第5話「その勇者の名は、ジャンヌ」
北の玄関口、ガレーメン。
ミラルダ王国の中でも大規模な港町として勇名である。先程行き着いたばかりで、アーケンは早速行動を開始していた。
ここは言わば、敵地。
この町の
「リーアムめ、遅い……やはり、あいつは」
今、
別行動を取ったリーアムは、旅路を共にしてくれた商人を
勇者に殺されることは、この世界では一番ありふれた死因である。
そして、理不尽で不条理な勇者からは、逃れる
ただ一つ……
「それにしても、平和な町だ。本当にここに、閃速の勇者が?」
周囲の人間に完全に溶け込みながら、旅装のマントを
その腰元では、ガチャガチャと鳴る剣の音に混じって声が響いた。けだるく甘い声は、必要以上の色気を押し付けてくる。
「あら、アーケン……ふふ、血が騒ぐの? こんなに沢山、人間がいて」
「ダレクセイド、今の俺は
「あら、そぉ? 本当に?」
「無論だ」
確かに今、アーケンの心は
あまりにもこの土地が平和だから。穏やかな日差しの中、北風は冷たいが人々は笑顔である。ここには人の数だけ日常の営みがあり、その中で誰もが日々を懸命に生きていた。
アーケンが組織の一員として、守るべきものがある。
そして……アーケンの血が求める闘争もまた、どこかに隠れているのだ。
「まずは閃速の勇者を探す。さっさと殺して、この町とはおさらばだ」
「そうね……ここは私達には少し、
「そういうことだ」
往来の商店には、豊かな品が無数に並んでいる。
買い物客達は珍しい魚や果物を選びながら、店主との話に花を咲かせている。歓声をあげて走る子供達とも擦れ違ったし、酒場の軒先では老人達がカードを遊びながら一杯やっていた。
だが、勇者が現れた瞬間……この光景は全て奪われる。
そう思うと、アーケンの全身を不思議な気迫が満たしていった。
不意に
「勇者様だ! 勇者様が戻られたぞ!」
思わずアーケンは、反射的に腰の剣に手を伸ばした。
だが、引き抜こうとする剣をダレクセイドが制止する。まるで
「
「……うるさい。それより、勇者様? どういうことだ」
周囲の人々は、笑顔をより輝かせている。
勇者という名の
誰もが足早に、大通りの方へと向かっていた。
見れば、誰もが向かう先に武装した一団が集まっていた。さながら戦争から
「おかえりなさいませ、ジャンヌ様!」
「モンスター討伐、お疲れ様でした! ありがとう、本当にありがとう!」
「ガレーメン自警団、バンザイ! 閃速の勇者様、バンザイ!」
耳を疑う声と声とが、場を満たしている。
町の人々が
それは、あの魔王が世界を支配していた暗黒期でさえ、聞かれることのなかったものである。勇者とは
小さな驚きを噛み締めつつ、黙ってアーケンは注意深く目を凝らす。
自警団と思しき一団の中に、背を向ける女性が部下達へ指示を出している。
どうやら彼女が、この町の自警団を取り仕切る団長らしい。
「みんな、聞いて
ジャンヌと呼ばれていたのは、恐らくこの女性だ。
そして、彼女が振り向いた瞬間……
驚きに呼吸と鼓動が支配され、
やや
そして、アーケンはその顔に思わず
「は、母上……? い、いや、そこまで似ては……だが、あの美しさは!」
「あら、アーケン? まあ……そういえば似てるかしらね。奥様はもっと、ふくよかで母性に
「馬鹿を言え、母上は死んだ……勇者に
自分に言い聞かせるように呟き、その言葉を噛みしめるアーケン。
だが、よく見れば別種の美しさなのに、閃速の勇者ジャンヌはどこか母に似ていた。
自分を落ち着かせながら、そっとアーケンは周囲を見渡す。
当たり障りのなさそうな御婦人を見つけて「失礼」と声をかける。
「すまない、旅の者だが……勇者様、とは? 奴が閃速の勇者なのか?」
「おや、よそ者かい? やだねえ、知らないなんて。あの方こそ、閃速の勇者ジャンヌ様だよぉ。この町を守るガレーメン自警団の女団長さ!」
「……危険とは思わないのか?」
「ちょいと、何だい? ジャンヌ様をそこいらの勇者と一緒にしないでおくれ!」
「す、すまない。ただ、人のために戦う勇者というのが、珍しくてな」
「そりゃそうさ。ジャンヌ様はお優しい……その力を、あたし達のような民のために使ってくれるのさ!」
アーケンは礼を言って、買い物の途中だった御婦人と別れる。
信じられない言葉だったが、周囲に何かしらの魔法や術式、そして勇者が持つ
そして、もう一度振り返る。
ジャンヌは優しい笑みで、子供達に囲まれながら何度も
そこには、欲望の
そのことに驚きを隠せないでいると、ポンと背後から肩を叩かれた。
「……リーアムか。
「教会で弔ってもらったわ。遺品から故郷がわかったから、手紙で知らせておいた。馬車は売って、そのお金を手紙に添えた。どう?」
「悪くない」
「うん。でも……奪われた命は戻ってこないわ。早くこんなこと、終わりにしたいわね」
同感だった。
そして、少し疲れたように肩を
彼女も、人混みの中で讃えられる女勇者を見て驚きに目を丸くした。
「嘘……あれが閃速の勇者?」
「らしいな。ガレーメン自警団を率いて、この港町を守ってるのだそうだ」
「信じられない。何かの罠という可能性は?」
「そう考えるのが妥当だ。それに……いや、母上のことは関係ない。まずは情報収集だ」
リーアムが不思議そうな顔をしたので、失態を察した。
先程からつい、脳裏に母の
だからこそ、周囲が勇者と共存しているこの町が信じられなかった。
「ちょ、ちょっとアーケン? 様子が変よ……母上? それってもしかして」
「昼飯がてら酒場にでも行くか。情報を集めて、まずは拠点とする宿を確保しよう」
「う、うん。それより、あんた今母上って――」
「飯は俺が
「えっ、ホント!? やたっ、アーケンいいとこあるじゃない。そうと決まれば早く行きましょ!」
チョロチョロとリーアムを転がしつつ、アーケンは人混みに背を向ける。
だが、耳の奥にずっとジャンヌを
自然と早足になれば、続くリーアムが自然と隣に並んだ。
彼女は少し心配そうに見上げてくるが、今は食欲のことの方が気になるらしい。
「
「好きにしろ、何でも奢ってやる」
「うん……じゃ、好きにする。……アーケン? ちょっと」
不意に、リーアムは手を握ってきた。
突然のことで驚いたが、脚を止めずに歩き続ける。
だが、そっと横を
慌てて前を見ながら歩けば、リーアムの手が持つ熱が伝わってきた。
彼女は少し顔が赤かった。
「なっ、何かあった? 変よ、アーケン」
「問題ない」
「そう? あたしにはあるんだけど。一応さ、相棒でしょ? い、今は、相棒だよ……まだ」
「……あのジャンヌとかいう勇者、昔の……そう、昔の知り合いに似ていた。それだけだ」
「ホント?」
「ああ」
彼女なりに何かを察して
特務勇殺機関ブレイブレイカーズに所属する、一騎当千の派遣執行官。その多くが、勇者に大切な者を殺された人間だ。その復讐心が、
だから、アーケンもその一員として再度心の中で自分を律する。
例え母の
ただ勇者であること、それは殺す理由として十分に過ぎた。
「……すまん、リーアム」
「ん? 何か言った?」
「いや。蟹を食いに行こう。きっとこの町なら、美味い蟹があるさ」
「でしょ? よーし、行こ行こっ! ……! ア、アーケン?」
「ああ、すまん。だが、少しだけ……もう少しだけ、いいか?」
「……うん。アーケンの手、冷たいからさ……い、いいよ。別に。も少し、
リーアムが離そうとした手を、アーケンは握り返してしまった。
それで少し驚いたようだったが、リーアムは酒場まで手を握っていてくれた。自分の冷たさが伝わってしまいそうで、彼女の温かさが
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