第7話「淵より来るもの(後)」
酷い嵐の中を、僕は走った。
そして、その先を今もタュン先輩が
月明かりさえない闇の中、森は巨大な何かによって
だが、こんな時でもタュン先輩は酷く冷静だ。
「ふむ、異界の邪神というのは随分とやかましいものなのだね。聴こえるかい? ドッティ君」
「何がですか! 雷雨と暴風とで、何も聴こえませんよ!」
「耳を澄ませたまえ……まるで
ふと脚を止めて、僕は目を閉じる。
元から機能していない視覚を、この闇の中で閉ざす。
すると……
それはとてもおぞましくて、原初の恐怖をかきたてるようだ。風雨の音に入り交じるそれは、すすり泣くような、歓喜に叫ぶような声色である。
そう、人の声のようにも聴こえたのだ。
「ドッティ君。これを街に出してはならない……私は奴の前に回り込む」
「どうやって!」
「何、簡単だよ……奴の脚がこれから
「なるほど! その
自信満々に
彼女ははっきりと、酷いことを言ってのけた。
「君が命懸けであれの注意を引くんだ。君を
「ちょっと待って下さいよぉ! 僕に死ねって言うんですか!?」
「誰もそんなことは言っていない。ただちょっとだけ、ほんのすこしだけ足止めしてほしいのさ。……君だけが頼りだ、ドッティ君」
「そんな……ずるいですよ、先輩」
そう、いつだってタュン先輩はずるい。
全幅の信頼を寄せてくるその
そして、
「……わかりました、足止めを試みます。そのあとは……お任せしていいんですね?」
「
「や、そういうのじゃなくて……タュン先輩、勝算があるんですよね!」
「任せたまえ。私を誰だと思っている? さて、では行くか」
それだけ言うと、そっとタュン先輩は身を寄せてきた。
そして、ずぶ濡れの彼女の
寒さの中で突然、僕の身体が発火したように熱くなった。
「ふふ、幸運のおまじないだ。では、頼む」
「は、はい……」
僕は先輩がキスしてくれた頬を手で
その間にも、外套をマントのように翻してタュン先輩は行ってしまった。
そして、僕は意味もなく絶叫して走り出す。
「うおおおおっ! こうなりゃ
全力疾走。
出入りする空気が溶けた鉄のように熱い。
僕は、走る。
ひた走る。
邪神のスピードはそこまで速くない。だが、
心細いが、今の僕には頼もしい武器がある。
タュン先輩が火を点けた、僕自身の勇気だ。
「止まれーっ! これ以上先には、行かせないっ!」
地を蹴りジャンプで、異形の
ゆっくりと振り向く、その姿を
人の姿に
身を揺する度に邪神からは、歯車同士が噛み合うような音が響いていた。
その巨体の上へと、僕は着地する。
「火事場の馬鹿力ってやつかな……僕にこんな身体能力が、うわっ!?」
当然、邪神は僕を振り落とそうとした。
ジッテを体表へと突き立て、僕はその場で踏ん張る。
なんてことだ……この邪神は、邪神なんかじゃない。異界の神に思えたそれは――
「きっ、機械だ! これは、機械だ! どうなってるんだ……こんな巨大な装置が!」
そう、邪神の正体は機械だ。
金属で骨格を組み上げられ、無数の部品で構築された機械の巨人。その威容はやはり、この世界においては邪神か、それ以上に危険な存在だ。
はっきりと僕はわかった。
あの屋敷の元勇者、アイゾウ氏を殺したのはこれじゃない。この巨体が、屋敷の中を荒らさずに書斎まで行くことは不可能だ。
そして、これは邪神などではない。
アイゾウ氏がいた世界から呼び出された、人の形をした機械なのだ。
「ゴーレムの類だろうか!? だけど、うわっ!」
振り回す巨人の両腕が、何度も僕の頭上を行き交う。
背中にへばりついたまま、僕は振り落とされないように踏ん張った。
そして、少しずつ頭部を目指して登ってゆく。
その間ずっと、巨人はスピードを緩めたように思えた。
「こいつ、このっ! ハァ、ハァ……あれ? おかしいな……どうして、僕は、こんな……身体がっ、動く! 力が、
絶叫を張り上げるような駆動音の中、僕は驚いていた。
自分でも運動は苦手だし、こんなに動けるとは思わなかった。まるで、本で読んだ勇者に自分がなったような感覚。そして、びっくりする位に冷静だ。
淡々と攻撃を避けつつ、僕は巨人の頭部へしがみつく。
ああ、やはり僕は心の壊れた人間なんだ。
両親が死んだあの時に、壊れてしまったのだ。
何も、怖くない。
恐怖心が思い出せない。
そして……徐々にだが街の明かりが見えてきた。
郊外に建てられた教会の十字架が、雷鳴の轟く中に浮かび上がる。
その屋根の十字架に、一人の女性が立っている。
「
タュン先輩だ。
彼女は全裸の方がまだ健全に見える、きわどいビキニアーマーで両手をかざす。
手と手の間に、バチバチとスパークする
僕は
突き立てたジッテが、何かを噛むような音と共に突き立った。
そして、僕は大地へと転げ落ちる。
受け身を取って転がりながら、金切り声と共に暴れる巨人を見やる。
その頃にはもう、上空の嵐よりも眩い光がタュン先輩の美貌を飾っていた。
「これで終わりさ……君が何かは知らないがね。異界の邪神だろうが、機械の巨人だろうが……この世界には、不要な異分子だ。消え去りたまえ」
タュン先輩の放った魔法が、周囲を
僕が突き立てたジッテに、
連続して二度三度と、蒼い稲妻が巨人を地面に縫い止めた。
停止した巨人は、そのままゆっくりと倒れた。
タュン先輩が魔法を使えることは知っていたが、ちょっとした冒険者や転生勇者じゃ
だが、彼女はフンと鼻を鳴らすと、教会の屋根から降りてきた。
そーっと足先で地面を探しながら、不格好に降りてきた。
「ちょっと、ドッティ君。その、手を貸してくれたまえ。高いところは苦手なのだよ」
「……じゃあ、なんで登ったんですか」
「君は
「危ないっ、先輩!」
二人で倒れ込む中で、僕はずぶ濡れの上に泥だらけだ。
だが、それはタュン先輩も同じである。
「ふう、助かった……ありがとう、ドッティ君。さ、立ちたまえ」
「ど、どうも。それで、あれは」
「うん、あれは……ロボットだな」
「ロボット?」
聞き覚えのない単語だ。
だが、沈黙した機械の巨人を見やって、タュン先輩が教えてくれる。
「もともとは労働者という意味の異界語だ。異世界の
「はあ……何か、錬金術のゴーレムに似てますね」
「うん。だが、emethの頭のeを消さなくても倒せる。ただの機械だからね」
「あの、アイゾウ氏の世界はこんなものに支配されていたんでしょうか」
「異世界にも色々あるのさ。ロボットが支配する世界……そこから来たなら、私達の世界が天国に見えたことだろう。もっとも、皮肉にも彼はこの地で勇者として働くために、故郷の支配者たるロボットを呼び出し
それだけ言うと、ふとタュン先輩は形良いおとがいに手を当てる。
考え込む彼女の横顔が、知的な輝きで満ち満ちていった。
「……このロボットを召喚したのは、アイゾウ氏のようだが。彼の意思によるものかな?」
「と、いいますと……?」
「彼も元は勇者だ。自分を殺しに来た者から身を守るために、これを召喚したということは」
「であれば、手遅れだったということでしょうね」
「もしくは……これを召喚することが目的だったのか。ふむ……」
とりあえず僕達は、一度中央の
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