第7話 8.26


「――慶さん、明日はPON厨デーですね!」

 火曜日の閉店作業中、ホールの床を箒で掃きながら、みのりが嬉しそうに言った。

「ああ! みのりがこの店の店員になって、初めてのPON厨デーだぞ。明日は一緒にコニポン。ダンスしような!」

 みのり以上に慶がはしゃいでいる。テーブルを拭く手を止め、お決まりのコニポーズ(両指を猫の爪のように立てる)をする。そこに、事務所でレジの締め上げ作業を終えた溌が顔を出した。

「おお、溌! お前も明日は一緒に――」

「踊らねーぞ! ただでさえクソダセー角カチューシャしてやってんだ。これ以上、オレのプライドを傷つけんじゃねーよ!」

「そうか、残念だな。明日は特別に、みのりがコニポン。の衣装を着てくれると言うのに」

「は?」

「ダンスしないなら、お前は明日一日、家で経理業務だな」

「何言ってやがんだ。明日のりピーは休みだぞ?」

「はああ? ふざけるな! そんなシフトじゃなかったはずだぞっ!」

「どんだけのりピーのコニポン。姿が見たいんだよ! 引くわ!」

「あ、あの、溌さん! 私のシフト、変わっちゃったんですか?」

「ああ~……急遽な。すまねーが、明日は休んでくれ」

「で、でも、明日は……!」

  明日は頬月兄弟の誕生日だ。急遽だったが、みのりは昨日一日使って、兄弟にプレゼントを用意していた。

「悪い、のりピー。ミーボーがそうして欲しいらしいから」

「雅さんが……。そう、ですか……。分かりました」

 微笑みを浮かべるも、みのりは残念そうに俯いた。その姿に目を反らした溌は、小さく息を吐き、首筋を掻いた。

「……兄さんがそう言ったのか?」 

 徐に呟かれた慶の言葉に、「……ああ」と溌が返事をした。

「明日は『8・26』だからな。分かってんだろ、慶りん」

「兄さんは大丈夫だと言った。それなのに、やはり怖いんだな……」

 影を差す慶の言葉に、溌の眉間が動いた。瞬時に慶の胸ぐらを掴んだ。

「ミーボーがどんな想いで『8・26』を迎えるか分かってんだろ! 明日はアイツらとの『邂逅』の日だ。オレらにとっても、忘れたくても忘れられねー屈辱の日だろーが!」

「……っ、分かっている! 私だって早く決着の日を迎えたいと、本気でそう思っている!」

 ぐっと喉の奥を鳴らして苦悶の表情を浮かべる慶に、溌も奥歯を噛み締めた。

「あ、あの、溌さん……!」

 堪らず、みのりが仲裁する。不安そうな表情を浮かべるみのりの顔を見て、「悪い……」と、溌が慶の胸ぐらから手を離した。

「私も、不要な発言だった……」

 互いに目を反らして謝る。状況は掴めないものの、珍しい二人の兄弟喧嘩に、みのりは胸騒ぎのようなものを感じた。

 

 その晩、雅は自室で一人、物思いに耽ていた。

「……次こそ君を守るよ、はる

 脳裏に浮かぶ、一人の姫。鮮やかな着物を着て、腰まで伸びる、長くて綺麗な黒髪。その顔は、みのりと瓜二つだ。今この瞬間、三人の弟達も同じように、春姫の姿を思い浮かべていた。


 八月二十六日、午前十時。天気は快晴。気温は既に三十四度の真夏日だ。

 開店時間となり、続々とPON厨と兄弟ファンが押し寄せる……! はずだったのだが……。

「ん? あれ? もう十時まわってるよな?」

 誰一人として客が来ないことに、溌は怪訝な顔で店内の時計を見上げた。今まで一度たりともない状況だ。

「マジか! じゃあ、このクソみてえな角付けずに済むな!」

 倖が角カチューシャを外し、「うひょい!」と放り投げた。それを慶が拾い上げ、「カワイイなぁ! 倖チャンはっ!」と、笑顔と狂気で角カチューシャを、倖の頭にぶっ刺した。

「ゴフォ!」

 撃沈した倖の頭から血が噴き出る。

「全く、末弟の分際で兄に歯向かおうとは」

「いや、歯向かってねーだろ!」

 しっかり角カチューシャを装着した溌が、ツッコんだ。

「でも本当にどうしたんだろうね? いつもだったら、とっくに満席になってる時間じゃない?」

「そうだな。もしかして、この近くでイベントでもやっているんじゃないのか?」

「イベントって、そんな広告入ってなかったぞ?」

 その時、向かいの通りから、盛大な花火音が響いた。

「なんだ!」

 慌てて三人が店の外に出ると、通りの向こうの特設ステージに立つ男が、ニヤッと笑った。

「――ええ、ご来場の皆さま。本日はイケメンカフェ『PEACHMEN《ピーチメン》』のグランドオープンに御立会い下さり、誠にありがとうございます。私どものカフェは、現役モデルや俳優、アイドルといった、多数のイケメンが、店員として常時勤務しております。その中でも、カフェのオーナーであり、竜胆りんどうカンパニーの代表取締役でもある私、竜胆新羅りんどうしんらの他にも、昨年の朝ドラで一躍人気俳優の仲間入りをした、遠野清従とおのきよつぐ、アイドルデュオ『monkeyshine《モンキーシャイン》』のメンバーである平子ひらこ、現役肉体美モデルの桐生銅源きりゅうどうげんといったメンバーも店員として、疲れたレディーの心と体を癒して差し上げるのを心待ちにしております。どうぞ皆さま、向かいの地味で陰気臭い兄弟が営んでいるようなカフェではなく、私ども正真正銘のイケメンが接客する『PEACHMEN』に足を運んで下さいますよう、お願い申し上げるのを、本日のグランドオープンの御挨拶に変えさせて頂きたく存じ上げます」

 店の真向いで、豪勢なグランドオープンのイベントを開催する『PEACHMEN』のイケメン店員達。彼らを一目見ようと、多くの女性達が黄色い声援を上げている。ステージ上では、四人の男達が、店から出てきた兄弟に不遜な笑みを送っている。

「あいつら……」

「今代も手の込んだ仕掛けをしてくるな」

 溌と慶は、じっと対面する男達を見つめた。

「まあ、そう来るだろうとは思っていたけどね。飲食店を潰すには、飲食店で対抗するのが手っ取り早いし。……今代こそ決着の時だよ。何があっても、『宝物』を彼らに奪われるようなことがあってはならない。死闘もあるだろうけど、何としてでもこの店を守り抜こう」

「あったりめーだ」

「ああ。何があっても流されたりはしないぞ!」

 二人の弟も、決意固く頷いた。

「それにしても、女の子達があっちに流れるのは分かるけど、PON厨デーに彼らが来店しないのはどうしてだろう?」

 そこに、グランドオープンの司会者の声が響いた。

「ええ、ではこの辺で、本日は『PEACHMEN』のグランドオープンのお祝いの為に、スペシャルゲストにお越し頂いております。超人気アイドルグループ、コニポン。の皆さんです! ではスペシャルライブをどうぞ!」

「うっひょーっい!」

 コニポン。目がけて慶が突っ走った。ロリヲタのPON厨達の先頭に立って、ヲタゲーを披露する。

「オメーは何があっても流されねーんじゃねーのかよ!」

「早速流されちゃったね……。はあ、まったく。コニポン。まで繰り出してくるとは。これは相当僕達のことを調べ上げてるね。毎度ながら、彼らの情報収集能力には、苦しめられるなぁ」

「しゃーねんじゃねーの? アイツらだって、オレらと同じように生きては死にを繰り返してるんだからな。その度にオレらは『邂逅』の日を迎え、『宝物』を奪い合ってきた……」

 溌の言葉に、ぐっと雅が拳を固める。黒髪、金瞳の竜胆新羅の宣戦布告に、じっと互いに睨み合う。

 

 二人が店に戻ると、倖はまだ床に撃沈していた。

「おい、いつまで寝てんだ、ゆきんこ!」

 溌が倖の背中に向かって言った。それでもピクリとも動かない。

「あれ? 死んじゃった?」

「は? んなワケっ――」

「……グー」

「寝んなっ!」

「ふぎゃっ!」

 背中をおもいっきり踏み付けられ、その場で倖が仰け反った。


 その日、『ほおづキッチン!』の客は、まばらだった。反して、向かい側のイケメンカフェ『PEACHMEN』は大賑わいを見せていた。閉店時間を迎え、雅がホール内の掃除を始めた。弟達三人も、今日はまだ店内に残っていた。

「やっぱり今日、みのりちゃんを休みにして良かったよ。こういう所は、彼女に見せたくなかったから」

 独り言のように話す雅の背中に、ホールにいた慶は目を反らし、「そうだな……」と呟いた。

「だが、明日からまた一緒に仕事するんだ。何か対策を講じなければならないな。そうやってこれからもずっと、私達は彼女と共に生きていく。そうだろう?」

 諭すような慶の言葉に、そっと雅は目を伏せた。

「初めて、だよね。姫の、……春の生き写しに出逢うのは……」

「私は、みのりは姫の生まれ変わりだと信じているぞ。一緒に仕事をして、あの笑顔や気概に触れていく内に、そうだと確信していった。兄さんだって、そうじゃないのか?」

「僕は……」 

 雅がゆっくりと顔を上げた。

「僕は、彼女と春は違う人間だと思っているよ。だから、彼女のことを、特別な気持ちで見たりなんてしない。僕には、春だけだから……」

「兄さん……」

「僕に遠慮することはないよ、慶。彼女のことが好きなら、付き合ったり結婚したりしても構わない。……ああでも、僕達は人間じゃないからね。正体だけは明かしちゃダメだよ?」

 心に痛みを負って、それでも笑う兄の姿に、慶は何も言えずに目を反らした。そこに、二人の弟達が入ってきた。難しい顔を浮かべる兄達に、「なんかあったのか?」と倖が訊ねた。「何でもないよ」と笑って答える雅に、溌が小さく息を吐く。

 その時、空気を切り裂くようにドアが開いた。

「これはこれは兄弟揃って、倒産回避の相談でもしているのか? ……フン、相変わらず地味で陰気くせえ鬼共だなぁ!」

 突如、店に入って来たスーツ姿の四人の男達。黒髪、金瞳で卑しく笑う男が先頭に立ち、ずけずけと店内に入ってきた。

「テメーら! 性懲りもなくまた現れやがってっ……!」

「ああ。当然だろ? てめえら腐れ外道の鬼共を退治するのが、俺様達、桃太郎一家の務めだからなぁ! 千年経とうが、てめえらの宝を奪い取る為に生まれてくるんだよ。……今代も、てめえらの宝は、根こそぎ奪ってやる。まずは手始めに、この店をぶっ潰してやるよ。そして、永遠に『8・26』をてめえらの命日にしてやる」

 卑下する笑みに、ぐっと弟達は耐えた。しかし繰り返されてきた死闘が蘇り、隠せない殺気が、鬼の姿となって彼らと対峙した。

「フン。何度見ても反吐が出る醜態だな!」

「煩いよ、新羅。君もカフェのオーナーなら、もう少し、ゆったりとした気持ちを持ったらどうなんだい?」

「……んだと?」

 睨み合う雅と黒髪、金瞳の男――新羅。「……っふ」と新羅が鼻で笑った。

「先代は確か、昭和の戦時中の『邂逅』だったな。あれから六十年近く経って、今代に生まれ落ちてきたというのに、てめえの頭は変わらず蛆でも湧いてるようだな、長男坊! ……フン、無理もねえか。実際、てめえの死体を蛆まみれにしてきたのは、俺様だしなぁ……! 今代も手短に、てめえらのクソみてえな人生、終わらせてやるよ!」

 新羅の下衆な発言に、いきり立ったのは溌だった。鬼の姿で新羅の首筋を掻っ切ろうとしたのを、銀髪、黒瞳の男――清従に阻まれる。

「……大将には指一本触れさせやせんぞ、三男坊」

「っち! クソ犬めっ……!」

 尋常ではない力で手首を掴む清従に、苛立つ溌が顔を顰める。

「ま、そーゆーことだからさ~、この時代でも仲良く喧嘩しよーぜ~。なあ、次男坊~!」

 キャラメルブロンドでこげ茶色の瞳の華奢な男――平子が慶にナイフを飛ばした。その切っ先は慶の耳を掠め、壁に突き刺さった。

「……相変わらず、いきなりなサルだな」

 平常心を保つ慶に、平子は薄らと笑った。

「おい、オッサン! テメーも相変わらずトチ狂ってそうだな!」

 倖がガタイの良い、雉色短髪の渋い男――銅源を指さした。

「おお! おんしは末の弟かぁ! おんしも変わらず、息災そうで何よりじゃ!」

 ガハハと銅源が豪快に笑うのを、「おい、キジ! 貴様はその博愛精神をやめろっ!」と、清従が声を張って忠告した。

「別にええじゃろ~。およそ八十年振りに『邂逅』の日を迎えたんじゃあ。こん時代に再会した日ぃくらい、互いに歓び合ってもよかろうて?」

「ったく、オッサンも変わらずだよね~。ま、何度生まれようが、飽きずにあの青鬼の寺に身を寄せてんだもんね~。そりゃ~、博愛精神も変わらないっか~」

 平子の身内事情の暴露に、清従は深く溜息を漏らし、頭を抱えた。

「おい、てめえら! 何ごちゃごちゃ言ってやがる!」

「申し訳ございません、大将。こいつらには私からきつく言い聞かせておきますので!」

 さっと清従が新羅に頭を下げた。

「うわ~、出たよ、一人だけ優等生発言~。そーゆートコ、マジでウゼ~わ~」

「何だと馬鹿ザルっ! もう一遍言ってみろっ!」

「ああ、言ってやるよ~。この人妻横恋慕駄犬ヤローが~」

「なっ……! 俺は人妻に横恋慕などしていないっ!」

「してたじゃんよ~。『お、おくさん、ぼくもうあなたがほしくてっ……』って」

「それはドラマの中でだろう! 何故そのセリフを選択した!」

「ああ、あの世紀の低視聴率ドラマか~。主役が悪かったよな~。朝ドラで人気が出たからって、調子乗って不倫ドラマの主役した俳優ダレだよ~?」

「俺だ! 調子乗って悪かったな!」

「お、おい、なに仲間内で言い争ってんだよ!」

 堪らず、倖が仲裁の手を伸ばす。

「ああ、ええんじゃええんじゃ」

「ええことねえだろ! 仲間がくだらねえコトで言い争ってんだぞ! さっさと止めろよ、オッサン!」

「ええんじゃ、これで。桃太郎一家と言うが、わしらも、つい最近再会したばかりじゃからのう。互いに離れて暮らしておった分、ようやく家族と再会出来た気がして嬉しいんじゃ。のう、桃の字」

 銅源が新羅に話を振った。不意の展開に、新羅が顔を反らした。

「知るかよ……! オラっ! てめえらもう行くぞ!」

「なーんだ、もう帰るんだ」

 雅の浮いた声に、新羅が顔だけ向けた。

「フン。いずれてめえとは決着を付ける。遅くても来年の今日を、てめえら全員の命日にしてやるよ」

 そう捨て台詞を吐き、新羅が歩き始めた。

「そういうことだ。せいぜい今日という日を惜しむことだ。千年前から変わらぬ命日の、『8・26』をな」

「んじゃーね~、次男坊~。この時代でもオレを退屈させね~ように、日頃からネタ仕込んどけよな~」

「ええ茶房じゃ。じゃが、わしらに客を全て奪われぬよう、更に精進することじゃのう」

 大将である桃太郎に続き、イヌ、サル、キジのお供も赤鬼に背を向ける。慶、溌、倖の三人が、元の人間の姿に戻った。

 新羅がドアを開けた。するとそこに、深呼吸するみのりの姿があった。

「っ! ……姫?」

 新羅の金瞳が見開いた。後ろに続くお供達も、みのりの姿に唖然とした。

「ほえ?」

 目を開けたみのりの前に、見知らぬ四人の男達が立っていた。

「みのりちゃん!」

 すかさず雅がみのりの手を引き、店内に入れた。呆然とするみのりを背にやり、雅は表情を消した新羅と対峙した。沈黙が流れるも、やがて新羅が高らかに笑った。

「はっ! ……そうかよ。てっきりこの店が宝だと思っていたが、どうやら策を練り直す必要がありそうだ。せいぜい首でも洗って待っとけ。この店も、それからその女も、てめえの宝は全部、俺様が奪い取ってやるからよっ……」

 どこか狂気染みた笑い声も、お供達からしたら、上機嫌に思えた。

 見知らぬ男達が店から出て行くのを、みのりは雅の背中から見ていた。

「あの……雅、さん?」

 みのりが声を掛けても、雅はすぐには反応出来なかった。雅の後ろ姿が下を向いた。しかしすぐに振り返って、「どうしたの?」と、いつもと同じ笑顔をみのりに向けた。

「みのり! どうしたんだ? 今日は休みだろう?」

 口早に慶に訊ねられ、みのりは頬を染めた。肩に掛けていた鞄から、カードサイズの人形を取り出した。それは四つあり、どれもフェルトで丁寧に作られている。鍵や鞄に付けられるよう、キーホルダー用のチェーンも付いていた。

「あのっ、……今日は皆さんのお誕生日だと窺ったので、プレゼントをと思って……!」

 緊張しながらも、みのりは手作りの人形を兄弟に手渡していった。

「これはもしかして、オレらか?」

「は、はいっ……! すみません、あまり似てないかもです……」

 それぞれ自分の制服を着た人形に、嬉しさやテレが隠し切れない。

「に、にてる、ナ……」

「はぁ~みのり~! 最っ高~のプレゼントだ! 嬉しすぎて鼻血が出そうだ」

「おい、慶りん。せっかくのプレゼントを赤く染める気か? 赤鬼だけに(ボソリ)」

「ほえ? あかに?」と首を傾げるみのりに、倖が慌てて、「ああ、いや! ていうか、ホント器用だな! けど、いつの間に作ったンだ?」

「月曜日のお休みに作りました。本当は今日、お仕事の前にお渡ししようと思っていたんですが、急遽お休みになったので。営業中に来てもご迷惑になるし、明日でもと思ったんですが、やっぱり今日皆さんにお渡ししたいと思って、この時間に来てしまいました」

 みのりが胸に手を寄せ、照れたように笑った。

「それに慶さんも期待して下さっていたようなので」

「みのり……」

 彼女の笑みに、慶は人知れず胸の高まりを感じた。

「誕生日を窺ったって、一体誰に窺ったの? 僕達の誕生日は、世間には公表していないんだけどな?」

「ほえ……?」

 唐突な雅の冷めた声に、「あ……」とみのりは俯いた。

「べ、べつに細かいことは気にしなくても良いじゃないか! こうしてみのりが心を込めた贈り物をしてくれたんだから!」

「慶、君が教えたの? 今日が何の日か、忘れいてた訳じゃないだろう? それとも何? 彼らが言うまで、そんなことすらも忘れていたの?」

「ち、ちがうっ! 私はただっ……」

 雅から冷たい眼差しを向けられ、慶が、ぐっと押し黙った。

「あ、あのっ……! 慶さんは何も悪くないんです! 手帳の忘れ物があって、それに今日が皆さんの誕生日だと書いてあったんです!」

 そう言うと、みのりはレジの後ろに置かれている忘れ物BOXから、花柄の手帳を手に取った。

「すみません、慶さん。月曜日の閉店作業中にこれを見つけたんです。ちゃんと言えば良かったですね……」

「いや、君は何も悪くない。今日という日は、私達にとって、とても意味のある日なんだ。そのせいで、色々と気が滅入ることもあってな……」

 慶の言葉に、弟達は目を反らした。雅はみのりからのプレゼントに目を落とした。それを軽く握り締める。

「慶の言う通りだよ。今日は気が滅入ってしまう日なんだ。……けど、同時に僕達がこの世に生を受けた、特別な日でもあるんだよね。忘れていたのは、僕の方だ」

 顔を上げた雅が、穏やかな笑みを浮かべた。その表情に、みのりの心臓が高鳴る。

「よし! じゃー今日はお祝いだな。特別に外食を許可してやろう」

 気前の良い溌の発言に、「おお! 外食なんて久しぶりじゃね? 守銭奴自らがおごってくれるんだな!」と倖が歓喜の声を上げた。

「ばかやろ。オレだって誕生日だっつーの。オメーが奢れ、末弟!」

「はあ? こーゆうのはフツー、兄貴の役目だろっ!」

「じゃー、慶りんな!」

「私か? いやー、今月は何かと危険水域でな」

「オメーまさか、くだらねーコトに金使ったんじゃねーだろーな?」

「ああー……実はコニポン。のコンサートDVDが出てな、それに付いてくる応募券で、抽選でプライベート秘蔵DVDが当たるって言うから……」

「買っちまったのか? 慶兄。な、何枚……?」

「初回限定版で、……百枚(ボソリ)」

「あああああ? 百枚だぁ? ワンボックス五千九百円×百枚で五十九万だぞ! DVDごときにオメーは何考えてんだ!」

「し、しかたないだろうっ! 秘蔵DVDには代えられないんだ!」

「うるせーわ! オメーのキャッシュカードと通帳寄越せ! これから何か買う時はまず、オレに話を通しやがれ、バカヤロー!」

「兄弟で一番ヤベーのは、慶兄だな……」

 そんな兄弟のやりとりに、みのりが楽しそうに笑った。

「うわぁ! みにょり~! 同じPON厨なら、私の気持ちが分かるだろう?」

 慶に泣きつかれ、「そ、そうですね……」とみのりの目が泳いだ。

「Faccia(ファッチャ・) a(ア) culo(クーロ)(厚かましいわ、バカタレ)……!」

「Ahia(アイア)(痛いっ)……!」

 笑って静かなる憤怒を表す雅が、慶の手首を非可動域に折り曲げた。慶を罵る雅のパロラッチャが、徐々に段階を上げていく。ふうっと、雅が気持ちを切り替えた。

「分かったよ。僕が皆の分奢るから。だからみのりちゃん、君も一緒にお夕飯食べに行こう?」

「え? 私も良いんですか?」

 驚いたように、みのりが雅を見上げた。

「その方が弟達も楽しいだろうからね。それに、プレゼントのお礼もしたいし」

「あ……はい。ありがとうございます」

 にっこりと笑ったみのりに、雅の複雑な心も弾んだ。

「さて、片付けも済んだことだし、着替えようか。君達は先に行っといて。僕は入り口の戸締りをしてから行くから」

「おお~! 腹減ったな。何食うかな~?」

「雅兄の奢りだろ? だったら、うんと高けえトコ行こうぜ!」

「調子乗んなっ! 末弟!」

 みのりと弟達が店の裏手へと足を進めていく。一人きりになり、雅は入り口のドアを施錠した。レジの前を通り過ぎる寸で、忘れ物BOXにある手帳に目を向けた。

「……花柄の手帳ねぇ。花柄、ハナ柄……どれだけ慶で遊びたいんだい? ……ハナちゃん?」

 ふっと雅が笑い、ホール内の電気を消した。

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