第22話 乙木町大運動会 後編
各チーム、持参した弁当を広げ、昼食タイムに入る。
みのりが朝早く起きて作った弁当を食べるチーム『HK!』の隣では、新羅が呼び寄せた和食、中華、フレンチといった各界の著名な料理人が、腕を振るってチーム『P.MEN』の昼食を手掛けている。
「いや、地域運動会だぞ!」
テーブルを広げ、優雅にランチを楽しむ新羅以下チーム『P.MEN』に、反感しかない溌が声を張ってツッコんだ。美味しそうな匂いに誘われてやってきた子供達に、棗が「ジャンジャン食っちゃってー!」とステーキや寿司の乗った皿を渡していく。
「豪華な炊き出しかよ……」
そこに、何故かボロボロの清従が『借り物競争』から帰って来た。
「なんだよ~、ドコほっつき歩いてたワケ~? とっくにランチなんだけど~?」
「ふざけるな! こっちはずっと借り物探してたわ!」
「はあ? 地味ワンコ、てめー出てたのかよ~?」
「出てたわ! それでもってずっと戦ってたわ!」
そう言って、清従が『借り物競争』のお題が書かれた紙を取り出した。
「……ほう、エリマキトカゲとは大分昔の流行物じゃのう」
「それで、そいつはいたのか?」
「はい。飼育小屋にて飼われていたのを、どうにか捕まえて……」
そう言って、一家が実行委員が暴れるエリマキトカゲを飼育小屋へと返しに行く様を見る。
「難儀なことだな……」
ランチを終えた新羅が席を立った。
「大将? どちらへ……?」
「敵情視察だ。今度は俺様がアイツらの実態を調べてやる」
そう言って、新羅はすぐ隣で弁当を広げるチーム『HK!』の下へと向かった。
「大将! 私も共に参りますっ……!」
清従が新羅の後を追っていった。
「よお、姫。この弁当はお前が作ったモンか?」
「新羅さん。は、はい。私が朝作りました……」
新羅は何も言わず、ただみのりが握ったおにぎりを食べた。
「なっ……、いくら姫様が握られたとは言え、大将が他人が握った握り飯を召し上がるとはっ……」
「君にはまたとないご馳走だろう? 新羅」
完食した新羅に、腹に一物据える雅が言った。
「……フン、てめえが思っているより飢えてねえよ。……悪くはない。今度は俺だけの為に作れ。良いな、姫」
親指で唇に触れられ、色っぽい表情を浮かべる新羅に、みのりはばっと下を向いた。新羅の離れでキスされそうになった場面を思い出し、紅潮する頬を手で隠した。
「なっ! おい新羅っ、私のみのりに触れるな!」
「フン、次男坊、てめえじゃ土俵にすら上がれねえよ。てめえは大人しくじゃじゃ馬姫にでも翻弄されてろ」
本部席へと戻る新羅が、慶の隣に視線を向けた。そこには扇子で口元を隠す華姫が座っていた。
「ひいさま! いつの間に?」
「ふむ、俗世ではまた奇怪な祭をしておるのう? 何じゃ、斯様に集まって、人間らは雨乞いでもしようという腹か?」
「ハナさん?」
何度か慶のディッシュ教室で目にする華姫を、みのりは桁外れのお嬢様だと思い込んでいる。
「ふむ……。そなた、かつてよりも大分気持ちが戻って来とるようじゃのう。そなたのそれを奪い取った何処かの鬼畜の心が、揺れ動いておる証拠じゃ」
そう言って、華姫は素知らぬ顔を浮かべる雅に目を向けた。
「へ? 心ですか……?」
「ウウン! それよりも! 私も今日の為にちょっとしたおかずを作ってきたぞ! 皆には内緒で、少しだけ豪華にヒレカツサンドを作ってきたんだ」
「マジかよ、慶兄! やるじゃねえか!」
「ちょっと待てコラ。そのヒレ肉、客に出す分だったとかじゃねーだろーなー?」
「いや、流石に店で出す分の食材を使ったりはしない。しないが……悪い、溌。今月の食費、後五千円しか残ってない」
「あああああ? オメー、ナニ今月分の食費で贅沢なモン作ってやがんだ! まだ月半ばだぞ! のりピーが弁当作っただけで満足だろーが! なのにナニを見栄張ってクソ高ぇヒレ肉なんぞ買ってやがんだよっ!」
「いやー、運動会なんて久し振り過ぎて、少々テンションが上がってしまったんだ。すまない。今月分はどうにかしてやりくりするから許してくれ」
「ほえええ。慶さんが作ったヒレカツサンド、とっても美味しそうです!」
「そうか! みのりが喜んでくれたなら、作った甲斐があったな」
「どれ、妾も賞味してくれるわ。食わせよ、慶翔」
「は……?」
隣で口を開ける華姫に、慶は困惑した。
「どうした? 早う妾にさんどなるものを食わせるのじゃ!」
「えっと……私がか?」
「そなたも厨番ならば、己が作ったものを他者が如何様な表情で食すのか興味があろう?」
「厨番て……今の時代では料理人と言うんだぞ。それとこれとは違う気がするが……仕方がない。はい、ひいさま。アーンしてくれ」
「あーん」
華姫の口に向かっていたヒレカツサンドが、パクリと平子に横取りされた。
「なんじゃとっ! 汚らわしいサルめっ、またしても貴様かっ……!」
「フンフーン、相変わらずじゃじゃ馬姫じゃん~? そんなんじゃコイツの心はトキメかないぜ~?」
「何じゃと? 貴様、人間の分際でっ……」
「止めてくれ、二人とも! 無益に争うな!」
「そなたは黙っておれ、慶翔! 此奴とは決着を付けねばならぬのじゃ!」
「決着なんてとうの昔に付いてんだろ~?」
「何をほざいておるのじゃ、汚らわしいサルめっ! 慶翔は妾の狗じゃ! 妾こそ此奴の主に相応しい! そなたは野ザルよろしくバカ犬とでも山で駆け回っておれ!」
「カッチーン! ……あ~そう、んじゃーその野ザルが、アンタの木偶狗の絶対主人になってやるよ~。おいヘタレ次男坊、さっき交わした約束、テメーにとって一番屈辱的なモンにしてやるからな。今代こそ、テメーのすべてを奪ってやる……!」
決意を固めた表情で、平子が立ち上がった。
「いやっ、痛いのとか苦しいのとかは極力やめて欲しいんだがっ……」
あたふたする慶に、「フン」と平子が鼻であしらう。
「せーぜい、今の内にじゃじゃ馬姫と戯れてれば~?」
いつもの調子で歩き始めた平子の言葉に、慶は胸騒ぎがして堪らない。自分の陣地へと戻る平子が、重たい表情で呟いた。
「テメーを殺して良いのは、オレだけだ」
みのりと慶が作った弁当を平らげ、溌と倖は校舎裏の中庭へと向かった。
「小学校なんて懐かしいぜ。俺らが通ってた学校も、確かこんな造りだったよな」
「不登校気味だったオメーがナニ懐かしがってやがんだよ。そー言うのはなぁ、順風満帆な学生ライフを送ってきた奴のセリフなんだよ」
呆れる溌の目に、中庭の隅に設けられた喫煙所で煙草を吹かす、白タオルで頭を包んだ中年男が映った。
「……ん? アレ? アイツまさか……」
「なんだよ? また知ってる奴でもいたのか?」
立ち止まった二人に向かって、煙草を吸い終えた中年男が歩いてきた。
「はっ! やっぱりか……!」
すれ違い様、溌が反射的に下を向いた。その挙動不審な態度に、「ん?」と中年男が立ち止まる。
「オメーまさか……」
話し掛けられ、ビクンと溌の肩が跳ねた。顔を覗いた男が、「やっぱりそうか!」と笑った。
(いやっ! 記憶は全員消したはずだぞ! 覚えてるなんてありえねーし!)
「オメー、オレが受け持った生徒の内の一人だろ? いや、わりーな! 生徒の方は覚えててくれても、教師のオレは何百人って生徒を見てきたから、ぶっちゃけ覚えてねーんだわ。わりーな、名前聞いたら思い出すかもしれねー。教えてくれねーか?」
「い、いえ……ボクは貴方の生徒じゃ――」
「おお! 懐かしいな! オメーも来てたのか!」
急に男の視線が溌達の後ろに向けられた。
「きゃー! センセイだー! お久しぶりですっ!」
「相変わらず愛嬌たっぷりな奴だなー、如月ー」
「えっ……」
溌の後ろに立つ女性――如月ココに、教師の男が歩いていく。
「はつにぃ……」
事情を知る倖が溌のジャージを掴んだ。俯く溌が、ぐっと唇を噛み締めた。
「おお、そうだ! なー如月、コイツのコト知ってるかぁ?」
「うわっと……!」
教師の男に首根っこを掴まれ、強引にココの前に晒された。
「ぎゃあああ!」
急な対面に、溌の顔が真っ赤になる。
「溌兄っ」
「この人はー……」
「あ、いや、オレは……!」
「知ってますよ! 『ほおづキッチン!』の店員さんです! この間は大切なネックレスを届けて下さってありがとうございました」
「あ……いえ……」と、溌が思わず泣きそうになるのを必死に堪える。
「なんだ、オメーと同級生じゃねーのか。つーコトは、もっと下の世代かぁ。オメーチビだもんなぁ」
「ぶっ殺すぞ、不良教師!」
「ほう、オレが不良教師だと知ってるってコトは、やっぱりオメー、オレの生徒だった奴だな! おい、どこの卒業生だ? さっさと答えやがれ」
「うっ……だからボクは貴方の生徒じゃないって言ってるじゃないですか」
「んじゃー、ほうずきんとか言う店に行って、いつまでも居座るぞ?」
「麹菌みたいに言うんじゃねーわ! あと居座るな! 超絶迷惑だわ!」
「センセイ、『ほおづキッチン!』ですよ? 一年くらい前に出来たカフェで、イケメンの四人兄弟がされているお店なんです。この方は溌さんで、三男さんですよ?」
「なんでそんなことっ……」
「あの後、なんだか無性にあなたのことが気になってしまって……ネットで調べたら、ご兄弟のことが写真付きで色々と書かれていたので……」
恥ずかしがるココに、溌の胸が締め付けられる。彼女が首から下げたハートのネックレスと同じものを、溌も首から下げていた。外からは見えないが、お揃いのそれを見せたくて堪らない。
「なんだ~? ラブ展開かぁ~?」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
「如月ももう二十二歳だろう? 恋人はいんのか~? とうの昔に大人の階段上っちまったのか~?」
「オイ! 教師が教え子になんちゅーコト聞いてんだっ!」
「……あの、つい一週間前に別れちゃいました」
「えええっ?」
「はつにぃ!」
「どうしてオメーがそこまでビックリすんだ? ああまさか、客を好きになっちまったパターンか?」
「ち、ちがうっ……そんなんじゃ、ねーし……」
声が消え、視線を反らした。この状況に頭がついて行かない。かつて尊敬していた教師と、恋人だったココとの早すぎる再会に、歓びは湧き上がるものの、彼らに当時の記憶はなく、すべて自分の手で消し去った彼らとの過去は、どう足掻こうとも、もう戻ることはない。
「あの、私、如月ココって言います。ひと月くらい前から乙木町の花屋さんで働き始めて……。良かったら溌……さんも、お花買いにいらして下さい……」
ぎゅっと溌の胸が締め付けられた。掴まれていた首根っこを離され、溌は顔を伏せた。切ない気持ちに胸が痞えていると、教師の男に肘で肩を突かれた。
「ちゃんと返事してやれよ、学級委員だろ?」
「え……?」
「アレ? オレなんでこんなコト言ったんだ? ……まー、よく言うセリフだし、職業病みたいなモンか!」
「確かに林センセイよく言ってましたよね! 私が転校してきた日にもそんな風に言って……って、あれー? 記憶が曖昧だなー。思い出しそうなのになぁ?」
「オレもなんだよなー。あの当時の学級委員って、確かクソガキだったってのは覚えてんだけどなー。それ以上が思い出せんのよなー?」
二人の会話に、ぎゅっと溌は唇を噛み締めた。奪った記憶はもう元には戻らない。しかし再び出逢ってそこからまた思い出を積み上げていくことは、鬼であっても許されるだろうか?
いつか再び終わりの時が訪れるかもしれない中で、それでも愛を育むことを許してもらえるならば……。
「……さん付けじゃなくて、くん付けがいい……」
今はこれだけで精一杯。
「はい! よろしくお願いします、溌くん!」
ボンっ……! と体中の熱が発火した。
午後の部が始まる時間となり、実行委員長席に新羅と、進行席に教師――林直樹が座った。
「オメーだったんかい! どーりでやっつけだったワケだっ!」
応援席から溌がツッコむ。
「なんかツッコミの精度増したね。お昼ごはん食べたから元気になったのかな?」
「いや雅兄、溌兄にもイロイロあんだよ……」
一部始終を見ていた倖が冷静に言った。あの後、『宝物キャッチ』で少女を助けた溌をココが褒めちぎり、限界までデレデレする兄の姿を見せられていた。
「えー、ではこれより乙木町大運動会、午後の部を始めまーす」
林の発声により、午後の部が開始された。午後からの競技でもチーム『HK!』、チーム『P.MEN』共に、血で血を洗うような死闘を繰り広げ、
「いや、そんな血生臭い展開になってねーわ!」誰に対してか、溌がツッコむ。
気づけば最終競技を残し、両チーム同点、暫定一位となっていた。
「いーかオメーら! オレらは優勝を狙いにきたワケじゃねーんだ! 狙うは大会MVPに贈られる、最新型のトパコンのみっ!」
「ノートパソコンをトパコンって略すの、初めて聞いたよ」
「コニポン。みたいで可愛いな」
「脳みそ湧いてんの? 慶」
「えー、ではとっとと最終競技に移りたいと思いまーす。最後の競技は『家族リレー』です。一チーム五人でバトンを繋いで、日頃軽薄な家族が改めて親睦を深められる最後のチャンスだと思って頑張ってくださーい。……あー、メンドくせーな。なんで休日にこんなくだらねー地域行事の進行なんてしねーといけねーんだよっ……」
「マイクマイク! 悪態吐くならオフにしてからやれ、不良教師!」
ツッコむ溌を他所に、「ふむ」と慶が悩む。
「一チーム五人とは、この核家族社会において希望のある人数だが……。チーム『HK!』からエントリーしているのは四人。残る一人はやはり……」
「アイツしかいねえだろ!」
倖が応援席に座るみのりを指さした。
「そうだね。彼女しかいないよ」
兄弟に呼ばれたみのりが、今大会で初めて競技に参加することとなった。
「本当に私なんかで良いんですか? 私、めちゃくちゃ足が遅くてっ……」
「気にすんな、のりピー。オレらでカバーしてやるからよ! オメーはバトン繋いで走ればいーんだよ」
「大丈夫だ、みのり。安心して私にバトンを回してくれ。そしてそのまま教会にフライアウェイ! 結婚しよう、みの――」
「ほう? 妾よりもこの小娘を選ぶのか、慶翔?」
「うわっ! ひ、ひいさまっ! 一体いつもどこから現れるんだ!」
「音も気配もなく獲物を狩るのが、巻廼条家の神髄じゃ」
扇子で口元を隠す華姫が、パチンとそれを閉じた。いつかと同じように、扇子で慶の顎を持ち上げる。
「先刻はサルに邪魔立てされてしもうたが、次は逃さぬ。そなたは妾の狗ぞ。それをいつの時代も忘れるでないぞ?」
「ひい、さま……?」
その黄色い瞳が薄らと潤んでいる。
「もう始まるんだけどな、華」
「ふん、雅樂。そなたも兄であらば、想い人を弟に横取りされぬよう威厳を保つが良い」
そう言い残し、華姫は去っていった。
最終競技『家族リレー』
「えー、では最終競技、『家族リレー』です。この結果によって総合優勝と今大会のMVP選手が決まる訳ですが、実行委員長はどのチームを……って、アレ? いいんちょーう? どこ行っちまったんだ、あのボンクラ社長……」
「だから全部聞こえてんだよ! マイク切れ! マイク!」と飽きずに溌がツッコむ。
一人トラック半周を走り、五人で繋いでいくリレー。スタート地点に一番走者が並んだ。
「いよいよ決着の時だ。貴様ら鬼に、我らが用意した賞品は渡さんぞ!」
「後で吠え面かかせてやるよ、駄犬ヤローが。MVPに選ばれんのはオレらだ!」
バトンを持つ溌と清従が互いに睨み合う。
「いちについてー、よーい……」
ピストル音と共に各チーム、一番走者が一斉に走り出した。溌と清従が他のチームを押さえ、先頭に飛び出た。抜きつ抜かれつの接戦の中で、溌の目に声援を送るココの姿が映った。
「溌くーん、頑張ってくださーい!」
赤面しながらも、ココの前で格好付けたい溌が、二番走者の雅の下に猛スピードで駆けていく。
「うわー、一番で来ちゃったやー」
「フン、甘いな。ウチのイヌをナメてもらっては困る」
そう言って、大会実行委員長自らチーム『P.MEN』の二番走者となった新羅が、清従に向かって大声で叫んだ。
「おいクソイヌっ、てめえの力はそんなモンかっ? それでよく俺様のお供筆頭のツラが出来るなっ! 三男坊に敗けやがったら降格だけじゃ済まさねえぞ、清従っ……」
「清従? 大将が俺の名をっ……」
感涙に咽び泣く思いの清従が、溌に敗けじとグングン追い上げる。
「やれば出来るじゃねえか!」
ほぼ同時に二番走者、雅と新羅にバトンが渡った。どちらも譲らず、先頭を走り続ける。
「突っ走れー、ミーボー!」
「大将こそ唯一無二の正義漢です!」
背中を押す声援に、「フン」と新羅が笑った。
「てめえらに正義なんてモンはねえからな! どの時代でも、桃太郎に退治される鬼がてめえらには似合ってらぁ!」
「笑わせないでよ、新羅。欲望まみれの人間に、本当の正義なんてあるはずがないだろっ……!」
互いに譲らず、そのまま三番走者の下へと走る。コースに並ぶみのりに、「彼女は君なんかには渡さないっ……」と雅が宣言し、「バカ言うんじゃねえよ。アイツは俺様のモンだっ!」とこちらも互いに譲らない。
「この勝負に勝った方が姫をもらい受ける……!」
ほぼ同時に三番走者、みのりと棗にバトンが渡った。
「頑張れ、みのりちゃん!」
「いけっ、ヒツジ! 今回ばかりは本気で走りやがれっ」
「ごめんねー、だあちゃん! 大将の命令は絶対だからー!」
「ほ、ほへー……」
棗が激走する中、みのりが後者からどんどん抜かれていく。
「お、おせーな……。想像よりずっとおせーぞ……」と溌が愕然とする。
四番走者、平子まで目と鼻の先という距離で、棗が後方に振り返った。既に一番ビリとなったみのりの苦しそうな表情に立ち止まり、ぎゅっとバトンを握る。
「だあちゃん……」
「オイ、ヒツジ~! テメー早くバトン回せよ~? 聞いてんのかよ~、オイ、ヒツジってば~」
「……ご、ごめーん、平子っちー!」
棗が逆走し、みのりの下へと向かっていく。
「はあああ? ヒツジ貴様、何やってんだーっ!」
激高する清従と、「マジかよ……」と呆れる平子。「ガハハハハ! おんしは真、良い男じゃのう、ヒツジ!」と笑い飛ばす銅源。新羅は「フン」と鼻で笑い、本部席へと戻っていった。
「迎えに来たよ、だあちゃん! オレっちと一緒に走ろっ!」
「なつめさん、わたしっ……」
一気にビリになってしまったことで涙目だったみのりに、にっこりと棗が笑う。
「ダイジョーブ! この後、残りの二人が挽回してくれるよ!」
「は、はい……!」
一緒に走る二人に、「アオ春かよ」と進行係の林が実況する。
どうにか四番走者にバトンを繋ぎ、「頼んだよー!」と棗が平子の背中を押す。
「っち! お人よしにもホドがあるってんだよ~、ヒツジ~!」
「後は任せろ、みのり! 私がすぐに追いついてみせるからなっ!」
慶と平子、両者とも本気で走り、離されていた先頭グループまでグングン迫い上げていく。どこまでも平子と競い合う宿命に、慶がハッと息だけで笑った。
「まさかお前とこんな風に競い合う世が訪れるとはな。前の世じゃ、互いに軍部で権力闘争に明け暮れていたというのに」
「ハン! 昔を懐かしむヒマもねーくらいに、これから先オレがこき使ってやんよ~」
各チーム混戦を極め、いよいよ最終走者、アンカーへとバトンを繋いだ。
「頼んだぞ倖! みのりの為にも一位でゴールしてくれ!」
「分かってらぁ!」
「桃太郎一家の意地見せてよね~、キジ~!」
「最後に宝を掻っ攫うのはわしじゃあ!」
グングン後続との間に距離を伸ばし、倖が先頭を走る。
「いっけえええ、ゆきんこ! そのままゴールすりゃーオメーがMVPだあ!」
「俺がMVP?」
倖の脳裏に、美和から浴びせられた暴言が蘇った。
『――どうしてあなただけ出来損ないなのかしら?』
「……俺だって、やれば出来るんだっ……」
ぐっと力を入れた倖の目に、ゴールテープが見えてきた。
「倖……!」
「倖くんっ……」
雅と慶、みのりもゴール地点で倖を待つ。
「よしっ、俺っ――」
「甘いのう、四男坊。所詮おんしは出来損ないの一本角じゃあ」
「え……」
耳元で銅源の声がしたかと思うと、あっという間に抜き去られた。それよりもずっと、その言葉の方に絶句する。銅源の背中がどんどん遠くなる中、〝敗北〟の二文字が倖の頭を過った。
どの時代でも鬼が桃太郎に勝てなかったのは、出来損ないの四男のせい――。
「俺らはまた……俺のせいでっ……」
「倖サマー! 頬月兄弟の新作出来ましたわーっ!」
そこにゴール前で高々と同人誌を掲げる百合亜が現れた。その耽美で卑猥なR指定の表紙に、一秒でも早く人前から消し去りたいと、倖はロケットダッシュを決めた。その結果――。
「おおっとー! チーム『HK!』、土壇場で執念のゴォォォル! 一位、総合優勝でーす!」
「は……?」
一瞬何が起こったか分からなかったが、一位でゴールテープを切った現実に、倖の歓びが沸々と湧き上がってきた。
「やった……俺っ……」
「っしゃー! でかしたぞ、ゆきんこ! さっすがはオレの弟だぜー! ひゃっほーっい!」
倖以上に溌の歓びが爆発する。
「倖くんっ! ごめんね、私のせいでっ……」
「何言ってんだよ、みのり! オマエのせいじゃねえよ!」
「けど……」
「君も良く頑張ったよ、みのりちゃん。総合優勝出来たから良いじゃない」
「そうだぞ、みのり。気にすることはない。チーム『HK!』が見事優勝したんだ。私達家族全員の力でな」
「慶さん……はい! みんなで優勝出来て嬉しいです!」
歓び合うチーム『HK!』を遠目に、「すまんかったのう」と銅源が謝った。
「いくら勝利を得る為とは言え、四男坊の心の傷を抉るような真似までして、わしは……」
「しょうがねーじゃん~? 今までだって大義の為なら狡猾な手段も厭わずにやってきたんだしさ~? こーんな平和な時代の、こーんなお遊びみたいな地域行事で、これから始まるホントの殺し合いよかぜーんぜんマシっしょ~?」
「サル、貴様はこの時代でも鬼退治に対し無気力か? いつまでも次男坊とくだらないことで競ってないで、貴様も来年の『8・26』に向けて動き出せ!」
「テメーもな~、クソイヌ~」
「何だとっ……」
「テメーだって鬼との繋がりが断ち切れねーくせに、優等生ぶって仕切ってんじゃねーよ~。いつまで経ってもアイツらの母ちゃん――茨木童子に執心してるくせによ~? この人妻横恋慕駄犬ヤローが~!」
「なっ、貴様っ……」
「ちょ、ちょっと落ち着きましょーよ! ねっ!」
「何が『ねっ!』だ、ヒツジ! 貴様のせいでこのような結果になってしまったのだぞ! 大将にどう申し開きするつもりだ! 事の次第では折檻だけじゃ――」
「もう良い、清従」
「大将っ……」
「あの女が笑っていれば、今はそれで良い」
新羅とお供の目に、兄弟に囲まれて笑うみのりが映った。その姿に、新羅もお供達も遠い昔の春姫を重ねる。
「……この時代で、姫様が絶望されるお姿だけは見たくありません。もう二度と、あんな風に打ちひしがれる姫様のお姿だけは……」
棗がそっと呟いた。それ以上は、誰も何も口にしなかった。
閉会式が始まり、いよいよ大会MVPが発表される時が訪れた。
「えー、それでは今大会のMVPを発表致しまーす。乙木町大運動会、栄えあるMVPはー……」
溌がゴクリと唾を飲み込む。
(どう考えたってゆきんこだろ! どうかオレの弟にMVPをー! 最新型のトパコンをー!)
「ジャラジャラジャラジャラジャン!」
「そこオメーで言うのかよ!」
「MVPは……チームピーマン、テンアゲ王子こと、棗さんでーす!」
「はああああああ?」
「溌兄……」
倖が乱心する溌を後ろから案じた。
「なんでヒツジヤローがMVPなんだよ! 大して活躍してねーだろーが!」
「活躍したかどうかは個人得点ではなく、乙木町の住民の皆さんによる投票結果によるものでーす。納得いかねーってんなら金輪際、乙木町で商売出来なくなるが、それでも良いってんなら提訴でもなんでもしやがれ、クソガキがっ……!」
「ホンット不良教師だな、オメー!」
「なーんちゃって! 良い子のみんなは今みたいな汚い言葉を使っちゃいけないよー?」
「ホントに小学校の教師かよ、アイツ……」
大会MVPに選ばれた棗に、新羅から賞品である最新型のノートパソコンが贈られた。
「くそっ! あんな能天気ヤローが持ってたところで宝の持ち腐れだろっ! 使いこなす頭もねーんだからオレに譲れってんだよ!」
「アッハハー! みんなー、オレっちに投票してくれてありがと~! 選手宣誓通り、賞品はチビッ子達にあげるねー!」
そう言って、棗はノートパソコンを児童養護施設の施設長に手渡した。
「棗くんっ……ありがとう! 子供達の為に使うわね!」
施設長の老婆が涙ぐんで喜んだ。その後ろにいた児童養護施設の子供達も大喜びで棗に抱き付く。会場に大きな拍手と感動が沸き起こった。
「……オレは穢れてる……」
ズーンと落ち込む溌に、「挽回のチャンスはまだあるぞ!」と倖が励ました。
「では次に、総合優勝を決めたチーム『HK!』に、優勝トロフィーの授与でーす。オラっ、さっさと出て来やがれ、クソガキっ……!」
「オレはコイツのどこを尊敬してたんだ?」
朝礼台に立つ新羅が険阻に優勝トロフィーを手渡す。それを受け取った溌が、「こんなモン、いらねーんだけどな」と呟いた。
「なお、優勝したチーム『HK!』には、賞品として、『チューチューランドのファミリー入場券』が授与されるそうでーす」
「えっ?」完全に優勝賞品についてはスルーしていた。
「ほらよ、金券ショップで売りゃあ、三万くらいには代えられるだろうよ」
大富豪のお恵み的見下しに、「いくらなんでも売らねーよ!」と溌が声を張った。
「チューチューランドか、そう言えば行ったことないな」
「ファミリー入場券ってことは、家族みんなで行けるんだね」
「私も行ったことないですけど、テレビでよく特集組まれてて、すっごく楽しそうなところですよね~」
「行くとしたら定休日の木曜か! 少しくらいの出費なら溌兄も許してくれるよな!」
「ま、まあ、金よりも大事なモンはあるからな……」
本心では満更でもない。そんなチームを代表して賞品を受け取った溌に、「……それで?」と新羅が訊く。
「は……? んだよ?」
「ウチのヒツジは、MVPの賞品を児童養護施設に寄付したが、てめえらは優勝賞品を今日の軽薄な人間関係に悩む家族に譲渡しねえのか? ああ、残念だな。各チーム、この優勝賞品を目指して頑張ったのになぁ? チームの中には、苦しい家計に悩むも、まだ幼い子供がチューチューランドに行きたいと言い出し、是が非でも競技に参加し優勝を目指した家族もいると言うのになぁ?」
極悪ヅラで溌の肩に手を乗せた新羅が、「ここは欲より、粋を見せる方が得策だと思うが? てめえも商売人ならな」と唆す。ぎょっとした溌に突き刺さる、各家族からの期待の視線。ブルブルと目録の入った賞品袋が震える。
「わ、わかった……」
断腸の思いで、溌が優勝賞品を新羅に返上した。
「皆さん! どうやらチーム『HK!』ことカフェ、『ほおづキッチン!』さんが優勝賞品である『チューチューランドのファミリー入場券』を譲渡されるそうです! この後行われるビンゴ大会の賞品として加えましょう!」
新羅の発表に、選手一同歓喜の声を上げた。
「挽回したな、溌兄」
「仕方ないっかー。チューチューランドはもう少しお店の利益が出たら、みんなで行こうよ」
「格好良いじゃないか、溌」
「はい! 素敵です、溌さん!」
横から写真を撮られながら、百パーセント作り物の笑顔で新羅が言う。
「ご厚意、ありがとうございます(誰がてめえらと姫をテーマパークになんぞ行かせるかよ!)」
新羅の心の声が伝わり、自棄になった溌が「『ほおづキッチン!』、『ほおづキッチン!』こそ乙木町の最良の癒しの場です!」と形振り構わず宣伝する。
こうして乙木町大運動会は閉会し、続いて住民大ビンゴ大会に突入した。竜胆カンパニーや商店などから寄贈された豪華景品の数々に混ざって、百合亜の同人誌もビンゴを迎えた倖の手に渡る。
「キャー! 倖サマに渡っちゃったー! 新作は『末弟は災難がお好き!?』今回初めて年齢逆転パロに挑戦してみましたわー!」
「今が一番災難だっ!」
年齢が逆転しても、末弟総受けに変わりないと言う。
大盛況の内にビンゴ大会も終了し、帰宅した慶が台所に獲得した景品の数々を並べた。
「……うん。これで残り半月は生きられるな」
「オメー、何事なかったかのように言うんじゃねーよ! 二度とクソ高ぇヒレ肉なんぞ買うな……!」
缶詰やパスタ、レトルト食品の山の中で、一件落着の体裁を見せる慶に、溌が声を張ってツッコんだ。
洗濯の為、山になった籠の中身をみのりが一つ一つ洗濯機へと入れていく。兄弟のジャージも次々と放り込む中で、ポケットに何かが入っているズボンに気が付いた。中身を取り出すと、それは紙切れで、『借り物競争』の用紙だった。
「雅さん、入れっぱなしにしちゃったんだ」
クスリと笑って、二つ折りのそれを開いた。
「へっ……?」
そこにはどういう訳か、『アモーレ!』と書かれていた。
「うそ……あそこでは確かに『PON厨』って書かれてたのに?」
『借り物競争』のお題は、流行したモノや言葉であった。『アモーレ!』も確かに以前、世間で流行した言葉だった。そうしてその言葉の意味は、イタリア語で『愛する人』――。
「雅さん……」
何故お題の言葉が変わっているのか分からない。しかしそれ以上に、心臓が脈打つ音が耳元で強くなっていく。みのりの脳裏で何かが過った。それは途切れ途切れだが、生きることに疲れていたあの頃の自分だった。そしてそんな自分の前に優しくパンケーキを置く、優しい笑顔の雅の姿。
「あっ……わたし……どうして……」
脈打つ心臓に、あの時の気持ちが徐々に見え隠れしていく。掴んだ胸が、張り裂けそうな程、痛い。
「この気持ちは、なに……?」
溢れ出す涙が止まらない。『アモーレ!』という言葉を握り締めながら、忘れていた過去の気持ちを忘れたくないと、みのりはどうにか心に繋ぎ止めた。
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