第21話「長い長い夜の始まり」

 その屋敷は、ガレーメンの町外れに建てられていた。

 町一番の金持ちが、息子へ事業を譲って隠居生活を営む豪邸である。

 早速アーケンは、日が落ちるのを待って敷地内へ忍び込む。

 何かを言いたそうなダレクセイドを手で抑えて、音と気配を完全に殺した。


「ふむ……明らかに複数の人間がいますねえ。この数は……4人? いえ、5人ですか」


 すぐ横には、同じく身を隠したスエインの姿がある。

 以前から知っていたことだが、この男の実力はあなどれない。アーケンやリーアムよりも強いということしかわからないのだ。

 彼もまた勇者なのか、特殊な力があるのか。

 よほどの鍛錬たんれんを積んだ人間、達人クラスの力を秘めている。


「スエイン、お前も来るのか?」

「ええ、勿論。さ、お静かに……ようやく勇者達の首根っこを押さえることができるのです。ああ、勿論もちろん私は荒事あらごとが苦手でして。戦いはお任せしますよ? アーケン派遣執行官はけんしっこうかん


 食えない奴だと思ったが、こんなところで問答をしても始まらない。

 二人は身をひそめて壁に背を当て、耳と目とを凝らす。

 丁度今、食堂に数人の男女の姿があった。

 自然とアーケンは、スエインとくちびるの動きだけで声もなく会話する。


(あの大男は、まさか……?)

(あれが、リーアム派遣執行官が役に立たなかった勇者、でしょうねえ。つまり、仙水の勇者ジ・ウォーターバッシャー……しかし、記録的には死んでいるんです。何より)

(何より?)


 驚きにアーケンは、思わず声がれ出そうになった。

 だが、その事実を知ればやはり、ますます怪しい。

 死んだはずの勇者が、性別まで違う赤の他人になっている。

 もしかしたらそこに、リーアムの刻印こくいんの力が通じなかったカラクリがあるのかもしれない。耳をまして、窓の影から真剣にアーケンは室内を探った。


「ゆっ、勇者様……あの、まだ我が家には」

「ああ? 俺達がいてやってるんだ、文句はないはずだが? モンスターに悩まされることもなく、生命いのちが保証されるんだ。礼を言ってもらいたいくらいだよ」

「そんな……ワシの財産が、愛人が」

「やっぱりあのメイドはじいさんのコレか。ま、諦めな……あのお方はすぐ女を壊しちまうからな」


 大柄な勇者は、小指を立てて下卑げびた笑いを浮かべる。

 その顔に浮かぶ残忍な笑みは、間違いなく勇者のそれだった。

 だが、気になることを彼は言った。


(あの方、とは?)

(そっちが、例の女みたいな優男やさおとこの勇者、ですかねえ?)

(つまり、メイドの女は)

(そういうことでしょう)


 わずかにスエインの表情に苦味が走る。

 やはり彼も、大事な者を勇者に奪われたのだ。妻を殺された男の、苦悩に満ちた怒りが白い顔に浮かぶ。だが、アーケンの視線を感じた彼はすぐに笑顔になった。

 何も言わずにアーケンは、探りを入れることに集中する。


「さあ、爺さん。あんたも食えばどうだ? もともとはあんたの金で買ったものだ」

「くっ、ワシの備蓄を好き勝手に……」

「文句があるなら試してみるか? 俺の刻印の力を。? は、はは……そうだよなあ! ひゃははっ!」


 違和感が走った。

 アーケンと同時に、スエインも察したようだ。

 そして、気取けどられぬように見詰める屋内では、仙水の勇者が老人にゆっくり歩み寄る。食堂のすみで、老人は震えながら許しをうた。

 このままでは、超水圧の水で串刺しにされるか、それとも細切れにされるか。

 勇者は肉体的にも刻印で強化された超人だが、どうやら仙水の勇者は刻印の力を使いたくていしょうがないらしい。


(はて……水圧による攻撃、これを爆発と言いますかねえ?)

(刻印の力には様々な種類がある。奴は水を操るだけの刻印ではないと?)

(刻印のもたらす超常の力はオンリーワン……一人に一つですが)

(……話はあとにしよう。急いで助けねば――!?)


 立ち上がろうとしたアーケンを、そっとスエインは引き止めた。

 無言の笑みはやはり、仮面のように微動だにせず気味が悪い。


(様子を見ましょう。何か新しい情報が得られそうなんですよねえ)

(馬鹿な……あの老人が殺されてしまう!)

(ええ、ええ。とうとい犠牲です……それであの勇者の秘密が知れるんですからねえ)

(貴様っ!)


 だが、スエインを前にアーケンは引き下がるしかない。

 突然、スエインが殺気のかたまりを押し付けてきたのだ。そのプレッシャーは、数多の勇者をほふってきたアーケンでさえ黙らせる。

 とうてい容認できな、老人を見殺しにする行為。

 だが、アーケンには今のスエインを振り払える力がなかった。

 そして、室内では絶叫が響いている。


「や、やめてくれえ! ワシが、ワシが悪かった! 殺さないでくれ!」

「遠慮するなよ、なあ? 爺さん、楽隠居の身だろう? 俺が最後に……派手な花火を見せて、やるって、言って、るんだ、よぉ!」


 大柄な男が手を伸べ、老人の頭を鷲掴わしづかみにする。

 その時、彼の二の腕に刻印が光った。

 そして、顕現けんげんした力は……アーケンが初めて見るものだった。


「や、やめ、て……やめ、やめ、やめめ、めっ! レッ、ガ、あぉううう!」


 派手な音をあげて、老人の頭部が爆発した。

 人の死に方ではない。

 まして、殺されていい人間など存在しないのだ。

 そして、唯一の例外が哄笑こうしょうを響かせる。


「アヒャヒャヒャヒャ! はい、ドカーン! へへ、派手に飛び散ったじゃねえかあ……やっぱ俺にはこっちの方が性に合ってるぜえ?」


 どうやら、アーケンとスエインが仙水の勇者と思っていた男は……使。そこに、水や水圧を利用した形跡は見られない。

 豪商の老人は、明らかに炎や高温による爆発で死んだのだ。

 それは、ガレーメンへの道中で倒した炎使い、獄炎の勇者ザ・フレイムテイカーとも違う。

 派手に炎を撒き散らした訳ではないのだ。

 老人の頭部は、内側から爆発で四散したように見えた。


(これはこれは……どういうことでしょうねえ? ふむ)

(貴様……俺達が割って入れば、あの老人は)

(いけませんねえ、アーケン派遣執行官。たら、れば、もしも、だったら……仮定の話はよしましょう。しかし、おかげで興味深い情報が手に入りましたねえ)


 流石さすがに限界だった。

 そして、相変わらず自分へ強い殺気を放つスエインをにらみ返す。

 アーケンもまたありったけの覇気を絞り出した。

 心の底から軽蔑の気持ちを込めて、スエインの細い目を覗き込む。


(ふむ……いえ、わかりました。私の落ち度は認めましょう)

(落ち度などという生易なまやさしいものではない。守るべき民を見捨てたのだ、貴様は)

(勘違いはしないでいただきたいですねえ? 我々、特務勇殺機関とくむゆうさつきかんは、勇者を殺す、た、め……の)

(それ以上しゃべるな。それとも、黙らせられたいか?)


 無音の殺意が行き交う中で、アーケンが真っ直ぐスエインを睨む。

 流石にスエインが気圧けおされた、その時だった。

 血と肉片塗れになってしまった食堂に、違う人物が入ってきた。

 そして、男とも女とも知れぬ優美ゆうびな声が響く。楽器が歌うような声音こわねだ。だが、その言葉が示す通り、冷たい響きである。


「おやおや、もうってしまったんですか? せっかちですね」

「へへ……すみませんね、サイアム様」

「まあ、そろそろ潮時だとは思っていましたから。次の勇者で最後にしましょう」

「また別の町で……ですね? 心得ております」


 ――サイアム。

 この男も勇者だろうか?

 ちらりと見たが、細身の身体はアーケンと近い歳にも見える。華奢きゃしゃだが、全身を覆う筋肉はアーケンと同等か、それ以上だ。

 風呂上がりなのか、全裸で頭にすっぽりとバスタオルを被っていた。

 顔は見えない。


「で、サイアム様は」

「ああ、勿論もちろん僕も……ってましたよ。ふふ」

「これはまた、おさかんで……まだ使えますか?」

「無理ですね。あのメイド、最後は何も言わなくなってしまって。一応まだ息はしてますけど……随分グシャグシャにしちゃいましたから」


 吐き気をもよおす程の邪悪とは、まさにそのことだ。

 怒りに燃えるアーケンの、噛み締めた奥歯がギリリと鳴った。その小さな音ですら聞き取られぬよう、静かに身を伏せて中の様子をうかがい続ける。

 だが、いよいよアーケンが黙ってみていられない状況が、突然転がり込んできた。


「サイアム様! へへ、女ならたった今……こいつ、屋敷の周りをウロウロしてましたぜ!」


 次に食堂に入ってきたのは、意外な人物だった。

 そして、アーケンのよく知る少女だったのだ。


「ちょっと、痛いわね! くっ、怪我がなければあんたなんか」

「なーに言ってやがる。そっちの旦那から聞いたぜ? お前の刻印の力、効かないらしいじゃねえか。へへ……そうとわかればこっちのもんよ!」


 やってきたのは、あの蒼雷の勇者ザ・サンダーストームと……小突こづかれ床に崩れ落ちたリーアムだった。

 突然のことにアーケンは、驚き震えて意識を凍りつかせるのだった。

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