第18話「全てが音を立てて崩れる日」

 宿やどに二人で戻っても、タュン先輩は沈黙を貫いたままだった。

 しくも、あの日に二人で宿泊した場所と同じ宿屋だ。あの日は先輩がベロンベロンに酔っ払っていたっけか。上機嫌で歌を歌っていた。

 こんなことになるなんて、思いもしなかったあの日。

 もう戻らない、取り戻せない日常がそこにはあった。

 そしてそれは、完全に失われてしまったのだ。


「……少し、電話をしてくる」


 タュン先輩は、僕に鞄を預けて行ってしまった。

 スマホを、スマホもどきを持ってフラフラと、まるで幽鬼ファントムのようだ。

 あんなに弱々しい先輩を、僕は初めて見る。

 どんな時にも毅然きぜんとして挑み、常に凛々りりしかったタュン・タプルン警部。泰然たいぜんとして揺るがなく、飄々ひょうひょうとしててつかみ所がない。いちいちイラッとさせてくれるのに、鋭い洞察力と推理と、あとは魔法の腕前とで事件を解決してゆく。

 そういう先輩のイメージも同時に、失われてしまった気がした。


「どうにかして、先輩を元気づけられないかな……」


 無理だとわかってても、呟いてしまう。

 願望でしかない独り言が、酷くむなしい。

 だが、僕は気合を入れ直す。

 もし、僕がタュン先輩と一緒に悲しみに沈んで……それでウエッジさんが戻ってくるなら、いくらでもそうしよう。それで死者が生き返るなら、教会だって勇者以外の人間も蘇生できる筈だ。信仰心に比例した蘇生成功率なんて、ケチ臭いことは言わない。

 しかし、この世の中はそういう方にはできていないのだ。

 僕は驚く程に冷静でフラットな自分に嫌気いやけがさす。

 そう、いつもこうなんだ……あまりに強い衝撃を受けると、感情が無感動になる。

 丁度、両親を目の前で惨殺ざんさつされたあの日のように。


「あの、お客様? チェックインはお済みでしょうか?」


 ふと気付いたら、宿の支配人に声をかけられていた。

 僕は自分の荷物とタュン先輩の荷物、両方のかばんを持って立ち尽くしていたのだ。言われて気付き、そそくさとカウンターに向かう。宿帳への記入を済ませ、前払いで銅貨どうかを10枚。高くはないが安くもない、そしてそれに見合うサービスがこの宿にはある。

 前回は酔っ払った先輩のために冷たい水を運んでくれた。

 だから、僕はさらに銀貨ぎんかを1枚余分に出して、それなりのワインを出してくれるように頼む。こんな日はきっと、先輩だって飲んでさっさと寝たいはずだから。


うけたまりました、お客様。では、後ほどお部屋にお持ちすればよろしいでしょうか」

「ええ、お願いします。あ、えっと……女性の部屋、先輩の部屋にお願いします」

「かしこまりました」


 先輩が一人で飲みたいなら、それもいい。

 呼ばれたら顔を出して、話をしたり話を聞いたりして過ごそう。

 こんな時もやっぱり、変に冷静な自分がおかしい。

 ポケットの中でスマホが鳴ったのは、そんな時だった。

 そういえば、先輩が新しいスマホを手に入れたからと、古い方をもらったっきりだ。音楽を聴く意外は、地図を見るのに使ったりしていた。僕はこの時初めて、スマホが遠くの者との会話を行う道具だったと思い出す。

 慣れない手つきで取り出し、すべすべした画面を触る。

 通話を許可すると、僕はスマホを耳に当てた。

 荒い息遣いきづかいが聴こえた。


「もしもし? どちらさまですか? ……もしもーし!」


 妙だ。

 話しかけても言葉が返って来ない。

 向こうからはずっと、荒げた呼気がのどを出入りする音だけが響く。

 そして、それが止まったかと思うと、苦しげなうめき声が聴こえてきた。


「もしもし! ……もしかして、先輩ですか? タュン先輩なんですか!?」


 そんなまさか。

 先程まで先輩は一緒だった。今も宿屋からそう離れてはいない筈だ。

 スマホの向こう側に、僕はのっぴきならない気配を感じた。

 まるでそう、死者の国……悲痛な絶望を感じたのである。

 そして、ようやく小さな声を辛うじて聴き取った。


『もしもし、タュン? ……タュンの番号、よね?』


 声の主に心当たりがある。

 取り乱して苦しげに喋るのは、見知った人物だ。


「もしもし、リシーテさんですか!? もしもーし!」

嗚呼ああ、タュン……よかった、繋がって。ごめんなさい、まずは……そう、謝らなければいけないわね。ごめんなさい』

「どうしたんですか、リシーテさん。何かあったんですか!」


 僕の声が届いていないかのように、一方的に相手は喋ってくる。

 それは、タュン先輩の以前の相棒、リシーテ・シリコッティ警部だ。

 だが、明らかに様子が変である。

 そして、最初の疑問が即座に彼女の言葉から伝わった。


『ごめんなさい、もう耳が……意識も。この傷、あと5分と持たないわ』

「な、なんですって!? リシーテさん、どうしたんですか!」

『タュン、貴女の推理通りよ……敵は、連中は恐ろしく狡猾こうかつで、用心深く、そして容赦がない。そっちでも一人、踏み込み過ぎた警官が殺されたんでしょう? ふふ……次は、私ね』

「リシーテさん! 聴こえてますか、あの! 僕です、ドッティです! 詳しく放してください。これ以上、タュン先輩の前からいなくならないでくださいよ!」


 だが、周囲の目もはばからずに叫ぶ僕は、最期の言葉を聴いた。

 それが多分、遺言ゆいごんというやつだろう。

 そして、それはとても意外な言葉だった。


『最後に……調べて、おいたの。頼まれてた……ドッティ君の』

「僕の!? 僕の何をです、リシーテさん!」

『彼、の……両親、母親は、勇者で……殺したのは、犯人は――』


 そこで通話は途切れた。

 ツー、ツー、とだけ虚しい音が響く。

 僕はその場に崩れ落ちそうになった。

 それでも立っていられたのは、やっぱり僕が基本的に心の死んだ人間だからだろう。ショックと意味不明な恐怖の中でも僕の思考はクリアに静まり返っていた。動揺して爆発しそうな感情の上で、理性が冷静な判断力を行使してくる。


「と、とにかくっ! 先輩に知らせないと……あっ、タュン先輩! よかった、大変ですよ! ……先輩?」


 外から戻ってきた先輩は、無言で駆け寄ってきた。

 そして、

 それを肩にかけなおして、彼女は怯えた声で叫んだ。それは、僕が初めて聴く声音こわねで、滑稽こっけいなほどに震えて取り乱した声色こわいろだった。


「今わかった! そうか、そうだったのだな……ドッティ君! 君が! 連中に通じていたのかっ!」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 何を言われてるのか、さっぱりわからなかった。

 ただ、先輩は今まで見た中で一番のみっともない姿で壁に寄る。そのまま背をこすりつけながら、突然手に魔法の力を励起させ始めた。

 突然のことで、周囲の客にもパニックが広がる。

 だが、構わずヒステリックに先輩は叫んだ。


「ドッティ君! 大した役者だよ……かわいい顔をして! とんだ食わせ物だ!」

「ま、待ってください。説明を……何があったんです!?」

「何があった、だと? ハッ、このおよんで……もうやめたまえ、三文芝居さんもんしばいは! 全ては筒抜つつぬけだった……私の行動も、私が連中から協力者を遠ざけたことも! 全て知られていた。何故なぜか? そう、密告者は一番身近な君だったということだ!」


 ま、待って、ちょっと待って!

 訳がわからない。

 こんな時は冷静な自分に感謝だ。そして、落ち着いてるからこそ言える……先輩は錯乱さくらんしている。それより、正気を取り戻させて伝えなければ。リシーテさんが、ついさっき何者かに。その先はもう、考えたくない。でも、すでにもうウエッジさんが餌食えじきになったばかりだ。

 僕は先輩に冷静さを求めるために、自分の冷静さをより鮮明に伝える努力をしまなかった。


「先輩、僕の話を聞いてください。さあ、まずその魔法をやめましょう」

「ちっ、近付くなっ!」

「誤解です。ウエッジさんの死で少し、先輩は気持ちが、精神がまいってるんです。だからそんな……僕が先輩を裏切る訳ないじゃないですか」

「……ほ、本当か?」

「勿論ですよ! 僕は先輩の相棒です! 今までも、これからも!」


 その時だった。

 ふと、タュン先輩は僕を見詰めて小さくうなずいた。

 何に首肯しゅこうしたのか、何を肯定こうていしたのかはわからない。

 ただ、長くはない付き合いの中でも、僕にはそれがわかった。分かり合える程度には親しかったし、僕は自分でさっき宣言した通りタュン先輩の相棒だ。

 だが、次の瞬間に状況は一変した。

 再びタュン先輩は、あわれな発狂寸前の女警部に戻ってしまった。


「うっ、うるさい! そうやってお前は私を監視していたんだ! 連中に全てを報告して! ……もういい、私の魔法で消え失せろ! 骨も残さず散るがいいっ!」

「待ってください、先輩! 先輩――」


 その時だった。

 突然、乱暴に宿屋のドアが蹴破られる。

 そして、一陣の風が吹き荒れた。

 あっという間に何者かが、僕の横をすり抜ける。そして、先輩が魔法の術式を完成させるより早く、彼女を剣の腹で薙ぎ払った。タュン先輩は「がっ!」と小さく叫んで、そのまま倒れて動かなくなった。

 剣を鞘に納めながら、救世主が振り向く。


「大丈夫かい? 少年。よかった、間に合ったようだね。俺達教会は、ずっと君達を……タュン・タプルンこと、タュン・タプ・ティル・テプテプ元王女を追っていた」

「あ、あなたは……ガルテン・ブラッベール枢機卿すうきけい!」


 彼の名はガルテン・ブラッベール……教会が誇る枢機卿にして、最強の聖導騎士せいどうきしだ。あまりにも突然のことで、僕は目を白黒させるしかできない。

 だが、彼は崩れ落ちたタュン先輩に向き直る。


「ここまでだ、タュン・タプ・ティル・テプテプ! 教会は異端審問会いたんしんもんかいの名の下に、なんじ糾弾きゅうだんする! 人々をかどわかすみだらなよ……査問会さもんかいにてさばきを受けるがいい!」


 それは、逃れられぬ魔女裁判まじょさいばんへの招待だった。

 僕は急変した事態の中でまだ、嫌になるほど平然としていられた。

 ただ、異端審問会が過去にるしてきた魔女は、誰もがおのれの無実を証明できなかった……それだけが思い出されて、胸の奥がズシリと重くなった。

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