第9話 戦略会議


 月曜日の学生デーは、学生であればドリンクとデザートのセットがワンコイン――五百円という学生にはありがたい曜日だ。火曜日はレディースデーで、女性客が注文したメニューが全て三割引きとなる。水曜日はPON厨デー。PON厨であれば、何をどれだけ注文しようとも五百円という破格曜日だ。そうして金土日は週末デーとなり、注文した中のどれか一品がサービスメニューとなる。それら毎日の○○デーに、いよいよ言及のメスが入れらる時か訪れた。

「――というワケで、これから各曜日の○○デーについて見直し、利益向上に向けての戦略会議を行う」

 時刻は夜の八時。水曜日の閉店後に急遽開かれた会議の進行は、経理担当の溌。眼鏡姿でキリっとした表情を浮かべ、各曜日の○○デーが書かれているホワイトボードの前に立っている。休憩室のテーブルをロの字に並べ、雅、慶、倖の三人が向かい合うように座っている。

雅:「議長、質問!」

溌:「はい、ミスター無頓着」

雅:「無頓着? それ僕のこと?」

倖:「雅兄以外に誰がいんだよ?」

雅:「ううー、まさか弟からそんな風に呼ばれるとは……。まあいいや。○○デーを見直すって、各曜日とも、もう結構世間に浸透してしまっているじゃない。それを今更見直すって、見直さなければなら   ない程、ウチの店が利益を出していないってこと?」

溌:「ああ。世界恐慌レベルでヤベー状況だ」

慶:「具体的には?」

溌:「当期純利益がゼロに近い。つーかこのままだとゼロだ」

慶:「ゼロ? そんなことがあるのか?」

溌:「ああ。利益から諸経費や税金を差っ引いていったら、残りは限りなくゼロだ」

倖:「マ、マジかよ……潰れるんじゃね?」

雅:「全く、そんな決算書になるまで放って置くだなんて、溌らしくないなぁ。もっと早くに手を打てなかったのー?」

溌:「オレのせいだっつうのかよ! それもこれも、オメーらが利益度外視の○○デーを量産していったせいだろーが! 何でバカみてーに毎日がスペシャルデーになってんだよ!」

雅:「PON厨デーを作ったのは慶だし」

慶:「なっ……! だがPON厨デーは、PON厨のみの特別デーだろう! PON厨のPON厨によるPON厨の為のワンコインサービスデーだ! それ以外の客は定価なのだし、角カチューシャを付け   た私達見たさに新規客も訪れるし、結果としては週の中で、一番利益を上げている曜日のはずだぞ!」

溌:「確かに慶りんの言う通りだ。だがな! 週を重ねるごとに、PON厨でない奴がPON厨のフリをして来店している、これもまた事実なんだぞ! そんな奴らが、バカみてーに全員原価率の高え『ブリビビアン・ステーキ』食ってんだ! しかも五百円で! 結果として、ぶっちぎりでコスト上昇中だ   わ!」

慶:「ぐぬぬー……だったらもう少しPON厨のレベルを上げよう。今までは何かしらコニポン。グッズを持っていたらOKにしていたが、これからはコニポン。音頭を、鬼神レベルの超高速スピードで踊れるかどうかで、サービス適用者と判断する」

溌:「待て待て待て! 鬼神レベルでヲタゲー出来る強者が、オメーの他にいるってのかよ!」

慶:「ああ。みのりも鬼神レベルだ」

倖:「えっ……アイツ、あの狂乱ダンス踊れんのかよ……」

慶:「PON厨愛あっての賜物だ。だがそれでは鬼っ子レベルのハナちゃんや、なり立てホヤホヤのPON厨達が可哀想だな……。よし、ならばPON厨の証として、CDかDVD購入者ということにしよ   う!」

溌:「ウチのメニューは購入者特典か! オメーはコニポン。の回しモンか何かかよ!」

慶:「何を言う! 私はただ、この店をPON厨の聖地にしたいだけだ!」

溌:「死ねええ!」

雅:「もう変態ロリコンシェフは放って置いて、やっぱり学生デーとレディースデーは外せないよ」

慶:「変態ロリコンシェフ……」

溌:「ああ。確かに客足が少なくなる週初めに、他所と差をつける為には、この二つのデーは外せねーだろう。なら、金土日の週末デーだな。つーか何で三日連続で週末デーやってんだよ。土日はまあ良し   として、金曜はいらねーだろ」

倖:「じゃあ、金曜は週末デーから外して、イイんじゃね?」

雅:「ちょっと待って。僕は金曜を週末デーから外すのは反対だよ」

溌:「は? なんでだよ?」

雅:「だって、金曜だよ? プレミアムフライデーだよ?」

溌:「はあ? 何言ってんだよ、ミーボー! プレミアムフライデーって、月末の金曜のコトだぞ? 毎週毎週特別な金曜じゃねーんだぞ?」

雅:「そう思っているのは、溌だけかもよ?」

溌:「んなワケあるかー! 政府主導の経済活性化キャンペーンだぞ!」

慶:「私はみのりと過ごす毎日が、プレミアムだと思っているぞ?」

倖:「つーかそもそも、プレミアムってなんだ?」

溌:「はああ。オメーらと兄弟でいるの疲れるわ……」

 どっと疲れた溌が席に着いた。

倖:「つーか、アイツは? アイツは戦略会議に出なくてイイのかよ?」

溌:「のりピーなら敵情視察に向かった」

倖:「は? じゃあ、アイツらの店に行ってんのかよ? それってマズくねえの?」

慶:「本人至っての希望だ。対策を練るならば、まず敵情を知らねばならないと言ってな。出来れば私達もあいつらの店になど行って欲しくなかったが、簡単にこの店を潰す訳にもいかないだろう?」

倖:「そりゃそうだけどよ……」

雅:「大丈夫だよ、倖。彼らも千年ぶりに邂逅した春の生き写しの彼女を、正直どう扱っていいかなんて分からないだろうからさ――」


 着替えを済ませたみのりが、イケメンカフェ、『PEACHMEN』の店の前に立った。入り口には10:00a.m.―2:00a.m.の表記があり、煌びやかなネオンが輝くカフェに、ゴクリと唾を飲み込んだ。正直、男性は苦手なものの、『ほおづキッチン!』の存亡には代えられない。みのりは深呼吸すると、重厚な造りのドアを開けた。

「お帰りなさい、――おや? すみません、初めてのご来店ですね?」

 ドアを開けてすぐに、長身細身のベストに、ジャケットパンツスタイルのイケメンが声を掛けてきた。瞬時に、みのりの体が硬直した。ぎゅっと目を瞑り、コクコク……! と頷いた。

「では、こちらでお好きなドレスに着替えられて下さい。ご準備を終えられましたら、お好きな王子様をお選びになられて下さいね」

 そう受付のイケメンに案内され、色々と疑問に思うも、みのりは薄暗い店内の中、ドレッサーへと連れていかれた。

「ご新規一名様でーす!」

「ウエルカム プリンセス!」

 ドレッサーのドアが開き、眩い光がみのりの視界を遮った。そうして瞼を開けると、そこは、あらゆる方角から女優ライトを照らし、何百種類ものドレスが用意されている着替え部屋だった。執事スタイルのイケメン達が、微笑みを浮かべながら、みのりを取り囲む。

「どうぞお姫様。心ゆくまで御寛ぎを……」

 そう言って、受付のイケメンが、ドレッサーのドアを閉めた。いきなり三人の執事に囲まれ、みのりは非現実的な体験に体が震えた。

「そのように緊張されなくても大丈夫ですよ。私どもが全て、貴方様の不安を拭って差し上げますから」

 優しく囁かれ、「ひゃあ!」とみのりの肩が跳ねた。

「あ、あの、このお店は、着替えないと中へは入れないんですかっ?」

「ええ。このカフェのコンセプトは、イケメンカフェですから。当然お客様にも、それ相応の御姿になって頂かねばならないのです。おとぎ話でも童話でも、王子様のお相手は、お姫様と相場が決まっておりますから。どうぞお好きなドレスをお選びになられて、灰かぶり姫から、素敵なシンデレラへと変身されて下さいませ」

 どこか店員上位の考えがしたが、着替えねば店へと入れないならば、コンセプトに従ってドレスを着るしかない。ドレッサーの中から、割かし地味めのドレスを選んだ。純白のひらひら生地に、ピンク色の花びらが散りばめられている。

「ではどうぞ、こちらでお着替えとお化粧直しをお済ませ下さいませ」

 更衣スペースに案内され、気が乗らない中でも、着替えと化粧直しを済ませた。

「失礼致します。お背中のホックをお留めしますね」

「は、はい!」

「では次に、今夜の王子様をお選び下さいませ。モニターに映る王子様であれば、今すぐ貴方様をお迎えに参られますよ?」

「で、では……」

 カフェスペースであろうドアの前にはモニターがあって、そこに映るイケメン達の中から、一人を選ぶ。そこに顔見知りの存在もなく、みのりは震えながらも、一人のイケメンを選んだ。

「――ようっこそ、お姫チャーン~! 今夜のオレっちのお姫チャーンは、ちょーっとばっかしジミめだね~、フウウウ~!」

 適当に選んだ結果、テンションアゲアゲの金髪王子が迎えに来た。遠い目をするみのりを、テンアゲの王子が強引に店内へと連れ込んだ。

「あ! ちょっと待ってください!」

 そうして目に飛び込んできた店内は、薄暗く、ブルーライトの照明が、怪しい雰囲気を醸し出している。それでも客の姿は多く、ドレスを着る客は、優雅に王子との甘い夜を楽しんでいた。カフェと銘打っているものの、完全にホストクラブで、客が飲んでいるものも、アルコール度数の強い酒ばかりだった。

「オレっちはテンアゲ王子こと、なつめだよ~! どんなにイヤなコトがあった日でも、オレっちのテンアゲパワーで、ぜーんぶ吹き飛ばしてアゲル! ねえお姫チャーン、キミの名前教えてよ! オレっちのお姫チャーンを、なんて呼べばイーのかなー?」

 ブルーライトの照明がやんわりと落ちてくるソファ席に座り、テンアゲ王子に名前を聞かれ、躊躇いながらも「みのり、です」と答えた。

「みのり姫チャーンか! じゃあさー、だあちゃんて呼んでもイー?」

「なんでだあちゃんなんですか!」

「だってさ、みのりでしょー? みのり→のり→ノリの佃煮→黒い→ダークマター(暗黒物質)→だあちゃん。ほらね、行きついたっしょー!」

「どこに行きついてるんですかっ!」

「ええっ! もしかしてイヤだった?」

「べ、べつに嫌とかではないですけど……」

「なら、だあちゃんね! けってーい!」

 その時、隣にいたどう見ても学生のお姫様が、その場で会計を始めた。

「――ショートケーキとストレートティーの二点で、八千四百円になります」

「はははは、はっせんよんひゃく円?」

 思わず驚愕の声を上げた。価格設定の高さに驚きを隠せない。

「ああー、のど乾いたな! だあちゃんも何が飲みたいっしょ!」

「そ、そう、ですね。じゃあメニュー表を……」

 敵情視察とは言え、恐ろしい状況に、みのりはメニュー表を探した。

「――そんなものはウチの店にはないぞ?」

「へ……?」

 その時、背後から重低音の声がした。振り返ると、そこには、スーツ姿の四人の男達が立っていた。

「あっ……」

 彼らが頬月兄弟の誕生日の夜に訪れていた、あの四人組であると気が付いた。

「しゃ、しゃちょー? 役員のお三人まで! ど、どーしたんすかっ?」

「うるせーな~。このお姫サンは、オレらの客なんだよ~」

「ええっ! だあちゃんが?」

 四人の中に、不敵に笑う平子の姿もあった。

「ひ、平子さん?」

「おひさ~、お姫サン。あの夜ブリじゃ~ん? 相変わらず、アイツらにコキ使われてんの~?」

「そ、そんなことはありません!」

「ならなーんでウチの店に来たワケ~? どう考えたって、敵情視察っショ~?」

 ギクリとした。上手く取り繕うとするが言い訳が思い浮ばず、みのりは唇を噛み締め、俯いた。

「貴様らの店の客層は、ごく一般的な学生から主婦の間で、他所のカフェと変わりない。対して私達の店は、昼間は学生、主婦向けのイケメンカフェだが、夜は各界のセレブや芸能人、海外のVIPまでもが訪れる、ハイクラスのラウンジだ。そんじょそこらのカフェとは、コンセプトも提供するメニューも違うのだ」

 そう犬歯を覗かせながら、クールな表情で話す男――清従。

「そういうことじゃ。昼間の客をわしらに取られ、焦っておるようじゃが、今の時代、単なる割引や低価格設定だけでは、太刀打ち出来ぬぞ? どの時代であっても、素朴な生活の中に、高級趣向を夢見るオナゴは多いからのう」

 裏社会のボスにしか見えない銅源も、みのりの敵情視察に、芳しい笑みを浮かべている。フン、と新羅が笑った。

「お前一人を敵情視察にやるとは、あいつらも大胆な行動に出てくるじゃねえか。余程利益が落ちて焦っているのか、それとも目の前で大事なモンを奪われる感覚が忘れられねえのか?」

「へ?」

「まあいい。一人で敵情視察に訪れた意気込みに免じて、今夜は俺様達がお前の相手をしてやるよ。こんな場所ではなく、VIPルームでな」

「え?」

「んじゃ、お姫サンはアッチの部屋にいこっか~。超高級プライベートルームだよ~」 

「え? えええ?」

 平子に肩を掴まれ、そのままみのりは、店の奥のVIPルームへと押し進められた。新羅と銅源もそれに続く。

「だあちゃんっ!」

 困惑するテンアゲ王子に、清従が釘を刺した。

「あれは……いや、あの御方は、大将にとっての真の姫だ。貴様如きが恋慕して良い御方ではない」

 その言葉に、テンアゲ王子――棗は納得するように「はい……」と頷いた。


「――ふ、ふえええ?」

 VIPルームの高級ソファに座らされ、出てきたフルーツの盛り合わせに、戸惑いを隠せない。

「んじゃ、乾杯しよーぜ~。お姫サンはナニ飲む~?」

 そう左隣に座る平子に訊ねられても、「わ、わたしは何もっ!」と、もう既に一杯一杯で、みのりは緊張から下を向いた。

「何じゃ、金のことが気になって飲めんのか?」

 斜め前から銅源が訊く。

「い、いえっ!」

「だったら何か注文しろ」

 右隣に座る新羅が言った。

「何があるのか、分かりません……」

「何でもある。……貴方が飲みたいと思ったものを注文すれば良い」

 仏頂面で正面に立つ清従に、「じゃ、じゃあ、イチゴミルクで……」とみのりが注文した。

「分かった。暫し待たれよ」

 清従がオーダーを通しに行った。

「んじゃさ~、飲み物が来るまで、ナニかしてあそぼーぜ~。お姫サンはナニしたい~?」

「へ?」

「アッチに、キングサイズのベッドも用意してあるケド~?」

「ひゃあ!」

 また平子に耳元で囁かれ、毎度ながらも肩をビクつかせる。

「おいサル、てめえはバナナでも食って大人しくしていろ。……おい姫、お前は俺様の相手だけしていれば良い」

 無理やり抱き寄せられ、新羅の顔が真正面に迫った。

「ひゃ~!」

 慌てて身をよじると、向いた先に、銅源の艶めかしい肉体美が露出していた。

「ふわぁ!」

「どうじゃ? 美しい筋肉じゃろ? ぱりでも絶賛された肉体美じゃ」

「な、なんで上脱いでるんですか!」

「おんしにも見せてやりとうてな。どうじゃ、ヤリとうなってきたじゃろ?」

 あからさまな下ネタに、ガンっ! とみのりが硬直した。

「おいキジ、てめえの本職は坊主だろうが。桐生の寺で、煩悩は捨て去ったんじゃねえのか?」

「なーに大将、ちいとばっかり姫をからかっただけじゃ、ガハハハハ!」

「相変わらず老若男女イケる口か、キジ。この時代で、千人切りでもするつもりか?」

 酒を運んできた清従の呆れた口調に、「何を言っとるんじゃ、イヌ。わしは女房一筋じゃ」と景気良く銅源が笑った。

「女房って、アンタの師匠のコトだろ~? まだ続いてんのかよ~?」

「勿論じゃあ! 千年変わらず愛しとるからのう!」

 そこでようやく、みのりは我に返った。いつの間にか提供されていたイチゴミルクとシャンパン一式に、血の気が引いた。

「ほら、飲みなよ~。アンタが頼んだイチゴミルクっしょ~?」

 震えながらも、みのりは薄い硝子に注がれたイチゴミルクを一口飲んだ。

「どうした? こういう店に来るのは初めてか? ならば俺様が大人の遊び方というものを教えてやるよ」

 新羅がみのりの顎を持ち上げた。目の前で卑しく笑う金瞳に、「いやっ!」と反射的に押し退けた。それにいつかの春姫の姿を重ねる新羅。ぐっと喉の奥で感情を押し殺した。

「あっ、す、すみませんっ! 私っ……!」

 沈黙する、三人のお供。ただじっと大将の言葉を待った。新羅がふっと笑った。そうしてみのりに目を向けると、「やはりそうか」と嘲笑を浮かべた。

「お前は、俺様が憎くて堪らないんだろう? 記憶はなくとも、体が覚えているのだろうからな」

「へ……?」

「他人の空似なんかじゃねえよ。……お前は俺様が奪ってやる。そしてまた、アイツらを絶望のどん底に突き落としてやるよ」

 新羅の瞳孔が狂気と共に開いた。それに言い知れぬ恐怖を感じたみのりは、鞄から財布を取り出すと、一万円札を置いてVIPルームから逃げ出した。急いで店内を抜け、外へと出る。

「だあちゃん……」

 棗が、去り行くみのりの後ろ姿を、心残りに見つめた。

「――良いのですか、大将。姫様は再び赤鬼の下へと帰られますが……」

「構わねえよ。いずれまた、俺様しか見えねえ体にしてやるんだからな」

 そう言って、新羅は優雅にシャンパンを飲んだ。


 店に逃げ帰ったみのりは、息を切らせながら胸を掴んだ。走って来たせいか、体は熱く、薄らと汗ばんでいた。喉の奥に痞えるものを飲み込むと、兄弟が戦略会議を行う休憩室のドアを開けた。

「おお! お帰り、みのり。って、その格好はどうした!」

 慶に指摘され、ようやくドレス姿のまま帰ってきてしまったことに気が付いた。

「ふえっ……」

 今にも泣き出しそうなみのりに、兄弟が慌てて席を立った。

「ど、どどどうしたんだよ! あいつらの店で何があったんだ?」と倖が慌てると、慶もあたふたしながら、「何故そんな格好をしているんだ? ……ハッ! さてはカフェではなくイメク――」

「Silenzio(シレンツィオ)(うるせー、黙れ)!」雅の鉄拳が飛ぶ。

「ギャス!」

「……その格好はさて置き、アイツらの店が、普通のカフェじゃねーことが判明したな。敵情視察とはいえ、ツラい想いをさせちまって悪かったな、のりピー」

 溌の労いに、「いえ……」とみのりは首を振った。心配の目を向ける兄弟に気づき、みのりは笑って顔を上げた。

「あの、皆さんも会議でお疲れでしょうから、今コーヒーをお持ちしますね。すぐに淹れてきますから、少々お待ち下さい」

 そう言って、みのりは兄弟分のコーヒーを淹れに、キッチンへと向かった。

「……アレは何かあったな。クソ、アイツら、のりピーに何しやがったんだ?」

 忌々しく顔を顰める溌の隣で、雅は、そっとみのりの残り香に反応した。

 コーヒーを淹れてきたみのりが、それぞれの席に置いていく。

「雅さんは甘党なので、砂糖を多めに入れてあります」

「グラッツェ!」雅がにっこり笑う。

「慶さんは猫舌さんなので、七十度くらいのお湯で淹れた、アメリカンです」

「分かっているな、みのり!」慶も嬉しそうに笑う。

「溌さんには、濃い目のブラックコーヒーを」

「サンキューな。コイツらのバカさ加減にイライラしてたところだったから、丁度いーわ」

 じと~、と溌が兄弟を睨む。

「そして最後に、コーヒーよりもカフェオレ派だよね、倖くん」

「倖くんっ!?」と、ビックリマークとクエスチョンマークが飛ぶ、雅と慶。

「お、おお! あ、ありがとなっ……」

「倖くんっ!?」

 もう一度二人がその名を呼んだ。

「うるせえな! 別にイイだろうがっ!」

 紅潮しつつも反論する倖に、二人の兄は、再びダークホースの脅威を感じ取った。

「まーまー落ち着けよ、ヘタレども。所詮は末弟だろ?」

「私達の手綱を掴んでどうするんだ!」

「弟が正々堂々勝負してんだ。兄貴が焦ってんじゃねーよ」

 楽しそうに笑うみのりに、兄弟は、こそばゆい気持ちがした。

「じゃー、そろそろ結論を纏めるぞ。利益向上の為に各メニューの値上げをする。異存はねーな?」

「あ、あのっ……! 確かに利益を上げる為には、価格を上げる必要があるとは思うんですが……!」

 みのりは『PEACHMEN』にいた学生客が、ショートケーキとストレートティーの二点で八千四百円も取られていたことに、心臓を掴まれる思いがしていた。

「このお店にいらっしゃるお客様は、確かに皆さんのファンの方も多いでしょうが、でも、それに付け込んで、と言いますか、高価な飲食をさせるのは、ちょっと違うと言うか……。あの、私は今のままでも、皆さんがこのお店で働いていらっしゃるだけで、これからも新規のお客様が増えていくと思います。その中で、他所のカフェとは違う『ほおづキッチン!』の良さが出せたら、違うところで利益に繋げることだって出来ると思うんです」

 みのりの主張に、兄弟が顔を見合わせた。雅が同意の微笑みを浮かべる。

「そうだね。僕も出来れば今の価格設定でいきたいし。何か他に僕達が出来ることがないかなぁ?」

 倖がカフェオレに目を落とした。

「あ……! だったら教室を開けばイイんじゃね?」

「おお、そうか! 確かみのりはここで働く為に、コーヒーや紅茶の勉強をしていると言っていたな! 実際、君が淹れるコーヒーは好評だし、みのりが講師になって珈琲・紅茶教室を開けば良いんじゃないか?」

「いえいえ! 私が講師なんて、おこがまし過ぎですよ! 雅さんや慶さんのようなプロではないですし!」

「そうだね。君にはもう少し知識や技術を身に付けてもらうとして、だったら僕と慶で、教室を開けば良いんじゃない?」

「ミーボーと慶りんが?」

「そう。僕達が交互にドルチェとディッシュの教室を開けば、受講料として、いくらか利益が出るでしょ?」

「良いな、それ! 私は賛成だぞ」

「待て待てオメーら! 教室を開くっつっても、いつ開くんだよ? 客足は減ってると言っても、忙しさは、あんま変わんねーんだぞ?」

「では定休日の木曜にするか?」

「うげっ! まだ働くつもりかよ、慶兄」

「私は嫌ではないぞ?」

 んー、と雅が考える。そして閃いた。

「じゃあさ、金曜の午後なんてどう? ランチ時の十二時から十四時までが、僕のドルチェ教室で、十五時から十七時が、慶のディッシュ教室。お互い、その時間帯はオーダーが少ないし、キッチンの奥のスペースを使えば、邪魔にはならないと思うしね」

「私はそれで構わないぞ」

「二人がそれでイイなら、イイんじゃね?」

「よし、じゃーその戦略でいく。詳細が決まり次第、参加者を募るから、オメーらは何を教えるか考えとけ」

 話が纏まったところで、ほっとみのりは安堵した。どことなく、体が火照っているような気がした。戦略会議が終わり、みのりがキッチンの流し場でカップを洗う。頭がボーとして、無意識にその場でふらついた。

「おっと……! 大丈夫? みのりちゃん」

「へ……?」

 振り返ると、そこには自分の体を支える雅がいた。

「雅さん……?」

「ん? ……あれ? どうしたの! 顔が真っ赤じゃない!」

「ほえ……?」

 上手く頭が働かず、呼吸も乱れた。

「もしかして、彼らの店でお酒でも飲んだ?」

「えっと……イチゴミルクを少し。でもジュースだとばかり……」

「アルコール入りのイチゴミルクだよ、それ。やっぱりそうか。君からほんの少しだけど、お酒の匂いがしたからね。あんまりお酒、強くないでしょ?」

 雅に指摘され、呆けるままに頷いた。体が熱く、ぞわぞわとした感覚が背中を走る。

「みやび、さん……」

 見上げる雅の優しい顔つきに、自然と涙が溢れてきた。

「ど、どど、どうしたの、みのりちゃん! どうして泣いて――」

 その時、みのりが雅の胸に寄り添った。

「みのり、ちゃん……?」

 抱き締めようとみのりの背中に手を回そうとするも、脳裏に浮かぶ春姫の姿に、雅は、ぐっと堪えた。

「……わ、たし、ずっと、考えてて……。みやびさんの、大事な恋人だった人に、どうしたら勝てるかって……」

「え……?」

「どうしたら、振り向いてもらえるかって……」

「みのりちゃん……」

 そっと目を細める。胸には、嗚咽を殺して泣くみのりがいた。雅は唾を飲み込むと、みのりの頭を擦った。

「あのね、みのりちゃん。僕はもう、彼女以外の人間は……」

 グー、と寝息が聞こえた。

「みのりちゃん? あれ……? もしかして寝ちゃった?」

 寄り添ったまま眠りに落ちたみのりに、「あちゃー」と頭を抱えた。その寝顔に、雅は、そっと吐息を漏らした。

「……ホント、どうして巡り逢っちゃたんだろうね」

 そんな切ない声を、キッチンのドアの向こうで聞いていた溌。人知れず、表情をなくした。


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