第6話「蟹を食べると無口に、なる?」
アーケンが選んだ店は、港の方にある小さな料理店だ。こういう場所の方が、地元の人間が食べる
それでも、居場所と相棒を得られた今がそれなりに気に入ってる。
「で? さっき少し聞いたけど……勇者が英雄、自警団の団長ですって?」
「どう思う、リーアム」
「ありえないわね」
即答だった。
それは、勇者という人種……
勇者、それは異世界より神が呼び出した究極の戦士。
異能の力を
「ただ、町の人間の反応は驚く程に素直だ。洗脳系の能力が使われた形跡もない」
「よほど上手く
リーアムが声を
小声になった彼女に代わって、入店時に注文していた酒が運ばれてくる。
この世界では、食い
「へい、お待ち! まずは冷えたビールだよ。で? 何を食べてくんだい?」
「
「丁度今、
「なら、それを一つもらおうかしら。他には? アーケン」
テキパキと注文を終えるリーアムに、黙って
こういう時、社交的で快活なリーアムの美貌は
自然とアーケンも、
同時に、
勇者を殺すための旅で、道連れの罪なき商人が勇者に殺された。これが、現実。勇者とはとどのつまり、そういう存在でしかないのだ。そして、そのことを勇者本人であるリーアムは知っている。知る以上のことをアーケンも、記憶に
「で、
「だろうな。それと……美しい御婦人だった」
「……はぁ? アーケン、あんた……大丈夫?」
「あ、いや……すまん、失言だった」
やはりまだ、脳裏に母の
何が似ているといこともないが、自分の母が美しい女性だったことはよく覚えている。
一瞬で。
永遠に。
「名は、ジャンヌ。この町のガレーメン自警団を取り仕切っている。どうやら周囲のモンスターを駆除して、本当に町を守っているらしい」
「つまり……それだけの価値がこの町にあるってことね」
「そうだ。……その、筈だ。勇者ならば、大いなる打算を秘めてる筈」
「アーケン、あんた……やっぱ変よ?」
そっとリーアムの手が額に触れた。
彼女はもう片方の手を自分の額に当てる。
熱などないと、その手を振り払ってアーケンはビールを飲んだ。
だが、
「……知り合いに、似てたとか? その、女勇者が」
「そのようなものだ」
「そっ、そう! そういうのって、あるわよね。うんうん……世の中には似た人間が三人はいるっていいますから。そういうことってあると思います!」
「
「え、あ、いや……どんな人かな、って……アーケンの、その、思い出の人? 恋人かなーって」
リーアムはそれだけ言って、ジョッキをあおった。
意外な言葉に、思わずアーケンは目を丸くしてしまう。
「家族だ。家族、だった。勇者達に殺されるあの日まで」
「あ……そうだよね、ゴメン」
「妻として気高く優しく、そして」
「つっ、つつつ、妻ぁ!?」
「また、母としても高潔で強い女性だった。それが、俺の母だ」
「ア、ハイ……お母さんね、はいはい」
そこで話は終わる。
互いを深くは
何より、リーアムの前に大皿で巨大な蟹が置かれたのだ。
店主はニコニコの笑顔で、一番大きいのを選んだと言って去ってゆく。
ナプキンで手を拭きながら、すぐにリーアムが手を伸ばした。
「とりあえず食べましょ? 立派な蟹じゃない。こっちの蟹は脚が随分長いのね」
「
「どれどれ、ではでは!」
脚を
リーアムといると、アーケンまでまるで人間になれたような気がするのだった。
自分がどうにも無感動な男で、それを補うようにリーアムは騒がしく
「んー、美味しいっ! 蟹のエキスが!」
「で、だ……今後のことだが、おい。聞いているか? リーアム」
「聞いてますー、今日はよく喋るじゃない? アーケン。蟹を食べる時は誰もが無口になるなんて、あれは嘘ね」
「そうかもな」
アーケンも蟹の脚を手に取り、その殻を割ろうとする。
だが、これがなかなか難しい。
リーアムはさして力を入れたようには見えないが、するすると中身だけを抜き出して
結局、アーケンは面倒になって殻ごとバリボリと食べ始める。
「とりあえず、リーアム。俺は回りくどいことは苦手だ。直接、
「あーもぉ、ちょっとアーケン! 貸しなさいよ、
「……す、すまん」
「意外とぶきっちょよね、アーケンてさ」
ガジガジとかじっていた蟹を、リーアムに取り上げられてしまった。彼女は、一緒に出された特殊なスプーンで中身をくり抜いてくれる。
素手の体術で戦うリーアムの手は、それが信じられないくらいに綺麗だ。
白く細い指が、まるで楽器を扱うように蟹の
その
「で? 懐に飛び込むって? はいこれ! 次もやったげるから、粗末な食べ方は駄目よ? なんていったって、蟹なんだから! 蟹!」
「ああ。で……例のジャンヌとやらに直接これから会ってくることにした」
「ジャンヌって名前なのね、今回のターゲットは……いいわよ、これからすぐ?」
「ああ。だから、お前は先に宿を確保してくれ。夕方までには戻ると思うが――」
バン! とテーブルを叩いて、突然リーアムが立ち上がった。
「ちょっと、アーケン! 危険よ!」
「座れ、リーアム」
「いーえっ、言わせてもらうわ! いつもそう……どうしてそう、
「他の客が見ている。……すまん、説明不足だったな」
周囲を見渡し、男女の
彼女が座るのを待って、ビールで
「もし、閃速の勇者ジャンヌが、真に勇者たる善良な女なら」
「女なら?」
「殺す必要はない」
「……つまり、もう一つの解決方法ね? でも、勇者に善良な人間なんているのかしら?」
「残念ながら、存在する。今、目の前にな」
アーケンの無自覚な言葉が、リーアムを一瞬だけ乙女の顔にさせた。
彼女は赤くなって「いやいや! いやいやいやいや!」と、猛烈な勢いで蟹を剥き始めた。その手元を見ながら、アーケンは今後について語る。
「ジャンヌの人となりは、俺が確かめる。今夜俺が帰らなければ……お前は一人で
「あたしがあんたを救出に行くって選択肢は?」
「俺もプロだ。その俺が戻らない時は、
「お断りよ! なら、二人でいって確かめて、殺すなら殺す……そうでないなら、刻印を消去して能力を奪う。それでいいじゃない?」
勇者は皆、それぞれ
その証が、肉体のどこかに刻まれた刻印だ。
刻印を何らかの形で欠損すると、勇者はその特殊能力を使えなくなる。ただの人間になるのだ。だが、この方法で世界との調和を選んだ勇者は、驚く程少ない。己だけが振るえる奇跡の力を、誰も手放そうとしないからだ。
「いや、お前は保険だ。俺にもしものことがあったら……そういうことだ。さて、店主殿! 料理を追加してほしいのだが」
アーケンが手をあげると、先程の気前のいい店主がスッ飛んでくる。
メニューを見ながら、アーケンはリーアムの不満の声を跳ね除けた。
「俺が戻るまで、宿屋で休め。それと……店主殿、このカジキの
「ちょっとアーケン! 待って、リスクが大き過ぎるわ。あと、その唐揚げ絶対美味しいから! 美味しいやつだから! そんな気がする!」
「それと、この貝と
「あっ、当たり前じゃない。でも待って、またそうやって……あたし、そんなにチョロい女じゃないわ。アーケン、あたしも――」
「それと、
「……ジュル……はっ、ちょ、ちょっとアーケン!」
だが、追加の注文を終えてアーケンは席を立つ。財布から代金をテーブルに置くと、リーアムへと言い聞かせた。まるで幼い
「大丈夫だ、いざとなったら逃げる。だが、その前に確かめねばならん。……人のために献身をもって戦う勇者など、絶対にいないという真理を確かめねば」
「アーケン……」
「ゆっくり食べて、少し休め。また後でな」
それだけ言って、アーケンは店を出た。
正直に言うと、選択肢としてはリーアムと一緒に勇者へ対峙するのが正しい。それがベストな選択だ。
だが、母の面影で思考をかげらせる、そんな無様をアーケンはリーアムだけには見せたくないのだった。
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