第4話「PON厨(ぽんず)」
時刻は夕方の五時過ぎ。店は部活帰りの女子中高生が多くなる時間帯だ。夏休み期間中ということもあって、店内は左程込み合ってはいない。夕飯前ということも重なって、客は、雅の作るドルチェやドリンクを中心にオーダーする。この時間帯が、ディッシュ担当の慶が一息つける、唯一の時間でもあった。
休憩室で一息ついた後、テーブルに散らばる一冊の冊子が目に入った。何気なく開いたそれは、店内に流れるBGMを配給する、Ⅴ線放送の番組案内だった。その最新号に、今月の特集としてピックアップされていた、とあるアイドルグループ。
「こ、これはっ……!」
慶の中で、自制心が欲望に負けた瞬間だった――。
突如店内に流れ出す、ロックアレンジされた童謡『赤鬼と青鬼のタンゴ』。
「え? なにっ?」
ガスバーナーでカラメルをあぶり、クレームブリュレを作っていた雅が、反射的に上を向いた。店内も急にBGMが変わったことに、客達が騒然とし始めた。
「これってまさか……」
オーダーを取っていた溌と倖が、互いに顔を見合わせた。二人の頭には、BGMを変えた犯人が、すぐにピンときた。
「――ちょっと慶! いきなりBGM変えたら、お客さん達ビックリしちゃうでしょ!」
三人が形相を変えて、休憩室に乗り込んできた。
「あ、ああ。すまない。すぐに戻すから……」と言いつつも、V線機械のチャンネルを回す手が動かない。
「おいコラ、さっさと元に戻せ」と溌。
「わ、分かっている! だがな、手が……」
「ああもうウゼーな! この変な曲やめろ!」と倖。
「変……? 倖、お前今、何て言った?」
「あ、地雷踏んだ……」と雅。
「えっ?」
ぐるん、と慶が振り返った。
「この曲が変だと……? この曲はなぁ、コニポン。の神聖にして、その芳しい神話が始まったデビュー曲なんだぞ! その曲を変だとヤジるお前が崇拝するBメタの、百の十乗倍尊い曲だ!」
「なっ……! 百の十じょーばいとか言われても、ピンとこねえし! 何だよ、じょーって!」
「ゆきんこ、百の十乗は1
「だからピンとこねーって!」
「まあ、落ち着いて。ほら慶、お客さん達の迷惑にもなるから、カフェソングに戻してくれる?」
「あ、ああ……」
再び兄弟に背を向け、慶が息を呑みながら、V線機械に指を伸ばす。くるりと振り返って、「今月、コニポン。の特集月なんだ」と、満面の笑みで
「戻せ!」
「ぐぬぬ……」
兄弟に言われるがまま、しぶしぶ元のカフェソングに戻した。
仕事に戻っても、慶は、むくれたままだった。
「んもー、二十四の男が、BGM一つでむくれないでよねー?」
向き合いながら作業する慶に、雅が苛立つ。
「何でだ。別にカフェにコニポン。の曲が流れたって、良いじゃないか」
「別に悪いとは言ってないよ。ただ、彼女達の曲って、こういう店には合わないんじゃないかって思っただけさ。それにお客さん達だって、のんびり過ごそうと思っていたカフェに、ロックアレンジされた童謡が流れたら、気が休まらないでしょ?」
「なっ……! コニポン。の歌声は、最良の癒しだぞ!」
「そう思っているのは、君のようなコアなファンだけだろう?」
「くそう! 客の中にだって、私と同じPON
「ぽんず?」
雅の頭には、食卓に並ぶポン酢が浮かんでいる。
「いや、そのポン酢ではないぞ? PON厨というのは、コニポン。を崇拝して止まないファンのことを指すんだ。どんなことがあっても、コニポン。の支えとなり、たとえ嵐の中でライブが行われようとも、必ず駆け付ける! 彼女達がれっきとした大人の鬼になるまで、陰ながら見守り続けていくのが、我らPON厨の使命なんだ!」
「君、一度〝厨〟の意味をネットで調べてごらんよ……」
「世間がいくら我らPON厨を叩こうが構わない! それくらい、ちっさくて可愛い鬼っ子達だからなっ!」
「うわぁ……我が弟ながら、そこに手を出すのはちょっとねぇ」
さぁー、と雅から血の気が引いた。
「そう言えば、この間彼女達がテレビに出ていたのを観たけど、アレは本当にまだ子供じゃないか。一体彼女達っていくつなの?」
「ん? ああ、千三百歳から千五百歳の間だぞ?」
「はあ? 何言ってんの?」
「だから、鬼の年齢にしたらそれくらいで、人間の年齢に換算したら、十三歳から十五歳なんだよ。ほら、コニポン。は鬼だから。ご存知、鬼は長生きだからなぁ」
「鬼って! あれはただの鬼コスプレだろ?」
「いや、あれは本気で鬼っ子だぞ? 現に節分ライブで、PON厨がコニポン。に豆を投げるというイベントがあったんだが」
「なんちゅうイベントだよ」
「そこで本気で嫌がってたからな。豆に当たって」
「守りたいのかイジメたいのか、どっちなの?」
「その後、皆で散らばった豆を拾い、年の数だけ豆を食うんだが」
「ねえ、それ楽しいの? 野郎どもが投げた豆を拾って食うとか、だいぶ地獄じゃない?」
「そこからコニポン。の年齢分を、どのファンが一番早くに食い終わるかという、ラブゲームに移行するんだ」
「ラブゲームって! 千五百粒だろ! ほとんどデスゲームじゃないか!」
「いや! 愛があれば食いきれる! 現に今年の節分ライブでは、私が一番になって、ステージ上でコニポン。からご褒美を貰える福男になったからな!」
「うわぁ。君って外見は良いのに、何でこうなってしまったんだろうね? 本当に残念なイケメンだよ」
「福男になった私は、ご褒美として――」
「もういいよ。お兄ちゃん、もう聞きたくないや」
「コニポン。から、『お兄ちゃん』って可愛く呼んでもらったんだ」
「僕はもう、君のお兄ちゃんをやめたいデス……」
慶の言動に引いて、くるりと雅が背を向けた。
閉店間際となり、最後の客がレジへと向かった。客は女子高生一人で、レジに誰もいないことに、辺りをきょろきょろと見回した。溌と倖の姿が見当たらない。
「ああ、すみません!」
不安そうな女子高生に気が付いたのは、たまたまホール内に出てきた慶だった。
「あ……!」
レジに立った慶を見て、女子高生が恥ずかしそうに俯いた。
「すみませんでした。弟達は今、裏手にいるもので……。ええっと、フレンチトーストとキャラメルマキアートの二点で、七百二十円になります」
キラキラとした笑顔を向けられて、思わず女子高生は「ひゃあ!」と眩しんだ。
「あ、そうか。今日は月曜日だから、学生デーでしたね。すみません、二点で五百円でした」
「は、はいっ……!」
緊張気味に、女子高生が五百円玉を慶に差し出した。
「ありがとうございます。またいらっしゃって下さいね」
「はいいっ!」
今にも心臓が飛び出そうな女子高生に、「お気をつけて」と、慶が更なる押し出しの一手を加える。慶は何の疑いもなく、客に笑顔を向けてた。
「あ、あのっ……!」
「どうされました?」
女子高生が顔を上げると、極上の笑顔がそこにはあった。
「い、いえっ……!」
ばっと俯いて、女子高生は紅潮する頬を隠した。
「お客様?」
首を傾げる慶に、女子高生は思い切って、鬼の衣装を着る、ネコ型携帯ケースを慶に見せた。
「そ、それはっ……!」
「わ、わたしも、PON厨、なんです……」
慶は慌てて自分の携帯を取り出した。そこには、女子高生と同じ携帯ケースが付けられている。
「一緒、ですね」
「ああ!」
思わず素が出た。だがすぐにウウンと咳払いし、
「どうして私がPON厨だと?」と冷静さを取り戻す。
「こ、ことしの節分ライブに、私も参加していたので……! 変装されていても、あの時ステージに上がったのが慶さんだって、気が付いて……。か、確証はなかったんですけど、さっきBGMがコニポン。に変わったことで、やっぱりそうかもって思ったんです……」
頬を赤く染める女子高生に、慶は嬉しくなった。
「ほらな! やっぱり客の中にも、PON厨はいるんだ!」
「慶さん……?」
「あ、ああ……すみません、取り乱してしまいました。けれども、こうして話しかけて下さって、嬉しく思います。兄弟に反対されて、BGMにコニポン。の曲は流せられないんですけど、この店にもっとたくさんのPON厨が来て下さったら、きっと楽しいでしょうね……」
儚く笑う慶に、女子高生は胸が締め付けられた。手にしていた携帯を、胸の前で、ぎゅっと握り締める。
「あ、あの、慶さん……! 私はコニポン。の曲が流れるカフェがあっても良いと思います。確かにコニポン。は男の人のファンが多いですけど、私が通う女学院にも、たくさんファンの子がいますし、女の子でも、コニポン。の良さは十分伝わっていると思います」
照れながらも自分の想いを告げる女子高生に、慶は共感した。
「良かった。君のような子に出逢えて。……そうだな。週に一回くらいは、コニポン。の曲を流す日があっても良いよな?」
レジの後ろには、一週間の特別デーが書かれた黒板がある。月曜日は学生デーで、火曜日はレディースデー。金土日は週末デーだが、水曜日はまだ、何のデーでもなかった。それに気が付いた女子高生が、一つの提案をした。
「あの、慶さん――」
水曜日となり、カフェ、『ほおづキッチン!』の店内には、コニポン。の曲が盛大に流れている。
「うげぇ、マジでこれから毎週水曜日を、PON厨デーにすんのかよ?」
げんなりと倖が言った。レジの後ろの黒板には、水曜日の欄に、大きくPON厨デーと記されている。
「まさか昨日と一昨日の二日間の告知で、こんな風になっちゃうなんてね」
雅もホールに出てきて、慶の隣から見る店内の様子に、そっと微笑んだ。
「ああ! 店頭だけじゃなく、ネットでも宣伝してくれたからな、ハナちゃんが」
「ハナちゃんって、君と同じPON厨の女子高生?」
「そうだぞ。彼女には感謝しているんだ。彼女がPON厨デーを提案してくれたからな」
そう言うと、慶はPON厨仲間と楽しそうに話す女子高生――ハナに目を向けた。彼女と目が合い、紅潮したハナに満足そうに手を振る慶に、「幸せそうだね」と雅がチクリと言った。
「ああ。悦だ……!」
「そう、良かったね」
雅はもう一度、ハナに目を向けた。ふっと笑う。
「ハナ、ねえ。どれだけ君のことが気になるんだろうね?」
「へ? 兄さん?」
「いや、独り言だよ。でもまあ、他のお客さん達も嫌がっていないし、何よりも男性客が増えたのは、良かったかもね」
店内には若い女性客の他に、眼鏡にハッピ、それから、鬼の角カチューシャを付けた男達の姿もあった。
「ったく、勝手に新しいデー作りやがって。PON厨だったらオール五百円とか、これ以上の利益度外視は出来ねーからな!」
「ああ、分かっている。だが溌、ククっ……良く似合っているじゃないか」
「何笑ってやがる! オメーが付けろっつったんだろーが!」
溌の頭には、PON厨の証である、角カチューシャが付けられている。
「きゃー! 溌サマ可愛いです!」
PON厨デーには、兄弟達も角カチューシャを付けて接客する――。そんな稀有な姿を見たいというファンの心理を逆手に取った手法も、ハナのアイディアだった。結果として、PON厨でない客も多く押し寄せることから、店の売り上げも伸びていく。嫌々ながらも、雅と倖も角カチューシャを付けた。
「こんなもの、僕達には必要ないと思うんだけどな……」
不意に呟かれた雅の言葉に、弟達は一瞬曇った表情となるも、すぐにファンの子達から写真を求められ、(倖だけはぎこちない)笑顔で応じた。
PON厨デーは、結果として慶がコニポン。のファンであることも世間に広まり、同じようにPON厨を隠してきた、一般の男性客の集客にも繋がった。そのことでカフェのメニューに肉料理があることも、徐々にネットやテレビで拡散されていった。
ランチ時、繁忙時であっても、慶特製の『ブリビビアン・ステーキ』が注文される。生き生きと肉を焼く慶に、オーダー票を持ってきた溌も、心なしか嬉しそうだった。
「――お待たせ致しました。次男特製の『ブリビビアン・ステーキ』です」
「これがブリビビアンかぁ」
男性客が食い入るように見た。それはアツアツの鉄板上で焼かれた、ごく一般的な赤身の残るステーキだった。
「普通……だな? この肉の部位が、ブリビビアンっていう名前なんですか?」
「ああ、いえ。ブリビビアンは造語で、ブリザード・ビビンバ・アンビシャスの略称なんです」
「ブリザード・ビビンバ・アンビシャス?」
「はい。『暴風雪(ブリザード)の中で食べるビビンバ、なんか野心的(アンビシャス)じゃね?』……の略です」
にっこりと笑って説明する溌に、思いっきり男性客が眉を潜める。
「……そ、それでビビンバは……?」
「お、お待たせシマした。ビビンバ、っす……」
これまたアツアツの鉄板に入ったビビンバが、ライスとして運ばれてきた。
「ステーキと、ビビンバ……?」
「はい! 次男の特製です! 男性のお客様に、ガッツリ召し上がって頂けるようなメニューとなっております!」
「は、はあ……。あの、オレ実は、PON厨なんだけど……」
「はい! PON厨デーの日は、オール五百円となります!」
「マジっすか! じゃあ、毎週水曜日はここに来ます!」
「――て、なるわな、フツー。千五百円が五百円とか破格すぎだわ。つーか暴風雪の中で食べるビビンバってなんだよ……」
その由来も組み合わせも、慶がイタリア修行時代に遭遇した事件に基づいているが、弟達はその事件を詳しくは知らなかった。だがステーキとビビンバの組み合わせは意外と好評で、極端に水曜日のPON厨デーは、男性客メインとなってしまった。原価率や仕入れ値を考えなければならない、眼鏡をかけた溌が、パソコンの前で深く項垂れた。
店の片づけが済み、一人V線機械の前で電源を入れる雅。しんと静まり返っていた店内に、コニポン。の曲が流れ始めた。それは新曲、童謡『桃太郎』のロックアレンジだった。
「鬼が、この曲歌っちゃダメじゃない?」
曲を聴きながら、徐に雅はカレンダーに目を向けた。八月二十六日まで、残り一週間。雅は鏡の中の自分と対峙した。黒い瞳が真紅色に染まっていく。頭には、カチューシャではない、本物の角が小さく顔を出している。
童謡『桃太郎』の四番の歌詞が流れた。
〔そりゃ進め(HI!)そりゃ進め(HI!)一度に攻めて 攻め破り(HI!) 潰してしまえ 鬼が島(HI!)〕
その歌詞の影響からか、雅が尋常ではない威圧感を放った。見つめていた鏡にヒビが入る。強く握り締める拳には、鋭い爪まで生えていた。
店の裏手にある家で夕食の準備をしていた慶にも、兄の憤怒が伝わってきた。雅の威圧感で、ガラスのコップが割れた。
「兄上……」
居たたまれない想いと共に、慶も、それから溌、倖、それぞれの想いのままに、強く拳を握り締めた。
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