第15話 酒宴



 火事のショックもあって、一週間みのりは仕事を休んだ。十三年前の火事のトラウマが蘇るものの、兄弟の支えもあって、思いの外、明るく過ごすことが出来ていた。その間もみのりはコーヒーや紅茶の勉強をしながら、同居を始めた頬月家の家事もこなした。

「――はあああ! 今日もみのりの手料理が食えて幸せな一日だなぁ!」

 夕食時、慶が幸せオーラ全開でハートを飛ばしまくる。それを雅が払いながら、

「ちょっと慶、ジャマだから! 君のハートが不愉快に食卓の周りを浮遊してるから!」

「仕方ないだろう? 溢れるみのりへの愛が止まらないのだからー!」

 高らかに宣言する慶に、正面に座る雅が呆れた。今夜は串揚げで、食卓の中央には、卓上串揚げ鍋が置かれている。溌と倖が感情もなく、飛び交う慶のハートを油に突っ込んだ。

「ああ! 私のハートがっ! 愛のフライにっ!」

「うっせーな。つまんねーコト言ってねーで、さっさと食え」

 冷静に雅の隣に座る溌が言う。その正面に座る倖が、真っ黒に焦げた慶のハートを油切トレーに積み上げていく。

「全部テメーで食えよ?」

「ならばもう少し美味そうに揚げとくれ!」

 彼らの様子を、溌と倖の間に座るみのりが、「ふふふ」と穏やかに見守っている。それでも一瞬、物思いに耽るように目を伏せるみのりがいた。


 定休日の木曜日。雅と慶の二人は、明日から始まる料理教室の準備に取り掛かっていた。既に告知は済んでおり、募集を掛けてわずか一時間足らずで、どちらも定員(五名/五名)に達した。

 店のキッチンの奥には、予備のガスコンロや冷蔵庫、オーブンなどが配備されており、そこを教室のフロアとして使うことで、ホールの混雑時にも即対応出来るようになっている。少々手狭ではあるが、そこにテーブルを置き、生徒が使いやすいような丸太型の椅子をセットした。掃除と準備を終え、二人は満足げに教室を見た。

「いよいよ明日から教室が始まるな、兄さん。十二時から十四時が兄さんのドルチェ教室で、十五時から十七時が私のディッシュ教室だ。両方とも成功すると良いな」

「うん。これが話題になれば、少しは利益アップに貢献出来るでしょ? そしたら、ゼニネコちゃんにも、たくさんエサをあげられるようにもなるから」

「ゼニネコちゃん? なんだ兄さん、溌の貯金箱に、募金でもするつもりなのか?」

「んー? まあ、そんなところかな」

 雅が笑って腰に手を置いた。

「しかしここまで来たんだよな。……私は兄さんのように生まれてすぐ鬼に覚醒せず、十三年程、普通の人間として過ごしてしまったからな。すべての記憶を取り戻して、自分が鬼だと思い出した時には、それまでの人生で歩んできた苦痛や恐怖、それから後悔……そういったものばかりが込み上げてきた。兄弟として何度も生まれ落ちたのに、その度に積み重ねていったものは、幸せなんかじゃなくて、またいつか終わりが来るんだという、やりきれない想いばかりだった……」

 戦国時代は鎧を着て武士として戦い、戦時中は軍服に身を通し軍人として戦った。その時代その時代で、桃太郎一家との熾烈な争いを繰り返してきて、守れたものは何一つとしてない。いつの時代も八月二十六日に命が潰え、そしていつかの時代の八月二十六日にまた生まれ落ちる。繰り返されてきた死闘の中では、兄弟として幸福な時間を過ごしてきたという記憶が、慶には薄かった。それが雅には痛い程理解出来た。

「平成の世に生まれ落ちて、またこうして兄弟として集うことが出来た。この時代で見つけた『宝物』は、僕達兄弟で営むカフェだ。ようやく〝モノ〟ではなく、〝キモチ〟……安穏を宝とする時代に生まれ落ちることが出来たんだよ。そしてこの〝キモチ〟が、彼女と僕達を巡り逢わせてくれた。今が一番幸せな時代だね、慶」

 穏やかな兄の微笑みに、慶は一瞬複雑な表情を浮かべた。「幸せ、か……」そう呟くも、すぐに顔を綻ばせ、「そうだな、兄さん」と笑った。


 午後、家の前をみのりが掃除している。そんなみのりを自室から溌が見下ろしていた。その視線が自然とみのりのクビレに向く。

「いやいやいや、オレはアイツらとは違げーから」

 兄弟が抱くような感情を否定する溌の目が、再度みのりを見下ろした。そこに突然、黒塗りの高級車が停まった。後部座席のドアが開いたかと思うと、次の瞬間には、無理やりみのりを連れ去っていった。

「うん?」

 一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。しかし、「オイオイオイっ! はああああ?」


「――誘拐? みのりちゃんが?」

 すぐに兄達に報せ、警察にも通報しようとした矢先、「おい、これっ……!」と、学校から帰宅した倖が、息を切らせてキッチンに飛び込んできた。

「家に帰ったら、玄関にこんなモンが挟まっててっ……! 読んだら、『お姫サンはオレらと仲良く遊ぶ』って、これって、アイツらがみのりを誘拐したってコトだろっ!」

「お、おお、落ち着けっ、ゆきんこっ」

「お前も落ち着け、溌」

 冷静に慶が弟達の心を静めるが、それでも倖は、慌てふためいた。

「警察に連絡した方がいいんじゃねえのっ?」

「いや、あいつらが仕掛けてきた戦だ。我らの戦いに、一般人を巻き込む訳にはいかんだろう」

「慶の言う通りだよ。これは僕達鬼と、桃太郎一家の戦だ。彼らの目的は分かっている。今代の『宝物』は『ほおづキッチン!』。そしてもう一つ、みのりちゃんもまた、僕達にとっては、大事な存在だよ。その両方を守る為に、僕達はまた生まれ落ちたんだ。彼女は必ず取り返す。今ある幸せは、誰にも奪わせやしない」

 雅の真紅の瞳が慶に向けられた。強く頷く慶の瞳もまた、燃えるように赤く染まっていく。兄達の決意の表れに、弟達も強く心を持った。慶が残された文面に目を落とす。

「……みのりは今、敵の本陣にいる。竜胆カンパニー、桃太郎の牙城か」


 謎の男達に連れ去られたみのりは、目隠しをされ、口を紐で封じられた。車を降ろされ、そのままエレベーターで上へと昇っていく。最上階で降りたみのりを、男達は一番奥の部屋へと連れていった。

「お連れしました」

「ああ。ご苦労だった」

 その声に反応したみのりの腕を引く、新羅。そこは彼の執務室であり、中には既に、清従、平子、銅源、そして目を伏せる棗の姿もあった。

 ソファに腰かけ、突然口紐と目隠しを外されたみのりは、視界に広がった光景に慄いた。あの晩と同じように、嘲笑する彼らに囲まれていた。ただ一つ違うのは、棗がボーイの格好で立っていること。

「どうして……わたしっ……」

 みのりの声が震えた。隣に座る新羅が、「フンっ!」と笑った。

「怖がるんじゃねえよ。忙しい中、わざわざこうして、お前の為に集まったんだからな」

「大将のゆーとーりだよ~。オレもコンサートのリハ抜けて来てやったんだからさ~、もっと和やかに笑えないワケ~?」

 隣に座る平子に、顎を持ち上げられた。

「へえ、結構ヤバそーじゃん? アンタも相当ツライんじゃねーの~?」

「なんの、話ですか……?」

 怯えたようにみのりが言う。

「気丈に振る舞っているおつもりでも、目を見れば分かります。貴方が胸に抱く悲しみを、我らで取り除いて差し上げますよ?」

 後ろから耳元で話す清従に、「やめてくださいっ……」とみのりが萎縮した。

「なんじゃ、随分嫌われとるのぉ、イヌ。最初に威圧的な態度を取るゆえ、そげんなことになるんじゃ。のう、姫。しおらしゅうなったイヌよりも、わしと遊んだ方が気が楽になるじゃろう? こう見えてもわしは、仏に仕える僧侶じゃ。おんしの苦痛も不安も、わしが取り除いてやろうぞ?」

 そう言って、見た目がマフィアのボス――銅源がみのりの前に腰を落とした。その目をじっと見つめて、「わしが慰めてやろう」とその頬に触れた。

「いやですっ……!」

 バッと顔を背けたみのりに、「わしも振られたのぉ! ガハハハハ!」と銅源が豪快に笑った。

「もうオッサンは引っ込んでろよな~! こーんな筋肉バカのジジイよりも、オレがアンタを満足させてやるよ~。ま、ホントはあのヘタレ次男坊の前で、た~っぷりと見せつけてやりてぇトコだけど、時間もねーしな~。ほら、オレらと仲良くあそぼーぜ~?」

 そう言って、平子がみのりの服をはだけさせた。

「いやっ……!」

 露出した鎖骨に、「ほら大将、アンタが食わねーと、オレらも食えねーだろ~?」と平子が意地悪く誘う。

「ああ。お前のすべて、俺様のモンだ」

 新羅の唇がみのりの鎖骨に落ち、その部分を強く吸った。

「いやぁ……」

 鬱血したキスマークを、新羅が満足そうに見下ろした。

「思い出すか? こうしてお前の全身を赤く染め上げたのは、俺様だったろう? 抵抗する中でもお前は、次第に俺様を求め始めるんだ」

 新羅の言葉に、途切れ途切れに何かが、みのりの脳裏を過る。心臓が痛い程跳ね上がり、その金瞳が、いつか見た夢の続きを思わせる。

「……いや……さわら、ないで……」

「ほら思い出せよ。他の奴らは全員、千年間の記憶をずっと繋ぎ合わせてきたんだぞ。お前だけ思い出せないのは、可哀想だからな。俺様達で、あの時の記憶を思い出させてやるよっ……」

「んっ……」

 必死に抵抗するみのりの体を、お供達が押さえつける。その様子をただ、棗はぐっと堪えながら、目を伏せていた。

「――というつもりで誘拐したんだろうっ!」

 乗り込んだ兄弟を代表して、慶が言い放った。

「はあ? アンタナニ想像しちゃってんの? マジでキモイんだけど」

 パーティグッズ(三角帽子に鼻眼鏡)に身を包む平子が、冷静なトーンで言った。周囲の状況に眉を潜める雅、溌、倖の三人。想像した最悪の状況とはかけ離れたポップなパーティに、困惑した。

「どうやら、行き過ぎたシナリオだったみたいだね?」

「つーか、なんで執務室でパーティやってんだよ! しかも大道芸人まで呼んでっ!」

「ん? ああアレ、ウチのヒツジちゃんだし~。アイツ、こーゆーの得意だからさ~」

 棗がピエロの格好で、玉乗りしながら、両方の指すべてに瓶ビールを乗せている。

「いや、すげえけどっ!」

 驚愕する倖の隣で、清従が呆れたように吐息を漏らした。

「まったく、貴様らは何を勘違いしたのだ? 姫様の住まいが火事に遭ったと聞いたから、あの御方の心が少しでも楽になればと、大将御自らこの会を催されたのだぞ? それ故、置手紙には、仲良く遊ぶと書いてあっただろう?」

「いや遊ぶって、あんな連れ去り方したら、そりゃあっ……」

 溌が真っ赤になって口籠った。

「なんじゃ三男坊、エロガキじゃのう」

「なっ! お、おめーらの方が、オレらよりずっと年下だからなっ……!」

「何を言っとるんじゃ。今代では、まだ所帯も持っとらんくせに」

「オメーの所帯って、桐生んトコのかいサンのコトだろ? よくあんな恐ろしい青鬼の下に、毎度毎度いけるなっ」

「仕方なかろう。千年経とうが、惚れ通した相手じゃ。何度この世に生を受けようが、わしの心は、彼奴だけのモンじゃ」

 儚い中にも、しっかりと愛し抜く銅源の姿勢に、「無自覚キジ(キザ)ヤローがっ」と、溌が大人の貫禄に屈する。

「そ、それでみのりは?」

 倖の視線が、ピエロの大道芸に、「うわぁ~!」と興奮するみのりに向けられた。

「めちゃくちゃ喜んでんじゃねえか!」

「ホントだね~。なんだかとっても楽しそう」

 そう笑って雅が、みのりの隣で、優雅にシャンパンを飲む新羅を押し出した。

「てめえ、何しやがるっ……」

「楽しそうだから、僕も混ぜてもらおうと思って」

 にっこりと笑う中に、激オコの憤怒が垣間見える。それにカチンときた新羅が、

「てんめえ、人の厚意を無碍にするつもりかよ?」

「無理やり連れてきたくせに、厚意もへったくれもないだろう?」

「ああ? んなことは、本人見てから言えっ!」

「うわぁ! 棗さんすごいですね!」

 喜ぶみのりの前で、棗扮するピエロがフォークを一輪の花に変えて、差し出した。

「キミを喜ばせるコトが、オレの生きがい」

 そう微笑んだピエロに、すかさず清従が鉄拳を下した。

「つぅ~!」

「ピエロが喋るなっ!」

「棗さんっ!」

「申し訳ございませんでした。大道芸の次は、平子による『死ね、サル!』のソロライブです」

 司会を務める清従が、さらっと進行する。

「ちょっと~、『死ね、サル!』って、ウチのデュオ名は『monkeyshine』なんだけど~?」

 冷めた視線を送る平子が、舞台上にセッティングされたマイクの前に立った。三角帽子と鼻眼鏡を取り、首からギターを下げる。

「アンタだけの特別ライブだよ?」と、アイドルらしいセリフを吐いた。

「と、その前に~。アンタも来いよ~、次男坊」

「はあ? なんで私がお前とセッションしなければならんのだ?」

「ま~、そーゆーなよ~。アンタだって、傷心中のお姫サン喜ばせてやりてーだろ~? だからココは、歌声で二回戦とシャレ込もうぜ~?」

「私は歌を歌うのはっ……」

「重度のPON厨がナニ言ってんだよ~?」

「あ、あれは合の手を入れて、踊っているだけでっ」

 煮え切らない慶に、平子が興ざめしたように溜息を吐いた。舞台を下り、俯く慶に歩み寄った。その耳元で囁く。

「……とっくに娯楽解禁の時代ですよ、少佐殿?」

 意表を突かれた慶に、「同期の仲じゃん~?」と、いつもの口調で平子が笑った。

「ほえ? 同期なんですか? あのお二人」

「ああ。どこまでもサルが次男坊に執着するからな。同じ道を辿りたがるんだ」

「ほえー。じゃあ、平子さんもイタリアンシェフを志していたんですか?」

「違うよ、みのりちゃん。慶がそうなる前にやっていたことだよ。ずっと前の職業なんだ」

「はあ、ずっと前……」

 ソファで雅と新羅に挟まれるみのりが、舞台上に戻った平子を見た。その隣には、嫌々ギターを下げる慶の姿もある。

「オレがアンタに執着するように、アンタだってオレに執着してんだろ~? だったら合わせられるよな~?」

 挑発的な平子に怒りが込み上がるも、慶は反論せずに、ギターの弦をピックで弾いた。

「上等じゃん~?」と上機嫌に平子が笑った。

 みのりの前で『monkeyshine』の楽曲を歌い終えた慶が、満足そうな平子を睨み付けた。

「私はお前になど執着していないっ……」

「あっそ~。べっつにアンタのキモチなんて、カンケーねーし~?」

 気まずい舞台上に、「お二人とも、とってもお上手でした!」と、みのりが場の空気を読んだ拍手を送った。

「そ、そうか? じゃあ一緒にコニポン。ダンス踊ろう、みのり!」 

 湾曲にツンからデレに移行した慶に、「アンタのそーゆートコ、嫌いじゃねーよ~?」と平子が冷静に言う。

 慶に手を引かれて舞台に上がったみのりと、「お前達も来い」と言われ、無理やり弟達も舞台に連れて行かれた。

「いや、ぜってぇ踊んねーからな!」と拒否する溌達を見て、「なんじゃあ、楽しそうじゃのう! どれ、いっちょわしらも踊るかのう!」と、笑って銅源が清従の腕を掴む。

「俺は絶対に踊らんぞ!」

「何を言うとるんじゃ。今日は姫を愉しませる為に、こうしてぱーちーを開いたのじゃろうて。仏頂面のおんしも踊れば、ちぃとは姫の警戒心も薄れるじゃろう? さすれば大将への警戒心も緩和され、本来桃の字が望んでおった世を、実現させてやることも出来ようぞ?」

「……っ、し、しかたない。俺も踊る……がっ、貴様も踊れ、ヒツジ!」

「へ? オレもですか?」

「見たところ、貴様が一番我らの中で、姫様を愉しませることに長けていそうだからなっ! 不本意だが、今代では貴様の力を要することもあろう……!」

 目を合わせない清従でも、棗は「はい!」と頷き、いつもの調子で舞台に上がった。

「んじゃー、お姫チャーンとみーんなでおどっちゃおー!」

 酒が入り、酔っ払いが続出する中で、勝手に盛り上がる舞台が出来上がった。みのりも愉快そうにコニポン。ダンスを踊っている。

 雅が席を立ち、新羅に目で合図を送った。二人が執務室から出て、誰もいない廊下で互いに顔を背ける。

「……どういうつもりなの? こんなお遊び、君らしくないじゃないか」

「フン、俺様とて毎度毎度鬼退治ばかりじゃあ、気が滅入っちまうからな。こうしてたまにはバカ騒ぎするのも悪くねえだろう? それとも、てめえらが想像していたように、姫をひん剥いて、回していた方がお望みだったのか?」

 卑しい笑みを浮かべる新羅を、雅の真紅の瞳が突き刺した。

「想像は願望の表れだからな。てめえら兄弟の方が、余程アイツを凶暴に襲っちまいそうで、正義を掲げる桃太郎一家としても、てめえら極悪非道の鬼どもの素行は、常に見張っている。……忘れるな、てめえらは鬼。いくら相手の記憶を操作出来ようが、喰っちまった後じゃあ、骨すら残らねえだろう……? フン、汚らわしい正体を明かす勇気もねえくせに、どこまでもアイツの心を繋ぎ留めようとするな。さっさと手切れにして、姫を鬼の呪縛から解き放て」

「解き放て……? 春を縛り付けたのは君じゃないか。君が彼女を殺したんだ。そのせいで彼女は今もなお、君の恐怖に怯えている。正義なんて尤もらしい言葉を並べて鬼退治したくせに、大事なものは何一つ救えなかったじゃないか。鬼よりも人間の方がよっぽど恐ろしい生き物だって知ってるくせに、春の面影を持つ彼女が現れた途端、人間面するのは止してくれ。君に人間の要素なんて、欠片もないくせに」

 冷たい眼差しを送る雅に、「フン」と新羅が嘲笑する。

「面影なんて言って、アイツが姫の生まれ変わりだと認めるのが怖いのか? そうだよなあ? てめえが守り切れなかったせいで、姫は殺された。そう思ってるてめえには、アイツの生まれ変わりと向き合う覚悟も勇気もねえワケだしな。……安心しろよ、アイツは紛れもなく、姫の生まれ変わりだ。故に、アイツはてめえではなく、俺様を選ぶよう宿命づけられている。本来あるべき大団円の時が今代だ。アイツが再び俺様達の前に現れたことで、この長きに渡る呪縛も、ようやく終焉を迎えることが出来る。俺様の手で何もかも終わりにしてやるよ。もう二度と、てめえらの『次』はない」

 新羅が、ぐっと雅を睨み付けた。互いに威嚇し、牽制する中に、すっかり酔っ払った清従が、フラフラとやって来た。

「ああー! こんなトコにいたんれすか、た~いしょっ! みーんなお待ちれすよ~。はやくもどってくらさーい!」

「弱いくせに酒なんか飲むんじゃねえよ、バカイヌ。ったく、……来年の『8・26』までにアイツを解き放て。ただの人間の気持ちに応えるつもりがねえのなら、猶更早く手切れにすることだな」

 フラつく清従を支えながら執務室へと戻る新羅の背中を、雅は無言のまま見つめた。

 三人が執務室に戻ると、パーティはいつの間にか、酒宴へと移行していた。その場にいるすべての者が酒(倖のみコーラ)を飲み、酔っ払っている。

 部屋の中央で酒を酌み交わす、銅源、倖、溌の三人。

「――何分、わしの嫁は心配性じゃからのう。人前で肉体を晒す時には、周りのモンがわしに魅了されんよう、ふぇろもん抑制剤なるものを注入されるんじゃあ。ありゃあ、一体なんの液体なんじゃろうかのう? 注射器の中身が真っ青なんじゃあ、ガハハハハ!」

 シラフより更に上機嫌、笑い上戸の銅源。

「えっ……いや、それってまさか戒兄のっ……」

 何でコーラで? シラフ時よりも頭が冴えまくる、理性度マシマシの倖。

「うるせー! いーっんだよっ、注射器の中身なんざぁ! それよりもオッサン、アンタ、昔一国のオンナ全員とヤリまくったってホントなの?」

 普段理性的な分、タカが外れた下ネタ上戸の溌。

「どうじゃったかのう? じゃが、そげんことをしたら、今ここにわしはおらんじゃろうなあ! 戒の字は心配性な上に嫉妬深いからのう! それにわしは、彼奴しか反応せんからのう、ガハハハハ!」

「このオッサンのどこが良くて千年付き合ってんだろ、戒兄……」

 続いて部屋の隅で、チビチビとワインを飲む慶と平子の二人。

「最近みにょりが可愛すぎて仕方がないんだ。だがっ……どういう訳だか俺を獣扱いするんだよー! 俺はただ、みにょりを愛でたいだけなのにー!」

 日頃の不満が大爆発、泣き下戸の慶。

「あああ! アンタさぁ、マジでなんなのっ! 意味わかんねーし! それでも海軍総司令艦に乗船してた軍人なのっ? あの勇ましいアンタはどこにいったワケっ!」

 あ~ウジウジ悩む奴とかマジでイライラする~、怒り下戸の平子。

「うわあああ! どうせ撃沈するんなら、キスしとけばよかったー!」

「うっせーな! テメーの初めては全部オレがもらってやるからよー、遺書書く前にさっさとケツだせってんだよっ!」

 そうして会話の中身もないままに、二人してゲロを吐く。

「なにこれ……?」

「知らねえよ。俺様に聞くな……」

「うっ……、た、たいしょ、おれももう吐きますっ……」

「待て待て待て!」

 慌てて社長席に向かう新羅の目に、社長椅子に深々と座るみのりが映った。その正面には、ピエロからスーツ姿に変身した棗が立っている。

「度重なる客とのトラブルに、ユーレイ出勤するバイトの増加、そしてパクられていくドレスの数々。訴訟と経費の増加により、我が『PEACHMEN』は破産寸前です、社長」

「そう……じゃあ、全員解雇で!」

「宜しいのですか、社長」

「だってみーんな従業員が悪いんでしょ? だったらそんな悪い子達は追放です! 首を撥ねておしまいなさい!」

 限界突破したみのりが、上機嫌に笑う。そんなみのりに付き合って、社長と秘書ごっこをする棗。彼もまた、酔眸した瞳で笑っている。

「……楽しそうだな、姫。だがもうハートのクイーンは終わりだ。そろそろ現実に……」

 社長椅子から立ち上がらせた新羅を、みのりがじっと見つめる。

「……どうした?」

「社長さんも悪い子ですか?」

 一瞬面喰うも、「フン!」と鼻で笑い、「悪い子に見えるならば、俺の首も撥ねるか? クイーン」

「うーん、見えないです!」

 カラッと笑ったみのりに、思わず新羅は胸を突かれた。

「そ、そうか……」とその表情を隠す。

「ちょっと新羅っ! 彼もう限界みたいだけど!?」

「あ、ああ……!」

 新羅は社長席からビニール袋を取り出すと、それを清従に当てた。間一髪、醜態を晒さずに済んだが、慶と平子の席は大惨事だった。高級趣向の執務室が、無残に酒とゲロと下品な笑いに塗れた。

「……なんかごめんね、新羅」

「いや、こちらにも非がある……」

 ほんの数ミリ歩み寄った鬼と桃太郎がそこにはいた。そんな雅と新羅の間に入って、みのりが二人の腕を掴んだ。

「ど、どうしたの、みのりちゃん! 君も吐きそうなのっ?」

「ちょ、ちょっと待て! もう一枚ビニールを……!」

 フルフルと首を振るみのりが、二人を見上げて笑った。

「今日はこんなにも楽しいパーティを開いて下さって、ありがとうございます! とーっても楽しかったです! ……辛いことも悲しいこともたくさんあったけれど、こうして皆さんが励まして下さるお陰で、私は毎日元気に過ごすことが出来るんです」

 その言葉に、雅と新羅は意表を突かれた。二人して顔を反らし、照れた表情を隠す。

「そ、そう。それは良かった……」

「何か困ったことがあればいつでも言え。金と権力なら腐る程持ってるからな。社会的に抹殺して欲しい奴がいれば、俺様が真っ先に消してやるっ」

「えへへ~」と酒に酔ったみのりが、へにゃりと笑った。が、その表情が一瞬で消えた。

「……それじゃあ、貴方が消えて下さい、桃太郎殿」

「は……?」

 固まる表情の新羅を残し、みのりは息を呑む雅を見上げた。

「どうして私を……春を置いていなくなってしまわれたのですか? 雅様……」

 ぐっと雅の喉の奥が鳴った。そのまま眠りに落ちたみのりを、後ろで控えていた棗が支えた。崩れ落ちるみのりに手すら伸ばせない程に、二人は動揺していた。その状況に、棗は涙を溜めて眠るみのりを、悲哀の眼差しで見た。

「姫様……」


 酒宴から数時間経って、みのりが目を覚ました。いつの間にか頬月家の自分の部屋で眠っていた。

「あれ? わたし……」

「起きたかい?」

 ベッドの傍らで微笑む雅に、「へえっ」と、反射的にみのりは起き上がった。その勢いのせいでぐらつき、頭の中に鈍痛が走った。

「ううっ……わたし、どうして……?」

「限界超えちゃう程飲んでたみたいだし、もう日も沈んじゃったから、今日はゆっくり横になっていた方が良いかもね」

 雅は立ち上がると、「弟達も酔い潰れちゃったしね」と肩を竦めて笑った。

「私、社長さんの所に連れていかれて、それから……」

「思い出さなくても良いよ。君は酔っ払ったり、ショックなことがあると、記憶が飛んじゃうみたいだからね。……でも、その方が、君にとっては幸せだと思うよ?」

「へ……?」

 不安そうに見上げるみのりを、雅が儚く見下ろした。新羅の痛烈な言葉が蘇る。

『――てめえが守り切れなかったせいで姫は殺された。そう思ってるてめえには、アイツの生まれ変わりと向き合う覚悟も勇気もねえワケだしな』

『――どうして私を……春を置いていなくなってしまわれたのですか? 雅様……』

 続けざまにその言葉も蘇った。断ち切るように、雅は目を瞑った。

「みやび、さん……?」

 みのりの声に、そっと雅は瞼を開けた。目に見えるその姿は、遠い昔に守り切ることが出来なかった想い人と瓜二つ。その笑い声も、匂いも、温もりさえ同じで、千年間忘れることが出来ずに、こうして再び邂逅した彼女はあの時の姫か――。

「……君は僕を、恨んでいるの?」

「へ……?」

 雅は目を伏せた。みのりがぐっと拳を握ったのが見えた。

「そんなわけないじゃないですかっ! どうして私が雅さんを恨むんですか? 私は雅さんのことがっ――」

 その言葉の続きを聞く前に、雅はみのりから〝キモチ〟を抜き取った。そうして、再び眠りに落ちたみのりの寝顔を見下ろした。

「ごめんね、みのりちゃん。僕には、君と向き合う覚悟も勇気もないんだ……」

 みのりの目から、溢れた涙が一筋こぼれ落ちた。

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