第27話「異世界への扉」

 それは、とても奇妙なモンスターだった。

 そう、モンスター……魔物、だと思う。

 だが、僕にはどこか既視感デジャヴがあって、それが生き物には見えなかった。だが、二つの瞳は炯々けいけいと輝き、強い光を放っている。そのまぶしさに思わず、僕は目を手でかばった。

 タュン先輩はただただ、目を細めてにらみ返していた。


「先輩っ! あれは……何かいます、こっちに来ますよ!」

「まあ、待ちたまえ。あれは、生き物のたぐいじゃなさそうだ」

「えっ!? で、でも」


 四足よつあしの巨大な化物ばけものに視える。

 うなるような声はドゥルドゥルと腹に響いた。

 だが、四本の前足と後足は酷く短く、頭部ばかりが大きい。逆に後ろ側は真っ平らになっており、妙に不自然な直線で構成されていた。

 確かに、先輩の言う通りかも知れない。

 今にも飛びかかってくるかのように、身を低く構えるけだもの。奥で控えたその姿をよく観察して、僕は驚きの声をあげた。


「あの足……先輩っ! 車輪です! 生き物じゃなくて」

「そう、恐らく荷車にぐるまだろう。それも、牛や馬を使わず自分で走る荷車だ。昔、旅の勇者から聞いたことがある」

「では、あれは」

「うむ! 異世界のものだ」


 その時、哄笑こうしょうほとばしった。

 そして、僕達が振り返る先で……ゆっくり身を起こした男が笑っていた。

 身をゆすり、喉をのけぞらせながら立ち上がったのは、ガルテン・ブラッベール枢機卿すうきけいだ。彼は突然、まるで気が触れたかのように声を張り上げる。


「見ろぉ! あれこそが……あれこそが、この魔方陣まほうじんの力を発動させるかぎ! 我らが教会があがめし神……唯一神トゥラックの御神体ごしんたいだぁ!」


 ――唯一神トゥラック。

 それが、教会がほうじる神の名だ。この世で唯一の神として定義され、他の土着の宗教を大陸から一層してしまった。暗い森を切り開いて、人の生存圏と一緒に広がってきたのである。

 そのトゥラック神の化身が、あの荷車なのだろうか?

 そして、甲高い咆哮ほうこうを爆発させる荷車は、今にもこちらへ突っ込んできそうだ。


異世界警察いせかいけいさつ! 確かに俺は、歴代の法王が秘匿ひとくしてきた秘密を継承した! 教会そのものが、はるか太古の昔から人々のどころだったからだ。今よりもっと苦しく、暗い時代……まだ未発達な文明しかなかった人間には、宗教が必要だった!」


 ガルテンさんは、開き直りとも取れる声をあげる。

 今更いまさら、この場所で宗教の成り立ちを論じる必要はないはずだ。

 だが、ゆっくりとタュン先輩はガルテンさんへ歩み寄った。


「宗教とは本来、奉仕ほうしの気持ちで人々を救うものだ」

「そうとも! だが、文明が発達するにつれて、徐々に人々の信仰心は薄れていった。そして、百年前の転生勇者てんせいゆうしゃの流入で、それは決定的になった!」


 あまりにもこの世界の暮らしは、便利になり過ぎた。

 祈り願う前に、やれることが増えたのだ。

 それは進歩だと言えるが、転生勇者によって異世界からもたらされたものが、正当な進化かどうかは難しい。難しいからこそ、法を作って異世界警察に取り締まらせているのだ。

 ガルテンさんの演説は続く。

 その異様な興奮にたかぶるように、例の荷車が一際甲高くえた。


「人は豊かになると、敬虔けいけんな心を忘れるのだ! とどのつまり、その程度の精神性しか持ち得ないのが人間という生き物なのだよ!」

「見くびらないでもらえるだろうか、ガルテン枢機卿。それは人間をお布施ふせの出る財布さいふとしか見ていない、教会側のかたよった見方だ」

「黙れっ! 教会が真に威光を取り戻すため、転生勇者の出入りを完全に把握、掌握してコントロールする必要があった」

「おやおや、神様のやることに通行税でも取るのかい?」


 ガルテンさんの言い分が、僕には少し理解できる。

 だが、決して共感できない。

 そして、認めてしまう訳にはいかなかった。

 教会という魂の救済を目的とした組織が、その組織自体のために動き出した結果がそこにはある。宗教は献身けんしんを忘れてはならない……保身の気持ちが芽生えれば、それはすでに宗教とは言えないのだ。

 しかし、それをガルテンさんに理解してもらうことはできないだろう。

 魔法陣の中央、四角く切り取られた中心で彼は叫ぶ。


「お前達によって教会の暗部は暴かれるだろう……だが、その時にはもう俺は! この世界にはいない! 勇者が転生するまで住んでいた異世界へ、俺は行く! そこにはもう、異世界警察の捜査の手もおよばないのだ!」

「はっ……先輩っ! 危ない!」


 僕は即座に、先輩へ飛びついて押し倒した。

 今まで僕達が立っていた場所を、風が突き抜ける。

 爆音を撒き散らしながら、例のトゥラック神の御神体が突っ込んできたのだ。

 そして、先輩の胸の谷間から顔をあげて、僕は見た……笑いながらガルテンさんは、その巨大な鉄の荷車にかれた。ドン! と鈍い音がして、そのまま御神体は壁へと激突する。

 そこには、無残な姿をさらすガルテンさんが倒れていた。


「そう、これで……正しい、手順……皆、そう、言って、た……この、方法が、転生を」


 血を吐きながらも、ガルテンさんの表情は穏やかになっていく。

 そして、僕の下でタュン先輩も身を起こした。


「助かったよ、ドッティ君。だが、私を押し倒すなど十年早いぞ?」

「す、すみません」

「ふふ、今はまだな……だが、その先は楽しみというものだ。さて」


 先輩は立ち上がると、ガルテンさんへと歩み寄る。

 すぐに救命措置きゅうめいそちをしようとして、彼女は手を止めた。駆け寄る僕を見上げて、首を小さく横に振る。

 ガルテンさんは既に、事切こときれていた。

 大いなる陰謀が明らかになったが、その全ての秘密を持ってガルテンさんはってしまった。本当にこんな野蛮やばんな方法で、勇者達はあちらの異世界から転生してきたのだろうか? そして、ガルテンさんは神の意思によらぬ転生を成功させたのだろうか。

 それもまた、誰にもわからない。

 小さく溜息ためいきこぼして、タュン先輩は立ち上がった。


「かつて私は、勇者達の暮らしていた世界に憧れた。それは、異端だと言われたのだがね。神があちらからこちらへと、勇者を運ぶ。その流れに逆らい、こちらからあちらへ行くなど背信だ、とね」

「じゃあ、ガルテンさんは」

「彼は既に、宗教家としての矜持きょうじを捨てていた。そして……彼が無事にあちらの異世界へと転生できたかどうかは……まさに、神のみぞ知る、だね」


 その時、あの御神体がボン! と爆発した。

 壁へと突っ込んだまま、メラメラと音を立てて燃え始める。

 やはり、あれは機械だ。

 以前、勇者アイゾウ氏が呼び出した機械のゴーレムと似ていた。機械、つまり装置…つまり、物質でしかないもの。道具だ。それをあつかう人によって、あらゆる道具が神にも悪魔にもなる。

 それを神と崇めれば、偶像ぐうぞうおがんでいるに過ぎない。

 神は常に、献身を持って働く者にこそ宿るのだ。


「ふむ、いかんね……火が回り始めた。逃げようか、ドッティ君」

「は、はい……でも、ガルテンさんは。うわっ! 火が!」

「生き残ることが先だ。容疑者死亡のままでも、立件することはできるさ。さあ、戻ったら忙しくなるぞ……教会に対しても、大規模な立ち入り捜査が行われるだろう」

「……これで、よかったのでしょうか」

勿論もちろんだ」


 急いで階段を上がりながらも、走るタュン先輩は即答した。

 彼女には迷いはない。

 そして、慎重に捜査を進めていた巨悪は、ついに暴かれだのだ。

 犠牲を強いられた。

 帰らぬ人となった者達は皆、死んでいい人間ではなかった。死んでいい人間など存在しないのだ。ガルテンさんでさえ、罪をつぐなう機会を自分から放り出してしまったのだから。

 僕は外へ出て、地の底が爆発で崩落してゆく音を聴いた。

 外に出ると既に、リシーテさんが手配してくれたのだろうか……? 異世界警察の大規模な人員が聖堂を取り囲んでいた。その中へと、まるで凱旋がいせんするように堂々とタュン先輩は歩み出る。


諸君しょくん御苦労ごくろう! 教会による連続勇者殺人事件、その真相を全てつかんだ。では、現場を任せる。行くぞ、ドッティ君!」

「ま、待ってくださいよ!」


 肩で風斬かぜきり歩くタュン先輩の、その堂々とした足取りに僕は続く。

 入れ替わるように、大勢の捜査員が聖堂の中へと雪崩込なだれこんでいった。

 僕達が必死で追い詰め、白日のもとに晒した真実。

 それがもたらしたのは、今までより眩しいとさえ思える日常だ。あまりに当たり前に暮らしていたタュン先輩と僕が、魔女だ背教者だと社会から敵視される……そんな危険な状態が終わりを告げたのだ。


「先輩っ! とりあえず王都に戻りましょう」

「うん、そうだな。その前に……」

「その前に?」

「この地方は実は、鹿しかのジビエが盛んでね……どうだい。食べたいだろう! 食べたい筈だ、私がそうなのだから当然だ。では行こう」

「ちょ、先輩っ!」

「はっはっは、今夜は祝杯だ。地元の人間に聞いて、美味うまい店を探さねばならん」


 タュン先輩はいつもの調子で、既に次を見据みすえているかのようだ。

 普段通りの全く変わらぬ先輩をみていると、僕まで戻ってきたという実感に満たされる。この自堕落じだらくでぐうたらな、素晴らしい洞察力と行動力を持った女性は……これからも異世界警察の一員として犯罪を追ってゆくだろう。

 その、あまりにもまばゆい光に、僕はついていけるだろうか?

 いや、今更いまさら自分に問うまでもない……答は既にでているのだから。

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