第24話「決戦へ…聖地コゥ=サテン」

 リシーテさんと別れた僕達は、馬車で辺境へんきょうの地まで来ていた。

 行き交う人は少なく、山頂へと登る登山道の麓には小さな村が広がっている。

 僕はここまで、どうやって来たのかをよく覚えていない。何をして過ごしたのかも、どれくらいの時間を費やしたのかも。

 ただ、先輩が……タュン先輩が優しく抱き締めてくれたことだけは覚えている。

 どれだけ先輩の体温に甘えていたのだろう。

 今でもそのことを思い出せば、頬が火照る。

 だが、前を歩くタュン先輩は普段通り颯爽としていた。


「見ろ、ドッティ君。私達の手配書だ。仕事が早いな、教会め」

「……そう、ですね。これで僕等もお尋ね者、ですかね」

「賞金は……ほう! 私は魔女で、100万ゴールドの女らしい。……自首してももらえるのかね、これは。なあ、ドッティ君! ……ドッティ君?」


 海抜も高くなって、見上げる峰々は白く雪化粧ゆきげしょうしている。

 肌寒い中、先輩は旅装りょそうのマントでグラマラスな肉体を覆っていた。いつも通りに異世界警察の外套を羽織はおっていようものなら、捕まえてくださいと言っているようなものだ。

 それは僕も同じで、少し擦り切れたマントを身に着けている。

 でも、何だか寒さを感じない。

 心だけでなく、身体も死んたかのような錯覚さえ覚えた。

 だが、腰に手を当て溜息ためいきこぼすと、タュン先輩は村の掲示板けいじばんから戻ってくる。


「しっかりしろ、ドッティ君。真実は時に残酷だから、目を背けることもできる。だが、君は望んだ。私が欲してリシーテが調べた、幼少期の惨劇の真相を」

「それは、そうです、けど」

「悲しみにひた贅沢ぜいたくはあとにしたまえ。こくなようだが、今は事件の捜査が先だ。私達が失敗すれば、事件の黒幕は再び闇の底へと身を隠すだろう。そして、転生してくる勇者の連続殺人事件は続く。今後何年も、何十年もずっとだ」


 そう言って、先輩は僕の手を取った。

 温かい手で手を握って、引っ張りながら歩き出す。

 目的地も知らぬまま、僕は母に手を引かれる幼子のように歩いた。先輩はあまりにも堂々とし過ぎていて、村人は誰も指名手配犯だと気付かない。

 勇者が異世界から持ち込んだ写真という文明があって、今の時代は手配書に使われることも多い。鮮明な似顔絵もあるし、先程の手配書の僕達は本人そっくりだった。

 だが、物怖ものおじせず先輩は顔を隠そうともしない。

 目深にフードを被った僕とは対照的だ。

 先輩は村の雑貨屋でわずかばかりの食料を求め、2、3の雑談に応じる。そうして丁寧ていねいに挨拶を交わすと、迷わず山道へと向かった。

 見上げる先には、一際大きな山が暗雲の中へと屹立きつりつしている。

 そびえる銀嶺ぎんれいは、僕には絶壁にも思えた。


「さ、のぼるぞドッティ君」

「この、先に……ですか? いったい何が」

「教会の聖地だ。神が舞い降りた地とも言われている。魔王が現れ、異世界から勇者が転生してくる何百年も前からね」


 教会、それは今や僕達にとって敵と同義だ。

 この世界では今でも、国境を超えた権威として教会の力は絶大だ。それを束ねる法王には、権力さえあると言っていい。あらゆる集落に教会が立てられ、そこでは神父が民のために祈り、時には医者となり、学者となって寄り添うのだ。

 その教会に、僕達は弓引いた。

 連続勇者殺人事件れんぞくゆうしゃさつじんじけんの黒幕、迂闊に手を出せぬ巨悪の正体は……教会だったのだ。


「行こう、ドッティ君。私の予想が正しければ……この先、聖地コゥ=サテンに何かがある。それを教会は隠し、隠し通すために勇者を殺してまわってるのさ」

「どこでそれを……」

「私とて、日々遊んでいた訳ではない。教会にも注意を払っていたが……ドッティ君、思い出したまえ。目に見えぬ犯人を追う時、私は何の流れを辿たどれと言ったかな?」

「……金。資金の流れを、追えと」

「いい子だ、正解だよ。どういう訳か、敬虔けいけんな信徒がわずかに訪れるばかりの聖地コゥ=サテンに……教会から毎年、多額の金銭が送り込まれている」


 徐々に村が遠ざかり、周囲が登山道に変わっていく。

 登山道とは名ばかりの、岩肌が露出した険しい斜面だ。

 先輩は僕の手をまだ握ったまま、身軽に登ってゆく。

 僕が俯いたままなので、彼女は不意に話題を変えてきた。


「……少し昔話をしよう、ドッティ君。今から十年以上も前、私がまだ小さな少女だった頃の話だ。それはもう、私はかわいくてかわいくて、可憐かれん極まりない美少女でね」


 僕にもう、突っ込む気力はない。

 どうしても、両親の死の真実が頭から離れない。

 そして、信じられない。

 同時に、酷く納得してしまったことでもある。

 だが、そんなうつろな感情を抱えたままの僕を連れて、タュン先輩は進む。真実を目指して、ひた走る。


「昔々、あるところに小さな王国がありました。その名は、ムッティリ王国。貧しい国だったが、四季折々しきおりおりの花に満ちた風光明媚ふうこうめいびな場所だったよ」


 それは、タュン先輩が生まれた国のことだ。

 そしてもう、この大陸の何処にも存在しない場所。

 先輩は亡国の姫君にして、その元凶……そう言われている。そして、その全てを失ったのだ。今はもう、異世界警察いせかいけいさつ窓際部署まどぎわぶしょで働く警部に過ぎない。

 だが、先輩は滔々とうとうと喋り続けた。


「王宮には毎日、沢山の勇者が王を頼って訪れた。王は魔王討伐を目指す勇者達には、惜しみない支援を買って出た。民の税でではなく、先祖伝来の財宝を金に変えてだ。王は民からも勇者からも愛された。そして――」


 当然、その王の娘であるタュン先輩もまた、多くの勇者に幼少期より接してきたという。異世界から転生してきた勇者達は、タュン先輩に多くの知識を授け、空想ともつかぬ色々な物語を語って聞かせた。

 いつしかタュン先輩は、勇者達が転生前にいたという、異世界への憧れを持った。


「王女様は思った。勇者達が以前住んでたという、異世界には行けないものだろうかと。異世界より勇者達がこちら側に転生してくるのなら……


 だが、それは禁忌きんきに触れる危険な思想だった。

 勇者とは、あくまで教会がほうじる唯一神トゥラックの導きを得た者。神が魔王の討伐と平和の再構築を願って、例外的に異世界から転生させた者達なのだ。

 その流れに逆らい、こちら側からあちら側へ行く……それは、神の意思に反する異端いたんと思われたのだ。


「まだ幼かった王女様には、そのことがどうしても理解できなかった。勇者達は皆、元のいた世界を語る時、とてもなつかしげで、どこか哀しげで、そして優しげだった。王女様は夢見た……異世界の風景を、その空気を」


 鉄の棒をいた上で、多くの人と荷物を乗せた箱が連なり走る。

 翼のついた巨大な箱など、空を飛んでしまうのだ。

 馬や牛の必要がない、自動で動く荷車もあるという。

 この世界の何倍も豊かで、何倍も進んだ文明を持ち、何倍もの文化で彩られた異世界……それはまさしく、勇者達だけが知る楽園ユートピアとも言えた。


「王女様は決して、自分の夢を隠すことはしなかった。しかし、それは教会から見れば異端の信仰だったのだ」

「……何故なぜですか? 先輩」

「人が無邪気でいていい時間というものは、誰にもあるのさ。そして、王女様はいつしか異世界へ逆に転生するのが夢だと……そう公言するようになった。それは、教会の厳しい異端審問いたんしんもんの目を向けられることに繋がったのだ」


 そこからは、よくある話だった。

 王女はみだらな嘘を振りまく、気の触れた少女だと言われたのだ。

 この世界では、教会に逆らえる者などいない。それは、転生してきた勇者達も同じだ。神の加護を受けて転生した、いわば聖人にも等しい勇者達……彼等は次第に、王女を避けるようになる。

 勇者は協会によって蘇生そせいが認められる、数少ない身分だからだ。

 殺されようとも、死体を回収できれば教会での蘇生措置が認められる。無事に生き返れば、お布施ふせとして大量の金額を失うものの、再び冒険者として旅立てるのだ。

 背教者の王女は、次第に孤独になっていった。

 いつしか彼女の居場所は王宮になくなったのである。


「来る日も来る日も、王女は一日の大半を山野さんやで過ごすようになった。木々や草花、野生の動物には信仰心はない。絶対の神も異端の概念がいねんもないからね。王女には魔法の心得もあったし、森の中では満ち足りた時間が過ごせたのだ。だが――」


 だが、悲劇が襲った。

 ムッティリ王国を魔王が率いる闇の軍勢が襲ったのだ。

 そして、それを真っ先に知ったのは……森で過ごしていた王女だった。


「王女は急いで王宮へと戻り、叫んだ。魔王の軍勢が来た! とね。だが……誰も信じなかった。日頃から、勇者の住む異世界には何がある、こうなってると吹聴ふいちょうしていた娘だ。そして、それを教会は妄言もうげんと断じたのだ。大人は誰も、耳を貸さなかった」


 国は焼かれた。

 その時になって、王は知ったのだ。

 魔王の軍勢に狙われていたことを。

 だが、些細な認識のすれ違いがさらなる悲劇となって王女を襲う。


「王女は異端、背教者だと言われていた。それでも、嘘ばかり語る娘を不憫ふびんと思って、王は自由にさせてたのだ。だが、この時……王は怒り狂って我が子に詰め寄った。魔王の軍団を導き呼び寄せた、邪悪な魔女として殺そうとしたのだ」

「それじゃあ」

「燃え落ちる都を背負って、王が剣を振りかぶる。……だが、王女の魔法の方が速かった。命からがら逃げおおせた民は、見た筈だ。父親を消し飛ばす王女の魔法を」

「……それが、真相ですか」


 真実は残酷だと人は言う。

 だが、その残酷さには際限がない。

 人は絶望したあとでも、さらなる絶望を与えられることがあるのだ。

 全てが奪われた上で、得るべきものさえ失ってゆく。

 それはとても悲しいことだ。


「まあ、今となってはおとぎ話だ。さ、もう手を引かなくてもいいかな? ドッティ君」

「……あの、先輩。その王女様は、今は」

「さてね。国も身分も失って、それでもなくさなかったものがある。全てが激変した毎日の中では、得るものさえあった。それは、生涯をかけて働くに値する仕事と……信頼できる仲間だ」

「仲間、とか?」


 フフンと笑って、涼やかな笑みで先輩は手を離した。

 そして、風にマントを遊ばせながら山道を登り始める。

 気付けば僕は、その背を追って再び自分で歩き出した。

 不幸比べの趣味はないが、先輩にだけはついていきたかった。自分と同等か、それ以上に過酷な過去を乗り越えてきた、そんな人には負けられない。そして、並び立つことを自分の望んでいるとはっきりわかったから。

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