第14話 生い立ち
火事現場に走ってやってきた兄弟が、規制線の前で野次馬を見張る警察官に、みのりの安否を訊ねた。
「まだ消火活動中です。現在、住民の方の安否確認中ですので、何もお答え出来ません」
そう言われ、兄弟は呆然と、消火活動中のみのりのアパートを見上げた。燃え盛る炎と、崩壊していくアパート。火の粉が夜空に舞っていく。
「ただでさえ木造な上に、古い造りだったからなっ……クソっ、のりピーっ」
「お前は以前、みのりをここまで送ったんだったな。みのりがウチを出てもう二時間だ。火事になる前に帰宅していたら……」
慶の不安に煽られて、倖が、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「くそっ! 俺がもっとアイツを引き止めてりゃあっ……」
弟達の焦燥に駆られ、雅が火事現場に背を向けた。
「……探そう。もしかしたらこの近くにいるかもしれないし」
そう言った雅の拳が、小刻みに震えている。
「兄さん……」
「ああ。近所の店や周辺の病院、オレらで手分けして探すぞ!」
四人がそれぞれにみのりを探し始めた。
「――みのりっ!」
慶が近所のスーパー内を探し、溌がアパートから一番近い病院内を探す。既に、火事現場から救急車で運ばれてきた負傷者が多数いた。
「のりピー……! すみません、火事で運ばれた方に、若い女性はいなかったですかっ!」
「全身に火傷を負われた方が多数いらっしゃいますので、若い女性かどうかまではまだっ……」
忙しく動く医師の姿を見て、ぐっと溌が拳を握り締める。
「――……のりっ、どこにいんだよ、みのりっ……!」
倖が町内中を走り回ってみのりを探す。汗だくになりながらも、休まずに走り続ける。
「――みのりちゃん、どこにいるの……?」
雅もまた、町内を走り回っていた。しかしどこを探しても見つからない。ふと立ち止まり、瞼の裏に春姫の姿を思い浮かべた。ゆっくりと瞼を開ける。――匂いが、春姫と同じ桃の匂いがした。
火事現場から北に十五分程歩いた場所に、小さな公園がある。そこに辿り着いた雅は、外灯の下でブランコに乗る女性の後ろ姿を見つけた。それは紛れもなく、みのりの背中だった。携帯を取り出した雅が慶に連絡する。
「吉岡公園にいたから。……そう、無事だよ。二人にも伝えてくれる?」
電話を切り、雅はそっと息を吐いた。俯く後ろ姿に歩み寄り、隣のブランコに座った。俯いたまま感情を失くすみのりの横顔に、雅も言葉を詰まらせた。
「……ぜんぶ、燃えてしまいました……」
虚ろに話すみのりに目を向け、「うん……」と雅が頷く。
「二度目、なんです。火事に遭うの……。一度目は小学二年生の冬で、その時に両親も二人の姉も死んでしまって、私だけが、生き残ったんです……」
ブランコの鎖を、みのりは力なく握った。
「みのりちゃん……」
「炎を見ると、あの時の火事を思い出して……一瞬で家族全員を失くしたからっ……。その後、親戚の家を転々としたんですが……いつも私は一人ぼっちで、頼れる人は誰もいなくてっ……。またこうして火事に遭うのなら、一層のこと死んでしまいたかったっ」
「みのりちゃんっ……!」
焦燥に駆られ、ぎゅっとみのりの手を握った。ガシャンと鎖の音がして、憔悴するみのりが涙を溜めて俯いた。強く手を握ったまま、雅はしっかりとみのりを見つめた。
「僕は君が無事で本当に良かった。君を探している間、僕はどうしようもない程に焦って、もし火事で君が死んでしまったらと思うと、生きている心地がしなかったんだっ……。お願いだから死にたかったなんて言わないで……。君がいなくなってしまったら僕はっ……」
鼻を啜って表情を隠す雅に、「みやびさん……」とみのりはその名前を呼んだ。涙が溢れて堰を切った。
連絡を受けて駆け付けた弟達が、ブランコに座る二人の様子を、遠くから見守った。
「頼れる人がいないなんて、寂しいこと言わないで。君には僕達がいるじゃない。もし君が大丈夫なら、ウチも部屋が余ってるし……僕達と一緒に暮らさないかい?」
「へ……?」
兄の申し出に、弟達も賛同の声を上げた。
「俺もみのりと暮らしてえ!」
「なーに末弟のくせに、調子乗った言い方してんだよ! ……ま、ウチで暮らした方が、家賃も食費も交通費も掛かんねーしな。正直、ああいう場所で、若い女が一人暮らししてるのも心配だったし」
「とか言いながら、本当は四六時中みのりといられるのが嬉しいんだろう? このムッツリめ」
「はあああ? オレより慶りんの方が、よっぽど獣扱いされてんの忘れんなよっ! いーか、一部屋余ってるつっても、のりピーは絶対にオメーと、それからゆきんこ!」
「へっ? 俺がなんだよ?」
「オメーらの近くにはさせねーからな! 帰ったら即部屋替えだっ! 獣どもの隣部屋になんかさせたら、のりピーがどえらい目に遭っちまうからなっ!」
「ちょ、ちょっと待てよ! 俺と慶兄はダメで、雅兄はイイのかよっ! YES/NO枕持ってんだぞ? この兄貴が一番の獣じゃねえかっ!」
「ナニ言ってやがる? こうして弟達の前で堂々と手ぇ繋ぎ合ってんだぞ? そろそろ勝ち目がねーコトくらい分かりやがれ」
溌の指摘に、改めて二人は互いの熱を感じ取った。ボッと二人の顔から炎が上がる。慌てて雅は手を離した。
「と、とまあ、弟達もこう言ってるしっ……、君はどうしたい? ぜんぶ、君さえ良ければなんだけど」
「わ、わたしはっ……」
みのりが唇を噛み締めながら、俯いた。
「私達は大歓迎だぞ?」
そう言いながらも、雅が下した決定が慶の脳裏に浮かぶ。鬼と知られたかもしれない以上、みのりの記憶を消そうと決めたのは、他ならぬ長男だった。その長男は俯く彼女を、ただじっと見つめている。そんな長男を、慶も物言わず凝視した。
「……ご迷惑では、ないでしょうか?」
「そんなコトねえよ! 俺はずっとオマエといたいし、オマエだって俺らといたいって、今日言ったばかりじゃねえか!」
「え……?」
みのりが目を見開いて倖を見上げた。
「わたし、そんなことを言ったんですか?」
目を伏せるみのりに、溌の眉間が動いた。
「何だ? 覚えてねーのか?」
「すみません。今日の記憶は、午後にクリーニングに出したドレスを、『PEACHMEN』の棗さんに返しに行ったところまでしかなくて……。その後、何をしていたか思い出せないんです。気が付いたらアパートが燃えているのを、規制線の外から見上げていて……」
呆けるように話すみのりに、「火事のショックで記憶が飛んだんだ」と溌が推測した。
「そう……。じゃあ、閉店後にウチの店に来たことも、覚えていないんだね?」
「は、はい。すみません……」
「謝らなくても良いよ。むしろ……良かった」
その言葉が地面へと沈み、そこから小さく笑う雅の姿を捉えた。弟達は互いに表情を隠すも、自ずと兄に生じた歓喜を悟った。
みのりは雅に付き添われ、住民の安否確認をする警察署に出向き、無事である旨を伝えた。事情を聴かれながらも、出火箇所がみのりが住む真下の部屋であるという大凡の推測に、帰宅していなくて良かったと告げられた。
そうして家に帰り着く頃には、日付が変わり、深夜の静寂に包まれる……はずだったのだが――。
ぎゃあぎゃあと騒がしい声が、二階から聞こえてきた。
「はあ。まったく、弟達にも困ったものだよ」
そう雅が小言を言って、みのりと一緒に二階に上がった。案の定、部屋替えの件で、弟達が口論していた。
「ちょっと君達、もう深夜なんだから、静かにしなよ。ご近所迷惑でしょ?」
「すまない、兄さん。だが、こればかりは譲れないんだ」
背中で語る慶に、「譲れないって、みのりちゃんには、僕が使ってた一番奥の部屋に入ってもらって、その隣が溌でしょ?」と当然のように雅が言う。
「は? オレが隣でいーのかよ? ミーボーが隣の方がいーんじゃねーの?」
「僕よりも君の方が、番犬として優秀でしょ?」
「確かに。溌兄は番犬だな」
「じゃあ私は、今溌が使っている、みのりの部屋の前に移ろう。毎朝一番に私の顔が見られるぞ?」
「ねえ、話聞いてた? 君と倖は……というより、君だけは一階に移ってくれないかな? 同じ階にいるってだけで、みのりちゃんが不安がるだろうし」
「何故だっ! この私がみのりの脅威になるはずがないだろう! むしろ理性的な男を気取っている溌の方が、危ないんじゃないか? こういう奴程、頭の中はムッツリスケベで、欲情した時の抑えが効かないだろうからな……!」
「頭ン中、無法地帯のオメーが言うな。今ゆきんこが使っている部屋に、オレが移る。んで、その正面、のりピーの斜め前の部屋、現物置部屋に、ゆきんこが移る。これでいーな?」
「ちょっと待て! 私はっ? 私はそのままか? 一番みのりからかけ離れているじゃないかっ!」
「いーんだよ、それで! 二階じゃ、のりピーに指一本触れさせねーからなっ! ああ後、新しくペナルティを設ける。仕事中は勿論、この家でのりピーにセクハラもしくはセクハラまがいのコトをした不届きモンは、バツとして罰金だ。有無を言わさず、このシルバーピッグジュニアに、給料の三分の二のエサを献上するコトとする!」
「はあっ? 三分の二って、ケッコー相当な額だぞっ!」
倖の反論に、「悪いな、ジュニアはゼニネコちゃんの血を引いて、大食漢なんだよ。札一枚じゃ全然足りねーんだわ」と、溌が極悪ヅラで、銀色メッキの豚型貯金箱を持ち上げた。
「また貯金箱買ったのかよ、溌兄……」
「そんな罰金制度は横暴だっ! だいたい何故三男に、そこまで兄弟を縛る権利があるんだ! 流石に兄さんも黙っては――」
「僕は大いに溌の意見に賛成だよ。番犬万歳! 住民の安息と健全な生活を守る為ならば、多少の横暴も噛みつきも必要だよ?」
そうこうしている間に、みのりの存在を、すっかり忘れていた兄弟。ふと振り返ると、みのりは階段を上ってすぐの慶の部屋のドアに寄り掛かって、すっかり眠っていた。
「うひょーい! カワイっ……ウウン、ほらな見てみろ? みのりは、私の部屋のドアに寄りかかって眠っているんだぞ? それ即ち、私の部屋のドアに心を許したということ。つまり、私に身も心も委ねたという証! そう、これはもう、契ったも――」
「はーい撤収。今日はお疲れ。本格的な部屋替えは、明日にしようね」
「ちょっと待て。流石に泣くぞ……?」
さっさと雅がみのりをお姫さま抱っこし、一階へと下りていく。その後を弟達も続き、慶は一人、やりきれない想いを募らせた。
翌朝みのりは目覚めると、一階のソファで眠っていたことに気が付いた。起き上がったみのりは、昨夜の出来事を思い出し、俯いた。トラウマである火事の光景が蘇る。そこに、トンと床に何かが落ちる音がした。ソファの後ろから聞こえたその音を辿り、覗いてみると、そこにはソファにもたれ、寝息をかく兄弟の姿があった。思わず面喰うも、四人が一晩中傍にいてくれたことに、握り締めた胸が高鳴った。
「皆さん……」
みのりは自分が羽織っていたタオルケットを手に取ると、それを四人の兄弟に掛けた。彼らの幸せそうな寝顔を見て、みのりは涙を浮かべながらも笑うことが出来た。
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「――ああ、俺だ。申し分ない働きだ。しかしこんなにも親戚の家を転々としながら、よくこの短期間で全て調べ上げたものだな」
電話の相手は、みのりの生い立ちを調べ上げた探偵だった。その探偵から、思わぬことを聞かされた。
「火事だと? ……そうか。それであの女は無事なのか?」
探偵の報告を聞き、新羅の表情に安堵の色が浮かんだ。
「……そうか。いや、無事ならばそれで良い。だが、こいつが火事に遭うのは二度目だな。しかも一度目の出火原因は……」
再び報告書に目を落とした。十三年前に起きた火事の原因は、父親による無理心中の可能性が高いとの検証結果だった。
「まあ良い。報告ご苦労。引き続き、あの女の身辺調査を頼む」
新羅は携帯を切ると、椅子を反転させ、壁に掲げてある笹竜胆を見上げた。
「つくづく親に恵まれない女だ……。だがそういうところも、あの姫の生まれ変わりたる由縁か……」
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