第6話「淵より来るもの(前)」

 鬱蒼うっそうしげる木々が、暗い樹海じゅかいを織り成し広がる。

 その奥、人里離れた地に巨大な洋館があった。

 かつて転生勇者だった男が、冒険者としてざいを築いて建てた豪邸ごうていだ。僕とタュン先輩は今、人の気配が消えた建物の中を歩いている。

 静寂せいじゃくやみに沈んだ館内は、とても不気味だ。


「見たまえ、ドッティ君。スマホにはこうして光をともす機能もある。便利だろう?」

「……先輩、結局持ってきちゃったんですか、それ」

「私物化してる訳ではないぞ? ……少し、気になることがあるのだよ」


 今日も今日とて、痴女姫警部ちじょひめけいぶことタュン先輩は唯我独尊ゆいがどくそんだ。

 真っ暗な邸内の中を、スマホもどきを手に歩く。

 精霊を閉じ込めた虹水晶にじすいしょうの板切れからは、まばゆい光が闇を照らしていた。なるほど、スマホというのは多彩な機能を持っているのだなと、改めて感心してしまう。

 ちょっと、欲しいかも。

 いやいや、いやいやいやいや! いけない、それではタュン先輩や腐敗した異世界警察の人間と同じになってしまう。我慢だ、我慢!

 そうこうしていると、先を歩くタュン先輩はドアの前で立ち止まった。


「廊下の最奥さいおう……私が自分の書斎しょさいを構えるなら、このあたりだが……どうかね?」

「入ってみますか? タュン先輩」

「もちろんだとも」


 タュン先輩は、腰のジッテを引き抜きつつ、ノックを一回。

 そして、返事を待つが空気は静まり返っていた。

 再度ノックをして、タュン先輩は咳払せきばらいを一つ。


「ゴホン! 異世界警察の者だが……返事がない。ただのしかばねのようだ」

「ちょと先輩! 滅多めったなことは言わないでくださいよ! 縁起でもない」

「では、確かめてみるとしよう。入るぞ」


 ドアに鍵は掛かっていなかった。

 そして、ギイイとかしいだ音を立てて開かれる。

 その先へとタュン先輩がスマホを向けると……奥の大きな机の上に、突っ伏すようにしてうずくまる人影があった。

 恐らくこの屋敷の主人だ。

 僕は急いで駆け寄り、その身体に触れる。

 揺すった肩はすでに冷たかった。


「……タュン先輩、死んでます」

「ん、見ればわかる。死後、三日前後というところか? このにおいは」

「外傷は……背後から心臓を一突きですね」


 奥の大きな窓に向かって、机が置かれている。そこに座ったまま、男は息絶えていた。

 勇者連続殺人事件ゆうしゃれんぞくさつじんじけんの、新たな被害者という訳だ。

 そう、既に引退した転生勇者でも、犯人達の手からは逃れられない。

 僕は慎重に周囲を見渡す。室内は散らかっておらず、男が何らかの抵抗を試みた痕跡こんせきは見て取れない。


「完全に不意打ち、一発で即死……ですね、多分」

「見たまえ、ドッティ君。被害者が何か書き残している。ぞくに言う、という奴だ」

「あ、本当だ」


 机の上に突っ伏していた男の身体を持ち上げると、その下に日記帳があった。

 そして、そこには丁度三日前の日付で日記がつづられている。

 ヒョイとその日記帳をタュン先輩は取り上げた。そして、最後のページである三日前の日記を読み始める。通りが良くて耳に心地よい声は、不気味な闇に沈む邸内の空気を震わせた。


「えー、なになに……私はなんてことをしてしまったのだろう。ふむ、いきなりの懺悔ざんげから始まっているね」

「先輩、何か犯人の手がかりになるようなことは!」

「まあ、待ちたまえ。……私はなんてことをしてしまったのだろう。ついにこの異世界へと、邪悪なる存在を呼び込んでしまったのだ。それは今も、こうしている今この瞬間も、私の背後へとってきているかもしれない。だそうだ」


 意味がわからない。

 だが、死の間際に無意味なことを書くだろうか?

 僕はさらに続きをうながす。

 タュン先輩は何かの違和感を感じたようだが、読み進めていった。


「私は常々、この異世界での暮らしについて考えてきた。ここは、平和だ。魔王の支配などという、とは全く次元の異なる低レベルな脅威に包まれている。私が元いた世界では、あれの支配は既に人類を死滅へと追いやらんとしていたというのに」

「……この勇者は、どんな世界から来たんですかね?」

「さて、それはわからんね。で、だ……続きを読もう。ええと、ふむ……こうしている今も、音を立てて己を引きずりながら、邪悪な存在が近付いてくる。ああ、窓に! 窓に! 既にもう、ここまで来てしまったか」


 内容を整理すると、どうやらこの転生勇者……元勇者だった男は、自分がかつていた世界から何かを呼び出したらしい。

 元の世界で人間をしいたげていた、何かを。

 それは恐らく、異世界警察が野放しに出来ぬ存在に違いない。

 だが、先輩は違うことが気になるようあ。

 一通り日記をパラパラとめくってから、それを僕に渡してくる。


「ドッティ君、君も最後のページを自分の目で確かめたまえ」

「あ、はい……えっと、何か……脅威に迫られているにしては、余裕がありますね。こんな文学じみた言葉を残して、それを綴りながら死んでいった訳ですよね?」

「それもそうだが……前の日付の日記ともよく見比べるんだ。……最後のページは、が見受けられるが、どうかな?」


 慌てて僕は、あちこちページをめくって字を見合わせてみる。

 巧妙に似せられているが、最後のページは途中から筆跡ひっせきが本人のものとは異なるようだ。


「つまりこれは……」

偽装殺人ぎそうさつじんだね。彼が呼び出した何かに殺された……そう見せかけて、その実は違う。彼を殺した者が仕組んだ偽装工作だよ」

「だとしたら、何の意味が」

「……とりあえず、明日にでも中央に一度戻ろう。過去の勇者の病死、老衰死ろうすいし、事故死……殺人以外の死因を洗わなければ。私達が思った以上に、多くの勇者が作為的さくいてきに殺されている可能性がある」


 十年以上前から続く、連続勇者殺人事件。

 その被害者は、異世界警察で把握している以上に多いのかもしれない。天寿を全うしたと思われた勇者でさえ、もしかしたら……そう思うと、僕の背筋を冷たい何かが這い上がった。

 同時に、外ではゴロゴロと暗雲が鳴り出す。

 いい天気ではなかったが、どうやら一雨くるらしい。


「それと、だ……この、彼が召喚した何かとは、いったい。ドッティ君、この勇者は」

「はい、転生勇者番号てんせいゆうしゃばんごう804746……アイゾウさんという方ですね。彼の能力は、どうやら召喚系のものらしいです。何でも、異界より邪神を召喚して使役したとか。本当ですかね?」

「転生勇者は神にも等しい力を与えられている。それに、異世界で神だとしても、私達の世界から見れば悪魔かもしれないだろう?」

「少なくとも、友好的なものは感じないでしょうね」


 静かに森へと雨が振り始めた。

 そんな中で、先輩のスマホもどきの明かりを頼りに、僕は室内を調べる。

 やはり、被害者は座っているところを後ろから一突き……鋭利な刃物でつらぬかれて死んでいた。足元への血痕もあって、それは確かだ。

 その上で、犯人は彼が書きかけにしていた日記の続きを書いた。

 あたかも、彼の呼び出した邪神が彼自身を殺したかのように。


「ふむ……この勇者は一線を退いて久しい。既に転生勇者としての活動実績がなくても、犯人にとっては殺す対象たりえるのだろうな」

「タュン先輩、そろそろ引き上げますか? それとも、別の部屋を」

「いや、もういいだろう。こんな邸宅に一人で住んでいた被害者だ。恐らく、この書斎を含む僅かな部屋のみを生活空間としていた可能性が高い。残りの捜査は地元の所轄しょかつに任せるとして、だ」


 不意にタュン先輩が怜悧な真顔を凍らせた。

 その視線は、被害者の机を通り過ぎて、窓の外へと向けられる。

 外は、闇。

 深い森の木々が、しとしとと降り始めた雨に濡れている。


「さて、ドッティ君……今回もまた、勇者が殺された。そして……その罪を着せられたのは、彼が召喚したことになっている何かだ。では」

「では?」

「彼を誰が殺したか、何者が殺したかは別にして……その、召喚されたと推測される何かは、どこに行ったんだろうねえ?」


 雷鳴らいめいとどろき、稲光いなびかりが部屋の中を照らす。

 そして、僕は見た。

 陰影が浮かび上がる中に、巨大な異形の姿を。


「タュン先輩! 窓! 窓に! 窓の外にっ!」


 その時もう、既に外の異形は移動を開始していた。

 二度三度と稲妻いなずまが光る中で、その背中が遠ざかってゆく。

 ずるずると大質量を引きずるような、その巨躯きょく

 間違いない……オークやゴブリンといったモンスターではない。大きさからして、ヒュドラやワイバーンのようだが、それよりも禍々まがまがしくておぞましい姿だ。

 かろうじて人型に見える上半身が、深い森の中へと消えてゆく。

 それを見送り、タュン先輩は急いで部屋を出る。

 走る彼女を追いかけ、自分も急いで外へと向かった。


「非常にまずいね、先程のが恐らく……召喚されし何か。そしてそれは今、街へと向かったようだ」

「やばいですよ、先輩っ!」

「黙って走りたまえ! 可能かどうかはわからんが、人里ひとざとで暴れる前に止めてみようではないか」


 それだけ言うと、タュン先輩の脚線美きゃくせんびが加速する。

 急いで外に出た僕は、ジッテを抜き放って闇を見詰めた。嵐のような風雨の中、ミシミシと木を薙ぎ倒す音が遠ざかってゆく。

 迷わず追いかけるタュン先輩に続いて、濡れるのも構わず僕は走った。

 刃すらついていない警棒けいぼうのジッテが、驚く程に頼りなかった。

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