第9話「禁断の魔法」

 深く深く、地の底へ。

 太古の地下墓地カタコンベにも似た、陰気臭い中を僕は歩く。

 先を進むタュン先輩は、複雑怪奇な迷宮ダンジョンの中を迷いなく進んだ。

 すでにもう、かなりの階層を突破してきた。

 それも、最短距離で。

 包帯だらけのミイラの群れをやり過ごし、ゾンビ達に追いかけられながら。


「タュン先輩っ! まだ先は長いんですか? ちょっと、休憩しませんか」


 金髪のポニーテイルを揺らして、すぐ先で先輩は振り返った。

 そのな表情は、今日も無駄に美しい。だが、きわどいビキニアーマーがかもしだすムチムチ感は、としか言いようがなかった。


「あと少しだ、ドッティ君」

「今日はどんな取り締まりなんです?」

「……君は、禁術きんじゅつというものを知っているかね?」


 それだけ言って、再びタュン先輩は歩き出す。

 まったく、なんて体力だ。とてもじゃないが、王室育ちのお姫様だとは思えない。亡国ぼうこくの姫君は今、異世界警察いせかいけいさつ特務捜査官とくむそうさかんとして職務にいそしんでいる。

 彼女は僕と一緒に、他の者達が嫌がる面倒な案件を片っ端から片付けていた。

 そして、多くの捜査員と共に追っている。

 十年以上前から続く、連続勇者殺人事件れんぞくゆうしゃさつじんじけんを。


「禁術ってなんですか、先輩!」

「書いて字のごとく、禁じられた呪文だ。現在、冒険者に許されている魔法の呪文は、冒険者ギルドと異世界警察が認可したものに限られている」

「……実際はもっと多いってことですよね、それ」

「そうだ。その中でも特別に危険な呪文を、禁術と呼ぶ。太古の昔に猛威もういを振るった、今は神話や伝承にしか記されていない呪文のことだよ」


 よどみなく話すタュン先輩の声は、耳に心地よい。

 だが、どこまでも怜悧れいりな彼女の言葉は、闇の先に待つ戦いを感じさせた。

 自然と抜き放ったジッテを握る手に、いやおうなく力がこもる。

 そして、タュン先輩は最下層の最奥、この迷宮の行き止まりへと進んでゆく。

 迷わずドアを開け放つなり、彼女はりんとした声をはずませた。


「動くな! 異世界警察だ。禁術無断使用及きんじゅつむだんしようおよび、無断解読むだんかいどくの容疑で逮捕する」


 タュン先輩に続いて、僕も部屋へと転がり込んだ。

 薄暗い中では、酷い臭いが鼻を突く。

 腐臭ふしゅう……人が生きたまま腐る臭いが充満していた。

 そして、さほど広くない部屋の中央で、高僧こうそうおぼしき法衣ほういの人影が振り返る。その顔にはもう、肉がついていなかった。


「異世界警察……俗物ぞくぶつが。何用だ?」


 僕は初めて見た。

 アンデッド……不死者ふししゃだ。

 恐らく、元はさぞ徳のある僧侶そうりょだったのだろう。だが、今は骨だけになって闇の底だ。不気味な骸骨がいこつは、ひとみともる光だけが爛々らんらんと輝いている。

 喋る度にカタカタと歯が鳴った。

 そしてそれは実は、恐怖で歯の根が合わない自分の口からこぼれ出ていたのだ。僕はそれに気付いて、そっと手で口を抑える。

 だが、タュン先輩は余裕の笑みだ。


「死に損ないのリッチ君、君を逮捕しに来た」

「ほう? 肉体にしばられた俗物が、超越者ちょうえつしゃたるワシを逮捕、だと?」

「そうだ、リッチ君。もっとも、この名は返上したほうがいいな? とてもじゃないが、裕福リッチには見えない。きっと迷宮の立地りっちが悪いのかな? ……なんてね」


 そう言ってタュン先輩は僕を振り返る。

 サン、ハイ、爆笑どうぞ! と言わんばかりに笑顔を向けてくる。

 こういう時、いつもどうしていいかわからないんだよなあ。


「笑えばいいと思うよ?」


 いや、無理です。

 えっと……


「あ、うん……先輩。つまり、立地と裕福、そしてリッチをかけてるんですよね?」

「……ドッティ君」

「なるほど、久々のダジャレでした! うわー、おーもしろーい!」


 露骨ろこつに残念なものを見る目で、タュン先輩はまゆをひそめる。

 だが、リッチに向き直る彼女の横顔は凛々りりしかった。

 そう、リッチ……生前に強い力を持った術士が、死を超越した存在へと到達した状態だ。不死者などとうそぶいているが、要するに生と死の摂理せつりに耐えられなかった心の弱い人間である。

 未練みれんかたまりみたいなリッチは、色褪いろあせた法衣を揺すって笑う。


「フォッフォッフォ! リッチのワシが、立地の悪い迷宮に……フォッフォッフォ!」

「見ろ、ドッティ君。バカウケだ。……見逃してやろうか? いい人かもしれん」

「ちょっと先輩! 禁術の件でしょ! さっさと仕事を済ませましょうよ!」


 僕の言葉で思い出したように、ヒュン! とタュン先輩はジッテを振るう。

 彼女の目は真っ直ぐ、欲深き亡者もうじゃへと視線を注いでいた。


「さ、禁術に関する文献を全て出してもらおうか。その後、土にかえってもらう」

「馬鹿め……ワシが蘇らせた太古の魔法を、国家権力の犬などに!」

「よすんだ、禁術は危険なのだ」


 だが、遅かった。

 宙へと伸べられた骨の手に、マナが集まり始める。

 生命力の象徴たるマナを、こうも干からびた死骸しがいが使役するのは滑稽こっけいだ。だが、死を超えたことで有限なマナの制約をも有耶無耶うやむやにしてしまうのがアンデッドである。

 あっという間に術式じゅつしきが構築され、太古の魔法が発動仕掛けた。

 だが、タュン先輩は全く態度を崩さない。

 目の前のリッチを中心に、渦巻く空気が気圧を変動させていった。


「カカカッ! 恐怖で言葉も出んか、小娘ィ!」

「ああ、全く恐ろしいよ……無知とは実に恐ろしい。そして、失笑だね」

「何だと! このワシを恐れよ! あがめよ! 畏怖いふ畏敬いけいの念を抱いて、死ねぃ!」

「……君はその禁術が、どういったものか知っているのかい?」


 タュン先輩の言葉に、カタカタとリッチが笑った。


「これぞ、神話の時代に世界を焼いたメギドの火……古い文献をあさり、解読し! 手探りで拾ってつむいだこの禁術……今こそ魔王もろとも、世界はワシにひれすのだ!」

「ふむ……そこまでわかっていながら、残念だよ。そう、原初の世界を震撼しんかんさせた、メギドの火。使ってみるがいい」


 先輩、何てことを!

 僕は驚きのあまり、タュン先輩に抱き付いてしまった。

 恐ろしい禁術のことだ、あっという間に骨も残さず僕達を焼き尽くすだろう。リッチとは、生と死の連環を超越したことで、膨大な魔力を得ているのだ。

 そして、リッチの手に炎が赤々とともる。


「馬鹿め、消え失せろぉ!」


 僕は思わず目をつぶった。

 腰にしがみつく僕の頭を、ポンポンとタュン先輩が叩く。

 そして……恐る恐る目を開いた僕は、ありえない現実を目にしていた。


「な、何が……これが、禁術だと!? ど、どうなっているのだ!」


 リッチの手に今、

 それを見て、溜息ためいきと共にタュン先輩は肩をすくめる。


「それが危険な禁術の正体だよ、リッチ」


 僕もリッチも、訳がわからなかった。

 どうしてこんな、ランタンの光にも似た小さな炎が? メギドの火だって?

 タュン先輩は落胆らくたんを隠しもせずに、語り出す。


「それは確かに、太古の昔にメギドの火と呼ばれていた呪文だ。だって、そうだろう? 魔法という学問が生また、その黎明期れいめいき……無から火を出すことができた最初の呪文なのだから」

「そ、それでは……ワシが解読した禁術は!」

「そう、今となっては初歩の魔法にもおとるささやかなものだ。そんな術を冒険者に使わせるのは危ない……雑魚モンスターとて倒せないものだからね。だから、禁術なのだよ」


 そして、タュン先輩がえとした笑みを浮かべる。

 美貌びぼうの女警部が、突然残忍ざんにんな美しさをリッチに突きつけた。


「君が思うような禁術を、見せてあげようか? なに、礼はいらない。冥土めいど土産みやげとはよく言ったものでね……安心してちゃんと死ぬといい。お別れだよ、死に損ない」

「ま、待ってくれ! そ、その術は!? ま、まさか、それこそが!」


 タュン先輩の手に、炎が現れた。

 見るも不可思議な、。それは逆巻くほむらとなって彼女の手の中で荒れ狂う。あっという間に火球へと膨れ上がって、そのまま白銀の輝きをきらめかせた。

 まるで地に落ちてきた太陽だ。

 リッチはいよいよ表情のない髑髏どくろの顔をひきつらせる。


「わ、わかった! もう禁術はいい! ……そうだ、こんな話がある。聞いてくれ、異世界警察にとって大事な情報を知っているのだ!」

「ほう? 私を相手に、司法取引しほうとりひきでもするつもりかね」

「ああ、そ、そうだ。連続勇者殺人事件……その犯人につながる手がかりを知っている! だから――」


 瞬間、タュン先輩の手から白い闇が解き放たれた。

 部屋中を煌々こうこうと照らして、白亜の爆発がリッチを包んでゆく。その瞬間に気付いたが、タュン先輩は自分ごと僕を魔法の結界で守ってくれていた。

 以前から魔法が使えるのは知っていたけど、こんな恐ろしい術を?

 これこそが禁術……何かを言いかけたリッチは、そのまま跡形もなく消滅してしまった。


「ふう、今のが禁術中の禁術……地水火風の精霊達によらぬ、古代魔法ハイ・エインシェントというやつだよ。それと……連続勇者殺人事件? 手がかり? フン、私はネタバレが大嫌いなのだ、覚えておきたまえ」


 後半は、まるで僕に言い放つような言葉だった。

 その時の先輩は、いつもは見せない怖い表情をしていた。それはまるで、連続勇者殺人事件の話題を避けているようにも見える。これといって進展のない事件で、手がかりならばなんでも欲しいはずだし、モンスターとして殺してしまうのも考えものだ。

 その時初めて、僕はタュン先輩に対して小さな猜疑心さいぎしんを持った。

 それはすぐに、胸中きょうちゅうに広がってゆくのだった。

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