第3話「インカの目覚め、いいんかい?」

 異世界警察いせかいけいさつの朝は早い。


「君、好きで始めた仕事だろう?」


 いえ、僕はその……上司が自堕落じだらくなのが不満でして。

 まあでも、確かに朝が早いですね。今、夜明け直後の午前五時です。すでに王都の大市場おおいちばではりが終わった直後、先程の活気と熱狂が静かに拡散してゆく。

 誰もがまだ眠っている今、物流は動き出していた。


「やっぱり嬉しいのは客の声かい? 感謝の声……ふむ。私も君からそういった言葉を欲しいものだね」


 その逆は一度もありませんけどね!

 さっきから勝手なモノローグを付けてくれるのは、上司のタュン・タプルン警部。勿論もちろん、通報があって駆けつけた市場の場内でも、興味なさげに巻物に目を落としている。

 今日はしょぱなからもう、雑務ですらない、仕事と関係ない巻物だ。

 一生懸命『王国百景観光おうこくひゃっけいかんこうガイド』なんかながめてる。

 ポンコツ名警部めいけいぶ敏腕助手びんわんじょしゅこと、ドッティ・カントン……つまり僕としては、非常に腹ただしい。イラッとする、不条理と理不尽を感じる。

 だが、僕は持ち前の精神力で事件そのものに向き合うことにした。

 タュン先輩はもう、これは一種の安楽椅子探偵あんらくいすたんていみたいなものだと思う。僕が働けば働くほど、その何万分の一くらいは力を発揮してくれると思いたい。もういっそ、安楽死探偵あんらくしたんていとして旅立ってもらいたいくらいだ。


「あ、では……その、改めまして。異世界警察のドッティ・カントン巡査じゅんさです。ええと、通報された方は」

「俺だよ、俺。転生勇者番号1074104……まあ、勇者やめたんだけど。いやあ、朝からすまないね」


 僕の声に手を上げたのは、周囲に居並ぶ屈強な男達の一人だ。

 聞けば、彼は異世界から転生してきた勇者だという。

 実際に勇者として召喚されたが、その時に持ち込んだ能力が戦闘向きではなかったため……現在、絶賛跳梁中ぜっさんちょうりょうちゅうの闇の軍勢には立ち向かわないことにしたという。


「だってさあ、聞いてくれよ。俺ぁ、北海道で農家をやってたんだ。丁度ちょうど収穫の時期に仕事にいそしんでいたら、暴れ牛にかれて……気がついたらこの異世界に転生してたんだ」


 珍しいパターンだ。

 僕はメモを取りながら、過去の事例と照らし合わせてゆく。

 勇者……それは全て、教会がほうじる神が魔王討伐のために呼び込んだ異世界の英雄だ。その全てが、何らかの特殊能力とオーバーテクノロジーを持っている。

 因みに、教会がしゅと定めた神の名は確か……トーラ=ツークだったかな?

 いや、トゥラックだったか。

 ごめん、教会の教えにはうとくて。

 で、勇者をやらないと決めた男は言葉を続ける。


「他の連中はいいよ、そりゃ! 火を出したり、瞬間移動したり! チートだよ、チート! すげえ力持ってるじゃん。スマホだけで無双したり、他にも色々……でもなぁ! 俺にはこれしかない! 俺が北海道から持ち込んだのは、これだけなんだよ!」


 彼の手には、土に汚れた何かのかたまりがある。

 よく目をらせば、果実に見えなくもない。岩石の塊とも思えるし、何かしらの球根きゅうこんかもしれない。何にせよ、異世界から持ち込まれた立派な勇者のあかしだ。

 そして、元農夫で勇者もやめた彼の言葉に、周囲の男達が声をあげる。


「こいつはこれを、いもだと言うんだ! けどよぉ」

「ああ、見たこともねえ……なんつったか? インカの目覚め?」

「そういう感じだ、これを市場に流通させたいなんて言いやがる」


 男達は皆、この巨大な市場の顔役かおやくだ。

 市場に出入りする卸商おろししょうであり、生鮮食料品の流通を牛耳ぎゅうじっている。

 つまり、単純に言えばこうだ。

 勇者としての生き方に自信がないので、唯一異世界から……その、ホッカイドウとかいう場所から持ち込んだ、不確定名ふかくていめい』を売りたい通報主。

 それに対し、厄介事やっかいごとには関わりたくない、現状維持を望む市場の顔役達。

 流血も盗難もなく、この世界のことわりを揺るがす事件でもない。

 単純に、生きる以上はかてを得たい元勇者と、変化を嫌う保守的な体勢との軋轢あつれきだ。


「えーと、あの、すみません……異世界警察としましても、民事不介入みんじふかいにゅうという原則がありまして」


 この世を異世界と呼ぶ、異世界から来た勇者達。

 彼等のもたらす技術や発見、そして説明不能なテクノロジー……そうしたものが世の中へと不当に干渉かんしょうし過ぎるのを防ぐのが異世界警察だ。

 だが、事件性のない案件に対しては手を出さないことになっている。

 きりがないからだ。

 いちいち相手にしていられない。

 僕のはんで押したような言葉に、この場を囲む全員が顔をしかめた。

 そして、シュルルと巻物を仕舞う上司からもありがたい言葉が飛び出る。


「ドッティ君、とりあえず話だけでも聞いてみようではないか。私は俄然がぜん、興味が出てきたよ。それが異世界の芋……この世を異世界と呼ぶ者達の芋なのだね?」


 相変わらず無駄に大きな胸を揺らして、タュン先輩が間に割って入る。

 彼女が聞く耳を持つ意志を表明するや、双方は競い合うようにして声をあげた。


「俺は農家だ! 元の世界に帰れるまでも、ずっと農業をしていたんだ!」

「でも、待ってくだせえ! おまわりさん、これが芋に見えますか?」

「いやもう、ほんと! 美味おいしいから! 俺の男爵芋だんしゃくいもを食べてくれよ……一口でいいんだ! そして、市場に流通させてくれ! 他の農家にも、広めてくれ!」

「冗談じゃないっ! 世の中にはなあ、やばい植物や穀物、作物が山ほどあるんだ。マンドラゴラみたいなしゅだったら目も当てられねえ!」


 マンドラゴラというのは、極めて希少性が高い農作物だ。

 何せ、収穫時には人死が出る。引っこ抜いた瞬間、死霊レイスのような絶叫を張り上げる特殊な植物なのだ。その怨嗟えんさ憎悪ぞうおに満ちた声を聴いた者は、

 最近だと、犬にひもをつけて引っ張らせる方法が定着しつつある。

 おかげで、

 あれ? ちょっと変なつながりかな? まあ、風が吹くと桶屋おけやもうかる、的な。

 それより、話の本筋はより鮮明にわかってきた。

 だが、タュン先輩は露骨に嫌そうな顔をする。


「ふむ、話はわかった。その、まあ、なんだ……我々異世界警察にも民事不介入という話があってだなあ。そうだろう? ドッティ君」


 ちょっとちょっとお!

 聞くだけ聞いて、面倒だとわかったら逃げるって、それ……ずるいですよ。

 どの道そうなるなら、僕が対応している段階でそう言ってくださいよ。

 だが、タュン先輩は見た目だけは理知的な表情で考え込む。

 どうすれば適当に逃げおおせるかを考えてる……間違いない。


「因みにドッティ君、芋は食べたことは?」

「ええ、ありますよ。僕なんかは平民も平民、ド平民ですからね。芋粥いもがゆなんかはよく家族みんなで食べました。他には、ええと……捜査一課そうさいっかの課長が言うには、東洋には甘い芋があるらしいです。それを落ち葉で焼いて食べるとか」

「うん、そうだな。因みに私は白くて長い芋が好きだ。それをろして食べるんだ。ドロドロのネバネバな白濁はくだくと化した芋は、せいがつくぞ?」

「発音に気をつけてくださいよ、タュン先輩! せいがつく、でしょう!」

「結果的には同義だ、そう思ってくれたまえ」


 頭が痛くなってきた。

 だが、事情を察したタュン先輩は男達を見渡し「ふむ」とうなる。


「では、こうしよう。彼の持っている芋……ええと、?」

です! その、男爵がどうとかいう芋です!」

「そう、それだ。これを現状の市場に流通させることは、異世界警察としては認めないことにする。以上だ。さあ、解散。解散だ! 皆、仕事に戻ってくれたまえ」


 やけにあっさりと、タュン先輩は独断で解決してしまった。

 勿論、勇者としてこの世界にやってきた農夫はしぶい顔だ。

 だが、この市場の支配者とも言える者達は安堵と共に去ってゆく。

 かわいそうに、勇者として生きれぬホッカイドウの農夫が肩を落とす。深い溜め息を零して、彼が去ろうとしたその時だった。

 タュン先輩は農夫の勇者を呼び止め、その肩をガシリと抱いた。

 突然の密着で、白い肌をさらぎなタュン先輩に男はのろをゴクリと鳴らす。


「話には続きがある。そうだな……これは昔、王宮に出入りしていた勇者から聞いた話だ。そして、私の言葉はひとごと。君はたまたま、それを耳にした。いいね?」


 くやしいけど、タュン先輩は綺麗だ。

 少年のような笑顔で悪巧わるだくみをしてても、その表情は童女のあどけなさと毒婦どくふ妖艶ようえんさを同居させている。


「君はこの芋……男爵芋とかいうのを畑に植えたまえ。種芋たねいもはこれだけではないね? そう、持っている全部を植えたまえよ」

「で、でも」

「異世界警察が、君の畑の周囲を巡回しよう。徹底的に強固な警備で、。夜は……まあ、しょうがないだろう? 


 今、タュン先輩は最高に悪い顔をしている。

 だが、そういう時こそが一番、タュン先輩は綺麗に思える。

 その美貌びぼうは、女神と言うにはあまりにいかがわしく、天使と言うにはあまりにも俗っぽいのに親しみが湧く。

 男が目を白黒させながらも頷いているあたり、もう既にタュン先輩の術中にはまっている。


「いいかい? 私達異世界警察は、。畑には誰一人として入れない。その芋らしきものを、完全に守る。何故なら……

「い、いや、ジャガイモは庶民の味方でして。単価も安いし、丈夫じょうぶみのる。これは本当に、王国の主食として爆発的に増える……あ、あの」

「いいかい? 農夫。君の持ち込んだ作物は、この上ない美味で、それ故に厳重に警備されている。昼間の間は誰も触れられない。そのことを君は、みんなに話すんだ」


 タュン先輩は、戸惑う農夫に再度最初から繰り返す。

 まだタュン先輩が大国のお姫様だった自体……ひっきりなしに訪れる勇者の一人から聞いた話がヒントだ。つまり、これからこの農夫は畑を用意し、持てる限りの種芋を植える。そして、それは異世界から持ち込まれたもの故に、異世界警察が警備する。

 

 そう、周囲の人間は知る……王族御用達の珍味、未知の美食へ繋がる謎の芋が埋まっている畑があると。そして、異世界警察が守るその畑は、夜だけは警備が緩むのだ。


「早速やってみたまえ。半年後には君の芋は大衆食の強い味方になる。独り言だぞ? これはな」


 そう言って笑うタュン先輩の横顔は、知的でひょうげた無敵の笑顔が輝いていた。

 だが、僕は知っている……知的というより恥的ちてきな先輩のあれこれを。

 後日、ある地域から爆発的に広がった新種の芋と僕とは、異世界警察中央本部の庁舎ちょうしゃにある、食堂のランチメニューで再会するのだった。

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