂いていますから。日頃のお礼も兼ねて、渡したくて……」

 赤色のルピナスのブローチを胸に付けて笑うココに、溌の胸が締め付けられる。

「ずっとずっと大事にしますね!」

 今日もハートのネックレスを付けているココに、「ええ」と溌も微笑んだ。

「そうだ、私も溌くんに渡したいものがあって……!」

 そう言って、ココが鞄から紙袋を取り出した。

「他の女の人たちからもたくさん貰ったと思うんですが……」

 そう言って、ココが恥ずかしそうに溌に紙袋を手渡した。

「溌くんは、甘いもの、あまり好きじゃないかなって思って……」

「え……?」

「わ、たし、不器用で、編み物なんてしたこと一度もなくて……でも、どうしても自分で編みたくて……」 

「手編みの、マフラー」

「あっ! 所々失敗しちゃって……! 溌くんがいつも使っているマフラーの方が温かいと思うので、これは補欠で全然構わないんですっ! いつも使っているマフラーが汚れちゃったりした時にでも、使ってもらえればそれで……」


 恥ずかしそうに俯くココに、恋人時代の思い出が蘇る。医学書を読む眼鏡姿の溌の隣で、一生懸命に編み物をするココ。そんな可愛らしいココに抑えが効かなくて、押し倒して事に及んだ甘酸っぱい記憶に、「ウウン!」と溌がどうにか自制心を保つ。


「ありがとうございます。ボクもずっとずっと大事に使います」

 笑顔を浮かべて仕事に戻る溌に、接客していた雅がそっと笑った。


「今使ってるマフラーも、昔ココちゃんが手編みしたものなのにね」

「ああ。そうだな」

 嬉しそうな弟の頭を、ポンポンと雅は叩いた。


「さてと、もう一人の弟はどういう状況かな?」

 既にキッチンへと戻っている慶に、雅は鼻息を漏らした。


 キッチンでホットサンドを作る慶が、俄かに手を止めた。近頃、言い知れぬ不安に襲われるようになった。九度目の人生も二十五年が経ち、去年遂に今代の『邂逅』の日を迎えた。かつて何度となく殺されてきた相手が再び目の前に現れ、平和な世の中で、平和に競い合ってきたが、残り半年でまた運命の『8・26』を迎える。ここから先は、これまでとは違い、血生臭い死闘が始まるのだ。そうなれば、前の世と同じく、志半ばで命が潰えるかもしれない。ようやく平和な世で、安穏を『宝物』とすることが出来たのに、鬼と桃太郎一家の因縁が再び悲劇を生んでしまう。それは平和を望む慶を、重苦しい気持ちにさせた。


「けーい」

 キッチンに入ってきた雅に、「すまない」と慶が目を伏せる。

「どうして謝るの?」

「すまない……」

「こーら。意味もなく謝らないでよ、慶。何か悩みがあるんだったら、お兄ちゃんが相談に乗るよ?」

「悩み……という訳ではないんだが、近ごろ色々と思い出してな。またあんな風にあいつらと戦うのかと考えたら、気分が落ち込んでしまって……」

「慶……君、また彼に殺されるつもりでいるの?」

「え……?」

「今代でも、前の世みたいにサルに殺されるのかって聞いてるんだよ」

「兄さん、私はっ――」

「はあ。君には頬月の鬼だという自負はないのかい? 僕らは誇り高き雷神の一族。いつまでも周りをうろつく小賢しいサルなんて、雷で蹴散らしてやれば良いじゃないか。……それともなに? 君はサルに、特別な感情でも抱いてるわけ? 鬼と桃太郎一家の間に友情なんて、存在しないよ?」


 兄の追及に、ぐっと目を伏せる。


「慶、君が平和主義なのは分かるよ。出来れば血生臭い争いをしたくないこともね。君は優しい子だから、人間と仲良くしたいって思うのはごく当たり前なのかもしれない。だけどね、そのせいで、君は大事な親友を傷つけたんだよ。前に華も言っていただろう? 『泣いた赤鬼』の末路は不幸だったって。君がその『泣いた赤鬼』じゃないか。君が人間と仲良くしたいと願ったばっかりに、親友の青鬼はどうなったの? ……ねえ、慶。一度凜君とちゃんと向き合いなよ。そうじゃなきゃ、君を心配して傍にいてくれた彼らに申し訳ないだろう? 凜君も煉君も、それから苓も、彼らは今でも君を――」

「分かっている!」


 慶が声を荒げた。ぐっと拳を握り締めて、兄から目を反らす。


「私だって、あいつらがずっと傍にいてくれたことには感謝している! だがっ……、兄さんには私の気持ちなんか分からない。酔狂者の私の気持ちなんかっ……」

 そう吐き捨て、慶が店を飛び出した。

「慶さんっ……!?」

「慶兄?」

「なんだ……?」

 残された作りかけのホットサンドに、そっと雅が溜息を吐いた。


 店を飛び出した慶は、すぐに罪悪感に苛まれた。とぼとぼ歩いて、ほどなくして店に戻ろうと、回れ右をする。そこに、思いがけない人物が立っていた。


「サル……」

「ちょっとツラかせよ~、次男坊~」


 オシャレ帽子に眼鏡姿の平子が、いかにも何かを企んでいそうに口元を緩めている。


「悪いが、お前に構っていられる程暇ではないんだ」

 そう言って平子の横を通り過ぎようとした慶に、「ああそう。んじゃ~、志規の次男坊のコト、知りたくねーんだな~?」


 はっとして振り返った。


「何故お前が苓のことをっ……」

「うるせーな~。ついてくりゃあ分かるっての~」

 御託を並べる平子にイラつくも、慶は言われるままに平子の後に続いた。途中で車に乗せられ、着いた場所はテレビ局だった。

「え……?」

「さっさとしろよな~」

 車を降ろされ、再び平子の後を追う。

「コイツ、オレの連れだから~」

 そう言って、平子がテレビ局に顔パスで入っていった。

「お、おい、サル、一体どこに向かっているんだ?」

「あ~? うっせーな~。ほら、着いた」

 そこは控室で、扉には『monkeyshine様』と書かれている。

「え……?」

「とりあえず中入れよ~。そこに、アンタの探しモンがあるからさ~」

 ゴクリと息を呑んで、慶は扉を開けた。そこに、王子の衣装で横になる男がいた。モグモグと菓子を食べるその姿には、見覚えがある。


「ま、まさかっ……」

「『monkeyshine』 は二人組のアイドルで~、コイツがオレの片割れ、緑鬼は志規家の次男坊、苓ちんでーす」

「りょ、りょー!?」

「やっほー、けい。おひさー?」


 菓子を食いながら片手を上げる、若竹色の前髪パッツンの青年。人間の姿で、左右の耳に赤と青のピアスをして、瞳は緑色をしている。アイドルらしからぬ無気力な目つきと、やる気のないその姿に、控室に上がった慶が苓の肩を激しく揺らす。


「りょ、りょ、りょーっ! お前一体今までどこにいたんだ! 私がイタリアに行っている間に行方不明になったと聞いていたから、心配していたんだぞ!」

「もー、うるさいなー、けいは。あにうえがうるさいから、ほうろうしてただけじゃん」

「放浪って! はなぶささんがどれだけ心配したことか! 私だって心配していたんだぞ!」

「あーはいはい。ごめんねーけい」

「全く反省していないじゃないか! それに何でお前がサルとコンビ組んでアイドルなんかやっているんだ!? グータラのお前達がアイドルなんて務まる訳ないだろう!」

「もー、こうみえても、にんきぜっちょうなんだよー? ねー、ひらりん」

「ひらりん!?」

「おお~。こう見えてもオレら、武道館で4デイズ満席にしちゃうくらい人気なんだよね~」

「世の中がおかしいのか、私がおかしいのか」

「けいがおかしーんでしょー? それに、はんせいしてないのは、けいのほうじゃん」


 真っ直ぐに苓が慶を見上げる。


「……ねえ、まだ仲直りしてないんでしょ、あの二人と」


 声色が変わり、ぐっと慶が目を反らした。


「ボクが間に入ってあげてもいいよ? どうせボクがいなきゃ、纏まるものも纏まらないんだろうし。ねえ慶、いつまでも過去を引きずらないでよ。凜も煉も、赦してくれようとしたじゃん」

 

 苓の言葉に、ゆっくりと顔を上げる。


「……私も、出来れば、和解したい」

「んじゃ~、契約成立だな~」

「は? 契約?」

 慶が平子の方に振り返った。そこに、ドSに笑う平子がいる。


「けいがさんにんめのめんばーになってくれたら、ぼくがおまえたちのあいだにはいってやるよー」


「はっ? えっ? はっ? えっ?」

 交互に苓と平子に目を向ける。二人ともドSな笑みを浮かべている。

「はあああああ!?」


 結局閉店まで慶は戻らず、みのりは夕飯を食べながらその行方を案じた。

「慶さん、どこに行かれたんでしょう……」

「まったく、記念すべき一周年に飛んじゃうなんて、プロ意識に欠けた行為だよ」

「けど、あの慶兄があんな風に店飛び出しちまうなんてな。一体何があったんだ?」

「朝から様子がおかしかったのと、何か関係あんのか?」

 弟達の問いに雅が言葉に詰まる。

「雅さん?」

 隣に座るみのりが首を傾げた。その時、テレビから歓声が上がった。


『――ええ、現在、人気爆発中の二人組アイドル『monkeyshine』ですが、なんと今夜、生放送で重大発表があるとのことです! では登場して頂きましょう、『monkeyshine』 のお二人です!』


 音楽番組の司会者に促され、黄色い悲鳴が飛び交う中、スタジオにmonkeyshine が登場した。


「やっぱり平子さんの人気はすごいですね」

「あんなインチキザルのどこがイイんだ?」

「うん? あれ? 平子君の隣にいるのって、もしかして……」

 黒い王子の衣装を着る平子の隣に立つ、白い王子のいで立ちの青年を雅が凝視する。若竹色の髪に、緑色の瞳。

「マジかよ……アレ、苓兄じゃねえの?」

「りょう、さん?」

「は? ずっと行方不明だったんじゃねーの? まさかあのグータレ、溝ザルとアイドルやってたっつうのかよ?」


『あれー? りょー君、随分雰囲気変わったねー。髪の毛と目の色がいつもと違うよー?』

『ええ。皆さんにはずっと黙っていたんですが、実はボク、ハーフでして。今まで黒髪のカツラと黒のカラコンで隠していたんですが、この姿が本当のボクなんです。ちょうど今日が『monkeyshine』 を結成して五年なので、記念すべきこの日に、本当の姿になろうと決意しまして。名前も『りょー』から、本名である『志規苓』と改めさせて頂きます』


 イキイキと話し、にっこりと苓が笑う。


『そうなんだね。いやー、りょー君がハーフだったなんてね。でもそっちの方が王子様感が増してイイねー! それじゃー、重大発表も済んだことですので――』

『ちょっと待ってください!』

 平子が進行を止めた。

『平子君!? きゅ、きゅーにどーしたの!?』

『すみません。実は重大発表はもう一つありまして。この度、『monkeyshine』に新メンバーが加入することになりました』

『えええー?』

 テレビの向こうから、ファン達の驚愕の声が上がる。

『ファンの皆様、どうか彼を『monkeyshine』 の新メンバーとして迎え入れてやってください。僕と苓の旧知の仲でもある、頬月慶くんでーす!』


「ブフォっ……!?」

 テレビの前で四人が一斉にお茶を噴き出した。平子に呼ばれ、赤い王子姿の慶が、あたふたしながらスタジオに登場した。

「け、け、けいにいっ!?」

「何やってるの、慶!?」

「慶さん……!?」

「うっわー、やっちまったな、こりゃ……」


 ――頬月家が驚愕している、同時刻。

 竜胆カンパニー 執務室


 社長席に座って書類に目を通す新羅の前で、スーツ姿の男達が慌てふためいている。


「社長! これは一体どういうことですか! 『monkeyshine』 が本日より三名体制になるなんて聞いていませんよ!」

「ああ。あの馬鹿ザルが無理やり次男坊を引き入れたらしいからな」

「何を悠長なことを仰っているのです! 勝手に追加メンバーなんて非常識すぎますよ!」

「別に構わねえだろう。今の時代、アイドルグループの追加も脱退も、何でもアリだろう?」

「ですがっ……」

「新メンバーの面構え見てみろ。ありゃあ、売れるぜ?」


 新羅が、親指で画面いっぱいにクローズアップされる慶を指す。


「た、たしかに……」


 事務所のスタッフ一同納得した、ちょうどその頃――。


 移動中、車内で歌番組を観ていたかぐやとミカド。


「へえ。慶くん、遂に芸能界デビューか。これは業界人はほっとかないよねぇ」

「アホやな、アイツ。店はどないするつもりやねん」

 運転するミカドの隣で、助手席に座るかぐやが呆れた吐息を漏らした。

「まあ、どうにかなるでしょ。傍には平子くんと緑の子がいるんだし。ねえ、君もそう思うでしょ? ――大夫たいふ

 バックミラー越しに、ミカドが後部座席に座る男に目を向けた。

「た、たいふとはっ……もう律令下ではございませぬ、帝様っ!」

「ふふー。君だって僕のこと、時の帝風に呼んでるじゃない。それじゃー清従くん、改めて、今回のこと、どう思う?」

 緊張で目を反らす清従が、躊躇いながらも口を開いた。

「わ、わたしには軽率な行動にしか思えませぬっ……」

「そうかなぁ? 僕は結構いいトリオになると思うんだけどなー?」

「帝様はあのサルの本性をご存知ではないのです! いつの時代もグータラで、次男坊のことしか頭にないのですから……!」

「サルがケイに執着すんのは、しゃーないやろな」

 ドアに片肘をつくかぐやが、大きく吐息を漏らした。

「彼は東雲しののめ家の遺児だからね。廃籍された陰陽頭の息子。平安の世に生まれし、天才陰陽師と謳われた子だったからね。彼はどうしても、鬼である慶くんが欲しいんだろうね」


 ミカドの言葉に、清従はテレビに映る平子に目を向けた。そこには、いつにも増してイキイキとしている姿がある。


「あ、着いたよ、清従くん。マンション前は記者が張っているから、ここで降ろすね」

「は、はい! 送って頂き、有難う御座いました」

「良いんだよ。せっかくドラマで共演しているんだし、この機に、君とも仲良くなりたいし」

「仲良くなど……私は貴方様の臣下でしたので……」

「それは千年前の話でしょ? 僕はもう、朱鷺定帝ときさだていじゃないよ」


 その言葉に、清従が目を伏せた。


「でもね、もし僕が今代の帝だったら、鬼退治なんて命じないかな。鬼も人間も、平和な世の中で、平和に暮らして欲しいから……」

 そう言ってミカドは、清従に見えるようにかぐやの手を握った。


 生放送を終えた慶が、緊張と疲労から控室で項垂れた。

「はじめてにしてはがんばったじゃん、けい。つけやけばでも、ちゃんとおどれてたし」

 生歌を披露し、大分カロリーを消費した苓が、やる気のない格好でボリボリと菓子を頬張る。

「まあ、何だかんだでオレのコト見てたんだよね~、この変態ロリコンストーカーヤローは~」

「ストーカーはお前の方だろう!」

「そーだっけ~? でもまぁ、結構ワーキャー言われてたジャン~? ま、オレらには到底及ばねーけどな~」

「……うるさい。もうイヤだ。何なんだ、こいつら。二重人格なのか? こんなものはテロと同じだ。私を一般人に戻せ」

 力なく、ブツブツと慶が呟く。

「べっつに大したコトねージャン~? アンタだって普段から女に囲まれてんだしさ~? アイドルもイタリアンシェフも変わんねージャン~?」

「変わるわっ! 私の安穏の日々を返せ! アイドルなんてやったら絶対兄さん達から失笑を食らう……!」

 ズーンと落ち込む慶にカチンときた平子。その耳元で囁く。

「アイドルになったら、歌番組でコニポン。と共演出来るケド?」

「はっ! アイドル最っ高ー!」


 数秒で立ち直った慶に、「あいかわらず、ばかだね……」と苓が冷静に言う。その直後、ドンドンドンドンっ……と足音が聞こえてきた。


「あ~、やばー」

「苓?」

 

 バンっ……! と勢いよく扉が開いた。深碧色の髪の男がゆっくりと顔を上げる。苓と同じく前髪パッツンで、瞳は怒りに満ちた緑色をしている。


「あっ、あの……」

 ドギマギする慶には目もくれず、男はズンズンと菓子を頬張る苓の下へと向かっていった。

「……貴様はこんな所で何をやっているのだ、苓」

「なにって、あいどるだけど?」

「アイドル、だと……?」


 ギロリと、男が寝ころぶ苓を見下ろす。


「あ、あのっ、落ち着いてください、ねっ!」

「……慶、貴様も一緒になって何をしている?」

「ああ、いや! 私も何が何だか分からなくてっ……! 苓がサルとアイドルやっていたことも今さっき知ったばっかりで……!」

「……帰るぞ、苓。言い訳ならば、城でゆっくり聞いてやる」

「ぼく、あーんないんきくさいしろには、かえりたくありませーん。かえるなら、あにうえひとりで、かえればいいじゃないですかー」


 その瞬間、男から尋常ならぬ怒気が溢れた。


「あわわわわ! あの英さん……! ここは人の世なので落ち着いてください!」


「……苓。この七年、俺がどんな思いでいたか考えたことがあるか? 貴様がどうしても人の世の学校に通いたいと駄々を捏ね、それを渋々許した兄を裏切り、何の便りもなく放浪していた弟が、ある日突然『アイドルやってましたー』などとテレビ越しで発覚した兄の気持ちがああっ……!」


 冷淡な口調から感情を大爆発させた英に、「情緒不安定か?」と平子が冷静に言う。


「ほらっ! とりあえず一旦帰るぞ! 仕置きをされたくなければさっさと来いっ!」

「もー。わかりましたよー。そいじゃー、ひらりん。あとはよろしくねー」

「おお~。ちゃんと兄上と仲直りしてこいよ~?」


 苓の腕を掴んで歩き出した英が、にやけヅラの平子の前で止まった。二人の間で言葉が交わされる。


「……我が志規家は、貴様を主とは認めていない。貴様に使役されるつもりも毛頭ない」

「ふん。べっつに苓もアンタも使役するつもりなんてねーし~? オレが従わせたいのは、今も昔も赤鬼の次男坊の方だから~」


 平子の真意に英は沈黙し、苓を連れ控室を出て行った。二人きりになった控室で、慶は疲労の吐息を漏らした。


「私ももう帰りたいんだが……」

「ナニ言ってやがんだよ~。まだオレとの契約が済んでねーだろ~?」

「は? あのなぁ、サル。冷静に考えて、私はアイドルなんてやっている暇はないんだ。店もあるし、第一、敵であるお前と一緒にいるなんて、赦されないだろう?」

「敵、ねえ……。アンタさ、ホントにオレのコト、敵だと思ってんの?」


 俄かに口調が変わり、「え?」と慶が平子と向き合った。


「千年前からこの因縁が続いてきてるケド、アンタ、オレに何度殺されたか忘れたワケじゃねーだろ? 一番最初を除いて、毎回オレに殺されてきて、それでもこうしてオレに付き合ってくれるのはなんで? ホントに憎けりゃ、さっさとオレの息の根止めれば? 今年の『8・26』で決着つける必要なんてねーんだしさ」


 平子の言葉が、近ごろ慶を重苦しくさせていた心情と重なる。ぐっと拳を握めた。目の前にいる男は桃太郎一家のサルで、鬼の敵だ。何度となく殺されてきて、憎悪がないはずがない。今代でも血生臭い死闘がこの先に待ち受けている。……それでも――。


「……おまえは、人間だろう?」

「はあ? だからナニ? そんな理由でオレを殺さないワケ?」

「違う……。そうじゃ、ない」

「なら人間大好きな赤鬼は、人間に殺されても本望なワケ? 親友の青鬼傷つけて、それでも仲良くなった人間が、今度は鬼が憎くてアンタを見殺しにしても、アンタは人間を赦すの? はっ、どんだけ酔狂者なんだよ? ……アンタさ、諱《いみな》奪われて、体操られて、意に反して幼い四男坊殺しかけた過去忘れたの? あの時、体の自由をなくしたアンタは、三男坊に自分を殺させたんだろっ……」


 ぐっと平子が奥歯を噛み締めた。慶は視線を反らし、沈黙する。


「……もうあんな光景は見たくねーからな。ほら、さっさと契約しよーぜ。陰陽師、東雲藤丸しののめふじまるの名の下に、アンタはオレの式神になれ」

「は……?」

 それには、ポカンと慶の口が開いた。


「アンタがオレの式神になりゃあ、ふん、あれやこれやと使役させられるからな~? 言っただろ~? テメーにとって一番屈辱的なモンにしてやるってさ~? まさか運動会で交わした約束、忘れたワケじゃねーだろ~? 障害物競走でオレが勝ったら、なんでも言うコト聞く約束だったろ~?」

「なっ……! 今になってっ、しかも式神だとっ!? それだけは絶対に嫌だっ! お前の式神になるなんて恐ろし過ぎるっ……」

「テメーの全部奪ってやるって言っただろ~? まんま言葉の意味だよ!」

「ふざけるなっ! ドSのお前となんて絶対に無理だっ」

「そーゆーの込みで、人間大好きなんだろ~? 酔狂者の赤鬼サンよ~?」


 ドSに笑う平子に、「それだけはご勘弁をー!」と形振り構わず慶が土下座する。


「んじゃーさ、教えろよ。なんでアンタ、オレを殺さないワケ?」

 土下座状態の慶が、その態勢のまま目を細めた。

「……私は、どうしてここまで人間が好きなのか分からないんだ。気が付いたら、人里に下りて幼子の遊んでいる姿に心が弾んだし、一緒に遊びたいって思った……」

「うん、今も昔もロリコンね、アンタ」

「私のこれは病気だと、酔狂者の鬼だと、周囲から散々揶揄された。そんな私を族長らは更生させようと、五条大橋で人間を襲うまでは家に帰してもらえなくて……」


 俄かに平子が表情を隠す。


「そこで一人の浮浪児を見つけて、その子を襲おうとしたら、逆にコテンパンにやられて……その子は不思議な力で私を懲らしめた。あえなく降参して、話を聞いたら、没落した陰陽師の倅だと聞かされた。元は高貴な家の子がボロボロになって乞食をやっている姿を見たら、どうにか助けたくなったんだ。だからその子を信頼のおける鬼婆に預けた。その子がまさか、成長して桃太郎一家のサルになるなんて、思いもしなかったがな……」


 ぐっと平子が唇を噛み締める。慶が顔を上げて、平子を見上げた。


「形ではお前と敵同士にはなったが、お前と再会出来て、嬉しかったんだ。この辺が酔狂者なんだろうな。当然兄さんにも、誰にも理解してもらえないんだが……」


 頬を掻いて笑う慶に、ぐっと想いが込み上がる。慶が床に目を向けて、ほんの少し笑みを浮かべた。


「……殺せるはずがないと思った。何度お前に殺されようが、私がお前を殺すよりかはずっとマシだと思ったんだ。お前は私にとって、友人? いや、弟みたいなものなのかもな。どことなくそんな風に思えて、お前からふっかけてくる争い事にもつい乗ってしまう。これが私がお前を殺さない……いや、殺せない理由だろうな」


 ぐっと堪えた平子が、慶の胸ぐらを掴んで壁に叩き付けた。


「サルっ!?」

「……アンタさ、自分の気持ちばっかりで、オレの気持ちなんて考えたコトねーだろ?」

「サル……?」

 表情を隠す平子に、慶の黒い瞳が憂いに満ちる。


「……弟? はっ、ふざけんなよ。テメーの弟になったつもりなんてねーよ。テメーがオレを殺すよりマシってなんだよっ。毎度毎度テメーを殺さねーといけねーオレの気持ちはどうだっていいのかよっ」


「サル、私は……」


「テメーは根っからの平和主義者だよ。人間大好き、酔狂者の赤鬼だよ。ああ分かってらぁ、そんなことっ! テメーがクソまみれのオレを拾ったその時から、テメーが人間を殺さねー鬼だって分かってんだよっ! それでもコッチはテメーが鬼だってだけでこの千年、テメーを殺し続けてきてんだろーが! 殺されるより、殺す方がずっと苦しいんだぞっ……」


 ぐっと喉を鳴らす平子に、「サル……」と慶が目を伏せる。


「……テメーを殺していいのはオレだけだ。けどオレはもう、酔狂者の赤鬼なんて殺すつもりはねーんだよ。だから、今代ではテメーがオレを殺せよ」


「なっ、私はっ……」


「イヤだっつんなら、オレの式神になれ。これまでしなかったコトをすれば、少しはこの因縁の結末も変わってくんだろ?」


「私が、お前の、式神に……」


「諱を貸せ。時がくりゃあ、ちゃんと返してやるからよ」


「だがっ……」


「テメーだって、この因縁を平和的に終結してーと思ってんだろ? オレとアンタなら、この不毛な因縁も終わりにするコトが出来んだろ?」


 意表を突かれた。慶の脳裏にこの千年間の記憶が蘇る。血生臭い死闘の果てに、今代こそ平和な大団円を望む自分がいた。そうして敵であるはずの平子も、同じ気持ちでいることに気づかされた。


「……そうだな。私ももう、この争いに疲れた。私がお前の式神になることで、未来が変えられるなら……」


『――君には頬月の鬼だという自負はないのかい?』


 その言葉に目が覚める思いがした。雅に言われた言葉が脳裏を過ったことで、慶は胸ぐらを掴む平子の手を払い除けた。


「次男坊?」

「……私は、お前の式神にはならない。私は、頬月の鬼だ。誇り高き雷神の一族が、人間の式神になる訳にはいかないっ……」


 深紅色に燃える赤瞳で、苦悶に歪む表情が、大きく見開いた平子の目に映った。


 帰宅した時には既に夜中で、リビングの電気を点けた慶が、ソファの上で膝を抱えた。深い吐息が漏れ、目を瞑る。


「慶さん……?」


 自室から下りてきたみのりが、慶の後ろから心配そうな表情でその顔を覗いた。慶は顔を膝に埋めたまま、言った。

「今日はすまなかったな、みのり。店は大丈夫だったか?」

「はい。ディッシュは何とかレシピを見て、雅さんと私で作りました。お客様にも慶さんは急用で店を出ていると言って、納得していただいたんですが……夜、テレビを観ていたら慶さんがその、アイドルになっていらしたので、皆さんびっくりされて……」

「ああ、本当にすまない。あれは手違いがあってな、どうにか取り下げてもらえるよう説得するから、私があの二人とアイドルの仕事をすることはないから、安心してくれ」


「本当に大丈夫なんだね?」

 音もなく、雅が慶の隣に座っていた。

「雅さん!?」

「ったく、あんなグータレ共とアイドルなんて、イタすぎて見てらんなかったわ」

「慶兄、顔死んでたしな」

 いつの間にか溌と倖もリビングにいた。顔を上げた慶が沈んだ表情を浮かべる。


「……本当にすまないと思っている。久々に苓と再会したら、あれやこれやと事が進んでいってしまってな」

「それで、苓は英に捕らえられたの?」

「ああ。知木戸城しらきどじょうに連れ戻された」

「そう。それじゃあ彼も、その内僕の前に現れるんだ」


 薄らと雅が笑った。


「……雅兄、頼むから英兄はなにいをイジメないでくれよ?」

「やだなぁ、倖。僕は英とは竹馬の友同然だよ? そんな彼をイジメるなんて、ねえ? 溌」

「いや、オレに同意を求めんな!」

「兄さん、英さんは『頬月雅被害者の会』の発足者だぞ? それを忘れたのか?」

「そんなの、遠い昔過ぎて忘れちゃったやー」

「ミーボー……」

「雅兄……」

「あ、あの!」

 長男へ非難の眼差しを向ける弟達を見かねて、みのりが話題を変えた。

「今日はバレンタイン・デーなので、私から慶さんへプレゼントがあるんです!」

「本当か、みのり!?」

「はい。日頃のお礼も兼ねて、慶さん用に新しいコック・コートを作ってみました。気に入っていただけると嬉しいんですが……」


 包装袋に入った純白のコック・コート。左右に四個ずつボタンが付けられている。そうして右腕には、『雲月に雷』の頬月家の家紋が赤糸で刺繍され

ている。


「頬月家の家紋か……」

「はい。雅さんに教えて頂きました」

「そうか……」

 その家紋に、頬月の鬼としての矜持が込められている。

「本当に器用だな、みのりは。それにこのボタン、イタリア国旗をモチーフにしているのか」

 緑、白、赤の三色ボタンに、慶が嬉しそうに笑う。

「俺らもグレイのシャツから、白シャツに変わったんだ。みんなイタリアのボタンで、家紋入りだぞ」

「そうか……。兄さんもか?」

「勿論。ああでも、今からたっぷりみのりちゃんも貰うけどね」

「雅さんっ……!」

「っち!」

 倖の悪意ある舌打ち。

「なーに? 倖。君だって百合亜ちゃんから、愛情たっぷりのチョコレート貰ったんでしょ?」

「R指定の同人誌も一緒になっ!」

「溌もココちゃんからマフラー貰ったし、みんな順調に進んでくれて嬉しいなぁ。後はー……慶、そう言えば君のお姫さまが来てないねぇ」

「は? お姫さま……?」

「ああ、そう言えばひいさま来なかったな。こういうイベント事、大好きだろうにな」

「ひいさまか……」


 その時、「はあああ」と大きく溜息を吐いた。慶がみのりから貰ったコック・コートに顔を埋める。


「サルに煉凜に苓にひいさま、私と因縁の深い者はドSしかいない」

「け、けいさん! 何か辛いことがあれば私が相談に乗りますから……!」

「うわーん! 私の癒しはみにょりだけだー!」


 そう泣き叫んでみのりに抱き付こうとした慶を、案の定、雅が笑顔で制止する。


「……最上級のパロラッチャ(罵り言葉)を使われたくなければ、……ねえ、溌」

「だからオレに同意を求めてくんじゃねーよ!」

 物騒な長男に、心では一万歩引いていた。


 ベッドに入った慶は、平子の言葉を思い返した。


『――テメーを殺していいのはオレだけだ。けどオレはもう、酔狂者の赤鬼なんて殺すつもりはねーんだよ。だからテメーがオレを殺せよ』


 神妙な面持ちで寝返りを打つ。


『――オレの式神になれ。……テメーだって、この因縁を平和的に終結してーと思ってんだろ?』


 自分の両手を見つめる。人間のそれを、ゆっくりと握り締めた。


「……すまない、藤丸。私はっ……」


 ぐっと目を瞑って、慶は布団に潜り込んだ。



















 















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