第11話「下町の朝、二人きり」

 朝の王都おうとを歩けば、形ばかりは平和そのものだ。

 魔王の支配が始まって、百年……こうしている間も、闇の軍勢は大陸中で暴れまわっている。残念だけど僕達は、異世界から転生してきた勇者に頼らざるを得ないんだ。


「意外だな……こんな下町に住んでるんだ、タュン先輩」


 王宮の周囲には、貴族や名士めいしの高級住宅が並んでいる。

 そこから大通りを下って、まだまだ区画整備の進んでいないダウンタウンを僕は歩いていた。路地ろじでは子供達が遊んでいるし、井戸端いどばたでは女達が今日もかしましい。

 そんな中で、僕がたどり着いたのは古いアパルトメントだ。

 以外にもタュン先輩は、賃貸物件ちんたいぶっけんに住んでいるのだ。


「あー、ゴホン! タュン先輩! 僕です、ドッティ・カントンです。おはようございます!」


 先輩の部屋の前で、ノックしてから呼びかける。

 少し時間をおいて、中でガタゴトと音がした。

 亡国ぼうこくの姫君とはまるでイメージが程遠い。タュン先輩の給料なら、もっといい場所に住めるだろうに。

 そう思っていると、扉が開く。

 そして、僕の呼吸と鼓動は止まってしまった。


「ん……おはよう、ドッティ君。なんだい? よくこの場所がわかったね」

「せっ、せせせ、先輩っ! 服! 服を着てくださいっ!」


 眠そうな目をこすりながら、タュン先輩が顔を出す。

 ドアの隙間から、白い半裸の肌がまぶしい。

 下着姿のタュン先輩は、どうやら今まで寝ていたようだ。

 普段からきわどいビキニアーマーで見慣れているけど、やっぱり目に毒、猛毒である。


「ああ、気にするな。ま、入りたまえ」

「気にしますよ! 何でいつもそう、無頓着むとんちゃくなんですか。その、僕も健全で健康な男子としてですね」


 文句を言いつつ、お邪魔する。

 そして、絶句。

 手狭なワンルームは、庶民的な広さだが……

 先輩のお部屋は、汚部屋おへやだった。


「もぉ、何ですかこの有様ありさまは! タュン先輩!」

「大きい声はよしたまえ、近所迷惑だろう。集合住宅なんだぞ?」

「……何でこんなとこに住んでるんです? 生活能力ゼロですよね、見るからに」

「まあ、私にも色々とあるのだよ。適当にかけてくれたまえ、茶ぐらい出そう」


 黒い下着だけの姿で、やれやれとタュン先輩は屈んで服を探し始めた。

 あの、お尻を僕に向けないでください……あと、かけてくれたまえって言っても、この散らかった部屋のどこに座れって言うんですか。

 僕はとりあえず、壁際に立って先輩と距離を取った。

 そして、改めて乱雑な部屋を見渡す。

 あちこちで本がうず高く積まれて、脱いだ服が散らばっている。そして……何に使うのかわからないアレコレ、それこそ異世界警察の僕でも初めて見る物体が所狭しと置かれているのだ。


「先輩、あの……こ、これって」

「ああ、異世界警察で押収おうしゅうした品々だ。便利なものばかりだぞ? 例えば、そう……これ」


 先輩はつぼのようなものをヒョイと持ち上げた。

 銀色に鈍く光る、円筒形えんとうけい。持ち手がついてて、まるで太った鳥のようでもある。


「これはな、ポットだ。入れた湯がしばらくずっと熱いままになる。頭を押し込むと、湯が出る。ジャー、ってね。ジャーって」

「は、はぁ……って! 駄目ですよ、勝手に押収品を持ち出して!」

「勝手にではないぞ、ちゃんと断りを入れている」

「あ、そうなんですか?」

「ああ、リシーテにちょいとにぎらせれば、何でも借りたい放題だ。覚えておきたまえ」


 ……駄目だ、早く何とかしないと。

 そう、何とかしないと……僕の疑念ぎねんがどんどん純化してゆく。

 タュン・タップン警部のことは、心の何処どこかで密かに尊敬していた。いつも飄々ひょうひょうとしていて、その実とても鮮やかな捜査手腕で事件を解決してゆく。冒険者として登録はしていないが、魔法の腕もかなりのものだ。

 だが、知れば知るほど駄目な人間に見えてきて切ない。

 そして、例の連続勇者殺人事件れんぞくゆうしゃさつじんじけんに対して……異世界警察への背信がにおうのだ。


「例えば、ドッティ君。ええと、あー……うむ。どこに置いたか」


 ガサゴソと動き回るタュン先輩は、宝物庫を守るドラゴンのようだ。

 この部屋を埋め尽くす押収品は、全て異世界警察が違法と断じた品々なのだ。

 ようやく下着姿にシャツだけを羽織はおってくれて、タュン先輩は何かを投げてくる。黒い下着が隠れたが、隠れただけなので……、えっちだ。いかがわしい、大変眼福がんぷくなのだがいやらしい。


「とっ、とと……何です? これ。……え!? これ、紙ですよね! 紙のコップだ」

「そう、その名もズバリ、紙コップだ。異世界の使い捨てのコップさ」


 この時代、紙は貴重だ。

 それは、現代の製紙技術を凌駕りょうがする肌触りの紙。紙でできたコップだ。内側に目盛りがたくさんついてて、それは手書きには見えない几帳面な異世界語だ。僕も少しなら読めるけど、ええと……ケンニョウ? 何だろう、これは確か漢字とかいう言語だ。

 使い捨てのコップという発想がまさに、異世界を通り越して異次元だ。

 そう思っていると、すぐ間近に先輩が立っていた。

 眠そうなタュン先輩からは、汗の匂いに入り交じる甘やかな香りが柔らかい。


「ドッティ君、これはティーバッグだ。一回分の茶葉を特殊な紙で包んである。ティーバックじゃないぞ、ティーバッグだ。私はどっちも好きだがね」

「は、はあ……Tバック? なんです、それ」

「今度見せてあげよう。男の子の大好きなものだと思うからね」


 糸でぶら下がる小さな袋を、先輩は僕の紙コップに入れた。

 そして、先程のポットから湯を注ぐ……本当に湯が出て、僕は再度驚いた。

 穏やかな朝の空気に、茶の香りをくゆらす湯気が静かに立ち昇る。

 先輩も自分で同じものを作り、ベッドに腰掛け脚を組んだ。


「で? どうしたんだね。急に訪ねてきたので驚いたよ」

「あ、いえ、その……タュン先輩、ちょっと聞きたいことが」

「ん、何だね? ああ、立ってないで座りたまえよ。落ち着かないだろう」

「どこにですか、どこに」


 ふむ、とうなって先輩は部屋を見渡し、沈黙の後で隣をポンポンと叩く。

 え、ベッドに並んで座れって? それ、いいんですか……まずくないですか。僕のこと、ぼっきれか何かと思ってませんか? 本当に不確定名ふかくていめい棒状ぼうじょう屹立きつりつ』になっちゃいますよ、股間が。

 だが、タュン先輩の眼差まなざしに引き寄せられるように、渋々僕はベッドに座った。

 なるべく離れて腰掛けたが、まだじんわりとシーツが温かい。


「で、何だね」

「あの……タュン先輩。単刀直入に聞きます。……連続勇者殺人事件、タュン先輩は何かを知っているんじゃないですか?」

「何か、とは?」

「それはわかりません。ただ……先輩は意図的に、捜査を遅らせ、手がかりをあえてもみ消している……そういう風にも見えてしまうんです。誤解だったらいいんです、あやまります、けど」


 先輩はすぐ横で、玲瓏れいろうな表情を向けてくる。

 短い沈黙の後に、彼女は形良い鼻梁びりょうから溜息をこぼした。


「つまり、ドッティ君は私が背任行為を働いているというのだね? ……何故なぜだろう。酷く悲しいね。何が君をそう思わせたのだろうか」


 ちょっとちょっと、どの口が言いやがりますか?

 流石さすがにちょっとイラッとした。

 リシーテさんに賄賂わいろを握らせ、不当に押収品の数々を私的に専有してる人の言うことだろうか。だが、お茶を一口飲んでから、不意にグイとタュン先輩が身を寄せてきた。

 肩を組んで、僕を引き寄せる。

 覗き込んでくる顔には、あの不敵な笑みが浮かんでいた。


「ドッティ君……私を信じろとは言わんよ。でも、信じてみたらどうだね?」

「ど、どうやって」

「例の事件……連続勇者殺人事件は、根が深い。尻尾をつかむ程度では、おそらく手痛い逆襲にあう。事件の黒幕にな。掴んだ尻尾は切り離され、その後に組織の中でるされくびころされる……そういう事件だ」


 先輩の顔が近い。

 そして、ぞっとするほどに綺麗だ。

 僕は思わず、ゴクリとのどを鳴らす。


「……信じて、いいんですね?」

「ああ。悪いようにはせんよ。手がかりらしい手がかりを握れば、それだけで組織は察知するだろう。だから、半端はんぱなことをしても駄目なのだ。この事件はすでに、初めて勇者達が異世界から転生してきた時……


 驚きだ。

 そして、納得してしまった。

 先輩の言葉に、不思議な説得力がある。

 数十年前とか、そういうレベルではなかった。

 では、そのタュン先輩の言う組織とは?


「いいかね、ドッティ君。私達はこれからも、そしらぬ顔をして違法な異世界の文化、文明、勇者の行為を摘発てきはつしてゆく。その中で……誰にも気取られず、巨大な組織を追い込む」

「……僕にそんなこと、話していいんですか? 僕がその組織の末端まったんということは?」


 いや、むしろもう末端で、先輩もそうだ。

 ひょっとしたら、タュン先輩の言う組織とは――

 だが、ポンポンと気安く先輩は僕の頭を叩く。


「安心したまえ。君にそんな甲斐性はない。度胸もないさ。それは私がよく知っている」

「どういう意味ですか、どういう……あと、近いです! か、顔が、近いです」

「はは、なのだな。さ、話は終わりだ……そうそう、これを君に」


 先輩は枕元から、何かを取り上げた。

 そう、スマホだ。

 正確には、スマホもどき……この時代の精霊や魔法を駆使して作った、スマホと同じ機能があるアイテムである。勿論もちろん、違法だ。


「持っていたまえ」

「……いいんでしょうか。それに……先輩、これが必要だからあえて手にしたんじゃ」

「そうだとも。ふふ、知ってるかね?  ドッティ君……スマホというものはね、新しいものがすぐに出る。無駄な新機能がゴテゴテついてな」


 そう言ってニヤリと笑い……タュン先輩はスマホを差し出す。

 もう片方の手には、おそらく新しいものであろうもう一つのスマホが握られていた。


「さ、愛しの共犯者きょうはんしゃ……持っていたまえ。便利だぞ? ちなみにこっちの最新のものは、手鏡てかがみになるし、全自動ひげ剃りにもなる。昨日も無駄毛の処理が楽で驚いたよ。そっちの古いのでも、手紙のやり取りや通話は勿論もちろん、グウグルも使役しえきできるし音楽だって聴ける」

「……共犯者、ですか。わかりました、タュン先輩。でも……信じさせてくださいね? 行動で」

「ああ、任せたまえ。さ、話は終わりだ。少し早いが昼飯でも食べに行こう」


 そう言って立ち上がった先輩は、散らばった服を拾いながら……シャツを脱いで下着に手をかける。あわてて後ろを向きながら、無防備さに僕はドギマギした。

 だが、不安だ……僕はどこまでタュン先輩を信じられるだろうか。

 タュン先輩は、どれだけ僕を信じさせてくれるか……不安だった。

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