第26話 新年明けましておめでとう

「――いやぁ、明けたね、新年。去年は大晦日まで働いて、と言っても昨日なんだけど、『大晦日だよ、スーパースペシャルデー!』で破格の大特価を強行した結果、五時間待ちの大行列になっちゃったからね。いやー、ホント疲れた! お客さん達全然途切れないんだもん! そのせいで閉店が夜の十時だったしね! ああもう、ホンット疲れた!」


 そう言って、雅がこたつの上でグツグツ煮える鍋から具材をお玉ですくった。


「……いや、オメーが『大晦日だよ、スーパースペシャルデー!』を勝手に強行した結果だろうが! 勝手に店の外に看板立てやがって! 何が『大晦日大特価、カワイコちゃんはドルチェ無料だよ!』だ、バカヤローが! 全部オメーが蒔いたタネだろーがっ!」と雅の右隣に座る溌がいきり立つ。


「とうとうタダにするとは、兄さんは商売人向きじゃないな……」と雅の正面に座る慶が呆れた口調で言った。


「マジで今年潰れんじゃね?」と雅と慶の間に座る倖が縁起でもないことを言う。


「だってさー、大晦日だよ? テンション上がらない?」


「テンションも利益も上がらねーわ!」


「上手いな、溌。流石はオーナー兼経理。この店の命運はお前にかかっていると言っても過言ではなかろう」


「オメーら二人がバカ過ぎるせいだろーが!」


「いやー、でもさ、昨日はカワイコちゃん達がいっぱい来てくれて良かったよね」


「だがその結果、兄さんは休まずフル稼働だったがな」


「け、けどよー、ぶっちゃけカワイコちゃんかどうか、判断に迷う奴らもいたぜ?」


「オメー、酷いヤツだな。ミーボーにとって女だったら誰でもカワイコちゃんなんだよ。それがイタリアで叩き込まれた伊達男の神髄だからな」


「伊達男ってこんなんか? もっとこう、スタイリッシュでオシャレな奴っていうイメージなんだけど……」


「確かに兄さんは女性には優しいが、オシャレかと聞かれたらそうだとは言えないな。現に無頓着過ぎて、我々の服を着ることも多々あるし」


「ああ、確かにな。アレはねーよな。いい加減、着れれば何でもイイってスタンスやめよな、ミーボー」


「え? 溌のは小さ過ぎて着たことないけど?」


「ぶっ飛ばすぞ、オメー!」


「まあまあ溌兄、正月なんだし、ここは抑えて……な?」


「はああ。新年早々、末弟から宥められるとはな……」


「ていうかさー、何か足りなくない?」


「ああ。確かに足りないな。何か大事なものを忘れている気がする」


「ようやく気が付いたか、オメーら」


「確かにな。アイツどこ行っちまったんだ?」と倖が辺りを見回した。


「こんなの不十分だ。味気ないじゃないか……足りないよっ、カニがっ!」


「はあ!? 足りないって、ソッチ(鍋)のコトか!?」と予想外の倖。


「カニかぁ……店に出す分ならあるんだがっ……」


「バカヤロー! 店のモンに手ぇ出したら終わりだぞっ! ウチのエンゲル係数考えろっ! カニなんて高級品、買えるワケねーだろっ! だが、足りない気持ちはオレにも分かる。よってここは、同じ甲殻類であるエビの購入ならば許可しよう。オイゆきんこ、オメーちょっくら朝市に行ってエビ買って来い」


「ええっ!? 溌兄まで何言ってんだよ! ソッチ(鍋)じゃねえだろっ! もっと大事なモン忘れてんじゃねえかよ!」


「大事な……もの?」と雅が首を傾げる。


「おいマジか……てめえらマジで言ってんのか?」


「何だ? 鍋の具材以外で大事なものと言えば……」


「ああ分かった! もう倖はいつまで経っても子供なんだからー。はい、コレ。お年玉」


「なっ……え?」


「まったくお前は働いているのにまだ欲しがるのか……。仕方がない、お前もまだ十八だもんな。私からもほら、お年玉」


「ったく、余計なモン買ったらぶっ飛ばすからな。大事に使えよ」


 三人の兄からお年玉を受け取った倖が、プルプルと震える。


「ちーがーうーだーろー! こんなモンじゃなくて、もっと大事なモンだよ! 雅兄、アンタが一番大事な姫サマ――みのりがいねえって言ってんだよ!」


「みのりちゃん? ……ああ、何を言いだすかと思えば、倖……君は忘れちゃったの? 彼女なら、ここにちゃんといるじゃない。ほうら、君も食べたでしょ?」


「え……」


 グツグツ煮える鍋の中に、ピンク色の肉がある。


「みや、にい……?」


 三人の兄が、真紅色の瞳で薄らと笑った。


「忘れたの? 僕達は怖くて恐ろしい鬼じゃないか。君だって、人間の血肉が大好物でしょ……?」



「――うわあっ……!」

 飛び起きた倖が、息を乱して胸を押さえた。夢とは言え、初夢で見るには恐ろし過ぎる内容に、気持ちを落ち着かせるまで、しばらく時間が掛かった。ようやく鶏の鳴き声が耳に届いて現実を実感すると、ベッド横のデジタル時計に目を向けた。年が明けた朝の8時26分、その数字の並びに、大きく息を吐く。


 リビングに下りると、こたつの上におせち料理が並んでいた。慶特製の和食とイタリアンのおせちの前で、雅が待ちかねている。


「ああ、おはよう、倖。新年明けましておめでとう。今年も学業と仕事の両立を頑張ってね」

「そうだぞ、ゆきんこ。単位さえ取り終えれば今年で卒業なんだから、気合い入れてやれよ?」

 取り皿を運んできた溌に、「お、おお……」と倖が目を伏せる。

「ん? どうしたの、倖。元気ないね」

「あ、いや……大丈夫、だけど……」

「昨日まで激務だったからな。どっかのバカ長男が『大晦日だよ、スーパースペシャルデー!』なんてモンを強行しやがるからよ!」

「えへへー、許してよー、溌ぅ」

「今度ゲリラ告知しやがったら、オメーの給料大幅カットするからな!」

「ええー、それじゃあ車校代が払えないよー、オーナー」

「うるせー! 全ての権利はオレが握ってんだよ!」


 そこに鍋を持つ慶が入ってきた。


「やっときたね! それじゃあ食べようか!」

 慶が食卓の中央に置かれたコンロに鍋を置いた。そのグツグツに煮えた鍋の肉に、思わず倖はぞっとした。

「どうした、倖。お前も座って食え」

「あ……おれ……」


「――倖くん?」

 

 はっとして振り返った。


「どうしたの、倖くん? お鍋出来たから、みんなで食べよう?」

「み、のり……?」

「どうしたんだよ、ゆきんこ!」

 溌に体を引かれ、兄達の前に振り返る。

「倖……?」

「……何かあったのか? オメー、瞳が赤くなってんぞ?」

「えっ……おれ、鬼になってんのか?」

 慌てて倖は自身を落ち着かせた。

「どうしたの、倖。何か変だよ?」

「悪い夢でも見たのか?」

 慶の言葉に、ぐっと喉の奥が鳴る。

「倖くん?」


 背中で聞くみのりの声に、倖はもう一度鍋を見た。そこで煮える肉に、そっと目を伏せる。意に反し、再び瞳が赤く染まる感覚がした。


「……俺、なんか体調わりぃから、今日は一日寝とくわ。三日間は休みだろ? 仕事始まるまでには、ちゃんと治すから……」

 そう言って、倖が二階へと上がっていった。

「どうしたんだ? あいつ。体調悪そうには見えなかったが……」

 慶の言葉を聞きながら、一人溌は弟の心痛を悟った。

 

 部屋に戻った倖は、ベッドに転がり、自分の掌を見上げた。人間のそれが、鬼のものへと変貌する。千年前、平安の世の記憶が脳裏を過る。


『――鬼に対しては規律を正し、人間に対しては非道を貫く。それが鬼の矜持であり、本分である!』


 月明かりの下、鬼達の集会で、そう高々と宣言する鬼。その前で父の後ろに隠れる、幼い一本角の倖。集会の帰り、父と手を繋ぎながら、訊ねた。


『ねえ、父上。どうして鬼は人間と仲良くしちゃダメなの? 五条の兄上は人間のこと、好きだって言ってたよ?」


『慶は特別だからな。……鬼の中には、人喰いこそ鬼の本分と思うておる者もおるが、わしはそうは思わん。我らは誇り高き雷神の一族。赤鬼が長、頬月の家に生まれしお前もまた、その血が流れておるのだ。良いか、倖。我らは鬼ぞ。仏より遣われし使者として、人間を正しい道に導くことこそが、我ら鬼の本分と、わしはそう思うておる』


『……うん』


『されど、人間の血肉を欲する衝動に駆られる時が、いつかお前にも訪れるやもしれん。それもまた、鬼としての宿命ぞ。その衝動を抑えるのか、それとも従うのか、その選択によって、お前の鬼としての本分が見えてこよう――』

 

 幼い日の父の言葉に、倖の爪が鋭い鬼のものとなって伸びた。


「俺の、鬼の本分……」

「倖くん」

 ドアの前でみのりの声がした。瞬時に人間の手に戻すと、ドアを開けたそこに、一人用の土鍋を持つみのりが立っていた。

「慶さんがね、倖くん用におじやを作ってくれたよ。少しだけでも食べられるかな?」

 心配そうに見上げるみのりに、「おお……」と倖の視線が床に落ちる。

「オマエは、食べたのか?」

 テーブルに置かれた土鍋の前で、ベッドに座る倖が訊ねた。

「私は後からいただくよ。それよりも、倖くんが早く元気になってくれる方が大事だから」

「大事……?」

 夢の中で連発した「大事」という言葉に、ぐっと目を瞑る。

「倖くん?」

 正面に座るみのりの声に、倖が瞼を開けた。土鍋の蓋を開けようとして、躊躇する指が萎縮する。そのまま手を引き、目を伏せた。


「……オマエさ、ホントに俺らのコト、怖くねえの?」

「ほえ……? 倖、くん?」

「俺らの正体目の当たりにして、……喰われるとか、思わねえの?」

「私が倖くん達に食べられちゃうって? そんな、思う訳ないよ!」


 ぐっと腹の底に押し隠してきた気持ちが、クスクスと笑うみのりの腕を引いた。


「ゆ、ゆきくんっ!?」

 土鍋の上で、体を引かれたみのりが息を呑んだ。目の前の倖が鬼の姿となっている。

「俺らは鬼だぞ? 全ての鬼が人間を正しい道に導くような、そんな善良な鬼ばかりじゃねえんだ。喰いたいって思ったら、その衝動を抑えられる、そんな出来た鬼じゃねえんだよ、俺はっ……!」


「ナニやってんだよ、オメーはっ」


 目を見開いたみのりと鬼の倖の間に、突如として溌が割って入ってきた。

「溌さん?」

「オイ、ゆきんこ! オメー自分が何言ってんのか分かってんのか!」

「溌兄……! 俺っ……」


 込み上がる衝動を抑えようとして、ぐっと倖が苦悶の表情を浮かべる。みのりの腕を放すも、その華奢な手首を目で追ってしまう。


「……鬼の姿になってんぞ。戻れ」

「戻れ……? 何に戻れってんだよ?」

「倖っ……」

「元々俺らは鬼じゃねえか! ……この姿こそ、本当の俺らだろ?」


 兄から目を反らし、倖が真意を伝える。吐息を漏らした溌もまた、視線を外した。


「確かにオメーの言う通り、オレらは鬼だ。鬼の姿で生きるのが正しい生き方なのかもしれねー。だけどな、倖。オレらは生まれ落ちる度に、人間として生まれてくんだよ。鬼に覚醒するまでの間、オレらはずっと自分が人間だって、それすら疑いもせずに生きてきただろ? ……前、ミーボーに言われたコトがある。鬼の矜持を捨ててまで人間になりきれるなら、わざわざ人間として生まれてくる意義も見いだせるだろうって。オレはな、倖。自分が鬼だって思い出した時、それまでの人生を振り返って、ああまたオレは鬼なんだって、フツーの人間じゃねーんだって、そんな自分を憐れんだんだ……」


 溌の脳裏に思い返される、今代での覚醒の時。ココとの約束を守れない自分に失望した瞬間だった。


「オレはな、生まれ落ちる度に、人間になりたいって思う気持ちが増していくんだよ。鬼の矜持もへったくれもねーけど、そんなオレでも、鬼であるコトに変わりねーんだ。オメーが鬼として悩んでるコトや苦しんでるコトは、オレにだって分かる。当然、人間を喰いたいって思う気持ちもな……」

「じゃあ教えてくれよ。溌兄にとって、鬼の本分ってなんだ? 今までこんな風に人間を……みのりを見たコトなんてなかったのに、夢の中で兄貴達がみのりを喰ってて、俺っ……」


 項垂れる倖から紡ぎ出される言葉を、みのりは真っ直ぐに聞いている。そんなみのりの前で、心にある思いが込み上がる。


「……美味そうだって、俺もみのりを喰いたいって、思っちまった……」

 どうしようもない思いに、倖は必死で込み上がるものを抑え込んだ。

「倖くん……わ、たし……」

 顔を上げると、困惑して顔を伏せるみのりがいた。その表情に、はっと倖が我に返った。

「俺、何言って……くそっ、俺は兄貴達みたいに衝動を抑えられねえっ! 俺は出来損ないの鬼だからっ……」

「落ち着け、倖! 大丈夫だから――」

「悪い、溌兄……俺、外で頭冷やしてくるっ……」

 そう言って、倖が部屋を飛び出していった。

「倖くんっ……!」

「心配しなくていい!」

「でもっ……」

「いいんだ、のりピー。こういう時期が、鬼にはあんだよ」

「溌さん……」

 胸に手を寄せるみのりの隣で、溌が人知れず鼻息を漏らした。


 一階に下りたみのりは、倖がいないことに不安を感じた。溌がこたつに座る兄達の前で事情を話す。


「……そうか。とうとう倖もそういう時期を迎えたのか」

「彼は今代では、鬼に覚醒するのが遅かったからね。そういう衝動に駆られる年齢が、今になってもおかしくないか」

 雅の隣に座るみのりが、そっと目を伏せた。

「倖の気持ちを聞いて、僕達のこと、怖くなっちゃった?」

 ブンブンとみのりが頭を振る。込み上がる気持ちに、涙が溢れてきた。そんなみのりの頭を擦る雅が、グツグツ煮える鍋に目を向けた。


「……倖はね、十五歳の時に自分が鬼だって、僕達のことや、これまで桃太郎一家と死闘を繰り返してきたことを思い出したんだ。それを鬼に覚醒するって僕達は言ってるんだけど、その覚醒する年齢が慶や溌よりちょっとだけ遅くてね。君が火事に遭ったちょうどその日に、倖が自分だけ鬼に覚醒するのが遅かったって、自分は出来損ないの一本角だって、僕達の前で言ったんだ」


「出来損ない?」


「その昔、二本角と一本角の鬼の間で抗争が起きてな、敗北した一本角を出来損ないと揶揄する風潮が生まれたんだ。だが実際、出来損ない――劣等種なんてことはないし、そんな風潮もとうの昔になくなっているんだが、幼い頃に向けられた嘲笑は、今になっても倖の自尊心を深く傷つけたままでいるんだ」

「まあ、それと人間を喰いたい衝動は関係ねーんだけど、思春期みたいなモンだからな。こればかりは、衝動が治まるまで気長に待つしかねーんだけど……」

「あの……皆さんも、その、人間を食べたいって、思ったことがあるんですか……?」

「んー? それはね。僕達も一端の鬼だから。でも、それと同時に、僕達は人間でもあるからね。流石に人間との営みの中じゃあ、そんな気持ちもいつの間にか薄らいで、なくなっちゃうんだけどね」

 雅の微笑みに、ほっとみのりは胸を撫で下ろした。それでも慶の神妙な面持ちが残る。


「だがな、兄弟の中じゃ、あいつが一番鬼であろうとする心が強いと思うんだ。それは私達への劣等感の表れかもしれないが、誰よりも強い心でいようとする思いが、あいつにはあるから……」


 新年に賑わう町を、倖は一人で歩いている。縁起でもない初夢のせいで、すれ違う人々への衝動が治まらない。人喰いの渇望を抑える為にも、倖は人気のない道を風に流されるまま進んでいった。そうして気が付くと霧の中にいて、晴れたと思った瞬間、目の前に古刹が姿を現した。


「ここは……」


 夕源寺と書かれた寺標に、訝しく倖が眉を潜める。

「おや? 貴方は……」

 背後からした声に、はっと倖が振り返った。

「ああ、やはり貴方でしたか。久し振りですね、倖」

 そこに穏やかに笑って立つ、青瞳の男。袈裟姿で、群青色の髪をオールバックにし、頭上で髷を結っている。

「もしかして……戒兄?」

「ええ。貴方とは平安の世以来逢っていませんでしたが、随分立派に成長しましたね。あんなにチビッ子だったのに、見違えるほどですよ」

 優しく笑う戒に、倖は息を呑んだ。青鬼の長、桐生家の跡目との邂逅に緊張感が走る。

「ふむ……。ああ、そんなに身構えなくても、捕って喰ったりしませんよ? 積もる話もあるでしょう? 中に入って、我が弟らにも成長した貴方の姿をお見せなさい」


 戒からの指示に、倖は断る勇気もなく、その後に続いた。


 夕源寺は鬼の世に古来よりある古寺で、鬼界三刹きかいさんせつに数えられる名刹のうちの一つだ。その広大な敷地内を進み、倖は茶室に通された。

「こちらで暫しお待ちなさい」

「は、はい……」

 思わず敬語になって、その場で正座した。枯山水の寺庭には一匹の三毛猫がいて、悠久とした時間が流れている。

「俺、いつの間に鬼の世になんて来たんだ? しかも青鬼の里なんて……」


 そこに廊下を走ってくる音が近づいてきた。バタバタバタっ……と忙しい足音が茶室の前で止まる。その瞬間、勢いよく障子が開いた。


「うっわっー! ヤベーじゃん! マジでガチもんの倖チャンじゃーん!」

「あ……ど、ど、どうも……」

「こられん、廊下は走るなといつも言っているだろう? また戒兄様に叱られても知らないからな。あと、声うるさい。もう少し静かに喋れ」

 現れた作法衣姿の二人の青瞳の男に、ごくりと倖は唾を飲み込んだ。

「煉兄、りん兄……」

「久し振りだね、倖。息災みたいで何よりだ」

「おいおい凜! なーに親戚の子に久し振りに会ったオッチャンみたいなこと言ってんだよ! もっとお前もハッチャケろよな! 千年振りじゃろがい!」


 白藍色の髪に紺桔梗色のメッシュが右前髪に垂れる煉と、紺桔梗色の髪に白藍色のメッシュが左前髪に垂れる凜。それぞれ左右片方に泣きぼくろがあって、二人とも片方の耳には、緑色のピアスをしている。


「お久し振り、デス」

「おいおい倖チャン! そんな他人行儀に話さないでくれよい! ほとんど兄ちゃんみたいなモンだろがい?」

「そうだよ、倖。あの頃はまだ小さかったとはいえ、ぼくとは集会でよく会っていたんだし。敬語で話されると、遠い存在になってしまったみたいで寂しいよ」

 クールな表情の中にも、優しい口調で話す凜に、「そう、ですね……」と自然と敬語になる。

「また敬語で喋ってるしー!もぉ、次余所余所しく喋ったら廊下の雑巾がけじゃーい!」


 ハイテンションでも、相手の緊張を解そうと気遣う煉。纏う雰囲気は違っても、二人の顔の造りはそっくりだ。千年前は今よりまだ若かったが、その性格も風貌も然程変わりない。


「ホントに、双子なんすね……」

「鬼の世じゃすこぶる珍しいけどなー!」

「そういえば鬼の世なのに、二人とも人間の姿でいるんすね。……アレ? 戒兄も、瞳の色だけ青くて、後は人間の姿だったような……」

 倖の疑問に、笑みを浮かべた二人の表情が固まる。そこに、着物姿の戒が現れた。二人がその場で頭を垂れる。慌てて倖も二人と同じく、頭を垂れた。

「うふふ。似つかわしくない所作はお止めなさい、倖」

「あ……ハイ」


 頭を上げると、三人の青瞳の男が、微笑みを浮かべていた。意も知れず、背中に悪寒が走る。


「茶を点てますので、貴方も二人の作法を真似て、一服なさい」

「は、はい……」

 戒が点てた濃茶を、煉、凜と回し、倖の下へと回ってきた。

「お先に失礼致しました」

 隣に座る凜がしていた通りに、濃茶を口に含む。

「ぐふっ……」

 ねっとりとした濃茶に慣れず、飲み終えた茶碗を隣に回す。

「お、お先に、しつれいしました」

「貴方で最後ですよ、倖。うふふ、頬月家では茶を点てる習慣がなかったですか?」

「あ、ハイ。ウチは礼儀作法なんかはかなりユルめだったんで」

「おや? 茨木様は礼儀には厳しい方だと窺っておりますが?」

「お袋が厳しかったのは慶兄くらいまでで、俺と溌兄はどっちかって言うと溺愛されてたから」

「慶……」

 しまったと顔を上げた。隣に座る凛が無表情で一点を見つめている。

「あ、えっと、……すんません」

「貴方が謝ることではありませんよ。これはウチの弟らと、貴方の家の次兄の問題なのでね」


 戒がふっと笑った。


「ねえ倖チャン。慶チャン、元気にしてる?」

 嘲笑を浮かべ、煉が訊ねた。

「え? あ、ああ、ハイ。元気っすけど……」

「ふーん、そうなんだ。良かったな、凜。慶チャン、元気だってさ?」

「あいつが元気だろうが、死にかけていようが、ぼくには関係ないし。寧ろ早くサルに殺されれば良いんだよ、あんな赤鬼」

「おや凜、貴方らしくないですよ。その赤鬼の身内がいらっしゃるのですから、もう少し本音は抑えなさい」

「申し訳ございません、戒兄様。以後気を付けます」

 凜が頭を垂らす。戒がもう一服練ろうと、柄杓を取り、釜の蓋を開ける。

「それよりも、銅源はどうしました? 彼の姿を見ないのですが……彼も正月には戻る手筈だったでしょう?」

 

 ビクンと双子の肩が跳ねた。


「ああー、それがな、戒兄チャン。銅源の奴、急に撮影が入ったって言って、正月には帰れないかもしれないって連絡がー……」

「……はい?」

 俄かに茶室内がサピーンと凍り付いた。反射的に背筋が伸び、意味もなく倖は息を止めた。


「帰れない……?」


 バキン、と手に握る柄杓が折れた。


倖:(ええええっ!?)


「かもしれないということです、戒兄様っ! 断定ではなく、曖昧な表現ですから、まだ希望は残っております!」

「そ、そうだよ、戒兄チャン! 銅源ならパパッと仕事終わらせて、走って帰ってくるだろうからさ! だから落ち着いて、ねっ、戒ニーチャン!」


 双子の説得も虚しく、立ち上がった戒から殺気を含む冷気が漂う。

 

 倖:(こ、こえっー!)


「……亭主が帰らないのであれば、わざわざ人間の姿でいる必要はありませんね」

 そう言って、戒が鬼の姿へと変貌した。桔梗の刺青が右手の甲に彫られている。牙を覗かせて、薄らと笑った。

「やはり鬼の姿でいる方がしっくりときますね。どうです、倖。これが桐生家の跡目の姿ですよ。頬月家の跡目と比べて、冷酷非道な風貌でしょう?」

 どう答えていいか分からず、「あ、ああー……」と曖昧に俯いた。

「麗しゅう御姿にございます、戒兄様! 流石は我が兄上様っ……!」

 凜がうっとりと戒を見上げる。

「ごめんな、倖チャン。おれの弟、戒兄サマ至上主義だから……」

 そっと耳打ちする煉に、「そう、なんすか……」と一刻でも早く帰りたい心境に陥った。

「帰れないかもしれない亭主をいつまで待っていても仕方がありませんね。煉、凜、これより新年の宴を始めます。用意なさい」

「はい」

 双子が席を立ち、厨へと向かった。


「あ、じゃあ俺、そろそろ帰り――」


「帰らせませんよ、倖。まだ貴方を人の世に戻す訳にはいきませんから」

「え……?」

「まあ、もう暫しお待ちなさい。ここから先が、貴方がこの地へと来た理由となるのですから」

 秀麗な面持ちで、牙を覗かせる口元が、薄らと笑った。




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