第1話「暗黒時代の終わりに」

 我が家は血の海と化していた。

 幼い少女はただ、黙って母の亡骸なきがらを胸にく。

 目の前には、血のしたたる刃を手に、一人の男が部屋を荒らしていた。

 つぼという壺を叩き割り、たなつくえもひっくり返す。

 金目のものと見れば奪い、薬や道具のたぐいも荷物へ入れてゆく。

 一切合財いっさいがっさいを持ち去ろうとする簒奪者さんだつしゃが、最初に奪ったもの……それは、少女の平穏と両親の命だった。


「ああクソッ! シケた家だな! せめて、小さなコインとか……ふくびき券とかさあ! 何かねえのかよっ! ああァ!?」


 興奮状態の男は、まだ十代の少年だ。

 そして、その細身で華奢きゃしゃな見た目とは裏腹に、驚くべき力を先程振るった。

 そう、彼は……だ。

 神に選ばれし戦士として、異世界よりきた救世主メシア

 驚くべき身体能力と同時に、個々に超常ちょうじょうの力を持つ者達。

 かつて英雄とたたえられ、今では死と暴力の権化ごんげだ。

 少女はただ、自分の暮らしが壊れるのを見守るだけだった。


「あーぁ! まあ、こんなとこか。……ん? あはっ! 君、いくつ? かわいいね……そうだ、とっておきのお宝タイムを戴いちゃおうかなあ!」


 血糊ちのりをビシャリと投げ捨て、男は剣をさやへとしまう。

 彼の目には、爛々らんらんと暗い炎が燃え盛っていた。

 舌なめずりをして、彼はゆっくりと迫ってくる。

 母親の死骸しがいを引きずるようにして、少女は部屋の奥へと逃げる。だが、家族が三人で暮らす小さな家だ。部屋は二つしかないし、寝室のドアは逆側だ。

 壁際に追い詰められた少女に、ゆっくりと手が伸びてくる。


都条例とじょうれいってのがあってさ、僕がいた世界には。こういうの、幼女への悪戯いたずら? 駄目なんだよ……何でかなあ? 何でだろうなあ! でも、ここは東京じゃない! 日本でもない! 僕は今、あらゆる国の王が認めた、全てを許される……勇者だ」


 そう、

 不法侵入や窃盗せっとう略奪りゃくだつ……果ては強姦ごうかんから殺人まで。

 その見返りとして、勇者には魔王討伐の使命が課せられていたのだ。

 ――つい一年前、魔王が倒されたその日までは。

 だが、巨悪が倒れて救われた世界には……


「ハァハァ、さあ……いいことしようね。勇者への敬愛けいあい畏怖いふを……その小さな体で僕に伝えてよ。フフ、フハハハ!」


 身をかがめた勇者の影が、闇となって少女を包む。

 振るえる両手が襟元えりもとへ触れた、その時だった。

 室内に唐突に、緊張感に欠けた声が響く。


「おい、ロリコン。知ってるか? ペド野郎に慈悲はない……今すぐその汚い手を、その子からどけろ」


 人の気配はなかった。

 物音もしない。

 何より、玄関のドアは閉じたままだ。

 だが、その男は――そう、勇者と同じくらいの少年だ――忽然こつぜんと現れた。腕組み壁に寄りかかって、ニヤリと笑っている。彼は腰に剣をき、黒衣に身を包んでいた。

 少女は戦慄せんりつに凍りついた。

 この世で、勇者へ歯向かう勇気を蛮勇ばんゆうと言う。

 過去に何度も、傍若無人ぼうじゃくぶじんな勇者へ立ち向かった人間はいた。その皆が、命ばかりか名誉や家族さえ徹底的に破壊されたのだ。誰もが黙認せざるを得ない中、魔王の支配する時代は勇者の跳梁ちょうりょうを許してきた。

 だが、突然現れた男の表情には恐れがない。


「よし、お嬢ちゃん。今、俺が助けてやるからな。さて……ちょっと本気出しま――」


 瞬間、鮮血が舞った。

 その返り血を浴びて、勇者の頬が赤くれる。

 興奮に肩を上下させつつ、勇者は再度抜いた剣を振るったのだ。

 男との距離は離れていた。

 だが、届かぬ切っ先の向こうで男は血に伏せている。


「ケッ、馬鹿が! さて……続きといこうじゃないか、ええ? まずはそうだな、全部……そう、靴下くつした以外は全部! 脱がしちゃおうかなあ! アヒャヒャ!」

「……ったく、ロリコンな上に変態かよ。つくづく救えねえな」


 少女は目を見張った。

 斬り伏せられたかに見えた男は、おびただしい出血の中で立ち上がった。ぼたぼたと重く黒い血が広がる中で、ゆっくりとこちらに歩いてくる。

 流石さすがの勇者も、少女から離れて剣を構えた。

 だが、余裕とすら思えるほどに泰然たいぜんと、男は無防備に歩み寄る。


「それがお前の能力か……風か? 多分、空気中の気圧を操る力だな」

「なっ、なな、何故それを!?」

「こんだけ派手に斬られりゃ、馬鹿でもわかる。剣筋に乗せた真空の刃、射程はせいぜい数メートルってとこか?」

「クッ! 貴様ぁ!」


 瞬間、勇者の周囲で空気がうずを巻く。

 少女の目には、住み慣れた我が家の光景がゆがんで見えた。無数に入り乱れる風の刃が、気圧差で陽炎かげろうを生んでいるのだ。

 勇者は剣をかざして、それを全て男へとぶつける。

 あっという間に男はズタズタに引き裂かれたが……それでも立ち止まらない。

 そればかりか、左右非対称の表情に首をかしげている。

 見る者の心胆しんたんを寒からしめる、凍てついた狂気の笑みだった。


「よし……大体わかった。もういいぞ、リーアム!」


 男が誰かの名を呼んだ。

 それは、ドン! という衝撃音が短く走るのと同時だった。

 不意に勇者が、見えないハンマーに殴られたかのように吹き飛んだ。そして……倒れた方向と逆側の壁にヒビが走る。衝撃を先に貫通させた一撃は、粉々に砕けた中から人影を浮かび上がらせた。

 露出の多い服を着た、こぶしを構える十代の少女だ。


「アーケン、無茶し過ぎよ!」

「奴の能力を知る必要があったからな」

「だからって、無謀むぼうだわ! もうっ、コンビを組むあたしの身にもなって頂戴ちょうだい! ほんっ、とぉ、にっ! 危ないんだからね!」

「大丈夫だ。あと、まあ、いいパンチだった。流石さすがだな、リーアム」


 アーケンと呼ばれた少年の言葉に、突然リーアムは真っ赤になった。

 釣り上げていた目尻めじりが、またたく間にゆるやかな曲線をえがく。

 だが、確かにアーケンは言った……。あの小さなリーアムの拳が? それも、壁が壊れる先に家の中の勇者を? あまりの驚きに、少女はリーアムのチョロい変貌へんぼうぶりを忘れてしまう。


「わ、わかればいいのよ! さ、勇者を確保しましょう。その子は無事なのね? ……待って、アーケン! そいつ、まだ動くっ!」


 リーアムの声が強張こわばると同時に、勇者がゆらりと起き上がった。

 だが、アーケンはおくすることなく少女を背に立ちはだかる。

 まるでかばい守るように、少女の視界から勇者を消す。


くさっても勇者、か……しぶといな。だが」

「このっ、死に損ないがあ! そっちの女もぉ! ブクブク乳やら尻ばかりデブりやがって! お前みたいな二次性徴期にじせいちょうきとっくに終えましたって女が、僕はなあ!」

「……だまれよ。その面……もう、見飽みあきたぜ」


 ヒュン、と風が鳴った。

 そして少女は、目の前の背中が右手で剣を抜き放ったことに気付く。

 勇者はピタリと動かなくなった。

 そのまま、絞り出すような声が徐々にかすれてゆく。


「う、ガッ!? 俺より速く、剣を? ……ま、まさか、貴様等、が……あの、特務勇殺機関とくむゆうさつきかん……!」

「そうだ。わかったところでさっさとけ。お前の勇気は、もう死んでる」

「なっ、めるなあ! ……あ? あ、あれ、身体が」


 咄嗟とっさに駆けつけたリーアムが、全身で少女を抱き締めてくれた。

 だから、見なくて済んだ。

 すでに切り刻まれていた勇者が……自分が動いた、その反動でバラバラになったところを。

 そして、とある都市伝説としでんせつを思い出す。

 この世界のどこかに、と呼ばれる者達がいるという。この世界に生を受けながら、異世界の勇者に匹敵する力を持つ始末屋。

 その名がブレイブレイカーズだと、少女は初めて知ったのだった。

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