第6話「蟹を食べると無口に、なる?」

 アーケンが選んだ店は、港の方にある小さな料理店だ。こういう場所の方が、地元の人間が食べる美味うまい料理を味わえる……派遣執行官はけんしっこうかんとしてアチコチの国を行き渡った、これは言わば経験則だ。

 勿論もちろん、生い立ちゆえ特務勇殺機関とくむゆうさつきかんブレイブレイカーズの支部をたらい回しにされた。

 それでも、居場所と相棒を得られた今がそれなりに気に入ってる。

 漁師りょうし水夫すいふでごった返す中、リーアムが上機嫌で奥のテーブルに陣取った。


「で? さっき少し聞いたけど……勇者が英雄、自警団の団長ですって?」

「どう思う、リーアム」

「ありえないわね」


 即答だった。

 それは、勇者という人種……いな、人ですらないケダモノを知り尽くした少女の声だった。そして、それを察して余りある程に、アーケンも勇者の所業しょぎょうを見てきた。

 勇者、それは異世界より神が呼び出した究極の戦士。

 異能の力を刻印こくいんに宿し、欲望のままに破壊と殺戮を繰り返す。あればあるだけ奪い、目にした命は片っ端から犯して殺す。魔王が倒された今、彼等の矛先ほこさきは復興し始めた世界各地に向いていた。


「ただ、町の人間の反応は驚く程に素直だ。洗脳系の能力が使われた形跡もない」

「よほど上手くだましてるって訳ね」


 リーアムが声をひそめた。

 小声になった彼女に代わって、入店時に注文していた酒が運ばれてくる。

 この世界では、食い扶持ぶちを稼ぐ人間は全て大人とみなされた。リーアムはどう見ても十代の少女だし、アーケンも周囲からはそう見えるはずだ。


「へい、お待ち! まずは冷えたビールだよ。で? 何を食べてくんだい?」

かにはあるかしら?」

「丁度今、きのいいのがで上がったとこさ」

「なら、それを一つもらおうかしら。他には? アーケン」


 テキパキと注文を終えるリーアムに、黙ってうなずく。

 こういう時、社交的で快活なリーアムの美貌はまぶしい。そして、その輝きに触れる誰もが笑顔になる。店主は「美人さんにはサービスするよ!」と、豪快に笑った。

 自然とアーケンも、仏頂面ぶっちょうづらほおゆるむ。

 厨房ちゅうぼうへと店主を見送り、二人は乾杯した。

 同時に、献杯けんぱいでもある。

 勇者を殺すための旅で、道連れの罪なき商人が勇者に殺された。これが、現実。勇者とはとどのつまり、そういう存在でしかないのだ。そして、そのことを勇者本人であるリーアムは知っている。知る以上のことをアーケンも、記憶にきざんできた。


「で、閃速の勇者ジ・インパルスエッジだっけ? ……勇銘ブレイブタグから察するに、スピード勝負のタイプかしら?」

「だろうな。それと……美しい御婦人だった」

「……はぁ? アーケン、あんた……大丈夫?」

「あ、いや……すまん、失言だった」


 やはりまだ、脳裏に母の面影おもかげがちらついている。

 何が似ているといこともないが、自分の母が美しい女性だったことはよく覚えている。きびしい父と一緒に自分を育ててくれ、父がそうであるように母もまた自分を愛してくれた。そういう日々の全てが奪われた。

 一瞬で。

 永遠に。


「名は、ジャンヌ。この町のガレーメン自警団を取り仕切っている。どうやら周囲のモンスターを駆除して、本当に町を守っているらしい」

「つまり……それだけの価値がこの町にあるってことね」

「そうだ。……その、筈だ。勇者ならば、大いなる打算を秘めてる筈」

「アーケン、あんた……やっぱ変よ?」


 そっとリーアムの手が額に触れた。

 彼女はもう片方の手を自分の額に当てる。

 熱などないと、その手を振り払ってアーケンはビールを飲んだ。氷室ひむろで冷やしてあったのか、さわやかな喉越のどごしは冷たくてとても美味しい。

 だが、いぶかしげに見詰めるリーアムの視線からは逃れられない。


「……知り合いに、似てたとか? その、女勇者が」

「そのようなものだ」

「そっ、そう! そういうのって、あるわよね。うんうん……世の中には似た人間が三人はいるっていいますから。そういうことってあると思います!」

何故なぜ、敬語になる」

「え、あ、いや……どんな人かな、って……アーケンの、その、思い出の人? 恋人かなーって」


 リーアムはそれだけ言って、ジョッキをあおった。

 意外な言葉に、思わずアーケンは目を丸くしてしまう。


「家族だ。家族、だった。勇者達に殺されるあの日まで」

「あ……そうだよね、ゴメン」

「妻として気高く優しく、そして」

「つっ、つつつ、妻ぁ!?」

「また、母としても高潔で強い女性だった。それが、俺の母だ」

「ア、ハイ……お母さんね、はいはい」


 そこで話は終わる。

 互いを深くは詮索せんさくしない仲だったし、過去がどうあれ今は仲間……共に力を合わせて、勇者を殺すための相棒だ。

 何より、リーアムの前に大皿で巨大な蟹が置かれたのだ。

 店主はニコニコの笑顔で、一番大きいのを選んだと言って去ってゆく。

 ナプキンで手を拭きながら、すぐにリーアムが手を伸ばした。


「とりあえず食べましょ? 立派な蟹じゃない。こっちの蟹は脚が随分長いのね」

氷海産ひょうかいさんか……こういうものは、ただ茹でるだけでも味が違う」

「どれどれ、ではでは!」


 脚をむしってからを割りながら、リーアムの表情が柔らかくなる。というよりは、だらしなくゆるんでゆく。一緒に仕事をして、最近ようやくわかったことがある。この少女は、よく笑いよく食べ、そしてよく泣く。感情表現が豊かで、それを美しく見せてしまうことには無自覚なのだ。

 リーアムといると、

 自分がどうにも無感動な男で、それを補うようにリーアムは騒がしくにぎやかな女だ。


「んー、美味しいっ! 蟹のエキスが!」

「で、だ……今後のことだが、おい。聞いているか? リーアム」

「聞いてますー、今日はよく喋るじゃない? アーケン。蟹を食べる時は誰もが無口になるなんて、あれは嘘ね」

「そうかもな」


 アーケンも蟹の脚を手に取り、その殻を割ろうとする。

 だが、これがなかなか難しい。

 リーアムはさして力を入れたようには見えないが、するすると中身だけを抜き出して頬張ほおばっている。アーケンも真似まねしてみるのだが、どうにも力加減が難しい。北の海で荒波に揉まれた蟹は、屈強な外殻で茹でられて尚も人間に立ち向かっていた。

 結局、アーケンは面倒になって殻ごとバリボリと食べ始める。


「とりあえず、リーアム。俺は回りくどいことは苦手だ。直接、ふところに飛び込む」

「あーもぉ、ちょっとアーケン! 貸しなさいよ、いたげるから」

「……す、すまん」

「意外とぶきっちょよね、アーケンてさ」


 ガジガジとかじっていた蟹を、リーアムに取り上げられてしまった。彼女は、一緒に出された特殊なスプーンで中身をくり抜いてくれる。

 素手の体術で戦うリーアムの手は、それが信じられないくらいに綺麗だ。

 白く細い指が、まるで楽器を扱うように蟹の旨味うまみを削り出してゆく。

 その所作しょさを、気付けばアーケンは見惚みとれていた。


「で? 懐に飛び込むって? はいこれ! 次もやったげるから、粗末な食べ方は駄目よ? なんていったって、蟹なんだから! 蟹!」

「ああ。で……例のジャンヌとやらに直接これから会ってくることにした」

「ジャンヌって名前なのね、今回のターゲットは……いいわよ、これからすぐ?」

「ああ。だから、お前は先に宿を確保してくれ。夕方までには戻ると思うが――」


 バン! とテーブルを叩いて、突然リーアムが立ち上がった。


「ちょっと、アーケン! 危険よ!」

「座れ、リーアム」

「いーえっ、言わせてもらうわ! いつもそう……どうしてそう、無茶むちゃ無鉄砲むてっぽうなの?」

「他の客が見ている。……すまん、説明不足だったな」


 周囲を見渡し、男女の痴話喧嘩ちわげんかにニヤニヤしている男達にリーアムは赤面した。

 彼女が座るのを待って、ビールでくちびるらしてからアーケンが話を続ける。


「もし、閃速の勇者ジャンヌが、真に勇者たる善良な女なら」

「女なら?」

「殺す必要はない」

「……つまり、もう一つの解決方法ね? でも、勇者に善良な人間なんているのかしら?」

「残念ながら、存在する。


 アーケンの無自覚な言葉が、リーアムを一瞬だけ乙女の顔にさせた。

 彼女は赤くなって「いやいや! いやいやいやいや!」と、猛烈な勢いで蟹を剥き始めた。その手元を見ながら、アーケンは今後について語る。


「ジャンヌの人となりは、俺が確かめる。今夜俺が帰らなければ……お前は一人で王都おうとの支部に戻り、増援を待て」

「あたしがあんたを救出に行くって選択肢は?」

「俺もプロだ。その俺が戻らない時は、すでに死んでいる。だから」

「お断りよ! なら、二人でいって確かめて、殺すなら殺す……そうでないなら、。それでいいじゃない?」


 勇者は皆、それぞれ超常ちょうじょうの力をその身に秘めている。

 その証が、肉体のどこかに刻まれた刻印だ。

 刻印を何らかの形で欠損すると、勇者はその特殊能力を使えなくなる。ただの人間になるのだ。だが、この方法で世界との調和を選んだ勇者は、驚く程少ない。己だけが振るえる奇跡の力を、誰も手放そうとしないからだ。


「いや、お前は保険だ。俺にもしものことがあったら……そういうことだ。さて、店主殿! 料理を追加してほしいのだが」


 アーケンが手をあげると、先程の気前のいい店主がスッ飛んでくる。

 メニューを見ながら、アーケンはリーアムの不満の声を跳ね除けた。


「俺が戻るまで、宿屋で休め。それと……店主殿、このカジキの唐揚からあげというのをもらおう。俺の連れは健啖家けんたんかな上に美食家びしょくかでな」

「ちょっとアーケン! 待って、リスクが大き過ぎるわ。あと、その唐揚げ絶対美味しいから! 美味しいやつだから! そんな気がする!」

「それと、この貝と海老えびのグラタン、これはどうだ? リーアム、食うか?」

「あっ、当たり前じゃない。でも待って、またそうやって……あたし、そんなにチョロい女じゃないわ。アーケン、あたしも――」

「それと、生牡蠣なまがきも貰おう。ワインも適当に見繕みつくろってくれ。他には、ああ、烏賊いかというのは、生か? ……ふむ、一夜干いちやぼし、それを焼くのか。それももらおう」

「……ジュル……はっ、ちょ、ちょっとアーケン!」


 だが、追加の注文を終えてアーケンは席を立つ。財布から代金をテーブルに置くと、リーアムへと言い聞かせた。まるで幼い童女わらべに言って聞かせるようにゆっくりと。


「大丈夫だ、いざとなったら逃げる。だが、その前に確かめねばならん。……人のために献身をもって戦う勇者など、絶対にいないという真理を確かめねば」

「アーケン……」

「ゆっくり食べて、少し休め。また後でな」


 それだけ言って、アーケンは店を出た。

 正直に言うと、選択肢としてはリーアムと一緒に勇者へ対峙するのが正しい。それがベストな選択だ。

 だが、母の面影で思考をかげらせる、そんな無様をアーケンはリーアムだけには見せたくないのだった。

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