第29話 墓標

 人気アイドルリュオ、『monkeyshine』の追加メンバーとして慶が生放送に出演した翌日、店に押し寄せたマスコミ各社と女性ファン達。開店と同時に芸能記者とカメラマンに囲まれ、対応に追われた慶があたふたする。


「ああやっぱりな。ネットでも『monkeyshine』 の新メンバーが、『ほおづキッチン!』の慶りんだって拡散されてるわ。こりゃあ、即脱退なんて出来そーにねーわな」


 溌が携帯でネット情報を読み、押し寄せたマスコミと慶を一度店の外に出した。容赦なく質問とフラッシュが浴びせられる。


記者:「慶さんはイタリアンシェフということですが、『monkeyshine』 の傍ら、お店の仕事も続けられるのでしょうか!?」


慶:「えと、すみませんっ、色々と手違いでこうなってしまってっ……! 私はアイドルには――」


記者:「『monkeyshine』 の平子さんと苓さんとは一体どういう仲なんですか!?」


慶:「ああいや、だから――」


溌:「誠に申し訳ございませんが、兄は『monkeyshine』のメンバーには――」


記者:「ご兄弟四人でユニットを結成されるご予定はありますか!?」


溌:「そのような予定はありません!」


 四方八方から質問が飛び交い、半泣き状態の慶と、次第にイライラし始めた溌。そんな二人の前に、突如として救世主が現れた。


「――はいはい、すみませんね~。頬月慶はこれより本職がございますので、マスコミ各社の皆様は一度お引き取り願いまーす。彼に対する取材はすべて事務所を通されるようお願いしまーす」


 眼鏡にスーツ姿の救世主が、颯爽と二人の前に立つ。


記者:「いや、少しくらいならイイでしょ!?」


「イイかどうかは事務所の社長に訊いてくださーい。……ほら、向かいの通りからこちらを凝視してますよ? 天下の竜胆コンツェルン、執行役員、竜胆新羅が……」


 『PEACHMEN』の前から、高級車を降りた新羅がじっとマスコミを凝視している。


「あんまり彼を怒らせない方がそちらの為ですよー? 何せ、あの竜胆剛蔵りんどうごうぞうの後継者ですからね。その気になれば、大手出版社の一つや二つ、簡単に消しちゃうかも」

 凝視する金瞳に、ぞぞっと記者達の背中に悪寒が走った。一目散に退散していくマスコミを見送った救世主の傍らで、二人はようやく安堵の息を吐いた。


「助かったよ、ミカド。流石姉さんのマネージャーだな」

「こんなことだろうと思ってね。いやー、彼も良いタイミングで来てくれて良かったよ。桃くーん、ありがとー!」

 両手を振って、ミカドが店の前に立つ新羅に礼を言った。


「っち……」

 険阻な表情で、新羅が店へと入っていく。


「しっかし、昨日の今日でよくここまで騒げるな。たかがアイドルグループの新加入くれーで」

「溌くん、今や『monkeyshine』は日本だけじゃなく、海外にも大勢のファンがいるからね。そんな『monkeyshine』に新しいメンバーが加入するって言ったら、そりゃあ日本の芸能界はほっとかないさ。正直、慶くんがこのままお店の仕事を続けるのは難しいと思うよ?」

「そうなのか……。お前の力でどうにか無かったことには出来ないか?」

「いや、無理だよ。だって僕、個人事務所のマネージャーだよ? そんな力ないよ。それに『monkeyshine』の事務所は桃くんの会社が経営するプロダクションだからね。芸能界じゃかなりの大手だし、生放送で大々的にお披露目しちゃった手前、今更『やっぱり辞めまーす』なんて、許されないだろうし」

「だったらどーすりゃイイんだよ。昔はオメーがアイツの上司だったんだし、どーにかしてケリつける方法、探ってくんねーか?」

「うーん。彼が僕とサシで会ってくれるかどうか……」

 そう言ってミカドは、通りの向こうにある『PEACHMEN』を見つめた。


 その日、『ほおづキッチン!』は、普段の兄弟ファン以外にもmonkeyshineのファンも多く訪れ、店内がパンク状態に陥ったことから、午前中に臨時休業の体裁を取ることを余儀なくされた。どうにか客に説明し、ようやく落ち着いたところで、五人は店内でこれからのことについて話し合った。


「正直言って、今日のような状態が続くのは困るなぁ。慶目的に『monkeyshine』のファンの子達が押し寄せちゃ、普段から来てくれているお客さん達に申し訳ないもん」

「すまない……」

 一人立つ慶が、目を伏せて謝る。

「今、ミカディの奴が新羅に直談判に行ってくれてる。それ次第で、慶りんが『monkeyshine』を脱退出来るかどうかだが……」

「そんなに簡単にアイドルなんて辞められるのでしょうか?」

 みのりが不安そうに胸に手を寄せた。

「ぶっちゃけ脱退したとこで、あんまり解決にはなってない気がするぜ?」

「倖の言う通りかもね。こうなってしまったらもう、店を畳むしか……」

「えっ!?」

 ばっと立ち上ったみのりに、溌が深く溜息を吐く。

「……本格的にアイツら、店を潰しにかかってきたってコトか」

「そうだね。僕らにそうさせるよう仕向けるのが、彼らの本当の目的かもしれない」

「くそっ、アイツら卑怯なマネしやがるっ……」

「そんな……」

 みのりが俯いた。胸に寄せた拳を、ぎゅっと握り締める。


 兄弟の推測に、慶は目を細めた。昨日の彼らとのやり取りが思い返される。


『……私も、出来れば、和解したい』

『んじゃ~、契約成立だな~』

『は? 契約?』

『けいがさんにんめのめんばーになってくれたら、ぼくがおまえたちのあいだにはいってやるよー』


 店を廃業に追い込むことが桃太郎一家の目的ならば、間に苓が入る意味が分からない。慶には苓と平子の二人が、自発的に自分をメンバーに引き入れたような気がしてならなかった。


 午後になり、慶は一人、町に出た。自分が芸能人になった感覚はなかったが、今朝の騒ぎを思い返し、念の為、帽子とダテ眼鏡で変装した。一人でトボトボと歩く。もし自分のせいで店を失うことになったら……。今代の『宝物』を桃太郎一家に奪われるかもしれない危機に、無我夢中で走った。そうして気が付くと、濃霧の中、目の前に『八幡千年宮』と銘打つ門がそびえ立っていた。


「まさか……」

 鋼鉄で作られた巨大な門扉が、俄かに慶の前で開いた。

「来いってことか?」

 ごくりと唾を飲み込む慶が、誘われるがままに門を潜った。暗闇の中を進み、俄かに強烈な光に包まれたかと思うと、そこは歓楽街のネオンが輝き、漆塗りの遊郭が立ち並んでいる。郭の中で客を誘う女達は、艶やかな着物を胸元まで肌蹴させ、生足をチラつかせている。その姿は正しく遊女で、黄色い瞳が腹を括った慶の闊歩をしきりに呼び止める。強い心で誘惑には負けず、真っ直ぐ自分の所まで歩んできた慶を、扇子で口元を隠して笑う華姫が二匹の虎の前で迎え入れた。


「よう来たのう、小童。まずは、蠱惑な遊女らには目も暮れず妾の所まで来たことは、褒めてやろう」

「ここは黄鬼の里か」

「ククっ、そなたも知っておる通り、黄鬼は遊郭にて富を得てきた種族じゃからのう。そなたも遊女らと戯れたければ、最高級の太夫だゆうを用意するが?」

「その太夫が、ひいさまだろう?」

「ククっ、察しが良いのう。折角ここまで来たのじゃ。ちぃと妾の相手でもしてもらおうかのう。そなたも色々と溜まっておるじゃろう、慶翔?」


 耳元で甘美に囁く華姫に、目を反らした慶の頬が赤く染まった。


 華姫に連れられるがまま、八幡千年宮の宮殿内を二匹の虎に挟まれ歩いていく。薄暗い照明の中、通された一番奥の部屋。襖を開けるとそこは、耽美な外の雰囲気とは異なり、明るく広々とした、木馬や人形、絵本が散乱する子供部屋が広がっていた。


「え……?」

 思わず慶は困惑の表情を浮かべた。

「なんじゃ? 期待した展開と違うて驚いたか?」

「あーうー……」

 慶が紅潮する顔を華姫から反らした。そこにきゃっきゃと笑う子供の声が聞こえてきた。それは二人分の女児で、部屋の奥から聞こえてくる。そうして女児達に混ざって、青年の声も響く。


「お待ち下さいませ、かえで姫様っ、つき姫様もっ……!」

 スパンと襖が勢いよく開いたかと思うと、奥の部屋から二人の女児が飛び出してきた。

「おおっ……!」

 その幼い見た目と可愛らしい二人に、思わず慶の目が輝いた。飛び出した二人の女児を二匹の虎が渋々捕らえる。


「きゃははー! つかまったのじゃー!」

「とらにくわれるのじゃー!」

「か、かわいいのじゃー!」


 慶がロリコン全開で叫ぶ。それにあからさまな嫌悪感を示す、二人を追いかけていた青年――鳳。光沢ある萌黄色の狩衣姿で、紫色のアイシャドウを目尻の先まで伸ばしている。


「何故貴殿がここにおられるのか、慶翔殿」

「この者は妾が呼び寄せたのじゃ、鳳凰。そなたの代わりをしてもらおうと思うてな」

「何を御戯れを、ひい様っ! この者は赤鬼、しかも幼子を愛でるのが趣味だと揶揄される変た……いえ、酔狂者にございますれば――」

「これ、鳳凰。妾の手前、彼の者が姫らに無体を働いたその時には、即刻虎に処分させる故、安心せい」

「処分って……」

「されどひい様! この者がひい様に手を出さぬとも限りませぬっ! それに代わりなどっ……鳳凰めの務めは巻廼条まきのじょう本家のひい様方を守護することにございます。それをたかが進級試験が危ういというだけで、赤鬼なんぞに小ぃひめ様方の面倒を見てもらうなどとはっ、鳳凰めの矜持が許しませぬっ……!」

「そうは申すがな……鳳凰、そなた、万一進級出来なんだ場合、相応の覚悟は出来ておろうな……?」


 サピーンと、華姫からプレッシャーという名の殺気が漂う。


「きゃははー! あねさまがオコなのじゃー!」

「オコじゃオコじゃー! ほうおうがオコされるのじゃー!」

 小さな姫達の無邪気なからかいに、鳳が「オコではございませぬっ!」と反論する。 


「なんだ鳳、ひいさま達の面倒が忙しくて、ろくに勉強出来ていないのか?」

「貴殿には関係のないことじゃ」

 素っ気ない態度に、慶が満面の笑みを浮かべる。

「まあ、そう言うな。お前の苦労は私も良く分かる。私も上に一人、下に二人いるからな。良し、そういうことなら私に任せろ。私が今日一日、三人の面倒をみてやる!」

「フン、貴殿に何が出来ようか。小ぃひめ様方は貴殿のような酔狂者の赤鬼など――」

「遊ぶのじゃ、けーしょー!」

「ほうおうとはもう遊ばぬのじゃー!」

 虎から抜け出た二人が、きゃっきゃしながら慶の手を掴んで部屋の奥へと連れていく。

「なっ……! なりませぬっ、ひめ様方っ! そやつは酔狂者の――」

「小さき童に酔狂者などという言葉は伝わらぬぞ、鳳凰。姫らは妾と慶翔で見る故、そなたは学業に励むが良い。そなたもたまには己が為に時間を費やさねばのう」

「ひい様……」

 扇子で口元を隠す華姫の目尻が、自分を見て下がっているように思えた。

「……不出来な従者で面目次第もございませぬ。ご厚意に甘え、暫し己が為に時間を費やさせて頂きまする」

 そう言うと鳳は一礼し、部屋を出て行った。その場に腰を落とした華姫が、「ふむ」と三人に目を向ける。二匹の虎もその傍らで姫達を見守る。


 改めて慶は、二人の女児の前に座った。

「いやぁ、楓姫も月姫もすっかり大きくなったなぁ。最後に会ったのは、まだお前達が四、五百歳くらいの時だったもんなぁ」

「楓は八百歳になったのじゃー!」

「月は七百歳じゃー!」

「そうかぁ。あれから三百年が経ったのかぁ。私も歳を取る訳だなぁ」

「けーしょーはもう武士ではないのかー?」

「ああ。私は今、イタリアンシェフをしているぞ。まあ、それもどうなるか分からんがな……」


 俄かに瞳を曇らせた慶を、「ふむ……」と華姫がじっと見つめる。


「それより、二人が着ているのは水干すいかんだろう?」

 二人が着る装束は、絹の水干(狩衣に似た簡素な服装)で、黄色い生地に菖蒲の花が描かれている。二人とも頭の両サイドで毬サイズのお団子を結んでいる。小さな体に、ぷっくり膨れた頬。小さな手足が慶の心を躍らせた。


「女児が水干かぁ、それもまた着せられている感があって良いなぁ」

「けーしょーは‟ちっこい”のがすきなのかー?」

「ちっこい……?」

「なにをいっておるのじゃ、月! けーしょーは姉さまのような‟ぼいん”がすきなのじゃ! のう、けーしょー!」

「えっ!? あ、えっ!?」

 思わず、華姫の妖艶な体を二度見する。大きく吐息を漏らした華姫が、二人の下に歩み寄って来た。


「姉さまも一緒に遊ぶのじゃー!」

「ああ、そうじゃのう。たまにはそなたらとも遊んでやらんとのう。どうじゃ、妾と共に慶翔で遊ばぬか?」

「え? ひいさま……?」

「けーしょーで遊ぶー!」

 二人が満面の笑みを浮かべ、慶を見た。三人の黄鬼の姫達が、ドSに笑う。

 

 五時間が経ち、すっかり息が上がった慶に、「体力がのう鬼はモテぬぞ?」と華姫が見下ろして笑う。あれから姫達に馬にされ、鬼ごっこ、かくれんぼ、その無限ループに、休憩なしの五時間、みっちり三人に付き合わされた。


「はあはあ……恐るべし、黄鬼の体力。いや、子供の体力か……」

 それでも、すっかり遊び疲れた二人の寝顔に笑みが浮かぶ。二人に毛布を被せた華姫が障子を開けた。そこは庭に面しており、縁側に出た華姫が火鉢の火で煙管を吸う。優雅さの中に粋があり、菜の花色の着物を羽織るその後ろ姿には、黄鬼の族長としての覚悟が表れている。慶は正座して、目を伏せた。


「……今になってアレだが、先代様には良くして頂いた。こんな酔狂者の鬼の烏帽子親になって頂いて、本当に有り難く思っている。葬儀に参列出来なかったのが悔やまれるが……」

「仕方なかろう。そなたは、死んでおったのじゃからのう」

「ああ……本当に、申し訳ないな……」

 俯く慶を、華姫は煙管を吸いながら目だけで見た。

「そなた、何を左様に自責の念に囚われておるのじゃ?」

「え……?」

「何故、そなたの黒目は遺憾に淀んでおる? そなたが他の者らに詫びねばならぬ事柄でもあるのかえ?」

 その問いに、太ももの上に置いた慶の拳が震えた。

「全部私がいけないんだ。私が酔狂者の赤鬼のせいで、友だけではなく、家族にも迷惑をかけてしまっているっ……。私のせいで、今代の『宝物』を手放せばならなくなるかもしれないっ……」


 そう口にして、黒かった瞳が赤く変色した。涙が溢れ、堰を切りそうになる手前、パチン――と火鉢の淵に、華姫が煙管の雁首を叩きつけた。その音が、泣くのを阻んだ気がした。顔を上げた慶は、夕焼けに照らされる華姫の後ろ姿を見た。顔だけ横を向いた華姫が、そのまま口を開いた。


「迷惑をかけたから何じゃ? そなたのせいで宝を彼奴らに奪われようものならば、それはそれだけの運命じゃったと諦めるしかあるまい?」


 羽織る族長羽織には、巻廼条家の家紋である菖蒲が描かれている。その花言葉の一つは、――諦め。


「左様に沈痛の表情を浮かべ、最初から非難されることを恐れておっては、いつまで経っても酔狂者の赤鬼と揶揄されるだけぞ。己が心のままに生きて、それを他の者から病と決めつけられるは、そなたも本意ではあるまい? 酔狂者こそが真の鬼の在り方であると、その本分を覆す気合い見せさえすれば、十分そなたは生きるに価値のある鬼であると思うぞよ?」

「……それでも、『宝物』を奪われたら、私達はまたあいつらに敗北してしまう」


 いつまでも暗い表情の慶に、煙管を握る華姫が立ち上がった。そのまま慶の前に進み、無表情に見下ろす。


「面を上げよ、慶翔」

 怒気を含む声に、慶が力なく華姫を見上げる。その華麗な顔が、ぐっと近づいた。

「良いか、慶翔。敗北の先に死があるのではない。死の先に敗北があるのじゃ。故に、死にさえしなければ、そなたらが敗北することはない。今代こそ生きよ、慶翔。宝を奪われようが、生き恥を晒そうが、そなたらさえ生きておれば、それは紛うことなき勝利じゃ」


 華姫の言葉に、ぐっと込み上がるものを感じた。


「ほれ、これをやろう」

 そう言って、華姫が先程まで吸っていた煙管を慶に手渡した。

「え?」

「昨日はばれん……何とかという祭りじゃったと聞いてな。遅ればせながら、そなたへの贈り物じゃ。その日は、好いた男に贈り物をする日なのじゃろう?」

「あ、ああ。好いた男……」鮮やかな朱色の煙管に、紅潮する自分が映る。

「ほわいとでーには、貰った三倍の金子《きんす》を掛けて贈り物を返すと聞いたぞ。ちなみにその煙管は江戸の頃に作らせし一級品でのう。今の時代の価値からしたら、福沢とか言う男が百人分らしいからのう。楽しみにしておるぞ? 慶翔」

「ということは、福沢先生が三百人分の贈り物をしろってことか?」

「楽しみにしておるぞ?」

 改めて笑顔で言われ、「はああ」と慶は深く溜息を吐いた。それでも、少しだけ胸の痞えが取れた気がした。

「ふむ。ようやく落ち着いたようじゃのう、慶翔」

「ああ、まあ。小さな姫達とも遊べたしな。少しは気持ちが楽になった気がする」

「そうか。それは良かったのう。妾がそなたをここに呼び寄せたお陰じゃな。しかと恩を抱くのじゃぞ!」

「あ、ああー……ハイ」

「なに、礼には及ばぬ。妾はそなたの姉も同然じゃからのう。これからも妾のことを――」


 そこまで言って、俄かに華姫が押し黙った。


「ひいさま?」

「……すまぬな、慶翔。急用が出来た。そなたも遅くなる前に人の世へと帰るが良い」

 そう言って、足早にその場を後にした華姫が、部屋を出る手前、楓と月の寝顔に目を向けた。

「ひいさま……」

 思うところあって、慶が俯く。そこに、試験勉強を終えた鳳が入ってきた。


「ひい様は之よりお勤めに入られる。貴殿も急ぎ帰られるが良い」

 どこか愁いを帯びる黄色い瞳に、慶は小さく吐息を漏らした。


「……帰る前に、先代様の墓標に手を合わせたい」

 真剣な表情で願い出る慶に、鳳は根負けしたように鼻で息を吐いた。

「……こちらへ」

 先代の黄鬼の族長を弔った石碑へと続く道を、二人は無言で歩き進めた。先代の墓標の前で慶が手を合わせる。


「長らく墓参出来ず、申し訳ございませんでした。赤鬼は金鬼と茨木童子の次男、慶翔にございます、叔母上……」

 真摯な態度の慶を鳳は後ろから見ている。墓参も済み、家路に着く慶が後ろを歩く鳳に話しかけた。


「ひいさまは、族長としての勤めを果たされているのか?」

「貴殿には関係のないことじゃ」

「黄鬼は遊郭にて富を得ているとひいさまは言った。遊女の最高位である太夫は、一体誰の相手をしているんだ?」

「他族の鬼が知るようなことではない。貴殿は早う人の世へ戻られよ」

 立ち止まった慶が後ろに振り返った。その手には、華姫から貰った煙管が握られている。それが華姫のものだと分かっていながらも、鳳は何も言わずに向き合った。

「ひいさまは、嫌々客の相手をしているんじゃないのか?」

「客などと、一介の鬼が言えた方々ではございませぬ。口を慎まれよ、慶翔殿」

 鳳の頑とした態度に、慶は思わず眉間を動かした。

「ひいさまの勤めと、小さな姫達が水干を身に纏っているのは関係があるんじゃないのか? 水干は、平安貴族の男児の装束。姫である楓と月が男装しているのは、二人を黄鬼の定めから遠ざける……いや、隠す為じゃないのか?」

「フン……仮にそうだとして、貴殿に何が出来ようか。貴殿は赤鬼。たとえ黄鬼の血が混じっていようが、我が巻廼条家とは相容れぬ間柄であろう。ひい様は誰よりも誇り高き御方。貴殿に求めておられるものなど、何一つとしてない」

「だがっ……」

「帰られよ。そして、もう二度とこの地へ訪れぬよう、お願い申し上げる」

 凛とした態度でこれ以上の介入を拒む鳳に、慶は何も言えなかった。


 帰宅した慶の前に、豪勢な夕飯が並べられた。それを作ったのは、姉の恋人であり、女優、月島かぐやの敏腕マネージャー、時定ミカド――。


「いやぁ、ごめんね、慶くん。桃くんに散々慶くんの脱退を申し出たんだけど、『無理』『帰れ』『二度と俺様に命令するな』の三点張りでねぇ。どうやっても聞き入れてもらえなかったんだ。ごめん、慶くん。義理のお兄ちゃんのつもりでいるのに、肝心な時に無能な男でごめん……」

「いや、こうなってしまった以上は、どうにかやるしかないと腹を括った。イタリアンシェフとアイドル、その二つを両立させて、必ず店も守ってみせる」

「慶……」

「そうだな。こんなことで店を畳むなんてありえねーし」

「俺らで『宝物』を守るんだ!」

「ああ!」

 吹っ切れたように笑う慶に、兄弟達から安堵の吐息が漏れた。

「ところでみのりはどうしたんだ? 姿が見えないが……」

「え? ミカドと一緒にお夕飯を作ってたんじゃないの?」

「あれー? さっきまで一緒に作ってたんだけど……」

「それじゃー、部屋にでもいんじゃねーの?」


 男達が二階へと目を向けている、ちょうどその時――みのりは『PEACHMEN』のVIPルームで、金瞳の男と向き合っていた。


「フン、腐れ帝の次はお前か。……それで、俺様に何をして欲しいんだ?」

 卑下する笑みを浮かべる新羅がソファに座り、テーブルに足を乗せた。胸に手を寄せたみのりが、ぎっと新羅を見つめる。


「……お願いがあります。私と交渉して下さい、新羅様」














 




 












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