鬼の発生と消滅のメカニズム
ノエルアリ
日常編
第1話 頬月兄弟
とある番組の女性レポーターが、一軒のカフェの前で、カメラの前に立った。
「――さあて、本日は最近SNSなどで話題となり、連日大人気となっております、カフェ、『ほおづキッチン!』の魅力について、とくとお伝え致します! さあ、こちらが巷で噂の
「ええ! 近所に住んでいるので、このお店が開店した頃から来ています!」
「そうなんですね! こちらのカフェのお勧めとか、お伺いしても宜しいですか?」
「そうですね~、私は
「あら~、カルボナーラ! 私も大好きです! これは楽しみですね~。それでは長蛇の列ではありますが、早速私もお店の中に入りたいと思います!」
そこで、店内のテーブルに映像が切り替わった。
「おお~! 早速カルボナーラが出て参りましたよ。これは次男の慶さんが作られた、『朝採り卵と三種のチーズの特製カルボナーラ』ですね。うん! 匂いからしてとってもクリーミーで、黄金色に輝いて見えるので、見ているだけでも楽しめる、そんなカルボナーラですね、
そこで店員の溌にカメラが向けられた。
「ありがとうございます。どうぞ、冷めない内にお召し上がり下さい」
「はい。ではいただきます。(モグモグモグ……ごっくん)うん! とっても甘くて濃厚ですね! これはやはり、卵が決め手なのでしょうか?」
「ええ。私どものお店で提供する料理もスイーツも、すべて毎朝採れた、産みたて新鮮な卵だけを使用しておりますので、どれも味が濃くて、甘さを引き立てているんです」
「ほう! ではご自宅で鶏を飼われているんですか?」
「はい。自宅が店の裏手にありまして、毎朝、四男の
「そうなんですね! ここ『ほおづキッチン!』さんは、お料理やスイーツが美味しいだけではなく、ご兄弟でお店を切り盛りされていらっしゃるんですよね?」
「はい。長男の雅がスイーツを、次男の慶が料理を、四男の倖が接客を、そしてボク、三男の溌が、接客と経理全般を担当しております」
「皆さん、それぞれ重要な役割を担っておいでのようですが、すみませんカメラさん、ご兄弟を映して頂けますか? ……どうです? 皆さん、すっごくイケメンですよね~!」
「いえいえ! そんなことはないですよ~」
「またまた~、だいぶお店も女性客の方が多いように見受けられますが~?」
「あはは。そうですね、女性のお客様にはたくさん来て頂いておりまして、兄弟全員ありがたく思っております」
「つかぬことをお伺いしますが、皆さん、ご結婚とかは……?」
「いやいや! もうホント、みんな忙しくて、それどころじゃないって言うか……!」
「と、いうことは彼女さんも……?」
「そうですね~……いれば良かったのか、な……?」
「お聞きになられましたか、テレビの前の皆さん! なんとご兄弟、彼女さんを募集しているようですよ!」
「ああいや、そういう訳じゃっ……」
「うふふ。これではより一層、女性客が増えてしまいますね~。押し寄せちゃうかも!」
「あはは。そうですね……」と、溌が苦笑いを浮かべる。
「――何がそうですね、だ!
店を取材した番組を観ていた倖が声を荒げ、テーブルに撃沈した。
「だから悪かったって言ってんだろーが! しゃーねーだろ、彼女がいねーのはホントだろーが!」
「やめろ、溌。倖は女性が苦手なんだ。ただでさえウチの客層は若い女性なのに、さらに増えてしまったことで、倖はもう一杯一杯なんだ」
倖の気持ちを汲んで、次男の慶が言う。紺色の髪で、耳には、青と緑の色違いのピアスをつけている。
「んだよ、女がなんだって言うんだよ。そんなんだから、いつまで経っても童貞なんだろーが!」
「なっ! 溌兄だって……」
倖の威勢が消えていった。金髪、色白の溌から、大人の余裕が醸し出されている。ぐぐっ……! と赤髪の倖が口を噤んだ。
「だがな、溌。今日が放送日だというのに、お前が取材で彼女がいないと言うのを聞いていた客が、そのことをネットで拡散した結果、取材を受けてから二週間、未だ女性客が増加傾向にあるのは事実だぞ?」
「まあ、オレも迂闊だったって反省してるよ。こりゃあ、明日からもテレビを観た客で、わんさか増えちまうだろうな。今までだって言い寄ってくる客はいたけど、最近はアプローチが露骨だからな。今日だって会計してたら、突然連絡先渡されたしよ。慶りんだって、わざわざファンレター渡しに来られたんだろ?」
「まあな」と、満更でもない様子で慶が笑う。
「
「な、な、なんで倖がコニポン。のことを知っているんだ!」
「パソコンの履歴だよ! 残ったままだったぞ!」
「しまったあああ! 私はなんという失態をっ……!」
顔から火が出ている慶に、二人の弟がドン引く。コニポン。は、ロリータ系の四人組鬼コスプレアイドルグループだ。
「まったく、慶りんもパソコン一台しかねーんだから、知られたくなかったら、履歴消せよな。兄貴がロリコンだったなんて、衝撃過ぎて言葉も出なかったんだからな。弟からしたら、コニポン。動画より、エロ動画の方がよっぽどマシだぞ」
「……いやだ。弟達に知られた……」
慶がシクシク泣いているところに、風呂上がりの雅が入ってきた。
「あれー? どうしたの、慶。なんで泣いてるの?」
「いや、ミーボー。今は、そっとしといてやってくれ」と、溌が空気を読むように促す。
「え? なに? まさかド変態のロリコンだってバレちゃったの? 慶」
テーブルに突っ伏して、さらに激しく泣く慶に、「ばかっ!
「――慶のロリコンについては置いといて、と」
「放置してたら死ぬぞ、慶兄……」
部屋の隅でどんよりと縮こまる慶に、倖は憐みの目を向けた。
「ああこれ、この間のテレビ取材のやつ? 今日が放送日だったんだ~?」
時刻は午後八時過ぎ。地元で有名な店を紹介する番組に、取材を受ける溌の姿が流れている。
「良い顔で映っているね、溌。男前だよ」
「なんだよ、ミーボー。照れるだろーが」
有頂天の溌に、「っけ!」と、倖がつまらなさそうに、そっぽを向いた。
「んだよ、ゆきんこ! オメーが恥ずかしがって取材受けねーっつったから、代わりにオレが受けてやったんだろーが! ったく、何の為にオメーを接客担当にしたか、忘れちまったんじゃねーだろーな? オメーが人見知り過ぎて、ダチ一人出来ねーのを心配して、この店始めたんだろーが!」
「いや、それだけが理由じゃねえだろ!」
「はあ? 九割方、オメーの将来を心配してだっつんだよ!」
「ばっ! だったら余計なお世話だっつーんだよ! 俺はもう人見知りじゃねえし、ダチだっているんだぞ!」
「へえ、そうかよ。んじゃ、今度店に連れて来いよ? そのダチって奴をよ?」
あからさまに優位に立つ溌に、「わ、わかったよ! 連れてくればイイんだろ!」と、倖が吐き捨てた。
「倖、謝るなら今の内だよ?」
「だーかーらー、いるっての! ダチくらいっ……!」
バシッと両手を叩きつけて、倖が実証の構えを見せた。
「つか、テレビ! どう見たってオカシーだろ! なんだよ、この溌兄! 普段と全然違うじゃねえか!」
テレビには、爽やかに笑う溌の姿が映っている。
「猫かぶりすぎだろっ! 俺らにこんな笑顔見せたことなんて、一度もねえし!」
倖が指さす先に、百パーセントの作り笑顔で、好物を答える溌がいる。
『――え? 好きな食べ物ですか? そうですねー、『ブリビビアン・ステーキ』とか好きですよ?』
「ブリビビアンって! 世間は知らねえだろ! ブリビビアンってなんだ? ってなるだろうがよ!」
「『ブリビビアン・ステーキ』、美味しいよ? 僕は好き~」
雅が穏やかな笑顔を浮かべる。栗色のふわふわの髪の毛が自然乾燥され、タオルを外した髪から、アホ毛が二本飛び出した。
「けどよ、あの場で『ブリビビアン・ステーキ』はねえんじゃねえの?」
「そう? だって『ブリビビアン・ステーキ』はウチの目玉料理だし、溌も宣伝の為に、あえてそう答えた訳だしね」
「は? そうなのか、溌兄?」
倖の目が溌に向けられた。照れた表情で視線を外した溌が、部屋の隅で項垂れる慶を見た。
「オレはただ、慶りんの作る料理が、もっと世間に広まればイイと思っただけだ」
「ウチは女性客がほとんどだからね。カフェだって銘打ってるけど、ガッツリ肉料理もあるんだよってことを、世間にもっと知って欲しいし。そしたら、男性客の数も増えるだろうしね」
優しい雅の表情に、「そうだったのか……」と倖が溌に目を向けた。
「悪かったよ、溌兄。オレ、溌兄みてえにマーケティングとか戦略とかよくわかんねえから、好き勝手言っちまって……」
「ゆきんこ……」
立ち上がった溌が、微笑みを浮かべて倖の前に立った。
「おらっ!」
ズドン、と大きな招き猫が、倖の前に叩き付けられた。ビクついた倖が溌を見上げると、テレビと同じ笑顔を向ける兄がいた。
「おら、出せ」
「はあ? 出せって、何を?」
「決まってんだろ、先月分の給料の残り全部だよ。イイか、このゼニネコちゃんの満腹中枢は、イカレちまってんだ。食っても食っても腹いっぱいにならねーなんて、カワイソウだろ?」
「ただの貯金箱に、なんつー設定つけてんだよ! 招き猫をゼニネコって名前つけてるとこからして、ロコツだわ!」
「イイから出すもん出せっつってんだろ! 世の中なぁ、下手な謝罪より金なんだよ!」
『――価格が安い? ハハハ、そうですね、利益は度外視ですね。ボク達はお金よりも、お客様にご満足頂けることを、喜びとしてやっておりますので』
「うーそーつーけー!」
テレビの中で誠実に笑う溌と、招き猫型貯金箱の後ろで、守銭奴に笑う溌。
「ホント、これだけ見ちゃったら好青年だよね、溌」
「世間が現実を知ったら、サギ罪で訴えられるんじゃねえの?」
「利益度外視はマジだろ? 詐欺罪で訴えられるとしたらオレじゃなくて、慶りんの方だろ?」
「確かに。女の子の前じゃ、いいカッコしぃだもんね。そのくせ、変装してコニポン。のライブに行っちゃうし」
ビクっと慶の肩が跳ねた。秘密にしていた趣味が筒抜け状態であったことに、ブルブルと身震いする。
「世間のイメージを壊したくないんだろうけど。でもそれって、アイドルファンとしては
雅の言葉に、慶の唇が波を打つ。
「ええー? 正直、慶兄がロリヲタって知った時は、結構ショックだったぜ~? だってあの慶兄だぜ? 高校時代、弓道で全国制覇した頃のストイックな慶兄を思い出すとなぁ?」
慶の部屋には、インターハイで優勝した時の写真が飾られていて、そこには慶の他に、三人の学生も写っている。彼らとの日々を思い出し、慶はますます落ち込んだ。その様子を見ていた溌が、「もうイイだろ?」と慶の話を断ち切った。
テレビの電源も切って、その場が静まり返る。
「オレも多少猫かぶっちまって、らしくねー応対しちまったからな。こりゃー、明日からまた忙しくなりそうだぜ?」
溌は背筋を伸ばすと、大きく欠伸をした。溌の気遣いに、雅がそっと笑う。
「店を出して半年。どうにか軌道にも乗って、客足も増加傾向にある。価格は安価でも、その分コストは抑えてやっているからね。食べていく分には困らないし、開店資金の返済も順調に進んでいる。この調子だったら、僕達の悲願も、そう遠くない先に達成されるだろう。今は新規客が増えて、毎日忙しいけど、僕ら兄弟、これからも協力してやっていこう。ね、君も頼むよ、慶」
「あ、ああ……」
慶が不安そうに頷いた。その様子に、雅が笑みを浮かべながらも、吐息を漏らす。
「さあて、次にお風呂に入るのは誰かな? 浴槽に蓋してないから、大分冷めちゃったかも」
「オイ、いつも言ってんだろ、ミーボー! 風呂あがったら蓋閉めろって! ウチは保温効果のあるハイテク風呂じゃねーんだぞ! だあもう、湯船つぎ足さねーといけねーだろーが! また水道代がかさむ……!」
「お、おれ、ぬるま湯でもいいから、先入ってくる!」
不機嫌な溌のとばっちりを受ける前に、倖が風呂場へと走っていった。
「ごめんごめん。怒らないでよ、溌~」
「オメーも長男なら、もっとスイーツ以外にも、興味持ってくれよな」
小言を言う溌に、ぷううう……! と雅の頬が膨れた。
「んだよ? 可愛くねーぞ?」
「違うよ! あのね溌、前から言いたかったんだけど、僕はスイーツを作ってるんじゃなくて、ドルチェを作ってるんだよ!」
「おんなじだろ?」
「スイーツとドルチェは全く違うよ! 現に僕は、イタリアでドルチェの修行をした訳だしね!」
「じゃあ明日から、パティシエじゃなくて、パスティッチェーレって名乗ればイイだろーが」
「溌ぅ!」
ぱぁっと雅の表情が明るくなり、ぎゅっと溌を抱き締めた。
「分かってるね、溌~。そうだよ。イタリア語で菓子職人のことを、パスティッチェーレって言うんだ。流石は僕の弟だ。賢いね」
「だあもう、くっつくな! うっとおしい!」
「Mi《ミ》 piaci《ピアーチ》. Hatsu《ハツ》……」
「イタリア語で好きとか言うな、キモチワルイ!」
「はちゅう!」
「ぎゃあ! け、けーりん、助けてくれっ」
傍目から見ていた慶に、溌が助けを求めた。頬にキスする雅からの愛情表現に、溌の全身には、サブイボが立っている。そんな二人を見て、慶が儚く笑った。
「良いな、お前は。兄さんから愛されて……。兄さんは私に、そんなことしてくれないぞ?」
「何羨ましがってんだ、バカヤロー! こんなコトする方が異常なんだっつーの!」
「なんだ、慶もして欲しかったんだ。良いよ、君もおいで?」
「え……?」
「お、おい、マジで揺らいでんじゃねーぞ、馬鹿次男。ロリコンな上ブラコンとか、マジで笑えねーからな!」
揺らぐ慶が、ジリジリと近寄ってきた。
「は? ちょ、おい、やめろって! マジで人恋しいのは分かるけど、兄弟で、おい、おいおいおいおいおいっ……!」
「――兄弟で仲良くするって大事だよね!」と満足そうな雅。
「さて、明日からも頑張って働くぞ!」と、すっかり立ち直った慶。
「はあああ。マジでなんなんだよ、この兄弟……」
生き生きとする上の兄二人を他所に、げんなりと突っ伏する溌。その頬には、二人分のキスマークが付けられている。そこに、風呂上がりの倖が入ってきた。
「どうしたんだ、溌兄?」
「オメーは知らなくてイイ。つか、知ったら死にたくなる、オレが……」
「は? 俺が風呂入ってる間になんかあったのか?」
困惑する倖に、溌が大きく溜息を吐いた。不意にカレンダーが目に入った。今日は八月三日。その月の二十六日には、赤ペンで大きく丸が囲ってある。目を細める溌の肩に、雅が手を乗せた。
「大丈夫だよ。僕らさえしっかりしていれば、必ず打ち勝てるよ。ねえ、溌」
顔を上げると、そこには自信に満ち溢れて笑う長兄の姿があった。
「……そうだな、兄上」
その独特な呼び方に、遠い昔の記憶が頬月兄弟の脳裏に蘇った。
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