第3話 休みが欲しい!


 土曜日の昼前、ホール内はランチ客で溢れ返り、店の外にも長い行列が出来ている。休日ということもあり、家族連れや、わざわざ遠方から足を運んだという女性客も多くいた。


 大盛況のホールを、溌と倖が忙しく動き回っている。ただでさえ接客が苦手な倖は、あくせくした様子でいるが、溌はどんなに忙しくても(百パーセント作り物の)笑顔で応対している。


「あの、溌さんですよね?」

「はい、そうです」

「うわぁ! 先週の番組観ました! とっても素敵で、今日は二時間かけて友達と来たんです!」

「それはありがとうございます! どうぞ、愉しい時間を過ごされて下さいネ!」


 注文を取りながら、溌はにっこりと笑った。四人連れの女性客が、きゃっきゃとはしゃいでいる。溌は笑顔を浮かべたまま、オーダー票を持って、兄達がいるキッチンの中へと入っていった。


「オラ! 新規オーダーだ! さっさと作りやがれ、ノロマ共!」

「ええー? どんだけお客さんいるのー?」

「後三時間は途切れねーよ!」

「盛況なのは嬉しいが、どうにもこの状態じゃ、一組三十分は待たせてしまうぞ?」

「うるせー! うだうだ言ってるヒマがあったら、手ぇ動かしやがれ! グズならいらねーぞ!」

 ホールでの無理な笑顔が溌のストレスを積み上げていく。唯一、そのストレスを爆発させられる場所が、客からは見えないキッチンだった。


「は、はつにぃ……」

 既に満身創痍の倖が、キッチン内に雪崩れ込んできた。そのまま床に倒れ込み、「俺はもうダメだ~」と伸ばした手が痙攣した。

「しっかりしろ!」

「ふぎゃっ!」

 勢い良く溌に腰を踏まれ、倖の体が仰け反った。そのまま倖の胸ぐらを掴んだ溌が、「一人だけ戦線離脱は許さねーからな~?」と、冷酷な笑みで脅迫する。

「ひえっ! み、みやにぃ~!」雅に助けを求めたが、「溌軍曹には逆らえないよ、倖」と、長男の貫禄はどこにもなかった。チン! と呼び出し音が鳴った。

「オラ! さっさと戻るぞ!」

「もういやだー! 女怖いー!」

 無慈悲にも倖をホールへと引きずる溌に、「血も涙もないな……」と慶が疲労から、半笑いで言った。


 ようやく夜の七時――閉店時間となり、最後の客が店を出た。

 店内の片づけを始める溌に、周囲に誰もいないことを見計らって倖が近づく。

「はつにーい」

「ダメだ!」

「まだ何も言ってねえし!」

「どうせ休みの要望だろ?」

「はっ! な、なんで分かったんだ?」

「オメーの考えてることくらい分かるっての。……休みはやれねー。今はまだな」

「けどっ……! 週六日働いて、定休日の木曜しか休みがねえんだぜ? その休みだって、取材とか買い出しとかレポートで、丸一日休めたこともねえし! いい加減、ちゃんとした休みが欲しいっつーの!」

「しょうがねーだろ。店を出して半年。今が一番大事な時期なんだ。ここで踏ん張らねーと、オレらはまたっ……!」

 テーブルを拭く溌の手が、ぎゅっと布巾を握り締めた。その光景に、倖は、ぐっと口を噤んだ。そこに、キッチンの掃除を終えた慶が現れた。

「どうしたんだ、お前達。何を騒いでいたんだ?」

「別に何でもねーよ」

 慶の横を過ぎ去った溌が、布巾を洗いにキッチンへと向かった。

「溌? ……どうしたんだ、倖。また喧嘩したのか?」

「いや……俺が、悪ぃから……」

 不貞腐れるも現状を飲み込もうとする倖に、やれやれと、慶が息を吐く。


 ようやく定休日を迎えた朝、庭で飼っている鶏の鳴き声で目が覚めた倖は、欠伸をしながらリビングへと下りてきた。


「おはよう、倖」

「……ん、はよ……」

 

 既に上の兄三人は朝食の最中で、寝呆け眼の倖は、目を擦りながらも、用意されていた朝食を食べ始めた。

「うーん、やっと休みだねぇ。今日はどこの取材もないんでしょ? 久々にゆっくり出来るねぇ」


 朝食を食べ終え、背筋を伸ばした雅が、リビングのソファに雪崩込んだ。両手を伸ばし、エビ反りのまま動かない。


「兄さん、まったりするなら、自分の部屋に行ったらどうだ?」

「えー? だってあの部屋、なんか汚いし」

「汚いのは兄さんが掃除しないからだろう! 今日は久々の休みなんだから、たまには自分の部屋の掃除でもしたらどうなんだ?」

「えー? じゃあ溌、お小遣いあげるから、僕の部屋掃除してよー」

「いいぜ。まいどあり!」

「だめだ! そう言って毎回溌に掃除させているだろう! 今日という今日は自分で掃除しろ、兄さん!」

「えー? いいじゃん別に。僕の部屋を誰に掃除してもらおうが、僕の勝手でしょー? それに、僕よりも溌が掃除した方が綺麗だし、ゼニネコちゃんだって、エサ(金)にありつける訳だしー」

 雅は起き上がると、溌を指さした。その隣には既に、招き猫型貯金箱のゼニネコちゃん(掃除婦スタイル)がスタンバイしている。『破格! 一部屋掃除五千円ニャー』と吹き出しが付けられていた。それに絶句する慶。ブルブルと震え、「兄弟間バイト禁止!」と声高く禁じた。そんな兄達の言動には目も暮れず、倖はただ黙々と朝食を食べ続けている。


「――で、結局溌兄が雅兄の部屋の掃除をするのか?」

「ああ」

 頭に三角巾を巻いた、マスクにエプロン姿の倖と溌。

「で、何で俺までこんな格好させられてんだよ! 俺はカンケーねえだろ!」

「うっせーな。いいからオメーも手伝え!」

「なんでだよ! たまの休みくらいゆっくりさせてくれ!」

「オメーと言い争ってるヒマはねーんだよ! 結局あの後、慶りんはミーボーが自分の部屋を掃除しろの一点張りだったからな。慶りんが買い出しに出かけている間にやっちまわねーと、あのロリヲタが帰ってきてからじゃ、小遣い稼ぎなんて出来ねーからな!」

「だったら溌兄一人でやればいいじゃねえか!」

「話聞いてなかったのか、オメーは。慶りんが出かけている間にっつったろーが。食卓一週間分の買い出しとは言え、残り一時間もねーんだよ。分かったんならオメーも手伝え! バイト代ならオレが出してやるから!」

「えええ? 別にオレ、金には困ってねえしな……。あ、だったら明日も休――」

「おいゆきんこ! これ見てみろ!」

「聞けよ!」雅の部屋で何かを見つけた溌に、倖が深く溜息を吐いた。

「しょうがねえなぁ」


 仕方なく倖は雅の部屋の掃除を了承し、溌の下へと向かった。


「んで? 何見つけたんだ? って、それえええっー! 俺のBメタのライブTシャツじゃねえか! ないと思ったら、雅兄が勝手に持ち出してたのかよ!」

 慌てた倖は、自分の大事な黒地のTシャツが無事かどうか広げた。

「ヨレヨレじゃねえか!」

「うわー……人様のモン勝手に持ち出してダメにするとか、クソヤローだな」

「何をどうしたらこんな無残な姿に出来んだよ! 許すまじクソ長男……!」

 倖が撃沈し、恨み節をぶつけた。

「つか、ホントに汚ねーな。二週間前にも掃除してやったのに、何でこんなに汚く出来んだよ……」

 

 呆れた様子の溌。その視線の先には、六畳の部屋の床に散らばる服やペットボトル、カバーの外れたベッドがある。


「ホント、マジで興味あることしか興味ねーからな、あの無頓着は」

 とりあえず、溌は恐らくゴミであろうものから捨てていった。倖も嫌々床に散らばる服を拾い、洗濯行きのカゴに入れていく。


「……ん? なあ溌兄、これって……」

「あ? んだよ?」

 振り返った溌の目に、ゴールドのブタ型貯金箱が映った。

「ほげえええ!」

 余りの衝撃で、目玉が飛び出そうになった。微動だにしない溌に、「は、はつにぃ……」と、倖が更なる仕打ちが待っていることを伝える。恐る恐る反対側のブタの体を溌に向けた。その右半身に、大きな穴が開いている。それは紛れもなく、物理的破壊の痕だった。


 ガクンと溌が項垂れた。


「は、はつにぃ……! みやにぃもわざと割ったワケじゃねえと思――」

「んで……」

「は? なんて……?」

「なんでこんなトコにオレのゴールデンピッグベイビーがいんだよ! しかも右半身損傷してんじゃねーか! こりゃーもう、誘拐及び殺人事件だぞ! オレの大事なベイビー(ブタの貯金箱)が殺されたー!」

 溌はブタの貯金箱を倖から奪い取ると、それを胸で抱き締め、うわっと泣いた。

「だから貯金箱に変な設定付けんなって言ってんだろ!」

「うるせー! オレの家族はこいつら(貯金箱)だけだ!」

「どうしたの、二人ともー。さっきからぎゃあぎゃあ騒いで」

「オメーのせいだ、クソ長男! さっさとこっちに座れ!」

 ドアを開けた雅を呼びつけ、弟達の厳しい糾弾が始まった。


「じゃあまず俺からな」

 弟達に正座させられた雅の目の前に、倖がヨレヨレになった、BメタルティックのTシャツを叩き付けた。

「ありゃ。ヨレヨレだね。どうしたの、これ」

「どうしたじゃねえし! てめーが勝手に俺の部屋から持ち出したんだろうが!」

「えー? そうだったっけ? ごめん、覚えてないや」

「記憶障害か! じゃあなんで雅兄の部屋にコレがあったんだよ!」

「んー? あ、そう言えば、三日くらい前に倖の部屋に入った時に――」

「おいコラちょっと待て。なんで俺の部屋に入った?」

「んー? 物色?」

「ぶっしょく? ドロボーか、てめーはっ!」

「だって飽きちゃったんだもん!」

「エロ本か? 俺のエロ本を物色してたのか?」

 ぷううう……! と雅が頬を膨らませた。

「Libri(リブリ) erotici(エロティッチ)(えっちな本)って言ってよね!」

「帰れイタリアに!」

「いひゃいいひゃいっ……!」

 倖が、雅の膨らんだ頬を力の限り引っ張った。


「――で、エロ本物色してたのが、なーんで俺のTシャツを持ち出すことになったんだよ?」

「んー? ああ、そうそう――。

『なーんかつまんないなぁ。倖って意外と正統派って言うか、冒険心がないんだよね。こういうのじゃないし、こういうのでもないかなー。……ん? なんだこれ? ……これって緊縛モノ? 倖が? めずらしーな。へえ、あの子がねぇ。すっかり大人になっちゃって……。んー、緊縛かぁ……他人の体を縛るって、どういう気持ちになるんだろ? ロープってウチにあったかな? いや、この際縛れるなら何でもいいか……。あ、いいモノ見っけ! ロープもTシャツも一緒だよね?』ってことがあった!」

「にゃらぁ!」

 倖に鳩尾を殴られた雅が、「Scusi(スクージ)(ごめんなさい!)」と謝った。


「……で、このTシャツで誰を縛ったんだ?」

「は……?」溌の追及に、倖の表情が凍り付いた。

「こいつの緊縛モンにプロベーション(感化)されて、誰かを縛りたい欲求に駆られたんだろ? 実際Tシャツよれまくってるし、これで誰かを縛ったんじゃねーのか?」

「え? マジで? やっちまったのか、雅兄?」

「ご、誤解だよ! 確かにこれで縛ろうかなとは思ったよ。縛りやすいように、Tシャツを上下左右に伸ばしたりもしたけど、でも本当に誰かを縛ったりなんてしてないよ!」


 一瞬、しんと静まり返った。が、すぐに気が付いた。


「それじゃあ、ただの伸ばされ損じゃねえか!」

 突っ伏した倖が、Tシャツに怒りをぶつけた。

「ごめん倖! そんなに大切にしているTシャツだとは思わなかったんだ! だって倖の部屋には、これと同じTシャツが五枚もあったし!」

「は……? 五枚だと?」溌がギロリと倖を睨み付けた。

「ばっ! 雅兄ぃ!」

「ゆきんこ、オメーまさかとは思うが、ライブTシャツ、大人買いしてんのか……?」

「あ、いや、その……!」

「毎回言ってるよな? ライブTシャツは多くても保存用、観賞用、実用用の三枚までにしろって。それをオメー、同じもの五枚も買ったって、どういう了見だっ!」

「だからその……! い、いいじゃねえかよ、五枚買ったって! 実用用に、もう二枚買ったんだよ!」

 兄の糾弾に、必死に抵抗する弟。

「はあ。買っちまったモンはもういい。無駄に金使いやがって……」

 思いがけない秘密の暴露に、倖がずんと落ち込んだ。


「ぶっちゃけ、こいつのTシャツなんざどうだっていい。問題は、オレのゴールデンピッグベイビーだ。何で殺した? 緊縛願望の他に、殺人願望でもあんのか、オメーは!」

「殺人? 僕誰も殺してなんて――」

 雅の目の前に、右半身に大きな穴が開いた、ブタの貯金箱が付き付けられた。

「え? 殺したって、この貯金箱のこと?」

「オメーだろーが。オレの大事なベイビー(貯金箱)を誘拐し、この部屋で悲惨な目(右半身に物理的攻撃)に遭わせた犯人は!」

「ちょ、ちょっと待って! 確かに溌の部屋からこのブタさんを持ってきたのは僕だけど……!」

「オメーはオレのエロ本まで物色しようとしてたのかよ!」

「それは否めない!」

「否め! つーか弟のエロ本物色すんな!」

 頭を抱え、頭痛がしてきた溌が、深く溜息を吐いた。


「……で? 犯行の動機はなんだ?」

「犯行って! 違うよ! 僕はただ、このブタさんが割れてたから、修理してあげようと思っただけだよ!」

「割れてただぁ? んなワケねーだろ! こいつはウチに来てからまだ一週間も経ってねーんだぞ! こいつはまだ、穢れも何も知らない、まっさらなベイビーだったんだ!」

「えー? でも、僕が昨日君の部屋に入った時には、もうこんな状態だったよ?」

「じゃあ誰がこいつの右半身をいたぶったんだよ?」

 雅の言い訳に、溌が怪訝な顔を浮かべた。

「僕じゃないし」

「俺でもねえぞ? 溌兄が気づかねえ内に割ったんじゃねえのか?」

「ふざけんな! オレが一番丁重に扱ってたわ!」

「それじゃあ……」


 その時、玄関でドアの開く音がした。三人が一階へと駆け下りていく。


「ひどいじゃないか、慶!」

「は? 急にどうしたんだ、兄さん。ていうかお前達も。何で皆して怒っているんだ?」

 買い物帰り、未だ状況を掴めない慶に、溌がブタの右半身を向けた。

「犯人はオメーだろーが! 一体何の恨みがあって、オレのベイビー(貯金箱)を殺した?」

「ん……? ああ、それな。実は昨日、お前の部屋に入った時に――」

「オメーも弟のエロ本物色してんのかよ!」

「何言ってるんだ、溌。私はお前の洗濯物を置きに入っただけだぞ?」

「あ、ああ、すまねー。もう一人の兄貴がクソ過ぎたからつい……」

「てへへ」と笑う雅に、倖が軽蔑の目を向ける。

「それでその時に、思わずふらついてしまってな。その拍子に、机の上に置いてあったその子が落ちてしまったんだよ。慌てて修理しようと、自分の部屋に接着剤を取りに行ったら、風呂の湯を沸かしたままだったことを思い出してな、急いで風呂場に行ったんだ。そうしたら次に、夕飯の味噌汁に火をかけっぱなしだったことを思い出してな。そうこうしている内に、お前の部屋に戻ったら、もうその子が消えていたから、どうしたのかと私も心配していたんだ。いや、本当に悪かったと思っている。店や家事が忙しくて、お前に謝るタイミングを失ってしまっていた。許してくれ、溌」

 慶の誠心誠意謝る姿勢に、「いや、オレもその……ていうか、オレらの方こそ色々すまねー……」

 

 三人は日頃、慶がどれだけ忙しく兄弟の為に働いていたのかを改めて実感した。玄関に置かれた四つのスーパーの袋には、大量の食材が買い込まれている。



「つーか慶兄、そんなに働いて大丈夫なのか? ふらついたって、かなり疲れてるんじゃねえの?」

「私か? 私なら大丈夫だぞ。休むよりも、こうして動いている方が楽だからな」

 満面の笑みが、既にアウトなワーカーホリックを思わせた。


「僕、自分の部屋の掃除してくる……」


「オレも、鶏小屋の掃除でもしてくるわ……」


「ん? 急にどうしたんだ?」


 慶への罪悪感からか、雅と溌がそれぞれの持ち場へと向かった。パチパチパチと倖が瞬きする。


「……いや、それでも俺は休みが欲しいから!」

 

 倖だけはこの状況に流されず、自分の主張を声高らかに訴えた。

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