第10話「懸念、疑念、思慕、恋慕」

 僕は再び王都おうと異世界警察いせかいけいさつ本部に戻ってきていた。

 夜も遅くになると、本庁舎ほんちょうしゃでも人は少なくなる。

 申し訳程度に与えられた部屋の机で、僕は沢山の捜査資料に埋もれていた。今持って、連続勇者殺人事件れんぞくゆうしゃさつじんじけんの手がかりは得られない。その上、被害者は現在も、そして過去からも増え続けていた。


「まいったな……あらゆる勇者の死に、事件性が感じられる。どれもこれも、怪しい死に方だ」


 勇者はろくな死に方をしない。

 そういう風潮ふうちょうはこの世界のどの国にもある。

 勇者は神が選びし転生者なのをいいことに、やりたい放題にしている者も多いからだ。

 不法侵入しての金品物色、そして不法な持ち去り。

 公的機関も例外ではなく、あらゆる場所に勇者は出入りが許される。

 王にも謁見えっけんを待たずして会い、どんな異性の寝所しんじょにも堂々と忍び込む。

 枚挙まいきょいとまがないが、それでも魔王が支配する百年が勇者を必要としていた。


「それより、気になることが他にもある。……疑いたくはないんだけど」


 膨大な量の勇者の記録を、少し机のすみへと寄せる。

 そうして今度は、異世界警察の内部資料を僕は開いた。

 そこには、所属する人員の詳細な記録がリスト化されている。その中で、僕が探す人は一人だ。


「あった、タュン・タップン警部。年齢は……へえ、25歳なんだ」


 その人は、僕の上司だ。

 そして、先輩で、相棒で……でも、今はいない。

 久々に休暇が取れたので、タュン先輩は一度家に戻ると言っていた。元はお姫様だし、ちょっとした豪邸ごうていに住んでるのかもしれない。あのズボラな性格だ、使用人が何人かいるだろう。

 そんなことが容易に思い描けるくらいには、僕はタュン先輩を知っていた。

 でも、その先をこっそり探ろうなんて、少し後ろめたい。

 背徳感と罪悪感を感じる僕の背後に、突然気配が立つ。


「やほー、ドッティ君、だっけ? お疲れ様ね」


 振り向くとそこには、見知った同業者がマグカップを二つ持って立っていた。


「リシーテ・シリコッティ警部! お、お疲れ様です……僕に?」

「あら、他に誰がいるの? ふふ、ただのコーヒーじゃないんだから」


 褐色かっしょくの美女はリシーテさん。やっぱり、やたらと露出ろしゅつが激しい。盛り場で腰を振ってる踊り子みたいな格好だ。……まあ、そういうところに出入りしたことはないんだけども。

 僕に熱いマグカップを一つ渡して、彼女は隣の机に腰掛けた。

 しなやかな脚をゆっくり組んで、リシーテさんが微笑ほほえむ。

 貞淑ていしゅく淑女レディを思わせるのに、どこか不思議な魔性に満ちている。気がする。


「そのコーヒー、新しい豆よ? まだ、認可待にんかまちなの」

「えっ、いいんですか!? そんなの、勝手にいちゃって」

「いいのよ、革袋いっぱいにあるのよ? 少しくらいわかりゃしないわ」


 コーヒーが異世界で許されたのは、今から半世紀ほど前だ。

 それ以来、またたく間に貴族や王族の嗜好品しこうひんとなった。特殊な豆をった後、砕いて湯でエキスを抽出する。今までの茶葉でれるものとは違って、苦味が強いが好まれていた。飲み方も多種多様になったし、何より多くの新種の豆が増え続けている。

 異世界警察では、そうしたものを異世界に入れるかどうかも精査している。

 以前みたいな大事件はもうコリゴリだからだ。


「……やっぱり、その……厳しいんですか? 認可を極める審査って」

「当然よ? ふふ、ドッティ君も知ってるでしょう? ……猫達の悲劇キャットクライ


 ――猫達の悲劇。

 それは、ずっと昔にあった異世界の秩序崩壊。

 そして、異世界警察が組織された理由の一つでもある。

 とある異世界勇者が、転生が盛んになった最初期に持ち込んだ愛玩動物あいがんどうぶつ……それが、ねこだ。愛らしいその姿は、とら獅子ししに似ていて、決定的に異なる。気まぐれで自堕落じだらくで、しかし狂おしい程にかわいらしい。

 すぐに異世界の誰もが猫に夢中になった。

 さらに、猫はねずみを捕獲する習性を持つ。

 鼠は害獣だから、飲食店も宿屋も、こぞって猫を求めたのである。


「あれ、確か……猫っていうのは」

「そうよ。あっという間にこの世界に……勇者達が異世界と呼ぶ、あたし達の世界に満ち満ちた。でも、猫はあくまで外来種がいらいしゅ。本来の生態系の外から持ち込まれた、秩序の破壊者とも言えるわ」


 そう、猫という動物が愛玩用として、広く普及ふきゅうして程なくだ。

 街道かいどうのあちこちに、新種のモンスターが現れたのだ。

 それは、組織だって群れで狩りをする……おおかみ。だが、森林や山野を問わず、全世界規模で爆発的に被害が続出したのである。

 それは全て、、その子孫だ。

 多くのモンスターが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、過酷な環境の中で……捨て犬達は自らをモンスターへと進化させることで生き延びた。そして、自分達を捨てた人間達を襲い始めたのだ。しかも、人間に飼われていた頃の知識を、次の世代へと引き継ぎながら。


「酷い事件だったらしいですね……猫達の悲劇」

「野犬以上に危険になった犬達は、狡猾こうかつだった。結局、モンスターと認定して冒険者ギルドで賞金をかけたのね。それでも駆除しきれぬ程に、捨てられた犬達は多かったの」

「やっぱり、ポンポン簡単に異物を受け入れちゃいけないってことでしょうか」

「そうよ……この世界は極めて危ういバランスの中で調和を保っているの。だからこそ美しいのよ? ……


 どこかさびしそうにリシーテさんが笑った。

 その陰りのある表情が、不思議と気になった。

 だが、彼女はパンと手を叩くと、話題を変えてくる。


「そういえば……もしかして、タュンのこと、調べてる?」

「えっ!? あ、いや……そ、そういう、訳では」


 図星ずぼしだったので僕はあせった。

 そう、僕はもう疑いを感じてしまった。

 その猜疑心さいぎしんは今も、僕の心情とは裏腹に膨らみ続けている。

 そのことをリシーテさんに話すべきか迷った。だが、彼女はにんまりと悪い笑みを浮かべて小声でささやく。蠱惑的こわくてきくちびるをそっと、僕の耳に寄せてくる。


「噂の痴女姫警部ちじょけいぶ、競争率高いわよん? ふふ……彼女、綺麗ですものね」

「え、あ、いや……そっ、そそ、そうなんです、ハイ」


 どうやら、僕がタュン先輩を異性として意識してると思われたらしい。それは嘘と言うには根拠がなく、嘘だと断じる自信もない。

 確かに、あのトンチキでポンコツな上司には好意を抱く。

 だが、それとは別にやはり、奇妙な疑念を抱いてしまうのだ

 あの時……リッチを相手に、禁術きんじゅつレベルの危険な魔法をタュン先輩は放った。明らかに、やりすぎだ。そして、リッチは連続勇者殺人事件の手がかりを話そうとしていたのだ。

 口封くちふうじにも見えた。

 邪悪な存在として退治するにしても、話を聞いてからでよかったはずなのだ。

 タュン先輩は、何かを隠している?

 その何かを知らなければもう、信用も信頼もできそうもない……そんな自分が僕は怖かった。


「あ、あの……リシーテさんは、タュン先輩とは長いんですか?」

「そう、ね。一時期はコンビを組んでたこともあるのよ? つまり、あたしはドッティ君の先輩ってこと」

「そ、そうなんですか!?」

「バリバリのエリートキャリアだったあたしと、世間知らずだけど抜群の行動力と判断力を持つタュン。あの頃は、楽しかったわね。ふふ、やっぱり現場はうらやましいわ」


 僕は率直に、タュン先輩のことを押してほしいと強請ねだった。

 だが、期待とは裏腹に興味のないことばかり情報量が増えてゆく。

 興味がない訳じゃないが、聞かされて困る話ばかりだった。


「タュンは上から96、64、98で……ええと、カップは」

「そ、そういうのはいいんです! ええもう、全然!」

「あらそぉ? 他には好きな食べ物とか」

「い、いえ、それは……また、おいおい」


 あと、ウェスト64cmセンチはちょっと怪しい。

 一緒に仕事をしてて、露骨にたぷたぷ太ってる時がある。かと思えば、随分無理したんだろうなあという引き締まり具合の時もあった。多分、64cmという表現が正しいだろう。前後10cmは違わないだろうけど。

 だが、相変わらず甘い匂いで見詰めてくるリシーテさんは、小さくつぶやいた。


「つまり……タュンの秘密を知りたいのね? ふふ」

「え、ええ、まま。あ、いちおう職務上必要なことで」

「なら、今晩あたしのベッドでなんて……どうかしら?」


 脳髄のうずいを猛毒が駆け巡った。

 一発でやられそうな、湿った声。

 なまめかしい唇がつむぐ、必殺の毒針にも似た言葉だった。


「え、あ、いや……それは」

「うふふ、冗談よ。冗談……タュンに怒られちゃうもの。あの子、怖いのよ? それに、ああ見えて凄いヤキモチ焼きなの。だから、ドッティ君のことは残念だけど」

「は、はぁ」

「あら、なぁに? もっとがっかりしてくれないと……あたし、傷つくぞっ」


 ツン、と人差し指で僕の鼻を押して、リシーテさんは立ち上がった。

 飲み終えたコーヒーのマグを手に、彼女は去ってゆく。

 だが、部屋の外へと消えてから、再度ひょっこりとリシーテさんは顔を出した。


「ねえ、ドッティ君。気になるなら……明日にでもタュンの家に行ってみたら?」

「え? 家にですか!? 自宅ですか!」

「そ、おうち。住所、それに書いてるでしょ? 王都にいるなんて年に何日もないんだから……いい機会だし」


 クスクス笑ってリシーテさんが指差すのは、異世界警察の構成員名簿だ。さっき開いたばかりのリストには確かに、タュン先輩の自宅住所が書いてある。

 僕は曖昧あいまいな返事をしたが、早速明日の予定にタュン先輩をたずねることを書き加えた。

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