第24話 アモーレ


 定休日、すっかり風邪も治り、みのりは朝から出かけた。主のいない部屋には住宅情報誌が置いてあり、それを雅が手に取る。決断した覚悟の時が今夜であると、みのりを模った人形に触れながら、己に言い聞かせた。


 慶と倖が、パソコンの前で、あれやこれやと悩んでいる。節税対策用の経費の支出の為、ネット通販にて、店に飾るインテリアを注文している最中であった。

 

 溌もまた大きな買い物を済ませると、近所の花屋へと向かった。そこでいつも通り、店に飾る花を買い、ココと談笑する。お揃いのハートのネックレスが、今日もマフラーの下で温もりを感じていた。


 みのりはいつも通り、新羅の屋敷の離れでドレス作りに情熱を注いでいた。新羅と契約を交わしてひと月余り、休みの日に少しずつ作業を重ね、ようやく一着目の完成が目前まで迫っていた。作業中、雇い主である新羅がこの離れを訪ねてくることは少なかったが、主従関係において、身の危険を感じることはまだなかった。

 

 お昼時となり、みのりは持参した弁当を広げた。障子を開けたそこには見事な日本庭園が広がっており、澄んだ空気の冬晴れとのコントラストに、思わず息を呑む。それはどことなく懐かしく、それでいて、遠い昔に出逢った、物憂げで儚い感情を思い起こさせるものだった。その時、離れの扉が開く音がした。思わず肩が跳ね、緊張する。案の定、スーツ姿の新羅が入ってきた。マネキンに着せたワインレッドのドレスを見て、険阻な表情で言う。


「……大分進んだじゃねえか。これが完成すれば、早速店に置いてやる」

「ありがとう、ございます……」

「だがペースが遅い。少しずつでも構わないとは言ったが、お前も夢を叶えたいのであれば、もっと頻繁にここに来い。俺が言っている意味、分かるな?」

「へ?」


 突然新羅に押し倒され、手首を掴まれた。見上げる金瞳が、無表情に見つめる。


「アイツらの家から出て行くつもりなんだろう? お前が火事に遭ってから三ヶ月、そろそろ潮時の頃だろう。現に、お前が新居を探しているという情報もあるからな。……アイツらと、いや、長男坊と共に暮らすのも、限界なんだろう?」

 的を射た言葉に、みのりがぐっと顔を反らす。

「安月給から家賃や生活費を差し引けば、お前の手元に残る金など、ごく僅かだろう? どうせまたチンケなボロアパートに住むつもりなら、この場所で夢と共に生きた方が、お前にとっての幸せになると思うがな」

「……私は、これ以上、周囲の人達からの厚意に甘える訳にはいかないんです。こんな風に優しくされたことなんて、一度もなかったから……。これ以上雅さんに優しくされると、勘違いしてしまいそうで……」

 ぎゅっと手首を握る新羅の力が強くなった。

「んっ……しん、ら、さん……?」

「ここでは新羅様と呼べと言っただろう?」

 

 ぐっと喉の奥が鳴った。見下ろす金瞳が近づき、耳元で重低音の声が囁く。


「ここでは俺がお前の主だ。主の命令は絶対で、お前に拒否権はないと言っただろう? ほら、俺の名を呼んでみろ?」

 ぎゅっと噛み締める唇が震える。


「……しんら、さま……」


 目の奥が突き上がるような感覚がした。自分で言わせておいて、目が覚めるような破壊力に、思わず耐えるような声が漏れる。


「あの、新羅さま……?」

「も、もう良いっ……むやみやたらにその名を呼ぶなっ……」

「ほえ?」

 新羅は起き上がると、手の甲で隠した顔をドレスに向けた。大きく息を吸い、自身を落ち着かせる。

「くそっ、この色のせいで調子が狂うっ……。おい、次のドレスは黒にしろ」

「え? ですがあのお店は薄暗いので、黒だとぼやけちゃうんじゃ……」

「だったらピンクにしろ。……桃色は好きじゃねえが、お前が作るドレスなら、見てみたい」

「ほえ? 新羅さま?」

「だからそんな風にカワ……ウウン、小動物の顔で呼ぶなと言っているだろうが。……もう良い、俺は仕事に戻る」

 背を向けた新羅が、改まった声で言った。


「……アイツらの家を出ていくつもりなら、一層のこと、ここに住め。没落した姫から家賃を搾取する程、俺は極悪人じゃねえよ。……今も昔も、正義の名の下に、俺達はアイツらと戦っているからな」


「あの……!」

 立ち上がったみのりが、胸に手を寄せ、新羅を見上げた。

「教えてください。貴方が言う姫と、雅さんの宝物だったお姫様は、同じ人物ですか?」

 顔だけ向けると、今にも泣き出しそうなみのりの表情がそこにはあった。

「フンっ……」と新羅が笑う。

「全てを知る覚悟が出来た時に、教えてやるよ」

 そう言い去った新羅に、「覚悟……」と胸に寄せた手を、ぎゅっと握り締めた。

 

 離れからの帰り、みのりは以前火事の際にフラフラと辿り着いた吉岡公園に向かった。昼過ぎ、近所の子供達が遊具で遊ぶ中、みのりは一人公園のベンチに座った。あの夜、ブランコに乗って項垂れていたところに、きつく雅に手を握られた。あの時の雅の表情と熱を思い出すと、心がぎゅっと締め付けられた。しかし、何か大切な気持ちを忘れているようで、あの時同様、表情が沈んでいく。みのりは冬晴れのツンとした青空を見上げると、どうしようもないもどかしさで、小さく吐息を漏らした。ふと、真横に人気を感じた。見ると、いつの間にか一人の男がみのりの隣に座っていた。

 あれ、いつの間に? と男の存在に戸惑っていると、向こうから話しかけられた。


「こんにちは」

 

 思わず驚いて、「こっ、こんにちはっ……」と声が上擦った。

「お一人ですか?」


「は、はい」


「いい天気ですね」


「そう、ですね……」


「向こうはずっと雨でね、気が滅入るというか、鬱陶しいというか、とにかく、今日はリフレッシュしようと思って、こっちの方に来たんですよ」


「そ、そうなんですね」


「でも、やっぱりこっちはいいなぁ。空も晴れているし、ちゃんと季節の移り変わりもある。想像出来ます? 向こうはね、真っ暗闇なんですよ。ほんと、何にもないというか、虚空というか、つまらんというか。だからね、交代しようって持ちかけたんですよ、ある男に。つまりは、私とその男の人生を取り替えようって。そう約束したんですよ、ずっとずっと昔にね。その為には、〝9〟という数字が必要だったんです。〝9〟人の男が〝9〟度人生を繰り返すことで、ようやくその時を迎えることが出来るんです。黄泉の世界で〝9〟という数字が、どういう意味を表すかご存知ですか? 〝9〟という数字にはね、〝再び〟という意味があるんですよ。そう、再び。1から9を廻り、そしてまた1に戻る。1に戻れば、私とその男との人生が入れ替わるということです。……でもね、その男は、私になることを強くは望んでいないようなんですよ。私という存在がどれ程のものか分かっているくせに、ここにきて、それを渋っているようなんですよね。まったく、悪者にも困ったもんですよ。ああ、困ったと言えば、正義の味方にも困ったもんです。彼らはその〝9〟を、まったく理解していないんですよね。〝9イコール終わり〟だと思い込んでいるようで、なかなか行動に移そうとはしない。ていうかむしろ、楽しんでる? みたいな感じですかね。こんな平和な時代だからかなぁ? 悪者も正義の味方も変に馴れ合っちゃって。彼らが望む大団円など、ありゃしないと言うのにね。でもまあ、いいんですよ。いずれ両者は『宝物』を巡って、〝9〟度目の人生を終えるんですから。そしたら、ようやく私はあの男になれる。あの男にとって私は、疫病神のようなもんでしょうね。可哀想に。でも、気に入ったから仕方ないんですよ。私も真っ暗闇な世界から、太陽の輝く美しい世界で人生を謳歌したい、そう願ってしまったんですから」


 変な人に捉まってしまった――。みのりはぎゅっと目を瞑った。だが不思議なことに、再び瞼を開けた時にはその男の姿はなく、その男がどんな姿だったのか、そしてどんな話をしていたのかさえも、みのりの記憶から綺麗さっぱりなくなっていた。

 

 みのりが帰路に着いた。そのずっと後方――。


「君が彼らの〝9〟度目の人生を終わらせるんだよ、のりピー」

 

 黒く笑う男の顔が、一瞬で溌に変わった。


 夕飯が済み、みのりはクリスマスの飾り付けの為に、『ほおづキッチン!』のホールに一人でいた。気分を高める為に、Ⅴ線放送でクリスマスソングを流している。俄かにそれが止まった。


「あれ?」

「ごめんね、みのりちゃん。大事な話があるんだ」


 そう言ってキッチンから出てきた兄弟に、みのりはポケットから自分を模った人形を取り出した。ぎゅっとそれを握り締め、テーブル席に着いた。

 

 正面に雅と慶が座り、溌と倖がホールで視線を外して立っている。


「あのね、みのりちゃん。ずっと君に言えなかったことがあるんだ。正直、言って良いものなのかとも悩んだけど、兄弟皆で出した決断だから、今日君に話すね」


 大きく息を吸う雅の胸に、覚悟という言葉が圧し掛かる。


「僕達はね、人間じゃないんだ。僕達はね、君達人間から見たら、怖くて恐ろしい、鬼なんだよ」

「鬼……やっぱり、そうだったんですね……」

「みのり?」

「知ってたのか?」

 溌の言葉に、みのりは、ゆっくりと頷いた。

「俺が自分のことを鬼だって言ったの、やっぱり聞こえてたんだな……」

「多分、聞いちゃっていたと思います。その記憶は火事で飛んじゃったんですが、それが夢になって現れましたから。夢でも、雅さんがご自分達のことを、怖くて恐ろしい鬼だと仰っていたので……」  

「現実にそうなって、驚かないの?」

「びっくりはしますけど、怖くて恐ろしいなんて思いません。雅さんも慶さんも溌さんも倖くんも、皆さん私の大事な家族なので」


 みのりの笑顔に、弟達はそっと安堵の色を見せた。ただ兄だけは、浮かない表情で目を伏せている。


「……家族だと思っていてくれるなら、ここから出て行こうとするのはどうして?」

 そう言って、雅がみのりの部屋に置いてあった、住宅情報誌をテーブルに置いた。

「みのり……ずっとこの家にいてくれて構わないんだぞ。寧ろ、どこにも行かないでくれ、みのり」

「またボロアパートに住むつもりなら、オーナーとして、それは許さねーよ。ちゃんとした所に住んでもらわねーと、オメーに何かあった時に、責任が取れねーからな」

 握り締めていた人形を、みのりがぎゅうっと掴む。

「お気持ちはすごくありがたいんですが、いつまでも甘えている訳にはいかないので……。色々な気持ちがここにはあって、一度踏ん切りをつける為にも、ちゃんと自分の力で生きていきたいんです」

「お、おれはオマエがそうしたいなら、止めねえよ……。けど、せっかくこうしてまた巡り逢えたのに、オマエが離れていくのは、寂しい……」

「倖くん……」

「君は僕達にとって、かけがえのないお姫様なんだ。この間は誤魔化したけど……。千年前、君に良く似た姫がいた。その姫は父親に見限られ、鬼に人身御供として献上されたんだ。彼女は人間で、僕達は鬼。長きに渡って繰り返されてきた鬼と人間の抗争の中じゃ、互いに憎悪の対象でしかなかったのに、出逢った僕達は、幸福の中にいた。だけど、時同じくして、桃太郎一家と名乗る人間達が、鬼の里を襲撃した。彼らは鬼と懇意になった姫を奪い去り、僕達頬月の鬼を退治した……」

 

 雅の回想に、溌がその時の場面を思い返す。桃太郎に敗れ、二人の兄と弟を失った溌の前に現れた、漆黒の男――。彼こそが鬼と桃太郎一家の因縁を作り出した、冥府の王だった。その冥府の王との取り決めで、ようやく九度目の人生を迎えた。この人生で、どうしても溌がしなければならないこと。それは、〝厄落とし〟――。


「僕達は千年前に桃太郎一家に敗れ、死んでしまった。結局姫も、僕が守り切れなかったばかりに、亡くなってしまったんだ。それからいくつもの時代をこうして兄弟として生まれ、その度に鬼に覚醒し、同じ時代に生まれ落ちた桃太郎一家と、『宝物』を賭けて死闘を繰り返してきた。そうして今代でも僕達は、誕生日であり、いくつもの時代の命日でもある、八月二十六日を『邂逅』の日として、死闘の始まりを迎えたんだ。今代の『宝物』はこの店で、彼らは僕達から『宝物』を奪おうと、これからも策を練ってくる。僕達はね、千年前に『宝物』だった姫を奪われてからずっと、彼らには勝てていないんだ。いくつもの時代に、いくつもの『宝物』があったのに、それを無事に守りきれたことがない。だけど今代こそ、この因縁を断ち切らないといけないんだ。何故なら君がいるからっ……。千年の時を超えて、ようやく君と……春の魂を受け継ぐ君と巡り逢えた……。それは彼らとて一緒。彼らも君を春の生まれ変わりだと信じて、君をまた僕達から奪い去ろうとしてくる。新羅は桃太郎で、清従くんがイヌ、平子くんがサル、銅源くんがキジ、そして棗くん……彼は人々から忘れ去られた四番目のお供、ヒツジ。彼らから君を守る為にも、僕達は君を手放したくないんだ。だから……」

 

 雅が口籠った。人知れず吐息を漏らした慶が、俄かに鬼の姿になった。首筋の刺青に、二本の角と真紅の瞳、鋭い爪に、思わずみのりの呼吸が止まった。

「はあ。ったく、ホントは晒したくねーんだがな」

 そう言って溌も鬼の姿となり、「俺も……」と倖が一本角の鬼の姿を晒した。三人が鬼の姿でみのりと向き合った。

「やっぱり、怖いよね……」

 はっとして、みのりが首を振った。

「怖いなんて思いません! その、とても綺麗で……」

 ぎゅっと胸が締め付けられた。痛い程心臓が跳ね、いつかの昔に出逢ったであろう彼らに、自然と涙が溢れてくる。

「わ、たし……自分がその春姫様の魂を受け継いでいるのかなんて分からなくて……でも、こうして皆さんと出逢って、本当の姿を見せて下さったことが、とても嬉しくてっ……。私ばかり皆さんに優しくされて、それなのに何も返せなくてっ……いつまでも皆さんのご厚意に甘える訳にはいかないって、頭では分かっているのに……本当はこれからもずっと一緒にいたいって、思っているんです……」

 鼻を啜るみのりの頬に涙が流れた。

「一緒にいたいのも、自立しなきゃって思うのも、色々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、良く分からないんですっ……けど、ここにある気持ちは忘れたくなくてっ……」

「忘れなくて良いと思うぞ、みのり。その気持ちは、ずっと昔からお前の心にある〝キモチ〟だからな」

「へ……?」

 みのりは掌の人形に目を落とした。ピンク色に染まる頬は、それを作っていた時の〝キモチ〟を表している。

「あ……」


「それじゃあ、後は二人で話してくれ、兄さん」

 そう言って、人間の姿に戻った慶が席を立った。

「今度こそちゃんと向き合えよ、ミーボー」

「俺だってホントは、もっとみのりと話してえんだからなっ、雅兄……!」

 溌と倖もまた人間の姿に戻り、店から出て行った。二人きりとなり、みのりは徐々に思い出していく〝キモチ〟に、人形を胸に押し当てた。雅が席を立ち、みのりの隣に座った。


「……初めて君がこのお店に来てくれた時、君はパンケーキを頼んで、僕が君の席まで運んだの、覚えてる?」

 再び涙が溢れ、詰まる胸を握り、みのりは頷いた。

「あの時、君は辛そうな顔をしていて、どうしても君に元気になってもらいたかったんだ。だからね、出来る限り愛情を込めてっ……君が笑顔になれるようにって、そう願いを込めて作ったんだよっ……」


 みのりの頬に触れる雅もまた、涙を流している。みのりから奪い取った〝キモチ〟の依り代が、彼女を模った人形であった。そこから溢れ出す〝キモチ〟が、みのりの胸へと戻っていく。


「……やっと、思い出せました。この気持ちが何だったのか……。あの時、雅さんが優しく笑いかけて下さって、雅さんが作って下さったパンケーキを食べたら、心が温かくなってっ……そしたら大好きって気持ちが溢れてきてっ……。この人とずっと一緒にいられたらって、おもってっ……」

「僕もそうだよ……僕も君が大好きで、春と同じように、君を愛してるっ……」

「雅さんっ……わたしも、雅さんを愛してますっ……」

 泣きながら微笑むみのりに、雅が自分を模った、優しい表情の人形をポケットから取り出した。涙を拭って、みのりが持つ人形の下に進んでいく。


「やあ、みのりちゃん。ぼくがずっときみをまもるから、これからさきも、ずっとぼくのそばにいてくれないかな?」


 人形を使って自分の気持ちを伝える雅に、みのりも涙を拭い、応える。


「みのりも、みやびさんを……けいさんも、はつさんも、ゆきくんもまもります。まもられるだけのおひめさまじゃイヤだから……ずっとみやびさんのそばで、みやびさんのたいせつな『たからもの』を、いっしょにまもっていきたいです」

「みのりちゃん……!」

 抱き締める体から、みのりの温もりを感じる。


「ずっとお傍に置いて下さい、雅さん」


 春姫の匂いに混ざって、みのりの匂いを胸いっぱいに吸い込む。体を離した雅が、鬼の姿でみのりを見た。


「こんな僕だけど、いーい?」


 うんうん、と再び涙が溢れる中、「もちろんです!」とみのりが笑って想いを返した。


 クリスマス・スペシャルデーとして、恒例のワンコイン(全商品、何を食べても百円)という破格のカフェ、『ほおづキッチン!』には、連日客がこぞって来店する。再び生放送で雅がゲリラ告知した為、ほとんど儲けはなく、むしろマイナス利益でも、五人は仲良く(溌は胃がキリキリする中)、仕事をしている。


 閉店後にネット通販から注文していたインテリアの数々が届いた。


「とうとう届いたぞ、慶兄!」

「おお! 早速開けてみよう!」

「つーか、でかくねーか? 一体ナニ注文したんだよ?」

 疑いの目を向ける溌の横で、「インテリアかぁ。オシャレなのが良いよね」と雅が笑う。

「お二人が選んだ物なら間違いないですよ」

 みのりも笑って、巨大な段ボールに入った商品に、胸をときめかせた。

「ええー、まず一品目は、キャンドルセットだ!」

 倖が高々とキャンドルセットを掲げた。

「ま、まあ、クリスマスだしな。セーフとしよう」

「じゃあ、次は私な。オシャレなカフェと言えば、やはりコレだろう、ミニサボテン!」

「サボテンンン? いらねーだろ!」 

「えー? 僕は良いと思うけどなー。サボテンなんてカワイイじゃない。何か癒されるし」

「そうだろう? 流石は兄さんだ。この小さなサボテン達の愛らしさを、良く理解しているな」

「サボテン、たち……?」

 溌が眉を顰めた。

「ああ。一個や二個じゃ寂しいから、百個買った」

「だあああああ? オメー、ナニDVDと同じ過ち犯してやがんだ、バカヤローが! こんなモン、百個もいらねーだろ!」

「ま、まあ、溌さん。お店に飾れない分は、お家に飾りましょう! 私もサボテン、可愛くて好きですから……!」

 みのりの説得により、どうにか溌が落ち着く。

「じゃあ、次なー。やっぱりシャレオツなカフェにはコレが必要だと思うんだよ。じゃーん、豪華なシャンデリア~!」

「豪華すぎるだろっ! カフェだぞ! 高級レストランじゃねーんだよ! こんなモン、吊り下げられる程の耐久ねーだろ! もっと考えて買え、バカ兄弟!」

「よし、次は私だな」

「オイ、ナニがよしだ? 何もよくねーわ!」

「じゃーん、レトロな地球儀~!」

「急降下! シャンデリアからの急降下!」

「よっしゃー! 最後は目ン玉飛び出るぞ、溌兄!」

「これ以上度肝抜かせやがったら、ぶっ殺すぞ、オメーら」

 最後のインテリア商品は、慶と倖の二人で外に出す。


「ジャジャーン、アフリカバイソンの剥製~!」


「……ぶっ殺す」

 首から頭まで、全長一メートル程のアフリカバイソンのつぶらな瞳が、ブチギレたオーナー兼経理の三男の粛正を見守った。


 一通り溌が怒りを発散させたところで、もう一つの買い物が届いた。自宅の駐車場に自動車が納車された。


「ま、まじかよ、溌兄!」

 頭に大きなタンコブを作った倖が、ピカピカの白ワゴン車の周りではしゃいだ。

「ちぇー、ベンツじゃないんだー」

「ベンツなんぞ買えるか、ボケェ」

「これも節税対策で買ったのか?」

 倖と同じく、頭にタンコブを作った慶が訊ねた。

「いや、こいつはそういうんじゃねーよ。のりピーが熱出した時、わざわざタクシー呼んで病院まで行っただろ? 緊急時にすぐ動けねーのはイヤだからな。それに、車がありゃー、家族で遠出も出来るだろ?」

「とか言って、ココちゃんとドライブデートしたいだけでしょ? 溌」

「なっ! そんなんじゃねーし!」

「分かりやすいな、溌兄……。けど、こんな新車買う金、どこにあったんだ?」

「新車じゃねーよ。車屋に言って、ネットで中古のファミリーカー競り落としてもらったんだ。金は、ハロウィーンの時の賞金な。わりーな、のりピー。オメーが貰った金なのに、こんなコトに使っちまって」

「いえいえ。私も早く皆さんとこの車でお出かけしたいです!」

「それじゃー、僕も免許取ろうかな? みのりちゃんと二人っきりでデートしたいし」

 にっこりと笑う雅に、みのりが頬を染める。きゅうっと胸が締め付けられた。

「はいはい、イチャつくんなら、自分達の部屋でしてくれよ?」

「そうしよっかー、みのりちゃん」

 ううっと恥ずかしがるみのりの頬に、冷たい感触が降ってきた。

「雪……?」

「うわぁ、初雪だね。綺麗だなぁ」

 兄弟と共に、みのりが夜空を見上げる。白い吐息が雪の間を昇っていく。

「クリスマスに年末、これからもっと忙しくなるだろうけど、僕達の『宝物』は、誰にも奪わせやしない。勿論みのりちゃんも、そして、君達の大切なお姫サマ達もね」

「俺らの大切なお姫サマ……って、ダレのコトだよ?」

「あれ~? 倖には百合亜ちゃんがいるじゃない。あの腐女子のお嬢サマ。彼女も真っ直ぐで可愛らしい子だよね」

「お、おれはそんな風には見てねえから!」

「そんなこと言って倖、満更でもないんだろう? 彼女が描く同人誌は、ネットでも人気らしいからな。来年のコミケに出店するのなら私も手伝うが、どうだろう?」

「どうだろうって、俺に聞くなよ! つーか、アイツが描く同人誌は俺らのだからな! 俺らがその……絡んで……その……」

「何だよ、ゆきんこ。ちゃっかり、ゆりっぺの作品読んでるんじゃねーか」

「ち、ちげーし! アイツが勝手に持ってくるってだけで、か、感想、聞かれるからっ……」

 真っ赤になって俯く倖に、四人は顔を見合わせた。それから声を出して笑うと、「やっぱり優しいね、倖くん!」とみのりがその気遣いを称えた。


 金曜日、『プレミアム・クッキング』と銘打った料理教室が開催された。今回も予約が殺到し、抽選で選ばれた五名/五名が、キッチンの奥でドルチェとディッシュを二人から習う。前半のドルチェ教室では、相変わらず優しい雅に見惚れる生徒が多く、その体に触れる機会があれば、手当たり次第に触れてくる。そんな様子を横から見るみのりが、少しだけ俯いた。

「相変わらず兄さんは不用心だな。いくら仕事とはいえ、恋人の手前、もう少し気を遣えば良いものを……。すまないな、みのり。私からもちゃんと注意しておくからな」

「い、いえ……! そういう雅さんも大好きですからっ……」

 胸に手を寄せて、複雑であるもみのりは微笑んだ。

「そうか、妬けるな……。だが兄さんのことだ。所構わずみのりに甘えてくるんじゃないか? 無理強いするようだったら、きっぱり断るのも大事だぞ?」

「あ……いえ、無理強いなんて……まだ、ハグ以上のことは何も……」

「えっ? 兄さんだぞ? あのオープンエロの兄さんが、まだハグ以上のことをしてこないのか? 信じられん。イタリア中の女性から、『愛人にしたい東洋人』第一位に選ばれたあの兄さんが?」

「へえっ? 愛人……?」

「ああいや、実際に誰のアモーレにもなっていないから安心してくれ。だが兄さんがな。意外と本命には奥手なのか……?」

 慶が首を傾げる様子に、みのりは恋人である雅に目を向けた。女性に囲まれて笑う雅に、心が軋む。

 

 慶のディッシュ教室には、今回も虎エプロン姿の華姫が参加した。慶の包丁さばきに黄色い悲鳴を上げる生徒達に、包丁を持つ華姫が、カブを真っ二つに切った。

「ハナさんんん!」

 華姫の危険な包丁使いに、咄嗟に慶がその手首を握った。

「なっ! 妾に触れるでないわっ、慶翔!」

「なんでっ?」

 グーパンチされ、クエスチョンが飛びまくる。思わず顔を反らした華姫が、頬を赤く染めた。

 

 ホールでは新作を持ってきた百合亜が、倖の前で無邪気に同人誌を掲げる。そのタイトルは、『世界が血に染まりし頃』――。

「今回はグロ要素を含んでみましたわ!」

「グロ……?」

 

 期待に目を輝かせる百合亜に、嫌々ながらも倖が同人誌を開く。――三人の兄に愛され、嫉妬され、最後は狂気に満ちた世界で四散する倖――。


「俺、内臓飛び出てンじゃねえか!」

「ええ、グロ作品ですから! 言わずもがな、R指定ですわ!」

「高校生が描くには闇が深えっ!」

 

 そんな弟達の様子に、眼鏡姿の溌が呆れた吐息を漏らした。客が注文したロイヤルミルクティーを席まで運ぶ。

「どうぞ、ロイヤルミルクティーです。お熱いので、気を付けて飲まれて下さいね」

 作り物なんかではない、自然の笑顔が客――ココに向けられた。

「うわぁ! 今日は眼鏡なんですね、溌くん!」

「え、ええ。前に好きだって言ってたから……」

「え?」

「ああいや……! ゆっくり過ごされて下さいね、ココさん」

 

 傍目から見れば、まだ出逢ったばかりの初々しい男女。しかし、彼らの出逢いが二度目だということは、男しか知らない。それでも、男はまた女を愛し、女もまた、過去に男に愛された記憶の断片に、忘れ去った愛情を募らせていく。


「いや急に純文学!」

 

 閉店後、キッチンの掃除をしていた雅の制服を、みのりが掴んだ。

「んー? どうしたのかな? 僕のお姫さま!」

 振り返った雅の目に、ぎゅっと口を噤むみのりが映る。

「みのりちゃん?」

 顔を上げたみのりの頬が赤く染まっていた。涙目で、ぎゅっと制服を掴んだみのりが、はち切れんばかりの声で言った。


「……あんまり、生徒さん達と、仲良くしちゃイヤです……。雅さんは、みのりの、雅さん、だから……」


「みのりちゃん……」

 

 平静を装うつもりが、ぐっとくる言葉に、雅は思わず紅潮する頬を隠した。

「すみません……ヤキモチなんて、焼いてしまって……」

 そう言って俯いたみのりを、雅が抱き寄せた。


「ほ、ほえっ? 雅さん?」


「大好きだよ、僕のアモーレ。キスしたら止まらなくなっちゃうけど、それでもいーい?」


 深紅色の瞳が情熱的にみのりを見つめる。あの夢と同じように、雅の牙がみのりを欲している。ゾクゾクと背中を這う感覚に襲われるも、みのりは自分から雅に唇を寄せた。


「私も大好きです、アモーレ。これから先、どんなことがあっても、私は貴方だけのアモーレです」

 

 その言葉に、堰き止めていた雅の気持ちが溢れ出た。何度も唇を重ねる二人を、彼らを模った人形が、キッチンの棚から仲良く見守っていた

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